🚱18〉─1─日本のアパレル業界は魅力をなくし、百貨店ブランドは売ず、日本のアパレル文化は終焉を迎えている。~No.81No.82 @ 

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 日本の内需を支えていたのは、贅沢な生活をしている少数の富裕層ではなく、慎ましい生活をしている多数の中間階級であった。
 中間階級が貧困化した事によって日本の内需は急速に萎縮し、人口激減によって消費者人口の減少が内需の衰退を加速化させている。
 人口が激減する日本民族日本人の人口回復は、ほぼ絶望的状況に突入し始めている。
 日本民族日本人の「血・血筋・血縁・DNA」は維持できなくなる。
 日本民族日本人型消費も消え去る。
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 2017年9月2日号 週刊現代「誰がアパレルを殺したのか
 墜落はもう止められない 百貨店とともに業界が死ぬ
 『高い服を着る』欲求を失った日本人
 かつて百貨店に行き、じっくり選んで服を買うのが好きだった。でも、いまは・・・。日本人が『高い服』への興味を失った結果、アパレルは死へと向かっている。その内部では、何が起きているのか。
 服は『どうでもいい』
 『アパレル業界が苦境に陥っているのは、「消費者の価値観の変化に負けた」から。いまや女性は、「憧れのモデルが着る高いブランド服」を欲しがらなくなり、等身大の服を求めるようになっている。さらに言えば、最近は、限られたおカネを本当に遣いたいものだけに遣う人も増え、それ以外の支出はなるべく抑える傾向が強まっています。こうした人には、服は「最低限でいい」「どうでもいい」ものなのかもしれません』(流通専門雑誌『2020ValueCrator』編集長の田口香世氏)
 アパレル企業、とくに百貨店に店舗を展開する企業は、経験したことのない苦境に喘いでいる。91年から13年の間に市場は15.3兆円から10.5兆円まで縮小。かつて『作れば売れる』と言われた百貨店系ブランドを展開する企業の業績は凋落、大手4社(オンワードHD、三陽商会、TSIHD、ワールド)の15年度の売上高の合計約8,000億円は、前年に比べて実に1割も低下している。まさに業界全体が『死に向かっている』のは明らかだ。
 こうした状況は多くの人の関心を引きつけ、今年5月に上梓(じょうし)された『誰がアパレルを殺したか』(日系BP社)は大きな話題を呼んでいる。
 なぜアパレル業界は『死』に追いこまれたのか──それは、劇的な消費者の価値観の変化に、企業がついて行けず、近視眼的な対応を繰り返した結果だった。
 大きく変わったのは、女性の消費活動だ。小島ファッションマーケティング代表の小島健輔氏は、ブティックを経営する家に育ち、40年にわたってアパレル業界の盛衰を見てきた人物だが、いままさに、衣服に対する消費者の感覚の変化を強く観じているという。
 『アパレルの市場を中心的支えていたのは女性ですが、景気の悪化もあって、彼女たちが社会に出て共働き化が進んだ。その結果、彼女たちは、働いたり、普段の生活をするための服しか買わなくなった。ビジネスカジュアルならZARA、パート勤務ならH&Mでいいという具合です。
 彼女たちは「着飾る文化」から離れ、服は「ファッション」から「生活用品」に変わった。これが、アパレル苦境のいちばん大きな要因だと思います』
 日本人は、高い服を着る欲求を失った──こうした傾向は、数字にも明確に表れている。マーケッターの三浦展氏が解説する。
 スーツが売れない
 若い世代ではさらに『服離れ』が顕著だ。05年までワールドの総合企画部長を務めたコンサルタントの北村禎宏氏はこう分析する。
 『インスタグラム(写真共有サイト)に自分の生活を投降するなど、SNSでアイデンティティを表現でき、もはや服でアピールする必要がなくなりつつあるのかもしれません。服を買うとは、情報を消費すること。同じ情報を扱うインターネットで、精神が満たされている側面があると思う』
 銀座の中央通りに、オンワードHDが展開するブランド『23区』の路面店、そして三陽商会のブランドが入ったSANYO GINZA TOWERがる。8月中旬の日曜の午後、2つの店舗で買い物をしているのは、中国や東南アジアからの数人のインバウンド客だけ。店を訪れた日本人客はわずかだった。
 女性だけではない。男性にとっても、服は『生活用品』になっている。証券アナリストの佐々木加奈氏も言う。
 『男性アパレルでとくに落ち込みが激しいのはスーツ系の製品です。これは低価格のブランドの影響というより、需要そのものの減少と言えます。この10年で、契約社員フリーランスなど服装に縛られることなく働く人が増えたうえ、企業も「クールビズ」や「カジュアルフライデー」を推進し、スーツを着ないよう指導しているためです』
 5〜6月、つまり1年の3分の1以上はネクタイも上着もいらない。前出の三浦氏によれば、単身男性の家計では、実際それらへの支出が減少傾向にある。
 『単身の男性の家計で代わりに増えているのは、インテリアや健康食品、傷害保険など。インテリアはおそらく、快眠枕や腰痛に効く布団などでしょう。バブル期のように、ブランド品を恋人にプレゼントして・・・という華美な消費は縮小し、「予防的」な消費が中心になってきているように思います。服や靴もスポーツ用の機能的なものが人気です』(前出・三浦氏)
 服にカネをかけるくらいなら、ゆっくり体を休め、将来に備えるために出資したい。もし服を買うなら、動きやすく、機能性が高いものがいちばんだ──。
 しかし、消費者のこうした変化に、企業側はついていけなかった。それどころか、消費者の『服離れ』に拍車をかけた側面もある。中途半端な価格と品質の製品を大量に供給し、消費者から購買意欲を奪っていった。
 前出『誰がアパレルを殺すのか』の筆者の一人、杉原淳一氏はこう話す。
 『90年代にバブルが崩壊し、ものが売れなくなりファストファッションが台頭する中、アパレル各社は目先の売り上げを立てようと、生産拠点を中国に移し、大量生産でコストカットを図ってきました。国内のマーケットは縮小しているにもかかわず、製品の品質には目をつぶり、過剰に製品を供給することで生き延びようとしたのです。しかし、それがいま自らの首を締めている』
 ユニクロの真似をして自滅
 まず、消費者が求めている『機能性』という点では、アパレル各社が提供する製品の生地の素材や繊維の質を落ちてている。前出の北村氏が言う。
 『90年代始め、アパレル企業は高コスト体質を指摘され、「売れ筋だけを売る」路線を選びました。売れ筋をリアルタイムで製造の部門に伝え、製品のラインナップを柔軟に変えクイックレスポンス(GR)が重視された。一時はうまくいきましたが、この方法は、「いまある素材」をもとに短納期で服を作るという性質を持ちます。徐々に、素材の質は低下し、生地はおもちゃのようにペラペラですぐにへたってしまうのが増えていった』
 追い打ちをかけたのがユニクロだ。ファッションジャーナリストの南充浩氏も言う。
 『98年にユニクロのフリースが爆発的に売れた。当時、ワールドやオンワードの経営幹部に会うと口を揃えて「ユニクロはすごい」「これからは低価格路線だ」とコストカットに躍起になっていた。皮肉な話ですが、トレンドに敏感なアパレルの経営者は、経営の流行にも流されやすい。低価格路線に乗ろうと、スケールメリットを追求しつつ、縫製や素材にかけるカネを減らし、品質は低下していきました』
 デザインの面でも質は落ちていった。前出の北村氏によれば、かつてワールドの社内では、『女帝』のようなデザイナーやパタンナーが肩で風を切って歩き、尊敬を集めていたというが、短期的に売り上げを立てることのできない彼らは、『コスト』と見なされるようになる。『彼らの肩身が狭くなり、ひとり、またひとりと、数が減っていくのを目の当たりにしました』(前出・北村氏)
 さらに、これは皮肉な結果をもたらす。辞めていったデザイナーたちは、独立してOEM(受注製造)メーカーを立ち上げ始め、彼らが低価格ブランドのデザインを請け負うようになったのだ。低価格帯のデザインクオリティは上がり、百貨店ブランドと遜色ないものになっていく。
 しかも『ユニクロは、繊維のレベルから原料メーカーとともに研究を行うなど、品質管理と在庫管理を徹底し、安く、高品質を実現した』(百年コンサルタント代表の鈴木貴博氏)。一方、大手アパレル企業には、OEMメーカーに企画、生産を丸投げするところが出てくる。品質の差は、見る間に縮んだ。
 『90年代に入るまでは、百貨店のブランド服と低価格の服には圧倒的な見た目の差がありました。スーパーで買ったジーンズを穿(は)いた後に、7,000円のリーバイスを穿くと、そのカッコよさに感動したものです。しかし、いまや低価格のブランドと、百貨店の服は、価格の差の割りには品質の差が小さい。それで百貨店ブランドの服が売れ続けるほうがおかしいと思います』(前出・南氏)
 アパレルがとった『コストカット』の道は、現在、おそるべき段階にまで行きついている。アパレル社員が嘆く。
 『現在の「丸投げ」ぶりは尋常ではありません。社員がOEMメーカーを訪れ、「ウチのブランドに合うデザインを、来週までに20パターン作ってきて。その中から5つを選んで出すので」と言い残して去ることもある。もちろんそうして作られた製品は、素材も十分に吟味されていない』
 別の社員も言う。
 『他社のブランドで売れているものがあると聞けば、その店舗まで行ってデジタルカメでこっそりその製品を撮影し、写真をメールに添付してOEMに送って「これと同じものを作ってください」と指示することもあります』
 百貨店ブランドの服の品質は下がり、ユニクロより少しいいというくらい。しかし、それにしては価格が高い。
 通販サイトに客を奪われる
 高級ブランドの代名詞であるエルメスが、16年、日本での売り上げを20%も伸ばしているのを見れば、百貨店ブランドの中途半端さこそが、消費者を遠ざけていると言える。そもそも社会の趨勢として服を買う意欲が下がったところに、中途半端な価格で中途半端な品質のものが出されても買う気にはならない。
 もはや百貨店のアパレル売り場にはワクワクしない。最低限に必要なものを買うのならば、掌の上のスマホで十分だ。前出の三浦氏が言う。
 『忙しくなって、百貨店でゆっくりと店舗を回っている余裕がない女性にとって「ZOZOTOWN」などのファッション通販サイトで、膨大な量の衣服を回覧できるのは魅力的です。さらに、中古製品の売買ができる「メルカリ」で服を買うケースも増えています。ますます百貨店から足は遠のいていくでしょう』
 60年代に花開いた日本のアパレルという文化は、いまその『終焉』に直面している」
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 無駄なモノまで買って浪費するのは、正社員で生活にゆとりのある若者達である。
 低賃金の非正規社員で生活が苦しい若者達は、倹約・節約志向で、必要最小限のモノを買い、残りは将来・老後の為に貯蓄にまわす。
 高齢者は、金があろうとがなかろうが最低限のモノしか買わない。
 少子高齢化は、ゆとりのある若者は減少し、高齢者と生活に苦しい若者達が増える事である。
 この先40年も50年も働いて金を稼げる「未来を生きる」若者と、後数年から十数年も無収入・年金暮らしで「死を待つ」高齢者では、生き方が違えば消費も違う。
 明日死ぬかもしれない、明日倒れて寝たきりになるかもしれない、という恐怖・不安を抱く高齢者に「残りの時間を使って人生に思い残す事なく遊んで下さい」と言われても、資産以上の公金で死後まで面倒を見てくれる保障がなければ散財して資産を使い切る決心はつかない。
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 日本人は、景気が悪くなって不況が深刻化しても、将来は明るいという展望が見いだせれば、一時的に消費を控えても何時かはまた無駄モノ買いをしてしまう。
 何故か、日本民族日本人には金を稼いだら思いっ切り贅沢をして見栄を張るという、鈍臭い貧乏人根性が染み込んでいるからである。
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 「宵越しの金は持たぬ」で散財するのは、百姓や町人の生き方である。
 「質素倹約で貯蓄に励む」という生き方は、「いざ鎌倉」というサムライ・武士の痩せ我慢である。
 華美な雅と鯔背(いなせ)な粋を売りものとする江戸文化とは、百姓や町人の文化であって、サムライ・武士の文化ではない。
 さむらい・武士の伊達は、華美ではない。
 華美・豪華絢爛に散在して豪遊したのは、一代でのし上がった成り上がり者の商人・豪商であった。
 日本民族日本人は、サムライ・武士の子孫ではなく、百姓や町人の子孫である。
 「腕に技術を持つ」百姓や町人は、今は貧しく生活が苦しくとも、何時は大金を稼いで楽な生活ができるという、その抜けの明るさ、ちょっとやそっとではへこたれない能天気さを持っていた。
 江戸文化には、楽天主義で明るさが多く暗さが少ない。
 日本と中国・朝鮮の根本的な違いはここにある。
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 土地神話にせよ、貯蓄好きにせよ、全ては戦後に日本人の間に定着した。
 戦前までの日本人には土地にはたいして興味はなく、苦労して資産を築いた元貧乏人が俄地主(寄生地主)になろうとして土地買っていたに過ぎない。
 戦前から戦中にかけて戦争勝利の為と国に言われて預貯金に励んだが、敗戦後、限度額以上の預貯金は紙屑となった。
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 贅沢を好む百姓や町人は、御上の命令を無視し、激怒した御上が規制を厳しくすればその裏を掻いて華美をこっそり楽しんだ。
 百姓や町人は、御上のお達しはご無理ご尤もと従順に従うふりをしながら、その実はバカにして無視していた。
 御上の贅沢を禁止して華美を取りしなる質素倹約の諸改革は、百姓や町人にそっぽを向かれてことごとく失敗した。
 サムライ・武士は、規制・拘束を嫌い自由・我が儘を好む百姓や町人に負けていた。
 苦労した武士の代表が、享保の改革の実務を担当した大岡越前守忠相であった。
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 「思慮分別のない浅はかな大衆は、宣伝や情報によって操る事ができる」と考える知的エリートは、気力を無くした無欲な日本人を良き消費者へ導く事に失敗した。
 人口激減期による深刻な現象は、誇大宣伝や情報操作に踊らされない悪い消費者が急増する事である。
 意欲を失った冷めた日本人は、有名人やマスコミが言葉巧みに浪費するように幾ら煽っても踊らされる事はなく、後先を考えず無謀に金を使う事はしない。
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 人口爆発期のビジネスモデルは、宣伝や情報に踊らされて無計画に浪費する良い消費者が相手であった。
 人口激減期のビジネスモデルは、宣伝や情報に踊らされず計画的に倹約する悪い消費者が相手である。
 悪い消費者とは、無駄に、買わない、借りないである。
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 美辞麗句で言えば、悪い消費者の増加とは市場における消費活動の多様化である。



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