🌁52〉─1─難民に冷淡な日本。外国人犯罪に苦しむ国々は、日本の難民申請を絶賛してる。 ~No.251No.252No.253 @ 

人口激減: 移民は日本に必要である (新潮新書)

人口激減: 移民は日本に必要である (新潮新書)

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 フランスの移民受け入れ反対派は、日本の難民申請を絶賛し、日本方式をフランスに導入すべきであると訴えている。
 外国人難民・移民による犯罪に悩む国々は、日本に見習うべきだと考えている。
 が、外国人難民・移民受け入れ賛成派は、日本の難民申請は非人道的であると厳し、人道的見地から外国人差別をなくす為には無条件で受け入れるべきだと主張している。
 外国人難民・移民を受け入れてる欧米諸国では、外国人による犯罪やテロ事件が増加し、治安が悪化している。
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 約5,000人が日本に難民申請をしているが、その多くが、政治亡命でも戦争難民でもなく単に仕事を求めての金銭目的経済難民不法滞在者である。
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 2015年11月12日号 週刊新潮「実態は『ニセ申請』の山と『不法就労者』の行列!
 『朝日新聞』が宣伝する『難民を受け入れない日本は冷たい国』への反論
 安倍首相は国連で巨額のシリア難民支援を表明
 『朝日新聞』を中心に、『日本は冷たい国だ』なる声が喧しい。曰く、毎年の難民認定数が少ない、シリア難民受け入れに消極的だ──。
 しかし現実を無視して語るなかれ。日本の『難民認定』の現場は『ニセ申請』の山や『不法就労者』の行列との格闘で手いっぱいなのだ。」
 包丁が日々の暮らしを便利にする一方、人を殺す道具にもなるように、また、言葉が人を救う一方、時に奈落の底にも突き落とすように、その使い方によって、結果に大きな違いを生み出すものだ。
 『数』についても同様である。曖昧な事柄を、万人共通の指標の下に可視化できる一方、背景や経緯についての洞察を欠けば、独り歩きし、実態とかけ離れた姿を描き出す──。
 〈5000分の11〉
 〈63分の3〉
 昨今、日本の難民認定について、この2つの『数字』を基に、大々的な批判が繰りか広げられている。
 入国管理局を所管する、法務省の関係者によれば、『前者は昨年、日本政府に難民申請をした外国人が5,000人ちょうどだったのに対し、実際に認定されたのは11人だったということ。これは0.2%に過ぎず、〝宝くじにあたるようなものだ〟と批判が上がっています。また、後者は、日本政府に難民申請を出した『シリア難民』が63人であるのに対し、認定されたのは3人しかいないということ。80万人を受け入れる見通しのドイツなどを引き合いに出し、〝世界基準から遅れている〟などといった批判が出ているのです』
 難民の受け入れと言えば、醸し出されるのは『人権』の匂い。想像が付くように、そうした論調をリードするのは、『朝日新聞』である。
 例えば、〈難民 世界と私たち〉なる連載記事では、
 〈昨年の認定数は11人。米国や欧州と比べ極めて少ない〉(8月3日付)
 〈認定3人 厳格な要件解釈〉(9月28日付)
 など2つの数字を持ち出し、社説でも、
 〈国際貢献というにはあまりに規模が小さすぎる。日本政府は大胆な受け入れ策を打ち出すべきだ〉(9月27日付)
 〈日本の厳しすぎる難民認定基準は見直す必要がある〉(10月1日付)
 と政府に難民受け入れの拡大を迫っている。
 『毎日新聞』の場合は、よりその傾向が顕著で、
 〈「難民鎖国」と呼ばれる日本の閉鎖性を改め、紛争地からの難民を積極的に受け入れることも検討すべきだ〉(9月8日付社説)
 〈金だけ支援 入国はNO「鎖国日本」に厳しい視線〉(10月6日付記事)
等々、厳しい批判を浴びせているのだ。
 こした〝大新聞〟に加えて、アムネスティなどの『人権団体』や辛坊治郎田原総一郎両氏などさまざまな『識者』も先を数字を振りかざして議論に参戦。難民を受け入れない日本は『冷たい国』だ、といわんばかりの大合唱が起こっているのである。
 ラーメンの味を守るため・・・
 ところが、だ。
 『現場で認定を携わる身としてみれば、よくぞ5,000人から11人を発掘したものだ、と思います』
 と前者の数字の〝本当の意味〟を説くのは、難民などの支援団体『さぽうと21』理事長の吹浦忠正氏である。
 吹浦氏の話しに耳を傾ける前に、そもそも『難民』とは何か、を説明しておこう。
 『難民条約』はその定義を、大要こう記している。
 〈人種、宗教、国籍、政治的意見などを理由として迫害の恐れがあり、国の保護を受けることが出来ない者〉
 日本は1981年、これに加入し、難民を受け入れる義務を負うことになった。
 現在の認定制度では、ある外国人が『難民申請』をした場合、まず、入国管理局の難民調査官の審査を受ける。そこで不認定になったとしても、異議申し立てが可能で、その場合、難民審査参与員の審査を受けることになる。ここでまた不認定となったとしても、行政訴訟を起こすことが出来るのだ。
 吹浦氏は支援団体で約40年間、また、3年前からはこの『参与員』としても、難民問題に取り組んできた。
 しかい、
 『〝日本の難民受け入れ数を増やしたい〟〝難民に冷たい法務大臣の鼻を明かしてやろう〟と思って参与員を引き受けました。が、実際は、申し立てをする〝難民〟の主張は矛盾だらけか、そうでなくても、難民の定義には当てはまらないものばかりだったのです』
 と言う。
 その事例を見ていこう。
 『例えば、イランからの男性の申請者は〝私はイスラム教からキリスト教へ改宗し、2年前毎週教会へ通っています。国へ帰れば殺されます〟という主張でした。しかし、〝クリスマスとはどういう日ですか?〟と聞いても、〝キリストの母は誰ですか?〟と聞いても〝わかりません〟を繰り返す。酒を覚えただけゆえに〝改宗〟した人でした』
 続いて、アフリカ・ウガンダ出身の不法滞在者(男性)のケースはこんな具合だ。
 『ウガンダでは、同性愛が禁じられ、見つかると最悪の場合、死刑に処せられます。このウガンダ出身の〝難民〟は、〝私は同性愛者です。国に帰れば殺されます〟と主張していた。しかし、よく調べてみると、この人は日本人女性と結婚して、子どもまでもうけていたことがわかったのです』
 変わったところでは、ミャンマー人の男性不法滞在者の例がある。
 『〝私は十数年前、行列の出来るラーメン屋で働いてきました。でも、去年、店のオヤジさんが倒れてしまい、私以外、ラーメンを作る者がいない。オヤジさんのラーメンの味守りたいので、日本で働かせてください〟と言うのです。確かに泣かせる話ですが、それが事実かどうかもわかりませんし、事実だとしても、難民申請の理由にはまったく当てはまらない。残念ですが、却下しました』
 こんな具合で、吹浦氏は3年間で100件以上の面接をしたが、認定者は未だ『ゼロ』だという。
 また、NGO『難民を助ける会』では会長を務める柳瀬房子さんは、吹浦氏より長く10年以上も参与員を務めている。それでも、
 『私も800人ほどの審査をしましたが、認定したのはごくわずかです』
 と言うのだ。
 『例えば、母国で、隣人と土地の境界線を巡って揉め、脅迫された、というもの。あるいは、母国で不倫をしてしまい、その夫から追われている、というもの。また、クリケットのレフリーをしていて、負けたチームから脅迫されている、というのもありました。要は、人間関係のトラブルによるものが多いのです。また、難民申請をしながら、母国の駐日大使館に出向き、パスポートの申請をしている人も多い。これでどこが『母国の保護が受けられない』と言えるのでしょうか?』
 さらには、やはり参与員を2年半務めている、名古屋大学大学院国際開発研究所講師の浅川晃広氏も言う。
 『パキスタン人からの申請で〝シーア派からスンニ派に改宗したため、シーア派に狙われている〟というものがありました。しかし、実際に呼んで聞いてみると、これがまた軽い。なぜ改宗したのか聞いても〝気分で変えた〟〝行くモスクを変えたついでに〟しかも、宗派もコロコロ変えている。一事が万事、そんな感じなのです』
 かくして、現場を知る人々の間では、本当の『難民』を見つけるのは、石ころの山からダイヤモンドを探し当てるようなもの。『5,000分の11』でも〝よくぞ探した!〟というのが共通した認識となっていると言うのだ。
 合法的就労の手段
 しかし、である。
 一体、なにゆえに日本の入管には、こんな『ニセ申請』が蔓延っているのであろうか? 
 『難民認定が、本来の意味を失い、外国人の出稼ぎのツールとして使われているからです』
 と吹浦氏がその背景を説明する。
 『もちろん、外国人は就労ビザがなければ、日本では働けません。しかし、2010年、難民認定制度が改正され、申請すれば、その半年後から決定が下されるまでの間、日本で働く資格を得る事が出来るようになったのです。これ以降、申請者の数はグンと伸びました』
 法務省のデータによれば、10年に1,202人だった申請者数は、1,867人(11年)、2,545人(12年)、3,260人(13年)、そして、昨年の5,000人と増加の一途をたどっている。
 先の柳瀬さんによれば、
 『通常、難民申請は半年以内に可否の結果が出ます。そこから異議申し立てをすると面接まで2年、そこから可否の判断まで半年くらいかかります。つまり、申請を出してから決定まで3年はかかるのです』
 オマケに、難民申請は、一度不認定となっても、二度、三度と何度でも申請を出すことが可能。
 単純計算として、4回申請を行えば、12年間日本で稼ぐことが出来るのだ。
 吹浦氏は言う。
 『つまり、この制度改正で逆に外国人は、難民申請さえすれば、日本で長い期間、合法的に働けるようになったのです。こうして、観光ビザなどの資格で日本に入国し、それが切れるまでの間に難民申請を出せば、日本で金が稼げる。あるいは、日本に不法に滞在して働いていた者が入管に捕まっても、難民申請を出せば即座に退去しなくて済むばかりか、今度は合法的に収入を得ることが不可能ではなくなってしまったのです』
 だが、彼らにとって難民申請する理由などは、ウソでも、『難民』の定義に合致していなくても、何でも良い。難民になることではなく、申請を繰り返し、日本に長くとどまることが目的なのだ。
 『そのため、彼らは異議申し立ての場でも、たった5分ほどで終えたり、〝何もありません〟といって帰ったり、酷い時は、面談をすっぽかしたりすることもあるくらいです。この〝偽装難民〟の裏には、申請の手続きに長けたブローカーが暗躍しているケースが多い。こうした事情によって難民申請者は急増し、当局はその対応に追われています。
 〝ニセ者〟があまりにも多するために、救うべき真の難民の救済が遅れてしまっていることが、難民認定の本当の問題なのです』(同)
 こうした実態を、『朝日』や『毎日』は知っているのか。それでもなお、日本の難民認定は『厳しすぎる』『閉鎖的』と述べるのだとしたら、その目は曇っているとしか思えないのである。
 跋扈するブローカー
 さらに、だ。
 後者のシリア難民の受け入れ『63分の3』という数字についても、『朝日』サイドの解釈には、疑問を感じぜるを得ないのである。
 『日本国際社会事業団』の常務理事で参与員の大森邦子さんは言う。
 『実は、「難民条約」による定義では、「シリア難民」のほとんどはそれに該当しない。彼らの大半は政府の迫害から逃げているのではなく、紛争という国の統治機関の破たんによって、国を離れた民だからです』
 それゆえ、政府は条約の解釈通り、迫害を受けている3名のみしか、『難民認定』をしなかった。
 しかし、残りの申請者についても、国外に追放するのではなく、『人道配慮』で、一時的に滞在を認めてる『在留許可』を出している。すなわち、申請者は全員、日本政府に庇護されていることになるのだ。
 『私はこの措置は正しいと思います』
 と、大森さんが続ける。
 『日本は法治国家ですから、難民性を判断する際にも、条約の定義に照らして厳密に判断すべき。従来の定義に入らない人も、〝かわいそうだから〟と受け入れてしまえば、今後、際限なく定義外の人々も受け入れることになってしまうのです』
 一度、シリアで基準を緩和してしまえば、万が一、北朝鮮が内紛によって崩壊した場合、シリアで認めたことを彼らについて認めない論理は何もない。北から来る数万〜数十万の規模の集団を『難民』として受け入れる場合のさまざまなコストは想像できないほど大きいが、果たしてそれに日本人が耐えられるのか?
 いや、そもそも、それに備えた議論すら進んでいないように思えるのである。
 また、朝日や毎日が引き合いに出すドイツについても事はそう単純ではない。
 ドイツ在住のノンフィクション作家・クライン孝子さんによれば、
 『ドイツは、憲法に「政治的に迫害される者は庇護権を享有する」と明記している国。ヒトラーナチスの過去を持つために、難民の受け入れに積極的にならざるを得ない、という理由もあるのです。そのドイツにしても、これほど大量の難民を受け入れたことはありません。申請者の中には、審査を受けないまま、国内に潜り込んでしまう人もいるし、ブローカーも跋扈している。「難民ビジネス」によって生み出された「難民」もいるのです。こうした点から、国内では受け入れについて批判的な意見も多い。メルケル首相の評価も急落しています』
 と言うから、まして『島国』で、古来、外国人の大量流入の経験がない日本にとって、その判断は慎重に慎重を重ねるべきもの。軽々しく、『積極的に』『大胆に』受け入れていいものではないのだ。
 当の『朝日』『毎日』に見解を問うと、朝日はコメントなし、毎日も『当社の主張は社説で書いた通りです』と答えるのみである。
 哲学者の適菜収氏は言う。
 『日本が「難民に冷たい国」かどうかはわかりませんが、難民認定については粛々と行うだけ。本当の難民は保護して、それ以外は認定しない。シンプルな話しです。実態に基づかず徒(いたずら)に〝難民を受け入れろ〟というのは、社会不安を煽るのみ。本当の難民がニセ者と同一視され、風評被害が及ぶ可能性もあると思います』
 現実を観ずに、観念の世界に遊ぶ。本音を避け、建前の議論に終始する。
 かって『北朝鮮帰国事業』や『慰安婦』報道で失敗した過去を、『朝日』は難民問題でもそのまま繰り返しているように見えるのだ」
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 国際問題化している中東や北アフリカの難民は、地理的に遠い日本ではなく近いヨーロッパを目指して移動している。
 中東や北アフリカの難民が、なぜ、文化・宗教・言語が異なるヨーロッパを目指すのか、それは古代ギリシャ・ローマ時代から戦争と交易を繰り返してきた親近感からである。
 アレキサンダー大王は、インド・インダス川の畔まで遠征して大帝国を建国し、ギリシャ人やマケドニア人の兵士とアフガンやパキスタンの現地人との融合の為に雑婚を奨励して、後のヘレニズム文化(ギリシャ精神)を経て仏教ガンダーラ文化の端緒とした。
 仏教ガンダーラ文化は、シルクロードタクラマカン砂漠を越え、中国、朝鮮を経て最終地点の日本に伝えられ、日本独自の閉鎖的日本仏教文化へと変貌した。
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 ミャンマーベトナムより遙かに遠い中東から、高額の搭乗券を買い航空機に乗って日本に来るだけの大金があれば、近隣で同じ宗教・似た様な文化圏で他に行き場所があったのでは。
 なぜ、難民審査が厳しい上に、人種や民族、さらに文化、宗教、言語、生活習慣など全ての面でまったく異質な閉鎖的日本に来たのか。
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 イスラム教は、人種・民族や文化・風習・言語は異なるが、宗教としてはキリスト教同様に一神教ユダヤ教から分かれた宗教である。
 イスラム教にとって、歴史的交流がない日本仏教・日本神道の日本よりも、歴史的交流が深いキリスト教ユダヤ教のヨーロッパの方が気心が知れた安心感がある。
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 正常な判断ができれば、今にも沈みそうな老朽船に乗船し命の危険を冒してまでヨーロッパに向かうが、間違っても飛行機を乗り継いで日本には来ない。
 ヨーロッパに向かえば幸せを手に入れる可能性があるが、日本に向かっても同じよな幸せが得られるかどうかは疑問である。
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 日本がお節介でしゃしゃり出て、嫌がる中東・アフリカの難民を強引に受け入れても、日本に半強制的に連れられて来た中東・アフリカの難民は最悪の不幸に苦しむだけである。
 他人無視の自己満足だけの善意の押し売りは、背筋が寒くなる程におぞましい醜い心である。
 日本ができることは、難民自立支援の義援金を出すだけである。
 高額な航空運賃を出して日本に数十人の難民を連れて来るのなら、その金額を現地の安全地帯で有効に使った方が数百人数千人の難民の役に立つ。
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 2016年11月号 Hanada「一定不易 加地伸行
 ……
 貧乏もまた楽し、という気持を持つと、風景が変わる。ところが、近ごろの議論では〈貧乏は悪〉に徹している。
 中には、ご苦労にも外国人の貧乏の心配までするのがいる。その最たるものは、いわゆる〈難民〉に対してである。
 例えば、見出し『難民政策聞こえず』(毎日新聞28年7月4日)に一人のアフガニスタン出身者の例を出している。
 その人物は、アフガンで、孤児を支援する日本のNGOスタッフとして働いていたところ、イスラム教徒ではない外国人の下で働く者はイスラム教徒を捨てたと見なす、という理不尽な理由で、タリバン構成員から銃身で何度も殴られた。さらに宗教裁判の呼び出し状が届き、命の危険を感じて二ヶ月後に単身で日本へ逃げてきた。しかし、難民とは認められず、いま大阪地裁に提訴中とのこと。
 右の記事を読んで馬鹿馬鹿しくなった。と言うのは、その人物の話(おそらくは作り話)だけを信じて、彼の身分そして貧乏を救おうというわけである。
 タリバンの言葉が正しいならば、日本のNGOスタッフを辞めればいいだけのことではないか。あるいは、もし自分が正しければ、応分の〈戦い〉をすべきではないか。しかし、右の話からそうした痕跡は見えない。
 要は、己の祖国を見捨てて、日本に住みつき、貧乏を解消しようという根性。こんな連中が難民と自称するの痴(おこ)がましい。もちろん、それを支援する日本人は口先きだけ。本当にその男を救いたければ、まずは自分の養子にするとか、自宅に住まわせるとか、生活費を完全に支援するとかをしてみよ。していないではないか。すべて日本国にぶらさがろうとしているだけのことである。
 この話、さらにもっともひどいオチがついている。右の人物、日本で難民と認められず、国外退去を命じられると、『アフガンに戻れば拘束されるかもしれない。毎日心配だ』と訴えているという。
 これは居直りである。自分がこれから先にひどい目に遭遇するときがあると、それは自分を難民と認めない日本国の所為(せい)という〈論理〉である。
 この論理──自分がすべて正しく、悪はすべて相手側という勝手な理屈、それは日本においてもかつて横行していた。いわゆる新左翼の屁理屈である。
 難民を救おう、日本はもっと難民を受け入れよう……といった運動をしている連中の理屈に、なにやら新左翼系の悪臭が漂(ただよ)う。
 貧乏と聞くと、なにがなんでもそれを救おうという、ベッタリとした関係になっての政治運動が大きな顔をしている。
 古人曰く『君主の交(まじ)わり、淡(あわ)きこと水のごとし。小人の交わり、甘きこと醴(れい。甘酒)のごとし』と。」 
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 日本は、古代から1953年7月の朝鮮戦争休戦まで政治亡命者や政治・戦争・宗教・経済・環境等の難民を、無条件で大量に受け入れ、虐殺はもとより差別、弾圧、迫害、追放する事なく全国に定住させた。
 天皇に忠誠を誓い日本を守ろうとした帰化人も、天皇に忠誠を誓わず日本を守るとしなかった渡来人も、全ては難民であった。
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 1980年頃まで、中国大陸や韓国・朝鮮半島から数多くの貧しい経済難民が不法に密入国していた。
 なぜ日本が難民大国でありえたのか。
 それは、人種・民族・部族に関係ない人々が、自然災害多発地帯の日本列島に移り住み、狭い地域で混じり合い、同居し、雑婚を繰り返し、その中から生まれた雑種民族の混血人だからである。
 そこには、人類の一般常識的な征服者と被征服者という上下関係・階級は存在しない。
 雑種民族の混血社会から、多様性や多元性に富んだ曖昧な多神教的価値観や思考が生まれ、「来る者は拒まず、去る者は追わず」的な一見冷たい淡白さが身についた。
 大陸や半島からの数多くの難民が、日本に逃げてきて帰化人となって住みつき日本人となった。
 日本人は、職業ごとに階層を形成し、棲み分けて運命共同体的社会をつくった。
 日本人になる事を拒絶したのが、渡来人である。
 日本民族は雑種民族であり、日本人は混血児である。
 日本の民族主義とは、雑種民族混血人の事である。
 本来、日本の民族主義が雑種民族混血人である以上、怖いほどに排他性や人種・民族差別は少ない。
 むしろ、すぐに見ず知らずの他人を信用し、同情していまうという「お人好し」な奇癖を持っている。
 雑種民族の混血人の日本を1つにまとめたのが、万世一系男系天皇制度(直系長子相続)であった。
 直系長子相続は、神の裔という血統を受け継ぐ事を絶対条件とた男系女系の両系であった。
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 日本は急速に「他人を簡単には信用しない」「人を見たら泥棒と思え」という世界常識を取り入れ、日本人は国際人として生きる為に徐々に変質し始めている。
 自民党社会党連合政権下での1995年1月17日の阪神淡路大震災民主党政権下での2011年3月11日の東日本大震災及び福島第一原発事故などの未曾有な大災害を経る事に、日本国民日本人は日本民族日本人の柔軟で強靭な特性を失ってきたし、今後もその傾向は進む。
 それが、自然な流れなのか、誰かの意図なのか、それはわからない。
 ただし、それが無智で軽薄な「陰謀説」でないのは確かである。
 唯いえる事は、政治家にせよ、官僚にせよ、企業家にせよ、マスコミが有識者ともて囃す学者・評論家・知識人・教養人なども、戦後平和教育によって時代と共に劣化してきているのは事実である。
 政治家は議席にしがみつく為に、官僚は保身と天下りの為に、企業家は金儲けの為に、有識者は名声の為に、そして国民は・・・・






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日本と出会った難民たち――生き抜くチカラ、支えるチカラ

日本と出会った難民たち――生き抜くチカラ、支えるチカラ

  • 作者:根本かおる
  • 発売日: 2013/04/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
日本の移民政策を考える

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