🚷9〉─1・A─4人に1人 未婚・独身男が増えている裏事情~No.53 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 商業用果樹園では、水や肥料を与えても美味い果物を実らせない木や全く果実を実らせない木などは悪い木として伐採して、新しく若々しい樹を植えて売り物になる果実を実らせる為に水や肥料を与える。
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 結婚できない男
 結婚しない男。
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 独身貴族。
 パラサイト・シングル
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 2017年 50歳くらいで未婚の男性は、23%。
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 2017年9月29日号 週刊朝日「4人に1人 未婚・独身男が増えている裏事情
 『男の美学』?『やせ我慢』?
 結婚しない男が急増している。国立社会保障・人口問題研究所の調べでは、『50歳まで一度も結婚したことがない男性』が4人に1人に。2035年には3人に1人になるとの試算だ。未婚・独身男がマジョリティーとなりつつある裏情報を探った。
 『一人で生きていても今、非常に心地よい毎日を送っています。多忙であったという間に過ぎていった感じがありますが、結婚するメリットや憧れはあまり感じませんね。山登りしたり、居酒屋に飲みに行ったりして、心の安らぎは十分得ています』
 こう語るのは北海道函館市在住で教育関係の仕事をしている独身男性Aさん(56)だ。Aさんは北海道出身だが主に首都圏で過ごし、慶応大学文学部失業後、IBMに入社しシステムエンジニアとして約3年間勤務し、30歳を前に全国紙記者に転身。社会部警視庁担当のほか、カイロ特派員時代、イラク戦争を取材するなど国際派ジャーナリストとしても活躍した。50歳を前に病気療養中の母親の面倒を見ようと、函館市にUターンした、今はやりの地方移住者でもある。
 Aさんは現在の心境を『よく周りに「一人で寂しくないの?」と聞かれますが、全く感じません。彼女もいましたし独身主義者でありません。お酒を飲むのが好きなので、居酒屋などに飲みに行けば、その場に集まった人たちと疑似家族的な付き合いはできます。周りの既婚者を見ても、家計の柱は夫なのに主導権は妻が握っています。いびきがうるさいとか、妻の顔色をうかがう生き方をしているようにしか見えなくて、疲れると思う』と話す。
 趣味は山登りとマラソン。毎週1回は近くの函館山に登り、これまで地元のハーフマラソンにも3回参加するなど、『健康問題もなく、人生悔いなく生きてますよ』と言い切る。
 博報堂シニアプロモーションディレクターで、独身研究家でもある荒川和久氏はこう語る。
 『Aさんのように「結婚できない」ではなく、「あえて結婚しない」層がいることを指摘したい。ちゃんと働いて、親などに金銭的な依存もしない。自由、自立、自給の価値観を持っている独身男性が世代を超えた特徴としてあります』
 広告会社でマーケティングをした結果、荒川氏による結婚しない男の定義はこうだ。『束縛されず自由に過ごしたい』『一人で過ごす時間を確保したい』『誰かに頼らずいきていける』。荒川氏はこう解説を続ける。
 『気楽な地位を好み、一人の時間を大切にする。一方で、仕事面で人に認められたい承認欲求はある。趣味でも同じような達成感を求める人が多い。自分の好きなことをとことん追求したい。映画でもスポーツでも読書でも一人で楽しめるのです。野球などの球技も含め集団でつるむのを好まないのも大きな特徴です。彼女や親友がいないわけでもない。本質的な部分でも、既婚者が家族のために頑張って働いているのと同様に、独身者も働いている。既婚者同様に普通に子供が欲しいと思う面もある』
 『おひとりさま』ブームを生んだマーケティング評論家、牛窪恵氏は『今は男損時代。結婚しても小遣い3万円台が主流の調査結果もあり、お金や時間が自由にならない。周りの既婚者も幸せそうに見えないのでしょう。結婚のメリットは子供ぐらいに思えて、趣味などを犠牲にするのも馬鹿らしい』と語った上で、『仕事が安定しない状態で結婚するのは無責任だと思っている半面、仕事に真面目で古い男の概念も持っていて、無責任には結婚できないと思っている男性が多いのではないでしょうか』と分析する。
 一方で、かつて『お見合い歴30回』と公言し結婚できない女性の代名詞にされていたエッセイスト、阿川佐和子氏が今年5月、63歳で晩婚した例を挙げ、こう指摘する。
 『国の施策として、遅くても結婚できる時代にしないといけないと思います。60歳を過ぎて、「人生って何なのか?」と感じやすい時代になっていて、一人でも楽しめない社会になってしまっては悲惨です』
 前出のAさんは米・コロンビア大学大学院に留学中の2001年9月、米同時多発テロに遭遇し、複雑な心境をこう語った。
 『人生の成功は富にあると考える風潮が蔓延しているアメリカ社会を実感していた矢先の衝撃的な出来事でした。物理的な我流より、連帯感や人とつながっていたいという意識が植えつけられました。だから、母親がなくなったら、一人で生きる張りを失ってしまうかもしれないと、ひと感じる瞬間も正直あります。ですので、60代以降にあえて所帯を持つことを考えてみてもいいかなと思います』
 確かに、定年後にどう社会と接点を持ち日々過ごしていくべきかを指南する新書『定年後』(楠木新著・中公新書)が20万部を超える異例の大ヒットとなるなど、本屋を覗くと、『定年後の歩き方』や『100年人生マニュアル』など、中高年の生き方を問う特集を組む書籍、雑誌がやたらと目立つ。
 孤独を楽しむ、柔軟性がない?
 人口減少時代に直面し、『従来の結婚観や適齢期の変化の表れかもしれません』(荒川氏)。
 現在ベストセラーになっている直木賞作家、五木寛之の『孤独のすすめ』(中公新書テクレ)では『人間は孤独だからこそ豊かに生きられると実感する。孤独の素晴らしさを知る。孤独を恐れず、孤独を楽しむのは、人生後半期のすごく充実した生き方だ』との記述がある。
 これについて、荒川氏はこう見解を示す。
 『孤独を楽しむことや一人が好きというころに関しては大賛成です。ただ、それは自分の中の多様性を活性化するための手段。人と一切の関係性を遮断して心理的に孤立してしまうこととは別物です。孤独とは自分の能動的な選択肢として選べる自由があるものだと解釈したい』
 一方、牛窪氏は違った見方を示す。
 『ある意味でやせ我慢と言ってみてもいいかもしれません。昔で言うと、高倉健さん風に「不器用なんで〜」「だから素直なれなくて独身」と言ってみたり。いわゆる日本の恥や虚勢の文化こそが、40代以上のオジサンたちの可愛いところだと思っていますので、そこはなくしてほしくないし、「いい!」と感じる女性は若い子も含めて必ずいる。大事にしてほしいなあと思います』
 荒川氏の言う『こだわり』と牛窪氏の言う『やせ我慢』。
 Aさん同様に未婚の記者が『男の生き方の美学ではないのか?』と、あえて強気に両氏に問うと、荒川氏は『美学と言うのはちょっと無理があるかもしれませんね』と苦笑。
 牛窪氏も『妥協したくない、生き方を変えたくない、という美学を持った中高年の未婚男性が多いという言い方はできます。ただ、結婚のためにそれを変えるという柔軟性が高い人でないと未婚のまま残る、ということでもあります』と話した。
 『結婚しない男』の急増は、〝こだわりとやせ我慢〟の狭間でもがいているAさんや記者のような存在自体が案外リアルな実相なのかもしれない」
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 日本社会は、急速に家族・集団から自分・個に価値観が移行している。
 2010年代の社会現象は、戦後教育、特に1980年代以降の学校教育の輝かしい成果である。
 2017年に40歳となった世代とは、1980年代以降に日本罪悪史観による自虐的歴史教育を受けた子供である。
 多感な子供時代に受けた教育が、その人間の人生を決める。
 2010年代以降に起きてきている日本の現象は、1980年代以降の学校教育の成果である。
 その頃、社会現象として深刻な問題となり始めたのが、見ず知らずの相手に対する通り魔殺人や親に対する尊厳殺人などである。
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 教育がもたらす影響とは、今教室で教えている子供達ではなく、学校を卒業し社会人となった大人である。
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 現代日本では、異性と結婚して家庭を築き、家族を持ち、子どもを産み育てるメリットは少なく魅力も乏しい。
 「個」を重視するなら、結婚せず、家庭を築かず、家族を持たず、子供などはつくらない方が良い。
 「個」にとって、自分らしく生きる為には、全てが邪魔で煩わしいだけであるがゆえに持たない事である。
 自由に生きる為には、依存しない、頼らない、当てにしない事である。
 「あると思うな」「いると思うな」である。
 現代において、伴侶・結婚・家庭・家族・子供は幸せの必須条件ではない。
 単に、邪魔で、煩わしいだけである。
 死ねば全てが消えてなくなり、生きていた証しも消滅し、記録も記憶も残らない。
 それが、人生の終焉である。
 自分一人、孤独になって生きて死ぬ。
 人は、一人で生まれ、一人で死んでいく。
 ならば、家庭・家族・子供の為に自分を殺して犠牲になる事は最も愚かな事である。
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 現代日本人、特に日本人男性は、全てのしがらみを断ち切り、全ての拘束・束縛からから解放された孤独に憧れ、思うがままの一人暮らし・独身生活を目指す。
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 少子高齢化による衰退は、避けられない必然である。
 それこそが、退化ではなく進化であり、成熟である。
 人類における正常な進化・成熟である以上、誰にも止められない。
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 人に寿命があるように、国や民族にも寿命がある。
 特に、民族国家はそれが言える。
 日本国も日本民族も、その人類の定めからは逃れられない。
 日本民族は、生物的人間的に特別・特殊でもなければ、人類的に優れてもいない。
 よって、生存する何らかの使命が終われば消え去る定めである。
 それが、生物史・人類史である。
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 人類の歴史において、数多くの民族・部族は死滅し、数多くの国家・社会は滅亡している。
 歴史に残る死滅・滅亡があれば、歴史に残らない死滅・滅亡もある。
 死滅・滅亡には、歴史に残らないのほうが多い。

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独身40男の歩き方

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