🌁28〉─1─安定した年金老後は人口爆発期に作った夢のような成功モデルであった。~No.117 @ 

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。↗
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 職人気質の知識や知恵を蓄積し経験による技術と機能を磨く、日本型の年功序列・終身雇用・毎年昇給・定期昇進の時代は終わった。
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 サバイバル時代を生き残るには、成功体験を自己否定し組織の前例を放棄して、古きを捨て新しきに取り替える事。
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 エズラ・ボーゲル「日本人の賃金が上がるなかで、低賃金労働、高度の技術力、高品質生産といった日本の高度成長を支えてきた特別な利点が消滅してしまったのです。バブルが崩壊した事で80年代の高率インフレが諸問題を起こしてしまいました」
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 弘兼憲史「世代間の差もあるかもしれません。僕らの頃は戦後の焼け跡、つまりゼロからスタートの段階だったので、早く大人になりたい、そしてお金を稼ぎたい、彼女とデートする為に車も欲しい、車は高いけど頑張って働くという、一つ一つの行動にモチベーションがあった。今の生活から抜け出したい、もっと良い生活をしたいといつも思っていた。
 一方、今は生まれながらにして快適な生活で何不自由なく暮らしている人が多い訳です。その人達はそんな中であえてその環境を打破してどうのこうのやらなくても、このままソコソコの幸せならいいじゃないか、ということなのでしょう。でもそれは僕らとしては淋しい。
 生き方は人それぞれなのかもしれないけれど、小さな幸せの中で満足していては、人として発展はありえません。人間が他の哺乳類と違うのは、現状より上を目指す為に努力するところです。普通の動物は、今以上の生活を目指そうなんて思わない。自分が動く事で周りの環境を変えられるのは人間だけです。
 向上心という、人間の最大の特徴を捨ててしまえば、人間はただの哺乳類になってしまいます。人間らしく生きると言う事の本当の意味を、忘れないで欲しいですね」
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 強欲資本主義、アメリカ型グローバリズムとは、「1%の勝者が総取りし、99%の敗者は自己責任で貧困化する」という貧富の格差を容認するものである。
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 民主党政権のデタラメに近い経済政策の失敗で、日本は出口のないデフレ不況に苦しめられた。
 政権を手に入れた自民党政権は、財務省官僚の操り人形となって消費税を5%から8%に増税して景気を悪化させ、株を持っている投資家のみに利益をもたらした。
 政治家も、官僚も、雇用の為の困難な殖産興業よりも、実のない見せ掛けの改革を行い、景気を悪化させる安易な増税で経済を立て直そうとしている。
 国民は、政府も官公庁にも期待を寄せる事に諦め、そして絶望しようとしている。
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 日本経済が停滞した諸悪の根源は、終身雇用と年功序列に基ずく正規社員とされた。
 日本経済がグローバル化して活力を得て復活する為には、日本独自の終身雇用と年功序列を廃止し、アメリカ的に正規社員を非正規社員に取り替えるべきだとされた。
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 誰もなしえていない前人未踏の分野での研究。
 誰もが実現不可能として諦めている商品開発。
 人材はあっても資金が乏しく資材がない日本では、そうした無謀な事に挑戦し、此れまで培った知識や技術を駆使しながら失敗を繰り返して時間をかけ、いま存在しない斬新な商品を生み出さない限り生き残れない。
 此れまでの常識や認識を過去のものとして捨て、組織を全く新しものに改編する。
 他社が蠢いて金儲けしていない未開な分野で、多様に変化して生き残る。
 絶えず新しいものを開発する以外に、日本の生き残り戦略はない。
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 2014年12月5日 週刊ポスト大前研一『「ビジネス新大陸」の歩き方』
 ジャングルで勝ち抜く戦闘力をつけろ
 〝迷える経営者〟を尻目に高校生が突破口を切り開く時代が来た
 ……
 『秩序破壊の世界』で年配者が生き残っていくにはどうすればよいのか?
 『自己否定』できる人間と組織が強い
 方法は二つあると思う。
 一つはリタイア、すなわちビジネスの現場を新しい時代に対応できる若い人たちに譲り、自分は資金を提供するなどして後見役になる方法だ。そしてもう一つは、自分もその一部になることである。つまり、今までの染色体をすべて捨て去って自己否定し、自分自身がビジネス新大陸のサバイバル社会の住人になるのだ。
 ……
 アップルの携帯型デジタル音楽プレーヤーiPodやデジタル音楽配信サービスiTunesStoreも、ソニーが本腰を入れてやっていればすぐにできたはずである。しかし、ウォークマンソニー・ミュージックエンテイメントを持っていたがゆえにCDビジネスにこだわって曲のバラ売りであるダウンロードビジネスに抵抗し、アップルの後塵を拝して衰退してしまったのである。今では、そのアップルさえもストリーミングに遅れてしまい、3,000億円以上出してビーツを買う羽目になっている。
 このように企業は自己否定、序列破壊を先取りしていくことが非常に重要なのだ。それができないと〝産業突然死〟に至ってしまう。ところが、長く年功序列制度でやってきた日本企業には、自己否定や秩序破壊の機能がなさすぎる。
 言うまでもなく、現実は猛烈な勢いで変化している。その変化に対応できなければ、企業は潰れるしかない。それなのに日本企業は経営者や幹部になるほど、仕事を下に任せてしまう。このため、私の講演や講義を聞いた経営者の多くが『大前さんの話は難しい』『何をどうしたらいいのかわからない』と困惑している。
 しかし〝スマホ染色体〟が入っている10代、20代の若者たちは、私の話をすんなりと理解する。だから経営者たちには『まず息子や娘とブレーンストーミングをしてください』とアドバイスしている。それでも私の話が理解できないようであれば、経営をやめるべきだろう。そうまでして時代に追いついていきたいとは思わないと言うなら、いずれ市場から退場を迫られるはずだ。年配者にとっては億劫で難儀なこともしれないが、とにかく自分で動くしかないのです。
 そうしてもう一つ重要なことは『若い異才』をどんどん組織の中に取り込み、引き上げていくことだ。極端に言えば、今や中学生や高校生でも、ネット環境さえあれば企業の突破口を見いだせる時代なのである。高校生の企業研修を受け入れて画期的なテーマに取り組んでもらう、などは明日にもできることだ。
 シーケンシャルな知識や経験の蓄積が役に立った時代=年功序列制度が正しかった時代は、たしかにあった。しかし、その時代はとうの昔に終わったのである。したがって、未だに年功序列制度を維持していたら、企業として失格だ。社内が淀んで組織のパフォーマンスが下がり、中高年社員にポジションを奪われる若い社員が腐って会社を去ってしまう。ここは絶対に妥協してはならない」
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 辻野晃一郎「出る杭は伸ばせ! 企業は、余力が残っているうちから経営体質強化を進め、時には大きな社内改革を断行していかなければ生き残ることはできない。今、20世紀後半の目覚ましい経済発展を牽引し、底支えしてきた優良大企業の多くが高齢化して活力を低下している。企業も人も集合体である限りライフサイクルというものがあり、創業期→成長期→安定期→衰退期のステップをたどっていく。事業の拡大と共に社員や設備投資を増やし続けるうちに硬直化が進み、動きが鈍くなって最後は衰退期を入って無節操なリストラなどを続けてしまうと、一気に体力を失って衰退が加速し、脱却するのは至難のわざだ。
 ……
 米中経営者との違い
 以前、日経新聞に、米国、中国、日本の経営トップへのアンケート記事が載っているのを目にしたことがある。その中に、『会社の業績が自分の裁量で変わると思うか?』という質問があり、米国と中国の経営者からは『そう思う』という回答が圧倒的だったのに対し、日本の経営者からは『そう思わない』という回答が多くて違和感を持つたことがある。
 重要なのはリーダーシップでありオーナーシップだ。年の功を大切にするのは日本の美徳でもあるがリーダーシップに必ずしも年齢は関係ない。そして、会社を変えることが出来るのはトップだけだ。トップに立った瞬間にサラリーマン根性を脱ぎ捨てた強いオーナーシップが求められる」 
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 人口爆発時代を生きてきた団塊世代は、戦後は世代とは違ってアメリカに負けたという屈辱感もなければ、身内がアメリカに殺されたという怨念も持っていなかった。
 「戦争を知らない世代」として、アメリカへの憧れから、積極的にアメリカ文化や生活を取り入れるべく、アメリカ人の最も信用できる親友になる努力をした。
 良い友人を持つと賢く成長し正しい道を歩むが、悪い友人を持つと狡賢くなり悪の道に入って犯罪に手を染める。
 戦後の日本は、前者を選び、自分が行ったであろう悪さは素直に認め反省し謝罪し、相手が行った悪さはことさら取り上げず過ぎた事として「水に流し」た。
 過去は過去、現在は現在、未来は未来。
 未来を見据えた前向きな積極的成長が、戦後復興と高度経済成長をなし遂げた。
 人には人に言えないような過去を持って生きている。
 良い友人は、友人となる相手の古傷に触れず、信用・信頼して付き合う。
 悪い友人は、友人となる相手の古傷を暴き、信用も信頼も踏みにじり、古傷で相手を絶望の淵へと追い詰める。
 穏やかな人生を送りたければ、良い友人を増やして、悪い友人とは断交・絶交して突き放して近づかない事である。
 だが、世の中は上手く行かないもので、悪い友人は一杯いるが、良い友人は極少数である。
 ゆえに、友人は少数で構わなず、本当に信用・信頼でき心を許せる親友を数人持てばいい。
 日本の不幸は、1970年頃までの日本は良い友人達と生きてきたのが、1980年頃から日本を悪い友人達に取り囲まれてしなった事である。
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 2017年6月15日号 週刊新潮団塊絶壁!  大江舜
 『世代ヒーロー』が語る『われら団塊』闘争人生
 ベビーブームに経済成長、画一教育──。こうした〝環境〟の中で育ったのが、われら団塊世代の特徴である。70年の時を経て、これからは何をもたらしたのか。テレビなどでお馴染みの『団塊著名人』に、これまで、そしてこれからの生き方について語ってもらった。
 ……
 ライフネット生命出口治明会長である。保守的な生保業界に風穴を開けた風雲児は、昭和23年生まれ。著書多数で、今でも大変な読書家。『教養人』として、まずはマクロな視点で団塊を語ってもらった。
 『団塊の世代とは、800万人もの巨大な人口の塊です。日本が戦後復興したのは、冷戦という国際環境もありますが、吉田茂が導入したキャッチアップ型工場モデルの成功が大きい。アメリカに負けたのは、生産力の違いだ。だから、電力、鉄鋼の復興から初めて、電気、電子産業、自動車産業を興したらアメリカに追い付ける、と』
 もちろん、『工場』で多量のモノを生産するには、圧倒的な人手が要る。そこにフィットしたのが、800万人という大量の団塊『労働力』だったというわけだ。
 『アトキンソンが言うように、実は戦後の高度経済成長は、人口増加で説明できるのです。戦後日本は30〜40年間に亘って平均7%の成長を遂げますが、これをわかりやすく言うと、10年間で資産が倍になるという倍々ゲーム。つまり、10年で100万円が200万円となり、次の10年で400万円、次の10年で800万円というものすごい成長です』
 成長が倍々なら人手も倍々必要だ。団塊世代は、これに人口増加という形で大きく貢献したというのだ。これって褒められているのか。ちょっと嬉しいな。
 腕力でのし上がれ
 ……
 小野五六(ごろう)って誰かわかるかな。落語家の桂米助の本名だ。米助は、芸名ヨネスケ。昭和23年生のこの人も、あまた数の多さと競争を語る。
 『俺の生まれた昭和23年がメチャクチャ人が多いんだって。学校に入ると1学年500人くらいいたんで、そこで目立つには、スポーツが出来るか、ケンカが強いか、よっぽど面白いか。俺、小野五六は、そこで面白いと言われてたんだよ。そこで高校を出て18歳で(桂)米丸師匠の門をたたいて落語家になった』
 この後、『突撃!隣の晩ごはん』で、人気となるのは、ご存じの通り。落語家の型を破っちゃった人だ。
 『完璧主義と言われた8代目の(桂)文楽師匠は、高座で言葉が出なくなって、〝勉強し直してまいります〟って言ってそのまま引退したでしょう。でも、俺は文楽師匠のような名人じゃないからさ。〝あれがさ〟〝これがさ〟なんて言って、うまくごまかしちゃう』
 これもガッツと同じ、生命力の強さなのだろう。
 終身雇用と年功序列
 とは言えご同輩、世の中、一芸に秀でたお人ばかりではない。団塊の大半は、いわゆる平凡なサラリーマンとして生きてきた人たちだ。
 ここで再び出口氏にご登場願う。
 『キャッチアップ型工場モデルが求めたのは、健康で、協調性があつて、我慢強い人材です。だから戦後日本では、個性を求めない画一教育が進みました。企業は疑問を持たずに黙って長時間労働をする人材を求めたのです。そしてその人材を逃がさないよう、終身雇用にした。例えば、上司とケンカして住友銀行をやめた人は、同業の銀行に再就職しようとするでしょう。でも同業者間では採用しないというのが、暗黙の了解でした。それに続くのが年功序列です。定年で一斉に首を斬り、年金も退職金ももらえる。社会不安も起こらず、誰も文句を言わないシステムでした。これらはワンセットで導入されたガラパゴス的労働慣行と言えます』
 つまり、われら団塊は言わば、工業化という『狙い』をもって〝飼育〟された世代と言うことも出来そうだ。
 確かに働きアリと蔑まれ、『24時間戦えますか。』とケツをひっぱたかれてもめげなかったのがわれら世代。会社にしがみつき、薄給で都心からうんざるするほど離れた『OO台』『OOが丘』なんてニュータウンで一戸建てを買う。もちろん満期35年ローンだ。通勤は電車で2時間、満員電車にすし詰め。それが平均的、かつ幸せな生き方だった。
 ……
 アメリカ文化の刺激
 ……
 戦争を知る世代は、アメリカに対して微妙な感情を抱いたもの。それをすっ飛ばして、われら団塊は、アメリカに染まった『戦争を知らない子供たち』である。
 意識するかしないかはべつだけれど、みんな団塊を背負って生きている。
 それは『余生』においても同じである。」
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