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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
2017年7月6日号 週刊文春「それでも社長になりたいあなたへ 宋文洲
会社を辞める勇気が必要な理由
もう10年以上前のことですが、経営者だった私は新人研修に『会社の辞め方』の講義を導入しました。これは多くの新入社員にショックを与え、彼らの人生に大きな影響を与えたようです。実際、IT企業のわが社から落語に転身した元社員の三遊亭美るくは、よくメディアの取材に『研修で退職願の書き方を教わり驚いた』と語っています。
なぜ私が『辞めること』を重視するのかというと、それまでのことを断ち切らないと、新しいスタートが切れないからです。
思想家の中村天風はインドで修行した際、最初の一ヶ月は何も教えてもらえなかったそうです。焦った彼は僧侶を問い詰めると、お茶が入った茶碗に水を入れるように命じられ、『古いものを取り出さないと新しいものは入れられない』と諭されたというのです。
それを聞いた天風は日本から持参したものを全て捨て、現地の住人と同じ生活を始めました。新しい環境に溶け込むことで、新しい発想、行動を身につけようとしたのです。よく、『世の中の変化に対応しよう』といいますが、古い環境のままではできません。人間は環境に左右される動物ですから、変化したければ、まず違う環境に身を置くことが肝心です。
日本では仕事について語る際、よく『石の上にも3年』という諺が出てきます。『努力する期間が短いのに諦めるべきではない』ということですが、私も、その通りだと思います。
しかし、日本のサラリーマンは、『石の下に30年』という人が山ほどいます。何の希望も持たず、上司や組織の論理という重い石の下で、何の変化もなく、ずっと我慢している人がいます。ただ意外なことに、本人たちは『俺たちは頑張った』と胸を張っていることが多い。
慣れや環境というものは本当に恐ろしい。ずっと同じことを続けていると、他の選択肢が見えないばかりか、現状を正当化してしまうからです。さらには過去まで美化し始め、何事にも過去に正解を求める保守派ビジネスマンができあがるのです。
日本経済界が抱える最大の問題は、こうした保守派の『辞めない経営者』です。
彼らは、他の会社について何も知らない。一生懸命頑張って社長になったため、自分の努力を否定できず、徹底的に過去の不祥事や経営ミスを隠します。そうした誤った経営判断や不祥事の毒は時間が経つにつれて膨らみ続け、最後には制御不能となります。現在、騒がれている東芝問題の根底にも、こうした日本特有の企業文化があります。
仕事の上で、『辞めること』は、本当に大事です。辞めることは逃げることではありません。新たなチャレンジです。
慣れた場所に居座り続けることは、決して頑張っていることではない。残業や、無理難題を押し付ける上司に対する服従も努力などではない。不安を抱えながら新しい環境に飛びこみ、そこでの困難を打開することこそ、真の努力と根性でしょう。
私は、皆さんに会社を辞めて欲しいわけではありません。会社に居座ることも辞めることも目的になってはいけない。
たとえ会社を辞めなくても、現在の会社で、『いつでも辞めてやる』気概をもって、新しいことへ果敢にチャレンジして欲しいのです。新しい環境へ飛び込む勇気を持っていただきたいのです」
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人口激減時代の働き方とは、1つの本業と2つ以上の副業を同時に持ち、その時々で本業と副業を入れ換えて働く事である。
定年まで、一つの会社に出勤し、配属された部署に勤務し、与えられた一つの仕事に専念すれば良いわけではない。
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もし、1分野のみを専門とするなら、日本だけではなく、世界中、どこの国に転職しても喰っていけるだけの第一人者の超専門者になる事である。
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人口爆発時代は、人が余っていたる為に、目の色変えてあくせく働かなくとも自分の好きな1分野のみを本職として、その専門を極めて仕事をすれば良かった。
人口激減時代は、人が少ない為に、好き嫌いをいって職業を選ぶ事はできず、与えられた仕事に本腰を入れて取り組まなければならない。
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人口激減時代の生き方は、江戸時代の閉鎖された貧しいムラの器用貧乏生活にある。
江戸時代は、百姓以外の町人には租税がない分社会保障が一切なかった。
自己責任で自活と自己救済を求められたが、職業選択の自由と転居居住の自由が与えられていた。
言い方を換えれば、誰からも助けて貰えないが好き勝手に生きられた。
「一芸に秀でた者は百芸に通ずる」が、江戸時代の生き方であった。
一芸に秀でない者は百芸に通じない、のである。
それ故に、江戸時代の一芸の士はどんな職についても食うに困らなかった。
現代の一芸に秀でない能なしに近い日本人に比べて、江戸時代の日本人は百芸に通じる一芸保持者がキラ星の如く存在していた。
さもなければ、260年近い江戸時代の発展を続けた庶民文化は生まれなかった。
江戸時代の庶民文化は、現代の国民文化に比べれば個性があり光り輝いている。
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武士は、主君に仕え、城勤めをして、家禄や知行地を貰っていた。
家には先祖代々の仕事が定められたが、奉公して出世をすると別の仕事を与えられた。
仕事にしくじると、御役御免で隠居させられたり、軽くて閉門蟄居、場合によっては家禄名上げお家断絶で領外追放、最悪は切腹か、悲惨な場合は上意打ちであった。
武士は過酷な生活を強いられていた為に、成熟した武士文化は生まず、むしろ頽廃した生活を送り、死の恐怖を紛らわす為に庶民を虫けらの如くあしらっていた。
武士・サムライなどは、誇らしい所は少なかった。
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仕事効率を上げる分業・協業が産業の近代化というのなら、人口爆発期の産業が最適環境を提供する。
が、人口激減期の産業は労働者不足の為に分業・協業ができない前近代経済に退化するしかない。
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人口爆発時代は、一人の生産効率は0.7〜0.8と低くても経済は揺るがなかった。
人口激減時代は、一人の生産効率を2〜3に引き上げなければ経済を維持する事ができない。
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人口激減時代を生き残る為には、人口爆発時代に成功した全てを清算して捨て切る必要がある。
同様に、人口爆発時代の成功モデルやビジネスモデルに固執する前世代を政治・経済・教育などあらゆる分野から完全排除すべきである。
彼らは、新たな可能性を潰す害毒に過ぎないからである。
政治家も経営者も教育者もそしてマスコミ・メディアも、お気楽に社会を劣化さ、自己満足で将来を生きる子供の可能性を摘み絶望のみを与えようとしない。
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日本人は、優秀ではない。
かって、昔の日本人が優秀であったからといって現代の日本人も同様に優秀ではない。
日本人は生まれながにして優秀なDNAを持っているとは愚かな話であり、そんな痴呆化白痴化させる愚民神話を盲信している間は日本人に可能性はない。
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