🧣45〉─1─災害地の避難所における災害弱者。夜泣きの激しい乳幼児。奇声を発する身障者。徘徊する認知症老人。暴走老人。ペット。熊本地震。~No.174No.175No.176  @ ㉝ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本人は弱者に対して冷淡・冷酷・薄情である。
   ・   ・   ・    
 よい日本人は1割、わるい日本人は3割、中間で優柔不断で付和雷同する曖昧な日本人が6割。
   ・   ・   ・   
 人口激減時代。2025年以降、動ける若い世代が激減し、動けない年老いた世代が激増する。
   ・   ・   ・   
 2016年6月11日号 週刊現代「準備していますか?
 『寝たきり』『重症』『歩けない』
 まもなくやってくる大地震
 あなたの老親どう守るか
 東北でも熊本でも、弱い者から死んでいく。
 起きてからでは何もできません。
 『余裕がない』『地震なんて先の話だ』。そう考えて日々の暮らしに追われているとき、突如として大地震は襲ってくる。
 『災害弱者』と呼ばれてしまう老親の命をどう守るのか。今考えるべきこととは。
 一歩間違えば、死んでいた
 ……
 熊本市在住の濱中康人さん(54歳、仮名)は、車いすが必要で、認知症も始まっている父親(87歳)と暮らす自宅で襲われた、4月14日の熊本地震の最初の衝撃を、こう振り返る。
 最大震度7直下型地震。幸い、家が倒壊することはなかったが、介護ベッドが入った父親の部屋では、タンスが倒れた。ベッドの手するに引っかかり、かろうじて父親はケガをせずに済んだが、『一歩間違えば命も危なかったかもしれない』と濱中さんは話す。
 高齢化率26.7%、国民の4人に1人以上にあたる3,392万人が65歳以上の超高齢社会に突入した日本。誰もが親や伴侶、親類縁者の中に1人や2人は、介護が必要な高齢者がいておかしくない。
 一方で、『今後30年で70%の確立で起こる』とされる首都圏直下地震や、南海トラフの巨大地震など、専門家らは『いつ起きてもおかしくない』と口を揃えて大地震の到来を警告している。南海トラフに関しては、この5月24日にも海上保安庁によるGPS調査で、東海地震震源とされる駿河湾南西部に、これまでの想定を上回る大きな歪みがたまっていることが分かったと発表されるなど、想定もつかない大災害がやってくる可能性が高まっているのだ。
 そのとき、老親をどう守るのか。
 ……
 避難所で介護する難しさ
 さらに、大地震で気になるのは、老親と離れているときに揺れに襲われた場合だ。自宅で、実家で、介護を受けながら生活している老親がどうしているか。携帯電話もつながあなくなる中、不安が募る。
 だからといって、焦って老親の元に駆け付けることも困難だ。実際、真昼間の14時46分にM9.0の巨大地震が発生した東日本大震災では、公共交通の麻痺した首都圏で、多くの人が帰宅困難者となり、大混乱する町の中で途方に暮れた。
 では、私たちはどうしていけばよいのか。熊本地震の現地対策本部にも参加し、アドバイスを行っている危機管理アドバイザーの国崎信江氏は、こう話す。
 『皆が我先にと家に帰ろうとすれば、東日本大震災の時の都心部のように大渋滞が発生し、人々は押し合いへし合いになって危険です。現在では慌てて帰宅せず、ひとまず勤務先などに留まるよう推奨されています。
 離れている時間がある以上、すぐには助けに行けない。ならば、それを前提にした備えが必要です。具体的には、災害が起きた時に、自分の残された家族を誰が思い出してくれるのか、シミュレーションしておく必要があります』
 災害直後は、誰もがまず自分のこと、自分の家族のことを考える。その安全が確認できた後、初めて、『近所のOOさんのところは大丈夫か?』と思い出してもらえるのだと国崎さんは続ける。
 『そういう前提を踏まえて、自分の家族を気にかけてくれる人を自分の生活圏、地域の中で日頃から作っておくことです』
 幸いにして家族と再会できた場合も、安心するのは早い。復旧・復興を遂げるまでの、長い避難生活が待っている。
 自宅で過ごすのが危険な状態となれば、地域の避難所に移ることになるが、熊本地震で被災した前出の濱中さんは結局、『親父を連れて避難所暮らしをするのは無理』と、不安を抱えながらも自宅に戻ることを決意したという。立て続けに最大震度7の揺れに見舞われ、最初の地震から2週間で余震が1,000回を超える中、なぜあえて自宅に戻ったのか。濱中さんはこう話す。
 『2回目の地震のあと、女房と一緒に親父を車に乗せて、一度は避難所に行ったんです。私たちはどうにか入ることができたんですが、驚いたのは翌日。1回目の地震で倒れなかった家も、2回目で潰れて死者も出たというので、自宅にいるのが怖いという人が殺到した。あっという間にぎゅうぎゅう詰めになって息もつけませんでした。
 避難所から人が溢れて、親父くらいの年齢の車いすのお年寄りが、吹きさらしの外廊下で毛布を抱えて虚空を見つめていた。助けたい気持ちはあっても、みんな被災していますから、場所を譲ってしまったら、自分たちの居場所もなくなるんです』
 だが、3日、4日と日が経つうち濱中さんは、父親とともに避難所で生活することの困難を、はっきり悟った。
 『地震前は認知症といってもまだ、ぼんやりとして、さっき聞いたことを忘れているという程度のもんだったんですよ。それが、突然「いぬる(帰る)!」と叫んで、女房の頭をはたいたんです。いまは堪えてくれと言っても、人が変わったようで、ったく通じない。しばらくすると収まりましたけど・・・。その晩だったと思いますが、人づてに、避難所の外でずっと座っていたお年寄りのお尻に、褥瘡(じょくそう)でしょうけど、じっとしているとできる穴が開いて、お医者さんに縫ってもらうんだと聞きました。みんな風呂にも入れないから、日が経つにつれて、どうしても避難所の「人臭さ」が充満してくる・・・。もう親父と一緒にここにいるわけにはいかないと、自宅に戻ることにしたんです』
 ひとたび大災害に見舞われれば、介護が必要な高齢者も、介護をしてきた家族も、それを支えてきた医療関係者も介護ヘルパーなどの人々も、同時に被災者になり、追い詰められる。そんな状況下で、『災害弱者』と呼ばれる高齢者が、まず犠牲になっていく。
 11年の東日本大震災では、揺れによる建物の倒壊や津波など、地震による直接の被害ではなく、その後の避難生活や環境の激変で命を落とした『震災関連死』での死者数が、3,407名(復興庁まとめ、15年末)。そのうち、66歳以上の高齢者は3,018名で、全体の約89%を占めている。
 ケアマネージャーの活用
 また、若く健康な人手さえ心身を蝕まれる厳しい避難所生活では、先の濱中さんの父親のように、認知症や持病を悪化させてしまうケースも多い。熊本県認知症コールセンターの大久保祐子専門相談員は、こう話す。
 『熊本地震の直後1ヶ月では、普段の相談件数の2倍にのぼるお電話をいただきました。
 家族の認知症が悪化したようだというお話も多かったですね。落ち着きがなくなって出たり入ったりする。トイレの回数が増えた。大声を出したりする。けれども、介護している家族の皆さんも被災していて大変です。普段は優しく介護している方でも、心の余裕が持てなくなる。被災後10日もすれば疲弊して、大声で叱ってしまったり、突き放した対応をしてしまうこともあります』
 家族の抱える苦労は、尋常なものではないと大久保相談員は指摘する。
 『認知症の方は避難所のトイレに行くのも大変なんですが、介護している家族がトイレに行きたくなった時も困るんです。トイレの前で待たせるわけにはいかない。見知らぬ人に「ちょっと見ていて下さい」とお願いすることも難しい。「ちょっとトイレに行ってくるね」と言っておいても、認知症の方は不安になって、うろうろして迷子になってしまう。
 そうしたことで、いったん避難所に行ったけれど、結局は多くの家族が車中泊をしたり、物が散乱して寝る場所もない危険な自宅に戻ってしまうケースが多いんです』
 避難所を離れ、住み慣れた自宅で過ごすことを選んでも、困難は続く。だましだまし、手はずを整えて親を介護してきた環境は、ほぼ完全に壊れてしまっているからだ。
 ……
 福祉避難所とは、95年の阪神・淡路大震災を機に始まった制度。要介護の高齢者や、障害のある人、児童や妊婦など、とくに手当ての必要な災害弱者に対応する機能を備えた避難所のことだ。
 『福祉避難所』への期待
 要介護の高齢者を受け入れる福祉避難所は、多くの場合、特別養護老人ホームデイケアセンターなどの高齢者福祉施設自治体などが協定を結んで開設する。
 ……
 熊本地震ども、福祉避難所の現場では混乱があったと、前出の大久保相談員は話す。
 『福祉避難所になった特養や老健施設は、いろいろ設備もそろっているので安心だろうと、まず近隣の住民の方が避難してきてしまったんです。そのために、本当に福祉避難所を必要とする高齢者や障害のある人、認知症の方を受け入れる余裕がなかったという話も聞きました。私たちへの相談で言うと、そこに行ったけれど、やっぱり落ち着けなかった、というお話がありましたね』
 よしんば、福祉避難所にうまく入れたとしても、何の困難もないなどと甘い考えを持つことは禁物だ。
 ……
 課題は山積しているが、まだ公の制度が未熟な以上、他力本願に『どうにかしてくれる』と思っていても、災害弱者になった家族を守ることは難しい。ケアマネなどを通じて、地震時に万全な体制を作っているが、地域の介護事業者などに確認し、自ら働きかけていくしかないのが現状だ。
 何しろ、次ぎに来る大地震では、熊本地震の比ではない人数の介護が必要な人々が、被災者となる。厚生労働省の『介護保険事業状況報告』によれば、熊本県の要介護人口が約11万人なのに対し、東京觥は約56万人。千葉・神奈川・埼玉を合わせた首都圏では142.5万人。南海トラフ巨大地震で大きな被害が想定される大阪府では47.8万人。愛知県で28.5万人だ。
 一方、東日本大震災後の13年に内閣府がまとめた南海トラフ巨大地震の第2次被害想定では、災害時に支援が必要な要介護の被災者が8.7万〜17.6万人と見積もられている。政府も対策を急いでいるとはいえ、残念ながら現実にはなかなか追いつかないだろう。
 公の体制整備も間に合わぬうち、突然襲ってくる巨大災害。介護の専門家も医療関係者も、地域の全員が被災する中、どうしようもない老親を失ってしまう人も出てくるだろう。
 そんなとき、私たちは何を感じ、どう受け止めていけばいいのか。
 覚悟と感謝を
 元東京觥監察医務院の院長として、長年にわたり不慮の死を遂げた人の遺体と向き合い、その家族に思いをはせてきた87歳の監察医・上野正彦氏は、こう話す。
 『私は戦争を体験したから分かるのですが、今日笑っていた人が明日には死んでしまうということがある。戦時中は、それが日常でした。戦争という非常事態の下では、生き死にについて、ある種の覚悟がみんなにあったんだと思います』
 非常時には、人はまず自分の命を守ることで手いっぱいになる。そして自らの命が助かってから、家族や兄弟はどうなったかと考えるのだと上野氏は語る。
 『同じ家の中にいたのに、家族はな亡くなって、自分だけが生き残ってしまうということも起こります。すると「こうしていれば助けられた」と、冷静になった後にとても悔やむ。
 しかし、そういうことはしようもないのです。日本が大災害の起こる活動の時期に入ったというなら、私たちは、「人はいずれ死ぬ」という事実を、今こそ受け入れる覚悟を持つべきでしょう。そじて、自分が助かったならば、後悔よりも、尊い命を助けられたことに目を向け、感謝するべきでしょう』
 自分を責め過ぎることはないのだ。上野氏は、こう考えてはどうかと提案する。
 『親しい人が亡くなっても、人間の存在は、死んで終わりではないんです。私も妻を亡くしてそう思うようになりました。監察医としてバリバリ働いていた頃は、そんな非科学的なことがあるものかと思っていたけれど、今は分かります。亡くなっても親しい人は心の中で生きている。別れと向き合う死生観、覚悟を日頃から持つことが、これからの日本人には大切なのではないでしょうか』
 大地震が来てからでは、家族を守る方策も立てられず、心の準備も間に合わない。覚悟を決めて悲しみと向き合う必要がないようにするためにも、今できる限りの対策を、すぐに行動に移すことが重要だ」
   ・   ・   ・   
 6月17日号 週刊朝日「暖簾のひじ鉄 内館牧子
 我慢しすぎないで
 ……
 被災者は診察を受けたにせよ、病気の多くは、避難所やマイカーの中で横になっていればおさまるという苦しさではないと思う。不安も大きい。それは自分で『心の持ちよう。頑張ろう』などと号令をかけたところで、そういう『気』の問題ではないのである。体のどこかが悪くなることによる苦しさ、痛さは、病気になってわかった。
 東日本大震災の時に感じたのだが、体調が悪いとか、こういうことはできないとかを口にしない人が多い。
 高齢者は、椅子なら生活できても、体育館の床で寝起きするのは非常につらいと思う。それを伝えれば、たとえパイプ椅子であっても持ってきてくれよう。
 私は東北出身ということや、また政府の復興構想会議の委員ということもあり、東日本大震災の時は、1ヶ月余りで被災地に入った。そしてその後も個人的に何度となく仮設住宅を訪れ、避難している方々と会った。
 その時に気づいた。あれほどの被害に遭い、これほど不自由な避難生活をしているのに、『これ以上迷惑はかけられないから』と、自分に関することは飲みこんでしまうのだ。 子供でもそうである。ある時、避難所で4歳くらいの女の子が真っ赤な顔をして正座し、ふるえている。
 『どうしたの?』
 と訊いても首を振り、答えない。母親らしき人は疲れ切って眠っている。その時、女の子がシクシク泣き出した。同時にお尻から臭いがもれた。そばにいたボランティアの男の人が、
 『行こ!我慢するなよ』
 と抱きあげ、トイレに走って行った。
 女の子はトイレがいつも混雑していることや、疲れて眠っているお母さんをおこしたくないことや、ボランティアに世話をかけたくないことを、きっと幼心に思っていたのだろう。
 ……
 東日本大震災の時、私は復興構想会議でも言ったし東北の被災者にも言った。
 『世間は東北の人は我慢強いとか、忍耐力があってすばらしいとか言っていますが、それはおだててのせているのだと。私は思います。自然災害は誰のせいでもありませんが、過剰に我慢すれば、本人が壊れてしまいます。口に出せば、必ず助け合えます』
 熊本も大分も、私がこの原稿を書いている時点よりも、片づけや仮設住宅整備などが進んでいると思う。だが、今後も過剰な我慢は自分が壊れる。
 復興の力となる一人一人が、壊れてはならない」
   ・   ・   ・   
 遣唐使の母
 「旅人の宿りせむ野に霜降らば 吾(あ)が子羽(は)ぐくめ天の鶴群(たづむら)」
 {旅人が一夜を過ごす野にもしも霜が降るのなら、わが子をどうかその羽根で包んで守ってやってほしい、天空を飛び行く鶴の群れよ}





   ・   ・   ・