🧣15〉─1─怒りの発散=他人を引きずり下ろす。日本人は怒りを〝スタッフィング〟(溜め込むの意)している。~No.44No.45No.46 @ ⑬ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 怒りの発散=他人を引きずり下ろす。
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 古き日本の末期的症状。
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 現代の日本・日本人は、昔の日本・日本人とは違う。
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 昔の日本民族日本人が培ったローカル文化は、花鳥風月プラス虫の音による1/fゆらぎとマイナス・イオンの風狂であった。
 心の中を冷静に、客観的に、心穏やかにして内観するのが、日本文化の心髄である。
 自制心を養う事が、精神教育であった。
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 人間を含めた全ての生物は限られ命を生き、それを寿命という。
 当然の事ながら、民族や国家にも寿命があり、日本国にも日本民族にも寿命がある。
 日本民族はその寿命が尽きようとしている。
 その証拠が、日本人男子の精子劣化(老化)と日本人女性の卵子老化による生殖能力の退化と繁殖能力の衰退である。 
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 2018年11月1日号 週刊新潮「『不寛容』な『ギスギス社会ニッポン』 
 新幹線で『たこ焼き』も『豚まん』も食べられない!?
 出張を終えた新幹線の車内で、缶ビール片手に豚まんをほおばる。至福のひと時である。だが、そんなささやかな楽しみも奪われかねない。匂いが強いからと・・・。他者に不寛容なギスギスした社会に、ノンフィクション・ライターの窪田順生が警鐘を鳴らす。」
 窪田順生
 現在放送中のドラマ『獣になれない私たち』(日本テレビ系)を手掛け、『逃げるは恥だが役に立つ』の脚本家としても知られる野木亜紀子氏が、主演の新垣結衣松田龍平が参加したトークイベントの様子をSNSに投稿したところ、『謝罪』に追い込まれた。原因は、写真に添えた『くじ運の良い人たちの集まり』という言葉だ。抽選に当たった人たちが参加するイベントなので何も間違ったことは言っていないが、抽選に外れたと思われる人から『イラッとする』という批判が寄せられたのだ。結果、前述の『謝罪』へとつながったのである。このような些細なことにキレる人たちによる『騒動』が最近増えている──。
 7月31日、お笑いコンビ『NON STYLE』の石田明が自身のブログに綴った『憤り』が大きな話題となった。その発端は、妻が双子の赤ん坊をベビーカーに乗せてスーパーへ行き、会計のためにレジで並んでいたところ、後ろの中年女性からこんな文句を言われたことだ。
 『もうちょっと前行けないの?』
 双子用ベビーカーは通常のものよりひと回り大きいため、レジ前の通路をスムーズに通ることができない。そのもたつき具合に中年女性はイラついているようだった。そこで妻が謝罪すると、女性は『チッ』と舌打ち。結局、通ることができず、ベビーカーをバックさせてレジを回り込もうとする妻に対し、さらにこんな罵声を浴びせたという。
 『ねぇ?いつもこんな事をしているの?人の迷惑って考えた事ある?そうやって双子で迷惑かける事分かってるんだからもう少しあたま使いなさいよ!買い物する時すら預ける人いないの?頼るところもないのに産むからこうなるのよ!』(原文ママ
 こ一連の出来事を『いくらなんでもひどくないですか?』と石田がブログでぶちまけたところ、同情や擁護の声とともに、『不寛容過ぎる』『大人として恥ずかしい』とこの中年女性に対する批判で溢れかえったのだ。
 さて、この話を聞いた読者諸兄はどう思われただろうか。世の中には、何かにつけて被害を受けた、迷惑をかけられたと声高に主張して、周囲に当たり散らす不寛容な人がいる。そんな〝ギスギス人間〟に、石田の妻は運悪く絡まれてしまったのだろう。そんな風に受け取った方も少なくないのではないか。
 ただ、その認識は間違いだと言わざるを得ない。昨年1月、ベビーシッターマッチングサービスを運営する株式会社キッズラインが、子育て中の女性430人を対象に行った調査では、ベビーカー利用時に『嫌な思いをした』と回答したのは56.8%と半数以上。『邪魔者扱いされた』『舌打ちされた』くらいは当然のことで、中には『ベビーカーを蹴られた』という耳を疑うような被害も報告されている。つまり、この中年女性は決して珍しい存在などではなく、むしろ『街でよく見かける普通の人』と捉えるべきなのだ。
 そして、これは残念ながら『ベビーカー』に限った話ではない。2017年10月に産業別労組UAゼンセンの流通部門が、販売やレジ業務などの接客対応をしている組合員を対象に調査を行ったところ、5万878件の回答があり、業務中に『暴言』や『威嚇・脅迫』などの迷惑行為に遭遇した人は73.9%にのぼった。また、49.9%がこのような問題が近年増えていると感じると回答したのだ。確かに、ネットの世界を見渡せば〝ギスギス人間〟が増えていることが手に取るようにわかる。
 例えば、女医でタレントの友利新は、公園で息子がツツジの花の蜜を吸ったとSNSに投稿すると、『公園の花は国や自治体の所有物』『窃盗罪もしくは器物破損罪』だと一部から批判があり、『謝罪』するに至った。
 また、女優の山田優は車で移動中、渋滞に巻き込まれたので、『道が混んでつかない』とSNSで呟いたところ『無神経』『最低』などの誹謗中傷が殺到。実は当日、関西では大阪北部地震が発生していたため、『不謹慎』だというのだ。
 やることなすことネットで叩かれるタレント・辻希美に寄せられるギスギスした声はさらに凄まじい。ある日など、いちご狩りへ行って、いちごに練乳をつけて食べたとSNSにあげただけで批判が寄せられた。『つみたての新鮮なイチゴはそのまま食べるべき』というのがその理由らしい。
 有名人であろうと一般人であろうと、そしてネットでも現実社会でも、叩かれる要素が1ミリでもあれば徹底的に叩かれる。何かにイラつきながら、棍棒を構えて他人のあら探しをしているような人間が溢れかえっているのが、いまの日本なのだ。
 『ギスギスの悪循環』
 では、なぜ我々の社会はそのような〝ギスギス社会〟になり下がってしまったのか。こういう問いかけをすると、いたい社会学やジャーナリズムの方面からは、『世の中が悪い』という答えが返ってくる。要するに、競争社会、格差の広がり云々で、不幸な人が増えており、彼らは他者のあらを探し、噛みつくことでウサ晴らしするしかないという解釈だ。さらにその時々の政局によって、トランプ政権に象徴され排外主義やら、安倍政権の経済政策やらにその原因を求めるのが〝お約束〟である。
 だが、筆者から言わせていただくと、そういう小難しい理屈は後付けに過ぎず、ほとんどのケースは『ギスギスの悪循環』によって起きている印象だ。つまり、ある〝ギスギス〟した出来事が世間に注目を集めると、それを巡って、考えの異なる人々同士の間で、激しい罵り合いや嫌がらせが発生するということが繰り返されているのだ。なぜそんなことが断言できるのかというと、筆者自身がこの『悪循環』を引き起こして、実際にギスギスした世論を煽ってしまったことがあるからだ。
 発端は『551蓬莱の豚まん』である。ご存知の方も多いと思うが、関西圏内では誰でも知る人気店の名物・豚まんのことで、JR新大阪駅構内にも売場が複数あるため、出張族や観光客がいつも長蛇の列をなしている。筆者もファンで、若い時から大阪でひと仕事終えると、新幹線に乗車する前には必ず缶ビールとこの豚まんを買い求めていた。そんなある日、いつものように座席で豚まんをほおばっていたところ、隣の方が『チッ』と舌打ちをして、あからさまに不快そうな顔をしていることに気づいた。その場では何事もなかったが、どうにも気になったので、ネットを見てみると、一部の方たちが、この豚まんを新幹線で食べる行為を『匂いで気分が悪くなった』『非常識』と厳しく批判し、『細かいことに目くじらを立てすぎだ』という容認派の方たちと『論争』となっていることがわかったのである。
 正直、バカバカしいと思った。確かに、豚まんの匂いは強めだが、食べてしまえばそれで終わりだ。車内で売られる駅弁やビール、おつまみからだって様々な匂いが漂ってくるではないか。
 怒りを〝スタッフィング〟
 そこで今年3月13日、連載しているネットメディア『ITmedia ビジネスオンライン』のなかで、『「551蓬莱の豚まん」が新幹線で食べられなくなる日』という紀事を書かせてもらった。日本の鉄道史を振り返れば、車内は『食事の場』であり、豚まん同様に匂いの強い『たこ焼き』が車内販売されていた過去もある。しかし、現在は隣の人の食事の匂いが不快だという意見から、新大阪駅新幹線改札内にある『たこ焼き道頓堀くくる』の容器には『新幹線車内で食べるのはご遠慮ください』という内容のシールが貼られている。このような息苦しいムードが進行していけば、『551豚まん』が車内で禁止となる日も近いのではないか。そんな私なりの皮肉も込めたこの紀事は、おかげ様で多くの方たちに読んでいただくことができた。
 だが、一方で反響の大きさのゆえ、意図していなかった事態が起きてしまう。記事をアップした3日後、『スッキリ』(日本テレビ系)で『あなたはどっち派!?スッキリJUDGE 豚まんを新幹線の車内で食べるあり?なし?』と視聴者によるリモコン投票がおこなわれたことを皮切りに、『ビビット』(TBS系)など様々な情報番組で、『新幹線車内の豚まん』の是非を問う『論争』が放送されることとなったのである。
 テレビの影響力の大きさは今更、説明の必要はないだろう。ネット上でおこなわれていた『局地的論争』が一気に全国区になれば、当然これまで以上に激しい罵り合いが始まる。『豚まんくらいで大騒ぎするなんて人間が小さすぎる』『周囲に気配りができないなんて社会人失格だ』──。つまり、考えの異なる者同士がお互いの不寛容さを批判し合うという、救いのない泥仕合を招いてしまったのである。
 先ほども申し上げたように、筆者としては『ちょっとギスギスしすぎていませんか』と問題提起をしたかっただけだが、結果として『豚まん論争』を煽って、ギスギスした世論をつくりだしてしまった。この苦い実体験から、世の中の他のギスギスしたトラブルも多かれ少なかれ似たような構造だと気づくことができたのだ。
 このような『悪循環』を指摘しているのは筆者だけではない。22万人以上の受講生を誇る協会が立ち上げ、『人間の怒り』とは何かということを説いてきた専門家も以下のように述べている。
 『怒りを直情的に表現するアメリカ人などと異なり、和をもって貴しとなすという考えが強く、常に周囲の目を気にする日本人は怒りを〝スタッフィング〟(溜め込むの意)してしまう。この溜め込んだ怒りを発散するためには、誰かを引きずり下ろして溜飲を下げるしかない、と多くの日本人は誤解している。このような間違った怒りの解消法が〝ギスギス社会〟をつくっている』
 そう語るのは、一般社団法人日本アンガーマネジメント協会代表理事を務める安藤俊介氏である。アンガーマネジメントとは1970年代に生まれた、軽犯罪者の矯正プログラムをルーツに持つ、『怒り』をコントロールする技術で、世界中で企業研修やアスリートのメンタルトレーニングなどに広く取り入れられている。安藤氏はそのアンガーマネジメントの世界で15人しかいない『トレーニングプロフェッショナル』として、日本人ではただひとり認定されている。
 そんな『怒りのプロ』が指摘する『怒りの発散=他人を引きずり下ろす』という構図は社会の様々なシーンで見られる。日本労働組合総連合会が2017年におこなった『消費者行動に関する実態調査』によると、一般消費者1,000名の中で、商品やサービスについて苦情やクレームを言った経験がある割合が39.2%だったのに対して、接客業務従事者1,000名では58.6%と高い割合となった。日常的に理不尽なクレームに晒される接客業務従事者ほど、怒りを〝スタッフィング〟している方たちはいないかもしれない。ならば、それを発散するため、『他人を引きずり下ろす』という行為へ走る人たちが、他の職業の方たちよりも多くなるのも納得だろう。誰かに不快にされて怒りを〝スタッフィング〟した人は、この接客業務従事者の数字に見られるように、『他人を引きずり下ろす』ことで怒りを発散する。
 リベラルのパラドックス
 だが、前述の石田の妻を罵った中年女性が厳しい批判に晒されたことからもわかるとおり、『報復』はさらなる『報復』を呼ぶ。〝他人の引きずり下ろし合い〟という『ギスギスの悪循環』の行き着く先は『破滅』でしかない。『怒りのプロ』である安藤氏も以下のように指摘している。
 『怒りの矛先を、他人を引きずり下ろすことへ向けてしまう人は、周囲から共感を得られないで孤立します。いくら他人を引きずり下ろしても結果が出ないので、焦りからさらに激しい他者攻撃をして自滅していく。このパターンのわかりやすい例がいまの野党でしょう』
 確かに、立憲民主党日本共産党といういわゆる左派野党は政権への厳しい批判を展開してきたが、それが支持率に全く反映していない。事実、NHKの世論調査でも、一時期10%を超えていた立民党の支持率は、10月時点で6.1%と低迷している。
 『日本のリベラルは基本的に怒り方が間違っていると思います。本来は最も自由で寛容でなくてはいけない人たちなのに、あの発言は問題だ、黙れ、潰せ、と他人を叩いてばかり。リベラルが実は最も不寛容というものすごいパラドックスが起きている。これで国民に支持しろというのは無理な話ではないでしょうか』(安藤氏)
 そように言われると、野党や反安倍政権界隈から、『安倍政権の暴走を止めるには怒りで立ち向かうしかないのだ』というの反論が聞こえてきそうだが、安藤氏は決して『怒るな』などと言っているわけではない。
 『怒りという感情はまったく悪いものではなく、むしろ現状を変える原動力になる。例えば、スティーブ・ジョブズのように世界を変える人物や、多くの名経営者と呼ばれる人々というのは常に怒っている。ただ、彼らは他人を引きずり下ろしません。怒りを自分がやるべき行動のエネルギーに変えているのです』
 それは裏を返せば、『他人を引きずり下ろす』ことにばかり腐心するような〝ギスギス社会〟は、前に進むことなく、お互いに罵り合いながら沈んでゆく、『共倒れ社会』だということだ。
 安藤氏の話を聞いて、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』が頭に浮かんだ。地獄に堕ちた罪人・カンダタが、かつて蜘蛛の命を救ったことから、釈迦が情けをかけて天から蜘蛛の糸を垂らした。必死に昇るカンダタがふと下を見ると、他の罪人も昇ってくる。彼は叫んだ。
 『この蜘蛛の糸は俺のものだぞ。下りろ』
 次の瞬間、糸はぷつりと切れて、カンダタは罪人らと地獄の底へと堕ちていった──。
 正義のため、より良い社会をつくるためにと、多くの人が怒りをあらわにしている。誰が悪い、これが問題だという文句や不平不満を叫ぶ声も大きくなっている。だが、この社会が一向に良い方向へ向かっている実感がないのは、多くの日本人がカンダタのようになってしまっているからなのではないか」
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 日本人は、優しく親切であるは建前で、本音は陰険で嫉妬深く、冷酷・薄情・非情・冷血である。
 弱い者イジメは起きているが、誰も止めないどころか、見て見ぬ振りをして、自殺しても責任逃れの言い訳を並べ立てて逃げ回る。
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 いい日本人は1割、悪い日本人は3割、中間の優柔不断で付和雷同する日本人は6割である。
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 日本人は、世界から信用され愛されているはウソである。
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 日本人の本性は、寒気がするほどおぞましい。
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 日本に怒れる日本人、キレる日本人が急増して、思慮分別のない歯止めなき不寛容な社会に変貌しつつある。
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 日本人は、1億総白痴の人から1億総欲求不満・不平不満の人となり、そして1億総ギスギスの怒れる人になっている。
 日本人の変質は、1980年代後半頃から始まり2000年頃から表面化した。
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 1割のいい日本人も3割のわるい日本人も、少数派である。
 6割の中間の優柔不断で付和雷同する日本人は、多数派である。
 日本のサイレント・マジョリティーとは、中間の優柔不断で付和雷同する日本人の事で自分の意見・主張を持たず自分で行動・意思表示をしない顔が見えない日本人で、居るか居ないか分からない当てにできない存在である。
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 外国人労働者・移民が急増すれば、日本民族日本人が2000年以上かけて積み上げてきた伝統・文化・宗教・日本国語などが希薄化して消えていく。
 日本的な社会、地域、家・家庭・家族、習慣、風習が消え、日本を支配している悪しき空気・空気圧・同調圧力も消滅し、相手に対する配慮・思い遣り・気遣い、そして上司や上役の顔色を伺う阿諛追随・阿諛迎合の忖度もなくなる。
 それは、日本民族日本人の消滅により衰退した日本社会、日本国民日本人の再生、新たな日本人による新たな時代の幕開けである。
 外国系日本人が日本国籍保有する以上は、正真正銘の日本国民日本人である。
 新しい命、新しい血を受け入れての日本の新生である。
 今後、日本でも、世界各国で起きる世界基準の暴動や騒動が日常化する。
 それが、日本社会のグローバル化である。
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 愛国心も、郷土愛も、愛社精神も、共同体意識も、全てが日本から消えつつある。


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