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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
現代の日本人と昔の日本人は、別人のように違う日本人である。
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重大事件に発展しやすい、8050問題や9060問題。
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日本の歴史からすれば、いつの時代においても今そこにある現実問題に対する採用し実行すべき正しい解説策など存在しない。
昔の日本民族日本人は、自分が考えられる対応策を実行するより他に方策はなかった。
つまり、古今東西の歴史を学び自分の経験を加えて考え工夫して行動していた。
そこに、不平不満を理屈を並べて反対するリベラル派や人権派は存在しなかった。
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2019年9月5日号 週刊文春「彼らはなぜ事件を起こすのか
息子という病い
川崎スクールバス襲撃事件、大阪交番襲撃事件、京都アニメーション放火事件・・・。令和に入ってから、目を覆うような凶悪事件が相次いでいる。これらの事件には共通点がある。犯人はいずれも『男』なのだ。こうした事件の背景に何があるのか。小誌連載で、男性と女性の『違い』について指摘する作家の橘玲氏が読み解く。
橘玲
『男』であることが犯罪リスクを大きく高めることは、統計的に明らかである。アメリカの調査でも、凶悪犯罪者の9割は男で、人種や宗教、生育環境による差はほとんどありませんでした。唯一、はっきり現れたのが、性差。もちろん、男性イコール犯罪者ではありませんが、『男という性』に攻撃姓・暴力性が潜んでいるもとは間違いありません。
なぜ、男は凶悪犯罪を起こすのか。
進化論的には、男は『競争する性』、女は『選択する性』として『設計』されています。すべての生き物は、できだけ多くの子孫(利己的な遺伝子)を後世に残すようにプログラミングされており、哺乳類や鳥類の多くでは、オスが競争し、メスが食料や安全などの『資源=支援』をもっとも多く与えてくれるオスを選ぶのが性戦略の基本です。もちろん、ヒトも例外ではありません。
男児は思春期を迎えると、男性ホルモンであるテストステロンのレベルが急上昇します。これによって、他の男たちを押しのけて一人でも多くの女性を獲得するきびしい競争に乗り出すことができるのです。
テストステロンが筋肉質の身体や彫りの深い顔立ち、低音の声などの『男らしさ』に関係するだけでなく、徒党を組んで競争を好み、支配欲や攻撃姓を高めることは様々な研究で確認されています。実際、アメリカで続けて起きた銃乱射事件の犯人の共通点は、もっともテストステロンのレベルが高い『20代の男』です。
非モテのテロリズムが頻発
日本の『特殊性』は、欧米の凶悪犯罪とは異なり、20代より40代の凶悪犯罪が目立つことです。この世代は『団塊ジュニア』(1971~74年生まれ)を中心に、就職氷河期の直撃を受けた『ロストジェネレーション』でもあります。バブル崩壊後の不況期において、いちばん割りを食ったのは彼らでした。
当時の政治・行政の課題は、社会の中核をなす中年の大卒男子、いわゆる『団塊世代』(1947~49年生まれ)の雇用と生活を守ることでした。その結果、皮肉なことに、彼らの子どもたちである団塊ジュニアの雇用が破壊され、非正規など低所得に就くことを余儀なくされたのです。
2019年3月、内閣府は『40~65歳のひきこもり状態のひとが全国に61万3,000人いる』と発表し、社会に大きな衝撃を与えましたが、その4分の3は男性です。
対象的に、いまの日本経済は空前の人手不足で、20代の就職は超売り手市場。大卒まら誰でも正社員になれる彼らの生活満足度がきわめれ高いのも当然でしょう。一方的に割りを食らった団塊ジュニアとは、そおの境遇に雲泥の差があります。
ロストジェネ世代は仕事=社会から排除されて孤立しやすいのに加えて、男の場合、『性愛』からも排除されてしまいます。報道によれば、凶悪事件の犯人たちに、妻や恋人などがいた形跡はありません。
未婚率の上昇が懸念されていますが、実は男女でかなりの差があります。50歳時点で一度も結婚したことのない割合は、2015年時点の調査で、女性14.5%に対して男性はほぼ倍の23.4%です。
なぜ男の未婚率だけがこれほど高いのか。その理由は、結婚と離婚を繰り返すことで、一部の男が複数の女と結婚しているからです。先進国はどこも法的には一夫一婦制ですが、その実態は『時間差の一夫一婦制』なのです。
婚活サイトのビッグデータで明らかなように、女がモテる最大の要素が『若さ』で、男は『カネ』です。恋愛の基本形はカネとエロスの交換、すなわち売春です。
この『男女の性愛の非対称性』によって、男の場合、社会的・経済的な成功者=『持てる者』は、複数の女から『モテる者』になる一方で、金も権力もない『持たざる者』は、女性の関心を惹くことができず『モテない』のです。これは、ネットスライグで『モテ/非モテ問題』と呼ばれます。
低所得の男は社会的・経済的に排除され、同時に性愛からも排除されることで、人生を丸ごと否定されてしまいます。ところが、貧困問題が声高に叫ばれる一方で、経済格差が性愛格差に直結することは、これまでタブーとされてきました。
男の分断は、日本に限ったことではありません。アメリカでは、『非モテ』の男性たちは『インセル(Incel)』と呼ばれます。『Involuntary celibate(非自発的禁欲)』の略で、ネット上の自虐的な俗語として急速に広まりました。
きっかけは2014年5月き起きた無差別銃撃事件で、犯人のエリオット・ロジャー(当時22歳)は『インセル』を名乗り、自分に感心をもたない女たちへの復讐が目的で『犯行声明』を発表したのです。この事件以降、アメリカでは自称『インセル』による凶悪事件が立て続けに起きました。これはまさに〝非モテのテロリズム〟です。
自由恋愛では、『非モテ』の男は社会からも性愛からも排除される苦境に追いやられますが、男を『抑圧する側=マジョリティ』と見なす『リベラル』は、これまで『非モテ』の存在を黙殺してきました。LGBTのような『見えやすいマイノリティ』を支援した方が気分がいいからです。
評論家の御田寺圭さんは、これを『大きく黒い犬の問題』と名付けました。捨て犬の保護施設では、毛並みの明るい犬や小型犬は容易に引き取り手が見つかりますが、『大きく黒い犬』はほとんどが殺処分されています。同様に現代社会では、『非モテ』の男は救済の対象と見なされず、不都合な存在として世間から抹殺されているというのです。──この問題は拙著『上級国民/下級国民』(小学館新書)で詳述しています。
8月9日に横浜の路上で通り魔事件が起きましたが、犯人は46歳無職の男性でした。昨今の凶悪事件が『ロスジェネ世代の男』であることは、もはや明らかでしょう。
元農水次官が『世間に迷惑をかけたくない』と、ひきこもりで暴力をふるう44歳の息子を殺害した事件は、男の子をもつすべての親に衝撃を与えました。これまで、子どもを大学に入れれば、あるいは就職させれば『子育ては終わり』とされてきまいたが。ところがいまでは、『人生を丸ごと否定された』息子が、40代になって家に戻ってくるかもしれない。『子育てに終わりはない』のです。
この問題がタブー視されるのは、解決の方途がないからです。お金を配ることはできますが、女を『分配』できませんから。だったら、親はどうすればいいのか。
日本の社会が学歴で分断されていることが明らかである以上、『いい大学を出る』ことや『有名企業に勤める』ことには、まだそれなりの効果があるでしょう。自由恋愛市場のきびしい競争の中で、子どもがコミュ力の高い『モテ』になれるかどうかはわかりません。〝言ってはいけない〟のかもしれませんが、子育ての親の努力ではどうにもならない『運次第』なのでしょう。」
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現代日本では、誰か優れた賢い人に素晴らしい進路・レールを引いて貰い、誰かに褒められ認められ励まされないと、自信を持って行動できない、そうした日本人が増えている。
無縁・孤独・孤立・一人ぼっち・引きこもりの日本人が増えてきたと言う事は、そういう日本人が増えてきた事を事である。
戦後教育、特に1980年代頃からの学校は、経済・産業の要望により自己意識を持たず命令・支持に従順に従って行動する・働く会社人間・機械人間のような金太郎飴的な人材を作るべく子供達を教育した。
それが、言い付けを素直に聞く大人しく良い子という、無菌室状態の社会で安全に完全培養された団塊ジュニア世代である。
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日本民族日本人の祖先は、西方草原民の子孫である遊牧民でも農耕民でもなく、南方系海洋民の子孫である漁労民で、大地を疾走し耕すのではなく、閉ざされた狭い舟に乗って生活していた。
つまり、日本民族日本人は船乗りの子孫である。
日本民族日本人の祖先が乗っていた舟とは、数人が乗り込み一緒に櫂を漕いで海を越えた小さな丸木舟である。
舟の中には、陽気なキリギリス(セミ)はいたかもしれないが、陰鬱な引き籠もりや敵意丸出しのイライラはいなかった。
海の現実として、櫂の漕ぎ手が一人でもいなくなると丸木舟は波に飲まれ遭難して全員が溺死するしかない。
つまり、海で生活する、舟で生活するとは、生きるのも死ぬのも好き嫌いに関係なく一蓮托生や一心同体である。
それが、日本民族日本人の生き方である。
その証拠が、戦時中の日本軍や日本国民の理屈なき無条件の一億総玉砕という戦いであった。
その生き方・考え方は、漢族系中国人や朝鮮人には理解できない。
そして、現代の日本人さえも理解できなくなっている。
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1980年代以降、日本からは不都合な事実が隠蔽され、嘘の情報がメディアによって流され、日本人はその嘘の情報に洗脳されて思考力や想像力が低下した。
その結果が、2019年に隠蔽され誤魔化されていた不都合な事実が表面化した。
その兆候は、1995年の阪神淡路大震災頃から顕在化し、2011年の東日本大震災でハッキリした。
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日本の常識である「騙した人間が悪い」のか、世界の常識である「騙された人間が悪い」のか、である。
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1980年代頃の子供である団塊ジュニアは、社会を混乱させようとした底意地悪い陰険な大人達にまんまと欺されたのである。
例えば、独身貴族、パラサイトシングル、シンプルライフ、お一人様、勝ち組、家族や子供の犠牲にならない自立した「個」としての自分の幸せ。
多くの団塊世代は、多額の簞笥貯金を持ち無駄な買い物をせず慎ましく生活している。
団塊ジュニアは、家族を養うのでやっとで貯金に回せる金が乏しい。
貧困は、世代を超えて受け継がれ、如何に努力しようとも回復できず深刻化する。
そして、団塊ジュニアの子供や孫達に、毎年増え続け返済不能に陥っている国家赤字、財政赤字。
破滅する社会とは、貧しい老人と貧しい若者である。
衰退する社会とは、豊かな老人と貧しい若者である。
発展する社会とは、貧しい老人と富む若者である。
歴史上、富む老人と富む若者という繁栄し安定した社会は存在せず幻であった。
現代日本は衰退する社会であり、未来の日本は破滅社会になる。
衰退から破滅へと日本を追い込んだのは、当の日本人、特にマスメディアで金儲けした高学歴出身知的エリートである。
急坂を転がり始めた巨石は、加速こそすれ、止める事はできない。
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1980年代以降、ベラル派や人権派は不登校や引き籠もりが増え始め社会問題化した時、学校騒動や家庭内暴力の解決に適切な対応ができなかった事から、同問題から逃げる為に「子供の自主性を重んじるべき論」を押し通し、社会から隔離・排除して見えない化して切り捨てた。
そして、自分達の無責任・無能を隠蔽する為に「世界の貧困地帯や紛争地帯では不登校や引き籠もりはない」という厳然たる事実を抹殺した。
高学歴出身知的エリートのリベラル派や人権派の机上の理想論は、実現不可能な現実離れした自己満足的空想論でしかなかった。
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古代文明は滅亡し、古代人は死滅し、古代は消滅した。
如何なる文明、国家、社会、民族にも、長短はあつても寿命が存在する。
それは、日本でも例外ではない。
だが、日本列島が存在すれば日本国は存在し、日本列島に人が住んでいれば日本人は絶滅する事はない。
日本人とは誰か、それは日本列島に住んでいる全ての人間の事であって、日本国語を話す日本民族日本人の事ではない。
何故か、日本民族日本人は乱婚を繰り返してきた混血の雑種民族である。
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メディアに取り上げられる凶悪犯罪は、社会や他人に自分の存在を知らせ、非難であっても認識して貰う為の手段に過ぎない。
承認願望とは、社会や他人から賞賛・賛美を受ける事であるが、その方法には人の為になる方法と人の為にならない方法の二種類がある。
現代日本には、犯罪者・加害者に同情し心を寄せ理解しようとする人権派日本人や犯罪者・加害者を殉教者・英雄と崇める不満を持った日本人が、少なからず存在する。
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八方塞がりで硬直した息苦しい社会を生きるといっても、鎖国した不自由な江戸時代の日本人と開国した自由な現代の日本人とでは別人に近い日本人である。
文化・芸術・芸能などで伝統として後世に何かを残せるのは、現代ではなく江戸時代であった。
日本人が確かに生きていたという証しが残せるのも、現代ではなく江戸時代の方が多く濃い。
その違いは、世の中にごまんといる無責任で無見識・無教養・無能者な不特定多数の他人からの賞賛・賛美と評価・承認・認証に喜びと幸せを感じるかどかである。
江戸時代の日本人は、世間の評判を気にしたが、見識・教養・才能のある特定少数の相手が手に取って褒めて評価してくれれる事だけでよく、有象無象の輩など気にせず相手にしなあった。
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SNS社会の現代日本では、歪んだ正義がインターネット世論を作り操作し、その評価を鵜呑みにして動く意思なき人形的人間が増え始めている。
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日本は空気・空気圧・同調圧力に支配されているが、その空気・空気圧・同調圧力は現代日本と昔の日本とは本質が違う。
どう違いかと言えば、歴史に残る今の国民と昔の庶民の雰囲気である。
つまり、現代の国民は意気消沈として暗いが、昔の庶民は底抜けに明るい。
何処がどう違うかというと、江戸時代は人生50年で若者が多く老人が少なくそして人口が微増していたが、現代日本は人生100年で若者少なく老人が多く人口が激減し始めているからである。
つまり未来・将来に対して、江戸時代は明るく開けていたが、現代日本は暗く閉じている。
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現代日本人は、飼い主に褒められ認められ餌を貰いたいが為に愛想を振るペットに似ている。
現代日本人の忖度・配慮・思い遣り・気遣いには、そうした願望が根本原因として存在する。
つまり、日本人、特に現代の日本人は飼い主に対するペット忠誠心が強い。
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