¥25〉─4─現代日本の撤退戦。厚労省の予算、32兆6,234億円。一般会計予算の総額の33.6%。〜No.130No.131No.132 

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   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 
 日本民族日本人は、進撃戦・侵攻戦は得意だが撤退戦・後退戦は不得意である。
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 人口微増の昔は、人生50年で、若者が多く老人が少なかった。
 人口激減の将来は、人生100年で、老人が多く若者が少ない。
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 戦後のリベラル教育・革新教育は、破綻して無力・無意味となった。
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 2019年10月3日号 週刊新潮「夏裘冬扇(かきゅうとうせん) 片山杜秀
 社会保障と鬼」
 32兆6,234億円。厚生労働省が8月に出した、来年度の一般会計予算概算要求の金額である。本年度の概算要求と比べて、約2%、増えている。
 厚労省の予算は、ほとんどが社会保障関係である。その他をひっくるめての、政府全体の本年度の社会保障予算は、一般会計予算の総額の33.6%を占める。来年度はもっと多くなるのが、ほぼ確実になった。
 ちなみに、満州事変や第一次上海事変の頃のわが国の国家財政に占める軍事費は約3割5分だった。今日の社会保障関係予算と同比率である。あの頃の日本は軍国主義国家と呼ばれるが、それに倣えば、今の日本は社会保障主義国家というところだろう。
 高齢化はいやでも進む。福祉の水準をなるかけ落とさないようにと考えれば、出費は今後も増やすだろう。軍国主義が国家財政を破綻させたいった昭和10年代と同じことが、社会保障主義によって起きつつあるのかもしれない。自民党憲法改正改草案に『家族はお互いに助け合わなければならない』と入れているのは、国家が社会保障からの撤退戦を始めたいからなのだろう。
 だが、撤退戦はそもそも可能か。歌舞伎の『茨木(いばらき)』を思い出す。河竹黙阿弥の作で、5代目の尾上菊五郎が初演した。『平家物語』や『前太平記』が下敷きになっている。京の都の羅城門に茨木童子なる鬼が出るというので、源頼光の家来、渡辺綱が退治に行く。が、鬼の腕を切り落としただけで逃げられる。綱が腕を護っていると、綱の養母が訪ねてくる。鬼の腕を見たいという。見せてしまう。すると養母は正体を現す。茨木童子が化けていたのだ。
 鬼は母に化ける。油断大敵。が、国文学者、島津久基は、大正期にこの話の元ネタを『今昔物語』に見つけた。
 猟師の兄弟が夜に森に入り、鹿を狙っていた。すると兄の髪を上から謎の手が掴む。鬼か!兄は驚き、慌てた弟が兄の頭上に矢を放つと、見事命中。鬼の片腕が落ちてきた。
 兄弟が家に帰ると、留守番をしていたはずの老母が床に臥せって痛がっている。片腕がない。介抱しようとすると、老母は子供たちを襲ってきた。兄弟は家を捨てて逃げた。母親は死んだ。『今昔物語』は、この話の教訓を次のように述べて結ぶ。人の親は老いると必ず鬼になり、子を食(くら)おとする。
 『平家物語』や『茨木』の原話と思しきものは、老親は子に害をなすから、子は見捨てて逃げるが勝ちという、とんでもない筋書きなのであった。
 年老いた母親が夜に徘徊し、外で食べ物を探すので、止める子が親に暴力をふるい、ついに親の養護を放棄したか、親殺しに至って、親は鬼になったから仕方がないと開き直った。そんなことかと想像する。親が鬼になる話しとは、子が鬼になる話でのある。
 『鬼は外、福は内』という。この台詞が、鬼に『外に出ていけ』と言いたいのだとすれば、鬼はもともと内に居るのだろう。柳田国男の弟、松岡静雄の『新編日本古語辞典』の『鬼』の項目を引くと、本来は『実在人の霊魂の意』と書いてある。つまり鬼とは我々の内なるものである。家族の情愛が深いはずの遠い昔においてそうだとすれば、家族が名ばかりのものに堕してゆく近現代に『家族にお互いに助け合わなければならない』で済むはずはない。
 進むも地獄、引くも地獄。社会保障を後退させれば、人の世に鬼が跋扈するだろう。人が鬼の本性をなるたけ現さずに生きるためには、消費税を幾ら上げても、福祉国家はやめられない」
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 動物の世界では、年老いて死期が近くなると群れから離れて一匹・一頭となって死んだ。
 一匹・一頭となって孤独に死ぬのが、自然の生き方である。
 群れの中・家族や仲間達に見取られて死んで行く、は自然ではない。
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 現代の日本・日本人は、昔の日本・日本人より賢くもなければ優れてもいうない、それどころか、愚かで劣っている。
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 現代日本は、個を優先する戦後教育で、家・家庭が破壊され崩壊し、家族の絆は希薄となっている。
 つまり、老親・老人は家族ではなく国や自治体に面倒を見て貰う。
 それが、年金などの手厚い社会保障である。
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 財政赤字は1,000兆円を突破し、毎年、約40兆円の赤字が増えていく。
 その額は、返済不能に陥っている。
 各分野のエコノミストは口先だけで、打つ手、打開策、解決策を持っていないし、知恵もない。
 メディアも、尤もらしい事を言って騒ぐだけである。
 エコノミストに騙され、メディアに踊らされた、日本人が馬鹿であったのである。
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 日本国内には、虚しいほどに、エコノミストのオオカミが来たと騒ぐ声とメディアが吹くハメルンの笛が鳴り止まない。
 日本がこうなる事は、はるか以前から警鐘が鳴らされていたが、誰も真剣に考えず本気で対策を立てて実行しようとしなかった。
 つまり、愚かだった日本人の自業自得と言うしかない。
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 現代の大人は、逃げ徳として、多額の負債を子供や孫に押し付け、幸せな老後を送り、安楽な死を迎えようとしている。
 特に、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者、人権派、生めよ殖やせよの人口回復の反対派、外国人移民(主に中国人移民)推進派、反権力・反国家派などに、無責任な逃げ徳の傾向が強い。
 そして、高学歴出身知的エリート。
 将来を生きる子供や孫は、今を右往左往している無能な大人達を忘れない事である。
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 貧しかった昔の日本には、姥婆捨て山という年老いた老父母を山に捨てる因襲が存在していた。
 安達ヶ原の鬼(老女)は、若い男女を殺して食っていた。
 徳川幕府は、社会を豊かにし生活を楽にする為に親孝行と子供を産み事を奨励した。
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