🌄5〉─1─観光立国とは、でもしか観光・カジノである。~No.17No.18No.19 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本のAIなどのデジタル技術は世界から2周も3周も遅れ、アメリカやヨーロッパはもちろん中国・韓国さえにもに抜かれ、幾ら頑張っても追い付く事ができなくなっている。
 日本は、科学技術立国でもなければモノ作り立国でもなくなく、残された道は観光立国しかない。 
   ・   ・   ・   
 2020年7月23日号 週刊新潮「医の中の蛙  里見清一
 やめておけ『観光立国』
 ギブアップ宣言か
 昨年12月に菅官房長官は、全国に高級ホテルを誘致・整備するために財政投融資を活用して資金支援を行うと発言した。なんでも、日本には外国人富裕層向けのスイートルームを多く備えたホテルが不足しているのだそうで、各地にそうした『世界レベル』のホテルを50ヶ所ほど新設することを目指す、らしい。ところがパンデミックで外国人観光客がほぼゼロになってしまった。しかし菅長官は全く懲りないというか諦めてはいないようで、都道府県をまたぐ移動の自粛が緩和された6月19日、『2030年に外国人旅行客を年間6,000万人とする目標の実現に向けて国を挙げ環境整備に取り組む』云々と語っている。
 これは、『今後も我が国が観光立国として生きていく上で』、という前提での発言のようだが、いつ我が国は『観光で食っていく』と決めたのか。思い起こせばバブルがはじける直前の平成元年、私はタクシーに乗っていてラジオの経済番組を聞くともなしに聞いていた。司会者が、『工業生産などがさほど増えていないのに、株価だけがこんなに上がって大丈夫でしょうか?』と質問したのに対して、その道の『専門家』らしいセンセイが『我が国はこれから投資立国、金融立国としてやっていくのだから問題ない』と力強く断言していた。官房長官の『観光立国』も同じ運命を辿らないか。
 ちょっと前に佐伯啓思先生が本誌に、『コロナ後に戻るべき価値観の原点』という趣旨の寄稿をされた。その中で先生は、大挙して押しよせる外国人観光客のために京都の生活はめちゃくちゃになってしまった、パンデミックでそういうのが来なくなってやっと『正常』になったが、『コロナ後』に目指すものはこの『コロナ前』に舞い戻ることはないはずだ、と指摘しておられる。そういう『当たり前の感覚』を官房長官は共有できないらしい。
 その京都では中国人のガキがあちこちで立ちションする、甚だしきは道端で脱糞するなんて話もあった。別に中国人を貶めているのではない。風俗習慣その他が違って、こちらの『常識』が通じないだけだろう。ただそうした異邦人を『お客様』として扱う以上、観光公害による住民被害や、『観光資源』即ちせっかく祖先が残してくれた貴重な遺産の毀損は不可避である。『コロナ前』にもそういう声は上がっていたが、その反省もせず、さらに『客』を増やそうというのは正気の沙汰ではない。
 観光業の方々を謗(そし)るつもりは毛頭ないが、金持ちの客に観光に来てもらって『お金を落としてもらう』という言い方は卑しいと思う。我々はその『落としてくれた金』を拾って生活するのか?トレビの泉の投げ銭をさらって『生業』とする人たちがローマにいたらしいが、基本原則は同じようである。そして、『50ヶ所の高級ホテル』で呼び込むメインターゲットは、カジノの客らしい。バクチの寺銭で稼ごうというのだから、堅気の発想ではない。
 だいたい、観光を主産業というのはつまり、偉大な先祖が作ってくれた遺産を当てにして稼ぐわけで、その意味で『過去の国』がやることである。実名を出して悪いがギリシャなんかその代表例だろう。日本をそういう国にするというのは、もう科学技術や工業製品などではどうにもならないとのギブアップ宣言なのだろう。それだったら、トランプ大統領の『アメリカを再び偉大な国に』というスローガンの方がよほどまともだと私は思う。トランプはアメリカ人が汗水垂らして作った農産物や工業製品を売り込んで儲けようとしている。中国の金持ちに対して、ラスベガスに来てバクチですってくれなんて頼んではいない。
 『右や左の旦那様』
 今さらではあるが、東京オリンピック誘致で滝川クリステルがやった『お・も・て・な・し』のプレゼンが薄気味悪かった。どんな相手でも『客』もしくは『旦那』である。即ち金蔓であり飯の種であると考える以上は、下げたくもない頭を下げなければならないのではあろうが、なんであんな媚び諂(へつら)った態度を取らなければならないのか。あれはまさしく『右や左の旦那様』の手つきであった。ああいう連中が『患者様』なんて唾棄すべき言葉で医療の精神まで歪めるのであろう。この卑語は厚生労働省の課長通達から出てきたそうで、日本人は何かというと卑屈な態度を取る伝統があるらしい。だからIOCみたいな国際機関の奴らが勘違いして尊大になるのである。たぶん賄賂を取っていることだろう。
 国際機関ついでに触れると、観光でやたら有り難がるユネスコの『世界遺産』も怪しい。ユネスコはこの制度によって自分の所の職員にやらせる仕事を作ったのだろうが、自らそういう『遺産』の保存に努力する訳ではない。どころか観光客を増やして、観光公害で『遺産』が汚されるのに一役買っているだけである。また長崎の軍艦島に対して韓国が世界遺産登録取り消しを求めてきたとかいう報道があるが、ヘンに『国際的』な箔をつけようとするから向こうがイチャモンをつけてくるのである。富士山や熊野古道の価値は、そしてその保存の必要性は、ユネスコが認定しようとしまいと変わらない。日本人が、また縁あって日本に来られる一握りの来訪者が、真価を理解できていればいい。
 日本から海外に出ようという観光も同じで、山本夏彦翁が好んで使った『ロバが旅に出ても、馬になって帰ってくる訳ではない』という警句の通りである。外からの観光客も呼ばず、こちらからも出ないのでは国際化に遅れるとかいう反論もあろうが、幕末の頃ならいざ知らず、外国人観光客に接して国際人を目指したなんて話は聞いたこともない。気合いと根性をもった若者が海外で賢聞を広めるのは良いことだが、それは『客』としての待遇から生まれるものではあるまい。
 外国人が落とした『金を拾う』のではなく、自分で考え、自分でものを作って稼ぎ、その金で国内旅行をすればいい。そうした内需拡大の方がよほど健全で、かつ経済にとってもプラスのはずである。明けてもいいが、50の超高級ホテルができた暁には、また次のパンデミックが起こって、せっかくのスイートルームもみなガラガラになるだろう。どうして分かるかって?だってバブルがはじけた後も、そういうところがいっぱいあったではないか。」
   ・   ・   ・   
 現代日本は、カネ・金融至上資本主義と科学万能マルクス主義社会主義共産主義)の国である。
   ・   ・   ・   
 昔の日本文化が、愛着を持つ現代日本人は2割で、嫌悪する現代日本人は3割で、好きでも嫌いでもなく分かっていないのに分か素振りを見せて誤魔化している現代日本人が5割。
 日本文化に嫌悪を抱く現代日本人とは、グローバル志向の強い高学歴出身知的エリートに多い。
   ・   ・   ・  
 観光立国で生きるという事は、将来における国家の発展と民族の進歩を諦めた事を宣言する事である。
 それは、未来を生きる子供達から夢や希望を奪い、絶望と悲嘆を押し付ける事である。
 観光は、見る者には明日はあるが、見せる者には明日はない。
 観光での収入とは、安価な土産物の売り上げでしかない。
 つまり、観光地での薄利多売商売である。
   ・   ・   ・   
 現代日本人には、歴史力がなく、捏造・改竄・歪曲されたとんでもない歴史を本当の歴史と信じ込んでいる。
 日本人は歴史が好きである、はウソである。
 現代日本人は、作り話の時代劇が好きなのであって事実に基づいた歴史は嫌いである。
   ・   ・   ・   
 政治家・官僚・経営者には、伝統的文化遺産に対する愛着もなければ価値認識もない為に、子孫の為に維持して残そうという予算は微々たる金額である。
 彼らの本心は、朽ちてなくなるのであればなくせばいい、である。
 彼らの「伝統文化保護」は口先だけの建前に過ぎない。
   ・   ・   ・   
 日本の旅は、江戸時代や昭和前期までは一生の数度の行楽であったが、現代日本は日常の観光である。
   ・   ・   ・   
 江戸時代は、貧しい行楽国家であったが豊かな観光国家ではなかった。
 行楽客はサービスに感謝しお礼として金を出したが、観光客をサービスを選択して買って消費した。
 行楽客とは、泊めさせて貰い、地元料理を食べさして貰う、という一歩下がった身分である。
 観光客とは、しかがないから泊まってやる、しかたがなく食べてやる、という一段上の階級である。
 昔の日本の客を持て成す亭主・旦那は、現代の日本の経営者より教養と技能と品格の上で優れ、物識り・知識があっても人として優れていなければ亭主・旦那にはなれなかった。
 「お客様は神様」の解釈は、現代日本と昔の日本では全く違う。
 昔の行楽客は「まろうど=客人」であったが、現代の観光客は「金を落として通り過ぎる人」である。
 「おもてなし」の意味は、昔の日本と現代の日本とは違う。
 全ての面で、現代日本と昔の日本は違う。
   ・   ・   ・   
 江戸時代の小判は、使えば使うほど金が擦れて減り、貨幣価値が下がった。
 幕府は、小判の貨幣価値を維持する為に、国内の金山・銀山を掘って金鉱石を手に入れ新しい小判を鋳造して市場に流していた。
 昔の日本は、現代の日本とは違って、他国に依存しなくても国内に生きる糧が豊富に埋まっていた黄金の国であった。。
 皇尊(スメラミコト)が統べる、働き・仕事に見合った実り多き「豊葦原瑞穂の国」であった。
   ・   ・   ・   
 観光客は、家族や近所への土産として安価な郷土品(郷土玩具、菓子、物産、その他)を幾つかを買って帰っていく。
 日本のモノ作りとは、その範囲の事である。
   ・   ・   ・   
 現代日本は、昔の日本とは違って「カネ」で買えないものはなく、カネが全てにおいて優先される。
 それは、現在の自分・自分の家族と過去の祖先を断絶させ、両者の間に深く渡れない暗黒の谷を生み出している。
 つまり、現代日本人が好きな踏ん張る場も触る物もなく、身悶えしても動かず漂い、光りによる明るさのない暗黒な無、完全な「個の自由」である。
 日本人は「無」が好きであり憧れる。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人が昔の日本人と違うように、昔の日本文化は現代の日本文化とは違い、現代日本に残る昔の日本文化はほんの僅かでしかなく、現代日本人に受け継がれた昔の日本文化も微々たるものでしかない。
   ・   ・   ・   
 歴史的地理的地政学的に、日本のグローバル化は、太平洋の向こうのアメリカではなく、まして地球の反対側のヨーロッパでもなく、隣国の中国・朝鮮の中華である。
 インターネットで地球の何処からでも接続できると行っても、それは仮想であって現実ではない。
 人間は、現実に生きるのでって仮想では生きられない。
 衣服や住宅は仮想でも生きられるが、命の糧である水や食べ物は現実でしか生きられない。
 つまり、日本は日本民族日本人が努力しなければ自然の流れとして中国化・朝鮮化して、決して欧米化はしない。
 それは、歴史が証明している。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人と中国人・朝鮮人とは、同じ人類・ヒト属・人間であっても、同種同族ではない別種である。
 それは、賢い・愚か、優等・劣等、上等・下等、教養・無教養=野蛮とは一切関係ない。
 生活している自然環境が全く違う、というだけである。
   ・   ・   ・    
 グローバル化が進めば、嫌悪する日本人が急増していく。
 そして、外国人移民(主に中国人移民)が増えれば、昔の日本文化は消えゆく。
 それは、ローカル文化であったハワイ王朝時代のハワイ文化やネイティブ・アメリカ時代のインディアンやインディオの文化の様に。
   ・   ・   ・   
 日本文化とは、古層の弥生文化、深層の縄文文化の上に咲いた日本民族日本人の固有なローカル文化である。
   ・   ・   ・   
 アメリカの観光地では、貧しい生活をするネイティブな人々が小銭を稼ぐ為に祖先のインディアン文化やハワイ文化をイベントとして観光客の前で演じている。
 観光収入となっている祖先の文化は、サーカスと同じ興行・イベントに過ぎず、金の為の死んだ文化である。
   ・   ・   ・   
 日本の失敗は、戦前ではなく戦後の方に多い。
 現代の日本人は、戦前の失敗から当時の政治家・軍人・経済人を手厳しくが批判するが、今、自分の失敗はなかった事として隠蔽し改竄し誤魔化し、原因を別に探して責任を押し付け、安全な立場へと逃亡している。
   ・   ・   ・    
 徳川幕府鎖国策は、疫病の巣窟である中国大陸と朝鮮半島との人的交流を遮断する感染症の水際防疫策であった。
   ・   ・   ・   
 日本の疫病は海の外から侵入し、全国で感染爆発を起こし、夥しい犠牲者を出した。
 昔の日本人が、中国や朝鮮を穢れた土地と忌み嫌い、中国人や朝鮮人を穢れた人々と軽蔑し差別したのは、疫病を神聖な日本に持ち込み罪なき日本人の命を奪ったからである。
 つまり、日本人の中国人や朝鮮人への差別とは人種差別・民族差別ではなかった。
 対して、中国人や朝鮮人の日本人に対する差別は人間差別であった。
   ・   ・   ・   
 親中国派・媚中派日本人は、金儲けの為に日本を中国に切り売りしている。
 問題は、中国共産党員・中国軍人であって一般中国人ではなく、台湾人・香港人チベット人ウイグル人・モンゴル人など少数民族ではなく黄河流域由来の大陸系漢民族である。
   ・   ・   ・