🧣13〉─1─同調圧力は日本人の心に潜む醜悪でおぞましい闇である。~No.38No.39No.40 ⑪ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本民族日本人が生存する限り、空気圧・同調圧力は消えない。
 空気圧・同調圧力は、上級で品のある武士・サムライではなく、下賤の輩である庶民の方に強く影響を与えていた。
   ・   ・   ・   
 同調圧力村八分とは、日本人が心の奥底に隠しているブラックな闇であり、それは精神的ひ弱さと肉体的脆弱さつまり「弱さ」の現れである。
   ・   ・   ・   
 現代日本人の祖先は、庶民であって武士・サムライではない。
 現代日本には、武士・サムライはいないし、武士・サムライの子孫もいない。
 日本の庶民とは、信用できない強欲でえげつない人間であった。
   ・   ・   ・   
 親は親の権利として、子供との親子の縁を切る義絶(ぎぜつ)「勘当」を宣言し、家族でないとして人別帳から名前を削除し存在を消し去れば、子供が如何なる罪・大罪を犯そうとも親・兄弟・親戚に累が及ぶ事はなかった。
 世間も、その親子は赤の他人と認識し、子供はいなかったとして記録や記憶から消した。
 つまり、被害者家族はいても、加害者家族はいなかった。
 それが、日本の建て前と本音である。
   ・   ・   ・   
 2020年10月30日号 週刊朝日「ネット中傷、自粛警察・・・
 日本社会に蔓延する 『凶暴化』した同調圧力の正体
 安田浩一『コロナで加速した「便乗ヘイト」』
 鴻上尚史『「世間」という日本特有のメカニズム』」
 著書『同調圧力』(講談社現代新書)の著者の一人で演出家の鴻上尚史さんと構成を担当したジャーナリストの安田浩一さんが、コロナ禍の日本社会に広がった息苦しい空気の正体について語り合った。人々はなぜ、感染者をインターネット上で晒(さら)すのか。他人の行動を咎める自粛警察とは─。
 安田 鴻上さんは新著で、自粛警察の正体とは暗黙のうちに周囲と同じ行動を強制する『同調圧力』であるという観点から、評論家の佐藤直樹さんと対談されました。
 僕自身、コロナ禍に入って不安を抱えてしまった。昭和2(1927)年に自殺した文豪・芥川龍之介は死に直前に『将来に対する唯(ただ)ぼんやりした不安』を抱えていると書き残しています。彼の死の要因には諸説ありますが、芥川が抱えていた不安と、令和という季節のはじめに広がる社会不安はもしかすると重なるのかもしれない、おいう思いがありました。
 鴻上 興味深いアナロジー(類推)ですが。芥川は関東大震災(1923年)の直後、自警団に参加しています。当初は不審者の警戒を目的として形成された自警団は、『朝鮮人が井戸に毒を投げた』というデマが広がる中、大規模な朝鮮人虐殺の中心的な役割を果たすまでに変貌していきました。同調圧力の過激化という意味では、自粛警察とも非常に近しい心性の働きを感じます。
 安田 自粛警察が生まれたのも、この同調圧力が凶暴化したことが関わっていると、鴻上さんはお話しされていますね。コロナ禍で見た同調圧力の風景には、例えばどのようなものがありましたか。
 鴻上 大きかったのは、自分自身の炎上体験です。演劇界では2月26日に自粛要請が出されました。表向きには『舞台をやるか。やらないか』の二者ですが、圧力が強まり、実際は『やめる』という一択でした。
 それに対して、演劇界の人々が『自粛要請と休業補償はセットだ』と声を上げた。こうした動きを週刊誌の記事で指摘したところ、ネット上では『お前らはこじきか』『好きなことをやってるんだから倒産しても当たり前だ』といった非難の声が殺到しました。これほど強い言葉が返ってくるとは夢にも思わず、『一体何が起こっているんだろう』と考えるようになりました。
 安田 僕自身も日々の取材を通じ、同種の空気を感じていました。はじめは1月末。中国で新型コロナが広がってまもなくです。脅威が国内で今ほど取り沙汰されていなかったころです。
 それまでもインバウンド(訪日外国人観光客)の多い観光地で、『中国人お断り』という貼り紙が出されているのを目にすることはたびたびありましたが、中国人の入店を拒否する店が飛躍的なスピードで増えていきました。緊急事態宣言が出され、自粛期間に突入すると、今度は一部の地域で『中国人は出ていけ』『武漢肺炎は許さない』といったスローガンでデモや集会が散発的に起こるようになりました。
 差別も偏見も皆から社会に存在しましたが、コロナによって加速しました。いわば『便乗ヘイト』と呼ぶことのできる側面があったと思います。
 鴻上 便乗ヘイトというのは、コロナを自分たちの主義主張の理由にしているということですか?
 安田 そうですね。もっと言えば、政治家の言動もこうした空気を後押しする一因となりました。3月10日に開かれた参院財政金融委員会では、麻生太郎財務相が『武漢ウイルス』という名称を連発し、中国政府から抗議を受けました。今日(対談当日)、自民党の総裁選が始まりましたが、菅義偉新首相が自身の目指す社会像として掲げたスローガンは『自助・共助・公助、そして絆』。聞こえのいい言葉ですが、要は『緊急時も国民が自分で何とかしなさい』という突き放した態度の裏返しです。
 鴻上さんは、同調圧力の根底に『世間』という日本独特のメカニズムが関わっている、と指摘しています。僕には、菅さんのこの言葉が家族・隣近所といった世間を象徴しているように感じられたんです。
 鴻上 世間にも良い側面はあります。例えば2011年の東日本大震災で暴動は起こらず、社会インフラは総出で回復され、世界中から称賛されました。けれどもコロナ禍では、マスクをしていない、要請を無視して営業を続ける飲食店に総攻撃を仕掛ける──など絆の負の側面が目立つようになっています。一体何のための絆なんか。目的を明確にしない限り、同調圧力が強まるだけに終わる危険性は高いと思います。
 安田 困っている国民に対して、国が手を差し伸べることを決していない。けれど、絆という言葉を使い、ある種の物語性を付与することで、福祉を含むさまざまな社会保障や制度をカバーしようという思惑があるのでしょう。
 鴻上 一国の首相が、自助という言葉遣いをすることへの違和感は僕も抱いています。震災や事故が発生した際、海外では体育館の中に簡易テントを並べたり、現地のホテルに住民を住まわせたりするといった対応を取っています。行政が全面的に補助を行っています。
 一方、日本では自分で体育館にタオルを持ってきてくださいといった自助や、避難所にいる皆がおにぎりを分け合いましょうというような共助の指示が圧倒的に多い。
 先日、愛媛県宇和島市が新型コロナ感染症対策として、高齢者や妊婦がホテルや旅館に避難した場合、5,600円を上限に補助金を出すと発表しました。れっきとした公助ですが、ニュースを見ていたら住民の方が『こんなところで寝るなんて申し訳ない』といったコメントをしていた。なんとも日本人らしい反応だと思いました。
 安田 もう一つ。『出る杭は打たれる』という言葉があるように、突出した存在に世間が向ける反発心の強さも周知されていいでしょう。最近で言えば、テニス選手の大坂なおみさんに対して起こったバッシングがそうです。彼女は日頃から人種差別に対する抗議の意思を明確にしていて、全米オープンでは白人の暴力によってなくなった黒人犠牲者の名前が刻まれたマスクを着用しました。その姿が報道されると、ネット上では『あれは日本人の感覚ではない』という批判や中傷が相次ぎました。
 大坂選手に対し批判が出た理由
 鴻上 黒人差別に対して堂々と反対の意思を表明する大坂さんは、(大坂さんを)批判する人々からすると、いわばリベラル旗印のように映ったんだと思います。その反発心が、いわば凶暴化した同調圧力として表れた。けれど、同調圧力は本来、思想の右左で明確に分けられるものでもありません。思想信条にかかわらず、日本社会で生きている誰一人として、その空気から逃れられないということに気づいてほしい。
 安田 僕自身、その空気にのみ込まれそうになるときがあります。本書では、ニュースキャスター・芸能人・スポーツ選手などコロナに感染した著名人たちが口々に謝罪をすることのおかしさが話題になっています。
 先日、数日間にわたり取材をさせてもらった方が『濃厚接触者』だとして、保健所から『PCR検査を受けてください』と連絡を受けたそうなのです。本人からそう報告を受けた際、もし僕にも保健所から連絡があったり、彼がPCR検査で陽性になったりしたら、直近で所在させてもらった人たちに僕も謝らなきゃいけないな、と一瞬思ってしまいました。それもまた、世間からの圧力が関わっているのかな、と。
 鴻上 その場合は、謝っていいと思います。この本では世間と社会とを区別しています。世間というのは、自分がよく見知っていて、現在および将来にわたり関係のある人たちのこと。ママ友やグループから、職場・学校といった集団まで内実はさまざまです。
 一歩、社会とは、自分とは直接面識がなく、現在も未来も関係がない人たちのこと。僕と佐藤さんが違和感を持ったのは存在しないはずの世間を想定して謝罪会見が行われることへの違和感です。
 僕の劇団では10月31日からお芝居をやります。稽古中や本番に誰かが感染する可能性だって十分考えられる。もし感染者が出た場合、公演は中止なので僕はチケットを買ってくれたお客さんに対して謝ります。ですが、世間と呼ばれる幻のものに向かっての謝罪のコメントはしません。そういう違いなんです。
 安田 本書ではコロナ感染者に対する差別と絡めて、加害者家族に対するバッシングが挙げられています。殺人などの罪に問われた加害者の家族はメディアで実名や職場を晒され、バッシングされる。
 僕自身、週刊誌の記者時代には犯罪者の家族を取材し、バッシングの輪の中に加わってきた自覚がありました。強気なことを言っても、どこかでやはり日本的心性に侵されているところがあるのかもしれません。
 世間話ではなく『社会話』をする
 鴻上 僕は、そこにこそコロナの特徴が表れていると思います。従来であれば、例えば自分の子どもが罪を犯したとき、家族がコメントを出すかどうかというのは一部の人たちに限られた選択肢でした。
 でも、コロナ感染は誰にでも起こり得る状況です。感染者の周囲にいる人々は加害者家族と同じ状況に置かれて、『自分はどうするんだ』と考えなくてはいけなくなった。いま本当に怖いのはコロナにかかることではなく、『コロナにかかった』と後ろ指をさされること。誰かの後ろ指をさしていたらいきなり自分がさされる側になるかもしれません。コロナは国民全員に対して『あなたどうする?』と突きつけるきっかけを作ったと思っています。
 安田 世間も後ろ指も、あるいみでは捉えどころがないものですよね。対峙(たいじ)することはできるでしょうか。
 鴻上 一つの方法は、複数の世間に所属することですね。例えば職場は代表的な世間の一つですが、ブラックな労働環境に身を置いていると不満や怒りがたまって、自粛警察的な行為に走るということも起こりやすくなる。ボランティアでもいいし、絵画教室でもいい。たった一つの世間ではなく、緩やかな世間を見つけて、そこに参加することで見え方が変わってくると思います。
 そういったものに参加する余裕がない場合は、『世間話』ではなく『社会話』をする。例えば、道路を歩いていて、向こうから犬を連れた人が歩いてきたら『可愛いワンちゃんですね』と話しかけてみる。もしくは、普段入らない定食屋に別ルートで入って、その主人と『おいしかったよ』と話す。いま所属している世間以外の回路を作っていくことで、感情のありようも変わっていくと思います。
 安田 『緩やかな世間』、僕もとても大切なものだと認識しています。このところ、団地に住んでいる単身高齢者を取材しています。団地で多いのが、高齢男性の孤独死や単独死。広く緩やかな世間とのつながりを持てなくなった男性が誰にも気づかれることなくひとり死んでいくというケースが圧倒的に多い。
 一方、女性の場合は地域に対する結びつきが多く、孤独死になりづらい。ですから、緩やかな世間を持つことは究極的には自分の命を守ることにもつながっていると感じました。いま排他的な心性を抱える人も、緩やかな世間に属することで視野が開かれていく可能性はあります。今日の対談を通して、多様性の端切れをつかむわずかな手がかりが得られたような気がします。
   構成 本誌・松岡瑛理」
   ・   ・   ・   
 日本人は情があって優しい、はウソである。
 日本人は誉められた人間ではなく、世界で愛され信用されているもウソである。
 誉められるような人間でないがゆえに、誉められない本性を誤魔化す為に逆に誉めなければならない。
 日本人を誉めるとは、そう言う事である。
 日本仏教が異端仏教に変貌したのはこの為である。
   ・   ・   ・   
 西洋キリスト教世界では、政府は法律に従って国民(国籍を持つ人々)を犠牲にしても国家を守り、教会は絶対神の隣人愛信仰で人々を差別せず別け隔てせず保護し救済し慰め癒した。
   ・   ・   ・   
 配給される物は、我先に争って奪い合い、時には奪い合う相手を自分と家族の為に殺した。
 勝って奪った者が権力者・支配者となり、負けて奪われた者が人民であり奴隷であった。
 それが、世界の、人類の、人間の偽らざる現実である。
   ・   ・   ・   
 西洋諸国で、人民の暴動・叛乱・革命あるいは裏切りや売国行為を怖れる政権は、人民に対して至れり尽くせりの過剰サービスを行った。
 フランス革命ロシア革命も、飢えて凍えた人民がサービスをしない専制君主政府に激怒して暴力革命を起こし、国王や皇帝とその家族を惨殺した。
   ・   ・   ・   
 弱肉強食の地獄のような戦国時代では、自己責任・自助努力・自力救済が唯一の生きる術(すべ)で、「奪えるのなら容赦なく全てを奪う」であった。
 戦国時代の庶民は徒党を組んで、乱取りとして敵地で人を攫い奴隷として売り飛ばして金を稼ぎ、落ち武者狩りで負けて逃げる武士を襲い半殺しにし生首を斬り落として勝利者から報奨金を貰い、戦場泥棒として死体から身包み剝いで裸にして大きな穴に放り込んで埋め奪った物を売って金を稼いでいた。
 庶民は、仲間内を大事にし、仲間を場の空気で支配し、仲間を空気圧・同調圧力で一つにまとめ行動していた。
 「赤信号、皆で渡れば恐くない」である。
 同調圧力で一蓮托生として行動を共にしない者は、信用できない、仲間ではないとして集団から排除した。
 日本人の集団主義とはそういう集団主義であるがゆえに、個人主義を嫌う。
 寝起きも、プライバシーを厳守する個室ではなく、プライバシー無視の大部屋での雑魚寝であった。
 何故か、他人を信用せず、抜け駆けをして皆より得をさせない為であり、裏切って寝首を搔きに来るのを防ぐ為である。
   ・   ・   ・   
 そして、仲間から抜け出し敵に寝返り仲間を殺しにきそうな者は絶対に容赦しなかった。
 それが、「二君に仕えない」である。
 武士・サムライは、裏切りや寝返りは日常茶飯事であったが、寝返りや裏切りで出世もした。
 武士・サムライで絶対に許されなかったのは、親殺しと主家殺しで、追放や幽閉の簒奪は許された。
   ・   ・   ・   
 日本の庶民は、乱取りで攫ってきた日本人を中世キリスト教教会と白人非キリスト教徒商人に奴隷として売って金を稼いでいた。
 日本人の命は、金で買えた。
   ・   ・   ・   
 全ての事には善い面と悪い面が存在し、100%善い事はなく、100%悪い事もない。
   ・   ・   ・   
 昔の日本は、それぞれの条件に合わせ100%から0%の間で、多く貰うから少なく貰うかの差があって当然として「程ほど」のところで満足していた。
 現代の日本は、100%か50%か0%かの絶対平等で、同じくらい貰わなければ納得できなくなっている。
   ・   ・   ・   
 同調圧力村八分は、日本人がグローバルな西洋的近代化に脱皮できずローカルな日本的ムラ根性の呪縛を受けている証拠である。
   ・   ・   ・   
 弱い者が、人の痛みを知っているとは限らない。
   ・   ・   ・   
 昔の日本人は「弱い者イジメは男の恥」と嫌われた。
   ・   ・   ・   
 日本の庶民には、哲学・思想の儒教も、宗教のキリスト教も、まして主義主張のマルクス主義共産主義)さえも、自分の個としての我欲・私欲・強欲をかなえてくれる「現世利益」がなければ無用な物として受け容れず排除した。
   ・   ・   ・   
 日本の庶民は、将来に対して夢も希望もなければ持つ事もなく、今を生きている事だけで満足し、思い煩う事はなく、悩むことも少なく、死後の事などどうなろうが一切気にしなかった。あるのは、今この時、現在だけであった。
 女が欲しければ、他人の家に夜這いをかけて妻か娘を抱き、神社仏閣の夜祭りで相手が誰か分からない女を抱いた。
 女性は、夜這いしてくる男に抱かれ、男が欲しければ夜祭りで見ず知らずの男と寝た。
 自由奔放に生きた庶民の女には、操を守るという貞淑観念など微塵も持たず、亭主が知らないところで間男を作って楽しんでいた。
 夫は、妻が知らない男の子を生んでも我が子として育てた。
 庶民の親子関係とは、「托卵」であった。
 その風習は、縄文時代から受け継がれたものであった。
 日本民族日本人は、乱婚を繰り返し血が汚れた混血(ハーフ)の雑種民族であった。
   ・   ・   ・   
 江戸時代まで、庶民の大衆浴場は男女混浴であった。
   ・   ・   ・   
 江戸時代の江戸・大坂・京など大きな町は男性が多く女性が少なかった為に、女性が大事にされた。
 一生涯結婚できない独身男性は、吉原などの官許遊郭、私娼街の岡場所、流しの夜鷹などで女遊びをしながら死んで行った。
 江戸時代は自由恋愛のフリー゠セックスの為に梅毒などの性病が蔓延し、おおかたの庶民は一度は梅毒に感染していた。
 遊び好きの男は、梅毒に感染し症状が治まっている遊女を好んで買った。
   ・   ・   ・   
 日本の家族とは、子供に期待するが、父親には期待しない。
 馬鹿な亭主は外で遊んでくれた方は、家庭は楽しかった。
 子供は、母親に味方して父親を嫌い、老いた母親の面倒をみるが、老いた父親は煙たがって捨てた。
 それが、亭主関白のなれの果てで、男は悲惨な人生を送る。
   ・   ・   ・   
 何故、日本人が同調圧力村八分に暴走するのか、それは日本式日本農業法にある。
 日本式農業法とは、隣近所と同じ時期に同じ方法で同じように農作業をする、という事である。
 つまり、日本の農作業は隣近所を見て行う為に、隣近所を神経質なまでに意識し、隣近所と違う事をしないように注意した。
 それは同時に、違った作業をするの者が近所にいたら、隣近所が総出で皆と同じ事をするように注意し、同じようにしなければ批判し・非難し・抗議し・攻撃した。
   ・   ・   ・   
 弱い者は、ストレスが溜まると自分より弱い相手に対して陰湿・陰険なイジメ・意地悪・嫌がらせを行い、追い詰められると理性をなくし半狂乱となって手に負えなくなり無駄と分かっていても暴走して破滅・自滅する。
 その良い例が、負けると分かっていた太平洋戦争であり、カミカゼ特攻や万歳突撃などの玉砕である。
 あたかも、増え過ぎたネズミが暴走して海に飛び込んで集団自殺するのに似ている。
 弱い者・脆弱な者・ひ弱な者の半狂乱の暴走には、行き着くとこまで行かない限り途中での理性による歯止めは利かないし、破滅的結果を目の当たりにして我に返るまで誰も押し留める事はできなかった。
   ・   ・   ・   
同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書)