⛲25〉─1─日本人は身寄りのない孤独老人に冷たく部屋を借したがらない。~No.117 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・     
 一人の孤独な老後を自由に気ままに生きるには、自分が選んだ選択としての重い責任と如何なる事も耐える覚悟が伴う。
 自分に降りかかる事態は、国家や社会、世間や他人が悪いのではなく自分が好んで招いた結果で、結果が悪いとして逆恨みするの愚かな事で自業自得である。
 それが、人生における自己責任である。
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 少子高齢化による人口激減で家族のいない孤独な高齢者が増えるや、日本社会は老人が孤独に大量死する死臭漂う生気のない陰気な社会となる。
 それが、老人が多く若者が少ない人生100年時代である。
 そこは、未来への夢を膨らまし希望を持ち望みを叶えようという溌溂とした青少年のバラ色の世界ではない。
 死を待つ老人の国家であって、将来に大望を抱く若者の国家ではない。
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 日本人において「孤独の寂しさ」は、男性と女性では全然違い、男性は精神力が弱いために精神的ダメージは深刻で死に陥る危険性が強い。
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 2021年4月16日 MicrosoftNews AERA dot.「家は借りられず国は在宅死を推奨 「高齢者差別」の現実
 © AERA dot. 提供 作家の下重暁子さん
 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、高齢者差別について。
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 住まいの近くに仕事部屋を移そうとして、行きづまった。物件はあるのだが、貸してもらえないのである。理由は高齢者であること。確かにチラシを見ると、「高齢者要相談」と書いてある。
 今まで借りていた部屋は、貸主が私を知っていたのと、法人で借りることが条件で、気持ちよく借りられた。
 しかしこれも、私のところが法人になっているからできたこと、もし個人の場合は、無理だったろう。高齢者はそれまでの蓄えがあったり、現在も仕事をして収入があっても、いつ倒れるかわからないし、孤独死などされては迷惑だという恐れから、貸主がOKしない。何と住みにくい世の中か。
 私を始め、今は、八十代、九十代になっても元気に仕事をし、人生を楽しんでいる人も多いのだが、高齢ということのみでひとくくりにされて、住む場所を確保することもおぼつかない。
 世の中には、私の友人のように、自分の家を持つことを拒否し、一生借家で過ごしたいという主義の人もいるのだが、これでは、その人の生き方すら認められず、高齢になった場合、住む場所すらなくなってしまう。
 もちろん家族が一緒の場合はOKなのだろうから、高齢者が独りであることが問題なのだろう。
 しかし、現実は、ひとり暮らしの高齢者が増えていることも確か。しかも元気で楽しく仕事も生活もエンジョイしている。人生の晩年を好きなように生きている人たちの自由が奪われてはならない。
 おひとりさまの高齢者が在宅死をしたいと願うなら、まず、持ち家があることが条件になる。静かに一人ひっそりと息を引き取りたいと願ってもまわりが許さない。
 やれ孤独死だ、福祉の貧困だと騒ぎたて、そっとしておいてくれず、いくら介護の条件や他人に迷惑をかけない死を選ぼうとしてもうまくいかない。
 それでいて国は、在宅死をすすめている。それはあくまで家族がまわりにいて、面倒を見てくれる場合なのだろう。一人で自由に自分の家さえ借りられず、住むところを選ぶ権利すら高齢者には許されていないのだろうか。
 「高齢者」と年齢でひとくくりにすることをやめたい。みな個人で、一人一人違う考えを持ち、一番自分らしい最後を生きたいと願う人たちの自由を奪わないでいただきたい。施設に入らずともひとり暮らしで楽しく仕事も趣味も持ち、生涯現役の人が増えている。寿命も九十歳、百歳など珍しくない昨今、自分で生き方を選べる社会であって欲しいのだ。
 高齢者差別が存在する現状をある小冊子に書いたら、スポンサーからクレームがきて、差別という言葉をやめてもらいたいと言ってきた。
 性差別をはじめ、実際に差別があるというのに、差別という言葉を使わないわけにはいかない。ということで、その原稿はとりやめにしたが、差別という言葉への差別すら、この世に存在することを知らされて唖然としてしまった。
 ※週刊朝日  2021年4月23日号」
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下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。主な著書に『家族という病』『極上の孤独』『人間の品性』ほか多数
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