⛲26〉─3─老人の社会的孤立。日本人男性を襲うひとり寂しい晩年と悲惨な無縁死。〜No.124 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の集団主義にける日本人男性の老後は、家族・家庭から嫌われ爪弾きにされ、地域で老害として煙たがられ除け者にされる、家でも社会でも一人隅に追いやられ孤独・孤立・無縁になる事が多い。
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 現代の日本が昔の日本とは違うように、現代の日本人は昔の日本人とは違い、日本人といっても日本民族と日本国民とは違う。
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 2021年12月16日号 週刊新潮「お金の問題だけじゃない
 老後の一大危機『社会的孤立』を防ぐ法
 定年、それは職場というひとつの『社会』の喪失を意味する。そして、ふと気付くと自分の周りには誰もいなくなっていた・・・。お金とともに、孤独の大問題である『社会的孤立』。いかにして孤独に苛(さいな)まれる事態を防ぐか。ひとり寂しい晩年を迎えないための処方箋。
▶早期死亡リスク50%増の『死に至る病
▶『定年後』新たなコミュニティに肺っていけない。
▶『日本のオジサン』は世界一孤独⁉
▶『嫌われる中高年』に8つの類型
▶『コミュニケーション力』は鍛えられる
 岡本純子
 『自分、不器用ですから』。そう言って多くを語ろうとしない高倉健レイモンド・チャンドラーの小説に出てくるハードボイルドな主人公。未だに日本ではこうした寡黙な男性が『理想像』として語られています。ペラペラ喋らずに黙って働き家庭を支える、それこそが男なのだと。
 どこか不器用で、それでいて愛すべき存在のオジサンたちを追い求める『男らしさ』。しかしそれは、ひとつの大きな代償を払うことで成立しています。
 退職後、『社会との唯一の窓口』であった妻を亡くした男性が、社会との接点を完全に失い、後を追うように亡くなってしまった。
 人生でただひとつの生きがいだった仕事を辞めた男性が、近所のコミュニティへの溶け込み方が分からずに家に閉じこもってテレビを見てばかりいる。
 上場企業の役員だった男性が、現役時代のプライドを引きずったまま、マンションの理事会で『オレ様トーク』ばかりするので老害化し、孤立している──。
 あなたの夫や父親、あるいは周りに、このような男性はいませんか?
 男らしさの追求、それは『日本の男性は世界一孤独である』という代償の上に成り立っているのです。

こう解説するのは元新聞記者で、『コミュ力』の強化を支援するコミュニケーション・ストラテジストの岡本純子氏。

 これまで1,000人以上の社長や企業幹部らにプレゼン・スピーチなどのコミュニケーションコーチングを行ってきた岡本氏は、数多くの『オジサン』と接してきた。
 それは同時に、無数の『孤独なオジサン』と向き合う機会でもあった。
 実際、OECDの調査では、『友人や同僚、もしくは他の人と時間を過ごすことのない人』の割合は日本の男性が、16.7%と加盟国中最も高く、平均値の3倍近かった。また、65歳以上の単独世帯を対象にした国の調査によると、会話の頻度が2週間に1回以下である女性は3.9%に対し、男性は16.7%と実に4倍以上を記録した。
 日本は孤独大国であり、とりわけ日本の男性は『世界一孤独』であることが数字上も裏付けられているのである。
 定年後、ふと気付くと職場以外のコミュニティを持たずに孤独に苛まれたある男性が、思い立ってコミュニティセンターに通ってみることにした。ところが、彼はコミュニティセンターの女性講師のストーカーと化してしまい、周囲に煙たがられ、一層、孤立してしまった・・・。
 身の回りに孤独な男性はいないか尋ねると、こんな話を耳にすることがあります。なぜこの男性は、孤独の解消を求めてコミュニティセンターに通い始めたのに、逆に、より孤立してしまう結果となったのか。それは、日本の多くの中年男性が『コミュニティ』と『コミュニケーション』に問題を抱えているからです。
 女性は『共感トーク
 まずコミュニティの問題について考えてみます。今の中高年世代の女性には専業主婦も少なくなく、子育てを通じて『ちょっとしたお喋りができる知り合い』というコミュニティを持っていて、それが老後になって活きてくる。一方、『24時間戦えますか』を体現してきた同世代の男性は、職場と家庭以外の『第三のコミュニティ』を作ることが難しかった。そのため定年で職場を失うと、『社会』との縁がプッツリと切られてしまうのです。
 次ぎにコミュニケーションの問題です。日本の社会、とりわけ男性社会である企業の中のコミュニケーションはヒエラルキーに基づいています。上の立場の人に敬語を使い、下者の立場の人には命令するのが当然。この上意下達のコミュニケーションは、友だちをつくるに必要な『フラットなコミュニケーション』とは対照的なものです。
 しかし、企業というヒエラルキーの中でどんどん偉くなっていくと、次第にフラットなコミュニケーションの取り方を忘れてしまい、つい上から目線の話し方をしてマウントを取りがちになり、嫌われる。その延長線上に待っているのが、『コミュニティセンターの女性講師にストーカーする定年後の男性』なのです。
 私がコミュニケーション・ストラテジストとして接してきた日本人エグゼクティブの99.9%はオジサンでしたが、彼らのコミュニケーションに対する考え方はふたつに大別することができます。
 ひっつは『オレ様流コミュニケーション』です。コミュニケーションが上手いと自負している人に限って、相手の気持ちを考慮せず、自分に酔いしれて一方的に話し続ける。つまり、伝える努力をしていない。
 そしてもうひとつは『諦め派』。自分は確かにコミュニケーション下手だが、持って生まれたものなのだから仕方がないと諦めてしまう。しかし、その必要はありません。コミュニケーションとは才能ではなく、筋肉同様に鍛えられるものだからです。
 事実、アメリカでは、幼稚園の頃からコミュニケーション術を学び続ける風潮があり、ニューヨークの街角ではコミュニケーションに関するワークショップが開かれています。アメリカ人はジムで筋トレするような感覚でワークショップに行き、肩書きも性別も関係なく知らない人と話すことができるコミュニケーション力を鍛えている。このように、コミュニケーション力とは『慣れと場数』が9割なのですが、『諦め派』は早々に匙を投げてしまう。結果的に、社会的孤立に陥りやすくなってしまいます。
 こうした日本の中高年男性と比べると、女性はそもそも『お喋り』に抵抗感がない人が多い。男性が1日平均7,000語話すのに対し、女性は2万語という説もあるほど。実際、私の父親は典型的な昭和のサラリーマンで口数が少ない。対して母親は、これまた典型的な昭和の専業主婦で、道端でも電話でもぺちゃくちゃ喋っている。父親はそれを見て『どうしてそんなに意味のないことを延々と喋っていられるのか』と、不思議で仕方がないようです。
 なぜ、コミュニケーションにおいて、このようなジェンダーギャップが生まれるのか。アメリカ・ジョージタウン大学のタネン教授による1990年代のベストセラーには、『女性はラポール(共感)トーク、つまり、社会的所属と感情的つながりを重視するコミュニケーションスタイル、一方の男性はレポート(報告)トーク、つまり、感情を交えることなく、情報を交換することに主眼がある』と書かれています。要は、男性は目的がないと人と話すことができないのに対し、女性は話すこと自体が目的なのです。
 『個独』と『孤毒』
 では、社会的孤立を防ぐためのコミュニケーション力はどうすれば鍛えることができるのか。今日からでも実践できるそのコツは、『聞き役に徹する』と『質問する』。なぜなら、人間は非常に強い承認欲求を持っているからです。聞き、質問し合うことで、お互い承認欲求が満たされ、円滑なコミュニケーションが生まれるのです。
 私は、コミュニケーション下手で嫌われる中高年男性を8つに分類しています。
1-むっつりオヤジ
2-威張るオヤジ
3-ダメ出しオヤジ
4-説経オヤジ
5-昔話オヤジ
6-自慢オヤジ
7-キレるオヤジ
8-文句オヤジ
 以上の円滑なコミュニケーションを阻害する要因の、それぞれの対処法は以下の通りです。
1-挨拶をする
2・3-ほめる
4・5・6-耳を傾ける
7-笑顔を浮かべる
8-お礼を言う(感謝する)
 いずれもごく当たり前のことのように思えますが、『高倉健信奉オジサン』は意外とこれができていません。例えば『ほめる』。自分はいつも部下をほめていると思っている人も多いかもしれませんが、ほめた後に『でも、しかし』と続けていませんか?その後に注文をつけてしまうと、相手は注文のほうばかりを気にしてしまい、そこにラポール(共感)は生まれにくい。
 このような努力が本人側に求められる一方で、社会的孤立を防ぐ対策は社会の側にも求められるでしょう。
 例えば男性は、『寂しいから』という理由だけで自らコミュニティに参加することに抵抗感を覚えやすい。孤独を認めることは『敗北』だからです。何か目的があってきたのだという『建て前』が男性には必要なのです。実際、いちはやく『孤独担当大臣』を置いたイギリスなどでは、孤独解消のための場所ではなく、あくまで一緒に『(高齢者向きの)歩くサッカーをするため』、あるいは『DIYをするため』といった名目で男性が集める空間『Men’s Shed(男の小屋)』が多数設けられています。
 『こどく』には、『個独(ソリチュード)』と『孤毒(ロンリネス)』の二つの側面があります。『ひとりの時間っていいね』という意味で『個独』を楽しむ分には全く問題ないわけですが、『ひとりでいて寂しい』という『孤毒』の感情を押し殺すべきではありません。
 しかし、レイモンド・チャンドラーの小説の登場人物のように、ひとりでタフに生きていくことに憧れている『孤独信仰』の強い日本の男性は、『個独』を選んだはずなのにいつの間にか『孤毒』に陥っていたというケースが少なくない。そして、アメリカ・プリガムヤング大学のホルトランスタッド教授は2010年、『社会的繋がりを持つ人は持たない人に比べて、早期死亡リスクが50%低下する』という分析結果を発表しています。孤独はまさに『死に至る病』なのです。
 ですから、老後のための『蓄財』を意識するのであれば、人との繋がりや繋がる力を蓄えていく『蓄人』も意識していただけたらと思います」
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 日本の、女性は体力はないが度胸があり強く逞しいが、男性は体力はあるが気弱で臆病である。
 日本人の老後は、女性は生気をみなぎらせて輝くが、男性は衰え枯れ朽ち果てる。
 それが、傲慢な亭主関白の老いさらばえた「哀れ」な成れの果てである。
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 世間と言われる日本社会においては、年老いた男性は「醜悪な老害」として若者から煙たがられ女性からは嫌われる。
 事実、孫に好かれるのは、祖母が多く、祖父は少ない。
 日本人男性は、年老いてからは日陰者のように肩身を狭くして死んでいくのが運命である。
 その意味で言えば、人生100年時代の老人とは、女性には幸せであるが、男性には不幸である。
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 昔の日本は、人生50年時代で人口が激増し、若者が多く老人が少なかった。
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 姥捨て山に捨てられる老人とは、女性・母親ではなく男性・父親である。
 親孝行の話で子供が庇うのは、老いた父ではなく老いた母である。
 親心を持つ母親は、子供の為を思い、子供を庇い、子供に迷惑をかけたくない、子供を犠牲にしたくない、その一心で自ら身を退く。
 日本において子を思う親として、慈母は多いが慈父は少ない。
 その傾向が強かったのは、武士・サムライという人殺しを生業とした職業軍人達であった。
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 日本の伝統文化とは、仕事を引退し、社会から隠居した、暇な老人の手慰めによる趣味文化・年寄り文化であって、活力に満ちた血気盛んな若者の娯楽文化ではなかった。
 玄人・プロ・専門家は、同業他者すべてと命を賭けて競い、ナンバーワンとオンリーワンを目指し追求した。
 素人・アマチュア・趣味人は、他者を気にせず、競わず、自分だけ大事としてオンリーワンを目指した。
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 人生50年時代。野心や上昇志向のない平凡な武士は出世を望まず、30~40歳の壮年で家督や役職を15歳前後の息子・婿養子・他家養子に譲って隠居して趣味に生きて死んで行った。
 昔の老人の年齢とは、50歳以上であった。
 男性の厄年が61歳迄しかないのは、「喜寿は稀なり」で70歳以上生きる者が極めて少なかったからである。
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 日本社会は、老人、高齢者、特に男性に対して冷たく自助努力を強要し、できなければ切り捨てる。
 歴史的に、家・家庭・家族や社会・世間・世の中から逃げるように隠居して「ひとり」隠遁生活をおくるのは中高年男性だけである。
 中高年女性は、何があっても「皆」がいる家・家庭・家族や社会・世間・世の中の中に留まる。
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 日本人男性の欠点は、「そもそも男子たる者は」という男のプライドや沽券を捨てず固執する事である。
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 少子高齢化で人口激減する日本。
 人生100年時代で老人が増え若者が減る。
 高度経済成長やバブル経済で働いてきた老人は、すくなからずの個人資産を持っている。
 バブル経済崩壊後の衰退経済を非正規や日雇いで生活している若者は貧しく、将来の為に資産を貯める事ができず、結婚はできず、結婚しても子供をつくれず、親に年金と自分の低賃金でなんとか食っていくのがやっとである。
 日本は、途上国並みの国力しかない。
 老人問題、老後問題の深刻さは、国力に余力がまだある現代の老人ではなく、国力がさらに衰える20年後、30年後に老後を迎える現代の若者である。
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 日本民族は、石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭り繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁を求める文化である。
 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ無にして消し去る事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、一人になりたい、一人で生きたいという憧れである。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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 日本民族は、血の繋がった祖先から命・魂(霊魂)、身体、心、志、気持ち、気概を受け継いで産まれ生きてきた尊い人であって、全知全能の唯一絶対神が自分に似せた姿に土塊・塵・ゴミをこねて形を整え命・魂を吹き込み祝福した貴い土人形ではなかった。
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 日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事で日本民族の事ではない。
 帰化人は日本民族の一員とされたが、渡来人は日本人と呼ばれても日本民族から排除された。
 何故なら、帰化人は利他として天皇に忠誠を誓い日本国の為に働いたからであり、渡来人は自利として天皇への忠誠を拒否し日本国に叛き自分の為のみに働いたからでる。
 昔の歴史は帰化人の神話・物語であったが、現代の歴史は渡来人の話である。
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 日本民族は自分の父母・祖父母・曾祖父母・祖先を、「家の神様」として神棚に祀り、「家の仏」として仏壇に納めた。
 家の神様や家の仏様は、必ずしも血縁者だけではなく血の繋がりのない赤の他人の他家からの養子も入っている。
 日本の世襲とは、そういう意味である。
 日本民族の宗教とは、自分につながる祖先を祖先神・氏神様として祀る人神崇拝宗教つまりローカルな家・家族・一族限定宗教であって、天地創造絶対神の福音を信じる信仰宗教・啓示宗教・奇跡宗教・救済宗教といった人種・民族といった枠組みを超えたグローバルは普遍宗教ではない。
 その象徴が、最高神である女性神天照大神を祀る天皇家・皇室である。
 日本の宗教では、仏教が伝来するまでは人が死んで行く死後の世界はなかった。
 天上界の高天原も地下界の黄泉国も、死ぬ事がない天孫系(天皇系)の天つ神が住む世界であり、死んでしまう八百万の神である国つ神が行ける世界ではないし、ましてや人が死んでいく世界でもなかった。
 死んでしまう国つ神や人は、死んだら神域である鎮守の森・ご神体とされる高い山・大岩・巨木・海の向こうに宿り、家の近く・家族の近くにある地元の氏神神社に鎮座した。
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 祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
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 人は、二人の両親から産まれてくる。
 日本民族の祖先な数は?
 日本人の命が尊いわけ。 
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 祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14世代前では、8,192人。
 23世代前には、419万4,304人。
 25世代前では、1,677万人。
 27世代前では、1億3,422万人。
 だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。 
 30世代前には、5億3,687万912人。
 40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
 50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
 100世代前の、祖先の人数は?
 指数関数的な増加。
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 祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
 今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
 それが、命の重みである。
 そして、日本の家である。
 昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
 ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
 この世は、生きるに値する。
 命は、等しく尊い
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 祖先神・氏神の人神崇拝とは、永遠の命、生命の連続、命の継続として、祖先から子孫への絆であった。
 日本民族は、家族・自分の欲得としての短期的願望と家・子孫の理想としての長期的願望を持っていた。
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 イザベラ・バード「わたしは死んだ過去の時代の霊魂が私の背後に近づいてくる、と感じた」(伊勢神宮参宮して)
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