🍜ブログ共通記事〉─1─自然の旨み成分が日本民族の性格・性質・体質に強い影響を及ぼしていた。 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
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 日本民族は、戦後民主主義教育の歴史教育が教えるような、殺し合いを好む血に飢えた人間ではないし、戦争ばかりしていた好戦的な人間でもなかった。
 現代日本に流布している日本像・日本国像・日本人像の半分以上はウソで、特にキリスト教価値観・マルクス主義価値観・中華儒教価値観による日本民族像は9割がウソである。
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 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から甚大な自然災害が多い日本列島に住み着き、奪い合う事もなく争いを起こさず、相互補完で、共存と共生、依存と自立、他力と自力で、自然を崇拝する民族宗教を信じながら、平和で穏やかに生きていた。
 日本は他国を侵略する可能性があるは、ウソである。
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 日本民族人間性は、数万年前の石器時代縄文時代から変わっていない。
 見た目が同じ日本人でも、現代の日本人と昔の日本人は別人のような日本人である。
 現代の日本には、数万年前の石器時代縄文時代はもちろん数千年前の弥生時代古墳時代は存在しない。
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 2020年10月15日 /2022年4月18日「おヒューマニエンス「考える臓器・腸 脳さえも支配する?」の再放送・見どころは?
 2020年10月15日 2022年4月18日
 ヒューマニエンス 〜40億年のたくらみ〜
 「“腸” 脳さえも支配する?」
 放送 2020年10月15日(木)午後8時〜[BSプレミアム
 放送前の予告
 脳さえもコントロールする? 考える臓器“腸”に迫る!
 今回のテーマは「腸」。腸は自らが“考え”行動する臓器です。1億もの神経細胞と、栄養を判別するセンサーを持つ腸は、脳とは独立した生命体のように活動します。脳の神経細胞は、もともと腸から生まれたことから、いわば脳の親ともいえる存在なのです。さらに「人格」や「感情」、「好み」といった脳の本能的な部分に、腸が深く関わっていることもわかってきました。腸と脳という二つの“考える臓器”が交錯する、人間の根源を妄想します。
 腸は私たちの性格を左右する!?
 「腸」に始まる原始生命のカタチ
 現代病と腸の関係が浮かび上がる
 【司会】織田裕二,藤井彩子
 【出演】大原千鶴
 【解説】金井隆典,福土審,中村太郎
 【語り】藤井千夏
 腸から脳が生まれた!
 ヒドラという生物は、カラダのほとんどが腸。脳もなければ血液もない。それでも、口からミジンコを食べて栄養を摂取し、口から排泄する。
 脳だけでは生きていけない。でも、腸だけで生きていけるということ。
 つまり、腸は最初にできた臓器。腸の神経細胞が発達し、脊髄が生まれ、脳が生まれた。
腸は脳の親とも言える。
 脳内で働く神経伝達物質のひとつセロトニンは、もともと腸で蠕動運動を起こす物質として使われていたものだった。
 腸が性格を決める!?
 味覚センサーと言えば舌の「味蕾(みらい)」。しかし、味覚センサーは腸にもある。
 グルタミン酸などの旨み成分が入ってくると、腸が喜んで脳に伝達する。
 旨み成分を摂取することで性格が穏やかになり、旨み成分を摂取しないと攻撃的な性格になる…ということがラットの実験で明らかになった。
 脳と腸はお互いに情報を伝達し、影響を及ぼしあっている。
 腸内細菌が食の好みを決めているのかもしれない。
 脳は腸のドラ息子
 総持寺の僧侶たちは、1日3食、精進料理を食べている。その結果、花粉症やアトピーなどのアレルギー疾患が改善するという。
 精進料理には食物繊維が豊富に含まれており、快食・快便で腸が喜び、それが脳に伝達されることが背景にあるのではないか。
 しかし、人は腸が喜ぶ食事ではなく脳が欲する食事をしてしまう。そのために肥満や生活習慣病を引き起こしてしまう。
 独創の科学者はどんな夢を見る?
 中央大学中村太郎教授は、腸の蠕動運動を再現するロボットを開発した。このロボットは「混ぜながら運ぶ」という機能に秀でている。
 今後は、このロボットが宇宙ロケットにも活用される可能性があるという。」
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 2020年10月16日 教養ドキュメントファンクラブ「10/15 BSプレミアム ヒューマニエンス「"腸"脳さえも支配する?」
 脳は実は腸の息子だった
 人間は脳で考えていると思っているが、実は腸で考えているかもしれないという話。実は腸はかなり自立的に動いており、そこに張り巡らされている神経網は脳のものとそっくりなのだという。つまりは脳は実は腸から進化したのだという。
 原始的な生物であるヒドラはほとんど身体が腸だけで出来ており、脳や中枢神経がない。しかし食べ物を求めて自ら動きを回る。つまりは考える腸そのものなのだという。
 生命における最初の臓器は腸だった。しかしさらに進化して身体を制御するようになった時、身体の中心に神経を集中させた方が効率が良い。こうして脊髄が生まれ、さらにこの脊髄が高度な処理をするために神経の塊を作って、それが脳になったのだという。
 さらには脳内の神経伝達物質と腸の中の神経伝達物質には共通点が多いという。脳内物質で有名なセロトニンアセチルコリンノルアドレナリンなどは腸でも分泌されており、蠕動運動をする働きなどをしているという。つまり脳とは腸の子どもと言えるという。
腸でも味を感じている
 さらには味は舌の味蕾で感じていると思われているが、実は腸の絨毛にも味を感じる器官があるのだという。そしてこれが性格にまで影響するのかもと言う話。腸では基本の5味のうちの酸味以外のセンサーがすべて見つかっているという。その中で注目するのが旨味のセンサー。いわゆる出汁の味であるが、腸が旨味を感じると腸は喜びを感じている状態になるという。そもそも旨味は母乳に多く含まれているので、我々が最初に感じる味であるという。
 ここでラットを用いた実験があるが、一方のラットには成長期に旨味を与え、もう一方には旨味を全く与えなかった。すると旨味を与えられなかったラットは大人になってから強い攻撃性を示すようになったのだという。旨味は腸と舌の両方で感じられるが、ラットの腸からの神経を切って舌からのみ旨味を感じられるようにしたところ、旨味を与えたにもかかわらず攻撃性の高いラットになったのだという。
 この辺りは和食で旨味を摂っている日本人が協調的と言われる理由かもという類いの事を言っているが、まあそれは飛躍しすぎだろう。ただ最近の日本人を見ていると、旨味不足の輩が増えたんだろうかと感じずにはいられないが。
 脳と腸の密接な関係
 つまりは腸が脳に対して影響を与えているということが明らかになってきたと言うことである。だが逆に脳が腸に対して悪影響を及ぼす場合も多い。
 總持寺では若い僧が修行を行っているが、修行を始めてからアレルギーなどが改善したと語る者が多いという。それに影響を与えているのではと推測されるのが精進料理だという。旨味タップリの精進料理が腸を整えてそれが脳にも良い影響を与えているのではと言う。
 しかし現代人は暴飲暴食や多量のアルコール、果ては喫煙のように脳の欲望が腸に悪影響を与えている。また脳のストレスは腹痛や下痢を引き起こし、過敏性腸症候群などの症状につながる。腹痛のシグナルは脳の扁桃体を強力に活性化し、それが不安や鬱につながるのだという。腸がドラ息子化した脳に振り回されているのだという。
 これを解消する方法の一つが精進料理。腸を整えて快食快便になることで、その快適な信号が脳にフィードバックされ、脳が健康化するのだという。
 蠕動運動を再現したロボット
 最後は腸を参考にして蠕動運動を再現するロボットを作ったという中央大学中村太郎氏が登場。彼が開発したのは何段かに分けられたチューブが太くなったり細くなったりするものだが、これが腸の蠕動運動と同じ原理で物質を輸送するロボットだという。粘性が強くてポンプではうまく輸送できないような物質の輸送に適している上に、このシステムは輸送しながら中身を攪拌できる能力を持っており、腸はこの働きによって消化酵素を食べ物に混ぜ込むのだという。このロボットを使用すればロケットの固体燃料を混ぜながら輸送することが出来るので、ロケットの軽量化と安全化につなげられるという。織田裕二氏が実際にこのロボットに手を突っ込んでみているが、マッサージ器と同じと言っていたから、エアの圧力を使用しているようである。
 以上、腸が考えているという面白い内容。たまに胃袋で考えているような人間はいるが(笑)、まさか腸が脳の元だったなんてことは考えもしなかったし、腸の中に味覚センサーがあるなんてことも初耳だった。人間、食は生きていく基本であるが、どうやら我々が思っているよりもはるかにその重要性は高い可能性がある。ジャンクフードの増加と共に野獣のように自制の効かない頭のおかしなガキが増えたが、どうやらこれはもろに原因と結果が直結していたのではないかという気がしてきた。となると、これから重要性が増してくるのが「食育」というものになるわけか。まあ子どもにはまともなものを食べさせるのが大事なのは間違いない。何しろ小さい時から化学調味料だらけのファミレスに馴染みすぎた結果、まともな味覚を持ち合わせていないという子どもまで最近は増加しているというのだから。
 忙しい方のための今回の要点
・腸は自立的に働く能力を持っており、腸の神経ネットワークは実は脳と同じ構造になっている。
・そもそも原始生物では最初に誕生した臓器は腸であり、腸の自立的判断で生きていた。それが身体が複雑化すると共に制御のための神経が中央に集まって脊髄となり、さらに高度な処理をするための神経の塊が出来て脳となった。
・このため、脳内の神経伝達物質と、腸内の神経伝達物質はほぼ同じだという。
・腸には味覚センサーもあることが分かっており、成長期に腸の味覚センサーで旨味を十分に味あわなかったら、大人になってから攻撃的な性格になるというラットの実験結果がある。
・また脳の欲求やストレスが腸に悪影響を与えることもある。ストレスが原因となるのが過敏性腸症候群。腹痛の信号は脳の扁桃体を刺激するので、それが不安や鬱につながることもあるという。
・精進料理などで腸の状態を改善することで、脳の状態が健康化し、身体全体が健康になっていくと言うことが期待できるという。
・腸の蠕動運動は粘性の高い物質を混ぜながら輸送できる。このシステムを再現するロボットを開発し、固体燃料ロケットの燃料合成に使用しようという研究がなされている。
 忙しくない方のためのどうでもよい点
・人間の腸が考えているという内容はなかなかにして衝撃的で興味深かった。確かに腹の具合が悪い時は気分まで滅入ってくることは事実。また私は、美味いものを食えた土地は気に入るという習性があり、どうやら脳がろくに考えてない分、腸が思い切り考えているようである。
・男を落とすには胃袋をつかめという話があるが、実は胃袋ではなくて腸をつかめなのかも。まあ確かに、料理の下手な嫁ってのは家庭不和の大きな原因になりやすい。まあ今時はそれなら自分で作れという話になりそうだが。ちなみに私の知人は旦那の方が嫁よりも料理が上手だったことが原因で離婚になってしまいました。」
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 日本民族は、江戸時代から、昆布・カツオ・煮干し・他、味噌・醤油・他などを使って煮出した出汁(だし・だしじる)で海川の魚介類、山野の灰汁(あく)と食物繊維の多い根菜・山菜・山草・木の実、四季折々の旬の野菜、その他、などなど豊かな食材を料理した和食・日本料理を食べて生活してきた。
 その証拠が、腸が長い胴長短足という日本人特有の不恰好な体形である。
 和食・日本料理の出汁には、自然の「うま味」成分が豊富に含まれていた。
 が、江戸時代は数年おきに凶作が発生して、広範囲が飢饉となり、数多の人が飢え、多くの犠牲者・餓死者を出していた。
 飢えて死なない為に、食べられる物を旨み成分で調理して腹に詰めて空腹を満たして満足感を味わう事であった。
 日本の伝統料理とは、生きるか死ぬかの切羽詰まった究極料理であって、食べ物を粗末にする飽食の為の贅沢料理はなかった。
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 同じ人間・人類でも、日本人が西洋人・中東人や中国人・朝鮮人などの大陸人と性格・性質・体質が違うのは、伝統料理で染色体に刻み込まれた遺伝子情報である。
 日本で、大陸のような戦争や虐殺・略奪、殺害・強姦が少ないのは民族料理の御蔭であった。
 日本の伝統料理・民族料理=は和食・日本料理は、天皇を中心とした民族神話に基づく。
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 良い日本人は2割、悪い日本人は3割、良くも悪くもなく信念を持たず同調圧力付和雷同的に流される日本人は5割。
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 帰化人は日本民族に近い人間で、渡来人は日本民族から遠い人間である。
 帰化人は、天皇に忠誠を誓い、日本国に愛国心を抱き、天皇と日本国の為に働きそして戦った。
 渡来人は、天皇に忠誠を誓わず、日本国に関心を持たず、自分の為に働き、天皇と日本国に反旗を翻し反乱や暴動を繰り返していた。
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 歴史的事実として、日本よりも中国の方が戦争や虐殺が日常茶飯事的に起きていた。
 地獄のような中国や朝鮮からから平和な日本に、数多くの難民・避難民が逃げてきていた。
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 N フード・レストラン
 平安貴族料理 和食のルーツ
 栄華の味 みやびに浸る
 2015/11/18
 おでかけナビ
 11月24日は和食の日。2013年12月に和食がユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録されたことにちなんで制定した。和食は日本の伝統文化であり、代表格は京都の1200年の歴史を受け継いできた京料理だ。京都市内に無数にある京料理の店のうち、平安時代の料理を再現して提供する粋な有名店が2店ある。食欲の秋に定番の京都観光とは一味違う、和食のルーツを訪ねる旅はいかがだろう。
 萬亀楼の平安貴族料理の主要な品々。挿し花と特注の台が優雅だ
 そもそも京料理とは何か。明確な定義はないが、次のような特色が挙げられる。野菜や魚介類、豆腐、漬物など旬な素材の組み合わせ。軟水や薄口しょうゆで作った柔らかい薄味。繊細な包丁使いや美しい盛り付け。みやびな器――。ルーツは平安時代にたどることができる。
 京都・西陣の名水の地に300年近く店を構え続ける老舗料亭、萬亀楼(まんかめろう)がある。平安時代宮中料理を現代の風味にアレンジして提供している。タイやアユ、エビ、アワビ、ウニの魚介類や、大根やカブ、水菜の京野菜。これらの素材を盛った11品の料理を1品ずつ出す。
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 平安貴族も現代の日本人と同様に、美味なアワビやウニが好物であったらしい。珍味のカラスミ(ボラなど魚の卵巣の塩漬け)やコノワタ(ナマコの腸の塩辛)は平安時代に宮中に献納され、保存食や酒のつまみとして珍重されていた。
 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と栄華を極めた藤原道長。当時の複数の文献によると、道長はこの歌を詠んだ50歳代に実は糖尿病の症状に苦しんでいた。美食と運動不足がたたったのだろうか。
 刀のような包丁と箸で魚をめでたい形に切る平安時代からの儀式(京都市の萬亀楼)
萬亀楼の料理は高級な膳を季節の挿し花で飾り、見た目も色鮮やかで優雅だ。「お客様には日常の時を忘れ、みやびな気分に浸ってもらいたい」と主人の小西将清さんは話す。平安貴族料理は1人3万円(税・サービス料別)。客層は関東から訪れる観光客が多いが、外国人も目立つ。
 予約をすれば別料金で、小西主人が道長の時代から1000年続く古式ゆかしい食の儀式を披露する。平安貴族の装束をまとい、魚に手を一切触れずに、刀のような包丁と鉄の箸で切り分けていく。小西主人は生間(いかま)流式包丁の30代目の家元でもある。
 平安貴族料理を提供するもう1軒の店は、平安神宮近くの琵琶湖疏水沿いにある。1899年(明治32年)創業の京料理の六盛(ろくせい)だ。堀場弘之会長は「東京国立博物館にある平安時代の文献を参考にし、貴族料理を忠実に再現してみた」と語る。1116年に内大臣藤原忠通が自邸で公卿をもてなした宴会料理の10品である。
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 六盛の1品目。高盛りの白米の周りにアワビなどが並ぶ
 1品目の高く盛った白米が慶事を表す。白米の周りに、焼いたキジ肉やタコ、蒸したアワビなど8つの総菜を入れた金箔の器が並ぶ。数をそろえたごちそうであり、後の「おかず」の語源になった。平安貴族は塩、酢、酒、ひしお(しょうゆの元)の4種の調味料を足して食べた。「当時の料理をそのまま再現すると、干したものが多くて硬いし、塩漬けにしていて辛いので現代人の口に合わないと分かった」(堀場会長)
 このため顧客に出す平安貴族料理は、現代の出汁(だし)や調理法で今風の味に創作した。イノシシ肉はしぐれ煮の味付けをした。ちなみに京料理に欠かせないカツオと昆布の出汁が広まったのは江戸時代だった。六盛の平安貴族料理は1人1万2千円(税・サービス料別)。客層は源氏物語ファンの女性仲間や、特別な接待の席に利用する法人が多い。
 最後に、十数万人が住んでいた平安京の大多数を占める庶民の食事に触れておく。京都国立博物館所蔵の平安末期の絵巻物には、ご飯と汁物、質素な干物のおかずの器を地面に並べた「一汁三菜」が描かれている。貴族は白米を食べていたが、庶民は麦やアワ、キビの雑穀が主食だった。
 平安時代は飢饉(ききん)や疫病に幾度も見舞われ、都は荒廃した。庶民は料理を楽しむよりも飢えをしのぐことで精いっぱいだっただろう。飽食時代の今、そうした先人の苦労に思いをはせたい。受け継がれた食文化の遺産に感謝の気持ちを込めて。
 <マメ知識>新嘗祭と同じ日にならず
 「和食の日は本当は、収穫を感謝する新嘗祭(にいなめさい)が行われる11月23日にしたかった」と和食文化国民会議熊倉功夫会長は話す。勤労感謝の日と重なるため、日本記念日協会は翌24日を認定した。11月24日は「いい日本食」と語呂が良くて覚えやすく、ケガの功名だった。
 熊倉さんは「カレーやお好み焼きも和食ですかとよく聞かれる」と苦笑する。「和食の解釈で結構です」と熊倉さんは答えているが、伝統的な家庭料理のご飯、味噌汁、おかずの一汁三菜が和食の基本という。
   (京都支局長 岩田敏則)
 [日本経済新聞夕刊2015年11月17日付]」
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 2019年10月22日 産経新聞「「饗宴の儀」平成踏襲、日本料理で 菜食主義 「ハラル」メニューも
 「饗宴の儀」平成踏襲、日本料理で 菜食主義 「ハラル」メニューも
 天皇陛下のご即位を祝い、国内外から広く賓客を招く「饗宴(きょうえん)の儀」の料理は、平成の祝宴を踏襲し、宮中晩餐(ばんさん)会のようなフランス料理ではなく、日本料理となった。国賓が訪れた際に開かれる宮中晩餐会よりも、かなり規模の大きい祝宴となるため、コンパクトに提供できる日本料理が選ばれた。また、各国の宗教や食文化に配慮したメニューも準備された。
 外国元首らが招かれた22日の献立は前菜▽酢の物▽吸い物▽加薬ご飯▽焼き物▽揚げ物▽果物-など9品目。鯛の姿焼きや牛肉アスパラガス巻きなど、平成の献立をベースにした通常メニューのほか、魚介や肉の代わりに野菜や高野豆腐、湯葉などを使った「菜食主義」メニューや、イスラム教の流儀に則して処理した「ハラルミート」と呼ばれる肉を使用したメニューも選べるようにした。
 箸のほかにスプーンやフォークも置かれ、日本食に不慣れな外国賓客も食べやすいように配慮。日本酒のほか白、赤ワイン、フレッシュオレンジジュースなども用意した。宮内庁の担当者は「日本の山海の食材を使い、外国の方にも食べやすいよう工夫を凝らしたと話した。」
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 日本うま味調味料協会
 うま味の知識
 うま味の発見は日本人科学者
 日本では古くから料理に昆布だしが使われてきました。昆布に含まれる成分においしさの元があると、経験的に知られていたのです。
これに注目した東京帝国大学・池田菊苗博士は、昆布だしの味の正体を明らかにする研究を始めました。そして1908年、昆布からグルタミン酸を取り出すことに成功。グルタミン酸が昆布だしの主成分であることを見出し、その味を「うま味」と名づけました。
 池田菊苗教授
 東京帝国大学・池田菊苗博士
 UMAMIは世界共通の公式用語に
 グルタミン酸につづいて、かつお節に含まれるイノシン酸、干ししいたけに含まれるグアニル酸もうま味を呈することが解明されました。これらの研究成果は国際的な場でも取り上げられ、1985年に開催された第一回うま味国際シンポジウムを機に、うま味(英語表記=UMAMI)という用語が国際的に使用されることになりました。
 UMAMI
 うま味を発見した池田菊苗博士は日本の十大発明家の一人
 うま味の成分を解明した池田菊苗博士は、グルタミン酸を主成分とした調味料(グルタミン酸ナトリウム)の製造法特許を取得。博士はこの功績によって、「日本の十大発明家」の一人に選ばれました(特許庁は、日本の工業所有人権制度100年〈昭和60年4月18日〉を機に、歴史的な発明者の中から10名を選定。)。
 1909年には最初のうま味調味料が市販され、1940年代までには世界各地でも販売。発明から約110年たった現在では世界100カ国以上で広く使われています。
 世界各国のうま味文化
 西洋と東洋のうま味の食材比較
 うま味は日本で発見されたものですが、世界各地で様々なかたちでうま味が使われてきています。アジアでは豆や穀類、魚介類を原料にした発酵食品やしいたけ、昆布、魚介類の乾物などのうま味が主流。一方、ヨーロッパでは同じ発酵食品でも生乳や肉を原料としたチーズや生ハム、そしてトマトのうま味が様々な形で料理に使われています。
 アジアの発酵調味料
 世界各地では様々な発酵調味料が使われています。
 タイのナンプラ、ベトナムニョクマムのような魚醤類や、味噌や醤油に代表される穀醤類はアジアの国々で古くから愛用されてきています。
 発酵調味料は魚や豆類、穀物などの原料を塩漬け、発酵させたものですが、発酵の過程で原料中のタンパク質がアミノ酸に分解されることで、うま味物質であるグルタミン酸を豊富に含んだ調味料ができあがります。特にアジアの水田稲作地帯ではこれらの発酵調味料はうま味と塩味を加える調味料として毎日の食事に欠かすことができません。特に味付けをしていない白いご飯とともに野菜や魚介類を中心としたおかずをとるのもこれらの国の特徴です。米食文化とうま味は密接なかかわりを持っているのです。
 古代ローマの発酵調味料
 古代ローマ帝国では、ワインやオリーブオイルと同じように貴重な食材として「ガルム」や「リクアメン」と呼ばれる魚醤が各地で作られていました。その製造方法は東南アジアで作られている魚醤と同じで、サバやイワシなどの魚を塩漬け、発酵させたものです。特に発酵したものを最初にろ過した琥珀色の一番絞りの「ガルム」は大変高価なものとして珍重されていました。
 有名な古代ローマの「アピシウスの料理書」には沢山のレシピが紹介されていますが、塩や砂糖がなかった当時のレシピにはガルムと蜂蜜が頻繁に使われています。ガルムはうま味と塩味を加える調味料として愛用されていたのでしょう。ローマ帝国の滅亡とともにガルムは姿を消してしまいますが、アンチョビーペーストやソースなどは、その名残であるといわれています。
 世界に浸透したトマトのうま味
 南米原産のトマトはコロンブスの新大陸発見によってヨーロッパに持ち込まれました。最初は薬用として使われていたようですが、イタリアで品種改良も行われて食用として使われるようになり、いろいろな料理のベースとしても使われるようになりました。今ではイタリア料理にはトマトは欠かせない食材ですが、その歴史は以外と新しいものなのです。イギリスではトマトを始め沢山の野菜を原料にウスターソースが作られ、やがてトマトソースやペーストとともにアメリカ大陸に渡り、ケチャップやチリソースなど、様々な加工食品が誕生します。今ではトマトは世界で最も生産量の多い野菜の一つで、トマトのうま味は世界各地で愛用されています。
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 日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
 つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
 つまり、日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりである。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 西行法師の伊勢神宮参拝。「何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
 何もしない勇気
 最適化された世界の窮屈さ
 ……
 太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
 ……
 『浅はかな干渉』が生み出す害
 ……
 『注意の搾取』が奪い去ったもの
 私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
 だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
 ……
 物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
   ・   ・   ・   
 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
  地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きる。
 それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
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 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
 彼らには、数万年前の石器時代縄文時代と数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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 日本の自然は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
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 日本民族は、石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁、わび・さび、捨てて所有しないを求める、「何も無い所」に時間と空間を超越し無限の広がりを潜ませる文化である。
 それが、日本人が好む「色即是空、空即是色」である。
 日本文化は、中国文化や朝鮮文化とは異質な独立した特殊な民族的伝統文化である。
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 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ「はかなく無にして消し去る=漠として死を見詰める」事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
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 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
 如何なる時も、オンリーワンとしてナンバーワンとして我一人である。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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 女性は、子供を産み、子供を育て、末代まで子孫を増やしていく、つまり「命を喜びを持って育み、有を生みだす」存在である。
 日本における女性差別は、「死を見詰めて無を求める男」と「命を生み有りに生き甲斐を感じる女」、ここから生まれた。
 つまり、男尊女卑と一口で言っても現代と昔とは全然違う。
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 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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