¥9〉─1─救命ボートの選別。偏見なき平等主義。~No.28No.29No.30 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本の覚悟を砕き決断を阻む平等原理主義と悪徳ゼロの原則。
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 日本は「一寸の虫にも五分の魂」の世界で、生きる権利は平等に尊重される。
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 トロッコ問題。
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 2020年8月13日・20日号 週刊新潮「医の中の蛙 里見清一
 救命ボートの倫理
 誰を見捨てるのか
 パンデミックの第二波が本格的に起こって、重傷感染者が爆発的に増え、すべての患者を救命することは物理的に不可能になった、とする。救える人数は限られている。ここで医療者は、誰を『優先的に』治療するか、という『トリアージ』を行わなければならない。逆から言うと、『誰を後回しにする(もしくは見捨てる)のか』の判断でもある。それをしなければ、全員が、医療者もろとも、共倒れとなって水の底に沈む『救命ボート』なのである。6月24日の朝日新聞夕刊は、京都大学東海大学の医療倫理学の先生に取材して、このテーマを取り上げた。
 そのこと自体は評価できるが、最後まで読んでも、『議論を続ける必要がある』『透明性が高い議論をすれば市民の協力も得られるはず』だけで、肩すかし気味である。東海大学の先生たちは感染爆発時の人工呼吸器配分についてのルール案を公開したそうだが、記事には『判断基準をチャートで示した』として書かれていない。最終的に『誰を見捨てるのか』という嫌な結論を書かずに、議論の必要性を結論にするのはまことに朝日新聞的である。
 同日の朝日朝刊では、同じ状況で、障害者の治療が『後回し』にされないかという懸念と、それへの警鐘も記事にしていた。これまた『(公正な指針作りへの)議論を求める』『障害を持つ人を除外するという社会の傾向を認識しない議論は危険である』と、『議論』云々で話が終わっている。誰に対してもいい顔をしようとするからだろう。
 ニューヨークやミラノでは実際に、『全員を助けようとすることはできない』状況になった。そうした際に医療資源をどう割り振るか、というガイドラインがいくつか医学雑誌にも掲載された。アメリカで最初に出された論文では、公平性とともに、ベンサム流の功利主義である『利益を最大化する』原則が掲げられていた。なるべく多くの人数を助けようということなのだが、それに加えて、『救える〝Iife‐years〟(生存年数)最大化』の目的も明記されている。要するに『助かった時に長い年数を生きる人が優先』、即ち『若い人優先』である。
 さらには『助かった人々』のQOL(生活の質)も考慮の対象になり、たとえばその後出されたユタ州ガイドラインでは、治療不能な神経筋疾患で日常生活に介助が必要な場合は救命治療の対象から外れる、となっていた。よって上記の、『障害者は後回し』になるのでは、という懸念は、杞憂ではない。
 祈りの力だけでは
 こうした点を反省して出された最近のガイドラインでは、患者のもともとのQOLは判断材料にしない(ベースにある障害などは考慮しない)、また集中治療から回復した後にどのくらい長生きするかよりも、この病態を乗り切れるかどうか(人工呼吸器をつけたとして、助かるかどうか)を基準に優先順位をつける、となっている。後者は、長生きするかはどのみち分からないから、という理由も大きい。その一方で、1年以内くらいの短期予想は判断材料にされ、末期癌をもっているような患者は集中治療の対象から外れる。そして、他の条件が同じであれば、やはり『若い人が優先』である。
 こういうトリアージもしくは『選別』自体に反対する人も、もちろんいる。ただそうなると、患者が来た順番に救命治療を行うのだが、大前提が『全員を治療するには医療資源が不足』だから、それが尽き、たとえば使用可能な人工呼吸器がなくなった時点で、以降の患者には『諦めてもらう』になる。考えてみるとこれだって、来院時期による『選別』である。そしてそれにより、『助かる』人の数は減る。
 ルイジアナの大学病院外科に勤務するチュー教授は『利益を最大限に』という功利主義原則のガイドラインに反対する一人だが、この戦争は『人命が失われても、人道を守るべき』と言い切っている。これはある意味で、『優先順位をつけるべきだ』と主張するよりも覚悟がいることだろう。救命ボートに乗せる人を決めるのではなく、みんな仲良く沈むべし、と言っているのだから。
 ところで、東大衛生学の名誉教授である大井玄先生は、医者はどうしてもそういうトリアージの判断を下さなければならない立場に置かれることがある、その時医者は『神』としてふるまう(『あなんたは諦めろ』『お前は助けてやる』みたいな)ことを強いられる、ゆえに『患者様』なんて言葉は欺瞞だ、と主張されておられる。だから結局、『選別』の基準なんて考えたくない、という医者は、そういう非常に辛い立場(誰が『神』になって、他人の運命を決めたいものか)から逃げているだけで、そんな根性なし連中が『患者様』なんて言葉を使っているのだろう。
 朝日新聞は『考えること』を提起しているだけまだマシだが、『議論を』で終わりにしているからやはり逃げ腰である。こう書くからには私もここで、自分の見解を見いだしておかねば自己矛盾に陥る。私は、回復が見込めないケースや、基礎疾患に末期癌などをもつ患者は救命治療の対象から外した上で、年齢によるトリアージ(若い人優先)しかなかろうと考える。その際に、その人にもともとある障害などは考慮しない。
 理由を記す。まず、『非常事態』での基準は簡単明瞭でないと実用の役に立たず、混乱を招く。また数多くの命を救うべしという功利主義の主張はもっともだが、命の『数』はいいとしても『質』を評価するのは神の仕業で、人間のそれではない。ベースにある障害や生活の活動度、社会への貢献などで人間が人間を重み付けるのはナチスの所業であり、人間性を破壊する。
 その一方で、年齢は客観的で公平な基準である。『自分は年を取っているけれどもこんなに元気で働いている。なのに死ねと言うのか』と反論する方もおられるかも知れないが、大前提は『全員を助けることはできない』なのだ。よってこの主張を取り入れるとなると、『同い年だが働けなくなった年寄りは見捨ててもいい』や『若くても世の中の役に立っていない連中は後回し』もまた認めないといけない。社会的には非能率であろうとも、年齢で一律に区切るのが最も平等で人道的ではないか。
 この基準が『役立つ』ような災難が来ないことを祈る。ただ祈りの力だけでは、救命ボートは浮かばない。」
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 巨大な豪華客船タイタニック号が沈没する際、一等や二等の乗客で女性・子供・老人は優先的に救命ボートに乗って退避し、男達は救命胴衣を着て浮く物に掴まって泳いで逃げ、喫水線以下の船室にいた貧しい三等乗客は見捨てられた。
 半狂乱となった男は助かりたい一心から他人を押しのけて救命ボートに乗り込もうとして、誘導する乗員と揉めて暴れ救命ボートを引っ繰り返して壊し使用不能にした。
 乗客・乗員2,200人中1,500人余が死亡した。
 それが、歴史が証明するところの現実社会である。
 人は生存本能から、生きるか死ぬかの絶体絶命の状況に追い込まれると、生きたい一心から冷静さを失って狂い、他人を殺しても生きようとする。
 それが、自然に生きる事である。
 その自然を抑え込んだのが宗教であった。
 人の生き死にを決めるのは絶対神で、生きるのは偶然ではなく必然で、生き残ったのには何らかの理由があると。
 その理由は絶対神だけが知っていて、人では知る事ができない。
 神を信じない日本人は、その理由を科学的な寿命と説明している。
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 選別の判断基準や科学的根拠など詭弁であり、理解するのではなく批判・非難する目的だけで声高に叫ぶ政治家や学者、専門家、メディア・報道関係者は信用できない。
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 世界では、元気で可愛らしい子供はキューピッドで、若く美しい女性は女神で、醜い老婆は魔女で醜悪な老人は魔物であった。
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 昔は医者や看護婦は患者より上の存在であったが、現代では患者の方が医者や看護師より上にある。
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 覚悟する勇気ある日本人は2割、勇気ある日本人を潰す日本人は3割、勇気もなく空気・空気圧・同調圧力に流され傍観する日本人は5割。
 そして、自分で決められない覚悟がない優柔不断でダメ人間が口に出すのが「政治が決める事」であるが、いざ政府が政治判断すると必ず半狂乱となって政府批判をくり拾える。
 つまり強力なリーダーシップを求めながら、その実、何でも決めて実行できるリーダーが現れると独裁者・ファシストと罵詈雑言を投げかけて潰す。
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 日本では、実行しないと批判され、実行すると激しく非難される。
 それ故に、実行されない。
 日本では、決断できない、実行できないリーダーが選ばれる。
 現代日本の政治家や官僚にそうした人々が多い。
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 日本人が求めるリーダーと世界が求めるリーダーは違う。
 日本人が求めるリーダーとは、国家ではなく国民の事を第一に考えてくれる優しく、思い遣りが在り、甘やかしてくれる弱いリーダーである。
 世界が求めるリーダーとは、国民を犠牲にして国家を考える、厳格にして冷淡で、時には非情に徹しきれる強いリーダーである。
 つまり、日本では犠牲者を出さない弱いリーダーが愛すべき良いリーダーであり、世界では犠牲者を出す強いリーダーが優秀なリーダーである。
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 必要とされる現場に、必要量以上の物資を運び込む。
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 現代の日本は昔の日本以上に、情報の重要性が理解できず、補給・兵站の必要性が分からない。
 その実例が、武漢ウイルス感染症拡大に対する政府の狼狽であり、メディア・報道機関の醜態であった。
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 現代日本で治療を受け助かるのは整列した順で、性別、年齢、健常者・病人・障害者、労働者・失業者・無職、金持ち・貧乏人・浮浪者、家柄・身分、階級・階層などに関係ない。
 日本人は、如何なる災害が起きて被災しても整列し順番を待ち、たとえ目の前で打ち切られても「しかたない」と諦め、悪態を付かず暴れたり奪ったりなどの悪あがきをしなかった。
 江戸時代の安政の大地震でもそうであったし、現代の阪神淡路大震災でも東日本大震災でもそうであった。
 数万年の日本民族日本人の災害史で、唯一例外が朝鮮人惨殺事件を起こした関東大震災の一件だけである。
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 軍艦が撃沈され、救命ボートに乗れた幸運な日本人乗員達はボートが満員で乗りきれなくなると、助かりたくてボートの縁に取りつく戦友をボートが転覆するとして突き放し、軍刀を持つ日本人将校は助かる為に必死に縋り付く部下の水兵達の手を容赦なく切断して溺死させた。
 生きる者と死ぬ者が選別されるのが、戦争であった。
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 日本民族日本人と日本国民日本人とは必ずしも同一人物ではない。
 日本民族日本人とは、縄文人(約1万年~紀元前4世紀)の遺伝子を受け継ぐ、乱婚を繰り返して生まれた混血(ハーフ)の雑種民族である。
 日本民族日本人は、雑多な自然災害、疫病、飢餓・餓死、大火が複合的に同時に頻発する災害多発地帯の日本列島で数万年生きてきた。
 2万5000年前 旧石器時代、鹿児島での姶良(あいら)カルデラ大噴火。
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 現代の日本人は、昔の日本人とは違う日本人で、日本民族の歴史から理想の日本人像を選び出して現代の日本人に当てはめようとする事は醜悪である。
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 景行天皇の皇子・日本武尊弟橘媛
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 現代日本は、全員一緒という公平・平等から、誰一人、見捨てない、切り捨てない、差別しない、選別しない、区別しない事を選んでいる。
 つまり、生死は「一蓮托生」と言う事である。
 それが、日本人が好む「一人は万人の為に、万人は1人の為に」である。
 命の価値は、男女はもちろん、子供から老人まで、健常者も身障者も病人も、皆一緒である。
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