🌁13〉─1─日本企業がバブル経済で求めた人材とは考えない指示待ち日本人であった。~No.47No.48No.49 

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 日本企業は、バブル経済を維持する為に求めた人材とは、成功ビジネスを否定しない、成功モデルを破壊するイノベーションを起こさない「考えない指示待ち日本人」である。
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 2022年12月18日6:01 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「「考えない日本人」だらけになった日本企業の末路、イノベーションが生まれなくなった根本原因
 大学を卒業して社会に出ても「言われた通り」にしか動けない人が多いといわれています(写真:Fast&Slow/PIXTA
 精神科医和田秀樹氏は、日本人の多くが、大学生のときは「教授の言う通り」、会社に入ってからも「言われた通り」であるため、新しいことに挑戦するときに使う「前頭葉」が鍛えられていないという。そして、そのことが、日本企業の苦境を招いていると指摘する(本記事は、和田秀樹『50歳からの「脳のトリセツ」』の一部を抜粋・編集したものです)。
■社会に出ても「言われた通り」を続ける大人たち
 前頭葉を使う教育がなされないまま大学を卒業した人たちが、そのまま就職して社会を営んでいるのが、今の日本です。
 既得権益を愛する年長者と、従順な年少者との密着――つまり「言われた通り」に動く人が出世する構図が、政界や学界はもちろん、企業の中にもはびこっています。「偉い人」に逆らわないよう神経をとがらせたり、異論や提案があっても発言しなかったりと、多くの働き手が前頭葉を働かせない思考や行動に流れています。
 言われた通りにしているだけでは、新しいアイデアをつくりだす機会がありません。
 「起業して成功するには」「新規事業を軌道に乗せるには」「停滞を打破するために新しい手法を考えよう」など、新しさや創造性を伴うことを考えれば、前頭葉は大いに働きます。しかし残念ながら、日本の組織ではこうした思考をめぐらせる人より、立ち回りの術に秀でた人のほうが出世しやすくなっています。それが、日本企業の苦境を招いた原因だと私は考えています。イエスマンが集まる組織は、いずれ衰退するものだからです。
 イエスマンを周りに侍らせて悦に入る「偉い人」と、その人に従うイエスマンたちが、日々、互いの前頭葉を衰えさせながらビジネスチャンスを棒に振っている――この馬鹿げた構図を、そろそろやめにしなければなりません。
 そのカギを握っているのが50代です。多くの方が管理職として、周囲の人たちに影響を与えられる立場にいるでしょう。そこでの自分の思考や行動を変えることで、会社を変えていくことは十分に可能です。
 手始めに、部下との接し方について見直してみましょう。あなたは部下たちにとって、意見を言いやすい上司でしょうか。もし、知らず知らずのうちに周りがイエスマンばかりになっているとしたら、部下との関係に問題があると思われます。
 逆らってくる部下がいるなら、その人物を疎んじず、むしろその存在を喜びましょう。その人のなかには、組織を変える可能性が隠れているかもしれないからです。
 もちろん、逆らう部下の全員が全員、未来の名経営者だと言っているわけではありません。才能や実力も部下によってまちまちですし、必ずしも部下の意見が正しいと決まったわけでもありません。
■逆らってくる部下には2種類ある
 しかし「自分とは異なる意見を言う」ことそのものに、価値を見出してほしいのです。意見が異なっているということは、自分一人では考えつかなかったことを相手が言ってくれたということです。その時点でうまくいっていないことに対し、違う方策を提案してもらえたということです。ならば「その方法も試してみよう」と思う姿勢が大事です。
 ちなみに、逆らってくる部下にも2種類あります。反対意見が「提案」になっている人と、批判や攻撃のみに終始する人です。代替案もなしに批判ばかりしたり、あらさがしに終始する部下ならば、聞く耳を持つ必要はあまりありません。
 上司と相反する意見であっても、提案をできる人は前頭葉を使って生きています。そうした人と話すと、自分の前頭葉も刺激されます。積極的にチャンスを与え、本人のポテンシャルをさらに引き出しましょう。
 近年、企業は好んで「イノベーション」という言葉を使います。求人案内やホームページにはたいてい、「当社は常に新しいことに取り組んでいます」といったような決まり文句が並んでいます。
 しかし実のところ、その新しさは、大勢に流されているだけであることがほとんどです。たとえば、皆さんの会社がDXを積極的に進めているとして、その理由は何でしょうか。巷でもてはやされているものに何となく飛びついただけではないでしょうか。「新しいことをする」とは、トレンドに従うことではありません。「誰もしていないことをする」ことです。
 私が思うに、日本人はもともと、新しいことをするのが不得手です。日本が得意なのは、よその国が発明したものを取り入れて、改良して、さらにいい国産品をつくることです。
 車や電気製品の製造はその好例ですが、現代に限った話ではありません。種子島ポルトガルから鉄砲が伝来したときもそうです。それからわずか50年の間に、日本は世界最大の鉄砲保有国となりました。戦国時代のただなかとあって、武士がこぞって武器を必要とし、量産体制をつくり、性能も上げていきました。
 基本となる型を与えられたら、日本人はそれをより便利に、丈夫にブラッシュアップできます。それはそれですばらしい長所です。しかし、型を与えられるまで何も起こせないというのは、やはり不利です。
■超高齢社会突入における「先進国」ができること
 「型」を外から与えられなくとも、日本発のものはつくれるはずです。
 たとえば、日本は世界に先駆けて超高齢社会に突入しました。とすると、高齢者にかかわるデータや知見は、ほかの国より多く持っていることになります。また、世界で例を見ないほど高齢者がお金を持っています。
 つまり、売れるポテンシャルがあるということです。それを生かした商品やシステムやノウハウをつくって、あとから超高齢社会になった国に教えたり売ったりすれば、日本は大金持ちになれます。世の中の、それどころか世界の役に立てます。そういうアイデアこそが、真にイノベーティブなのではないでしょうか。
 ところが現実を見ると、イノベーションを標榜する会社からは、「DXがどうこう」という話ばかり。これもまた、アメリカや中国をはじめとするIT先進国の後追いにすぎません。
 和田 秀樹 :精神科医
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 12月18日9:00 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済ONLINE「「指示待ち人間」はなぜ生まれてしまうのか
 優秀な人ほど、知らずにそうさせてしまう
 篠原 信 : 国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構上級研究員
 周囲を萎縮させてしまっているのは自分のせいかもしれません(写真:チータン/ PIXTA
 「私の周りは指示待ち人間ばかり、自分の頭で考えて動かない」
 ビジネスパーソンの中に、そのような悩みを持っている人は少なくないだろう。『自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書』の著者、篠原信さんは「優秀な人ほど、周りを指示待ち人間にしてしまう」と指摘します。
 ずぼら人間の周りに優秀な部下が集まる?
 不思議なことに私の研究室には指示待ち人間は1人もいない。パートの女性3名も他の研究室がうらやむほど優秀。9年連続で私のところに来た学生もことごとく自分の頭で考えて行動する。「指示待ち、なんのこと?」という感じだ。
 たぶん私がテキパキ指示を出せない人間なので、そのうち周囲があきれて、自分の頭で考え出すからだろう。私は自分のことさえ心もとなく、パートの方に「今日、お客さん来るんじゃなかったですか?」と念を押されて思い出すこともしばしば。スケジュール管理まで進んでやってもらっている。実に助かる。
 私の周囲で指示待ち人間ばかりだと嘆いているような同僚は、おしなべて優秀な方ばかり。自分のことはもちろんきちんとできるし、指示も的確。私なんて足元にも及ばない。なのに私の周りには自分の頭で考えるスタッフや学生ばかり。よくうらやましがられる。なぜ優秀な人のところには指示待ち人間が多く、私のようなズボラで穴だらけの人間の周りに優秀なスタッフや学生ばかりが集まるのだろう?
 これは非常に不思議なことだ。そのことをずっと考えていた。
 実は私のところに来たばかりの頃だと「指示待ち人間」候補と思われる人もいた。始めから指示を待つ姿勢なのだ。もし私がテキパキ指示を出していたら立派な指示待ち人間に育っていただろう。しかしどうしたわけか、自分の頭で考えて動く人間に必ず変わった。
 私の場合、指示を求められたときに「どうしたらいいと思います?」と反問するのが常だ。私は粗忽できちんとした指示を出す自信がないので、指示を待つ人の意見も聞くようにしている。最初、指示待ちの姿勢の人はこの反問に戸惑う人が多い。しかし私は引き下がらず、意見を求める。
 「いや、私もどうしたらいいかわからないんですよ。でも何かしなきゃいけないから考えるきっかけが欲しいんですけど、何か気づいたことあります?」と、何でもいいから口にしてくれたらありがたい、という形で意見を求める。そうするとおずおずと意見を口にしてくれる。
 「あ、なるほどね、その視点はなかったなあ」「今の意見を聞いて気づいたけど、こういうことにも注意が必要ですかね」と、意見を聞いたことがプラスになったことをきちんと伝えるようにし、さらに意見を促す。そうすると、だんだんとおずおずしたところがなくなり、意見を言うようになってくれる。
 むやみには否定せず、希望していることを伝える
 もちろん、私の希望とはズレた、的外れな意見も出てくることがある。でもそれもむやみには否定せず、「なるほどね。ただ今回は、こういう仕事を優先したいと思っているんですよ。その方向で考えた場合、何か別の意見がありませんかね?」と言い、私が何を希望しているのか、伝えるようにしている。
 こういうやりとりを繰り返しているうち、私が何を考え、何を希望しているのかを、スタッフや学生は想像できるようになってくるらしい。そのうち「出張でいらっしゃらなかったのでこちらでこう処理しておきましたが、それでよかったでしょうか?」という確認がなされる。大概ばっちり。
 たまに私の考えとはズレた処理の場合もある。しかしその場合でも「私の指示があいまいだったので仕方ないです。私の責任ですので、気にしないでください。ただ、実はこう考えているので、次からそのように処理してもらえますか」と答えておく。そうして、考えのズレを修正していく。
・私の考えを折に触れて伝える
・後は自分で考えて行動してもらう
・失敗(私の考えとずれた処理)があっても「しょうがない」とし、改めて私の考えを伝えて次回から軌道修正してもらう
 この3つの注意点を繰り返すだけで、私の考えを忖度(そんたく)しながらも、自分の頭で考える人ばかりになる。
 これに対し「指示待ち人間ばかり」と嘆く優秀な方は、少々違う対応をスタッフに取っているらしい。特に3つ目の「失敗」に対する対応にシビア。
 「あの時きちんと指示しただろう! なんで指示どおりやらないんだ! そもそも少し頭で考えたら、そんなことをするのがダメなことくらいわかるだろう!」
 優秀な人が指示待ち人間を作る?
 こういうことがあると、スタッフは叱られることにすっかり怯えてしまう。そこで叱られないように、自分の頭で考えることを一切やめ、すべて指示どおりに動こうとする。「指示どおりにやっていない」ことを再度叱られないで済むように、実に細かいことにまで指示を仰ぐようになる。「そんなことくらい自分の頭で判断しろよ」という細かいことにまで指示を仰ぐようになってしまう。だから、優秀な人は「指示ばかり求めて自分の頭で考えようとしない」と不満を持つようになる。
 でも多分、「指示待ち人間」は自分の頭で考えられないのではない。自分の頭で考えて行動したことが、上司の気に入らない結果になって叱られることがあんまり多いものだから、全部指示してもらうことに決めただけなのだ。叱られないようにするための防衛本能なのだろう。
 指示というのは本来、あいまいにならざるをえない。たとえば「机の上拭いといて」と指示を出したとしても、どのふきんで拭くべきか、ふきんがそもそもどこにあるのか、ということもあいまいなことが多い。仕方がないので自分の判断でこれかな? というふきんを見つけ、それで拭いたとする。そのあとの顛末で多分、違いが出る。
 「なんで新品のふきんで拭くんだよ、ちょっと探せばここにあることくらいわかるだろう、なんてもったいないことをするんだ」と言えば萎縮して、今度からふきんはどれを使えばよいのか、どこにあるのか、細かいことまで指示を仰ぐようになる。
 こういう対応だと違ってくる。「きれいにしてくれてありがとうございます。ん? 新品のふきんを使ってよかったかって? ああ、いいですよそんなの。どこにあるか私も言っていなかったし。今度からふきんはここに置くようにしてくれればいいです」。自分の判断で動いても構わない、という経験をしてもらう。
 「指示」にはどうしてもあいまいさが残り、部下が自分で判断して行動せざるをえないもの。そしてその結果を、ビシビシ「違う!」と怒ってしまうか、「そもそも指示があいまいなので、やってくれただけでありがたい」と感謝するか。そこが大きな分かれ道になる。
 怒るか、感謝するか、そこが分かれ目
 指示があいまいなのに自分の考えと違うと言って怒るのか、指示のあいまいさを自分で考えて補おうとしてくれたことに感謝を述べるのか。それによって、スタッフの心理は大きく違ってくるらしい。前者だと怯えてすべてに指示を出してもらおうとする。後者は次も自分で考えて補おうとしてくれるようになる。
 あいまいで雑にすればするほど、指示する側は楽だ。その代わり、指示があいまいなので、指示された側が誤解することも多くなる。誤解を補おうと自分の頭で考えてくれた時に、叱ってしまうか、「ありがとう」と言うか。それによって、指示待ち人間か自分で動く人間になるかが決まるのだろう。
 私は図らずもおっちょこちょいなので、そもそも、一所懸命考えた指示でさえどこかあいまいなところがある。それを自覚しているので、あいまいさが原因で想定とは違う結果になっても、それは私の指示がいけないだけのこと。私が悪い。 指示があいまいなのにきっちり補ってくれたら、感謝感激雨あられ。指示があいまいだから失敗しても責める気にならない。あいまいな指示なのに自分で考えて補正してくれたら、なんてありがたい。そういう風だと、スタッフは自分で考えて補ってくれるようになるらしい。
 「指示が少々あいまいな部分があっても、そこは自分で考えて補ってくれよ」という不満を伝えてしまうと、スタッフは「いや、無理だし。あいまいなんだから今回の解釈だってあり得るし。なのに叱られて理不尽。」と、これまた不満を持ってしまう。でも仕事だから逆らえない。結果、指示待ち。
 優秀な人は、自分が部下の立場だったら、リーダーの気持ちを忖度(そんたく)してきっちりと指示のあいまいなところも補ってしまう自信があるのだろう。とても私にはできない芸当だ。私が部下の立場の場合、根掘り葉掘り指示を仰ぐ。あいまいさが残らないよう「今の指示はこうも解釈できますけど」と突っ込む。
 優秀だと部下が指示待ちになり、私のような融通の利かない不器用者だとスタッフが私より優秀になるという皮肉。しかし優秀な方は、私のやり方を真似ることもできるはず。そうすれば優秀なリーダーに優秀な部下。もう鬼に金棒である。
 自分の頭で考えるスタッフになってもらうには、
・リーダーの考えを折に触れて伝える
・後はスタッフに自分で考えて行動してもらう
・意図と違う結果になっても「あいまいだもん、しょうがない」とし、改めてリーダーの考えを伝え、次回から軌道修正してもらう
を繰り返すことだと私は実感している。
 最初から優秀な人間などいない
 失敗を許容するゆとりがあれば、むしろ自分の頭で考えて失敗するリスクを取った勇気をたたえれば、人は指示待ち人間でなくなる。人は皆、最初から優秀なのではない、失敗を繰り返しながら能力を育てていくのだ、と考えたほうがよいのかもしれない。
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 世界一足が速いウサイン・ボルトだって赤ん坊のころはハイハイから始め、歩き出しても転んでばかりだったはず。「自分の頭で考えて行動する」スタッフに育ってほしいなら、少なくとも最初のうちだけは、自分の頭で考えて行動したこと自体を称揚し、少々の失敗を許容するゆとりが必要なのだろう。
 「あいまいな指示だったのに、よく自分で考えて補おうとしてくれましたね。ありがとう」。 それが言えれば、次からはリーダーの気持ちを忖度(そんたく)して行動しようとしてくれるはず。そうすれば、指示待ち人間ではなくなっていくのではないか。
 「指示待ち人間」が生まれるのは、指示を出す側が、結果に対してどのような態度を示したかが決定打になるのかもしれない。失敗に対してゆとりある態度をもてる社会になれば、指示待ち人間は、もしかしたらびっくりするほど少なくなるのかもしれない。
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