🌁39〉─2─貧しい日本人青年は海外で低賃金出稼ぎ重労働者として働く未来。~No.163 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 深刻な現実を見ない日本人と問題を本気で解決しようとしない日本人には、未来は、明日はない。
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 2023年1月10日 YAHOO!JAPANニュース Wedge(ウェッジ)「海外に出稼ぎする日本の若者たち どうなる?日本
 年間平均給与461万円から433万円へ――。これは、国税庁の「民間給与実態統計調査」で、2000年から2021年までの20年間に日本が辿った平均年収の動きだ。一見、大きな変化もなく、デフレが続いてきた日本だけあってか、国内だけで生活する分には問題がないかもしれない。しかし、世界規模で眺めてみると、この国は、いつしか「安い国」へと変貌したのだ。
 そんな中、未来の日本に希望を持てず、海外へ出稼ぎに行く日本人が増えている。彼らの多くは、「このままでは生きていけない」という危機感を抱いている。これから日本を出る男女を始め、すでに欧米やアジア諸国で働いている若者たちの今を取材した。
 出稼ぎ大国から出稼ぎに行く日本人
 多くの外国人にとっての「出稼ぎ大国」だった日本国内から、労働者が流出する時代が訪れるとは、誰が予想できただろうか。1980年代初頭からバブル経済に突入していた頃、日本はフィリピンや中国からの外国人労働者の受け入れを始めていた。
 当時は、経済大国の日本が労働力確保のため、アジア諸国から人材を集め、彼らがより良い収入を得られる環境を提供した。同時に、日本の高い技術を学ばせ、いずれは帰国させるという一時的な日本滞在許可を推進してきた。
 世界第2位の経済力を堅持していた日本だが、バブル崩壊による景気低迷に加え、就職氷河期少子高齢化といった構図が経済活動に打撃を与えていく。しかし一方の欧米諸国は、2000年代にインフラの傾向が進み、経済危機に直面しながらも徐々に平均賃金を上げていった。
 日本が同じ20年間で平均年収を減らす中、西欧の国々では100万~150万円、米国では250万円近くも所得を上げてきた。そして気がつけば、日本は中国や韓国に追い越され、人手不足に陥るばかりか、国外との競争力に雲泥の差が生まれていたのだ。
 日本を訪れる外国人観光客の多くは、「ニッポンは安い」と口にする。米国の空港で働くシカゴ出身のエミリーさん(19歳)は、羽田空港でこう言った。
 「私の時給は、17ドル(約2270円)です。1日10時間を週3日間働いて、月にだいたい2000ドル(約26万7000円)です。日本は全体的に米国より安く、金銭面での苦労を感じませんでした」
 岸田文雄首相は、「成長と分配の好循環」を声高に主張するが、一部の日本人は、国内で働くことに強い期待を抱いていないのが現状だ。海外の市場に目を向け、日本を出た人々の本音とは、どのようなものなのか。
 若いうちに海外で市場開拓
 大手企業で経理を務めていた山田隆則さん(仮名=39歳)は、9年前に日本を出た。シンガポール、フィリピン、タイで同業の職を得て、今後も帰国する計画はないという。
 「日系企業に勤めていますが、(東南アジアでは)働き方がドライで、残業もありません。意見が通りやすく、トップとの距離も近い感じがします。もし私が日本にいたら、年収はおそらく今の半分だと思います」
 2010年9月から海外就職・転職の支援会社「GJJ」の事業に携わり、現在は同社2代目代表の田村貴志氏は、主に東南アジア諸国を中心に、これまでに1000人の日本人を送り出してきた。その背景と特徴について、このように語っている。
 「現地に日本人駐在員を置くとなるとコストがかかります。とはいえ、日本の人材を必要としている会社が非常に多い。いつか海外を目指したい日本人の大半は、25歳から35歳くらいです。日本にいたら年功序列があり、駐在員の倍率も高い。海外で経験を積むという夢は、なかなか叶わない問題があります」
 海外転職の結果、年収も毎年15%増も普通とのこと。海外での経験を基に、日本の大手企業に再就職する人たちも少なくないという。ただ、うまくいかない人たちも、当然いるようだ。
 「それぞれの事情はありますが、主に二つの傾向が挙げられます。ひとつは、仕事ができても環境が体質に合わず、長続きしない人。もうひとつは、完璧主義の人はストレスを抱えやすいため、難しいということです」
 中には、高収入目当てで海外就職を目指したのではない人もいる。宮川優毅さん(33歳)は、日本の地方銀行に就職したものの、面白みに欠けたことと、業界の先行きに不安を感じ、1年半で退職した。
 24歳にしてベトナム日系企業に就職。エンジニアリングの営業部門を担当したが、給料は日本より低かったという。しかし、彼にとっての海外キャリアは、別の重要な意味を持っていた。
 「日本にいるとルールが決まっていて、小さいパイの取り合い。ベトナムでは、案件が山ほどある中で、価格交渉などの決定権もあって、自由にやらせてもらえました。若いうちに海外に出て、市場の開拓をし、将来のキャリアにつなげることができました」
 給与面については、初任で1500ドル(約19万7000円)だった。彼が渡航した2013年時の為替レートでは、約14万6000円でしかなく、「出稼ぎ」という目的でなかったことが窺える。
 宮川さんは、それ以上の経験を得たと感じている。5年間の海外就労を終え、現在は、ベトナム人女性と結婚し、日本に復帰。現地で学んだ経験を生かし、ベトナムに進出する法人や省庁に、法律面でのサポートを行うなど、今の仕事に満足している。そう思えるのも、目先の利益だけで海外に行ったわけではないからからだ。 
 「外国に出られるなら、どんどん出たほうがいいと思います。だからと言って、飲食店で働いて、大金を稼ぐのもいいけれど、ずっと皿洗いを続けることもどうかと思います。最終的な自分のキャリアについて、しっかり考えて海外で働くことが大事だと思うのです」
スペインで起きた「頭脳の流出」
 海外に出稼ぎに行く日本人は、今後も増え続けることが予想される。実際に出稼ぎに行った日本人の数は不明だが、外務省によると、海外在留邦人数は、パンデミック前の19年に史上最多の141万人に達したようだ。
 日本国外で就職したり、短期労働したりすることは、生活の安定にはつながる可能性はある。加えて、日本という国を知る上でも、貴重な体験になるはずだ。もちろん、滞在許可や就労ビザの取得は、想像以上に時間を要し、簡単ではないだろう。
 現地の言葉を覚えたり、他文化に触れたりすることで、異なる生き方や価値観を身につけることもできるだろう。精神面での苦労こそあれ、学びが多いことは間違いない。だが、別の見方をすれば、このままでは日本が衰弱するという危機感が芽生えてくる。
 しかし、都内の商社に勤務する男性(42歳)は、「海外に出ている人は、実際にはそこまで多くないのでは」と首を傾げながら、こうも語った。
 「スポーツ選手やユーチューバーのように、海外でも稼げるのであれば、それもひとつの生き方だと思います。今は昔と違って、国外でも働ける時代になった。生活が苦しい人にとっては、日本経済がどうこうという話ではない。外国で収入が増えて安定するならば、それを優先すればいいのではないでしょうか」
 実は、現在の日本と似たような状況が、リーマン・ショック前年の07年から17年まで、スペインやイタリアで起きていた。史上稀に見る南欧の経済危機で、スペインでは若年層失業率が55%台まで上昇した。当時、国外への「頭脳の流出」が社会問題となっていた。
 大学や大学院を卒業したスペイン人約8万7000人、同イタリア人約13万3000人が、賃金の高いドイツの首都ベルリンや英国の首都ロンドンへ出稼ぎに行った。大手自動車メーカーBMWメルセデスベンツに勤務できた即戦力もいれば、学んだ分野とは無関係なウェイターやベビーシッターとして働く大卒者も溢れていた。
 経済危機は、14年に去った。後に、スペインに戻った出稼ぎ労働者は、何を感じたのか。運送会社に勤務するフェルナンド・カサノバさん(41歳)は、ロンドンでの出稼ぎを経験し、一度は母国に戻った。しかし、変わらぬ賃金の低さと社風に愕然とし、再び英国に向かった。
 「私の経験上、会社の上司たちの待遇が良く、人として丁寧に扱ってくれる。評価と昇進のスピードも早く、賃金上昇率もスペインでは考えられない高さだった」
 この状況は、日本の将来を映し出す鏡にも見える。デフレ経済から抜け出せず、賃金が一向に上がらなかった20年間のツケが回ってきた。日本人は、当時のスペイン人のように、より良い給料と環境を求め、国外に出る。
 しかし、彼らが日本に戻ってくる時、生活水準や賃金レベルは改善されているのだろうか。労働者にとって、魅力のある国にならなければ、人々は国外に留まり、そこに永住する選択肢を取るだろう。それを防ぐためにも、日本はまず、賃金アップを最優先課題にするべきだ。さもなければ、日本経済の未来に発展はないかもしれない。
 宮下洋一」
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