・ ・ ・
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義と民族主義のブログである。
・ ・ ・
貼り付ける記事:日本編は、天皇神話・民族中心神話及び血筋・血統の家世襲による皇国史観であり愛国心が目的である。
・・・ * * * * * ・・・
昭和54(1979)年 『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(原題:Japan as Number One: Lessons for America) 著者 社会学者エズラ・ヴォーゲル。
・・・ * * * * * ・・・
2023-01-16
💖24)─1・C─宮崎市出身の外交官・根井三郎が発給した「命のビザ」。ユダヤ人絶滅政策を決定したヴァンゼー会議。〜No.99
・ ・ ・
2022-12-03
💖24)─4・B─軍国日本の国際商業都市神戸は、ポーランド・ユダヤ人難民を保護し支援した。〜No.102
・ ・ ・
2019-03-20
💖23)─1─オトポール事件。軍国日本とポーランド・ユダヤ人難民達。上海のユダヤ系サッスーン財閥。1932年〜No.94・
2022-08-14
⛩78)─2─淡路島の伊弉諾神宮に樋口季一郎陸軍中将の銅像を建立へ。~No.174
・ ・ ・
2019-03-24
💖26)─1─上海ホロコースト未遂事件。日本陸軍と松岡洋右はゲシュタポのユダヤ人虐殺を阻止した。1942年〜No.107・
2021-03-29
・ ・ ・
2019-03-21
💖24)─1・A─ポーランド・ユダヤ人難民を助ける事に、日本軍部は協力し、日本外務省は猛反対した。1940年〜No.99
・ ・ ・
ヘブライ文化研究者・小辻節三氏の功績に感謝状Published 8 months ago on June 7, 2022By The Sankei Shimbun
イスラエルから感謝状を贈られたへブライ文化研究家、
小辻節三氏の次女、メリーさん(右)と山田純大(左)=東京都内
~~
5月23日付の毎日新聞外信面の囲み記事に目が留まった。イスラエルの国会議員と駐日大使が22日、東京都内の介護施設を訪問した。ヘブライ文化研究者の小辻節三(こつじせつぞう)の功績をたたえて、次女の暎子(てるこ)さん(91)に感謝状を贈るためだ。俳優の山田純大(じゅんだい)さんの尽力で実現したという。
第二次世界大戦中、駐リトアニア領事代理だった杉原千畝(ちうね)が発行した「命のビザ」は広く知られている。数千人のユダヤ人がナチス・ドイツの迫害を逃れ、日本にたどりついた。強制送還の恐れもあった彼らのために奔走し、米国などに送り出したのが小辻である。スパイ容疑で拷問されたこともある命がけの活動だった。
第二次世界大戦中にナチスの迫害から逃れて日本にやってきたユダヤ難民の滞在期間を延長したヘブライ文化研究家の小辻節三氏(遺族提供)
米国の大学に留学した山田さんは、現地で入手した小辻の自伝を手がかりにゆかりのある人々を訪ね歩いた。平成25年に刊行した『命のビザを繫(つな)いだ男』によると、京都の神官の家に生まれた小辻は聖書と出会い、米国でヘブライ語を学んでユダヤ教に行き着いた。
ADVERTISEMENT
Focus on 'People': Japan Extending a Hand to Africa Through TICAD 8
小辻節三氏が愛用した聖書
満鉄の松岡洋右総裁に請われて満州に赴き、現地のユダヤ人社会と深いかかわりを持つ。やがて外相として日独伊三国同盟を締結する松岡は陰ながら小辻のユダヤ人保護を手助けする、意外な事実も記されている。
74歳で亡くなった小辻はエルサレムの墓で眠る。家族にこんな言葉を残した。「百年以内に誰か、自分をわかってくれる人が現れるだろう」。遠くウクライナから避難民を受け入れている今、改めて顕彰すべき人物である。
ところで山田さんの父親、杉良太郎さんは大スターであると同時に、慈善活動家としての顔を持つ。コロナ禍により矯正支援施設を訪問できなくなった際、代わりの企画として受刑者に本を推薦したことがある。選んだのはもちろん息子の著作だった。
◇
2022年5月24日付産経新聞【産経抄】を転載しています
・・・ * * * * * ・・・
軍国日本と陸軍は、ユダヤ人難民を助けていた。
・ ・ ・
昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人共産主義者テロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストであった。
・ ・ ・
靖国神社の心・志・精神とは、人道貢献と平和貢献の事である。
・ ・ ・
歴史的人道貢献とは。昭和天皇とA級戦犯である東条英機、松岡洋右、松井石根らは、ソ連のポーランド侵略から逃げてきた数万人のポーランド・ユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツ、ゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の上海ホロコーストを阻止しユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
・ ・ ・
昭和天皇の平和貢献とは、戦争には不同意であったが政府と軍部が決定すれば裁可するが、戦争が始まれば早期に講和を行って戦争を止める事を求め続けた。
・ ・ ・
日本国内には、天皇制度を廃絶しようとしている反天皇反民族反日的日本人達が超エリート層の高学歴の知的エリートや進歩的インテリに数多く存在している。
・ ・ ・
現代の日本人、政治家・官僚・学者そしてメディア関係者も誰も重大問題とはせず、沈黙、つまりは黙認している。
現代の学校歴史教育では、昭和天皇が行った数々の歴史的偉大な功績は否定され抹消されている。
つまり、生徒・学生で昭和天皇は嫌いが大多数で、昭和天皇が好きだという子供は異常・おかしいとされている。
・ ・ ・
昔の日本人は、戦場で人殺しの戦争犯罪を行ったが、同時に戦場で人助けの人道貢献や平和貢献を行った。
現代の日本人は、戦争犯罪を行わないが、人道貢献や平和貢献も行わない。
事実、中国共産党がウイグル・内モンゴル・チベットで行っている人道に対する犯罪であるジェノサイドから目を逸らしている。
興味も関心もないと公言する親中国派・媚中派の政治家や官僚が存在する。
・・・ * * * * * ・・・
杉原千畝が助けたポーランド・ユダヤ人難民とは、ドイツ軍占領下の西ポーランドではなく、ソ連軍占領下の東ポーランドから逃げてきたポーランド・ユダヤ人であった。
イギリスのポーランド亡命政府とポーランド軍の密命を帯びたポーランド軍スパイは、陸軍の密命を受けて情報収集活動を行っていた杉原千畝に協力していた。
ポーランド亡命政府とポーランド軍は、ドイツ軍と戦っていたが、同時に連合国の一員であるソ連・共産主義勢力をも憎んでいた。
ポーランド軍は、親日派として日本陸軍と繋がっていた。
日本陸軍の主流派は、親ポーランド派であって親ドイツ派ではなく、親ユダヤ派であって反ユダヤ派ではなかった。
・ ・ ・
ロシア・ソ連と国境を接する北欧のフィンランド、イスラム教国のトルコやイランは親日派であった。
特に、イスラム教徒は、反宗教無神論の共産主義を激しく憎み、日本陸軍に協力してトルコ・中央アジア・満州までの長大なソ連封じ込めのユーラシア防共廻廊(宗教防壁の長城)を作ろうとしていた。
・・・ * * * * * ・・・
日本剣道の極意は、「相手の機先を制す」と「後の先で、勝つ事ではなく負けない事」であった。
相手より一瞬あとに打ち込みながら、刃を交えるうちに先手をとって相手より優位に立つ事。
日本の剣道・柔術=柔道などの武道は、西洋の剣術・格闘技や東洋の武闘・拳法・武芸とは根本的に違う。
・・・ * * * * * ・・・
リベラル左派(マルクス主義者)と共産主義者からなる反宗教無神論・反天皇反民族反日的日本人達は、戦前の軍国日本が命を犠牲にしておこなった人道貢献や平和貢献を否定している。
それが、ポツダム宣言・ポツダム史観を受け入れた現代日本の歴史教育である。
超エリート層である高学歴の政治的エリートと進歩的インテリ達は、日本人極悪非道残虐史観で創作された平和主義歴史教育で洗脳され高得点を取った優秀な学生であった。
そうした日本人が、安保世代と言われる団塊の世代や団塊ジュニア世代で、護憲派・反自衛隊派などの反戦平和市民、反米派・反安保派・在日米軍基地反対派の親中派・媚中派である。
・・・ * * * * * ・・・
軍国日本が、明治以来の対外戦争・大陸侵攻戦争は合法的な正当防衛である積極的自衛戦争、先制攻撃による専守防衛戦争であった。
軍国日本は、援軍を送ってくれる、助けてくれる同盟国・友好国を持たず、世界的規模の軍事大国と一国だけで一人孤独な戦争を繰り返していた。
それは、冒険的領土拡大を目的とした侵略戦争ではなかった。
国土を戦場にしない為に、国民を戦渦に巻き込まない為に、海外、大陸を戦場としたのである。
・ ・ ・
日清戦争とは、朝鮮を領国として日本を侵略しようとした清国(中国)を撃退した戦争であった。
日露戦争とは、江戸時代後期から日本を侵略しようとしたロシアを撃退した戦争であった。
日韓併合は、日本侵略を計画していた清国・ロシアなど欧米列強に協力していた朝鮮を粉砕する外交戦であった。
日中戦争とは、日本で暴力的共産主義革命を起こそうとしたソ連・中国共産党・国際的人民義勇軍などの国際的共産主義勢力を封じ込める戦争であった。
・・・ * * * * * ・・・
旧陸軍大将・今村均氏は、中国共産党が60年安保で荒れる日本の日教組、日本共産党、反天皇反民族反日的日本人らに対して日本転覆のカギは「皇室と神社とより隔離」にあるとの指令を出した事を公表した。
「中共の対日工作員である陳宇氏は、我が共産党員である日教組の幹部である赤津益三氏に対し、暗号電報により、6月1日『われわれは、この度の諸君の勇敢なる革新運動に敬意を表する。しかし貴国の革新は、民族をして、皇室と神社とより隔離せしめない限り、その実現は至難と思う』というような指令を打電した」(『修親』昭和41年1月号)。
・・・ * * * * * ・・・
昭和50(1975)年まで 首相の靖国神社参拝は当たり前に行われていた。
・ ・
昭和60(1985)年 中曽根康弘首相は、中国の非難を受けて来年の靖国神社公式参拝を中止すると発言した。
・ ・
平成5(1993)年 細川護熙首相は、太平洋戦争(大東亜戦争)を「侵略戦争だった」と認めた。
・ ・
平成7(1995)年 村山談話。村山富市首相による「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題して閣議決定に基づき発表した声明。
・・・ * * * * * ・・・
昭和20年。
・ヒロシマ・ナガサキの原爆投下は、アメリカ・イギリス・カナダの3カ国による日本人をモルモットにした人体実験であった。
・昭和天皇や政府・軍部は、原爆投下前に降伏して戦争を終わら多くの国民を助けるべく努力を続けていた。
軍部内のソ連派や革新官僚(マルクス主義者・隠れ共産主義者)は、日本を共産主義化する為にアメリカとの直接極秘工作を妨害して潰し、敗戦革命を起こすべく徹底好戦派を煽って本土決戦・一億総玉砕へ暴走させていた。
日本民族は、昭和天皇と皇室を守る為に国體護持を命を犠牲にしても貫いていた。
・アメリカは、無条件降伏の原則に従って、軍国日本が唯一絶対条件としていた国體護持を認めず、昭和天皇を戦争犯罪者として死(自殺・死刑)もしくは廃帝して刑務所に入れるか国外追放を要求し、最終目標が天皇制度を廃止して共和制への変更であった。
つまり日本のアメリカ化として、キリスト教国教、英語の公用語、民族性の消滅である。
前例が、インディアン(ネイティブ・アメリカン)とハワイ王国・ハワイ王家・ハワイ民族であった。
・ ・
無条件降伏では、ムッソリーニは集団リンチの後に公開処刑され死体は公園で逆さまに吊られてさらされ、ヒトラーは自殺し遺体はガソリンで焼かれ埋められた。
・ ・
昭和天皇は、原爆は非人道的な大量虐殺兵器である事を理解していたので、東條英機首相兼陸相や杉山元参謀総長らに対して陸軍が極秘で進めていた原爆開発の即時中止を厳命した。
軍政の長である東條英機は、昭和天皇の大命を承け、大御心を叶えるべく原爆開発の中止を決定した。
軍令の長である杉山元は、手段を選ばず、戦争に勝利する事を最優先として大命を無視したが、最終的には大元帥である昭和天皇の大御心に従って原爆開発を断念した。
軍部・統帥部は、大御心と大命で弱腰となった東条英機を切り捨て、新しい飾り人形として小磯国昭を首相兼陸相に据えた。
昭和天皇が望んだ戦争とは、陰険・陰湿、卑怯・卑劣を一切しない、日本民族として恥じない、名誉を重んずる武士・サムライらしい正々堂々とした戦いであった。
その象徴が、靖国神社である。
・ ・
2月 ヤルタ会議。アメリカは、ソ連が対日戦に参戦する見返りとして北海道の半分、北方領土4島、樺太南部、千島列島を領有する事を認めた。
ソ連とアメリカ人ニューディーラー(マルクス主義者・共産主義者)は、日本を天皇制度を打倒して共産主義国家にするべく陰謀をめぐらせていた。
現・ロシアは、北方領土4島不当占拠の正当根拠をアメリカとのヤルタ秘密協定とポツダム宣言を上げている。
GHQ内のアメリカ人ニューディーラー(マルクス主義者・共産主義者)らは日本占領政策を進める為に、日本人のマルクス主義者や共産主義者を使っていた。
ソ連・中国共産党・国際的共産主義勢力は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本の日本共産党や社会党左派、左翼・左派を支援していた。
・ ・
5月15日 日本政府と軍部は、平和を希望する昭和天皇の希望と戦況悪化及び国内状況から、これ以上の戦争継続は不可能と判断し戦争終結極秘交渉を解する事を決定した。
・ ・
6月16日 在日中国人による花岡鉱山暴動脱走事件。
日本国内には、味方とも敵とも分からない200万人以上の朝鮮人が居住していた。
戦後、在日朝鮮人による犯罪が日本各地で多発し、多くの日本人が被害者となり、凶悪事件では日本人は朝鮮人に殺された。
日本人にとって朝鮮人は中国人同様に、友・友人、親友、戦友ではなく敵であった。
・ ・
6月23日 沖縄戦(4月1日~)は、日本軍の組織的抵抗がわった。兵士と住民数十万人が犠牲となった。
一撃論は、沖縄戦が敗北するまでの話である。
数千人の日本人青年達は、生きては帰れないカミカゼ特攻・回天特攻として、沖縄などに向けて飛び立ち敵艦に突入するが成功せず戦死していた。
日本民族は、沖縄を捨て石にしたが、沖縄県民を見捨てず日本人青年達の命を捧げていた。その象徴が靖国神社であった。
・ ・
7月 軍部内のソ連派と政府内の革新官僚(マルクス主義者・隠れ共産主義者)らによって、中立を保っているソ連・共産主義勢力にアメリカへの終戦交渉開始の仲介を依頼する事を決定に押し込んだ。
日本は、正式に停戦交渉の仲介をソ連に申し込んだ。
日本人は、信じてはならない共産主義者を信じるという愚行を起こした。
アメリカ・イギリスは、太平洋戦争開始同様に、日本の外交暗号電報傍聴と日本人情報提供者から軍国日本の行動を知っていた。
・ ・
スイスに駐在していた日本の外務・陸軍・海軍・民間(銀行家)は個別に、国際決済銀行幹部を通じて、アメリカOSSダレス機関を通じた極秘降伏工作が始まった。
・ ・
アメリカ・イギリスは、日本人に対する原爆投下実験を最終決定し、日本人を人間と認めずモルモットとして原爆爆破の生体実験にする事が合意された。
ホワイト・ハウスは、実戦で二発の原爆投下実験が終了するまで降伏を認めない事を決定し、年末までに18発の原爆投下を許可した。
フランクリン・ルーズベルトは、軍国日本に対して昭和天皇の命と地位の安全を否定した無条件降伏を要求し、日本人に対して昭和天皇一人と日本国民約7,000万人の命の二者択一を強要した。
ファシスト・イタリアでムッソリーニを国民がリンチ処刑し、ナチス・ドイツはヒトラーの自殺で、降伏が認められた。
・ ・
マンハッタン計画は、アメリカ・イギリス・カナダの3カ国が協力し、巨額な資金が投じられ、連合国に居住するユダヤ人・アメリカ人・イギリス人・ドイツ人などの優秀な学者・研究者・技術者が集められ、非人道的大量虐殺兵器と分かつている原爆を開発していた。その効果は、対人兵器として実戦で使わなければ分からなかった。
アメリカ軍は、原爆投下実験と日本本土上陸作戦計画の検討に入った。
その頃、軍部内のソ連派と政府部内の革新官僚は、終戦交渉をソ連に一本化する為にスイスで極秘降伏工作を行っている外務・陸軍・海軍・民間(銀行家)に対して即刻中止する事を厳命し、原爆投下前に降伏する努力に潰した。
・ ・
7月16日 大統領と原爆推進派は、グルーら知日派が提案した、原爆投下実験前に「皇室維持条項」を含めた警告を出す事を却下した。
7月17日~8月2日 ポツダム会議。
7月21日 トルーマンは、原爆投下実験実施を命じた。
スターリンは、原爆投下と日本降伏前に北海道を占領するべく対日戦参戦を命じ、同時に、軍国日本に対して降伏工作仲介を拒否し、日ソ中立条約の延期をしない事を通告し、日本に宣戦布告を行うことを匂わせた。
関東軍は、満ソ国境でのソ連軍の増強情報を得て、ソ連侵攻を8月下旬か9月頃と予測し、防衛体制の再編に取り掛かった、満蒙在住日本人に対しては南満州・朝鮮への避難を命じたがソ連軍に探知されない為に緊急命令とはしなかった。
その結果、安心し油断し迅速に逃げなかった日本人は満州や南樺太で阿鼻叫喚の惨劇に見舞われ命を落とした。
7月26日 ポツダム宣言が日本に送られてきたが、日本が絶対条件とした国體護持つまり「昭和天皇の身の安全と皇室の存続を保証する条項」が削除されていたた。
アメリカ、イギリス、中国、ソ連は、日本占領政策として、大日本帝国解体、日本国分割統治及ぶ割譲地、昭和天皇戦犯容疑で有罪とする、その他を協議した。
・ ・
8月 アメリカ軍は、2種類の原爆投下実験、本土上陸作戦作戦、稲作地帯への枯葉剤散布計画を進めていた。
原爆投下実験は、ヒロシマのウラン型原爆とナガサキのプルトニウム型原爆の2種類で、第3の核兵器である水素爆弾は完成していなかった。
8月10日 アメリカ軍は、3発目の原爆投下は10月中旬頃と報告した。
ソ連軍は満州・南樺太・千島列島に侵攻し、ロシア人共産主義者は逃げ惑う日本人引き揚げ者(主に女性や子供)を数十万人虐殺した。
・ ・ ・
共産主義者は、共産主義の大義で人民暴力革命を起こし、女性や子供に関係なく反革命分子や反対派を根絶やしにする事しか考えない虐殺者・殺人狂であった。
・ ・ ・
昭和天皇は、被害者であって加害者ではなく戦争犯罪者でもなく、国家元首として道義的責任はあったが政治的責任としての天皇の戦争責任や天皇の戦争犯罪はない。
・・・ * * * * * ・・・
昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
・ ・ ・
天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇と日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。
・・・ * * * * * ・・・
昭和天皇肖像画の写真を燃やす動画が日本の現代アートに、賛成する日本人が多数で、反対する日本人は少数であった。
昭和天皇は、歴代天皇の中で最も日本人に嫌われている天皇である。
2020-02-18
🦲4〕─18─表現の自由。日本の現代アートは「人の写真(例えば皇族の写真)を燃やす」こと。〜No.19
2020-11-07
🦲4〕─21─あいちトリエンナーレ2019。愛知県知事リコール運動敗北。〜No.22
2021-10-14
🦲4〕─24─昭和天皇肖像燃やす動画と「表現の不自由展かんさい2021」。〜No.25
韓国・北朝鮮、中国共産党、アメリカ、ロシア、その他、多くの国々は昭和天皇をヒトラーと同罪の非人道的戦争犯罪と認めている。
アメリカの一部では、昭和天皇が住んでいる東京・皇居の上に原爆を投下して焼き殺す事を望んでいた。
・ ・ ・
日本人の共産主義者や無政府主義者とキリスト教系朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
・ ・ ・
共産主義の5%支配理論。
・ ・ ・
有能な共産党員教師が3人いれば、日本の学校をイデオロギー支配できる。
・・・ * * * * * ・・・
戦前の軍国日本は、同盟国のナチス・ドイツからの外圧を無視し、友好国のアメリカやイギリスが嫌がっても、天皇と日本を頼って逃げて来たポーランド・ユダヤ人難民を助けていた。
現代の平和国家日本は、日本の経済と中国との交易の為に、「友人に嫌がる事はしない」と公言して、中国共産党が行っているウイグル人・チベット人・モンゴル人・少数民族・民主派・法輪功などに対する虐殺から目を逸らし、中国共産党に忖度し顔色をうかがい犠牲者を助けようとはしない。
・・・ * * * * * ・・・
近代的軍国日本の戦争とは、数千年前の弥生時代・古墳時代からの天皇を中心とした国體を死守する為の積極的自衛戦争であった。
国體には、数万年前の石器時代・縄文時代からの原始的民族神話が深層に流れている。
・ ・ ・
レーニンは、世界人民革命戦略から、中国共産党・日本共産党など極東アジアの共産主義者に対して、日本とアメリカを戦争させ世界戦争に拡大し、西洋列強の富と力の源であるアジアの植民地を解放するように示唆した。
つまり、軍国日本が戦った日中戦争や太平洋戦争はレーニンが仕組んだ謀略であった。
・ ・ ・
大正13(1924)年1月5日 朝鮮人テロリスト集団の義烈団による二重橋爆弾事件。
・ ・ ・
昭和6(1931)年9月18日 満州事変。
・ ・ ・
昭和7(1932)年1月8日 桜田門事件。上海系朝鮮人テロリストによる昭和天皇の暗殺を狙った襲撃事件。
1月28日(~5月) 第一次上海事変勃発。
・ ・ ・
5月 ソ連・コミンテルンは、社会ファシズム論から日本共産党に対し32年テーゼ「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
日本人共産主義者は、人民の正義の為に昭和天皇や皇族を惨殺して大虐殺を伴うロシアのような共産主義暴力革命を起こすべく活動を本格化させた。
・ ・ ・
スターリン「日露戦争で屈辱的な敗北を喫したのは、日本に天皇制があったからだ。これを打倒しなければ、日本はいつまでたっても極東においてロシアの脅威になる。権力の中枢である天皇制に何としても打撃を与えなければならない。日本共産党の任務はそこにある」
イギリス、イタリア、ベルギーなど西洋諸国の各国の共産党は、自国の王室を人民の敵とは認めず、それ故に一度も「王室打倒」とは叫ばなかったし、ソ連・国際共産主義勢力も命じなかったし求めなかった。
ロシア人理論家のニコライ・ブハーリンはスターリンの意向を受けて、日本共産党・日本人共産主義者・マルクス主義者らに送られる書簡に「天皇打倒」を書き加え、同時に各国の全ての共産党・共産主義者にも同様の文言を送った。
・ ・ ・
三十二年テーゼ
1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
・ ・ ・
8月13日 第二次上海事変勃発。
・ ・ ・
昭和8(1933)年頃から、日本人の共産主義者・社会主義者から大量の転向が続出し、日本共産党は治安維持法による弾圧で壊滅状態に追い込まれ、過激分子は地下に潜って反天皇反民族反日運動を続けた。
転向を拒否した日本共産党幹部は、逮捕されて収監されるか、中国に亡命しソ連やアメリカの支援を受けた。
転向社会主義者や隠れ共産主義者で高学歴者は、エリートとして官公庁に就職し、戦後は敗戦利得者としてユダヤ系ニューディーラーの支援を受けGHQの日本占領政策に協力し、20万人以上の公職追放後は官公庁の高級官僚や民間企業の幹部に就任し政治や経済を動かした。
・ ・ ・
日本人共産主義者を庇っていたのが、敵日の中国共産党と人民解放軍(現代の中国軍)であった。
・ ・ ・
日本人の共産主義者や無政府主義者のテロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為に付け狙っていた。
日本人共産主義者とは、反天皇反民族反日本であり反宗教無神論である。
・ ・ ・
軍事国家日本は、明治から昭和初期まで戦った大陸戦争は領土拡大の帝国主義的侵略戦争ではなく、天皇・国・民族、歴史・文化・伝統・宗教を外敵から守る民族主義的自衛戦争で、国内に引き込んで撃破する消極的専守防衛ではなく外地の敵軍基地を粉砕する積極的先制防衛であった。
・・・ * * * * * ・・・
日本の軍国主義国家建設は、侵略してくるロシア・ソ連・国際共産主義勢力、中国(中国共産党)・朝鮮に対する正当な自衛行為であった。
軍国日本の戦争は、戦時国際法に違反しない合法的な正当防衛の積極的自衛戦争であった。
つまり、日本は戦争犯罪国家ではなかった。
当然、歴代天皇は戦争犯罪者ではない。
・ ・ ・
紛れもなき日本民族日本人の切なる願いはただ一つ、数万年前・数千年前の祖先と数千年後・数万年後の子孫の為に、民族中心神話所縁の正統性男系父系天皇制度と神の裔である現皇室の天皇・皇族を守り残す事のみであった。
日本民族日本人が天皇に向ける畏敬・敬愛・親愛は、情緒、情愛よりも強く深く濃い「情念」である。
・・・ * * * * * ・・・
昔から、日本にはハーメルンの笛や滅びの笛を吹く教養ある日本人が一定数存在していた。
が、庶民と言わっる教養が低い大半の日本人は哲学・思想・イデオロギーがなく宗教が理解できない為に深く考える事が苦手で、単純思考から権威ある発言を盲信して、甘い言葉に酔って皆と一緒に我を忘れて踊り狂うという気質があった。
付和雷同と同調圧力が日本人の特徴である。
世の中を扇動する日本人は、悪人ではなく、自分が発言し行動している情報・発言は間違いない・正しい・真実と信じきっている善人である。
日本人の不幸は、お人好しすぎて、人を疑う事をしない為に欺されやすく、扇動者の情報・発言は世の為、人の為になると信じ切ってしまう事である。
付和雷同と同調圧力で見事に踊らされた実例が、ダイオキシン騒動、エイズ・パニック、福島原発事故放射能汚染騒動、コロナ騒ぎなどである。
現代日本でハーメルンの笛や滅びの笛を吹くのはマスコミ・メディアであり、国民の間に拡散し混乱を引き起こしているのがインターネット情報である。
・・・ * * * * * ・・・
歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士・悪党・野伏せり、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、相撲取り・力士、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、その他)、その他である。
日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激な無政府主義やマルクス主義に染まっていった。
江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
・ ・ ・
同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
マルクス主義・共産主義の階級闘争史観やキリスト教の最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
・ ・ ・
現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
・ ・ ・
戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
・・・ * * * * * ・・・
クラウゼビッツ「敵の軍隊を壊滅しても、国が残れば軍隊は再建できる。敵の国を壊滅しても、国民が残れば国は再建できる。しかし国民の意志、魂を壊滅させれば、完全に敵国を壊滅できる」
・・・ * * * * * ・・・
日本の戦争とは、天皇・皇室と日本国と日本民族を、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、マルクス・レーニン主義=共産主義のイデオロギー侵略から守る母国防衛戦争であり、敵に味方する反日・敵日の中国や朝鮮など周辺諸国を攻撃殲滅し各国に親日傀儡政権をつくり攻守同盟を結ぶ積極的自衛戦争であった。
明治新政府が、近代的天皇制度中央集権国家を選択し、軍国主義政策を採用して、富国強兵・殖産興業・近代教育で軍国日本へと暴走したのはこの為であった。
・ ・ ・
日本がアメリカに恐怖したのは、アメリカによるハワイ王国侵略とハワイ王家滅亡、そして自由・民主主義の大義とキリスト教の正義によってと民族の宗教・言語・文化・風習・その他がハワイ諸島から根刮ぎ消滅させられた事である。
アメリカの太平洋侵略を最も警戒したのが、1894(明治27)年にハワイ王国滅亡を目の当たりにした東郷平八郎であった。
ハワイ王国は、アメリカからの侵略から母国を守る為に日本の軍事支援を期待して、明治天皇に天皇家との姻戚関係を申し込んだ。
日本は対ロシア戦に備えて軍備強化を急いでおり、そこに新たに対アメリカ戦を加える余裕はなく、苦渋の選択として天皇家とハワイ王家との結婚は断り、1898(明治31)年にハワイ王国の滅亡を涙を流しながら傍観するしかなかった。
日本海軍内のワシントン海軍軍縮会議に猛反対した艦隊派は、ハワイ王国滅亡を教訓としていた。
・・・ * * * * * ・・・
日中戦争とは、宣戦布告なき世界戦争であった。
日本軍が戦った相手・敵軍とは。
第二次上海事変では、ファシスト中国(中国国民党)とドイツ軍事顧問団・ドイツ軍需産業であった。
ヒトラー、ナチス・ドイツ、ドイツ保守派は、親中国反日派としてファシスト中国を資金と武器で支援していた。
ユダヤ派の松岡洋右外相は、日独伊三国軍需同盟を結んでファシスト中国からナチス・ドイツを切り離した。
・ ・
南京攻防戦から中国全土攻防戦では、中国軍に味方するソ連軍正規部隊・国際人民義勇軍・国際的共産主義勢力などであった。
反共派の松岡洋右外相は、日ソ中立条約を結びソ連を中国戦線から追い出した。
ノモンハン事件では、日本軍は戦闘には勝ったが外交で負けた。
ソ連軍は、千島列島の占守島攻略で小部隊の日本軍守備隊による猛反撃にあって占領できなかった。
歴史的事実として、ソ連軍はドイツ軍に勝利したが日本陸軍には勝てなかった。
・ ・
重慶攻防戦から太平洋戦争勃発までは、アメリカ人航空ボランティア部隊(アメリカ陸軍航空部隊)、イギリス軍需産業、フランスの仏印援蒋ルートと戦い追い詰めていた。
・ ・
日中戦争を陰で支え煽っていたのは、欧米のユダヤ系国際金融資本と世界的な軍需産業及び石油資本であった。
・ ・
援蒋ルートであった、北部仏印は進駐して遮断したが、香港ルートはイギリスとの関係から手を出せなかった。
・ ・ ・
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツは追い詰めたソ連を敗北させる為に、同盟国日本に対してアメリカの対ソ軍事支援ルートの遮断を求めた。
アメリカの対ソ連支援ルートとは、北太平洋航路であるウラジオストク・ルート、インド洋航路であるアフリカ東沿岸ルート、南太平洋航路であるオーストラリア・インド・ルートを経たイラン・スターリングラード・ルート、そしてもう一つがスエズ運河・エジプト・ルートであった。
日本海軍は、インド洋でイギリス東洋艦隊追い詰めていた機動部隊を、東京初空襲を受けてアメリカ海軍機動部隊を撃滅する為にミッドウェー海戦に振り向けたが敗北した。
日本軍部は、太平洋戦争での激戦で手一杯でそれどころではなかった。
日本首脳部内のソ連派・マルクス主義者・隠れ共産主義者達は、ソ連を救う為にナチス・ドイツの要請を拒否した。
その結果、ドイツ軍は日本軍の間接的支援を受けられず北アフリカ戦線でも独ソ戦でも敗北し、そしてナチス・ドイツは滅亡した。
・ ・ ・
蒋介石は、ドイツ軍事顧問団からの「日中戦争に勝利する秘訣」として、ソ連もしくはアメリカを戦争に巻き込み日ソ戦争か日米戦争に発展させるべく外交戦略を巡らした。
ソ連に対しては、中ソ不可侵条約を結んで、満州で日本軍の背後を攻撃する密約を交わした。それが後のノモンハン事件である。
アメリカに対しては、宋美麗や国民党幹部らと共のアメリカ・キリスト教会で洗礼を受けてキリスト教徒になり、キリスト教会を利用してアメリカ世論を親中反日反天皇に誘導した。
それに答えたのが、民主党大統領フランクリンルーズベルトと共和党幹部のスチムソン元国務長官ら反日強硬保守派であった。
・・・ * * * * * ・・・
日本共産党の永遠に不変な不磨の党是とは、マルクス・レーニン主義にける人民の権利と共産主義の正義及び大義の実現である。
反天皇、天皇制打倒、反日本民族。反日本文明。反日本文化。
戦争反対と軍備反対の護憲で、交戦権の放棄、自衛隊解体。
反米・日米安保破棄・在日米軍追放、集団的自衛権反対と同盟拒否で日米安全保障条約廃棄。
対外的には、平和的な対話による外交安全保障。
科学万能による、自然改造による自然破壊と自然宗教否定。
神話宗教・血統世襲による正統性・男系父系の天皇制否定と皇室廃絶、非宗教非血筋非世襲の正当性女系母系天皇制ヘの変更、その他である。
マルクス主義と共産主義は、反宗教無神論と反天皇反民族反日本で、天皇と神話に関連する民族の歴史・文化・伝統・宗教の全面否定する。
共産主義者は人民暴力革命を成功させる為に、護憲・反戦平和・無抵抗非暴力を隠れ蓑として使っている。
事実、日本人の共産主義者や無政府主義者はキリスト教系朝鮮人テロリスト同様に昭和天皇や皇族を惨殺するべく付け狙っていた。
マルクス主義者は、日本民族神話を消滅させる為に神殺しを行い、死後の世界を否定し消し去る為に仏殺しを行い、今の命が大事というヒューマニズムで死を無価値とし死者への尊厳を踏み躙り霊魂を屑籠に捨てた。
それは、戦後民主主義教育の勝利である。
彼らによって、ジャパニーズ・ジャポンである天皇家・皇室は消滅される定めにある。
・・・ * * * * * ・・・
軍国日本のリノベーション、イノベーション、選択と集中。
・ ・
戦艦大和は、造船大国を目指してきた日本が辿り着いた一点豪華主義によるリノベーションであった。
ゼロ戦は、一点豪華主義の傑作ではなく、中間の傑作機であって、航空機開発というイノベーションは終戦間際の紫電改などの後続機にまで繋がっていた。
・ ・
真珠湾奇襲の成功は、制海権・大艦巨砲主義の戦艦から制空権・航空主義の空母へのイノベーションであった。
欧米海軍の主流派は、依然として大艦巨砲主義の戦艦で終戦まで空母と同時に戦艦をも建造していた。
日本海軍は、建造を戦艦大和型の二番艦「武蔵」の完成で中止しして以降は空母に切り替えた。
・ ・
日本陸軍は主力兵器を、選択と集中で、戦車・装甲車ではなく航空機と決めた。
・ ・ ・
昭和10年頃 1,000円程度の金があれば東京都内で家が建てられた。
戦闘機1機、7万円、爆撃機1機、20万円、戦車1台、35万円。
戦車は高額な特殊鋼を大量に使う為に値段が高かった。
・・・ * * * * * ・・・
アメリカが唯一の大国と言われる理由は、他国に頼る事なく輸入せず自国内だけで食糧、物資、エネルギーを自給できるからであり、もし足りないものがあれば北米、中米大陸、カリブ海で他国の妨害を得ずに手に入れる事ができる。
アメリカは、地理的条件、地政学から唯一侵略されない絶対安全国家である。
・ ・ ・
江戸時代までの日本は、外国から生存に必要な物資を輸入しない、頼る事がない地産地消の完全自給国で、その為に気象異常で凶作が起きると飢饉が発生して夥しい人々が餓死していた。
日本は近代化と共に食糧・物資・エネルギー(石油)の輸入国に転落した。
明治から昭和前期にかけて、日本は、経済が発展し産業が盛んになると大量の石油と資が必要となり、人口爆発で人口が急速に増えると国内生産では賄えなくなった。
明治以降の日本は、大凶作に襲われても食糧を緊急輸入して餓死者を出さなくなった。
輸入国家日本は、食糧・物資・エネルギー(石油)を外国で購入する為に外貨を稼ぎ、アメリカやイギリスなど西洋諸国内で日本資産を増やしていた。
・ ・ ・
国際通貨は米ドル貨・英ポンド貨・仏フラン貨などで、日本円貨は通用しなかった。
日本の貿易で重要であったのが、アメリカとイギリスに貯めた在外日本資産であった。
アメリカ・ウォール街、イギリス・シティー、オランダ・アムステルダムの金融を支配していたのは、ユダヤ系国際金融資本であった。
そして、世界の食糧・物資・石油などを支配していたのは、アメリカとイギリスの国際資本であった。
世界戦略からいえば、食糧・物資・石油は最有力な武器であった。
輸入国家日本の命綱は、輸出産業で稼いだ外貨を貯めた在外日本資産であった。
・ ・ ・
米ドルは、断トツの信用を持った世界市場における基軸通貨である。
アメリカは、軍事力と経済力そして通貨力で、世界の食糧・物資・エネルギーを支配し、金融・経済、情報・サービス、インターネット、運輸、輸送、その他の各種サービスを動かし、海上・上空・陸上の安全をアメリカ軍が保障している。
アメリカの本当の力は、世界の安全と安定を守る警察・守護者以前にある。
・・・ * * * * * ・・・
日本は、アメリカに依存し、アメリカ経済に寄生して生きている。
・ ・ ・
日本が大国になれない理由は、生きる為に必要な食糧・経済に必要な物資・資源生産と生活に必要なエネルギーを自給できず海外で米ドル建てで購入し、金融・経済、情報・サービス、インターネット、運輸、輸送、その他の各種サービスをアメリカに頼り、海・空・陸における安全をアメリカ軍に依存しているからである。
日本は、何一つとして自国だけで自力で賄えない。
つまり、日本は如何にアメリカに抗(あらが)おうとも日米安保体制という軛(くびき)から逃げ出せない。
その厳然たる事実を忘れたのが、ジャパン・アズ・ナンバーワンと煽てられ有頂天になったバブル経済における世界第2位の経済大国日本であった。
・ ・
戦前の日本はその深刻な現実を自覚するが故に、経済安全保障として、自給自足の大東亜共栄圏(円貨ブロック経済圏)を自力で作ろうとした。
太平洋戦争とは、軍国日本の領土拡大の為の侵略戦争ではなかった。
事実、昭和前期は人工爆発と凶作続きで食糧輸入国に転落し、昭和16年は異常気象で約1,000万人分の食糧不足となり仏印(現ベトナム)から大量の外米を緊急輸入して飢餓・餓死を防いだ。
外米を買うには米国ドルが必要であり、輸送船を動かす為には石油が必要であった。
が、アメリカ、イギリス、オランダは中国侵略を続ける日本に対する経済制裁として、在外日本資産の凍結と日本に対する石油全面禁止を断行した。
同じような深刻な事態が、コロナ禍2021年末のコロナ禍と2022年2月のウクライナ戦争で発生し、世界的な原油高で輸入資源不足と輸入代金高騰で日本国内のガソリン代や食品の値上が始まっている。
・・・ * * * * * ・・・
日本経済のビジネス・モデル、成功モデルは、ケチと出血受注・激安販売・人件費削減であった。 ・ ・ ・
戦後復興・高度経済成長・バブル経済は、赤字覚悟の出血受注、激安売り、貯蓄より浪費という大量生産・大量消費で起きた。
それは、同時に人生50年時代の若者が多く老人が少ない人口爆発期でもあった。
・ ・ ・
日本経済衰退の最大の原因は、明治以降の日本、特に戦前の「贅沢は敵」という価値観で貯蓄に励んだ事である。
江戸時代の豊かさは、武士・支配階級は「倹約は美徳」として浪費を抑えて将来の戦争に備えて金や食糧を貯めていたが、明日を考えない庶民は「宵越しの銭は持たぬ」として浪費し自ら好んで貧しい生活を送っていた。
マルクス主義や共産主義が声高に叫ぶように、江戸時代の庶民が貧しかったのは、幕藩体制下で領主・大名・専制君主から重税を科せられ、重労働を強いられ、搾取されていたからではない。
・ ・ ・
現代日本の経済を復活させる唯一の方法は、日本人が老後を心配せず明日に不安を感じず、稼いだ金・給料を次の給料日までに全て浪費して使い切る事である。
なまじ、将来や明日の事に気を病み、老後の事を心配するから金を浪費する事ができないのである。
つまり、日本経済を救う唯一の方法は、未来への夢や希望をドブに捨て貯蓄を辞めて全額引き出し、今だけの豊かさ楽しんで浪費して狂ったように踊る事である。
・ ・ ・
将来不安・老度心配とは、人生100年時代で若者が少なく老人が多い人口激減期で悪化、深刻化する。
・ ・ ・
日本の貧しい庶民は、西洋の人民や中華の民衆とは違うのである。
・・・ * * * * * ・・・