🚷49〉─1─少子と超超高齢で人口が激減してディストピア化する日本。~No.194No.195No.196 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2023年1月31日11:02 YAHOO!JAPANニュース デイリー新潮「人口減少でディストピア化する日本 豊かに暮らすための「四つの方策」とは
 豊かに暮らすための「四つの方策」とは
 かつて1位だった日本の競争力は、現在、世界34位なのだという。隔世の感があるが、もはや人口増は望めず、何か手を打たなければ今後も下がる一方だろう。では、どんな方策があるというのか。それは唯一、人口減を前提とした社会に日本を作り変えることである。【河合雅司/ジャーナリスト】(前後編の後編/前編を読む)
 【図を見る】日本は「世界競争力ランキング」で何位? かつては毎年1位だった
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 日本経済の衰退が覆い難くなってきた。
 GDP国内総生産)こそ何とか世界第3位を維持しているものの、4位のドイツにかなり迫られている。それどころか、2030年ごろにはインドに追い抜かれると見られているのだ。
 各種の国際ランキングを見ると、下位に甘んじているものが少なくない。国際経営開発研究所(IMD)の「世界競争力ランキング」では、22年の日本の総合順位は34位だ。1990年代初頭には首位をキープしていただけに、「別の国」になってしまったような印象である。
 経済が成長しなければ、国民の豊かさが損なわれていく。日本経済研究センターは、個人の豊かさを示す指標とされる1人当たり名目GDPが22年に台湾、23年には韓国を下回ると試算している。イギリスの経済誌エコノミスト」が、世界中のマクドナルドで売られているビッグマックの価格で各国の購買力を比較した「ビッグマック指数」を毎年2回発表しているが、22年7月の日本は54カ国中41位だ。中国や韓国、タイよりも安く、日本人の賃金の低さを映し出している。
 もちろん、急速に進んだ円安でドル換算の金額が目減りしているという一時的要因もある。だが、円安だけでここまでは落ち込まない。デジタル化の遅れが象徴するように、あらゆる分野で劣化が進んでいるのだ。日本製品が次々と世界を席巻し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと言われていた頃の勢いはどこにも見当たらない。
 生産年齢人口が約14%減少
 この四半世紀、日本にいったい何が起きていたというのか。日本経済の低迷についてはさまざまな分析が加えられてきたが、言うまでもなくデフレが最大の要因だ。バブル経済の崩壊や金融危機によって日本企業の競争力は低下した。だが、デフレを招いた初発の原因ばかりを追究していても、かくも長く脱却できない理由は解明できない。
 そこで国勢調査を見てみると、経済の主たる担い手の生産年齢人口(15~64歳)がピークを迎えたのは、日本経済が低迷を始めた1995年(8716万4721人)だ。2020年は7508万7865人なのでこの四半世紀に13.9%も少なくなっている。生産年齢人口の減少と歩調を合わせる形で日本経済が低迷したのは偶然ではないだろう。少子高齢化を伴いながら進む人口減少はデフレを長期化させている大きな要因であることは間違いない。
 生産年齢人口といえば、「働き手」と同時に「旺盛な消費者」でもある。両方が一度に減ったのだから日本経済が低成長を続けてきたのも無理はない。
 デフレを長引かせている人口の変化はもう一つある。この間、高齢者が激増したことだ。高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)が14%を超えて日本が本格的な高齢社会に突入したのは1994年である。その後も年を追うごとに上昇を続け、2022年は29.1%だ。主たる収入が年金という高齢消費者がマーケットの「主役」を占めるようになったのでは、企業や商店は値上げしたくても簡単にはできない。
 マイナスのループ
 人口減少が日本経済に及ぼす影響は、これにとどまらない。深刻さで優るのは、将来に対する希望や活力を人々から奪っていったことだ。この20年間、社会保障費の急増や空き家問題に代表されるように高齢社会に伴う諸課題が顕在化した。あらゆる分野で若手人材の不足が叫ばれ、地方では自治体の“消滅”までが語られるようになった。高齢社会の厳しい現実が多くの人に知られるようになるにつれて、出生数は目に見えて少なくなっていったのである。いまや若い世代にとって「未来」という言葉がネガティブなワードとなっている。
 これは若い世代に限ったことではない。医療や介護サービスの度重なる改悪で、中高年にも老後生活への不安は広がっている。「人生100年」と言われるほど寿命が延びたことで、“気ままな老後暮らし”が幻想であったことに多くの人が気付いた。
 こうなると、期待成長率は低下する。1990年代半ば以降の日本では、将来への期待が急速にしぼみ、投資不足が起きていたのだ。投資不足は潜在成長力を弱め、生産性を低下させていく。こうして日本経済はどんどんマイナスのループに陥っていったのである。投資をしないので企業には内部留保だけが積み上がり、労働者の賃金はほとんど上昇することはなかった。
 新興国のマーケットは魅力的だったが…
 タイミングも悪かった。日本で少子高齢化や人口減少が進むのと並行してコンピューターが急速に発達・普及し、人件費の安い新興国に次々と最新鋭の工場が建設されていったのである。新興国は高い技術力やスキルがなくとも、“それなりの品質”の製品を大量生産できるようになったのだ。各国経済が急速に発展し、人々の生活水準が格段に向上したことで、“それなりの品質”の製品が流通するマーケットも次々と誕生した。
 これは、日本企業にとって新たなライバルの出現であった。圧倒的な技術力による優位性を失ったのである。新興国で作られた製品はデフレ経済に陥っていた日本に大量に輸入され、内需で成り立ってきた企業までを苦境に追い込んだ。
 一方で、日本企業にとって新興国に新たに誕生したマーケットは、国内マーケットの縮小を補う魅力的なフロンティアであった。反転攻勢とばかりに乗り込んだのである。しかしながら、“それなりの品質”が中心の新興マーケットにとって日本製品はオーバースペックであった。欧米マーケットでのようには売れず、日本企業は戦略の立て直しを迫られた。
 人を「コスト」として扱った
 ここで新興国とは競合しない分野へとシフトする選択肢もあったが、競争力を取り戻すべくコストカットに踏み込んでいった。生産拠点を新興国に移すと同時に、日本人の人件費にも手を付けたのだ。技術者までをリストラし、新規学卒者を非正規雇用者にしてしまった。こうして就職氷河期世代を生み出したのである。人を「資本」ではなく「コスト」として扱ったということだ。これは技術者の海外流出を招き、現在につながる日本企業の開発力の低迷をもたらした。
 若者の雇用を破壊すれば、将来の人生設計ができなくなる。結婚や妊娠・出産を望めない人が増え、出生数の減少を加速させたのだ。企業が自ら「未来の消費者」を減らし、国内マーケットを縮小させるという自殺行為に走ったのである。当時の経営者の責任は重い。
 日本の労働者に「割安感」
 これに対して、政府・日銀は「デフレを脱するには賃金が上がる環境を作らなければならず、それには物価を上げる必要がある」と考え、インフレ目標を掲げて異次元の金融緩和を行ってきた。しかしながら、国民の将来に対する不安がデフレを深刻化させている背景となっている以上、これではうまくいかない。
 民間エコノミストなどからは「賃金上昇のために必ずしもインフレは必要ない」との指摘が出ているが、物価高が賃金の上昇に結びついていない現状がこれを証明しているといえよう。
 デフレに対して有効な対策を打てず、むしろ日本企業がオウンゴールのように自ら多くの人々の雇用を破壊した結果、日本は総じて低賃金の国になってしまった。OECDのデータ(21年)では日本の平均賃金は34カ国中で24位にまで低下している。政府や経済団体の首脳は人口減少対策として外国人労働者の受け入れ拡大に前のめりになっているが、いまや日本人に「割安感」が出ている。すでに中国をはじめ海外企業が日本人を雇用すべく日本に進出するケースが出てきているのだ。技術力が高く勤勉な日本人が“優秀な外国人労働者”として経済成長が著しい新興国などに出稼ぎに行く時代へと、いつ転換してもおかしくなくなってきている。
 繰り返すが、新興国との競争にのめり込んで人件費を抑制するという日本企業の経営モデルは、国内マーケットの縮小をより速める。人口減少社会においてはやってはならないことの一つなのだ。
 海外の投資家に見切りをつけられる
 将来の国内マーケットを縮小させるといえば、目立ち始めてきた国外での投資収益の獲得も同じだ。それ自体が悪いわけではないが、これを国内マーケットの縮小への対策として力を入れすぎることは危うい。収益が海外の子会社の内部留保となって国内に十分に還流しないだけでなく、こうした形で収益を得られることに味を占めてしまうと、人口減少の時代でも本業を成り立たせるための改革が遅れ、国内で良質な雇用が生まれづらくなるためだ。そうなれば、国内マーケットはさらに縮小する。企業だけ生き残り、日本社会が衰退したのでは意味がない。
 オウンゴールを繰り返し、実人口が減る以上に国内マーケットを縮小させていけば、外国が日本を見る目はより厳しくなる。そうなると、海外の投資家や優秀な人材が「日本の成長力」に見切りをつけ、日本はますます縮小する。円の価値も低くなり、エネルギーや食糧などの調達がままならなくなっていく。
 「戦略的に縮む」
 日本が人口減少とともに“輝き”を失えば、すべてが悪い方向へと向かう。
 いつまで先進国でいられるか分からないのに、人口減少対策の動きは鈍い。それどころか、人口減少など「別世界」とばかりに、国内シェア争いにまい進している企業が多い。現在の需要しか見ていないような大規模な開発計画も全国各地に目白押しである。空き家問題が深刻化しているのに、新築住宅はいまだ建てられている。
 人口が増えていた時代の「拡大」による成功体験が染みついているのだ。だが、国内マーケットは確実に縮小していくので、このまま「拡大」のみで突き進めば必ず破綻する。内需だけで経営を成り立たせている企業は死活問題に直面する。
 人口減少社会で豊かさを維持していくには、経営手法をはじめ、思い切って社会の仕組みを変えるしかない。そのためには「戦略的に縮む」ことである。
 まずは企業が国内マーケットの縮小を前提とし、それでも成長し得る経営モデルへと転換することだ。
 いや応なしに消費者が減るのである。売上高を増やすことで利益を拡大させる経営スタイルは人口減少社会では通用しない。
 少子化が進むにつれて、人手不足も恒常化する。配送するドライバーや販売する小売店の店員も含め、関連する業種がすべて縮小するのだから、1社だけが拡大路線にこだわろうと考えてもうまくいくはずがない。
 とはいえ、単純に売上高を減らせば、当然ながら企業は存続しえない。そこで目指すべきは少量販売でも利益を増やす経営モデルだ。そのためには、付加価値を向上させることである。
 「生活に必要なモノ」は売れる
 消費者は自分にメリットがあると思えば多少無理をしてでも購入する。例えば、スマートフォンだ。その利便性の高さは多くの人に「生活に必要なモノ」として認められ、決して安い買い物ではないが、瞬く間に普及した。
 ヨーロッパの企業に見られる洋服やハンドバッグなどのブランド品も同じだ。企業の生産能力に応じた数しか製造しないが、経営が成り立つには十分な利益を獲得している。顧客のニーズをしっかり把握し、必要とされるモノやサービスを、必要とされるタイミングで提供することで付加価値を高めているのである。
 消費者が必要とするモノやサービスを提供しさえすれば、マーケットの縮小で売上数がこれまでより少なくなったとしても、単価を高くすることによって利益をむしろアップさせることは可能なのだ。
 厚利少売で成功しているのが、イーロン・マスク氏が率いる米国の自動車会社テスラだ。他要因もあるので単純には比較できないが、1台あたりの純利益が他社を圧倒している。22年7~9月期決算を見ると、販売台数はトヨタ自動車の8分の1ほどで、純利益はほぼ同じである。
 「なくてはならない存在」を目指す
 世界が必要とする分野で付加価値を向上させ、新興国の追随を許さない製品やサービスを生み出すことで、海外マーケットを取り込める。
 そもそも、人口減少が止まらない以上、日本はいずれ海外に活路を見出さなければならない。だが、新興国をライバルとしたままやみくもに打って出ても“負け戦”に終わるだけだ。それよりも、高付加価値化によって「なくてはならない存在」となった上で、勝負したほうが成功確率は高くなる。
 もちろん、安価で安定的な提供を求められる日用品メーカーなど高付加価値化にそぐわない業種もある。こうした業種は、経営の多角化を図ることだ。高付加価値化の製品やサービスを扱える部門を創設したり、企業合併をしたりすることで企業全体として採算がとれるようにするのである。
 人を「資本」として投資できるか
 高付加価値化には、まず独創性が不可欠だ。だが、それを生み出す若い人材は、少子化の進行でどんどん減っていく。こうした状況を打開するには、従業員一人一人のスキルを底上げし続けるしかない。政府も旗を振りはじめたリスキリング(必要なスキルの獲得)などが重要となる。二つ目にすべきは、個々のスキルアップによって労働生産性を向上させることである。「稼ぐ力」を高めるのだ。
 資源に乏しい日本が、人口が減ってもなお経済成長を続けるためには、世界が必要とする分野において他国を圧倒するアイデアを生み出し、技術力で差別化を図っていくことに尽きる。それは人口が増えていた時代においても求められてきたことであり、人口が減る時代においてはなおさら傑出した分野を作ることが求められる。そうした意味においても人を「コスト」と捉えてはならない。「資本」として投資していくことが非常に大事だ。
 商圏を維持せよ
 三つ目は、マーケットの掘り起こしである。
 高齢化率はどんどん上昇し65年には38.4%となる。高齢消費者が増え続けるのに対し、多くの業種ではシニア向けビジネスに本気で取り組めていない。高齢者の暮らしぶりが十分理解できておらず、高齢者マーケットのニーズに対してイメージを描けていないのである。
 例えば、ファッション業界を例に挙げると、若い世代向けにはセンスの良さや素材の新しさが付加価値となってきたが、高齢消費者が服を買うときの基準はこれらに加えて、脱ぎ着のしやすさや、洗濯のしやすさなどが加わる。
 「着て行く場所」の提供も必要だ。「買っても着て行くところがない」となると購買そのものをしなくなってしまう。日本に圧倒的に不足しているのは“大人の社交場”である。高齢消費者のみならず、中高年にとっても「ハレの場」は少ない。
 このように、高齢者マーケットを掘り起こすには、付加価値を高めたり、新たな需要を創出したりする必要がある。その際に異業種と連携することで、思わぬ効果が生まれるかもしれない。
 四つ目は商圏規模の維持だ。縮小していく国内マーケットを分散させたのでは、一つ一つのマーケットの勢いが削がれていく。
 とりわけ、人口減少がすでに始まっている地方圏では重要なポイントとなる。今後は過疎エリアが広がっていくとみられるためだ。
 やみくもな地方移住より「集住」
 国土交通省の資料によれば、00年から20年までは人口5万人未満の小規模自治体において人口減少が進んだ。しかしながら、40年までに著しく減るのは人口5万~10万人の自治体で、00年比22%減となる。10万~30万人といった地方の中心的都市も14%減となる。商圏人口が減れば多くの民間企業が撤退を始め、電気やガス、水道といった公共サービスは割高となる。
 民間企業が撤退すれば、地域の雇用は減る。こうなると都会への人口流出が激しくなり、それによってさらに民間企業が立地できなくなる悪循環を生む。
 政府や地方自治体は東京一極集中を是正すべく、デジタル田園都市国家構想総合戦略において27年度に地方と東京圏間の転出入者の均衡を図ることを打ち出した。年間1万人の地方移住を図る方針だが、だからといって人里離れた場所に思い思いに住む人が増えれば過疎地を拡大させる結果となる。
 地方移住自体を否定するつもりはないが、企業が立地しうるだけの人口規模を維持できなければ、そこに住む人の生活は不便となる。撤退を余儀なくされる民間企業の側に立って考えると、そこに消費者がいることが分かっていながら費用対効果が悪くて販売機会を逸するということにほかならない。国内マーケットがさらに縮むようなものである。
 地方圏で商圏規模の縮小スピードを緩めるためには、既存の市街地などに「集住」することが求められる。
 残念ながら、日本の衰退の背景となっている人口減少を止める方策は見当たらない。瀬戸際に追い詰められている以上、過去の成功体験を捨て去り、思い切った改革に取り組むしかないのである。現状維持バイアスにとらわれ続けるならば、日本に明日はない。
 【警察官や消防士のなり手がいなくなる? ディストピア化する日本の未来を予測する、前編を読む】
 河合雅司(かわいまさし)
 ジャーナリスト。1963年名古屋市生まれ。中央大学卒。産経新聞社に入り政治部記者、論説委員などを経て現在、一般社団法人「人口減少対策総合研究所」理事長。『未来の年表』シリーズ第5弾『未来の年表 業界大変化』が昨年末発売されベストセラーに。
 「週刊新潮」2023年1月26日号 掲載
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