🚷35〉─3─年金の悲惨は現代の老人ではなく未来の若者に襲いかかる。~No.154 

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 2024年4月23日 YAHOO!JAPANニュース THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)「日本の年金制度の厳しすぎる展望に、20代サラリーマン、絶句…制度維持には「税金投入」「納付期限延長」の可能性も焼け石に水?【公認会計士が解説】
 少子高齢化が進展する日本。いまや年金の問題は全国民の関心ごととなっていますが、若者の将来の年金額については大きく減額する可能性が示唆されており、非常に心配です。今後の日本の年金制度の行方について、FP資格も持つ公認会計士・税理士の岸田康雄氏が解説します。
 【早見表】年金に頼らず「夫婦で100歳まで生きる」ための貯蓄額
 いまの若年世代の年金額減少は、ほぼ決定事項
 [図表1]年金の仕組み
 20代の会社員です。毎月の給料から引かれている社会保険料の金額を見るたび、あまりの金額の多さに言葉を失います。しかし一方で、少子高齢化に歯止めがかからない現状、私たちのような若手世代は、自分が年を取ったとき、年金がもらえないのではないかと不安を感じます。実情はどうなのでしょうか?
 26歳会社員 東京都板橋区
 日本の少子高齢化が止まりません。20代、30代という若手世代のなかには、この相談者の方と同じく、将来、自分の年金がもらえなくなるのではないかと危惧している方も多いようです。
 率直なお話、人口減少によって、今後もらえる年金が実質的に減っていくことは避けられないでしょう。
 理由のひとつとして、日本の年金制度は「賦課方式」という仕組みになっていることがあげられます。年金の支払い方には「積立て方式」と「賦課方式」がありますが、賦課方式というのは、いまの若い世代が納めている保険料が、そのまま現在の高齢者の年金に使われる仕組みをいいます。
 いまの若い方が年金をもらう年齢になったら、その年金はその時点の若い方々が負担することになります。これは「世代間の仕送り方式」ともいいます。ちなみに、この仕組みを理解していない人も多く、年金は自分で積み立てたお金を、将来、高齢者になった自分が受け取る方式だと勘違いしている人もいます。
ふたつめの理由は「少子高齢化」です。少子化によって保険料を納める若い人が減り、年金をもらう高齢者は増えています。しかし、今後はさらなる高齢化が進み、年金額はいまよりもっと増えていきます。そのお金を集めるため、保険料をどんどん上げていかなければいけません。
 負担の重さを訴える声に、政府が取った対処は…
 [図表4]マクロ経済スライドのイメージ
 上記のような状況から「保険料が上昇し続け、現役世代は負担増に耐えられなくなる」という批判が高まったのを受け、政府は2004年、年金の保険料に上限を決め、それ以上は増やさないことにしました。結果、給料の18.3%を従業員と会社が折半し、それぞれ9.150%を納めるというかたちに着地しています。
 年金も、その範囲内で出すことになりました。これまでは支払う年金を先に決め、それに応じて集める保険料を増やしてきましたが、それを逆にして、集める保険料を基準とし、それに合わせて年金を支払うことになったのです。
 しかしこれからは、働く人が減少する=保険料が減っていくため、それに応じて年金を減らしていくことになります。これを長期間かけて徐々にやっていこうというのが「マクロ経済スライド」といわれる仕組みなのです。
政府の試算によると、30年後の2050年には2割くらい減少するとの結果が出ています。2023年に30代の方々は、将来の年金額が現状より2割減、20代の方々はそれ以上に減っていると考えればわかりやすいでしょう。
 ただ、いまでは「70歳就業法」があるので、高齢でも働ける環境が整備されつつあります。この法律は、65歳から70歳までの就業機会を確保するための施策を講じることを、企業の努力義務としています。また一方で、子育て中の女性が働きやすい環境を整えるよう、企業も努力しています。ただし、これらは根本的な解決にはなません。
 根本的な解決は「社員の給料を上げる」しかない
 根本的な問題解決のためには、生産性を上げて賃金を高くすることが必要です。上述の通り、厚生年金の保険料は定率制であり、給料の18.3%を従業員と会社が折半して支払っていますから、給料が高くなれば支払う保険料が増え、年金の財源を増やすことにつながるのです。
 しかし、日本企業の給与水準はこの30年間ほとんど上がっていません。この状況を変える可能性があるのは、岸田首相がアメリカで表明した「ジョブ型雇用の給与体系の導入」でしょう。
 欧米では、仕事の内容、つまり「ジョブ」をあらかじめ契約で決めておく働き方が普通で、給料はその仕事によって決められます。それにたいして日本では、会社の社員になること、つまり「メンバーシップ」をもつことだけが決まっていて、仕事の内容は会社都合によって頻繁に変更されます。そして、給料はその人の年齢や勤続年数など、ジョブではなくヒトを基準として決められます。
 欧米のやり方をジョブ型雇用、日本のやり方をメンバーシップ型雇用と呼びますが、岸田首相は、ジョブ型の職務給を取り入れた雇用システムへ移行させると表明しました。
 ジョブ型雇用で求められる社員は、ひとことでいえば仕事のプロ、スペシャリストです。それだけ転職も容易になり、安い給料しか出せない会社からは人材が流出してしまいます。日本人の働き方を180度変えることになるといえます。
 所得代替率50%維持のため、なんらかの手当てがされる可能性
 多くの若年世代が懸念している年金額の減少ですが、恐らく、現役世代の所得の50%以上減ることはないと考えられます。政府は「所得代替率」で50%を確保することを法律で明記しているからです。所得代替率というのは、夫婦2人のモデル世帯で年金をもらいはじめる時点の金額が、その時点の現役サラリーマン1人の平均的な所得の何%にあたるかを示すものです。
 ちなみに、モデル世帯の夫婦は「夫=平均的な給与水準で40年間勤めた元サラリーマン、妻=同い年で専業主婦」という設定になっています。
 しかし現状では、専業主婦と共働き世帯は完全に逆転しており、共働き世帯は専業主婦の倍以上になっています。さらにいうと、日本でいま一番多いのは単独世帯、つまり1人暮らしで、全体の38%になっています。
 単独世帯の増加は、結婚の減少が大きく影響しています。生涯独身とほぼイコールに定義されている、50歳時点で1度も結婚していない人は、2020年時点で男性は28%、女性は17%にのぼります。それに加え、新型コロナの影響で、予想以上に少子化が進展しています。これらのことから、年金の所得代替率は、将来的には50%を割り込むと予測する専門家が増えています。
 ただし、所得代替率が50%を割り込むのは法律違反となるため、50%が維持できるよう、おそらく政府は年金制度を見直すことになるでしょう。税金の投入や、国民年金の保険料の納付期間の延長など、なんらかの改正があると推察されます。とはいえ、多少の手当程度では焼け石に水
 日本の若年層は、このままでは非常に厳しい老後生活が待っているといえるでしょう。
 岸田 康雄
 公認会計士/税理士/行政書士/宅地建物取引士/中小企業診断士/1級ファイナンシャル・プランニング技能士/国際公認投資アナリスト(日本証券アナリスト協会認定)
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🥓20〉─1・B─女性の半数以上が「非正規」で日本はこんなに貧しくなった。~No.87 

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 2024年4月5日6:33 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「女性の半数以上が「非正規」…日本はなぜこんなに貧しくなったのか
 平均年収443万円――これでは普通に生活できない国になってしまった。なぜ日本社会はこうなってしまったのか? 
 重版7刷の話題書『年収443万円 安すぎる国の絶望的な生活』では、〈昼食は必ず500円以内、スタバのフラペチーノを我慢、月1万5000円のお小遣いでやりくり、スマホの機種変で月5000円節約、ウーバーイーツの副業収入で成城石井に行ける、ラーメンが贅沢、サイゼリヤは神、子どもの教育費がとにかく心配……〉といった切実な声を紹介している。
 【写真】じつは知らない、「低所得家庭の子ども」3人に1人が「体験ゼロ」の衝撃!
 こうして「格差」は生まれた
 日本は約40年という時をかけて格差を作り、固定化させてきた。
 そもそも働く女性に結婚が許されず、「寿退社」が常識だった時代が長くあった。それだけではない。男性か女性かで出世できるかできないかというコース別の採用方法まであり、女性が働く間口はもちろん、裾野も狭かった時代が長かったのだ。
 1986年に男女雇用機会均等法が施行されたことで、性別によって採用の差別をしてはいけなくなり、結婚、妊娠や出産によって退職させることや降格処分をすることが禁じられた。
 男女雇用機会均等法ができたことは女性たちの悲願でもあったが、それとほぼ同時に労働者派遣法が施行されたことで、「女性の雇用は広がったが、それは派遣や非正規にすぎなかった」と言われ、実際、そうなっていった。
 総務省の「労働力調査」によれば、1986年2月の女性の非正規雇用の率は32.2%だったが、2022年1~3月平均では53.3%まで増えており、女性の半数以上が非正社員になっている。新卒に当たる15~24歳でも29.0%と3人に1人が非正規雇用で、25~34歳で30.7%、35~44歳で48.6%、45~54歳で54.9%まで上昇する。出産や育児で正社員として就業継続しにくい現状を物語っている。
 非正社員を生み出す法制度ができる背後には、常に、景気悪化がある。
 1991年にバブル経済が崩壊したあとの1995年、旧日経連(現在の日本経済団体連合会)が、「新時代の『日本的経営』」というレポートを出し、雇用のポートフォリオを組むことを提唱したことは、労働界にとって衝撃だった。
 この「95年レポート」は、一部の正社員は育てるが、景気の変動によって固定費になる人件費を削減するために非正規雇用を調整弁にするというものだった。
 それ以降、労働者派遣法は改正されて、1999年に派遣の対象業務が原則自由化され、ほとんどの業務で「派遣OK」となった。
 2004年には専門職以外の派遣で働くことができる上限期間が3年になり、同時に労働基準法も改正されて非正規雇用の雇用期間の上限も3年になった。
 本来は、派遣や非正規で3年働けば正社員に転換させるという主旨だった。しかし、正社員に転換して人件費が増えることを嫌がる企業に悪用され、3年経てば雇用が打ち切られる「3年ルール」が定着していった。
 すると、職場に慣れ、ようやく技能を身につけた頃に辞めることになる。職を転々とせざるを得なくなって、継続して技能を身につけられない不安定就労者が増えていった。
 こうした労働関連法の改正(1986年~2021年までの法改正のくわしい歴史については、『年収443万円』を参照)によって不安定な働き方が増加した一方で、経営側は「失業するよりマシ」と主張した。経済界に押される形で、規制緩和は進んでいった。
 寿退社が当たり前だった頃に創業した派遣会社には、子育てが一段落したブランクのある女性の活躍の場を作る理念があった。
 当初の派遣契約は1年前後と長く、時給も今よりずっと高かった。派遣会社でトレーニングを受けた社員が派遣されるという、本人にも派遣先企業にもメリットが享受される仕組みでもあった。
 小林 美希(ジャーナリスト)
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🚷9〉─2・H─少子高齢化の原因は結婚に魅力が失われ赤ん坊が愛の結晶ではなくなったから。~No.54 

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 セックスとは、性欲の解消であり、金銭で解決するものであり、愛するが故の行為ではなくなった。
 日本人のセックスの価値観が変わり始めたのは、1970年代に文化マルクス主義者が世界で広めたフリーセックスが原因であった。
 当時の進歩的インテリがメディアや教育を通じて団塊の世代に広めた。
 親は、子供の犠牲になるべきではない。
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 2024年4月20日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「少子化の解決策は難しいが、そもそもなぜ人々は21世紀に一段と結婚しなくなったのか
 なぜ人々は結婚しなくなってしまったのだろうか。まず「なぜ結婚するのか」から考えてみよう(写真:Getty Images)
 少子化は現代において自然な結果である。同時に、未婚化、独身率が上がっていることも当然の現代的現象であり、この主因は近代資本主義にある。
 前者の少子化については、この連載の「『少子化は最悪だ』という日本人は間違っている」で議論したので、今回は後者の話をしよう。
少子化の解決策が難しいワケ
 近代においては、賃金労働化・都市化が進み、共同体が崩れ、核家族化・個人化が進んだ結果、社会が流動化した。商品化・市場化・資本の動員化という経済的流動化と、社会的流動化とが相互のさらなる流動化を促進した。
 日本でも「イエ」制度が崩れた。しかし、流動化は中途半端だった(逆に言えば、社会の重要な部分の完全な流動化を免れた)。
 そのため、戦後、アメリカに迫られた結果として(あるいはアメリカ的なカルチャー、社会の世界的流行により)さらなる流動化が生じ、戦後、社会の流動化が部分部分で異なったスピードで進んだため、さまざまな移行過程の歪みが社会の至る所で生じている。
 その1つが、男女の社会における役割分担のあり方であり、移行過程の現象として、少子化、晩婚化、未婚化、離婚率の上昇が起きている。
 したがって、少子化対策を局所的な反応として行っても無効であり、対策を取るなら、社会全体に働きかける必要がある。しかし、それでも社会の変化の大きな流れにはあらがえないから、効果は小さいだろう。
 解決策は、この社会の構造変化の移行過程の終了を待つしかない。そのとき、現在の欧米と同じような状況になる可能性があるだろう。
 ただし、それが良い社会であるかどうかは別問題である。良い社会にするためには、政策として改善を積み重ね、試行錯誤を行い、現在の社会のメンバーである、われわれが将来のために努力することが必要である。
 このような構造はいわばマクロ構造であるが、それと同時に、ミクロ構造的な面においても、資本主義の発展が(終盤に向かうことにより)、人々に「結婚」という「財」を避けるように仕向けているのだ。この経済的現象としてのミクロ構造が今回の主題だ。
■そもそも人々はなぜ結婚をするのか
 世間では、未婚化の理由として、貧困や経済的不安定性を挙げている。政策マーケットとしては、そのために、所得をどう支えるか、給付金を配るか、という議論ばかりしている。
 これも前出の記事に書いたとおり、まったく間違っているのだが、そもそも「なぜ結婚しないのか」ではなく、「なぜ結婚をするのか」を考えるべきだ。
 そのほうが生産的な議論であるのは、前提が大きく変わったからだ。昭和の(というよりも19世紀の価値観の)社会では結婚することが大前提であったが、21世紀では結婚しないことがデフォルトなのだ。「なぜ結婚する必要があるのか」という問題をクリアしなければ、結婚までたどり着かないのである。結婚しない理由ではなく、結婚する必要がある理由を探す必要がある。
 では、そもそも、人々はなぜ結婚するのか。
 現在においては、いわゆるおめでた婚がいちばんの理由だ。21世紀初頭に、政府の家計調査のデータを見ていたときに驚いたのは、10代および24歳までの世帯主の家計が既婚である場合は99%子供がいたという事実を発見したときだ。子供ができたならば結婚はしたほうがいいと考えた人が多かったであろう。
 これに次ぐ第2の理由は、子供が欲しいから結婚するというものである。第1と第2は順番の違いだけであり、本質は同じだ。そして、その本質は、1つは「子供」というものだが、もう1つは結婚が「必需品」であるということである。
 結論を先取りすれば、21世紀に人々が結婚しなくなった理由の2つのうちの1つは、「結婚」という「財」が「必需品」から「ぜいたく品」に変わったからである。
 19世紀的な価値観の社会においては、結婚は必須だった。社会から、世間から、家から、強制された。しかし、今や義務ではない。
 社会的な義務でない場合、結婚する理由はかつては経済的理由だった。女性は現金を稼ぐ機会が限られていたから、稼ぎのある(または資産のある)男性と結婚する必要があった。
 男性は世間から結婚しないと一人前でないと見られていたから、社会的に成功するためには、結婚する必要があった。だから、結婚が義務ではなくなった昭和においても「必需品」であった。
 しかし、それは平成では崩れ、結婚は「選択肢」となった。するかしないか、選べるようになったのである。「なくても生きていける、でも、あったらもっと幸せかもしれない」。人々は、幸せを増やすために結婚するかどうか考えるようになったのである。それまでは生きるための必需品だったから、これは大きな変化だった。これにより婚姻率は低下を始めた。
 しかし、離婚率の上昇のほうが顕著だった。それまでは義務あるいは必需品だったものがそうでなくなったので、彼ら(彼女ら)は「結婚していない状態」を選択したのである。
 しかし、21世紀に入って婚姻率の低下は加速した。その理由は何か。
 結婚は「必需品」から「ぜいたく品」に変わった。しかし、「ぜいたく品」にも2種類のぜいたく品がある。それは、「ハレ」の日のぜいたく品と、「ケ」におけるぜいたく品である。結婚式はハレの日である。しかし、結婚生活は日常だ。
■現代における日常の「ぜいたく品」とは何か
 現代における日常の「ぜいたく品」とは何か。これが現代資本主義の本質である。すなわち、現代資本主義における経済成長とは、日常におけるぜいたく品の膨張過程であるからである。
 資本主義が1492年のクリストファー・コロンブスアメリカ大陸到達に象徴されるように、社会経済の流動化により始まった。その後、略奪などによる資本蓄積、それらの争奪戦という戦争を経過する中で、第1次産業革命が起き、商品市場化が進むが、経済成長は目立っては起きず、それは内燃機関と電気による第2次産業革命まで待たなければならなかった。
 そして、第3次産業革命といわれる現代のコンピューター、IT、AI革命は、第2次産業革命ほどの生産性の向上をもたらしていない。生活の変化も19世紀後半から20世紀前半(アメリカにおいて。欧州は少し遅れ、日本はさらにその後)ほどではなかった。
 これが、アメリカの経済学者、ロバード・ゴードンの設定した、最も重要な経済成長における謎(“The Rise and Fall of American Growth”, 2016)である。これは、ローレンス・サマーズ元財務長官らとの世界金融危機(リーマンショック)後の長期停滞論の論争としてもクローズアップされた。
■第2次産業革命が決定的に重要な役割を果たした
 サマーズ氏らは長期的に需要が不足していると主張し、大恐慌後の財政出動のような公共事業を主張した。一方、ゴードン氏は供給側の要因を挙げ、生産性の上昇率が低下している、第2次産業革命インパクトに比してIT革命は広がりが小さく、供給側の要因で成長力自体が落ちており、19世紀後半から20世紀前半の奇跡の世紀は一度限りのものだと主張している。
 ゴードン氏によれば、第2次産業革命の影響の広がりは、経済における生産性上昇・生活の改善において、歴史上、唯一無二のものだとし、これが奇跡の成長をもたらしたとしている。
 私の考えは、第2次産業革命が決定的に重要だという点では一致しているが、その理由は異なる。
 第2次産業革命により、家庭に電気が届いた。家電が生まれた。そして、「三種の神器」と言われる洗濯機、掃除機、冷蔵庫が登場し、水道、電気、ガスが家庭にネットワークとして届き、家事労働は一変した。
 それまでは、家事労働ですべての時間を使っていた主婦が、それらから解放され、自由になったのである。そして、彼女たちは外に出て、賃金労働を行うことができたのである。
 これは彼女たちにとって幸せであったかどうかは議論があるが、経済にとっては市場における労働力が倍増したのである。ここに生産力が高まり、経済は大きく成長・拡大したのである。この労働力の増加というのは、ゴードンが言っていることである。
 しかし、もっと重要なことがある。それは「暇」が生まれたことである。これが資本主義経済を徹底的に変えたのである。家事労働から解放されて、賃金労働をするようになったが、残りの時間は「余暇」となった。
■レジャー消費で儲けることが資本主義の中心に
 ここにレジャーが生まれた。このレジャー消費で儲けることが資本主義経済の中心となったのである。主役は供給側の生産者、技術革新により何が生み出せるかではなく、暇を持て余した消費者が何で暇つぶしをするのかということに移ったのである。ここに消費者主導の経済が始まったのである。
 これは、現代では、部分的にはよく知られている戦いである。従来ならばテレビを見る時間をネットサーフ、動画、SNSが奪い、テレビ産業が衰退しているという話が典型である。
 しかし、これは20世紀の大量消費社会を貫く、最も重要な論点なのである。買い物は、必需品を買いに行くという家事としての「仕事」から、欲しいものを買うという行為であるショッピングという「レジャー」になった。だから、必要性ではなく、華やかさや魅力が消費財における最重要要素になったのである。
 そして、この余剰消費は儲かる。なぜなら、予算制約もあいまいで、欲しい理由もあいまいで、実用性もあいまいだから、うまくやれば、コストをかけずに爆発的に売れるのである。大衆・群集社会においては、ブームを作れば一攫千金となり、合理的な生産者は必需品の市場からこちらのマーケットへ殺到した。
 私は、これが20世紀の奇跡の経済成長、一度限りの経済の膨張の最大の理由だと考えている。歴史的に余暇の誕生は一度限りであり、それをもたらしたのが第2次産業革命なのである。第3次産業革命は、この余暇を奪い合うビジネス戦争における技術革新の戦いなのである。テレビもスマートフォンSNSもネットショッピングも、余暇の中での消費の奪い合いの手段にすぎないのである。
 これらの余暇消費を、私はエンターテインメント消費、エンタメ消費と呼んでいるが、一見、「ハレ」の消費が目立つ。ゴールデンウィークの旅行消費、華やかな結婚式と披露宴。しかし、時間のほとんどは日常である。そして、日常的に時間が余り、暇になったのである。
 暇な日常ではどうなるか。さびしくなるのである。この暇と寂しさを紛らわせる消費が、日常的な暇つぶし、寂しさを紛らせる「ケ」の消費、現代の消費の大部分となるのである。
 そして、日常的だから予算制約がある。カネもかからず、日常的に暇がつぶせる、必需品ではない、ぜいたく品。これに対する最有力候補が「結婚」であったのである。
 恋愛は「ハレ」だ。激しい恋愛は寂しさを忘れさせる。しかし、その後はさらなる寂しさが訪れる。持続可能で、安定的で、帰る家があり、温め合う人がある。結婚は寂しさを紛らわせる最有力選択肢となったのである。19世紀に義務だった結婚が20世紀になり、必需品からぜいたく品、選択するものになり、寂しさを紛らわせる最有力選択肢となったのである。
■なぜ結婚は21世紀に魅力を失ったのか
 さて、この結婚が21世紀に魅力を失ったのはなぜか。結婚という選択肢を取らなくなったのはなぜか。
 それは、21世紀には日常的に寂しさを紛らわせる消費手段が多数登場したからである。スマホをいじっているのは寂しさを紛らわせるため。SNSはもちろんそうだし、動画も暇つぶしで寂しさも一時的に忘れる。ゲームはその最高の手段だ。伝統的には酒もそうだし、麻薬も、ギャンブルもそうかもしれない。ギャンブルにはまった水原一平さんは、いけないことだが、きっと寂しかったのではないか、と個人的には想像している。
 酒、麻薬、ギャンブルは、中毒性があり、禁止されている。一方、テレビ、スマホSNS、動画、ゲームも時間制限が必要だという議論があるのは、中毒性があるからだが、もはや若い世代には普通の日常として、社会的に後ろめたいことではなく、普通に趣味はゲームといえる社会になっている。
 そうなのだ。結婚しなくなったのは、スマホとゲームがあるからなのだ。「ハレ」のエンターテイメント財と違って、費用は予算に応じて調節できる。日常的な「ケ」のエンタメ財の登場、発展、成熟、社会的受容により、世の中にあふれるエンタメ消費財が、結婚という「財」の代替的手段として選ばれるようになったために、21世紀の婚姻率は低下したのである。
 そして、このエンタメ財の発達こそ、近代資本主義の最終局面の特徴である。ゆえに、婚姻率の低下は資本主義発展の当然の帰結であるといえるのだ。
 最後にもう1つ、資本主義が離婚率を高めた理由を挙げておこう。
■なぜ資本主義は離婚率を高めたのか
 資本主義とは、流動化である。そして、流動化されたものの変化である。新しいもの、変化すること、それ自体に価値があるようになった社会である。
 それにより差別化し、別のぜいたく品(前述のエンタメ品でも)から消費者を奪ってくるのである。スピード勝負。こうなると、すべてのプレーヤーが動こうとする。変化しようとする。前と違うものを生み出し、違うことをしようとする。
 そうなると、必然的に将来は予測不可能になる。毎日の日常、繰り返しの安定した生活なら、明日に何が起こるかわかる。社会全体でもわかる。しかし、流動化し、変化を追い求める社会では、明日の予測が立つわけがない。だから、資本主義が加速すればするほど、将来はわからなくなる。
 現在、もはや将来予測はできない。その理由は、前述の流動化・変化が20世紀初頭までは生産者側の競争によるものだったのが、それ以後、消費者側の変化、消費者の気まぐれにより経済社会が変化するようになったからである。
 生産者が消費者の暇つぶしのエンタメ品需要の獲得競争をしているから、技術的な変化ではなく、消費者の嗜好の変化に対応して企業は予測し、行動しなければいけないが、これは非常に難しいのである。
 消費者は気まぐれだし、エンタメ品を消費しすぎて、飽きるのが早くなってくる。だから、21世紀、さらに企業は変化の加速を求められている。となると、設備投資は難しくなる。技術的・品質的には世界最高のもので、この先10年は抜かれないと思っても、つまり、技術的な賞味期限が10年あっても、消費者は1年で飽きるかもしれない。
 この現実を直視しないまま、技術的優位性、規模の生産による価格低下だけを狙って大規模な投資をした、シャープなどの日本企業は21世紀、失敗を重ねた。
 20世紀には長期にコミットすることが価値で、競争優位をもたらしたが、21世紀には投資は2年で回収しないと消費者は移っていくのである。
■結婚という投資を短期に回収するようになった
 だから、アップルやファーストリテイリングのように他社に投資させるか、TSMCのように設備投資を巨大にするが2年で回収できるように、世界中の需要を取り尽くそうとする。これが、21世紀に「勝者総取り経済」になった理由である。
 そういうことが成り立たない限り、企業としてはビジネスが成り立たないからだ。勝者総どりにならない限り、参入しないのである。
 離婚率の上昇も、これとまったく同じ構造である。現代社会は、経済の影響を受けて、変化が速くなった。一生のことは約束もできないし、変化は当然だ。結婚も衣替えが必要だ。そして、それはお互いわかっている。だから、21世紀の離婚は、泥沼もあれば、「離婚後も良い友達」もあるのである。
 つまり、結婚という投資を短期に回収するようになり、一定期間の幸せを得て、投資の回収が終われば、次の投資に移っていくのは合理的な選択肢となりうるのである。だから、離婚率の21世紀におけるさらなる上昇も、資本主義発展の必然の帰結なのである。
 (本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)
 ※ 次回の筆者はかんべえ(吉崎達彦)さんで、掲載は4月27日(土)の予定です(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)
 小幡 績 :慶應義塾大学大学院教授
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⛲25〉─3─日本の惨状…高齢者には「お金がなくて孤独だから、家も借してもらえない」。~No.119 

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 メディアに踊らされた独身貴族の哀れで惨めな老後。
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 2024年4月18日 YAHOO!JAPANニュース THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)「日本の惨状…「お金がなくて孤独だから、家も借してもらえない」貧困老人7万人が置かれる、あまりに悲し過ぎる現実
 高齢者の基本的な生活の状況、住宅と生活環境に関する状況を把握するために行われた、『令和5年度 高齢社会対策総合調査』。結果を読み解いていくと、日本の高齢者が直面する問題がみえてきた。
 【早見表】年金に頼らず「1人で120歳まで生きる」ための貯蓄額
 高齢者「最期は自宅で」45%、「孤独死を身近に感じる」48.7%
 [図表1]最期はどこで迎えたいか(択一回答) ※「その他」「不明・無回答」以外の選択肢(%)の高い順に並べ替え。出所:内閣府
 65歳以上の男女を対象に内閣府が行った『令和5年度 高齢社会対策総合調査』。この調査項目のなかに、「万一、治る見込みがない病気になった場合、最期はどこで迎えたいですか」という質問がある。全体の回答は、下記の通りだ。
 「最期はどこで迎えたいか」
 自宅…45.8%
 病院・介護療養型医療施設…36.3%
 特別養護老人ホーム・有料老人ホームなどの福祉施設…8.3%
 サービス付き高齢者向け住宅…2.6%
 今は別居している子・親族などの家…3.0%
 最多は「自宅」の45.8%。男女別では、男性52.2%、女性40.1%と、12%近い差が開いている。平均寿命や配偶者との年齢差を勘案すると、男性の場合は、妻をはじめとするだれかに見送ってもらうことを前提に回答していることをうかがわせる。一方の妻は、夫を見送ったあとを思い浮かべ、子どもに迷惑をかけないように…という思いがあるのかもしれない。
ちなみに、孤立死について身近に感じるかを聞いたところ、全体で「あまり感じない」(36.5%)が最も高く、「まったく感じない」(13.0%)と合わせた「感じない(再掲)」は49.5%という結果になった。これに対し、孤独死を身近に「感じる(再掲)」(とても感じる14.4%+まあ感じる34.3%)という回答者も48.7%となり、両者はほぼ拮抗している。
孤独死を身近に感じるとしたのは、結婚したことがない者(68.8%)、配偶者あるいはパートナーとは離婚している者(64.9%)が高かった。 子どもの有無(同居、別居別)でみると、子どもがいない者は「感じる(再掲)」(70.0%)が高く、7割を超えている。 同居者でみると、同居者はいない者は「感じる(再掲)」(73.4%)が高く、7割を超えている。 家庭の1ヵ月の平均収入額でみると、家庭の1ヵ月の平均収入額が20万円未満は「感じる(再掲)」が5割以上と高くなっている。
 配偶者や子どもがなく、収入が低い人ほど孤独死を身近に感じていることが分かる。
高齢者は持ち家率高し…「最期は自宅で」と思うのも当然か
 [図表2]現在の住居形態(択一回答) ※ 「その他」「不明・無回答」以外の選択肢(%)の高い順に並べ替え。出所:内閣府
 しかし当然だが、自宅で最期を迎えるためには「自宅」と「看取ってくれる家族」がなければならない。そこで高齢者たちの住宅事情を見ると、圧倒的に持ち家が多いことが分かる。
「高齢者の現在の住居形態」
 持ち家(一戸建て)…76.2%
 持ち家(分譲マンション等の集合住宅)…8.3%
 賃貸住宅(民営のアパート・マンション)…5.9%
 賃貸住宅(公営・公社・UR等の集合住宅)…4.5%
 賃貸住宅(一戸建て)…2.4%
 高齢者向け住宅…0.4%
 安心して過ごせる自宅をがあるなら、そこから旅立ちたいと思うのも自然だろう。
 一方で、家無しリスクのある高齢者「全国に7万人」
 [図表3]65歳以降に入居を断られた経験の有無(択一回答) 出所:内閣府
 ひるがえって、賃貸派の高齢者の実情を見てみよう。賃貸派にとって、なにより大きな不安は「家なしリスク」だろう。
 「65歳になってから今までに入居を断られたことがありますか」の問いに、「ある」と回答したのは1.5%とかなりの少数派だが、これは決してスルーしてOKな数字ではない。
2023年9月15日現在、日本の高齢者は推計で3,623万人。賃貸派は12.8%から計算していくと、実数は463万7,440人。そのうち「借りたくても借りられなかった」という経験のある高齢者は全国で7万人にも及ぶ計算だ。
 そこからさらに収入別にみると、月10万~15万円未満では1.0%なのに対し、月5万~10万円未満では5.6%、月5万円未満では7.4%と、収入が少ないほど断られる率が上がる。ここから考えると、年金5万円未満では13人に1人の割合で「家なしリスク」に直面することになるといえそうだ。
 年金10万円未満で跳ね上がる、高齢者の家なしリスク。低収入が審査の通過を難しくしているなら、いっそ生活保護に頼るという手もあるだろう。
 たとえば東京23区の場合、生活扶助基準額は7万6,880円、住宅扶助基準額が5万3,700円。合計の生活保護費は13万0,580円。仮に年金月5万円で、貯蓄も最低生活費以下、十分に働くこともできないと判断されたら、差額となる月8万円ほどの生活保護費を受け取れる可能性があるのだ。収入面の懸念から「家は貸せません」と謝絶した大家も、生活保護を受けることで収入が安定した高齢者であれば「貸りてください」という対応へと変化するかもしれない。
 [参考資料]
  内閣府『令和5年度 高齢社会対策総合調査』
 THE GOLD ONLINE編集部
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🌁53〉─7─フィリピン人労働者は低賃金とパワハラの日本で働きたくない。~No.271 

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 外国人の人材や労働者は、人種差別の激しい日本を嫌い日本に働きに行く事を嫌い始めていた。
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 2024年4月17日 YAHOO!JAPANニュース GOETHE「「日本では働きたくない」ベトナムで拡散される日本の職場のパワハラ動画
 かつては水産物の争奪戦で中国に敗れ問題になった「買い負け」。しかしいまや、半導体LNG液化天然ガス)、牛肉、人材といったあらゆる分野で日本の買い負けが顕著です。2023年7月26日発売の幻冬舎新書『買い負ける日本』は、調達のスペシャリスト、坂口孝則さんが目撃した絶望的なモノ不足の現場と買い負けに至る構造的原因を分析。本書の一部を抜粋してお届けします。第9回。
 頭打ちの外国人技能実習
 TEXT=坂口孝則
 2022年末に韓国に出張した。サムギョプサルを食べに入店すると、ベトナム人らしき女性が迎えてくれた。どこから来たのか、と知人が訊くと、やはりベトナム人学生で情報工学を学びに来たという。「日本は選ぼうとしませんでしたか」と訊くと「韓国しかありません」と答えてくれた。「私の友だちも韓国に来ています」。外国人で日本語を学ぶ人が少なくなっている、ともよく聞く。
 日本で働いてくれる外国人労働者数を見てみる。厚生労働省は5年間の推移を発表しており、2017年の128万人から2021年の173万人と増えている。しかし対前年増加率はかなり減少している。コロナ禍だったとはいえ、2021年は0.2%となり頭打ちになっている。
 冒頭で紹介した女性は留学生だが、留学生として日本で労働している数は2017年の26万人から2021年は27万人と横ばいに見えるが、2019年にピークを迎えたあと、減少が続いている。
 そして比率として大きいのが技能実習生だ。もともと外国人技能実習制度は、国際貢献としてはじまった。日本で多くの技能を学んでもらい自国に持ち帰ってもらう。しかし実態は日本における単純労働を下支えする役割を担ってきた。
 日本は移民を堂々とは許容してこなかった一方で、現実的な問題として安価な労働力不足が顕在化していた。そこで技能実習制度がはじまったのが1993年だった。在留期間が限定され帰国させやすい側面もあり広がった。そこから30年が経った。
 かつて中国からの技能実習生が最多だった時期がある。ただ中国が経済成長したり、日本以外の選択肢が増えたりしたことから減少。ベトナムからの実習生が最多になっていた。しかし中国で起きたことはベトナムでも起きる。ベトナムの経済成長が続き、他国の成長はいうまでもなく、昨今は円安の問題もある。円安は落ち着きを見せるが、中長期的には日本の凋落は避けられないと見る向きも多い。
 日本は技能実習制度だけでは外国人に訴求性がないと考え、特定技能を導入した。これは8割が技能実習生から移行するもので、在留期間も延びる資格があり、さらに転職も可能だ。しかし受け入れ数は、予想数にまったく届かない。
 日本のパワハラ動画は拡散されている
 最大の送り出し国であるベトナムでも、候補者不足が恒常化している。そこでベトナムの送り出し機関で働くベトナム人幹部に聞いた。
 「これは統計には表れない、ベトナム人の希望なんですけれど、10年くらい前は100人いたら95人は日本に行きたいと言っていました。しかし、現在は50人くらいかなと思いますね。第一が日本ではなく、オーストラリア、ドイツ、韓国だという人はたくさんいますね。製造業もそうですけれど、とくに建設とか農業で日本行きを希望する人がいなくなりましたね。
 正直に言えば、日本を希望する候補者のレベルは下がっています。他国の条件がいいですからね。日本で失踪するベトナム人が話題ですが、韓国に行ったベトナム人も失踪していました。韓国は候補者の出身地を重視するんですよ。過去に失踪した地域出身なら、また失踪するかもしれない、と。ただし韓国は日本のように技能実習生として受け入れるわけではなく、正規の労働者なので、その代わりに条件もいい」
 賃金の話を補足しておくと、あくまで一つの送り出し機関の例であり為替レートも変動するものの、ベトナムの若者が日本に行くと月収が16万円から19万円だという。必死にがんばっても月収は20万円を少し超えるていど。ただし韓国に行くと19万円から25万円ほどだという。ベトナムの労働相は日本で働く技能実習生の手取りを増やすため、日本の厚労相にたいして、住民税や所得税の控除を依頼するほどだった。
 いっぽうで、韓国では雇用許可制(EPS:Employment Permit System)という制度がある。これは、文字通り研修生としてではなく労働者として受け入れる仕組みだ。さらに民間ブローカーが排除されるケースもあり費用が抑えられる。
 私はここで、ベトナム人候補者が減ったのは日本で技能実習生を受け入れる職場の労働環境が悪いからではないか、と質問してみた。日本では労働環境問題にくわえて、妊娠や出産など、個人的なことまで管理される場合がある。参考までに追記しておくと、技能実習生を受け入れている企業の労働法令違反率と、全体の違反率は同程度という指摘がある。つまり技能実習生の受け入れにかかわらず悪しき日本企業は一定数が存在する。ただし、だからといって法令違反の企業があっても仕方がない、という結論にはならないだろう。
 「もちろん、それはあるかもしれません。でも実習生から聞く限り、昔に比べて労働環境は改善しています。労働環境が悪いから日本を希望しないのだったら、以前から少ないはずです。私が候補者と話した感じでは、やはり賃金として魅力がなくなっていますね。円安がそれに拍車をかけました。仕送りすると目減りする。私たちは、候補者に為替は変動するから、現時点の為替レートだけで決めないように伝えるんですが、そもそも為替を詳しく知らない候補者もいます。日本の魅力も伝えます。ただ、彼ら、彼女らからすると、出稼ぎなのでお金は重要です」
 氏は最後に、かつて隆盛を極めた日本企業向け接待交際費の予算はほぼなくなったといい、現在は現地ベトナムでの食事くらいは自腹で払っていると教えてくれた。
 外国人労働者技能実習生の雇用や受け入れについて研修やコンサルティングを行う関係者は言う。
 「これは差別ではないものの、やはり歴然としてアジアの国の地方からやって来る人か都会からやって来る人かでレベルが違うのが現実です。そして日本にやって来る人は地方からが多い。日本の魅力度が低下しているのは事実でしょう。コロナ禍で面接がオンラインになったので見極めも難しいですからね。
 またベトナムにはサムスンのように外国から有名企業が進出しているのでベトナム内での知名度が高いんですね。日本はさほど優位性がない。さらに日本に技能実習生として行っても働ける年数が短いでしょう。さらに日本の職場でベトナム人パワハラを受けた動画が一瞬で拡散されます。あんな酷いことをする日本の職場は一部ですよ。でも、一部でも日本を敬遠するには十分です」
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⛲38〉─1・B─ネット社会における身元不明死、繋がりはSNSだけ。~No.216No.217No.218 

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 2024年4月16日 YAHOO!JAPANニュース ITmedia NEWS「ネット社会は「身元不明死」に対応できるか
 2025年問題というのをご存じだろうか。物流の「2024年問題」が来たばかりで、もはやいつがどの問題なのかわけが分からなくなっている方も少なくないと思うが、取りあえずこれから起こる一番近いのが、2025年問題である。
 【クリックで表示】65歳以上で一人暮らししている男女比率
 これは25年、第一次ベビーブームで誕生した団塊の世代800万人が全て75歳以上の後期高齢者になるという、超高齢化社会への第一歩を表した言葉だ。この800万人が加わる事で、日本の後期高齢者はおよそ2180万人、実に国民の5人に1人が後期高齢者となる。これに少子化が加わって、社会保障負担の増加や労働力減少により社会のバランスが大きく損なわれるわけで、その対策が必要とされている。
 実はその後も国内人口の3人に1人が65歳以上となる「2030年問題」、高齢者人口の割合がピークに達する「2040年問題」と、日本は問題がめじろ押しである。
 高齢者が増えるということは、このさき死に直面することも増えるという事でもある。ここ数年、コロナの影響もあったとはいえ、筆者のちょっと上の世代の有名人が亡くなるニュースが相次いでいる。自分が影響を受けた人達の新作がもう出てこないというのは、地味にダメージを食らう話である。
 先日NHKおはよう日本」の特集で、考えさせられる報道があった。歴史学者でもあった元大学教授が亡くなった際、親族が近所に住んでいるにもかかわらず、知らない間に身寄りがないとして自治体によって火葬され、無縁仏として霊園に納骨されていたという。
 妻子もなく一人暮らしではあったが、自分で救急車を呼び、心肺停止状態で救急隊員に発見された。死亡が確認されたのは搬送された病院内ということなので、死後何日も発見されないような、いわゆる孤独死でもない。
 自治体側で親族が探せなかったのは、戸籍情報を市内の範囲内でしか調べなかったからだ。こうした問題が起こった際、親族をどこまで追って調べるかに規定がなく、自治体判断になる。市内であれば3日ほどで調査できる一方、他都市の調査となると通常2週間ほどかかるという。自治体では長期間遺体を保存する事もできないため、先に火葬・納骨して申し出があれば引き取り、と考えていたようだ。
 ただ、この戸籍調査期間も、役所が言う額面と実際は違うのではないかと思う。筆者は数年前に行政書士補助者として戸籍調査の手伝いをさせてもらった経験があるが、市内なら当日、市外県外でも1週間かからず結果が返ってくるのが普通であった。もちろんそれは役所がITを活用しながら頑張っているからなのだが、紙調査していた昔の基準でいまだに調査期間の平均値を見積もるのもどうなのかなと思う。自治体DX化が完了して多くの手続きが共通プラットフォーム上に乗れば、さらにこうした調査速度は上がるはずだ。
 ただその一方で、戸籍のある場所である本籍地は、実際に居住したことがない場所でも任意に決められるという特徴がある。皇居を本籍地にしている人も多いと聞く。だが、自分に何かあって他人が戸籍調査をする場合、居住地と無関係のところに本籍地があると、たどるのに時間がかかるケースはありそうだ。戸籍謄本や抄本は、生命保険請求や遺産相続手続きで必要になるので、自分はもちろん親兄弟が亡くなるような年齢になったら、本籍地は居住地に移しておいた方がいいのかもしれない。
 今後、戸籍調査の精度やスピードが上がる事で、「取りあえず火葬して無縁仏」といった処理は見直されるだろう。もちろん「調査範囲に規定がない」という状態もまずいわけで、このあたりの法的手当も当然必要になると考えられる。
 「音信不通」をどう拾うか
 同居している家族があれば、何かあればすぐ分かる。だが高齢者の一人暮らしは、生涯独身だからという事ではなく、配偶者の死により一人暮らしとなった例も少なくない。令和5年公開の内閣府高齢社会白書」によれば、65歳以上の人口に占める一人暮らしの割合は、令和2年には男性15.0%、女性22.1%となっている。この傾向は、年々増加している。
 先の例では、亡くなったのが正月明けで、付き合いのあったご友人が異変に気づいたのが4月ということなので、およそ3カ月間、亡くなっていることに気付かれなかったという事になる。役所が頑張っていれば早く分かったと言えばそうなのだが、異変の発見には友人知人、近所の人など複数のルートがあっていいはずだ。
 そういえば、こんなことがあった。筆者がさいたま市に一軒家を借りて引っ越した際、隣の家は男性高齢者の1人暮らしだという話を聞いていた。あいさつに行っても面会は適わず、近所の人に聞いても居るはずだ、というだけで手掛かりがない。特に悪い評判も聞かなかったが、ご近所付き合いがないことで、詳細を誰も知らなかった。
 だが引っ越して数カ月後、突如隣家が取り壊しとなった。おそらく親族が売却したのか、更地となり別の家が立てられた。すでに筆者が越してきたときには入院や施設に入るなどしていなかったのか、あるいはそこで亡くなっていたのか、筆者も含め近所の住民には結局何も分からないままだった。
 「ご近所アラート」が発動するには、近所付き合いがあるかどうかが明暗を分ける。近所に住んでいても親しくなければ、他人の家の事情にはなかなか立ち入れないし、親族がいるのかいないのかも分からない。結局、行政か警察につなぐぐらいのことしかできない。
 元大学教授の例では、近所の方は救急搬送されたところを見ているので、居ないことは分かっていた。あとは病院で誰かが面倒みているのだろうと思って、親族への連絡は見送っていたのだろう。
 他に考えられるアラートとしては、友人関係がある。先の例もご友人が異変に気づいたから3カ月で済んだわけで、それがなければ来年の正月まで気付かれない可能性もあっただろう。
 解決策になりうるSNSの存在
 こんな例を見てしまうと、一人暮らしの高齢者にとって親しく友人とつながっているかどうかは重要だ。こうしたときに頼りになるのが、SNSである。高齢者はSNSなんか使わないだろうと考えるのは、認識が古い。
 令和4年総務省公開の通信利用動向調査によれば、60代で88.8%、70代で65.5%、80歳以上で33.2%がインターネットを利用している。
 SNSの利用率においても、インターネット利用者のうち60代で73.4%、70代で63.9%、80歳以上で63.8%が利用している。
 シニア向けSNSとしては、「らくらくスマートフォン」購入者の受け皿として誕生した会員数260万人を誇る「らくらくコミュニティ」がある。Facebookも高齢化が著しいとしてオワコンという人もあるが、「らくらくスマートフォン」世代より下の高齢者が集う場所として盛況であるというのは、見逃せないところだ。
 かく言う筆者もネット歴はパソコン通信時代までさかのぼるので、かれこれ35年ぐらいになる。その35年前にネットで知り合った友人達は、いまだFacebook上でつながっている。歳を取るにつれ、新たに信頼できる友人を作るのはどんどん難しくなっていくが、若い頃に知り合い、お互い実名や家庭の事情も知っている友人達とは、歳を取っても信頼度は変わらない。
 こうした長年の付き合いは、とくに意識してそうしてきたわけではないが、実際に高齢者に近づくにつれて加速度的に重要性が増していくようだ。仮に一人暮らしになったとしても、SNSで頻繁にコミュニケーションしていれば、それが途絶えたときに友人達は数日で気付くだろう。
 SNS元年は、Facebookmixiがサービスインした2004年と見る事ができる。そこから20年、高齢者がSNSで他者とつながっていることは、生存証明という意味合いも加わってきた。世界中がどこも経験したことがない、先進国の超高齢化社会。古くからネットコミュニケーションが発達していたということが、先進モデルとなり得るかもしれない。
 ITmedia NEWS
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🌄22〉─1─なぜ日本の城下町はこんなにも殺風景なのか。~No.101No.102No.103 

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 日本人は、城と城下町が秘めている民族的歴史的文化的宗教的価値が理解できない。
 明治の近代化とは、西洋の舶来で日本の国産を破壊した。
 文化的素養に欠ける下級武士の明治政府は、日本固有の文化や歴史的景観を守るという発想がまったくなかった。
 西洋礼讃の政治的エリートと進歩的インテリは、国産に価値を持たず、民族の歴史、伝統、文化、宗教に無頓着で、日本の自然や町並みという景観を破壊した。
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 日本の城下町は、西洋の町と違って天守閣以外に華がない。
 桜は、城・天守閣とは無関係である。
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 城に植えられていたのは松であって桜ではなかった。
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 2024年4月12日 MicrosoftStartニュース プレジデントオンライン「なぜ日本の城下町はこんなにも殺風景なのか…城を「過去の遺物」としか見なかった明治政府の恐るべき無教養
 香原 斗志
 © PRESIDENT Online
 なぜ現存する天守は12しかないのか。歴史評論家の香原斗志さんは「大きな要因は明治政府が出した廃城令にある。彼らに文化や歴史的景観を守るという発想はまったくなかった」という――。
 なぜ日本の城は無配慮に破壊されたのか
 仕事柄、ヨーロッパに行くことが多いが、帰国後に日本の城を訪れると、いつも残念な気持ちになる。ヨーロッパの旧市街や城は保存状態がいい場合が多いのにくらべ、日本の城がいかに破壊されてしまっているか、あらためて気づかされるからである。
 たとえば、世界遺産の姫路城(兵庫県姫路市)にしても、内郭を取り巻いていた中堀は南側が埋め立てられ、外堀も南部は埋められたうえ、一部残る場所も土塁は崩されている。建造物は、内郭を除けばまったく残っておらず、内郭にしても、たとえば広大な三の丸に建ち並んでいた御殿群は、明治初期にすべて取り壊されている。
 姫路城でこうなのだから、残りは酷いものである。天守が現存する城でも、犬山城(愛知県犬山市)や丸岡城福井県坂井市)、宇和島城愛媛県宇和島市)は天守以外の建造物は残っていないばかりか、堀はみな埋められている。
 戦前まで天守が残っていた城も、たとえば岡山城岡山県岡山市)など、本丸内堀こそおおむね残るが、それを幾重にも取り巻いていた堀はすべて埋め立てられ、市街化された。大垣城岐阜県大垣市)も水郷と呼ばれた大垣を象徴して、4重の堀に取り囲まれ、本丸と二の丸は広大な内堀に浮かんでいたが、いまはすべてが埋められてしまった。
 例外をあげつらっているのではない。日本の城のいずれも、程度の差こそあれ、このように無配慮に破壊されている。
 地上に痕跡すら残っていない城も
 なかでも酷いのは、長岡藩の拠点だった長岡城(新潟県長岡市)である。本丸はJR長岡駅となり、ほかはすべてが市街化して、なにひとつ遺構は残っていない。上越新幹線長岡駅前に降り立ったとき、ここが城跡だと感じる人はいないだろう。「長岡城本丸跡」と彫られた石碑が駅前に立つが、騙されている気分にすらなる。
 尼崎城兵庫県尼崎市)も同様だ。すでに武家諸法度で新規築城が禁じられた時期に、幕府が西国の大名に目配せする目的で築かれた城で、正方形に近い本丸の四隅には、四重の天守のほか3棟の三重櫓が建ち、その周囲は約300メートル四方に堀が三重にめぐらされた壮麗な城だった。ところが、堀はすべて埋め立てられて城内は市街化し、地上に城の痕跡を見つけることはできない。
 平成30年(2018)、天守が鉄筋コンクリート造で再建されたが、本丸の跡地は小学校の敷地で整備できず、300メートルほど北西に建てられた。ちなみに、この天守は見栄えを重視して、東西を反転させて再建されたので、「史実に反する」という批判が少なからず存在する。
 むろん、地震災害や太平洋戦争の空襲などで、不幸にも失われた城の遺構は少なくない。しかし、これほどまでに全国の城郭が破壊されている主たる原因は、明治政府の政策にあった。
 日本の城に決定的ダメージを与えた法令
 明治維新を迎えた段階で、日本には193の城が存在していた。ほかにも、城持ちでない3万国以下の大名の藩庁が置かれた陣屋や、城に準じる要害を加えると、事実上の城の数は300を超えていた。天守にしても、その時点で70数棟は残っていた。
 しかし、明治4年(1871)の廃藩置県で、城の母体である藩という組織がなくなり、旧藩主は華族となって東京への移住を義務づけられた。主を失った城の維持が困難になったところで、明治6年(1873)1月14日、明治政府は日本の城に決定的なダメージを与えた「廃城令」を出したのである。
 各地の城は維新後も、皇居(当初は東京城と呼ばれた)となった江戸城と、兵部省の管轄下に置かれた大坂城を除くと、各藩がそのまま管轄していた。それが廃藩置県後は、兵部省陸軍部(改組後は陸軍省)の管轄へと変更になったが、事実上300もある城を陸軍省は管轄しきれない。このため、軍隊の基地として利用できる城と、不要な城とに分けることにしたのだ。
 そこで、陸軍省と大蔵省の役人が全国に出張して各地の城を細かく調査。そのうえで、陸軍の軍用財産として残す「存城」と、普通財産として大蔵省に処分させる「廃城」に分けたのである。
 軍用財産として使えなければ処分
 この時点で「存城」とされたのは42の城と1つの陣屋にすぎず、残る二百数十の城と陣屋や要害はすべて「廃城」とされた。
 もっとも、「廃城」とされながら、犬山城松山城愛媛県松山市)、高知城高知県高知市)のように天守が残された城もある。一方、会津若松城福島県会津若松城)は「存城」とされながら、会津藩戊辰戦争で新政府軍に抵抗したため、見せしめとして建物がみな取り壊されてしまった。
 これを解釈すれば、「存城」といっても、保存すべき城という意味ではなかった、ということになる。
 弁護士で城郭研究家の森山英一氏は、「存城と廃城は城郭の所管官庁を分ける法令上の用語」で、その背景には「城郭を財産とみるフランス民法の影響があった」と書く[森山英一, 平成28年]。
 もう少し引用すると、「存城は軍事上必要と認めて国家が保有するものであり、廃城は軍事上不要とされたもの」で、「存城は、従来通り陸軍省の管理に置くという意味であり、廃城は、陸軍省の管理を廃し大蔵省の管理に移すもので、不要と認められれば売却処分されるが、直ちに破壊されるものではない」という。
 つまり、「存城」と「廃城」とは国有財産の管理区分で、「城郭の建物その他の施設の維持保存とは無関係」の概念にすぎないということだ。明治政府は「フランス民法」の影響のもと、城を軍用財産として使えるかどうかという視点だけで評価し、使えなければ処分するという性急な判断を下したのだ。
 新政府=文化的素養に欠ける下級武士
 残念なのは、フランスの影響を受けながら、歴史的環境を積極的に保護するというフランスの精神からは、なんら影響を受けていないことである。
 フランスでは19世紀初頭には、フランス革命の被害を受けた建造物や美術品の保護を目的に、中世建築博物館が作られ、中世の建築や美術への保護策が講じられていた。以来、今日まで、フランスらしい建築の保護を核にした歴史的景観の醸成に力が入れられてきた。
 一方、明治政府は、城をたんなる封建時代の残滓、自分たちが倒した幕藩体制の遺物とみなし、その意識のもとで城の処分を進めていったのである。
 わかりやすいのが、長州藩の本拠地だった萩城(山口県萩市)に対する姿勢で、新政府が率先して天守を解体したとされる。日本固有の文化や歴史的景観を守るという発想が明治政府にまったくなかったことは、不幸であった。欧米を真似しながら、アイデンティティの維持という、彼らが大切にする姿勢に気づくことはできなかった。
 維持費用を考えると、300を超える数の城をすべて守るのは非現実的だっただろう。しかし、城を「存城」と「廃城」に分けた際に、それらを文化財としてとらえる視点がなかったのは悔やまれる。新政府を主導した人たち、すなわち文化的素養に欠ける下級武士たちの限界を感じざるをえない。
 維新の過ちを忘れてはいけない
 結果として、「廃城」となった城の建造物は次々と払い下げられ、それを受けて取り壊された。前述の萩城は「廃城」と決まって間もなく払い下げが命じられ、明治7年(1874)に五重の天守のほか櫓14棟、城門4棟、武器庫3棟がすべて解体され、計1348円3銭で払い下げられた。明治初年の1000円は、いまの1000万円前後だと思って、さほど外れてはいない。
 高石垣が3段、4段と見事に重ねられた津山城岡山県津山市)は、五重の天守のほか60もの櫓が建ち並ぶ、日本を代表する平山城だった。しかし、すべての建造物が入札にかけられ、保存運動が起こる間もなく、明治7年(1874)5月に1121円で払い下げられ、翌年3月までにすべてが解体されてしまった。
 徳川家康の命令で、諸大名による御手伝普請で築かれたはじめての城、膳所城(滋賀県大津市)も、家康の出生地として知られる岡崎城(愛知県岡崎市)も、ほぼ同様の経緯で天守以下の建造物がすべて取り壊された。
 片や「存城」も、あくまでも軍用財産にすぎないから、たとえば、名古屋城の二の丸と三の丸の建造物が、練兵場や兵舎などを建設するためにすべて取り壊されたように、次々と手が加えられていった。
 翻って近年、できるだけ元の姿に戻すという努力が行われている城は増えている。しかし、いかんせん明治初年の破壊の規模が大きすぎた。日本人がアイデンティティーとしての文化に無頓着だったツケは、いま、日本中の景観となって表れている。私はそれをアイデンティティーに敏感な欧米人に見られることが恥ずかしい。
 むろん、かろうじて残された歴史的環境を維持し、整備してほしいと思うが、そのためにも、ここに記した維新の過ちを忘れてはなるまい。

                    • 香原 斗志(かはら・とし) 歴史評論家、音楽評論家 神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。 ----------

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