🍜ブログ共通記事〉─1─自然の旨み成分が日本民族の性格・性質・体質に強い影響を及ぼしていた。 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
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 日本民族は、戦後民主主義教育の歴史教育が教えるような、殺し合いを好む血に飢えた人間ではないし、戦争ばかりしていた好戦的な人間でもなかった。
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 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から甚大な自然災害が多い日本列島に住み着き、奪い合う事もなく争いを起こさず、相互補完で、共存と共生、依存と自立、他力と自力で、自然を崇拝する民族宗教を信じながら、平和で穏やかに生きていた。
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 日本民族人間性は、数万年前の石器時代縄文時代から変わっていない。
 見た目が同じ日本人でも、現代の日本人と昔の日本人は別人のような日本人である。
 現代の日本には、数万年前の石器時代縄文時代はもちろん数千年前の弥生時代古墳時代は存在しない。
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 2020年10月15日 /2022年4月18日「おヒューマニエンス「考える臓器・腸 脳さえも支配する?」の再放送・見どころは?
 2020年10月15日 2022年4月18日
 ヒューマニエンス 〜40億年のたくらみ〜
 「“腸” 脳さえも支配する?」
 放送 2020年10月15日(木)午後8時〜[BSプレミアム
 放送前の予告
 脳さえもコントロールする? 考える臓器“腸”に迫る!
 今回のテーマは「腸」。腸は自らが“考え”行動する臓器です。1億もの神経細胞と、栄養を判別するセンサーを持つ腸は、脳とは独立した生命体のように活動します。脳の神経細胞は、もともと腸から生まれたことから、いわば脳の親ともいえる存在なのです。さらに「人格」や「感情」、「好み」といった脳の本能的な部分に、腸が深く関わっていることもわかってきました。腸と脳という二つの“考える臓器”が交錯する、人間の根源を妄想します。
 腸は私たちの性格を左右する!?
 「腸」に始まる原始生命のカタチ
 現代病と腸の関係が浮かび上がる
 【司会】織田裕二,藤井彩子
 【出演】大原千鶴
 【解説】金井隆典,福土審,中村太郎
 【語り】藤井千夏
 腸から脳が生まれた!
 ヒドラという生物は、カラダのほとんどが腸。脳もなければ血液もない。それでも、口からミジンコを食べて栄養を摂取し、口から排泄する。
 脳だけでは生きていけない。でも、腸だけで生きていけるということ。
 つまり、腸は最初にできた臓器。腸の神経細胞が発達し、脊髄が生まれ、脳が生まれた。
腸は脳の親とも言える。
 脳内で働く神経伝達物質のひとつセロトニンは、もともと腸で蠕動運動を起こす物質として使われていたものだった。
 腸が性格を決める!?
 味覚センサーと言えば舌の「味蕾(みらい)」。しかし、味覚センサーは腸にもある。
 グルタミン酸などの旨み成分が入ってくると、腸が喜んで脳に伝達する。
 旨み成分を摂取することで性格が穏やかになり、旨み成分を摂取しないと攻撃的な性格になる…ということがラットの実験で明らかになった。
 脳と腸はお互いに情報を伝達し、影響を及ぼしあっている。
 腸内細菌が食の好みを決めているのかもしれない。
 脳は腸のドラ息子
 総持寺の僧侶たちは、1日3食、精進料理を食べている。その結果、花粉症やアトピーなどのアレルギー疾患が改善するという。
 精進料理には食物繊維が豊富に含まれており、快食・快便で腸が喜び、それが脳に伝達されることが背景にあるのではないか。
 しかし、人は腸が喜ぶ食事ではなく脳が欲する食事をしてしまう。そのために肥満や生活習慣病を引き起こしてしまう。
 独創の科学者はどんな夢を見る?
 中央大学中村太郎教授は、腸の蠕動運動を再現するロボットを開発した。このロボットは「混ぜながら運ぶ」という機能に秀でている。
 今後は、このロボットが宇宙ロケットにも活用される可能性があるという。」
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 2020年10月16日 教養ドキュメントファンクラブ「10/15 BSプレミアム ヒューマニエンス「"腸"脳さえも支配する?」
 脳は実は腸の息子だった
 人間は脳で考えていると思っているが、実は腸で考えているかもしれないという話。実は腸はかなり自立的に動いており、そこに張り巡らされている神経網は脳のものとそっくりなのだという。つまりは脳は実は腸から進化したのだという。
 原始的な生物であるヒドラはほとんど身体が腸だけで出来ており、脳や中枢神経がない。しかし食べ物を求めて自ら動きを回る。つまりは考える腸そのものなのだという。
 生命における最初の臓器は腸だった。しかしさらに進化して身体を制御するようになった時、身体の中心に神経を集中させた方が効率が良い。こうして脊髄が生まれ、さらにこの脊髄が高度な処理をするために神経の塊を作って、それが脳になったのだという。
 さらには脳内の神経伝達物質と腸の中の神経伝達物質には共通点が多いという。脳内物質で有名なセロトニンアセチルコリンノルアドレナリンなどは腸でも分泌されており、蠕動運動をする働きなどをしているという。つまり脳とは腸の子どもと言えるという。
腸でも味を感じている
 さらには味は舌の味蕾で感じていると思われているが、実は腸の絨毛にも味を感じる器官があるのだという。そしてこれが性格にまで影響するのかもと言う話。腸では基本の5味のうちの酸味以外のセンサーがすべて見つかっているという。その中で注目するのが旨味のセンサー。いわゆる出汁の味であるが、腸が旨味を感じると腸は喜びを感じている状態になるという。そもそも旨味は母乳に多く含まれているので、我々が最初に感じる味であるという。
 ここでラットを用いた実験があるが、一方のラットには成長期に旨味を与え、もう一方には旨味を全く与えなかった。すると旨味を与えられなかったラットは大人になってから強い攻撃性を示すようになったのだという。旨味は腸と舌の両方で感じられるが、ラットの腸からの神経を切って舌からのみ旨味を感じられるようにしたところ、旨味を与えたにもかかわらず攻撃性の高いラットになったのだという。
 この辺りは和食で旨味を摂っている日本人が協調的と言われる理由かもという類いの事を言っているが、まあそれは飛躍しすぎだろう。ただ最近の日本人を見ていると、旨味不足の輩が増えたんだろうかと感じずにはいられないが。
 脳と腸の密接な関係
 つまりは腸が脳に対して影響を与えているということが明らかになってきたと言うことである。だが逆に脳が腸に対して悪影響を及ぼす場合も多い。
 總持寺では若い僧が修行を行っているが、修行を始めてからアレルギーなどが改善したと語る者が多いという。それに影響を与えているのではと推測されるのが精進料理だという。旨味タップリの精進料理が腸を整えてそれが脳にも良い影響を与えているのではと言う。
 しかし現代人は暴飲暴食や多量のアルコール、果ては喫煙のように脳の欲望が腸に悪影響を与えている。また脳のストレスは腹痛や下痢を引き起こし、過敏性腸症候群などの症状につながる。腹痛のシグナルは脳の扁桃体を強力に活性化し、それが不安や鬱につながるのだという。腸がドラ息子化した脳に振り回されているのだという。
 これを解消する方法の一つが精進料理。腸を整えて快食快便になることで、その快適な信号が脳にフィードバックされ、脳が健康化するのだという。
 蠕動運動を再現したロボット
 最後は腸を参考にして蠕動運動を再現するロボットを作ったという中央大学中村太郎氏が登場。彼が開発したのは何段かに分けられたチューブが太くなったり細くなったりするものだが、これが腸の蠕動運動と同じ原理で物質を輸送するロボットだという。粘性が強くてポンプではうまく輸送できないような物質の輸送に適している上に、このシステムは輸送しながら中身を攪拌できる能力を持っており、腸はこの働きによって消化酵素を食べ物に混ぜ込むのだという。このロボットを使用すればロケットの固体燃料を混ぜながら輸送することが出来るので、ロケットの軽量化と安全化につなげられるという。織田裕二氏が実際にこのロボットに手を突っ込んでみているが、マッサージ器と同じと言っていたから、エアの圧力を使用しているようである。
 以上、腸が考えているという面白い内容。たまに胃袋で考えているような人間はいるが(笑)、まさか腸が脳の元だったなんてことは考えもしなかったし、腸の中に味覚センサーがあるなんてことも初耳だった。人間、食は生きていく基本であるが、どうやら我々が思っているよりもはるかにその重要性は高い可能性がある。ジャンクフードの増加と共に野獣のように自制の効かない頭のおかしなガキが増えたが、どうやらこれはもろに原因と結果が直結していたのではないかという気がしてきた。となると、これから重要性が増してくるのが「食育」というものになるわけか。まあ子どもにはまともなものを食べさせるのが大事なのは間違いない。何しろ小さい時から化学調味料だらけのファミレスに馴染みすぎた結果、まともな味覚を持ち合わせていないという子どもまで最近は増加しているというのだから。
 忙しい方のための今回の要点
・腸は自立的に働く能力を持っており、腸の神経ネットワークは実は脳と同じ構造になっている。
・そもそも原始生物では最初に誕生した臓器は腸であり、腸の自立的判断で生きていた。それが身体が複雑化すると共に制御のための神経が中央に集まって脊髄となり、さらに高度な処理をするための神経の塊が出来て脳となった。
・このため、脳内の神経伝達物質と、腸内の神経伝達物質はほぼ同じだという。
・腸には味覚センサーもあることが分かっており、成長期に腸の味覚センサーで旨味を十分に味あわなかったら、大人になってから攻撃的な性格になるというラットの実験結果がある。
・また脳の欲求やストレスが腸に悪影響を与えることもある。ストレスが原因となるのが過敏性腸症候群。腹痛の信号は脳の扁桃体を刺激するので、それが不安や鬱につながることもあるという。
・精進料理などで腸の状態を改善することで、脳の状態が健康化し、身体全体が健康になっていくと言うことが期待できるという。
・腸の蠕動運動は粘性の高い物質を混ぜながら輸送できる。このシステムを再現するロボットを開発し、固体燃料ロケットの燃料合成に使用しようという研究がなされている。
 忙しくない方のためのどうでもよい点
・人間の腸が考えているという内容はなかなかにして衝撃的で興味深かった。確かに腹の具合が悪い時は気分まで滅入ってくることは事実。また私は、美味いものを食えた土地は気に入るという習性があり、どうやら脳がろくに考えてない分、腸が思い切り考えているようである。
・男を落とすには胃袋をつかめという話があるが、実は胃袋ではなくて腸をつかめなのかも。まあ確かに、料理の下手な嫁ってのは家庭不和の大きな原因になりやすい。まあ今時はそれなら自分で作れという話になりそうだが。ちなみに私の知人は旦那の方が嫁よりも料理が上手だったことが原因で離婚になってしまいました。」
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 日本民族は、江戸時代から、昆布・カツオ・煮干し・他、味噌・醤油・他などを使って煮出した出汁(だし・だしじる)で海川の魚介類、山野の灰汁(あく)と食物繊維の多い根菜・山菜・山草・木の実、四季折々の旬の野菜、その他、などなど豊かな食材を料理した和食・日本料理を食べて生活してきた。
 その証拠が、腸が長い胴長短足という日本人特有の不恰好な体形である。
 和食・日本料理の出汁には、自然の「うま味」成分が豊富に含まれていた。
 が、江戸時代は数年おきに凶作が発生して、広範囲が飢饉となり、数多の人が飢え、多くの犠牲者・餓死者を出していた。
 飢えて死なない為に、食べられる物を旨み成分で調理して腹に詰めて空腹を満たして満足感を味わう事であった。
 日本の伝統料理とは、生きるか死ぬかの切羽詰まった究極料理であって、食べ物を粗末にする飽食の為の贅沢料理はなかった。
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 同じ人間・人類でも、日本人が西洋人・中東人や中国人・朝鮮人などの大陸人と性格・性質・体質が違うのは、伝統料理で染色体に刻み込まれた遺伝子情報である。
 日本で、大陸のような戦争や虐殺・略奪、殺害・強姦が少ないのは民族料理の御蔭であった。
 日本の伝統料理・民族料理=は和食・日本料理は、天皇を中心とした民族神話に基づく。
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 良い日本人は2割、悪い日本人は3割、良くも悪くもなく信念を持たず同調圧力付和雷同的に流される日本人は5割。
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 帰化人は日本民族に近い人間で、渡来人は日本民族から遠い人間である。
 帰化人は、天皇に忠誠を誓い、日本国に愛国心を抱き、天皇と日本国の為に働きそして戦った。
 渡来人は、天皇に忠誠を誓わず、日本国に関心を持たず、自分の為に働き、天皇と日本国に反旗を翻し反乱や暴動を繰り返していた。
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 歴史的事実として、日本よりも中国の方が戦争や虐殺が日常茶飯事的に起きていた。
 地獄のような中国や朝鮮からから平和な日本に、数多くの難民・避難民が逃げてきていた。
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 N フード・レストラン
 平安貴族料理 和食のルーツ
 栄華の味 みやびに浸る
 2015/11/18
 おでかけナビ
 11月24日は和食の日。2013年12月に和食がユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録されたことにちなんで制定した。和食は日本の伝統文化であり、代表格は京都の1200年の歴史を受け継いできた京料理だ。京都市内に無数にある京料理の店のうち、平安時代の料理を再現して提供する粋な有名店が2店ある。食欲の秋に定番の京都観光とは一味違う、和食のルーツを訪ねる旅はいかがだろう。
 萬亀楼の平安貴族料理の主要な品々。挿し花と特注の台が優雅だ
 そもそも京料理とは何か。明確な定義はないが、次のような特色が挙げられる。野菜や魚介類、豆腐、漬物など旬な素材の組み合わせ。軟水や薄口しょうゆで作った柔らかい薄味。繊細な包丁使いや美しい盛り付け。みやびな器――。ルーツは平安時代にたどることができる。
 京都・西陣の名水の地に300年近く店を構え続ける老舗料亭、萬亀楼(まんかめろう)がある。平安時代宮中料理を現代の風味にアレンジして提供している。タイやアユ、エビ、アワビ、ウニの魚介類や、大根やカブ、水菜の京野菜。これらの素材を盛った11品の料理を1品ずつ出す。
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 平安貴族も現代の日本人と同様に、美味なアワビやウニが好物であったらしい。珍味のカラスミ(ボラなど魚の卵巣の塩漬け)やコノワタ(ナマコの腸の塩辛)は平安時代に宮中に献納され、保存食や酒のつまみとして珍重されていた。
 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と栄華を極めた藤原道長。当時の複数の文献によると、道長はこの歌を詠んだ50歳代に実は糖尿病の症状に苦しんでいた。美食と運動不足がたたったのだろうか。
 刀のような包丁と箸で魚をめでたい形に切る平安時代からの儀式(京都市の萬亀楼)
萬亀楼の料理は高級な膳を季節の挿し花で飾り、見た目も色鮮やかで優雅だ。「お客様には日常の時を忘れ、みやびな気分に浸ってもらいたい」と主人の小西将清さんは話す。平安貴族料理は1人3万円(税・サービス料別)。客層は関東から訪れる観光客が多いが、外国人も目立つ。
 予約をすれば別料金で、小西主人が道長の時代から1000年続く古式ゆかしい食の儀式を披露する。平安貴族の装束をまとい、魚に手を一切触れずに、刀のような包丁と鉄の箸で切り分けていく。小西主人は生間(いかま)流式包丁の30代目の家元でもある。
 平安貴族料理を提供するもう1軒の店は、平安神宮近くの琵琶湖疏水沿いにある。1899年(明治32年)創業の京料理の六盛(ろくせい)だ。堀場弘之会長は「東京国立博物館にある平安時代の文献を参考にし、貴族料理を忠実に再現してみた」と語る。1116年に内大臣藤原忠通が自邸で公卿をもてなした宴会料理の10品である。
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 六盛の1品目。高盛りの白米の周りにアワビなどが並ぶ
 1品目の高く盛った白米が慶事を表す。白米の周りに、焼いたキジ肉やタコ、蒸したアワビなど8つの総菜を入れた金箔の器が並ぶ。数をそろえたごちそうであり、後の「おかず」の語源になった。平安貴族は塩、酢、酒、ひしお(しょうゆの元)の4種の調味料を足して食べた。「当時の料理をそのまま再現すると、干したものが多くて硬いし、塩漬けにしていて辛いので現代人の口に合わないと分かった」(堀場会長)
 このため顧客に出す平安貴族料理は、現代の出汁(だし)や調理法で今風の味に創作した。イノシシ肉はしぐれ煮の味付けをした。ちなみに京料理に欠かせないカツオと昆布の出汁が広まったのは江戸時代だった。六盛の平安貴族料理は1人1万2千円(税・サービス料別)。客層は源氏物語ファンの女性仲間や、特別な接待の席に利用する法人が多い。
 最後に、十数万人が住んでいた平安京の大多数を占める庶民の食事に触れておく。京都国立博物館所蔵の平安末期の絵巻物には、ご飯と汁物、質素な干物のおかずの器を地面に並べた「一汁三菜」が描かれている。貴族は白米を食べていたが、庶民は麦やアワ、キビの雑穀が主食だった。
 平安時代は飢饉(ききん)や疫病に幾度も見舞われ、都は荒廃した。庶民は料理を楽しむよりも飢えをしのぐことで精いっぱいだっただろう。飽食時代の今、そうした先人の苦労に思いをはせたい。受け継がれた食文化の遺産に感謝の気持ちを込めて。
 <マメ知識>新嘗祭と同じ日にならず
 「和食の日は本当は、収穫を感謝する新嘗祭(にいなめさい)が行われる11月23日にしたかった」と和食文化国民会議熊倉功夫会長は話す。勤労感謝の日と重なるため、日本記念日協会は翌24日を認定した。11月24日は「いい日本食」と語呂が良くて覚えやすく、ケガの功名だった。
 熊倉さんは「カレーやお好み焼きも和食ですかとよく聞かれる」と苦笑する。「和食の解釈で結構です」と熊倉さんは答えているが、伝統的な家庭料理のご飯、味噌汁、おかずの一汁三菜が和食の基本という。
   (京都支局長 岩田敏則)
 [日本経済新聞夕刊2015年11月17日付]」
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 2019年10月22日 産経新聞「「饗宴の儀」平成踏襲、日本料理で 菜食主義 「ハラル」メニューも
 「饗宴の儀」平成踏襲、日本料理で 菜食主義 「ハラル」メニューも
 天皇陛下のご即位を祝い、国内外から広く賓客を招く「饗宴(きょうえん)の儀」の料理は、平成の祝宴を踏襲し、宮中晩餐(ばんさん)会のようなフランス料理ではなく、日本料理となった。国賓が訪れた際に開かれる宮中晩餐会よりも、かなり規模の大きい祝宴となるため、コンパクトに提供できる日本料理が選ばれた。また、各国の宗教や食文化に配慮したメニューも準備された。
 外国元首らが招かれた22日の献立は前菜▽酢の物▽吸い物▽加薬ご飯▽焼き物▽揚げ物▽果物-など9品目。鯛の姿焼きや牛肉アスパラガス巻きなど、平成の献立をベースにした通常メニューのほか、魚介や肉の代わりに野菜や高野豆腐、湯葉などを使った「菜食主義」メニューや、イスラム教の流儀に則して処理した「ハラルミート」と呼ばれる肉を使用したメニューも選べるようにした。
 箸のほかにスプーンやフォークも置かれ、日本食に不慣れな外国賓客も食べやすいように配慮。日本酒のほか白、赤ワイン、フレッシュオレンジジュースなども用意した。宮内庁の担当者は「日本の山海の食材を使い、外国の方にも食べやすいよう工夫を凝らしたと話した。」
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 日本うま味調味料協会
 うま味の知識
 うま味の発見は日本人科学者
 日本では古くから料理に昆布だしが使われてきました。昆布に含まれる成分においしさの元があると、経験的に知られていたのです。
これに注目した東京帝国大学・池田菊苗博士は、昆布だしの味の正体を明らかにする研究を始めました。そして1908年、昆布からグルタミン酸を取り出すことに成功。グルタミン酸が昆布だしの主成分であることを見出し、その味を「うま味」と名づけました。
 池田菊苗教授
 東京帝国大学・池田菊苗博士
 UMAMIは世界共通の公式用語に
 グルタミン酸につづいて、かつお節に含まれるイノシン酸、干ししいたけに含まれるグアニル酸もうま味を呈することが解明されました。これらの研究成果は国際的な場でも取り上げられ、1985年に開催された第一回うま味国際シンポジウムを機に、うま味(英語表記=UMAMI)という用語が国際的に使用されることになりました。
 UMAMI
 うま味を発見した池田菊苗博士は日本の十大発明家の一人
 うま味の成分を解明した池田菊苗博士は、グルタミン酸を主成分とした調味料(グルタミン酸ナトリウム)の製造法特許を取得。博士はこの功績によって、「日本の十大発明家」の一人に選ばれました(特許庁は、日本の工業所有人権制度100年〈昭和60年4月18日〉を機に、歴史的な発明者の中から10名を選定。)。
 1909年には最初のうま味調味料が市販され、1940年代までには世界各地でも販売。発明から約110年たった現在では世界100カ国以上で広く使われています。
 世界各国のうま味文化
 西洋と東洋のうま味の食材比較
 うま味は日本で発見されたものですが、世界各地で様々なかたちでうま味が使われてきています。アジアでは豆や穀類、魚介類を原料にした発酵食品やしいたけ、昆布、魚介類の乾物などのうま味が主流。一方、ヨーロッパでは同じ発酵食品でも生乳や肉を原料としたチーズや生ハム、そしてトマトのうま味が様々な形で料理に使われています。
 アジアの発酵調味料
 世界各地では様々な発酵調味料が使われています。
 タイのナンプラ、ベトナムニョクマムのような魚醤類や、味噌や醤油に代表される穀醤類はアジアの国々で古くから愛用されてきています。
 発酵調味料は魚や豆類、穀物などの原料を塩漬け、発酵させたものですが、発酵の過程で原料中のタンパク質がアミノ酸に分解されることで、うま味物質であるグルタミン酸を豊富に含んだ調味料ができあがります。特にアジアの水田稲作地帯ではこれらの発酵調味料はうま味と塩味を加える調味料として毎日の食事に欠かすことができません。特に味付けをしていない白いご飯とともに野菜や魚介類を中心としたおかずをとるのもこれらの国の特徴です。米食文化とうま味は密接なかかわりを持っているのです。
 古代ローマの発酵調味料
 古代ローマ帝国では、ワインやオリーブオイルと同じように貴重な食材として「ガルム」や「リクアメン」と呼ばれる魚醤が各地で作られていました。その製造方法は東南アジアで作られている魚醤と同じで、サバやイワシなどの魚を塩漬け、発酵させたものです。特に発酵したものを最初にろ過した琥珀色の一番絞りの「ガルム」は大変高価なものとして珍重されていました。
 有名な古代ローマの「アピシウスの料理書」には沢山のレシピが紹介されていますが、塩や砂糖がなかった当時のレシピにはガルムと蜂蜜が頻繁に使われています。ガルムはうま味と塩味を加える調味料として愛用されていたのでしょう。ローマ帝国の滅亡とともにガルムは姿を消してしまいますが、アンチョビーペーストやソースなどは、その名残であるといわれています。
 世界に浸透したトマトのうま味
 南米原産のトマトはコロンブスの新大陸発見によってヨーロッパに持ち込まれました。最初は薬用として使われていたようですが、イタリアで品種改良も行われて食用として使われるようになり、いろいろな料理のベースとしても使われるようになりました。今ではイタリア料理にはトマトは欠かせない食材ですが、その歴史は以外と新しいものなのです。イギリスではトマトを始め沢山の野菜を原料にウスターソースが作られ、やがてトマトソースやペーストとともにアメリカ大陸に渡り、ケチャップやチリソースなど、様々な加工食品が誕生します。今ではトマトは世界で最も生産量の多い野菜の一つで、トマトのうま味は世界各地で愛用されています。
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 日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
 つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
 つまり、日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりである。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 西行法師の伊勢神宮参拝。「何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
 何もしない勇気
 最適化された世界の窮屈さ
 ……
 太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
 ……
 『浅はかな干渉』が生み出す害
 ……
 『注意の搾取』が奪い去ったもの
 私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
 だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
 ……
 物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
   ・   ・   ・   
 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
  地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きる。
 それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
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 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
 彼らには、数万年前の石器時代縄文時代と数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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 日本の自然は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
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 日本民族は、石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁、わび・さび、捨てて所有しないを求める、「何も無い所」に時間と空間を超越し無限の広がりを潜ませる文化である。
 それが、日本人が好む「色即是空、空即是色」である。
 日本文化は、中国文化や朝鮮文化とは異質な独立した特殊な民族的伝統文化である。
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 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ「はかなく無にして消し去る=漠として死を見詰める」事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
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 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
 如何なる時も、オンリーワンとしてナンバーワンとして我一人である。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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 女性は、子供を産み、子供を育て、末代まで子孫を増やしていく、つまり「命を喜びを持って育み、有を生みだす」存在である。
 日本における女性差別は、「死を見詰めて無を求める男」と「命を生み有りに生き甲斐を感じる女」、ここから生まれた。
 つまり、男尊女卑と一口で言っても現代と昔とは全然違う。
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 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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¥25〉─7─人口減少下の財政問題―政府の借金約1,100兆円をどう返すのか。〜No.135 ⑮ 

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 2022年5月18日 MicrosoftNews ZUU Online「人口減少下の財政問題 ―― 政府の借金をどう返すか
 © 人口減少下の財政問題 人口減少下の財政問題 ―― 政府の借金をどう返すか(画像=PIXTA)
 この記事は2022年5月13日に「ニッセイ基礎研究所」で公開された「人口減少下の財政問題-政府の借金をどう返すか」を一部編集し、転載したものです。
 米テスラ社CEOのイーロン・マスク氏がツイッターで「当たり前のことをいうようかもしれないが、出生率が死亡率を上回るような変化がない限り、日本はいずれ存在しなくなるだろう」と述べたことが話題になった(*1)。
 歴史的に見て、人口は(一時期の停滞や減少を除いて)一貫して増加傾向を辿ってきたことから(*2)、人口が(急速に)減少する将来の姿を想像することは意外に難しいように思う。
 海外との流出入がないとすれば、出生数が死亡数を下回り続けた国で人口が減り続けるというのは当たり前だが、そのような経済を想像することは良い頭の体操になる。すでに人口減少下にある日本が抱える問題を考えるヒントになるようにも思う。
 「日本が存在しない」将来には当然、「日本が抱える問題も存在しない」はずだが、人口が減少するにつれて、問題が小さくなっていくのだろうか。もちろん現実はそう上手くはいかないだろう。
 このコラムでは、人口減少をマクロ経済に関する問題でもある財政問題と絡めて考えて見たい。
 財政問題とは、端的には日本政府の支出(歳出)が収入(歳入)を上回っているために、国債などの借入でその支出を賄っており、この借入額が増加し続けているという「問題」である。また、そもそも政府の借入が増え続けることが「問題」なのか、という点にも触れたい。
 さて、政府の借入に関して、「借り」るためには、「貸し」てくれる相手が必要である。経済全体を見た場合には、「貸し」や「借り」の一方だけが増えることはない。つまり、経済全体で「貸し」と「借り」をネットすればゼロとなる(*3)。
 日本の場合、この「貸し」を行っている主体は、主に銀行や保険・年金基金などの金融機関であるが、さらにこの金融機関の貸出原資を辿ると、家計や企業(の現預金など)であることが分かる(*4)。例えば、我々の預金が銀行を経由して、政府に「貸し」ていることになる。
 政府の歳出は、社会保障サービスなど行政サービスの提供や年金や給付金といった再分配にあてられる。ここで注意しておきたいのは、これらの行政サービスを利用したり、年金や各種給付金を受け取ったりしているのは、政府ではなく、家計や企業だということだ。年金や給付金もモノやサービスの購入に使うと考えれば、結局、家計や企業がモノやサービスを購入するための支出ということになる。
 このうち歳出のうち税金として賄われる部分は(政府を経由して)間接的に利用者自身が払っていることになる。ただし、「借入」で賄われる部分は家計や企業など「利用者の借入」ではなく、通常、「政府の借入」として認識されている。
 利用者の「借入」であれば、その利用者が(労働で賃金を稼ぐなどして)返済することが期待されるだろう。一方、政府の「借入」の解消は、政府の運営者が(労働を増やすなどして)返済すべきものとも言えない(そもそも政府の「借入」は政府の運営者がモノ・サービスを購入するために「借り」たものとは限らず、大部分は一般の国民が行政サービスを利用したり、年金や給付金を受け取ったりするために生じている)。
 政府の「借入」の解消は歳入(≒税金)を増やすか、歳出(行政サービスや所得移転)を減らして、政府の収支を黒字にしないと返済できない(「借り」をチャラにするという手段もあるが、「貸し」ている人、例えば、金融機関やその原資を提供している家計・企業が損失を被る)。
 ここで具体的に、日本の「貸し」「借り」の状況を見ると、2021年末の家計資産(「貸し」)のうち現預金残高は約1,100兆円(その他の金融資産も含めれば約2,000兆円)、一般政府の証券性負債(「借り」)は約1,200兆円(その他の金融負債も含めて約1,400兆円)である(*5)。日本人1人当たりに換算すれば、現預金残高が1千万円弱(その他の金融資産を含めて2千万円弱)ということになる。
 さて、ここで冒頭の人口減少の話を思い出していただきたい。
 この家計の資産保有額が維持されたまま、日本の人口が2分の1の約6千万人に減ったとする(*6)と、1人当たりの金融資産は2倍に増え、1人当たり現預金残高は約2,000万円(その他金融資産を含めて約4,000万円)ということになる。人口減少が上手く進めば、国民の1人あたりの資産残高が倍増する将来が訪れるのだろうか。
 実際には、こんなことは起こりそうもない。
 例えば、人口減少が進む過程(厳密には少子高齢化が進む過程)で、「(労働などを通じて)モノやサービスを提供して(お金を稼ぎ)貯蓄をする世代」(「貸し」をする世代)が減り、「(退職等で)モノやサービスを利用する世代」(「借り」をする世代、あるいは「貸し」を返済する世代)が増えれば、経済全体で見た個人の「貸す」力は減少することになる(*7)。
 さらに、「貸す」力が減っていけば、貯めてきた貯蓄を取り崩すことになるだろう。その場合、家計の金融資産はその規模を維持できずに減っていく。そして、政府も借入規模を維持することが困難になるだろう。人口が減少するので、政府の行政サービスへの需要も減れば、借入余力が小さくなっても問題ないかもしれないが、貯蓄の減少スピードに比べて、(「(退職等で)モノやサービスを利用する世代」の割合が増加することで)行政サービスへの需要減少スピードが遅くなれば、政府は借入規模を維持することが困難となる分、こうした需要に応えられないかもしれない。
 さらに言えば、家計の金融資産規模が維持されて、かつ政府の借入が続けられても問題が生じる可能性がある。「モノやサービスを提供し貯蓄をする世代」が減れば、経済全体として利用できるモノ・サービスの総量が減ってしまう可能性が高いためである。
 1人あたりの現預金残高が2倍になったとして、人口が2分の1の世界で、2倍のモノやサービスが利用できるだろうか。お金の量とは関係なく、モノやサービスを提供する人がいなくなれば、当然ながらそれを利用することはできない。
 そのため、人口減少で「モノやサービスを提供する人」(生産をする人たち)が減り、「モノやサービスを利用する人」(消費をする人たち)の割合が相対的に増加した場合に、消費力に対して生産力が維持できるかという問題はいずれにしろ残る。
 この供給が需要に応じられるかという問題は、政府の「借入」の多寡とはまた別の問題である。つまり、政府債務残高の大きさという財政問題とは異なるが、行政サービスの維持に関する課題と言える。政府がいくら「借り」を行っても、行政サービスを提供する人がいなければ、それを利用することはできない。
 一方、人口が2分の1の世界でも、1人あたりのモノやサービスの生産量が2倍になれば、経済全体のモノやサービスの供給総量は変わらないので、2倍のお金を持つ人は2倍のモノやサービスと交換できるだろう。
 急に1人あたりのモノやサービスの生産量は2倍になることは考えにくいが、人口も急に2分の1になるわけではないので、現実的な解決策としては、需要に応じられるだけの供給を確保するために労働の生産性を徐々に上げていくことが必要と言える。また、「モノやサービスを提供し貯蓄をする人」を増やし、「(退職等で)モノやサービスを利用する人」を減らすというのも解決策になるだろう。
 政府と言っても、それを運営しているのは国民(例えば公務員)であり、政府の「借り」でモノ・サービスを享受するのも国民である。単純化すれば、どんな経済を見ても、国民がモノ・サービスを生み出して(「貸し」をつくり)、国民がモノ・サービスを利用して(「借り」をつくって)いるだけである。政府はひとつの組織であり、モノやサービスを生み出す労働を提供しているのは国民である。政府の「借り」といっても結局、国民がモノやサービスを生み出して返さなければならない。
 もちろん、この「借り」の返済負担は、国民間でなるべく公平にすることが必要であり、重要な点と言える。ただ、すでに「借り」たものの負担をなくすことはできない(上述のように、「借り」をチャラにするという手段は、結局「貸し」の原資を提供している家計や企業の負担となる)。この「借り」がすでにかなり積みあがっていることが財政の「問題」と言える。
 なお、このコラムではあえて触れなかったが、海外部門からの「貸し」に頼るといった方法も考えられなくはない。ただし、海外からの「貸し」に頼るには、日本が「借り」を返済してくれる(モノ・サービスを生産し、提供する)力があるということを見せる必要があるだろう。日本の生産力が乏しければ、海外からの「貸し」には頼れないかもしれない。将来の生産力に対する期待が小さい国にはなかなか投資(「貸し」)は集まらない。
 それだけに成長戦略、とりわけ1人あたりの生産性を伸ばすこと、生産力を維持することが、人口減少に直面する国においては、ますます重要となっていくように思われる。
 *1:例えば、日本経済新聞電子版「マスク氏「日本はいずれ存在せず」 出生率低下に警鐘」2022年5月8日( https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN081QC0Y2A500C2000000/ )(2022年5月13日アクセス)。
 *2:例えば、日本の人口については国土交通省「「国土の長期展望」中間とりまとめ 参考資料」令和2年10月( https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001377610.pdf )の2ページ。世界の人口については、Our World In Data, World population from 10,000 BC to today( https://ourworldindata.org/world-population-growth#world-population-from-10-000-bc-to-today )(2022年5月13日アクセス)で概観できる。ペスト(黒死病)など疫病が流行した時期や戦争の時期などを除き、超長期で見れば、人口はほぼ一貫して増加していることが分かる。
 *3:これに関連した話題について、高山武士(2020)「失ったGDPは戻ってこない? ―― シンプルにコロナ禍と経済活動自粛の影響を考える」『研究員の眼』2020-07-14( https://www.nli-research.co.jp/files/topics/64931_ext_18_0.pdf?site=nli )のコラムで触れている。
 *4:例えば、日本銀行「参考図表 2021年第4四半期の資金循環(速報)」2022年3月17日( https://www.boj.or.jp/statistics/sj/sjexp.pdf )の1ページ(2022年5月13日アクセス)。
 *5:上記脚注4の日本銀行の資金循環統計(速報)。個人金融資産については、上野剛志(2022)「資金循環統計(2021年10-12月期)~個人金融資産は2,023兆円と初めて2,000兆円を突破、海外勢の国債保有高が初めて預金取扱機関を上回る」『経済・金融フラッシュ』2022-03-17( https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=70549?site=nli )も詳しい。
 *6:上記脚注2の「「国土の長期展望」中間とりまとめ 参考資料」に記載されている、将来人口の中位推計(国立社会保障・人口問題研究所の平成29年推計)は、日本の2100年(約80年後)の人口を5,972万人としている。
 *7:より厳密には、人口の増減ではなく、貯蓄を志向する人々より消費を志向する人々の割合が増えることが貯蓄需要の減少に寄与する。この論点は、櫨浩一(2014)「マイナス貯蓄率の時代」『エコノミストの眼』(2014-12-26)( https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=42111?site=nli )も参照。
 (お願い)本誌記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と安全性を保証するものではありません。また、本誌は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。
 高山 武士(たかやま たけし)
 ニッセイ基礎研究所 経済研究部 准主任研究員」
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⛲26〉─5─生涯独身で過ごすために必要な金額は?〜No.126 ⑮ 

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 2022年5月15日 MicrosoftNews AdChoices MONEY PLUS「生涯独身で過ごすために必要な金額は?住宅、医療、施設…生活費以外に備えておくべきこと
 ファイナンシャルプランナーとして活動する中で、お客様から「もう、このまま独身かもしれないので……」といった相談を受けることが多くなりました。ライフプランのモデルが身近にいないこともあり、誰に相談したらよいかわからないそうです。
 © MONEY PLUS 生涯独身で過ごすために必要な金額は?住宅、医療、施設…生活費以外に備えておくべきこと
 生涯独身で過ごすことを考えると、高齢者向けの施設や高齢者医療費など、将来に向けてそれなりの準備が必要となりそうです。
 増加している未婚率
 では実際、どれくらいの方が生涯独身で過ごすのでしょうか。国立社会保障・人口問題研究所が発表している「人口統計資料集(2022)」より、未婚率の推移をみていきましょう。
 男性は、1980年に2%台になってから加速度的に上昇傾向となり、2020年には28.25%と4分の1を超えています。女性は男性よりも低いものの、2000年に5%台になってから上昇を続け、2020年の生涯未婚率は17.81%と約2割という結果になっています。男女とも1970-1980年頃に増加がはじまり、2000-2010年頃に急増しました。
 また、同研究所の「第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」によると、25~34歳男女の独身理由として、「適当な相手にめぐり合っていない」「必要性を感じない」があげられたほか、経済的な理由も多く見受けられました。
 未婚率の増加は経済の潮の変わり目や、女性の社会進出など多様な生き方の選択肢が増えていることの現れかもしれません。
 生涯独身で過ごすための計画の立て方
 あくまでも参考にはなりますが、総務省の「家計調査年報(家計収支編)2020年」によると、2020年の単身世帯における月の生活費は、150,506円というデータがあります。いつまでどのように働くかにもよりますが、65歳から90歳まで同じ生活水準を維持しようとすると、約4,500万円の資金が必要となります。国からの受け取れる年金は一人ひとり違うので、手持ちの資産と老後のためにいくら不足しているかを計算し、生活を維持していけるよう計画を立てましょう。
 老後の生活を考える上で、固定費としての支出も大きく、住み替えなども難しくなってくる住まいの確保は、慎重に検討すべき項目のひとつになります。また、再雇用や年金の受け取り方法、セカンドライフに入ってから亡くなるまでのライフイベントや、病気で入院したり、介護施設に入るなど不測の事態への備えを盛り込むべきです。
 住宅購入を検討する場合は、病気や介護で一時的に働けなくなったことを想定し、頭金を払っても1〜2年は収入が減っても対応できるよう、数百万円単位で貯金が残るか、また返済期間中も将来必要な資金に向けての貯蓄を続けられるか、定年時に退職一時金で完済もしくは、65~70歳まで働くことができるかなどを踏まえてマネープランを検討していきましょう。
 「殖やすお金」はどう作る?
 最近、資産を運用して「殖やす」ことに目を向けた資産形成に注目が集まっています。急速な少子高齢化の進行により、年金、医療、介護等の社会保障制度が薄くなっていくなか、自助努力の準備はかかせません。
 投資を検討する上で考慮すべきことは、「最終的にいくら手元に残るのか?」です。殖やすことはもちろん、手数料や税金など手元から離れていく内容についても理解しておくことがポイントになります。そこで、運用で得た利益に対して税金がかからない「つみたてNISA」を選択肢としてご紹介します。
 株や投資信託など、お金に働いてもらったことで得られる利益からは、通常20.315%の税金が引かれます。低金利のため、あまり意識することはないかもしれませんが、預貯金の利子からも20.315%の税率が引かれています。例えば、普通預金口座で10円利息が付いたとしても、約2円引かれて、手残り約8円となります。それに対してつみたてNISA口座は、得た利益に対して税金がかからない非課税口座となります。
 参考までに実際に運用したら、税金はどのくらい引かれてしまうものなのか、グラフにまとめました。
 © MONEY PLUS 生涯独身で過ごすために必要な金額は?住宅、医療、施設…生活費以外に備えておくべきこと
 増えた分以上に引かれることはありませんが、せっかくリスクを取って得られた利益から、増えれば増えた分だけ多くの税金が引かれてしまいます。つみたてNISA口座は、年間40万円、月約3.3万円の積立ができ、最長20年が非課税期間となり、税金が引かれませんので、効率よくお金を残せることになります。
 貯蓄から資産形成へ
 超低金利環境が長引いた結果、預金では資産が増えることはなく、欧米諸国との金融資産格差が大きく拡大してしまいました。下図は、米国、英国、日本における個人の金融資産残高の推移になります。過去20年でこれほどまで差がついてしまいました。
 © MONEY PLUS 出所:金融庁「家計の安定的な資産形成に関する有識者会議」説明資料(平成29年2月3日)より
 資産が増えないことは、国民生活が豊かにならないうえに、財布のヒモがしまることで経済全体を停滞させる要因となります。そこで、先述のNISAやiDeCoといった税制優遇制度を通して「お金が手元に残りやすい仕組み」を準備することで、預貯金に偏っている家計資産が投資性の資産に動いていくことが期待されています。
 しっかりライフプランを考え、実現のために資産形成を進めていけば、例えライフプランと違う選択をすることになった場合でも、それに合わせて計画を立て直すこともできます。どのように生きていきたいかで選択肢はさまざま、備えあれば憂いなしですね。」
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🚷37〉38〉─1─少子化の加速は深刻。大前研一氏「背景にある『戸籍』を見直すべき」と提言。~No.158No.159No.160No.161No.162No.163 

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 2022年5月14日 MicrosoftNews NEWSポストセブン「少子化の加速は深刻 大前研一氏「背景にある『戸籍』を見直すべき」と提言
 日本をはじめ、韓国や中国も、深刻な少子化問題を抱えている。韓国は合計特殊出生率が0.81にまで落ち込み、中国は以前の「1人っ子政策」から「3人っ子政策」へ方向転換したが、その効果はまだ見えていない。アジア各国で経済アドバイザーを務め、国家戦略に参画してきた大前研一氏は、その背景には、それぞれの国の社会制度や文化があると指摘する。
 © NEWSポストセブン 提供 日本の既婚者の出生数はおおむね「2人」だが…(イメージ)
【図表5点】日本の少子化の「正体」がわかるデータ集など
 * * *
 中国は1979年以降、爆発する人口を抑制するために半ばパニックになりながら、1組の夫婦につき子供は1人だけという「1人っ子政策」を実施してきました。しかし、それが行き過ぎてしまい、今度は日本よりも早く少子高齢化が進む可能性が出てきて、慌てて軌道修正し始めています(図表1参照)。
 まず、2016年から地域を限って2人まで産んでいいとする「2人っ子政策」に転換しました。それで、1年だけ反転する気配が見られましたが、そのあとまた減り続けています。そこで慌てて今度は2人の制限も解除して、2021年からは3人目の出産も容認しましたが、まだ下がってきています。最新の数字では、2021年の出生数は1062万人で、1949年の建国以来最少となり、合計特殊出生率も1.1〜1.2と日本より低くなると報じられています(日本経済新聞2022年1月18日付)。
 その結果どうなるかというと、女性が強くなります。統計上は、男女比が2%しか違わないのですが、適齢期で男性のほうが余ってしまっているとなると、年収はいくらで、どんなマンションを所有しているか、といった評価の対象となります。また今は、アリババグループ傘下のアントグループ(螞蟻集団)が普及させた個人の信用サービス「芝麻(ゴマ)信用」というものがあり、このスコアが750点以上ないと女性をデートにも誘えないなどと言われています。
 出生率が最低レベル0.81となった韓国
 一方の韓国は、前述したように、合計特殊出生率OECDの中でも最低の0.81まで下がってしまい、2020年には、生まれた人のほうが死んだ人より少なくなり、初めて人口減少に転じました(図表2参照)。
 韓国は、日本と同じように結婚してから子供を産むという社会通念が根強く残り、結婚せずに出産する未婚の出生率は2.2%です。OECDの平均が41.5%なのに対して、韓国と日本だけが2%台にとどまり、婚姻数の減少と相まって減少傾向が続いています。
 また韓国の場合は、とくにエリート社会という傾向が強く、良い学校に行って、良い会社に就職できないと、社会的に恵まれないという社会でもあるため、どうしても結婚や出産をためらう人が増える──それが大きな問題になっています。
 もう1点、女性に対する蔑視・偏見が日本より強いということが挙げられます。たとえば韓国は結婚の橋渡しをする「仲人」の存在がまだ大きい(日本ではすでに減少)のですが、その仲人が女性の結婚条件(年齢は25歳までなど)を厳しくつけるケースが多いようです。そういった韓国固有の文化も、少子化対策を難しくしている一因と考えられます。
 未婚率の増加が少子化に直結
 拙著『経済参謀』でも政府が取り組むべき課題の筆頭として少子化問題を取り上げましたが、日本の場合には、結婚した夫婦は平均して2人の子供をつくっています(図表3参照)。つまり、結婚したら子供は2人ぐらい産みたいと考える夫婦が多く、理想の家族像を聞くと、4人と答える人が多いのです。
 ただ、それもだんだんと難しくなってきていて、そもそも結婚しない人が増えている上、晩婚化も進んでいるため、女性が高齢出産になると、1人産んだ後、2人目を産むのがさらに難しくなってしまいます。
 では、どうすれば、この問題を解決できるのか? ここで、各国の婚外子の割合を見ていただくと、いかに日本と韓国が異常かということがわかると思います(図表4参照)。
 アイスランドは、生まれてくる子供の実に70.5%が結婚していない夫婦から生まれています。フランスは60.4%、スウェーデンは54.5%、オランダは51.9%、そして先ほどのハンガリーは43.9%となっていて、OECDの平均は41.5%です。
 アメリカでさえ39.6%、ドイツは33.9%ということで、3人に1人以上は婚外子です。世界的に見れば、結婚していることが子供を持つ前提とは限らないということになります。逆に、日本や韓国はそれが大前提になっていることが最大の問題というわけです。
 そうなってしまう原因の1つが「戸籍」です。法律上、結婚しなければ夫婦で戸籍を作れず、未婚の夫婦から生まれてくる子供は「戸籍に入れてもらえなくて可哀想だ」となってしまう。それで、籍に入らないんだったら堕胎しましょう、という話になるか、そもそも子供を作るのはやめましょう、となってしまいます。
 では、その戸籍の根拠とは何でしょうか? 日本国憲法には戸籍についての言及はなく、第24条に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」となっています。
 民法の第739条に「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる」とあります。明治憲法制定以前の明治4年に制定された旧戸籍法によって、戸籍(いわゆる壬申戸籍)が作られて以来、現在まで続く戸籍法の規定に私たちは縛られてきました。それが、日本の少子化の最大の要因になっているわけです。
 したがって、戸籍制度を撤廃すべきというのが私の主張ですが、その前に、とりあえず現状で、若者たちの結婚への意欲を削いでしまっているような日本社会の制度や文化について考えてみたいと思います。
 親に“パラサイト”する成人
 まず、成人してからも親と同居する子供が多いことが挙げられます(図表5参照)。たとえばヨーロッパのほうは、成人したら親元から独立して生計を立てるのが当然だと考えられているので、いつまでも親元にいたら、あの人は大人になっても1人で生きていけないのかと不思議がられます。
 ところが日本では、親と同居するほうが経済的合理性が高いと考えられています。これも不思議な話なのですが、われわれの時代には、地方から集団就職で都会に出てきた人も多いので、当然、田舎の親とは別々に暮らしました。しかし、その後の世代になると、親が都会にいるため、子供もそのまま都会で就職して、親と同居し続けるというケースが非常に増えてしまったわけです。そうなると、ますます結婚・出産へと向かうハードルは高くなってしまいます。
 日本(や韓国)の場合はとくに先ほどの戸籍の問題などがあるので、もっと積極的に結婚を促進するような仕組みを考えないといけません。極端なことを言えば、30歳を過ぎてからも親と同居している人には税金をかけるといった議論が出てくるかもしれません。それから、賃貸にした場合の家賃の相場を調べて、子供に負担させるやり方もある。もちろん、実際問題としてそういったことを実施するのは困難でしょうけれども、どうにかして今の状況を変えないと、経済的合理性という理屈に守られて、成人した子供が親と同居して“パラサイト”している限りは、結婚や出産のきっかけすら生まれません。
 それに対して、ヨーロッパのほうは、親元を離れて1人で生活するのは当然のこととされています。ただ、やはり独立して生計を立てようとすれば、それなりにお金がかかりますから、1人暮らしではなく、仲間3〜4人で一緒に生活コストをシェアしましょうということになります。そうなると、そこに男と女がいれば、恋人同士になることもありますし、さらに関係が深まれば、子供ができることもあるでしょう。
 もしその2人が結婚していなくても、生まれてきた子供を登録すれば、立派な国民として迎えられます。あるいは、1人の女性から父親が違う2人目、3人目の子供が生まれることもあるでしょうし、1人の男性が複数の女性に子供を産んでもらうこともあります。
 いずれにしても、結婚を前提としないで子供を産むケースが非常に多いのです。その場合でも、子育てと仕事の両立を国が全面的に支援するということでやっているわけです。
 こうした国々の少子化対策を見ながら、日本でも結婚や出産を促進するような仕組みや施策に取り組んでいかなくてはいけないと思います。
 ※大前研一『経済参謀 日本人の給料を上げる最後の処方箋』(小学館)より一部抜粋・再構成」
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¥13〉─2─日本企業の敗因は新しいモノが理解できず排除したオッサンの壁であった。~No.50No.51 ⑦ 

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 2022年5月19日号 週刊新潮「オッサン栄えて国ほろぶ
 評者 林操
 女の新聞記者が男の政治家と切り結ぶ構図、最近なら東京新聞の諸月衣塑子の『新聞記者』やその映画版・ドラマ版が頭に浮かぶし、ちょと昔に遡るなら大林宣彦が映画化した丸谷才一の『女ざかり』あたりが思い出されるわけですが、この『オッサンの壁』もまた、全国紙初の女子政治部長だった毎日新聞の佐藤千矢子がオッサンだらけの政治ギョーカイで仕事し続けてきての一代記です。
 フェミニズムともリベラリズムとも距離を置く現役論説委員の著書ゆえ、筆致は暴露とも糾弾とも無縁。それでも、随所で語られる自身や同性の同僚・知人に降り掛かった政治家や役人、同業者というオッサン連による無知に無理解セクハラパワハラ男の嫉妬その他いろいろに触れるだけで、この国のありさまに正しく絶望できる。オッサンであることは、男尊女卑と年功序列によって二段重ねに下駄を履かせてもらえる特権。今なおそこにしがみつくオッサンの醜悪からは、既存の政治、そして政治ジャーナリズムの最優先課題が既得権益の死守でしかないことが赤裸々に透ける。
 『バカの壁』髣髴(ほうふつ)のタイトルには引っかかるものの、中身を読んでみると、著者の周りに固くて高いオッサンの壁が実在してきたことが実感されて気にならなくなるし、さらにはこの題名、そもそも『バカの壁』を踏まえてのものだったのかもとさえ思えてくる。『オッサンの壁=バカの壁』という等式を煮詰めると『オッサン=バカ』ですから。」
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 2022年5月12日21:30 MicrosoftNews 東洋経済オンライン「映画『マトリックス』で見えた日本企業の敗因 新しいものを排除しようとする限り成長はない
 藤野 英人
 投資やビジネスにおいて、「先を読む力」は重要なスキルの1つです。先を読むことができれば、未来に先回りして手が打てるため、かなりの成功が約束され、しなくてもよい失敗を避けることもできるはずです。では、どうすれば先を読むことができるのでしょうか。
 © (C)東洋経済オンライン 日本の企業が競争力を弱めている背景にあるものを探ります(写真:YakobchukOlena/PIXTA
 運用資産残高1兆円を超える(※)レオス・キャピタルワークスを率い、カリスマファンドマネージャーと言われる藤野英人氏は、「先を読むとは、トランプの神経衰弱のようなもの」と言います。いったいどういうことか、藤野氏が新刊『プロ投資家の先の先を読む思考法』をもとに3回にわたって解説します。※2022年4月時点
 成長する企業とはどんな企業かと尋ねられたら、私は「Why(なぜ)を考え続ける会社」だと答えます。自分たちが手掛けているビジネスについて、なぜやるのか、なぜ今なのか、なぜ私たちがやるのかといったWhyを無限に問いかけ続けている会社が伸びるのです。
 例えばGAFAM(GoogleAppleFacebookAmazonMicrosoft)と呼ばれるメガテック企業には哲学者がいて、Amazonなら「買うとはどういうことだろうか?」、Facebook(現・Meta)なら「コミュニケーションとはなにか?」といったことを考え続けている人がいるといいます。
 そのようなWhyを問う議論を重ね、仮説に基づいたトライアンドエラーを重ねてきた結果が、今のGAFAMをつくってきたのではないかと思います。
 GAFAMにあって日本の企業にないもの
 ところが、日本の会社ではWhyを聞くことはあまり歓迎されません。例えば資産運用会社で、「そもそもなぜ私たちは資産運用をするのでしょうか」と尋ねる社員がいたら、「いいから仕事をしろ」と言われるでしょう。あるいは「あいつは空気が読めない」「面倒くさいやつだ」などと言われてしまうのではないでしょうか。
 哲学的な問いやそもそも論のような話をすることの重要性は、日本ではほとんど理解されていないと言っていいでしょう。
 映画『マトリックス』は、マトリックスというコンピュータが世界の調和を考えて支配する「完璧な世界」を前提として描いています。この映画が面白いのは、マトリックスという完全なAIがわざとシステムのバグを発生させることによって、つねにマトリックスを不安定な状態にし、その「不安定を安定化させる努力」によって結果的にマトリックスの完全性を担保しているというところだと思います。
 私が『マトリックス』を見ていて思うのは、つねにシステムを疑い、システムに対して挑戦をすることによって、システムをリフレッシュし続けていくことがとても重要なのだということです。
 これは別の言葉でいえば、「サスティナブル(持続可能)である」ということだと思います。近年はSDGs(持続可能な開発目標)が重視され、企業の成長もサスティナブルであるべきだと考えられるようになっていますが、サスティナブルというのは「システムを否定し続け、そのシステムをアップデートし続ける」ことによってこそ、可能になるはずなのです。
 そしてWhyを考え続けることは、現状を疑い、ときには否定し、不完全さを受け入れてアップデートし続けることだともいえます。
 ところが、日本社会には「自分たちが間違えていることなどあってはならない」「自分たちは完全である」という前提に立ち、その完全性を担保するために新しいものを排除しようとするところがあります。
 この結果、システム全体が時代遅れなものになってしまったというのが、日本が世界における競争力を失っていった大きな背景ではないかと思います。言い換えれば、日本はWhyを考えることをせず、「すでにある完璧なものを守る」ことに腐心し、オールドファッションなシステムや社会体制に対して疑いを持つこと、アップデートし続けることに失敗してしまったのです。
 私が高く評価している企業の1つが、ソフトウェアテスト事業を手掛けるSHIFTというIT企業です。創業経営者の丹下大さんに会って衝撃を受けたのです。私は「この人はヤバい」と思いました。日本の40代の経営者の中でナンバーワンに近い能力を持っていると確信しました。
 IT業界には、広告業界と並ぶ根強い「中抜き構造」があることはよく知られています。元請の会社に下請の会社がたくさん連なっており、場合によっては6次下請まで存在していたりするのです。なかには、業務を下請けにパスするだけで利益を持っていく会社もあります。丹下さんは、その業界構造に疑問を抱き、中抜きをやめるべきだと考えています。
 日本の競争力を下げている給料の安さ
 彼は、日本の問題は生産性が低く、そのために給料が低いことだといいます。給料が低ければ自分がやっている仕事に対する意義を感じにくく、結果的に仕事に魅力を感じられず、会社に対するロイヤリティも低い。それが、日本の競争力を下げている――。
 私も、丹下さんの言う通りだと思います。この状況を変えるには、生産性を上げて給料を上げなければなりません。そのためにDX(デジタル・トランスフォーメーション)が必要だというのが彼の主張です。
 SHIFTがDX化を推し進めて生産性向上に寄与すれば、IT業界で給料を引き上げられるだけでなく、当然、DX化を発注したお客さまの会社も生産性が上がって給料が上がるはずです。
 そのような価値を提供することによって、根っこから日本の競争力を高めるため、自分は存在しているのだと丹下さんは言います。「そのためにSHIFTは大きくならなければならない」と。「だから従業員の給料もどんどん上げていきたい、成長もしていきたい」と言い、実際に2014年の上場以来、売上高を毎年5〜6割も伸ばし続けているのです。
 DX化で成長するというIT企業は山ほどあります。しかし「中抜き構造を変えたい」とは普通は言いません。それは根本的に業界の秩序を乱すことだからです。
 丹下さんがやろうとしているのは業界の構造改革だともいえます。やり遂げられれば、働いている人が高い給料をもらうことができ、お客さまは安く発注できるようになり、SHIFTは収益力の高い会社になるでしょう。
 丹下さんの話を聞いていてわかるのは、彼がWhyを考え続け、自分が何をやるべきなのかを明確にしていることです。
 経営者に知性とパワフルな実行力があり、高い目線を持ってばく進しながら成長し続けている会社はなかなかないと思います。業界もこれから5年、10年とまだまだ追い風でしょう。
 重要なのは、成功しそうなのはどんな人なのか、そのパターンを知り、そのような人に賭けることができるかどうかなのだと思います。」
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🌁57〉─2─イスラム教徒土葬墓地、大分・日出町「適合」 住民反発で一時頓挫。~No.388No.289 ㊴ 

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 2022年5月10日20:00 MicrosoftNews 毎日新聞イスラム教徒土葬墓地、大分・日出町「適合」 住民反発で一時頓挫
 © 毎日新聞 提供 大分県日出町の山中にある土葬墓地の建設予定地=同町で2022年5月10日午後6時32分、井土映美撮影
 大分県日出(ひじ)町にイスラム教徒の土葬墓地を建設する計画があり、町が計画地について「条例で町が定める基準に適合する」と教徒側に文書で回答していたことが、関係者への取材で判明した。回答は9日付。土葬墓地の建設計画は地元住民の反発で一時頓挫していたが、教徒側から建設の許可申請が提出され次第、町は許可する方針。整備されれば、イスラム教徒の土葬墓地は九州で初めてとなる。
 墓地埋葬法では土葬墓地を制限する規定はなく、自治体が条例で土葬を禁じていなければ、首長の許可で建設できる。日出町も土葬を禁じていない。
 イスラム教徒でつくる別府ムスリム協会(同県別府市)は2018年12月、日出町に約8000平方メートルの民有地を購入し、土葬墓地の整備を巡って町との事前協議に入った。しかし、20年2月から開いた住民説明会で風評被害や水源影響の不安などの反対意見が上がり、町議会が国に助言を求める意見書を可決するなど計画は一時頓挫していた。
 その後、町が協会に民有地から約700メートル離れた町所有の山林約5000平方メートルを代替地として提案。協会は200体の埋葬計画を79体へ縮小する変更案などを受け入れ、町は協会に継続的に運営できる資金力があるのかや衛生面での問題点などを審査してきた。その結果、町が定める基準に「適合する」と判断した。
 一方、代替地近くの同県杵築市は反発している。市は、既に土葬墓地が整備されている土地の水質や土壌のデータは入手していないが、代替地は水源に近く、市民が建設に反対しているとして日出町に住民の不安解消に努めるよう申し入れている。杵築市市民生活課の担当者は「代替案を日出町に提案してきたが、改善策が示されないまま(適合と)判断され、到底納得できない。再度協議を申し入れたい」と話した。
 日出町住民生活課の担当者は「墓地内の定期的な水質検査をはじめ、住民の不安の解消策を協会に求めている。町としても近隣住民から説明を求められれば誠実に対応する」と話す。
 別府ムスリム協会代表のカーン・タヒルさん(54)は「心配に思う人の気持ちも分かる。私たちは火葬が禁じられており、墓を作らないといけない。水の検査はする。(反対している人たちと)仲良くしたい」と話した。【大島透、井土映美】」
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 5月13日21:05 MicrosoftNews OAB大分朝日放送ムスリム墓地計画 周辺住民怒りの声 大分
 10日、日出町はムスリムの土葬墓地建設について事前協議の内容が条例に適合していると判断しました。建設を希望し続けた別府ムスリム協会からは喜びの声が聞かれた一方、建設予定地に反対する杵築市にとっては驚きの報告となりました。
 © OAB大分朝日放送
 ムスリム墓地計画 周辺住民怒りの声 大分
 これまでの経緯を振り返ります。
 土葬墓地の建設計画が始まったのは2018年のことです。別府ムスリム協会は日出町に建設を相談し、土地の購入や隣接する地区の住民に説明会を開くなど準備を進めていましたが、2020年8月、近隣住民から反対の声が上がりました。その後、陳情書を提出するなど反対の動きは進み、12月には陳情書が採択され、代替地が検討されました。そして、2022年1月、町は代替地に町が所有する土地を新たな建設予定地として提示しました。
 しかし、この候補地は杵築市との境にあり、隣接する杵築市民からも反対の声が上がりました。3月には杵築市議会が日出町に対して移転を求める陳情書を採択し、町に説明を求めるなど住民の不安解消を申し入れていました。一方、日出町は建設への理解を深める説明会を断られたと話し、意見が食い違います。
 双方の協議が進まない中、5月に日出町が建設の事前協議の内容が条例に適合していると判断し、協会に文書で通知しました。杵築市にとっては、青天の霹靂ともいえる日出町の突然の判断。
 これに対し候補地周辺の住民は怒りをあらわにしています。
 小内原簡易水道組合 加藤義雄代表インタビュー
 「開いた口がふさがらない。話にならん。」
 渡邉博海下切区長インタビュー
 「(杵築市を)完全に無視。知らないうちにこのようになってしまって日出町の誠意を疑っている。」
 11日、杵築市山香町の住民4人が集まりました。全員が共通して心配しているのは農業用水として使用している水源地への影響です。予定地の近くには久木野尾川の水源があり、この水源の水を飲料水として使用する地区からは約2・3キロ離れています。
 渡辺雄爾杵築市議インタビュー
 「(建設予定地から)530~550メートルのところに水源がある。そういったことを無視してそこを許可するのは言語道断。日出町は(水源地までに)3キロあるんですよ。そこでは(墓地を)つくりきらんかった。」
 上地区住民自治協議会 楠本幹男会長インタビュー
 「(日出町の)高平の方でさえ風評を心配してるのに、生活水を引いているその上に土葬ができて風評の心配をしないわけがない。」
 飲料用としても水を使っている加藤さんも建設地の変更を強く望んでいます。
 小内原簡易水道組合 加藤義雄代表インタビュー
 「今まで水質の異変とかはなかった。小さな集落だけどその恩恵を被って今まで生活をしてきた。それをこういう形で壊されたんじゃ住民は本当に納得いかない。」
 今後、協会が町に申請書を出せば九州で初となるイスラム教式の墓地建設が許可される可能性が高いとみられます。日出町によりますと今回の事前協議の中で12月の建設完了を目指しているということです。
 渡辺雄爾杵築市議インタビュー
 「日出の住民も杵築の住民も同じ人間。平等に声を聞いてそれから決定せにゃ。」
 杵築市は今後、住民からも意見を求めながら日出町と協議していきたいと話しています。」
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🌁28〉─3・B─年功序列が通じるのは人口爆発で全体が伸びている時代だけ。~No.119 

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 2022年5月10日 MicrosoftNews プレジデントオンライン「年功序列が通じるのは全体が伸びている時代だけ…「下り坂の時代」に生き残れる組織の作り方
 木谷 高明 
 © PRESIDENT Online ※写真はイメージです
 日本最大のプロレス団体「新日本プロレス」は、かつて低迷していた。しかし2012年にブシロードの傘下となり、経営はV字回復。売上高は過去最高を更新するようになった。ブシロード木谷高明会長は「年功序列が通じるのは全体が伸びている時代だけ。これからの組織はフラット化させるべきだ」という――。
 ※本稿は、木谷高明『すべてのジャンルはマニアが潰す 〜会社を2度上場させた規格外の哲学〜』(ホビージャパン)の一部を再編集したものです。
 センスは経験を重ねれば勝手に育ってくる
 人を雇用するとき、会社は「センス」と「パッション」(やる気)なら、センスを重要視しがちです。皆、パッションは気持ち次第でどうにでもなると考えている節がある。でもこれは間違いです。実際、私も5年ほど前まで勘違いしていました。実はパッションのほうが持って生まれた才能なんです。そして、センスは経験で成長します。
 年齢を重ねて、経験を積んできた人は自ずとセンスがアップします。つまり経験を積みさえすればセンスは誰でも上がっていきます。しかしパッションは、下がることはあっても、上がることはほとんどありません。センスが上がって、パッションが低いままの人はどうなるかというと、せっかく貯め込んだセンスと知識をクリエイティブに活かせず、評論家になっていく。これが一番よくない。頭でっかちで、新しいことを常に否定する面倒な存在になってしまいがちです。
 やる気があふれている人と平均的な人の両方を採用する
 それならば、入社試験の適性検査でやる気の項目が高い人を積極的に採用したらいいではないかと思いますが、難しいものでそれもそうでもない。センスとパッションの両方が高く、やる気があふれ出ているような人は、心の中のスピードが周りと合わずにすぐに会社を辞めてしまいます。私の経験でも残ったためしがありません。だからパッションが高い人から平均の人までバランスよく採用すると組織がまとまります。
 それぐらいのやる気を持って仕事を続けていればセンスは時間と共にアップしますし、ある程度のやる気を持ったままセンスを上げることができれば、そういう人が経営者やプロデューサーになっていくのだと思います。
 どんなプロジェクトでも身近で具体的な目標設定が必要
 ブシロードでは、リーダーや部長クラスが現場の人間と話し合って、組織の合意の上で社員ひとりひとりの目標を決めていきます。その目標を達成したら、評価が高くなることもあります。上司と話し合って、合意しながら決めた目標を達成できたかどうかを判断します。
 そういうことをあえてしないチームリーダーもいます。目標設定はみんながみんなやっているわけではなく、チームごとにあったりなかったりする。チームをマネジメントする人間がケースバイケースで判断しています。
 私はどちらかというと、目標設定は現場でやるべきという考えです。目標は背伸びせずに確実に達成できるくらいに設定して、達成するたびに現場に報告し、その都度、グループ内で発表する。ただし、チームリーダーはそれが他のメンバーにとってプレッシャーにならないように注意することも重要です。
 目標は具体的な数字で示します。CDであれば、「目標:オリコンのデイリーチャート1位」といった具合です。もしかしたらウィークリーチャートでは1位は取れないかもしれません。なので、クリアできるかもしれないそこそこの目標を設定して、実際にクリアできたらみんなで喜びます。日々のちょっとしたいい数字、いい結果を共有するんです。いつも視聴者数が5000人いかないような生放送で視聴者数1万人達成! でもいいですし、売り上げが1000万円の予定だったのが1300万いきました! とか、身近で具体的な成果を喜び合うことが大事です。
 現場レベルで小さな目標をクリアしていく楽しさを分かち合うことで、士気も上がりますし、お互い何をしてるのかが把握できるので、グループ内での相談や連携も取りやすくなります。
 得意不得意もつながりも可視化させる人事管理システム
 会社というのは段階に応じて必要な人材も変わるし、マネジメントの情報も変わります。ブシロードが10人しかいなかった頃は、よく全員で一緒にお昼を食べていました。10人くらいだと野球のチームみたいなものです。
 そのブシロードも今では600人以上の従業員数になって全員の名前を覚えるのでさえ大変ですし、すでにあきらめています。それぞれの得意不得意については人事管理システムに任せています。
 今使っているシステムはとても便利です。社員の名前を入力すると、入社日や履歴書、適性などのデータが一覧として表示される。その人が以前どこの部署にいて、誰と一緒だったかまでわかる。つまり、社員同士のつながりがわかるのです。
 人事はこのようなデータや個人の意見を考慮しながら適材適所と思われる部署に社員を配置します。履歴書などは普通は一度会社に入ってしまえばその後は見ないものですが、人事システムでそういったデータも瞬時に見ることができる。
 たとえばグッズを作っているチームにいる人が、実は簿記一級を持っていたりする。何かをふと任せたいなと思ったときに、そういった情報があるのとないのとでは違ってきます。
 システムを使いデータを利用することで、人間だけでは実質管理不可能な部分まで参考にして、人事を考慮できるようになりました。
 私は会社の中で、一番公平に会社を見ていると自負しています。会社にとって何が一番大切かという部分は、オーナー目線でなければ見えません。この会社にずっと存続してほしい、企業価値が増大してほしいと考えているのですから、常にその視点で物事を見ます。
 年功序列が通じるのは全体が伸びている時代だけ
 エンタメというのは水商売ですから、成果主義になじまない部分もあります。成果の測り方が難しい。社員からは「評価基準を明確にほしい」という意見も出ますが、あまり数字だけで判断するのもよくありません。
 今でも年功序列で役職に就ける企業はまれにあったりします。完全に年功序列の会社では部下が上司にゴマをすらないそうです。ゴマをする意味がないからですね。そこはいいと思うのですが、それ以外は今の時代にはそぐわないでしょう。
 横ばいの組織なら確かに年功序列でもいいかもしれませんが、いずれ優秀な人が辞めて入ってこなくなります。そうすると業績が落ちてしまいます。
 年功序列が通じるのは全体が伸びている時代だけです。昔は日本経済全体が伸びていたからそれができました。全体が好調であれば、放っていても順調に会社の業績も伸びていきます。しかし、下り坂になってくると成果主義にならざるを得ない。そこに年功をどの程度加味するかは考えどころです。
 ブシロードには年功序列はほぼありません。フラット化の時代に対応すべく、社歴はある程度考慮しますが、チームリーダーは年齢や職級関係なしに適材適所で決まっていきます。成長組織はそうしないと伸びませんし、これからの時代は生き残れないという気がしています。
 「できるかどうか」ではなく「面白いかどうか」
 上司は部下の提案に対して5割はそのまま「いいんじゃない、進めたら?」というべきです。3割くらいは「もう少しこうしたら」と少し調整する。でも結果、通してあげる。2割くらいは「ちょっとダメかな?」でいいと思います。
 つまりマネージャーなど上司は、部下の提案を8割は肯定できる人でなければならない。そうでなければ部下のやる気を削ぎ続けます。ただ、実際はそううまくはいかない。「ちょっとダメかな」が増えていく。これは注意してもなかなか直るものでもありません。
 先日、社員を面接していて、ある部署の企画会議で提案をすると「できるかどうか」の議論が始まってしまうという話を耳にしました。
 本当であれば、我々はエンタメ企業なのですから、そこは「面白い、でもどうやってやろう」「でもここは難しいな。じゃあこうしよう」という「面白いかどうか?」の評価から始まるべきです。「できるかどうか」の議論から始めると大体否定されて、ほぼ「それは難しい」という結論で終わってしまう。だからこそ、提案する気が失われてしまうという話でした。
 会社側が考えて適材適所に配置したつもりでもこういうことが頻繁に起こります。
 ブシロードの場合、特にカードゲームの部署は難しいですね。カードゲームのプレイは、まずミスをなくすところから始めなければなりません。囲碁や将棋、麻雀と同じで、ミスをなくせば勝てるわけです。逆にミスをする人は絶対に勝てない。さらにゲーム自体を作るにはルール上のミスが出ないように、ゲームが壊れるような効果を排除したり、表記間違いをなくしたり、徹底して間違いを探して排除する作業にも力を入れなければいけません。
 そういった仕事に携わっていると、どうしても日々の発想もそのように偏りがちです。過剰に失敗やミスに敏感になってしまうんです。
 「とりあえずやってみて」の一言が大切になる
 ただ我々が作っているものは競技以前にエンタメです。それを忘れてはいけません。幹部研修でも、そこを理解できている人間に話をさせたりしているのですが、伝わらない人にはなかなか伝わらない。
 そうして、部下の意見を常に打ち消し続けていくとどうなるか。部下は、お客さんや店舗さん向けではなく、その上司が通すような提案を考えはじめます。提案自体が、お客さんや店舗さんに向いたものではなく、上司のチェックを通すためにはどうしたらいいか? ということが主体になってしまうのです。それでは何のための提案かわからなくなってきます。
 そうかと思うと「とりあえずやってみ。失敗したら俺が責任持つから」という言葉を投げかける上司もいる。
 社員との面談で、その言葉があったから頑張れたと話してくれる人もいて、ブシロードだけ見ても対応はリーダーによってさまざまです。ですが、部下を委縮させずに提案をどんどん引き出すにはどんなリーダーであるべきか、常に考えさせる努力をリーダーには求めなくてはなりません。

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