🥓22〉─5─国際的「男尊女卑国」日本。男女平等ランキング、日本は156カ国中120位。〜No.109 

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 2021年5月10日 MicrosoftNews ダイヤモンド・オンライン「国際的「男尊女卑国」日本、世界とズレる大きな理由
 佐藤直樹
 © ダイヤモンド・オンライン 提供 写真はイメージです Photo:PIXTA
 男女平等ランキング、日本は120位
 経済分野117位、政治分野147位
 3月に発表された世界経済フォーラムの「男女格差報告書(ジェンダー・ギャップ指数)2021」で、日本はなんと156カ国中120位(65.6%)だった。
 教育へのアクセスや政治家や閣僚の数、賃金など男女差を比べ、「100%」を「完全な男女平等」として達成度を指数化したものだが、これまでで2番目に悪い数字で、主要7カ国(G7)では最下位、全体でも下から数えたほうが早い。
 対象となった経済・教育・医療・政治の4分野のうち、教育・医療分野はそうでもないのだが、目立って低いのは、経済分野の117位と政治分野の147位だ。
 とりわけ経済分野では、「労働力の男女比」は他国と比べて遜色ないのに、「管理的職業従事者の男女比」が139位、「専門・技術職の男女比」が105位と、かなり低い。
 私も大学で働いていたが、職場で女性の管理職がきわめて少ないのは実感としてよく分かる。
 かなりの「女性差別の国」を
 実感している男性は少ない
 というわけで、2月に森喜朗東京オリンピックパラリンピック組織委員会元会長が辞任に追い込まれた女性蔑視発言、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「組織委にも女性はいるが、わきまえている」を持ち出すまでもなく、じつは国際的には、日本はれっきとした「男尊女卑の国」なのだ。
 これはきわめて深刻に受け取るべき厳然たる事実なのだが、日本がかなりひどい女性差別の国だと自覚できる人は多くない。おそらく、とくに男性にはこのことをリアルに感じている人は、少ないのではないか。
 欧米にはない「世間」に
 埋め込まれた「身分制のルール」
 日本が国際感覚とはとんでもないズレがあるのは、いったいなぜなのか?
 答えは簡単で、それは海外にはない日本特有の人間関係である「世間」に、日本人ががんじがらめに縛られていることにある。
 「世間」があるために差別が構造化されており、女性差別が隠蔽され、きわめて見えにくい構造になっているからだ。
 見えにくい理由の一つは、「世間」に「身分制」があるためだ。日本は先進国のなかでは、きわめて伝統的なものを多く残している唯一の国だ。その代表が「世間」という人間関係だ。
 「世間」は『万葉集』以来1000年以上の歴史があり、日本人は伝統的な「世間のルール」を律儀に守ってきた。なぜなら、「世間を離れては生きてゆけない」と信じており、ルールを守らないと「世間」から排除されると考えるからだ。
 そのルールのなかに「身分制のルール」がある。年上・年下、目上・目下、先輩・後輩、格上・格下、男性・女性などの上下の序列である。
 日本人はこの「身分制」に縛られており、そこに上下の序列があるために、これが差別の温床となっている。
 現在の欧米社会には、日本のような「世間」はない。この違いは言葉の問題を考えると分かりやすい。
 英語では一人称の「I」と二人称の「YOU」は1種類しかない。つまり対話の相手が、友だちだろうが大統領だろうが、タメ口でよい。ところが日本語では、「I」も「YOU」も、「オレ、私、僕、あなた、お前、君…」など山のようにある。
 日本語でこれほど一人称・二人称の使い分けが必要なのは、あらゆる場面でその都度、対話の相手との上下関係、つまり「身分」を考えて、言葉を選ばなければならないからだ。
 英語圏には「世間」はないため、日本のような「身分制」が存在せず、人間関係は基本的に「法の下の平等」のもとにあるから、相手が誰であろうがタメ口でよい。
 「身分制のルール」は合理的な理由がない、いわば「謎ルール」なのだが、「世間」には後輩の先輩への絶対的服従など、この種の「謎ルール」がてんこ盛りにある。
 女性差別もその一つで、「世間」の「身分制のルール」のなかに構造的に埋め込まれている。
 森・元組織委会長の「わきまえている」発言が意味しているのは、まさに「女性は身分をわきまえろ」という「身分制のルール」のことに他ならない。
 ただしこの発言だって、「たかがあの程度のことで、なぜ辞める必要があったのか?」と思った人は、とくに男性に多いのではないか。
 女性差別だという実感がまるでないのは、そもそも「世間」自体が「身分制」という差別構造を持ち、女性差別がそのなかに見事に埋め込まれ隠蔽されるために、きわめて見えにくくなっているからだ。
 夫との間で「母子関係」まで
 背負うことを求められる妻
 日本の「世間」で、女性差別が見えにくい理由がもう一つある。
 たとえば、歌手で俳優でもある武田鉄矢さんは、3月にテレビ番組「ワイドナショー」に出演した際、西洋に比べて日本が「男性優位社会って言われていますけど、そんな風に感じたことはありません」と断定。夫婦関係を念頭に、「やっぱり日本で一番強いのは奥さんたちだと思いますよ」と発言している。
 どうだろうか。これを聞いて共感する男性は少なくないのではないか。
 やっかいなのは、夫婦関係において「日本で一番強いのは奥さん」と思い込んでいる人間に、社会関係におけるジェンダーギャップを指摘しても、まるで実感をもてないのではないかということだ。
 つまりここには、夫婦関係と社会関係において一種の「ねじれ」があり、夫婦関係では、男性より女性のほうが一見「強い」ようにみえる。しかし、この「ねじれ」は表面的なものにすぎない。
 たとえば昨年6月、お笑い芸人の渡部建さんの不倫問題が起きたときに、妻で女優の佐々木希さんがインスタグラムで、「この度は、主人の無自覚な行動により多くの方々を不快な気持ちにさせてしまい、大変申し訳ございません」と、「世間」に謝罪したことは記憶に新しい。
 じつは、夫の不祥事を妻が「世間」に謝罪しなければならないのは日本特有の現象なのだが、「世間」が謝罪を要求するのは、夫に対して妻は母親としての「監督責任」があると考えるからだ。
 つまりここにある夫婦関係は、相互に独立した個人としての男女関係ではなく、非対称の依存関係としての「母子関係」である。
 この点で最近、心理学者の信田さよ子さんが、日本のDV加害者の男性の特徴について、面白いことを指摘している。
 すなわち、北米の男性の場合、妻への嫉妬がDVの引き金になっている例が多いのに対して、日本では妻が他の男性に惹(ひ)かれることなど考えもしない例が多いという。
 ようするに、「日本の男性は妻を女性としてではなく、『自分を分かってくれる存在=母』としてとらえている」ことがDVの根底にあるのではないか、というのだ。
 もちろん「母子関係」がすべて悪いわけではない。しかし、夫婦の関係で「自分を分かってくれる存在」といった「母子関係」を要求される女性にとってみれば、それは強制であり抑圧でしかない。
 夫婦関係では女性は男性より「強い」ように表面上見えるが、ここにあるのは、一方的に「母親の役割」を強制されるいびつな女性差別の構造なのだ。
 とくに男性にとって、この差別的構造はきわめて自覚しにくい。
 女性役員比率と業績に相関関係
 見方や考え方の多様化で活性化
 では、たとえば企業での男女差別や格差をなくしていくにはどうすればよいのか。
 職場も一つの「世間」である以上、そこでも女性差別が構造化されている。
 この状況を変えるには、日本では差別が見えにくい構造があることをよく自覚し、すみやかにジェンダーギャップを埋める具体的な方策を講じる以外にない。
 BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)の報告書(2017年)によれば、日本企業における女性役員の割合は、ノルウェー36%、フランス30%、イギリス23%、アメリカ・ドイツ・オーストラリア19%などと比較して、わずか3%と著しく低い。
 興味深いことにこの報告では、東証一部上場904社を調査し、「日本企業の女性役員比率と企業業績には相関関係が見られる」と結論づける。
 つまり女性役員を増やすことで企業業績が上がる。それは、「ものの見方や考え方が多様化することで、企業が活性化し、イノベーションが加速する」からだという。
 当然といえば当然の話だ。
 これは一つの例だが、政治のかかげる「女性活躍推進」がレッテル詐欺にならないためにも、女性の管理職を増やすなどの実効的な手立てを、躊躇(ちゅうちょ)することなく実施することが必要だ。」
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🌁50〉─1─『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』~No.245No.246No.247 

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 2021年5月1日 MicrosoftNews ハーバー・ビジネス・オンライン「「高度外国人材」という言葉に潜む欺瞞と、日本が搾取し依存する圧倒的多数の外国人労働者の実像とは?
 © ハーバー・ビジネス・オンライン 『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』(KADOKAWA)書影
 ◆日本を支える「〝低度〟外国人材」
―― 安田さんの新著『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』(KADOKAWA)は主にベトナム技能実習生をテーマにしていますが、タイトルの「〝低度〟外国人材」は、聞きなれない言葉です。どういう意味なのでしょうか。
 安田峰俊氏(以下、安田) 「〝低度〟外国人材」は「高度外国人材」の反対語です。日本政府は日本が積極的に受け入れるべき外国人を高度外国人材と呼び、「国内の資本・労働とは補完関係にあり、代替することが出来ない良質な人材」で、「我が国の産業にイノベーションをもたらすとともに、日本人との切磋琢磨を通じて専門的・技術的な労働市場の発展を促し、我が国労働市場の効率性を高めることが期待される人材」と定義しています。
 政府は高度外国人材を定義した際、当然その真逆の人たちのことも頭にあったはずです。それは「国内の資本・労働と健全な補完関係に置かれておらず、容易に代替が可能な劣位の人材」で、かつ「我が国の産業にイノベーションをもたらさず」「日本人との切磋琢磨もなく専門的・技術的な労働市場の発展を促すこともなく」「我が国労働市場の効率性を高めないまま働いている人材」ということになります。これが本書の言う「〝低度〟外国人材」です。
 日本政府は高度外国人材を欲しがっていますが、実際に日本に大勢やってきているのは低度外国人材です。日本社会が実態として彼らを必要としているからです。日本は極度の少子高齢化によって労働人口が減少し、社会の活力が失われています。そのため、とにかく若くて安い労働力が必要になっているのです。
 彼らが日本にやってくる方法の一つが、技能実習制度です。技能実習制度について簡単に振り返ると、技能実習生たちは通常、母国の「送り出し機関」の募集に応じて現地で研修を受け、彼らと提携する日本国内の「監理団体」に送られます。監理団体とは、実習生たちの取りまとめを行う組織のことです。この監理団体の斡旋のもと、受け入れ先企業で事実上の就業を行うことになります。
 技能実習制度は性善説に基づいて設計されており、送り出し機関や監理団体、実習先の企業などが善意で行動すれば、みなが利益を得られる仕組みになっています。たとえば、私が取材したガラス会社は、上場企業ということもあって、ベトナム技能実習生たちは綺麗な寮に住み、十分な福利厚生を享受していました。企業は彼らがそこで学んだ知識をベトナムに持ち帰り、母国の発展に貢献することを期待していました。善意の歯車が噛み合えば、こうした素晴らしい事例が生まれるのです。
 しかし、これはレアなケースで、関係者たちが悪意を持っていることも多いのです。悪質な送り出し機関になると、技能実習生から150万円もの費用を徴収しています。そのような送り出し機関と提携している監理団体や受け入れ先企業も、たいてい悪質です。職場ではセクハラやパワハラが横行し、給料は最低賃金レベルということも珍しくありません。しかし、技能実習生たちが監理団体に告発しても、監理団体は自分たちの顧客である受け入れ先企業の肩を持ち、実習生たちを強制帰国させることもあります。
 政府の責任も重大です。ベトナム政府に関して言えば、彼らは悪質な送り出し機関を把握しながら、それを黙認しています。日本政府も問題のある技能実習制度を提供しているという意味で、責任があります。誰か特定の関係者に責任があるというより、関係者たち全員に責任があるというのが実態だと思います。
 ◆家畜窃盗事件の内幕
―― 安田さんは技能実習制度の問題点を指摘する一方で、実習生たちを企業から搾取される不幸でかわいそうな存在と見ることも一面的だと指摘しています。
 安田 苦しい立場に置かれている実習生たちがいることは事実です。しかし、彼らは紋切り型の報道の中で語られるような、絶対的な弱者ばかりではありません。日本という異国を生き抜いているわけですから、ギラついている人も少なからずいます。
 その最たる例が「ボドイ」です。ボドイとはベトナム語で兵士という意味で、ベトナム人不法滞在者や偽装留学生などがしばしば自称する名称です。自分たちが異国で奮闘していることを兵士になぞらえているのです。また、日本の官憲や入管職員と闘う存在であるという含意もあるようです。
 ボドイたちはイリーガルなことに手を染めており、無免許運転や万引きは日常茶飯事です。彼らはSNSを通じて様々なものを売買しており、たとえば車検の切れた車が数万円から販売されています。偽造車検シールも売っています。覚醒剤マリファナも売買されています。借金を返せないベトナム人が同胞に拉致される事件も起こっています。
 日本で最も有名なボドイは、「群馬の兄貴」を名乗るベトナム人でしょう。北関東では昨年夏以降、家畜や果物の大規模窃盗が表面化し、これに関係があるグループとして浮上したのが「群馬の兄貴」と仲間たちでした。スキンヘッドで両腕いっぱいにタトゥーを入れている特徴的な外見も話題になりました。
 群馬県警は彼らを入管法違反で逮捕し、それを足掛かりに家畜窃盗事件の全容解明を進めようとしていました。しかし、彼らは入管法違反などの容疑は認める一方、大規模窃盗に関しては否認を続けていました。
 マスコミが被害頭数や被害総額を強調したため、あたかも巨大な犯罪組織が大量の家畜を窃盗したかのような印象が広がりましたが、私が取材した捜査関係者は、家畜窃盗の犯人は1グループではなく、1日に数頭といった小規模の窃盗が何度も繰り返されていた可能性があると指摘していました。実際、私が話を聞いたボドイも、家畜の窃盗は前からみんなやっていたと言っていました。
 そこから考えると、以前から個人や小グループ単位で散発的に行われていた窃盗が、コロナ禍によって急増し、それが積もりに積もって膨大な被害総額となった。その実態が今回行われた調査によって明らかになったということだと思います。もちろん群馬の兄貴は品行方正な人間ではありませんが、大規模窃盗に関しては無実の可能性が高いでしょう。
―― 技能実習制度の問題点を改善していくためにはどうすればよいですか。
 安田 それは非常に難しい問題です。日本は若者の困窮化をはじめ多くの問題を抱えており、率直に言って技能実習制度の優先順位はかなり低いと思います。まずは日本人に関する問題を解決しなければ、外国人労働者に目を向けようという気運は高まらないでしょう。残酷な言い方かもしれませんが、それが日本社会の現実だと思います。
 (4月1日 聞き手・構成 中村友哉)
 <記事初出/月刊日本2021年5月号より>
 安田峰俊(やすだ・みねとし)
 1982年、滋賀県生まれ。立命館大学卒業後、広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了。『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA)で第5回城山三郎賞、第50回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。近著に『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)など。 【月刊日本】」
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「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本

⛲29〉─3─ひとり暮らしの「認知症女性を食い物」にする悪徳業者の正体。~No.157No.158No.159 ⑱ 

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 現代の日本人と昔の日本人は別人のような日本人である。
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 2021年5月2日号 サンデー毎日「季節の人たち 森 健
 『認知症女性を食い物』にする悪徳業者の正体
 明るいはずの春にしては、悩ましい話を聞いていた。
 2025年には約2,200万人、全人口の4~5人に1人が75歳以上の後期高齢者になる。それを『2025年問題』と呼ぶが、2015年4月、そんな取材に取り組んでいた。とりわけ懸念されたのは認知症だ。10年後の2025年には700万人程度まで増えると予想されていた。
 そんな認知症の人を法的に支援する人たちのもとに向かった。
 『いま成年後見制度を利用しているのは18万人。認知症の実数と比べて明らかに少ないです』
 四谷の東京司法書士会。司法書士の川口純一氏はそう真剣な表情で語った。成年後見制度は判断能力が衰えた人のお金の管理を第三者的に行う制度で、司法書士会ではリーガルサポートという成年後見団体をつくって対応していた。
 『それでも認知症を食い物にする人たちは後をたたないのです』
 川口氏はそう言うと、前年暮れに経験した女性の話を紹介した。
 渋谷区に一人で暮らす75歳の女性。長年優良企業に務め、金融資産は少なくなかった。だが、4年ほど前に認知症を発症。しばらくして彼女が経済的に困窮していることに近くの民生委員が気づき、川口氏に連絡した。訪問してみると、すでに手遅れだった。
 『4年前には8,000万円以上あった貯金は、その時点で30万円まで減っていたのです』
 首長申し立てにより家庭裁判所から成年後見人として選任された川口氏は女性の支払いを調べてみた。すると、驚くほど多くの商取引が行われていた。先物取引、FX、リフォーム、化粧品、ウイッグ、浄水器・・・。
 『もはや入っても無駄ではと思われる生命保険もありました』
 明白な詐欺と疑われるものもあったが、商取引の大半は合法だった。そして、そこにこそ問題があると川口氏は指摘した。
 『彼女は表面上、対話はできる。自筆でサイン、捺印(なついん)もしている。だから、商取引としては合法で有効です。でも、話の内容は理解できていない。だから詐欺と同じなんです。それを誰もが知る有名企業の社員が合法にやっている。そこが問題なんです』
 複数人を後見していく過程で川口氏が気づいたこともあった。玄関に張られたシールだ。
 『他でも見たなぁと思ううちに気づいた。それは悪徳業者がわかる目印ではないかと、そうした「かも」のリストがあるのでしょう』
 川口氏が女性の自宅にいる際、営業担当者の女が訪れたことがあった。だが、女は川口氏の姿を見るや、逃げるように踵(きびす)を返していったという。
 『悪いことをしているのはわかっているんです。でも、こうした人たちを減らせるかどうか・・・』
 特殊詐欺で粗野な外見の若者が逮捕される。そんなニュースは見慣れているが、有名企業の営業担当者が捕まる様子は見かけない。
 彼らはどんな顔をしているのか。想像しても、浮かぶのは丁寧でやさしい笑顔ばかりだった。」
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 将来の日本は、人生100年時代で、少子高齢化による人口激減が深刻化し、消費者の減少、内需の縮小が問題であって労働者不足が問題ではない。
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 人口爆発で人口が増えれば優秀な人材は自ずから生まれて来るが、人口激減で人がいなくなれば優秀な人材など生まれてこない。
 少数精鋭とは、人口が増えた中の平凡・無能から組織されるもので、人口が減った中では組織できない。
 日本民族は、飛び抜けて優秀ではない。
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 現代日本、特にこれからの日本を逞しく生きて行くには、性悪説で「人を見たら泥棒と思え」で信用・信頼しない事であり、頼らない、依存しない、近づかない、である。
 そうした人間不信社会に日本を作り変えた張本人が、自己優先主義信奉者であるリベラル派戦後民主主義世代であった。
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 老人には、高度経済成長からバブル経済まで真面目に働いてリベラル派戦後民主主義世代の老人には、個人資産を蓄えた少数の勝ち組上級市民・裕福老人と個人資産が乏しい多数の負け組下級市民・貧困老人の2種類がいる。
 少数の勝ち組上級市民・裕福老人が死滅すると、残るのは多数の負け組下級市民・貧困老人とさらに貧困に喘ぐ絶望的若者しか残らない。
 人権派は、生活に困窮したら自己努力を諦め国に生活保護を求めて税金で生きる事は国民の権利と推奨し、そうした事情を踏まえた上で「これ以上の経済成長はいらない」と子供達に教えている。
 そして、メディア・報道機関は「売れるネタ」「利益を生む情報」としてそれを煽っている。
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 日本を再生は、リベラル派戦後民主主義世代とその薫陶を受けた次世代非現実的理想主義者が死に絶えない限りありえない。
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 カモとして騙せる相手の個人情報が高値で売られている。
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 家族なし・子供なしの一人暮らしをする孤立老人が急増し、孤独死・無縁死が至る所で頻発する。
 それが、人生100年時代の少子高齢化で人口が激減する日本の未来である。
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 日本の経済、企業は、表看板として「社会貢献」を掲げ「国の為・人の為・社会の為」を口にするが、それはウソで、実際は営利目的として利益・金儲けの為に行動している。
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 日本は、弱い相手に対して容赦のないブラック社会になり果てている。
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 現代の日本は、人情味があついお節介な昔の日本とは違う。
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 老人を狙った振り込め詐欺は、幾ら注意勧告をしても、如何に見守りを密にしても絶える事がなく、老人は詐欺グループの餌食となり大事な老後資金を奪わ路頭に迷っている。
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 しょせん、現代日本人は、戦国時代の乱取りで負けて逃げ回る日本人(女子供)を捕らえ、中世キリスト教会や白人キリスト教徒商人に奴隷として売って金儲けした日本人の子孫である。
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🥓25〉─2─親が貧乏だと就職も結婚もできない」日本の若者を待ち受ける地獄のルート。~No.118 

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 貧しい若者を待ち受け人生100年時代とは、少子高齢化による人口激減で国内市場(内需)が消失に近い縮小した衰退著しい日本経済である。
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 2021年4月19日 MicrosoftNews PRESIDENT Online「「親が貧乏だと就職も結婚もできない」日本の若者を待ち受ける地獄のルート
 © PRESIDENT Online ※写真はイメージです
 「学歴は社会の役に立たない」は本当?
 「学歴なんか、社会では何の役にも立たない」
 そんな言葉を耳にすることもあると思いますが、そう論じる本人自身はたいてい高学歴だったりします。高学歴ならば成功者になれるわけではないですし、成功者が皆高学歴であるというわけではありませんが、こと大部分の人にとって、学歴と生涯稼ぐ所得というのは、統計上は強い正の相関があります。要するに、高学歴ほど人生の稼ぎは大きいわけです。学歴別に生涯賃金を比較すると、それは明らかです。
 厚労省の賃金構造基本統計調査の「退職金を含めない学歴別生涯賃金比較」によれば、大企業に就職した大卒男性の生涯賃金は約3億1000万円。対して、大企業に入った高卒は2億6000万円で、同じ規模の会社に入っても、大卒と高卒とでは生涯賃金に5000万円の差がつきます。さらに、小さい企業に入った高卒の場合は、生涯賃金は1億8000万円に下がるので、大卒大企業就職組と比較すると、ほぼ倍近い1億3000万円もの差が開いてしまいます。女性においても、この傾向は一緒です。
 こうみると、将来の所得を考えるならば、勉強が嫌いと言っている場合ではなく、なんとか大学へ進学すべく努力したほうがいい、と言ってしまいそうですが、問題は本人の努力以前にあります。
 そんな残酷な現実のお話をします。
 私大の授業料はどんどん高くなっている
 文部科学省の学校基本調査(確定値)によれば、2020年度の4年制大学進学率は54.1%に達し、(短大も入れると58.5%)過去最高を記録しました。が、その一方で、進学した学生の親の負担が増え続けています。国立大学の授業料はともかく、私立大学の授業料の上昇率は、大卒の子を持つ親世代(45~54歳)の父親の平均給料の伸びよりはるかに高いものになっています。
 つまり、親の給料はこの30年間全然上がっていないのに、大学の授業料だけは右肩上がりに高くなっているということです。グラフの数字は私立大学全体の平均値であって、理系、特に医学部など高額な授業料が6年かかる学部の場合はさらに負担が重くなります。
 親の負担は授業料だけにとどまりません。地方から東京など都市部への進学をする場合には、家賃や生活費の仕送りなども考慮しないといけません。仮に、月10万円の仕送りをしたとしても、年間120万円の出費で、これは私立大学平均授業料すら超えます。
 都道府県別の大学進学率とその年齢の子を持つ40~50代が世帯主の世帯所得中央値(2017年就業構造基本調査)をみると、0.7という強い正の相関もあります。親の所得が子の大学進学率に直結している何よりの証拠です。
 子どもの将来は生まれる前から決まっている
 このように、子の大学進学は、試験の成績だけではなく、親の経済力がないとそもそも無理なのです。親の経済力によっては進学そのものをあきらめる子もいるでしょうが、どうしても進学したい若者は、奨学金を借りて進学することになります。その先には、よりつらい現実が待っています。運よく大企業に就職できた学生はまだしも、給料の安い会社にしか就職できなかった場合には、その中から自分の生活費と奨学金の返済というダブルの支払いを課せられることになるからです。
 本人の学歴によって将来の所得格差が生まれるという局所に目がいきがちですが、問題の本質は、生まれた両親の所得状況によって子どもの将来は決定づけられているという厳しい現実です。もっと、有り体にいってしまうと、「どんなに努力しても貧乏な家の子は貧乏だし、裕福な家の子は裕福になる」ということです。
 良い大学に行ける子は親が裕福だから行けるのです。本人の学力や努力だけの問題ではありません。どんなに優秀で医学部に行きたいと子が願っても、貧乏な親ではその学費を払うことは不可能です。つまり、遺伝子のように貧乏も裕福も遺伝する、とも言えるわけです。
 さらに残酷な「親が貧乏なほど結婚しづらい」現実
 今まで述べた通り、学歴は生涯賃金に直結します。そればかりではありません。親が貧乏なら結婚すらできないのです。
 男性の30~40代、女性の50代に関しては、親が貧乏である人の未婚率が明らかに抜きんでて高い。前回記事で「結婚は消費である」という話をしていますが、まさに、「結婚は贅沢な消費」なのです。
 現代の未婚者は200万~300万円の年収がボリュームゾーンです。親元に住んでいるならまだしも、その収入でひとり暮らしをするとなるとなかなかきついものがあります。それでも、20代男性や30代女性を見ると、親が貧乏でも未婚率が平均を下回っているところもあります。
 婚活の現場では500万円以上の年収が「普通の男」とみなされたりする「浮世離れ理論」が幅をきかせていますが、実際、男性の平均初婚年齢での年収は200万~300万円が大部分です。夫婦合わせて400万~600万円の世帯収入があればなんとかやっていけることも確かです。
 とはいえ、子どもが生まれて以降も夫婦ともにフルタイム就業できている夫婦も少なくなります。子育て期間中、仮に妻が専業主婦になったとして、夫の一馬力で果たしてやっていけるのか、と考えると不安になるでしょう。
 常々言っていることですが、「結婚は経済生活」であり、お金がなければ継続できないことは事実です。2019年度の司法統計によれば、妻からの離婚申し立て理由の多くは「性格の不一致」という理由を除くと「生活費を渡さない(夫の経済問題)」がトップなのです。
 「金がないから結婚できない」は自己責任ではない
 たとえ、貧乏でも家族が仲良く、毎日笑ってすごせればいいよね、という意見もあるかもしれませんが、親の経済力は、その子の将来に直結してしまいます。親が貧乏であるというだけで、「大学に進学できない→大きな企業に就職できない→給料が安い→結婚もできない」という地獄のルートが確定してしまうようなものなのです。
 少子化の最大の要因は、そもそも婚姻数の減少にあることは明らかです。日本史上最大の婚姻数を記録したのは第二次ベビーブーム時代の1972年の約110万組です。その翌年は209万人、翌々年にも203万人の子どもが生まれました。戦後すぐの第一次ベビーブームをのぞけば、これがもっとも近い「最後の200万人超え」で、それ以降出生数は減り続け、2019年確定報では、86.5万人まで落ち込んだことはご存じの通りです。
 出生数が半分以下になりましたが、年間の婚姻数も59.9万組とほぼ半減しています。結婚した夫婦の生む子どもの数である結婚完結出生児数はほぼ2近い数字で推移しており、結婚すれば2人の子どもを生んでいます。つまり、少子化の根本的な原因は婚姻数の減少なのです。
 そして、それを若者の草食化の問題にすり替えるような論法も的外れです。また、若者自身の所得の低下も彼らの責任ではありません。「金がないから結婚できない」という声に対して、それは自己責任だという意見もありますが、不都合な真実をいえば「親に金がないから結婚できない」といっても過言ではないのです。
 50年前の問題が今になって顕在化している
 第二次ベビーブーム期の1970年代に生まれた子どもたちが、まさに今、大学生の年頃の子どもを持つ世代です。平成になって彼らが就職してからの30年間というもの、親世代の所得がまったく増えない「給料デフレ時代」に突入したことは間違いありません。そのしわ寄せは、確実にその子どもたち世代に襲いかかり、本人の意志や努力とは関係なく、若者たちは、進学も就職も結婚すらままならない「目には見えない十字架」を背負わされて歩かされているようなものでしょう。
 「結果の平等」はないが「機会の平等」はあるという人がいます。本当でしょうか? 機会すら与えられない子どもたちは山ほどいます。進学したくてもできない、やりたい仕事にもつけない、結婚したくてもできない、そうした声にならない叫びが埋もれているのです。
 勘違いしないでいただきたいのは、それを親世代の責任であると断じるつもりは毛頭ありません。親世代もまた被害者だからです。
 未婚化や非婚化の問題を、若者の意識の問題や出会いがないという問題だけに矮小化してしまうと本質的な問題を見失います。視野を広げ、視座を変えれば、違った視点で見えてくるがあります。2世代にわたって、50年前からくすぶっていた経済構造上の問題が今まさにここで顕在化しているとは言えないでしょうか。
 ---------- 荒川 和久(あらかわ・かずひさ) コラムニスト・独身研究家 ソロ社会論及び非婚化する独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・Webメディアなどに多数出演。海外からも注目を集めている。著書に『結婚滅亡』(あさ出版)、『ソロエコノミーの襲来』(ワニブックスPLUS新書)、『超ソロ社会―「独身大国・日本」の衝撃』(PHP新書)、『結婚しない男たち―増え続ける未婚男性「ソロ男」のリアル』(ディスカヴァー携書)など。韓国、台湾などでも翻訳本が出版されている。新著に荒川和久・中野信子『「一人で生きる」が当たり前になる社会』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)がある。 ----------」
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🥓13〉─2─日本の母の役割も主婦の地位も男性より高く居心地が良い。~No.45 

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 日本の最高神は女性神天照大神伊勢神宮内宮)である。
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 2021年4月18日08:15 MicrosoftNews PRESIDENT Online「「日本の主婦は地位が高く居心地が良い」女性を働きにくくしている隠れた理由
 © PRESIDENT Online ※写真はイメージです
 いまだ女性管理職が大きく増えることはなく、「男性中心」の社会構造となっている日本。政治学者の中村敏子さんは、「女性が家族における協同的な『性別分業』に安住している間に、大きな社会構造としての『家父長制』が成立してしまった」と指摘します――。
※本稿は、中村敏子『女性差別はどう作られてきたか』(集英社)の一部を再編集したものです。
 女性の専業主婦化はなぜ進んだのか
 第2次世界大戦後、日本国憲法に「両性の平等」が定められました。しかしこれにより変化したのは、国家の政治的権利における平等の達成だけであり、企業と家族を合わせて〈大きな「家」〉を構成する男性と女性の「性別分業」の構造は維持されました。それどころか経済の進展に伴って、1950年代から1970年代までサラリーマンが増加していくことで、女性の専業主婦化が進みました。女性は結婚して主婦という役割に「永久就職」することが主流となったのです。
 それに伴って、こうした「性別分業」にもとづく社会が円滑に機能するようなシステムが作られていきました。仕事を担当する男性には、家族分も含んだ「家族賃金(世帯賃金)」が支払われましたし、これと対になる主婦たる女性に対しては、配偶者手当や配偶者控除などのさまざまな優遇策がとられました。このような中で、女性の仕事はあくまでも補助的なものと考えられるようになります。それゆえ女性はパートや非正規の労働者として働き、賃金は低く抑えられて、男女の賃金格差が当たり前となったのです。
 実は日本の主婦は地位が高い
 こうした体制は、高度成長を支えるために非常に効率的で、とてもうまく機能したように思われます。それが可能だったのは、日本の主婦が、欧米の主婦に比べて居心地のいい立場にいたからでしょう。最も重要な点は、主婦が家族における「財布の紐」を握っていたことです。日本の家族では、夫の稼ぎは彼個人の所有とはならず、家計に計上されました。それを使って主婦は家計のやりくりをしたのです。つまり「夫は稼ぐ人、妻は使う人」ということです。日本の「家」の役割分担からいえば、これは普通のことでしょう。政策の転換により銀行口座の名義人のチェックが厳しくなる前は、夫名義の通帳から妻が預金を引き出すことが普通に行なわれていました。今でもキャッシュカードで同じことができますが。
 西洋では所有権概念が厳しいため、夫の稼ぎは夫個人の所有となります。私は1978年からイギリスに長期滞在したのですが、その頃イギリス人はスーパーでも小切手で支払うのが普通でした。小切手は本人のサインが必要ですから、夫にサインをしてもらわないと支払いができなかったのです。それを見て夫の口座から平気で現金を引き出していた私は、何と面倒なのだろうと思ったことを覚えています。
 「母」の役割も主婦の地位を高めている
 もうひとつ日本で主婦の地位が高い理由として、母の役割があります。日本では子どもがとても大事にされ、その世話をする母としての女性の役割が重要だと考えられています。しかしイギリスでは、夫婦が一体でそのつながりが強固な分、子どもは基本的には他人だと考えられています。日本では「兄弟は他人の始まり」といいますが、イギリスでは「子どもは他人の始まり」なのです。
 私は長女をイギリスで産みましたが、両親学級では生まれた直後から子どもを別の部屋で寝かせるよう指導されました。また、1990年から3人の子どもを連れてイギリスに滞在した時気がついたのは、イギリスの子どもは15歳ぐらいになると、基本的には放っておかれる、つまり自分でやっていくことが求められるということです。これは子どもにとってかわいそうなことだと思われましたが、親の立場としては、「こんな風に放っておいても子どもは育つのだ!」と、肩の荷が軽くなるような気がしたものです。
 このように日本では主婦の地位が高く、主婦がその役割に誇りさえ持っていることは、西洋との大きな違いだと思われます。1960年代のアメリカでは、主婦の虚しさを書いたベティ・フリーダンの本(The Feminine Mystique 邦題『新しい女性の創造』)の出版がフェミニズム運動のきっかけになりましたが、日本では、フェミニズムの主張に対して、しばしば主婦も立派な仕事であるという主張がなされ、不況になると専業主婦願望を持つ女性が増えるのです。それはこうした主婦の立場の違いを反映しているのでしょう。
 平成初期から変化した「家族」のカタチ
 しかし、専業主婦がいる家族は1980年代から減少に転じ、1990年代後半からは共働きの家族がその数を上回ります。『令和元年版 男女共同参画白書』によれば、2018年の調査では、共働き家庭が、専業主婦のいる家庭の2倍強の数となっています。また、性別分業について、男女とも反対の割合が賛成の割合を上回っています。そして2016年の調査では、子どもができても仕事を続ける方がよいと考える人も、男女とも半数を超えています。
 問題は、このように男女の分業を超えようとする現状があるにもかかわらず、依然として「性別分業」を前提とする社会の構造が続いていることです。2019年のOECD経済協力開発機構)の調査では、日本における男女の賃金格差はデータに示されている29カ国中2番目に大きく、女性の賃金は男性の75%弱に留まっています。このことが、独身女性、特にシングルマザーの貧困を生んでいるのです。
 男性中心の働き方が女性管理職を少なくしている
 『令和元年版 男女共同参画白書』によれば、ほかの西洋諸国では女性の就業者の割合が40%後半で大体35%前後の女性管理職がいるのに対し、日本では女性が就業者の40%以上になっているにもかかわらず、女性の管理職が約15%しかいません。
 また、男性中心の働き方を前提とした長時間労働が、夫婦間の家事労働時間の不均等を生んでいます。他国と比較した時、日本の男性が家事や育児に費やす時間の短さと女性の長さは、顕著なものがあります。日本の男性の一日あたりの家事時間は約一時間半、女性は約7時間半なのに対し、西洋諸国では男性は3時間前後、女性は6時間前後です。
 また2016年の調査では、男女とも、子どもができても仕事を続ける方がよいと考えている人が半数を超えているのに、保育への公的支出が少なく保育施設が少ないため、子どもを産んだ場合保育園探しに奔走することになります。男性の育児休業の取得率の低さも顕著です。また、女性に対する母役割の強調もあって、第一子が生まれた後、働いていた女性の半数近くが仕事をやめています。
 「性別分業」による家父長制構造
 このような「性別分業」の構造をはっきりと示しているのが、世界経済フォーラムが出している「ジェンダー・ギャップ指数」です。これは、経済・政治・教育・保健という4つの分野のいくつかの指標において男女の平等を指数化し、全体としてどれだけ男女の平等化が進んでいるかを世界諸国の中で位置づけるものです。2020年のレポートによれば、日本の総合順位は153カ国中121位でした。
 日本は人間にとって基本的に必要な教育や保健に関しては男女の平等がほぼ達成されているのに、「性別分業」により女性が担当してこなかった経済や政治の分野では、平等化が進んでいないことがわかります。特に政治の分野での不平等は、驚くべきものでしょう。これは、政治における平等化を測る指標として、国会議員における女性の数や内閣における大臣の数、そして政治のトップに女性がなったことがあるか、などが使われているからです。この調査が行なわれた時点で衆議院議員の中に女性が占める割合は10%程度であり、女性大臣はひとりでした。
 今も重要な社会的事項を決定するのは「男性」
 さまざまな分野の女性管理職の少なさなども合わせて考えると、結局現在の日本では、経済や政治という重要な社会的事項を決定する場面に女性がおらず、男性が決定しているという状況のあることがわかります。私は、日本の男女関係は協同的であって家父長制的ではないと論じてきました。しかし、それは家族に関わる領域の話であって、大きな社会的な領域においては、男性がさまざまなことについて決定することが行なわれています。
 ここまで使用してきた「家父長制」という概念は、男性が権力を持ってさまざまなことについて決定し、それに女性が従うという体制を意味しました。この観点から見ると、今の日本は、政治や経済の重要事項を男性が決定し、女性がそれに従って生活する「家父長制」が成立しているといえるでしょう。つまり、女性が家族における協同的な「性別分業」に安住している間に、大きな社会構造としての「家父長制」が成立してしまったのです。このように男性が政治や経済における決定権を握っていることが、女性たちが現実に感じる困難を変えることを妨げているのです。
 ---------- 中村 敏子(なかむら・としこ) 政治学者、法学博士 1952年生まれ。北海学園大学名誉教授。75年、東京大学法学部卒業。東京都職員を経て、88年北海道大学法学研究科博士後期課程単位取得退学。主な著書に『福沢諭吉 文明と社会構想』『トマス・ホッブズの母権論――国家の権力 家族の権力』。翻訳書に『社会契約と性契約――近代国家はいかに成立したのか』(キャロル・ぺイトマン)。 ----------」
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⛲25〉─1─日本人は身寄りのない孤独老人に冷たく部屋を借したがらない。~No.117 

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 一人の孤独な老後を自由に気ままに生きるには、自分が選んだ選択としての重い責任と如何なる事も耐える覚悟が伴う。
 自分に降りかかる事態は、国家や社会、世間や他人が悪いのではなく自分が好んで招いた結果で、結果が悪いとして逆恨みするの愚かな事で自業自得である。
 それが、人生における自己責任である。
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 少子高齢化による人口激減で家族のいない孤独な高齢者が増えるや、日本社会は老人が孤独に大量死する死臭漂う生気のない陰気な社会となる。
 それが、老人が多く若者が少ない人生100年時代である。
 そこは、未来への夢を膨らまし希望を持ち望みを叶えようという溌溂とした青少年のバラ色の世界ではない。
 死を待つ老人の国家であって、将来に大望を抱く若者の国家ではない。
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 日本人において「孤独の寂しさ」は、男性と女性では全然違い、男性は精神力が弱いために精神的ダメージは深刻で死に陥る危険性が強い。
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 2021年4月16日 MicrosoftNews AERA dot.「家は借りられず国は在宅死を推奨 「高齢者差別」の現実
 © AERA dot. 提供 作家の下重暁子さん
 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、高齢者差別について。
*  *  *
 住まいの近くに仕事部屋を移そうとして、行きづまった。物件はあるのだが、貸してもらえないのである。理由は高齢者であること。確かにチラシを見ると、「高齢者要相談」と書いてある。
 今まで借りていた部屋は、貸主が私を知っていたのと、法人で借りることが条件で、気持ちよく借りられた。
 しかしこれも、私のところが法人になっているからできたこと、もし個人の場合は、無理だったろう。高齢者はそれまでの蓄えがあったり、現在も仕事をして収入があっても、いつ倒れるかわからないし、孤独死などされては迷惑だという恐れから、貸主がOKしない。何と住みにくい世の中か。
 私を始め、今は、八十代、九十代になっても元気に仕事をし、人生を楽しんでいる人も多いのだが、高齢ということのみでひとくくりにされて、住む場所を確保することもおぼつかない。
 世の中には、私の友人のように、自分の家を持つことを拒否し、一生借家で過ごしたいという主義の人もいるのだが、これでは、その人の生き方すら認められず、高齢になった場合、住む場所すらなくなってしまう。
 もちろん家族が一緒の場合はOKなのだろうから、高齢者が独りであることが問題なのだろう。
 しかし、現実は、ひとり暮らしの高齢者が増えていることも確か。しかも元気で楽しく仕事も生活もエンジョイしている。人生の晩年を好きなように生きている人たちの自由が奪われてはならない。
 おひとりさまの高齢者が在宅死をしたいと願うなら、まず、持ち家があることが条件になる。静かに一人ひっそりと息を引き取りたいと願ってもまわりが許さない。
 やれ孤独死だ、福祉の貧困だと騒ぎたて、そっとしておいてくれず、いくら介護の条件や他人に迷惑をかけない死を選ぼうとしてもうまくいかない。
 それでいて国は、在宅死をすすめている。それはあくまで家族がまわりにいて、面倒を見てくれる場合なのだろう。一人で自由に自分の家さえ借りられず、住むところを選ぶ権利すら高齢者には許されていないのだろうか。
 「高齢者」と年齢でひとくくりにすることをやめたい。みな個人で、一人一人違う考えを持ち、一番自分らしい最後を生きたいと願う人たちの自由を奪わないでいただきたい。施設に入らずともひとり暮らしで楽しく仕事も趣味も持ち、生涯現役の人が増えている。寿命も九十歳、百歳など珍しくない昨今、自分で生き方を選べる社会であって欲しいのだ。
 高齢者差別が存在する現状をある小冊子に書いたら、スポンサーからクレームがきて、差別という言葉をやめてもらいたいと言ってきた。
 性差別をはじめ、実際に差別があるというのに、差別という言葉を使わないわけにはいかない。ということで、その原稿はとりやめにしたが、差別という言葉への差別すら、この世に存在することを知らされて唖然としてしまった。
 ※週刊朝日  2021年4月23日号」
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下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。主な著書に『家族という病』『極上の孤独』『人間の品性』ほか多数
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🚱6〉─1─日本は武漢肺炎の影響で人口激減が加速し経済力は世界第4位に後退する。~No.22No.23 

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 日本の衰退は止められない。
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 2021年4月15日号 週刊新潮「『未来の年表』の著者が警告
 2021『ベビーショック』 コロナは少子化を18年早めた
 ▶戦後史に残る『出生数急落』『婚姻数激減』
 ▶デジタル化で『人不足倒産』拡大
 ▶年金破綻危機に『高齢消費者』が消滅
 ▶『過度な自粛』で若者を縛り付け経済は致命傷」
 すでに危機的状況にあった日本の『少子化』は、この1年余のコロナ禍でさらに深刻の度合いを増した。出生数が大幅に減少したことにとどまらず、出産と深く結びついている婚姻件数が大きく減ったのである。このまま進めば、間違いなく悪夢のような未来がやってくる。
 河合雅司
 コロナ禍は日本社会にさまざまな変化をもたらした。だが、その多くはコロナ禍前から『宿題』となってきた課題である。
 新たな問題が降りかかったというより、コロナ禍によって何年もの時間が進む形となり、『宿題』が一斉に顕在化したというのが実情である。
 とりわけ看過できないのが、少子化は何十年も先まで及び、社会を根底から揺るがす。
 日本の少子化は『コロナ前』において、『国難』と言われる危機的な状況にあった。2019年には、年間出生数が前年と比べて5.8%も下落して86万5,239人にとどまるという、いわゆる『86万ショック』が起こったのである。
 合計特殊出生率も前年の1.42から、2011年以来の『1.3台』となる1.36に急落した。国立社会保険・人口問題研究所(社人研)が86万人台になると予測していたのは4年後の2023年であった。
 こうした厳しい状況の中で、新型コロナウイルス感染症の蔓延が起きたのである。出生数が急落するのも当然だ。
 言うまでもないが、妊婦から出産まで280日ほどのズレがある。このため、出生数の減少が数として表れるのは、2021年以降となる。厚生労働省の人口動態統計の速報値(日本に住む外国人や外国在住の日本人などを含む)によれば、昨年の出生数は前年比2万5,917人減だったが、減少数は2.9%で極端に減ったわけではない。
 ただし、2021年以降の出生数の大幅減を決定づける『変化』はすでに表れている。その一つが妊娠届出数だ。
 厚労省の緊急調査によると、政府の緊急事態宣言が発出されていた昨年5月には前年同月比17.6%もの下落を記録した。その後も減少傾向は続き、厚労省が公表した10月までの合計は対前年同期間比5.1%減、実数にして3万9,097件の減少となった。このうち、2021年の出生数に反映される5~10月を取り出すと、前年同期比で8.2%もの減少となる。感染拡大が深刻化するにつれて、妊娠を避ける夫婦・カップルが増えたということだ。
 2021年の出生数の大幅減を決定づけるもう一つの変化は婚姻件数である。厚労省の人口動態統計の速報値によれば、昨年の婚姻件数は前年比7万8,069組少ない53万7,583組にとどまった。12.7%もの減少である。
 日本の場合、非嫡出子の場合は2.29%(2018年)と比べて極めて低い水準にあり、結婚と妊娠・出産は強く結びついている。結婚したカップルのすべてが子供をもうけるわけではないが、婚姻件数の減少に色濃く反映する。
 加速する『出生数』減
 妊娠届出生数や婚姻件数が大きく減ったのには主に3つの要因がある。1つは妊娠中の感染に対する懸念だ。胎児への影響を心配して通院を控える人も少なくなかった。
 2つ目は、出産態勢への不安である。都市から地方に戻らないよう移動の自粛を求められ地域が多く、『里帰り出産』ができなかったケースが目立った。出産後も家族の面会が制限された。子育てが始まっても、保育園などが感染拡大の影響で一時閉鎖になったり、母親同士の交流機会が制限されたりで、『産後うつ』になる人も多かった。昨年の『産後うつ』の発症割合が例年の2倍以上だったとの調査結果もある。
 3つ目の要因は、景気悪化に伴う収入の減少や先行きへの不安だ。勤務先の業績悪化で仕事を失ったり、給与やボーナスが減ったりして、結婚や子供を持つ余裕を失った人が多くなったということだ。
 妊娠届数や婚姻件数が1割ほど落ち込んだ状況が、2021年の年間出生数は75万人程度にまで減る可能性が出てくる。
 社人研の推計で出生数が75万人となるのは2039年のはずであった。もし18年も早い到達が現実となったならば、2021年は戦後史に残る『ベビーショック』となる。それは同時に、人口減少対策のために残されていたはずの時間の多くを失うことを意味する。
 出生数の大幅下落は2021年にとどまらず、その後も加速し続けそうである。結婚や妊娠というのは、個々の価値観に基づく極めてセンシティブな問題であり、タイミングが重要だ。日本は晩婚・晩産化が進んでいることもあり、個々人にとっての数年の差が持つ意味は大きい。感染が収束したからといって、即座に結婚ブームや出産ブームが起きることにはならない。
 そもそも、日本の少子化の原因をめぐっては子育て支援策などの不十分さばかり指摘されるが、いまや過去の少子化で『出産可能な年齢の女性』が減ってしまったことによるところが大きい。コロナ禍に伴ってハイスピードで出生数が減ってしまうならば、将来母親となり得る女性数はさらに早く少なくなる。
 コロナ禍による少子化の加速で今後の出生数が社人研の悲劇的シナリオ(低位推計)に沿った下落カーブを描くならば、2045年の年間出生数は約59万1,000人となる。
 41万6,000人を47都道府県で割れば、1県あたりの出生数は9,000人弱となる。都道府県別の出生数は出産可能な年齢の女性が多い東京都などが相対的に多くなることから、地方には5,000人に満たないような県がいくつも登場することだろう。すでに少子化に悩んでいる自治体では『出生数ゼロ』というところも珍しくなくなる。『地方創生』などと言っていられなくなるだろう。
 出生数減少の加速の影響は一過性では終わらない。概ね20年後には勤労世代(20~64歳)の不足となって表れるからだ。2019年の実績値は6,925万2,000人だが、死亡数が予定通りに推移したとすると、2040年には2019年比で1,414万人減る。これは社人研の現実的シナリオ(中位推計)が予想していた数字より31万人ほど少ない水準だ。
 社人研の現実的なシナリオによる推計との開きは年々大きくなり、2050年には158万人、2060年には268万人ほど少ない水準となる。2050年はコロナ禍の有無とは関係なく減る分を合わせると、2019年比で2,210万人も減少になる。各業種の人手不足は、想定以上に深刻化することとなる。
 こうなると期待したくなるのが外国人労働者だ。コロナ前を思い起こせば、政府を挙げて受け入れを拡大していた。しかしながら、世界的に感染が落ち着きを見せたとしても受け入れ水準が元に戻るとは限らない。コロナ禍が各国にデジタル化を促したからである。デジタルトランスフォーメーション(DX)はすでに世界の潮流であり、開発途上国でも急拡大している。コロナ禍を契機としてさらに促進されることで、多くの国に雇用が創出されるだろう。しかも、世界規模で少子高齢化が進んでおり、他国に人材を送り出せる国は年々減少していく。
 マーケットの縮小
 日本人の働き世代が減り、外国人労働者も思うように確保できないとなれば、中小企業を中心に『人手不足倒産』が拡大することとなる。
 働き手世代が想定より早く縮小することの影響は、これにとどまらない。勤労世代とは働き手であると同時に、旺盛な消費を期待できる中心的存在でもある。少子化の加速は国内マーケットの縮小スピードを速めることにもなる。
 ベビー服や学用品というった子供向け商品を扱うビジネスは20年も待たずしてマーケットが縮み始め、若い消費者を主要なターゲットとしてきた業種の市場も次々と波及していく。日本は内需依存度が高く、大企業もコロナ禍を機に収益構造の抜本的見直しに踏み出さなければ、生き残れなくなるだろう。
 少子化が進んだからといって高齢者数が即座に減るわけではないので、高齢化率は相対的に上昇することになる。若い世代が想定したより減る分だけ、世代間の支えあいとなっている年金などの社会保障制度の財政は脆弱となっていく。
 少子化の加速と並んでわれわれが危機感を抱くべきは、〝高齢者の消滅〟である。〝消滅〟といっても、コロナで亡くなる人が増えるという意味ではない。消費マインドが冷え込み、高齢消費者が実質的に減ってしまうことだ。
 コロナは高齢者の重症化リスクが大きく、警戒をし過ぎて自宅周辺に閉じ籠もっている人が増えた。週に1回程度しか外出しないという極端なケースまであるという。
 高齢者の引きこもりは、『フレイル』(身体機能や認知機能の低下が表れ始める状態)を招く。ただでさえ、高齢者の5人に1人が認知症になるという時代を迎えつつあるのに、フレイルになる人が増えればなおさら高齢者マーケットは縮む。
 総務省の『家計調査』(2人以上の世帯)によれば、2020年の消費支出は物価変動の影響を除いた実質で前年比5.3%減となり、落ち込み幅としては比較可能な2001年以降で最大であった。これを支出項目別に若い世代と高齢世代とで比較してみると、『洋服』や『教養娯楽サービス』などでは高齢世代の落ち込みが浮き彫りになった。
 これに対し、政府や各企業は感染収束後の『V字回復』を目指しているが、〝過度な警戒心〟からの脱却は一朝一夕にはいかない。
 V字回復を妨げる材料は他にもある。コロナ後の負担増だ。政府はコロナ対策として積極的な財政支出を行っているが、感染が収束すれば引き締めは必至である。すでに決まった75歳以上の医療費窓口負担の引き上げに続いて、さらなる負担増が予想される。これでは感染収束後に消費マインドに火が点くどころか、財布の紐は固くなるばかりが。
 現在、65歳以上の高齢者数は3,600万人強だが、高齢者の消費支出が平均して1割お落ち込めば、高齢者マーケットが360万人分縮小するものと同じである。
 『若さ』が失われる国
 そして、少子高齢化の加速が恐ろしいのは、何よりも日本社会そのものの『若さ』を急速に奪っていくことにある。
 日本は高齢者数が多いだけでなく国民全体が高年齢化しており、コロナ禍のようなストレスフルの社会では人々の思考が『守り』に入りやすい。
 他国でも大なり小なり社会の活力が削がれただろうが、国民の平均年齢が若ければ回復も早い。ところが、すでに国民の3人に1人が高齢者という日本は、そうはうまくはいかない。活力を取りもどすのにかなりの時間がかかるだろう。
 加えて、日本は同調圧力が生まれやすい社会風土がある。『他人の目』が気になり、どう考えても感染リスクの低いイベントや事業まで続々と中止や延期を決めてしまう。
 同調圧力の怖さは、活動的な若い世代の行動まで制限することである。『守り』に入った社会は、チャレンジ精神もり『慎重な行動』や『無難さ』を好む。
 ただでさえ少子化で若い世代が少なくなっているのに、その貴重な若者を縛る付け、やる気を奪っていくのだから社会が活力を取り戻せるはずがない。コロナ禍とは、高齢化率の高い国ほどダメージを受けやすいのだ。
 むろん、高齢者が多い社会において〝未知のウイルス〟に対する警戒心が強くなるのは当然である。感染防止策の徹底も不可欠である。だが、『度を超した委縮』は社会全体の利益を損なうということだ。今の日本は、自らの手でコロナ不況を深刻化させているようなものである。
 社会としての『若さ』を急速に失うと、国家の存続を危うくする。コロナ不況は世界恐慌とも比較されるように、各国経済が同時に傷つくという特異な局面をつくった。どの国もコロナ後に向けて政治的、経済的優位性を確保すべく駆け引きを繰り広げているのである。高齢者の多い日本はそれだけでも出遅れが懸念されるのに、若い世代に手枷足枷をはめているのでは経済復興の波に乗り遅れるどころか、致命傷を負いかねない。
 英国の有力シンクタンク『経済経営研究センター(CEBR)』が昨年末、中国のGDP(国内総生産)が米国を抜いて世界第1位になる時期について従来の予測よりも早い2028年との見解を示した。予測は早まったのは、両国のコロナの封じ込め状況の差であろう。日本については2030年にインドに抜かれて4位に転落すると予測しているが、経済復興に手間取ればインドに抜かれる日はもっと早く来る。
 もとより日本政府は『コロナ前』から少子高齢化や人口減少に対して強力な対策を講じてこなかったが、状況がさらに悪化した今も危機感は伝わってこない。この間、菅義偉政権が打ち出した政策といえば、不妊治療の保険適用範囲の拡大や男性の育休取得の推進といった程度の対策だ。これらが重要でないとは言わないが、あまりにもスケールが小さく、成果も期待しづらい。
 少子高齢化は容赦なく加速を続ける。国民を『守り』の思考から解き放たないかぎり、日本はどんどん『若さ』を失っていく。ここで政府が本腰を入れなかったならば、われわれは遠からず、衰退して外国資本に呑み込まれていく日本を目撃することとなる。」
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力が乏しく、そして経済力・科学技術力・経営力が劣っていて、新しい未来を切り開くイノベーションを起こす為の想像力・発想力、決断力・実行力がない。
 それは、金太郎飴的な戦後民主主義世代の特徴である。
 指示待ち世代として、予言者のような権威ある偉い人のご高説を拝聴し、強い指導者・経営者のブラック的指導を得ないと何もできない。
 戦後民主主義教育とは、そうした日本人を量産するのが目的であった。
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 正義の味方である自粛警察による同調圧力・場の空気・空気圧・空気が、日本を衰退させ回復不能な状態へと追い込む。
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 リベラル派戦後民主主義世代が、少子高齢化による人口激減や自粛警察による同調圧力・場の空気・空気圧・空気を生み出し、経済を破綻させ絶望的日本衰退をもたらし、日本の復興・再生を阻んでいる。
 故に、逃げ切り組と揶揄される。
 老い先短いリベラル派戦後民主主義世代が大事なのは自分の幸せな老後のみで、日本国の事日本民族の事さらには子供や孫の事など関心も興味もない。
 彼らが求める人口回復策は、日本民族消滅をもたらす1,000万人規模の若い外国人移民(主に中国人移民)である。
 それが、多民族多文化多宗教多習慣多言語共存を目指す多様性の真相である。
 守るべきは、生物・日本人としての日本国籍取得の日本国民であって縄文時代から続く血筋の日本民族ではないと。
 60年安保や70年安保で敗北した戦後民主主義世代挫折派の最終目的は、怨念として日本民族を地上から消し去る事で、その手段が少子高齢化による人口激減である。
   ・   ・   ・   
 1980年代までの日本は人口爆発が続き、明治の近代化、敗戦後の復興、高度経済成長を乗り越えてきた。
 人口は、1868年の明治初期に約3,000万人、1945年の敗戦時に約8,000万人、1980年代バブル時代に約1億2,000万人と確実に増えていた。
 日本の歴史は繰り返しのない一本道で、個人的な小さな教訓はあっても、国家的な大きな教訓などはない。
 人口爆発で、若者を中心とした消費は急拡大し、明日への希望と未来への夢で国内市場は熱気に包まれ、新しい科学技術による商品を店頭に並べれば強欲な人々が先を争って購入した、それが日本の内需であった。
 人口爆発とは、若者が多く老人が少ない社会であった。
 戦後の日本経済は、戦争有りきの軍需から平和のみの民需に変わっていた。
 日本のイノベーションは、民生技術ではなく軍事技術で起きていた。
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 人生100年時代の少子高齢化(老人が多く若者が少ない)による人口激減で最も深刻なのは、労働者の不足ではなく消費者の消失で、日本経済を支えた内需は破綻する。
 だが、外需として海外市場で売って全国民の生活費を稼げるような日本製品、メイド・イン・ジャパンは少ないかないに等しい。
 日本はアメリカと違い、食糧・物資・エネルギーなど多くの分野で自給自足ができない為に海外で大量に購入するしかなく、その代金は円貨(日本円)ではなく米ドル貨であった。
 円貨(日本円)で払ったとしても、国際貨幣としての信用は基軸通貨・米ドル貨の保証があるからである。
 基軸通貨・米ドル貨の揺るがない信用とは、世界最大の軍事力・最先端軍事技術を装備した最強の軍隊、それがアメリカが世界第1位の豊かな経済大国である証しでもある。
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 生産現場における、人材不足はAIが補い、労働者不足はロボットや自動走行が補う。
 だが、消費は人間のみがこなう。
 消費者が減少する人口激減時代において誰の為に、商品を作るのか。
 多くの若者は、生産性向上を求められても、非正規・契約社員の不安定生活から収入は一定せず貧しさから抜け出せない貧困生活を強いられ、その上に急増する寝たきりや認知症などの年金老人や生活保護受給者を金銭的肉体的に支える事を強制される。
 つまり、若者達は「踏んだり蹴ったり」の目にあい、その不運・不幸は死ぬまで続く。
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 バブル経済崩壊後・就職氷河期以降を生きてきた老人は、資産なく、家族なく、子供のいない貧困老人・下級老人で、日本経済を支える消費者にはならない。
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 日本は世界で信用されている、日本人は世界で愛されている、はウソである。
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 人生100年時代の少子高齢化による人口激減に対して、若者少なく老人が多く、出産可能年齢女性の減少により日本民族としての人口回復は不可能になった。
 人口維持にせよ、人口回復にせよ、最低限必要な人数が必要で、その限界人数を下回れば幾ら努力しようとも消滅に向かって坂を転げ落ちるだけである。
 問題なのは、日本人の晩婚・晩産化によって繁殖能力が退化し生殖機能が衰退した事である。
 つまり、子供を産み育てる生物的力が衰えた事である。
 それは同時に、女性に生物的人間的社会的魅力を与える男性力の劣化を意味する。
 男性は、社会的肉体的に健康であれば何歳であっても女性を出産させる事ができる。
 女性は、社会的肉体的に健康であっても、出産できる年齢は限られ、晩婚・晩産化で高齢出産すると命の危険と奇形児・障害児が生まれる危険性が高くなる。
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 現代の日本人には、「今そこにある本当の深刻な危機」を口では解決しなければならないと騒ぐが、実際、本音では自分の事ではない為に解決する気はまったくない。
 つまり、有言不実行で手を付けず放置する、である。
 賢い人間は、試験問題で、解決できない難問題は手を付けず諦め、解説できる他の問題を数多く解決して総合点を稼ぐ。
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 日本民族の目を眩まし正常な思考を毒し無知蒙昧にしたのが、歴史的に存在した事のないファンタジー武士道神話と科学的根拠のない思い込み安全神話である。
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 自分の事しか考えない現代日本人には、事の深刻さが理解できない。
 その意識が強いのがリベラル派戦後民主主義世代であり、それは勝ち組・逃げ切り組そして上級国民・富裕層・金持ちの団塊の世代団塊ジュニアである。
 現代日本の深刻で破滅をもたらす諸問題を生み出したのは、日本人の中のリベラル派戦後民主主義世代であった。
 そして、食い止めようという対策を悉く妨害し失敗させてきたのも、リベラル派戦後民主主義世代であった。
 リベラル派戦後民主主義世代とは、政治家、官僚、企業家、学者・教育者そしてメディア・報道機関関係者、市民活動家、反天皇反日的日本人になった高学歴の知的エリートと進歩的インテリである。
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 リベラル派戦後民主主義世代は逃げ切り世代として大事なのは、自分の命と財産による安心できる一人だけの老後であって、家族の生活や子供・孫の生き死にではない。
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 危機意識が欠如した現代日本人は、不愉快になる現実を意図的に見ようとせず、自分に都合の良い虚偽情報のみを見、心地いいウソの話をのみ聞く。
 その証拠が、対中貿易による金儲けを続ける為に、中国共産党が行っているウイグル人・モンゴル人・チベット人少数民族へのジェノサイド、法輪功・闇キリスト教会への宗教弾圧という人道に対する罪を無視している、事である。
 そうした傾向は、1980年代後半のバブル経済から生まれた。
 少子高齢化による人口激減も、1980年代から始まっている。
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 日本国・日本民族には、人類的民族的歴史的な寿命が尽きようとしている。
 現代は、日本列島の住人が生命力を失っい夢も希望も失せた老い衰えた日本民族から別種の生命力旺盛な大望を抱く若い人間に入れ替わろうとしている。
 日本民族とは、雑多な人々が漂着し見境のない雑婚を繰り返し生まれた血が汚れた混血の雑種民族である。
 日本列島にとって、日本国にとって、人間であれば誰でも構わず日本民族でなければならない必然性はない。
 つまり、日本民族としての特別性、特殊性などには価値はない。
 歴史的事実として、数多くの、国が滅亡し、民族が死滅し、文化・宗教・言語が消滅している。
 人類の歴史とは、名もなき哀れな亡国と死者の陰々滅々とした灰色の記録である。
 日本国と日本民族とて、その宿命からは逃れられない。
 その証拠が、少子高齢化による人口激減である。
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 現代の日本人は、ハーメルンの笛や滅びの心地よい甘美な音色を聴きながら幸福に包まれその時を待つしかない。
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 今まさに、日本国という豪華客船は沈み行き、日本民族には救援はなく溺死するしかない。
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 滅び行く日本民族ができる事は、ロウソクの炎が今まさに消えるという瞬間に明るく光輝く、鷺娘が死の瞬間に美しく一舞いする、事にている。
 日本民族は、いま消えようとしている線香花火である。
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