⛲45〉─3・L─現代日本人は家族の血縁、地域の地縁、社会の会社縁から解放され一人ぼっちとなった。~No.259 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 家族であろうと他人であろうと、誰も助けてはくれないし誰もあてにはできない。
 頼れるのは、人ではなく金である。
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 2022年12月4日 MicrosoftStartニュース 東洋経済オンライン「「地縁血縁」から解放された日本の残酷な結果 自由恋愛や友情に熱狂できた時代は終わった
 野中 大樹 の意見
 戦後、ネガティブに語られてきた「血縁、地縁、会社縁」。だが、そこから「解放」されたことで孤独に陥る人もいる。内閣官房孤独・孤立対策担当室の有識者会議メンバー、石田光規氏に聞いた。
 石田光規(いしだ・みつのり)/早稲田大学 文化構想学部教授(社会学)。1973年生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。大妻女子大学准教授を経て現職。主な著書に『孤立の社会学──無縁社会の処方箋』(記者撮影)。
石田光規(いしだ・みつのり)/早稲田大学 文化構想学部教授(社会学)。1973年生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。大妻女子大学准教授を経て現職。主な著書に『孤立の社会学──無縁社会の処方箋』(記者撮影)。
 © 東洋経済オンライン
 一人暮らし世帯が4割に迫ろうとする今、頼れる人はいない孤立状態に誰もが陥りうる。特集「1億『総孤独』社会」の一覧はこちら。
──コロナ禍で孤独・孤立に陥る人が増えました。
 不要不急の面会や会食は控えよといわれ、人々は「それでも会うべき人」と「とくに会う必要のない人」を選別した。つまり「人間関係の棚卸し」を実行した。
 会うべき人として選ばれた人もいれば、選ばれなかった人もいる。孤独感にさいなまれる人が続出するのはある意味で当然だ。
 ただ、コロナ禍は人間関係の希薄さを表出させたといったほうが正しく、それ以前から孤独・孤立問題は深刻化していた。
 「解放」と「剥奪」の2つの文脈
──NHKスペシャル無縁社会〜“無縁死”3万2千人の衝撃」が放送され、身寄り頼りなく孤独死していく人の急増ぶりが脚光を浴びたのは2010年でした。
 いかにも無残な時代が到来したかのように報じられたが、「一人」という言葉には「解放」と「剥奪」の2つの文脈があることを、まず押さえておく必要がある。
 血縁、地縁、会社縁といった伝統的紐帯(ちゅうたい)からの解放は、戦後日本の目標の1つだった。しがらみから逃れるために、一人になれる社会を志向した時代もあったのだ。
 血縁からの解放は、人々、とくに家父長制的な空間で「ケアの役割」を強いられていた女性を解き放った面がある。
 地縁からの解放は、農村の閉鎖的な空間を「民主化」という名目で破壊し、人々が自由に生きられるようになったとされた。
 会社縁からの解放は、経済成長時代に「24時間戦えますか」とテレビCMにあおられながら生きていた企業戦士たちに「人間らしい」生活をもたらすことが必要だという文脈の中で叫ばれた。
 伝統的紐帯からの解放の流れは、人間関係の形が変わっていく過程でもあった。
 わかりやすい例が恋愛と友情だ。
 「自由恋愛」という新しい風
──人間関係作りが自由になった。
 1980年代前半まで恋愛と結婚はほぼイコールで、誰かと付き合うことは結婚を前提としていた。
 そこへ吹き込んだのが「自由恋愛」という新しい風だ。1980年代後半から1990年代前半にかけ、テレビでは恋愛をモチーフにしたトレンディードラマが大流行した。
 真の友達や友情という考え方が広がったのも1980年代以降。町内会長や会社の上司といった付き合わざるをえない関係性から解放された人々は、心から信頼できる友達を自ら選べるようになった。『週刊少年ジャンプ』が空前の部数を出し始めたのは1980年代以降のことで、マンガのテーマとなるのは「友情、努力、勝利」だった。
 80年代という時代は、血縁、地縁、会社縁からの解放が楽観的に語れる時代だったといっていい。
──楽観的には語れなくなったと。
 風向きは変わった。バブルが崩壊すると、楽観的な空気は影を潜めた。非正規雇用が増えて格差は拡大。結婚したくてもできない層が膨らんだ。男女ともに生涯未婚率(50歳時点で一度も結婚したことがない人の割合)が5%を初めて超えたのは1990年代だ。
 経済成長モデルの負の側面が凝縮されている団地(写真はイメージ、記者撮影)
経済成長モデルの負の側面が凝縮されている団地(写真はイメージ、記者撮影)
 © 東洋経済オンライン
 千葉県松戸市常盤平団地で、一人暮らしの59歳男性が白骨化した遺体で見つかるという衝撃的なニュースが流れたのは2001年だった。同団地では翌2002年にも50代男性が、こたつに入ったまま亡くなった状態で発見され、「孤独死」が大きくクローズアップされた。
──なぜ団地だったのでしょう。
 戦後日本の経済成長モデルが関係している。都会に工業地帯をいくつも設け、郊外には社員や家族が暮らす団地を濫造した。団地でも盆踊りや運動会が行われた時期もあった。しかし、その子ども世代は団地から出ていった。都心の大学や職場に通うには不便だからだ。団地には高齢者が残され、孤独死が見られるようになった。
 経済合理性だけで都市を形成してきたことの残酷な結末が、団地には象徴的に表れている。
──地方では過疎化が深刻です。
 都会に人が集められたことで、地方の山村は不条理に見舞われている。限界集落を通り越して、リアルに消滅する集落が出てきた。
 私が実地調査をしてきた静岡県の山村でも1つの集落が消滅するほど過疎化が進み、総合病院の存続問題が持ち上がった。病院の維持にはコストがかかる。急病患者はドクターヘリで都市部に運ぶことができるのだから病院は閉鎖したほうが合理的だという議論になった。まさに「選択と集中」だ。
 町のサービスが合理性の理論の下で縮小されていく中、ある住民はこう口にした。「生まれ育った故郷に住みたいと願うことが、そんなにぜいたくなことなのか」。私には忘れられない言葉だ。
 日本は世界トップクラスの経済先進国にはなったけれど、本当の意味で豊かになったのだろうか。
 自由は残酷な結果をも招く
──内閣府の調査では現役世代でも孤独を感じる人が増えています。
 意外な結果だった。これまで孤独や孤立は高齢者の話だったが、働き盛り世代にまで広がっている。
 要因の1つは未婚化が進んだことだろう。結婚のデータは国が結婚を推奨しているように受け取られかねないため通常は公表しない。今回公表したのは、結婚自体が格差化し若い世代を孤独に追い込んでいる傾向が見られたからだ。
 血縁、地縁、会社縁から解放され、自由にはなった。しかし自由は残酷な結果をも招く。働き盛り世代にまで孤独感が広がる現実をどう受け止めたらいいか。真剣に考えるべき時だ。」
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