🥓4〉5〉─1─気の利かない夫とひどい夫の被害を受ける妻達への『夫のトリセツ』。〜No.9No.10No.11No.12No.13No.14 ② 

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 『夫のトリセツ』 黒川伊保子著 講談社+α新書。
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 日本人の男性と女性は違う。
 それは、性差別ではない。
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 日本人の、女性=妻は搾取する立場にあり、男性=夫は搾取される立場にある。
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 2019年11月16日号 週刊現代「ベストセラー『妻のトリセツ』で笑っている場合じゃなかった
 ついに出た話題の書
『夫のトリセツ』
 読んでみたら、俺のことだった
 ベストセラーとなった『妻のトリセツ』に続いて刊行された『夫のトリセツ』。これを読むと、我々夫が妻からどう思われているのかが理解できる。身につまされる男性も決して少なくないはずだ。
 ソファーが傷むでしょ!
 『疲れ果てて仕事から帰ってきたので、いつの間にかテレビをつけっぱなしにしてリビングのソファーで寝てしまったんです。そうしたらしばらくして、妻に肩を叩かれて起こされました。
 てっきり、「風邪をひくから」と、体調を気づかってくれたのかと思いきや、全然違う。「電気代がかかるし、ソファーも傷むから早く別のところで寝てよ」と怒られてしまいました』
 こう語るのは、埼玉県在住の宮田武司さん(54歳・仮名)だ。
 『後で聞いたら、ソファーの上にかけてある薄いタオルも、僕が寝るとソファーが汚くなるからということらしく・・・。妻からそんな目で見られていたのかと思うと、悲しい気分になりましたよ』
 昨年10月に発売されて以来40万部を売り上げたベストセラー、『妻のトリセツ』(講談社+α新書)。人工知能研究者である黒川伊保子氏が、男女の脳の違いを踏まえて『妻の取り扱い方』を解説し、夫婦生活を円満に送るためのヒントを紹介した本書は、悩める夫が絶大な支持を集めた。
 この『妻のトリセツ』の大ヒットを受けて第2弾『夫のトリセツ』(同新書)が刊行され、早くも反響を呼んでいる。タイトルの通り、妻=女性に向けた内容でありながら、逆に夫が読むと『あれ、俺のこと?』とドキリとされる男の行動が列挙されているのだ。
 著者の黒川氏は、こう語る。
 『女性の脳の重要な機能は母性です。これは愛の提供というより、子供を無事に育て上げるためのもの。そう考えれば、女性が、出産を機に夫に厳しくなるのは自明の理です。資源(労力・時間・意識)のすべてを子どもに注ぐよう、脳が仕向けるのです。その上、搾取すべき相手からは、徹底して搾取するという戦略に出る。夫は妻からすると格好の搾取対象に変わりません』
 出産後、妻から強く当たられた経験のある男性陣は少なくないはずだ。母親は育児中、小さくて繊細な赤ちゃんをずっと見つめているため、大人の男が大きくて野卑(やひ)な存在に見えるようになる。これは脳の認識の機能が守るべき赤ちゃんにフォーカスしているためだ。その結果、今まで気にならなかった夫の足音が
うるさい、動作がガサツといった面に目が行く。
 『子供が自分の足で歩くようになると、女性の脳は「より免疫力の強い生殖相手」を探すようになります。遺伝子多様性を求めるのは、生物として自然なことです。
 厄介なのは女性の場合は、それが浮気心として表に出ないこと。哺乳類のメスは、「次」への移行は「直近の生殖相手」の否定から始まります。次の相手を見つけるまでいかなくとも、とりあえず夫にイライラしてしまうのは女性の定番。夫とは、年を追うごとに妻からの評価が下がっていく役割なのです』
 ここまで言われると、『妻のトリセツ』を読んで『ある、ある』なんて笑っていた夫たちも、居住まいを正さざるを得なくなる。黒川氏も、ぜひ男性こそ『夫のトリセツ』を手に取ってほしいと語る。
 『妻から、自分はこういう風に見られていたのか、という自覚を持つことが何より大切だからです。男性にはセルフチェック的な意味も込めて、呼んでいただきたいと思います』
 『してやった』がウザい
 『夫のトリセツ』によると、おもに世の中の夫は①『気の利かない夫』と②『ひどい夫』の二つのパターンに区別される。」
 ①の『気の利かない夫』は、家事をまったく手伝わない、または、少し家事を手伝った場合に大きな態度を取ってしまうタイプが典型だ。
 たまの休みくらい、妻のことを助けてやろう、夫が優しさを発揮したとする。しかし黒川氏によると、夫が認識できる家事の数は、妻が認識している数の6分の1程度にしかならないという。
 『女性はリビングからトイレに行って戻ってくるだけの間でも複数の家事を同時進行しています。テレビのリモコンをもとの位置に戻す、トイレの芳香剤を補充する、洗面台に飛んだ水滴をふき取る。男性はこのような「名もなき家事」を自分の目で見つけることが非常に苦手な生物なのです』
 夫側は妻のため食器を洗ってあげた、掃除機をあけてあげた、ゴミ出しをしてあげた、などと一時の満足に浸りがち。しかし妻からすると、なぜ洗った食器を乾かした後にしまわないのか、掃除機のフィルターにたまったゴミを捨てないのかといった点が気になってしまい、イライラの原因となるのだ。夫側の『してやった感』も妻にとっては腹立たしさを高める格好の材料である。
 フリーアナウンサー生島ヒロシ
 『私は父親が食堂を経営していたこともあり、掃除や皿洗いなど家事全般は得意なほうだと思っていました。妻からはいつも注文が入っていましたね。雑で2度手間になるから、皿洗いはやらないで、と言われたこともあります』
 妻は部下じゃないので
 妻の要求に応えようとして、トンチンカンに張り切る夫も、気が利かない夫に分類される。
 ……
 自分の気分と都合で、昼食や夕食の献立を早い段階から尋ねるのも、気が利かない夫の特徴のひとつだ。
『朝食を取り終わってすぐくらいのタイミングで、「今日、お昼はどうする?」と聞いてきたりする。夫は悪気はないんでしょうが、女性はシンキングコストが高い生き物です。これを聞かれると、お昼までの間ずっとそのことを考えなくてはいけないように感じるんです』(黒川氏)
 次に、②『ひどい夫』の例を見ていこう。田原宏明さん(62歳・仮名)の談。
 『ついつい妻に対して「お茶」「上着」などと言っています。自分では特に命令をしている、という意識はないのですが・・・。「トリセツ」では、これは妻を都合の良い道具として扱っている以外の何物でもないと書かれてあり、女性からそう受け止められているのかと考えさせられました』
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 日本の男性とは、日本人夫とは。
 男尊女卑と信じられた日本での男性・夫の哀れな実像。
 亭主関白。暴力夫。頑固親父。ダメ亭主。ぐーたら亭主。役立たず夫。粗大ゴミ夫。優柔不断夫。クソ爺。・・・。
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 はげ頭の老人。白髪だらけ・無精髭で無頓着な老人。着たきり雀のような老人。古ぼけたヨレヨレの服を着たウロウロする老人。身だしなみに気を払わない見窄らしい老人。体や口から悪臭を撒き散らす不潔な老人。・・・。
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 日本人の男性は、女性に比べて体力はあるが会話力はなく、その為に議論が下手である。
 日本人の女性は、男性に比べて臨機応変の才能が優れ、学力が高い。
 日本の女人禁制は、女性差別・女性蔑視というより女性恐怖から男の逃げ場所としてつくられた、女性の城である家の外に存在する男性の聖地である。
 男性の聖地である女人禁制の場で、男性は自分だけの世界で安心でき自由になり好きな事を邪魔されずに楽しめる自然のアスレチック施設であった。
 つまり、男の子だけにわかる堅い密約の基づいた秘密基地であった。
 女人禁制の理由を縷々と並べたてるが、それ全て見苦しい訳で、何ら正当な合理的な誰でもが納得できる説明にはならない。
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 日本人女性は現実的な多様性で複眼的に多用多目的を求める。
 日本人男性は理想的な一様性で単眼的に単一画一にこだわる。
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 自然界では、オスはメスを中心として群れ(家族)から離れて一人で生き、孤独に死んでいくのが定めである。
 自然に、自由に、生きるとはそういう事である。
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 日本人男性は、年を取って動きが鈍くなると、若い時は見栄えが良く賢い麒麟と見られていても老人となってロバとたとえられ、家族から煙たがられ、若い人から邪険にされる。
 日本人男性ほど哀れな男はいない。
 知らぬは亭主ばかりなり、である。
 日本の男性・夫は、外国の男性・夫に比べて評価が低い。
 そこから、日本人男性・夫の暴力性が生まれてくる。
 日本人男性は、幼少期は母親からあたたかい愛情で褒められ煽てられ可愛がられ甘やかされて成長するが、成年となって結婚すると妻から母親のような愛情は受けられず、老年になると妻や家族からは粗略にに扱われ家族団欒から締め出される。
 日本人男性の性根は気弱でひ弱で脆弱な為に、誰かに褒められ煽てられ認めて貰いたいという承認願望を強く持っている。
 承認願望が強いのは、自信をなくし気落ちしして無気力になっている日本人男性ではなく、自意識過剰で暴力的になっている日本人男性である。
 つまり、駄々っ子といじめっ子である。
 その先にあるのが、児童虐待や老人への暴力である。
 攻撃対象は、自分より肉体的社会的に弱い女性、子供、老人、病人、障害者、外国人に向かう。
 そこから生まれたのが、無責任なヘイトであり、匿名性の高いSNSなどでの正義に鉄槌である。
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 縄文時代の日本人は、乱婚で、一夫一妻でも一夫多妻どもなく、無夫無妻で特定の伴侶を持つ事がなかった。
 日本の男女関係が変わったのは、弥生時代に敗者・弱者の大陸系渡来人が逃げ込み、男尊女卑の儒教価値観を持ち込んでからである。
 日本人の浮気・不倫は、男性より女性の方が強く、それは遺伝子・DNAに組み込まれている。
 日本人の異性への奉仕は、女性より男性の方に強く、それも遺伝子・DNAに組み込まれている。
 その証拠が、日本の最高神に女性神である天照大神を据えている理由である。
 日本の女性神とは、命を生む太陽神であり、命を育む大地母神である。
 ゆえに、日本人の男性は女性には勝てない。
 日本人の女性は、かかあ天下であり、山の神であり、鬼女であり、夜叉であり、阿修羅・鬼子母神であり、怨霊・幽霊・亡霊である。
 そうした女性を封じ込める呪文が、大和撫子・手弱女という言葉である。
 天皇・皇室が女性神天照大神の子孫・神の裔として守られてきた真意は、案外ここに在るのかもしれない。
 つまり、女性神に対して「触らぬ神に祟りなし」というおっかなびっくりの心情である。
 日本神道は女性恐怖信仰として、女性を家・神社・社に封じ込めるのではなく、自然に解放して崇めると事でるといえる。
 男性神官が、神に対して神事を行い、供え物を捧げ、祭文を読み上げ、感謝する。
 その代表が、祖先神である女性神天照大神に対しておこなう大嘗祭新嘗祭という皇室祭祀である。
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🥓11〉─1─団塊世代の定年夫は毒夫となって妻の天敵となる。〜No.36No.37No.38No.39 ⑥ 

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 老人川柳「じいさんよ 来世では 声をかけないで」
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 2019年11月10日号 サンデー毎日「失敗しないセカンドライフ
 『加齢なる日々』小川有里さんに教わる
 定年夫の操作術
 しゃべらない
 動かない
 気が利かない
 『亭主元気で留守がいい』が流行語になったのは昭和時代の1980年代半ばだが、そこから改元を二つ挟んだ今、往年のモーレツサラリーマンの多くがリタイア組か、その控え組だ。〝家にいる亭主〟をどう扱うか。本誌連載『加齢なる日々』でおなじみの小川有里さんが伝授する。
 まずは男性陣に簡単なクイズを出しましょう。
 Q.次の3つのケースのうち、夫の行動として不適切なものを選べ。
 ア.夕食後、台所で食器洗いをしている妻がため息をついた。聞けば、『疲れている』という。夫は『洗い物は明日の朝にすればいいから』と言ってねぎらった。
 イ.妻が風邪で寝込んだ。食欲はないが、『おかゆなら食べられる』と言う。夫は近所のコンビニに行き、レトルトパックのおかゆを一つ買ってきた。
 ウ.テレビを見ていたら、妻と同じ年だという往年のスター女優が出ていた。妻が『私のほうが若いよね』と聞いたから、夫は『一緒かな』と正直に答えた。
 女性なら即答できるに違いない。答えは『3つともNO』だ。小川さんがこう解説する。
 『アは「僕が洗うから休んでいて」と言うべきです。洗い物は妻の仕事と決めつけているからそういう発言になるのです。イのおかゆが欲しいと言われて、それだけ買ってくるのは気が利かない男性の典型です。冷たいゼリーとか、負担なく食べられるものは他にないか、探してみるという頭がありません。ウは言わずもがな。妻はそんなところに正直さを求めていません』
 自分は違うとかぶりを振る男性もいるだろうが、ア~ウは全て小川さんの取材に基づく、よくある中高年夫婦の〝再現ドラマ〟だ。
 『ある60代の妻が病気でふせっていて、夫に「お水が欲しい」と頼むと、枕元にドンと2リットル入りのペットボトルを置いていったといいます。妻は「どうやって飲めというの」と怒っていました』(小川さん)
 どうやら日本中の妻が、家にいる夫の言動にあきれ果て、疲れとうっぷんをため込んでいるようなのだ。
 小川さんは2003年12月から本誌でコラム『定年チーパッパ』を連載した。折しも団塊の世代の大量定年退職を間近にした頃だ。小川さん自身、2000年に夫が定年退職した。小川さんはこう振り返る。
 『年上の友人から定年した夫への愚痴をよく聞かさていましたが、いざ2人で暮らし始めると、本当につらかった。その妻の本音を世の夫たちに知らせたいと思って書き始めたのです』
 小川さんに言わせれば、定年夫とは〝重し〟であり、自由を奪う〝鎖〟だ。
 『取材した限りで、夫が定年になった妻から「うれしい」という言葉を一度も聞いたことがありません。それまで朝に送り出せば後は自由時間。夕方に帰ってきたら、ご飯を食べさせて、風呂に入れて、布団を敷いて・・・と世話だけしていれば支障なく回っていたのです。夫婦で〝向き合う〟ことをしてこなかった。だから、何を話せばいいか分からない。妻は「家のことを手伝ってほしい」と考えているが、夫はこれからは自分の好きなようにしたいと思っているから、「何でそんなことを」となる。向き合ってこなかった2人がいや応なく向き合わねばならない、そのつらさです』
 夫婦のすれ違いが夫の退職をきっかけに可視化されたということだろう。
 小川さんは1年9ヵ月にわたり、同連載で『妻の本音』をリポートしたのだが、世の夫たちが態度を改めた気配はない。それどころか、冒頭に挙げたモデルケースのように〝毒夫〟は常に再生産されている。
 熟年から高齢者の域に入った夫婦の、相変わずからみ合わない日常を描いているが、現在連載中の『加齢なる日々』だ。『どんどん話が集まってきてネタに困ることがないですが、リアルすぎて書けないことも多い』と小川さんは笑う。
 ある妻(70代)が長年連れ添った夫を亡くした。夫は〝怒鳴る人〟で、何を頼んでも『俺に命令するな』と聞く耳を持たなかった。妻は波風を立てることを避け、『とにかく早く逝ってくれればいい』と願っていた。妻は『今がわが世の春よ』と晴れ晴れとした表情で話しているという。
 『伴侶が亡くした場合、男性より女性が長生きする理由はそこにありそうです。夫の死後、早い人は1ヵ月半で〝復活〟します。しばらくは寂しそうにしていても、特に比較的若い60~70代の妻は「これでしたいことができる」と元気になるのです』(小川さん)
 事実、前出『定年チーパッパ』では、夫の暴飲暴食も濃い味好みもわざと注意しない妻の姿が描かれる。ショートショート張りのブラック度だが、夫の死をただ待つのはあまり勧められる行為とはいえない。そこで小川さんは、妻から働きかけて夫を変える方法を提案する。
 『以心伝心』を期待しても無意味 
 『しつけ方というと語弊があるので、私は「育て方」と表現しています』
 というわけで、定年夫を〝再教育〟する方法を5か条にまとめてもらった。
 ①お昼は自給自足
 ……
 ②お留守のススメ
 ……
 ③家事を申し渡す
 ……
 ④仕事に出てもらう 
 ……
 ⑤地域デビューをお勧める
 ……
 夫も『妻操縦術』を体得すべし
 これら5か条を改めて眺めると、夫の定年退職後、夫婦関係が劇的に変わることが分かる。キーワードは『自立』であろう。それまで夫はサラリーを媒介にして依存し合っていた夫婦が、互いに自立し、生きる力を増すことで、共助もまた成り立つ。人生100年時代を生き抜くにはむしろチャンスというるが、もちろん妻も変わる必要がある。夫婦としてわきまえておくべき心得を左に挙げた。
 {小川由里さん流定年後夫婦の掟
 一,プライバシーを厳守
 ……
 二,夫婦愛よりも人間愛
 ……
 三,熟年離婚は損と知れ
 ……}
 ところで、仕事一筋で来ただけに、昼食を作れとか家事の分担といわれても、『とても無理』という男性も少なくないだろう。そういう向きには、小川さんが奥の手を授ける。
 『何もできない夫は妻にすがればいいのです。「君がいないと生きていけない」とか「俺よりも一日でもいいから長生きしてくれ」と言って甘える。愛されていると知ると妻は優しくなれます。とりわけ誕生日。女性には男性より何倍も大事です。ケーキ1個でもいい、おめでとうという言葉とともにあげてみてください。家事なんか喜んでやってくれます。妻なんてチョロイ、いえ、カワイイものですよ』
 夫は夫で、妻の操縦術を身につけるべきだという。割れ鍋にとじ蓋(ぶた)、昔から用いられる例である。(本誌・堀和世)」
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 日本男性は、外国人男性に比べて亭主関白、頑固親父、暴力夫など最低に近い男である。
 妻にとって、仕事もなく家でゴロゴロするするダメ夫は、邪魔で、ストレスが溜まり、病気の原因になる。
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 子供や孫は、笑顔が絶えず食べ物を作り遊んでくれる優しい母親や祖母に懐き、笑いもせず頑固で愛想もなく遊んでくれない父親や祖父には近寄ろうともしない。
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🌄11〉─1─モラルやマナーで、日本人は劣化し、中国人は向上している。〜No.48No.49No.50 

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 悪貨は良貨に取り換えることができるが、良貨は悪貨に駆逐される。
 良貨を良貨で維持するのは尋常でない覚悟と努力が必要である。
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 現代日本人は、昔の日本人とは違う。
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 将来、日本人は中国人を笑えなくなる。
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 2019年10月24日 msnニュース DIAMOND「日本人の「飲食店マナー」が崩壊の危機、中国人に冷笑される日も近い!?
 岡田光雄
 © Diamond, Inc 提供 最近の中国人は食事マナーを熱心に勉強しており、ひと昔前とは大違いだという Photo:PIXTA
 年々、日本人のモラルは低下しており、飲食店では「お客様は神様」という言葉を勘違いした“モンスター客”のマナー違反が目立つようになっているという。過去に飲食店経営の経験を持ち、現在は「NPO法人 日本サービスマナー協会」認定マナー講師を務める上田由佳子氏に、そんな飲食業界側の本音を聞いた。(清談社 岡田光雄
 客と店員は対等の関係
 マナーとは“暗黙の了解”
 大原則として、客と店員は「対価を支払う代わりにサービスを受ける」という“対等”な関係だ。しかし、そこに考えが及ばない客のマナー違反が後を絶たない。では、そもそもマナーとはどういうものなのだろうか。
「本来マナーとは、思いやりを行動にあらわすもので、お互いにその場を気持ち良く過ごすための配慮。“暗黙の了解”ともいわれています。これは個人的な見解ですが、最近は周りの人が不快に感じているかどうかを、考える人が少なくなったのかもしれません」(上田氏、以下同)
 それを象徴する事例として、今年7月、沖縄県石垣島のラーメン店が、「日本人客お断り」という張り紙を掲げたことが話題になった。この店では、フライドポテトなどの飲食物を勝手に持ち込んだりする日本人客が後を絶たなかったという。
「前提として、店のルールがあるならそれを守るべきです。もし、店内への飲食物の持ち込みが明記されていない場合は店員さんに聞きましょう。お店側にしてみれば、店内によその食べ物を持ち込まれると、食中毒など衛生管理面のリスクが生じますし、お店の商品の注文機会も失われてしまいます」
 注文機会の損失とは、たとえばラーメン屋にフライドポテトを持ち込まなかった場合、空腹を満たすためにラーメンの他に「揚げ餃子」を頼んでいたかもしれない。しかし、フライドポテトを食べることで空腹感が満たされてしまい、店側にしてみれば揚げ餃子分の損になってしまう、というロジックだ。
 また、今年8月には、兵庫県西宮市の甲子園球場近くにある「大力食堂」という店で名物だった「超デカ盛りカツ丼」が、インスタ映え目的でやって来た客の食べ残しがひどく、販売停止になった。このカツ丼は、1966年の創業以来、「おなかをすかせた高校球児のために」と続けてきたメニューだったという。
 日本人自身もこうしたマナーの低下を感じているようで、ニフティニュースのアンケート(2016年)では、「昔よりマナーが悪い人が増えたと感じる?」という問いに、「とても感じる」「やや感じる」の合計が72%にものぼった。
 では、飲食店におけるマナー違反の事例をもう少し詳しく見ていこう。
 店が許可してもNGな行為
 親切心がマナー違反になることも
 まず、上田氏が指摘するのは、客側に落ち度はないが、「配慮」がほしいマナーだ。
「バーや小規模居酒屋では、たばこを吸えるお店がたくさんありますが、隣に座っている別なお客様(非喫煙者)がせきなどをしているときは控えたりとご配慮くださると助かります。店側としては『吸わないでください』とは言えませんので。あとは、カウンター席などに置かれているおかわり自由の総菜やお水が、自分が多く取ってしまってなくなったら、他のお客様のために『なくなりましたよ』と一声いただきたいです」
 あるいは、親切心からつい客がやってしまうマナー違反もある。
「店員さんが片付ける際に楽なようにと、食べ終わったお皿を重ねてくださるお客様がいます。しかし、それをやってしまうと油汚れがひどくなって後で洗うのが大変だったり、お皿に傷がついてしまうことも。また、飲食店で出されたおしぼりでテーブルを拭くのもマナー違反。しょうゆなどがつくとリサイクルできず、おしぼり屋さんも困ってしまうためです。また、もったいないからといって残り物を勝手にタッパーなどに詰めて持って帰るのもやめましょう。それで食中毒などになってしまったら、お店側の信用問題になってしまいますからね」
 また、小規模な飲食店ならではのマナーを知っておくことも大切だ。
「たとえばカウンター席しかないような小規模のお店で、お客様が広々と使ってしまうと、他のお客様が座れないため、お店側は困ります。あと、小さなお店では、細かいお金をそこまで用意していないことも多いため、少額のお会計の場合などは極力1万円札を使うのは避けたほうがいいでしょう」
 一方、あからさまなマナー違反も当然ある。「予約した店に連絡もせず遅刻して行く・キャンセルする」「行列に割り込む」「料理を注文後にキャンセルする」「(食べ終わっているのに)なかなか席を立たない」「寝る」「(長居NGの店で)勉強・仕事をする」「(無言で)ゴミを置いて帰る」「(主に男性客が)女性店員にしつこく話しかける」など、飲食店でマナー(モラル)違反とみなされかねない行為は多い。
 劣化する日本人のマナーに対し
 成長著しい中国人
 日本人客のマナー違反に対し、飲食店の現場からは悲鳴が上がっている。
 「お客様でよくあるのが、お箸やつまようじの容器に手をつっこんで、自分が使う以外の分までガチャガチャ触る行為。あれは衛生上やめていただきたいですね。わざわざガチャガチャしなくても、きれいに自分の分だけ取ろうと思えばできるのではないでしょうか」(そば屋店員、36歳)
 「よく近所の大学に通う男子学生たちが、店に来ては度胸試しのつもりなのか、カレーの辛さをMAXにして頼むんですが、結局食べきれなくて残すんです。もったいないし、一生懸命料理を作った人に失礼。あの学生ノリが本当にキモいし、ムカつきます」(カレー屋店員、25歳女性)
 「旅行帰りの常連客が、『これみんなに(無料で)食べさせてあげて!』と土産をくれることがあるが、みんながそれを食べちゃったらうちの料理が出なくなる。本当はそういうときには、土産と一緒に1万円札をこっそり店主に渡すのが、由緒正しき飲んべえのマナーってもんだ」(居酒屋店主、70歳男性)
 マナー意識という点では、今や中国も向上してきている。上田氏は中国の企業に対してもマナー研修を行っており、受講生の熱心さと成長は目を見張るものがあるという。
 「今から15年ほど前は、中国からの観光客の方々は、いろんな料理を頼んでは散らかして食べていましたが、それも過去の話。私が教えている中国の生徒さんたちは、日本のマナーを熱心に勉強しており、食べ物を取り分けて渡してくれたり、空いたお皿を片してくれたりと、とても紳士的な方が増えています」
 日本人のマナーを見て、中国人があきれる。そんな未来がくるのも、そう遠くはないのかもしれない。
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🌄3〉─1─日本人富裕層が、文化財的な日本家屋・京町家・景観を破壊している。〜No.11No.12No.1 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本文化は、日本文化に興味の魅力も関心を持たない現代日本人に任せるより、日本文化に興味や魅力や関心を持つ外国人(特に欧米人)に委ねた方が守って貰える。
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 日本人富裕層や高学歴出身知的エリート達が伝統的日本文化を破壊し、知日派外国人が古い日本文化を守ろうとしている。
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 日本は貧しかった為に、家屋の表面だけを綺麗に装飾を施したが見えないと所は手を抜き、家具調度の数は最小限にとどめて大半の部屋は何もない空間であった。
 そうした佇まいを、痩せ我慢で「侘び寂び」と強調した。
 中華や西洋は裕福であった分、金銀財宝を惜しげもなく使い、威風堂々たる邸宅を建設し、豪華絢爛として家具調度を並べた。
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 中華や西洋の王侯貴族は大金持ちであったが、日本の天皇家・皇室は貧乏であった。
 その貧富の差は、外国の富を集めるような海外交易を盛んに行っていたかどうかであった。
 純度の高い小判を国内だけで使い回ししていれば、表面が摩耗し、金の量が減って貨幣価値が下がる。
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 2019年11月号 Hanada「D・アトキンソン自伝
 ふたつの島国で
 京町家改修で見えた俗説の『嘘』
 ゴールドマン・サックスを辞め、悠々自適の生活を送り1年くらいが経った頃、京町家を購入します。
 忙しくて会社員時代にはできなかった旅行をするようになり、京都に行く機会も増えていました。しかし、行きたいときに宿が予約で埋まっていることが多々あり、京都に別荘を構えようかな、と考えるようになりました。
 テレビや雑誌などでよく京町家が紹介されており、以前から興味はありました。調べてみると、公開されている京町家もあるとわかり、いろいろ見て回りました。すると、あることに気が付きます。
 私たちがイメージする、京町家が残るいかにも〝京都らしい〟場所は、実は、花見小路や二年坂など数カ所しかないことです。メディアの京都特集を見ていると、京都全体が昔ながらの風情(ふぜい)を残しているかのように錯覚しますが、実はそんなことはありません。一部のことを、まるで全体の話のように見せるのは、いかにも日本的な、観光業界に蔓延している〝詐欺〟だなと思いました。武家屋敷がいっぱい残っているという写真を見て、期待しながら訪れると、実は写っている2軒しか残っていなかったなんてこともありました。
 幕末、禁門の変に端を発した大火で京都市街はほぼ焼け野原になり、いま残っている京町家のほとんどは明治以降に建てられたものです。割りと新しいものが多く、京都は先の大戦でも空襲を免れ、昭和40年まではほぼ完璧な状態で残っていましたが、高度経済成長時代に入っていくと、次第に姿を消していきました。
 京都人は京都の町並み、文化を大切にしているイメージがありますが、実際の数字を見ると異なります。
 2017年に発表された調査によれば、2009年度の調査で残存が確認された京町家4万7,735軒のうち現存したのは4万146軒で、減失5,602軒、調査不能など1,987軒。減失率は12.7%に及んでおり、これは1日あたり約2.2軒の京町家が消えている計算になります。
 実際、京都の町並み、訪れるたびに変わっていました。頻繁に京都に通う前は、85年と90年に数回訪れていただけですが、あの頃でさえ、泊まった宿の向かいにあった京町家が、次に来た時にはなくなっているなんてことがよくありました。
 京都人は地元のことを自慢します。ですが、自慢するのであれば、きちんと京町家をまもってもらいたい。守らずして自慢だけするのは、いかがなものでしょうか。
 私は京都で公演する際、冗談でよくこう言います。
 『京都人は、米軍に負けない破壊力を持っている人たちですね』
 不動産屋の雑な扱い
 その頃、ゴールドマン・サックス時代の知り合いを通じて、京町家を守る運動をしている人に会う機会がありました。
 『アトキンソンさんも、一緒に京町家を守る運動に参加しませんか』
 『その運動はいつからやっていますか』と訊くと、数十年間やっているという。
 『その運動によって、なにか成果はあったんですか』
 話を聞いていると、残念なことにあまり成果がないという。アナリスト時代、いくら問題点を指摘しても誰も動かないという経験をしていましたから、運動しても仕方がないものがあることはわかっていました。運動に加わっても成果が出ないのであれば、京都に行くことも多くなったし、自分で京町家を買って保存すれば善いのではと考えたのです。
 当時、京都は景気が悪く、かなり多くの京町家が売り出されていました。しかも、かなりリーズナブルに。町家自体の価値はゼロどころかマイナスで、買う人はほとんど町家を潰して新たに建てますから、売り主は解体費用を土地代から差し引いて売っていたのです。
 意外に知られていませんが、京都に住んでいる外国人は少なくありません。京都に住む外国人は、貧乏してでも日本文化の聖地、京都に住みたいという無類の日本好きで、誤解を恐れずに言えば、主にビジネスのために東京に来ている外国人に比べ、お金の少ない人が多い。
 これはあくまでも私の経験則ですが、皮肉なことに、日本ではお金持ちほど日本文化に興味がなく、そうでない人ほど日本文化への関心が高いのです。
 そのせいでしょうか、不動産屋にいくと、『どうせお金持っていないでしょう』という感じで、扱いが雑でした。
 ……
 いきなり『おもてなし』が
 ……
 日本家屋の知恵
 ……
 非常に日本らしいエコな方法だなと感心しました。
 『職人は手を抜かない』は嘘
 同時に、いままで言われていた俗説の嘘も目の当たりにしました。
 たとえば、日本の職人は見えないところも手を抜かないとよく言われますが、京町家の畳を上げてみると、その下に使われている木材はかなり貧相で、隙間だらけ。医者の家ですからかなりお金はかかっていて、見えるところには銘木を使っているのに、見えないところは杜撰だったのです。
 これは文化財の仕事でもよく見られることで、『すばらしい職人ほど手抜きが上手。手抜きをしない仕事は大名仕事だけ』とよく言われました。
 もうひとつは、床の高さです。京町家の床は、通常よりも少し高くなっています。その理由について、本などにはこう書いてありました。
 『床が高くなっているので、座ってお辞儀すると、外から来た人とちょっど目線が合う。日本人のおもてなしの心が、そこには表れている』
 しかし、職人に話を聞くとまったく違いました。
 京町家はいまのように、柱を基礎と繋げず、土の土台(たたき)の上に石を埋めずに並べて、その上に柱を乗っているだけです。柱も形を整えて、石にピッタリ合わせるようにしてあるわけではなく、かなり〝いい加減〟にできています。なぜかといえば、地震対策です。
 実際に改修中に大きな地震があったのですが、たたきがクッションの役割を果たし、上の石も躍り、地面が揺れても、柱はその震動があまり伝わらないのです。
 石は緩く敷いてあるが、時々、柱が石から外れることがあります。床が高い理由はここにあって、職人が床の下に入って直せるように高くしてあったのです。これも実際に見ましたが、職人は床の下に入って、肩でグッと家の根太(ねだ)を持ち上げ、柱を石に乗せ直します。家を持ち上げることなんてできるのかと思う方もいるかもしれませんが、京町家はかなり軽く作られています。改修中の京町家を見たとき、あまりに簡素な作りなので、まるでテントのようだと思ったほどです。
 京町家の改修を通じて、日本家屋の発想のすばらしさと俗説の嘘の両方を目の当たりにし、改めて日本という国の面白さを垣間見(かいまみ)ました。」
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 江戸時代の家屋敷・家屋は、立て続けに起こる自然災害と頻発する火事に備えて作られていた。
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 観光雑誌で紹介されている古き良き日本とは、狭い地区に押しこめられた「時代劇セット」に過ぎない。
 つまりは、張りぼての「嘘」である。
 観光客は、メディアや観光業界が作り上げた嘘を信じ込み喜んで金を払って楽しんでいる。
 そもそも、現代日本には武士はいないし武士道も存在しない。
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 現代日本人は、生活の利便性と文化財の保護の選択で、迷う事なく生活の利便性を選び文化財を捨てる。
 日本は、経済成長の為に数多くの遺跡を破壊し、金を稼ぐ為に数多くの文化財を海外に売ってきた。
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 現代日本人は、口では自然や伝統文化を大事にし後世に残さねばならないと言いながら、その実、昔ながらの日本のモノに魅力を感じなければ興味がなく、金を稼ぐ為に売っても痛痒を感じない。
 それが、日本人の偽らざる正体である。
 日本人の本心は、「残したくない」である。
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 現代日本人が目指す理想的な社会・町並み・家は、古式豊かな日本ではなく人工的で無機質なアメリカである。
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 ヨーロッパは、都市・町が戦争や災害で甚大な被害を受け、古い家屋が跡形もなく破壊されても、数百年前の家や町並みを寸分違わず忠実に再現し後世に残している。
 ヨーロッパには、アメリカと違い、古き良き町並みや家が人々の愛情・愛着で変わる事なく残っている。
 ヨーロッパの町並みや家の魅力とは、そこに住む人々の愛情・愛着である。
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 日本の町並みで、大正以前の風景を残す所は少なく、江戸時代までの風景は極少数の特別保護地域を残すのみで大半は破壊され消滅している。
 人権重視の現代日本人は、民族的文化財であっても、現代にそぐわない不便を残したままの忠実な再建には賛成しない。
 その証拠が、人権派による、古図面に基ずく名古屋城天守閣木造再建計画に対する猛反対である。
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 戦争に負ける昭和前期までの権力者、金持ち、エリート達は、日本民族文化として日本はおろか世界で高く評価される程の芸術品を数多く残してきた。
 現代日本を富裕層や高学歴出身知的エリート達は、後世に文化財にとして残る様なモノを作り出してはいないどころか、祖先が残した文化財的なモノを「センスがない」「古臭い」「不便」「無意味・無価値」と断罪して壊して喜んでいる。
 そうした日本人を生み出したのが、戦後教育であり、1980年代教育であった。
 日本人は、自然を大事にする、古いモノを大切にする、それはウソである。
 その傾向は、高学歴出身知的エリートに強い。
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🧣24〉─1─学校はブラックな職場。教師による同僚への“教師いじめ”。~No.74No.75No.76 ⑳ 

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 2019年10月8日 msnニュース FNN.jpプライムオンライン「教師による同僚への“激辛カレーいじめ”で保護者説明会 校長は知っていた
 © FNN.jpプライムオンライン
 教師による“教師いじめ”小学校で保護者説明会
 先輩教師による若手教師への悪質ないじめが明らかになった、神戸市内の小学校。
 10月3日、行われた緊急の保護者説明会で校長は何を語ったのだろうか。
 説明会に出席した保護者A:
 すごく不安です。もう少し考えて子供たちに話してほしい。
 説明会に出席した保護者B:
 「いじめがあれば助けてあげなさい」と教えている親からすると、説明のしようがない
FNNでは、不安と怒りに包まれた保護者説明会の音声を入手。
 見えてきたのは教育現場の闇だった。
 羽交い絞めにして激辛カレーを無理やり食べさせたり、目や口に塗り付けたりするなどの信じがたい、いじめ行為。
 神戸市立東須磨小学校での20代の男性教師Aさんが、先輩教師4人から受けてきたものだ。
 10月3日に小学校で開かれた保護者説明会。入手した音声には、校長の言葉が。
 校長:
 この4名の教諭は本校の中核教諭です。指導力とともに力を持ち合わせ、私もこの先生から教えてもらうことが多かったです。
 校長は、いじめ教師について自分より力があり、口出しできなかったと話している。
 校長はいじめによるケガを把握していたのに・・・
 Aさんのいじめは2019年6月、別の教師が教頭に相談したことで発覚。
 その直後、校長は被害者のAさんから直接聞き取りを行った。
 しかし被害者のAさんは、校長に対し・・・
 校長:
 (被害者A先生は)私との話の中で、職員との関係を壊したくない。うまく仲良くやっていきたい。という思いが強かったと聞いています。
 なのでからかわれたときも、ニコニコ笑って過ごしていたという話を伺っている。
しかし被害者のAさんは校長に対し、先輩教師に尻を叩かれてできたみみず腫れを見せて、いじめの被害を訴えていたという。
 にもかかわらず、校長は市の教育委員会に対し「指導して収まった」と報告。
 校長はAさんの怪我について知っていたにもかかわらず、教育委員会に伝えていなかった。
 その結果、有効な手立てを打つことができなかった可能性が。
 説明会に出席した保護者C:
 足ふんだんでしょ。そんなことが気付かないことなんてあります?
 そんな高校生、小学生みたいなことあります?
 校長:
 先生にも、そして皆さんにも本当にごめんなさいの気持ちでいっぱいです。これから先生たち みんなが仲良くなるように、先生たちは全力で力を合わせて一生懸命頑張ります。
市の教育委員会は、校長をはじめとした学校側の対応に問題がなかったかについても調べている。(「Live News it!」10月8日放送分より)」
・・・

🌁52〉─2─日本は残酷な国。入管でハンスト餓死したナイジェリア人への批判。〜No.254No.255No.256 ㉞ 

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 2019年10月5日 msnニュース NEWSポストセブン「入管でハンストの後、餓死したナイジェリア人への批判に驚いた
 © SHOGAKUKAN Inc. 提供 出入国在留管理庁の佐々木聖子長官(時事通信フォト)
 和を以て貴しとなすのは日本人の国民性だ。だが、外国人の問題となると異なる空気が生まれることがある。コラムニストのオバタカズユキ氏が指摘する。
 * * *
 日本って残酷な人が多い国なのかな……。そんな思いを抱かざるをえない「事件」報道が、先日、ネットニュースとして流れた。
 朝日新聞デジタルの当該記事によると、今年の6月、長崎県の大村入国管理センターに収容中のナイジェリア人男性が死亡した問題で、法務省出入国在留管理庁が10月1日、その死因が食事や治療を拒否したことによる餓死だったとする調査結果を発表した。男性は、2000年に入国、窃盗罪などで実刑判決となり、仮釈放された2015年に国外退去命令を受け、2016年に同センターに移送されていた。
 そして、男性は一時的に外に出られる「仮放免」などを求めてハンガーストライキを行っていた。入管職員がハンストを把握したのは今年の5月末で、6月上旬までは点滴を受けさせるなどしたが、その後男性が治療を拒否していたという。
 同記事の後段に、こんな文面がある。〈センターは、食事を拒否する収容者は医師の判断で強制的に治療できるとした2001年の法務省通達を、非常勤の医師に知らせていなかった〉。
 当「事件」で最も重要というか残念なのはこの一文の内容である。なぜセンターが法務省通達を非常勤医師に知らせていなかったのかはわからないが、結果、男性を死亡させてしまった責任はとても大きい。以前より入管の収容者に対する扱いのひどさは、難民支援団体などが訴えてきたが、その管理の至らなさから餓死者を出してしまったことは、相当深刻な問題だと思う。
 だいたい6月に亡くなっていて、死因が10月にようやく発表されるっていうのはなんなのだ。7月18日配信の西日本新聞ニュースの記事によれば、〈収容期間は3年7カ月に及び、亡くなる前は隔離された状態で衰弱していたという。センターは死因や状況を明らかにしておらず、支援者からは第三者機関による原因究明を求める声が上がって〉いたそうだ。餓死とわかっていながら、それと知れて批判されることを恐れ、なかなか発表しなかった可能性大である。
 ところが、ネット上での反応を見てみると、私のように問題視しているのは、いわゆる人権活動家のような人たちばかりで、逆に「センター側には問題がない」とし、亡くなったナイジェリア人男性の問題のほうを指摘する声のほうがずっと多く目につく。ヤフーニュースのコメントから主なものを引いてみると、たとえばこんな感じなのだ。
〈日本に来ないで欲しい。ハンガーストライキは母国ですればいいやんか〉
〈ハンスト&治療拒否なんて、どんな理由があろうとも大事な命を自らの意思で盾にして入国要求をする彼の脅迫のような行いには全く同情出来ません〉
〈ハンストってすごく甘ったれな抗議だと思う。「俺の健康を損なわせたくなかったら言う事をきけ」って脅してるんでしょ。人権がしっかり守られてる国が相手だからこそできる甘え〉
 ハンストという行動が、これほど責められるものだとは想像もしていなかったので驚いた。ナイジェリア人男性が仮放免を求めても許可されなかった理由について、センターは窃盗事件が「組織的で悪質だった」と説明している。より詳細がわからないため、これが理由として妥当かどうかは判断できないものの、男性本人にとっては極めて理不尽なことだったのだろう。だから、命をかけてハンストを続けたのだ。
 その抗議が〈脅迫のような行い〉と形容されてしまうものだというのか。〈すごく甘ったれな抗議〉なのだろうか。結果、本当に命を失ってしまったほどの、ギリギリで切実な抗議だったと私には思えるのだが、それも甘ったれた見方にすぎないのか。
〈食べさせないじゃない、自分で食べないじゃ仕方ない。自業自得。食べなければ受け入れてくれると思ったんだろうが、そうはいかない。そんなので許して同じことすれば日本で暮らせるなんて広まったら大変〉
 というコメントもあった。たしかに「ハンストさえすれば仮放免が認められる」という話が広がってしまったならば、入管に収容されて当然の理由がある問題人物も右へならえで同じことをし始める危険性がある。
 全国に17ある出入国在留管理庁の施設には、6月末時点で1147人いて、そのうちの約75%が本国への送還を拒否。そして、時事ドットコムの報道によれば、6月以降で仮放免を求めて食事を拒否した人は延べで198人いるそうだ。〈東日本入国管理センターで7月、ハンスト中のイラン人男性が仮放免となってから、多いときは全国で1日100人以上が食事を拒むなど、事態が深刻化している〉とも報じている。すでに入管におけるハンストは「ブーム」の様相も呈しており、その中には問題行動といえるケースも混じっているだろう。当局としては、ハンストが仮放免につながるわけでは決してない、という毅然とした態度でことに臨むべきだ。
 それはそうなのだが、ハンストをしている人たちの中には、亡くなったナイジェリア人男性のように本気で命をかけている人もいるわけで、その死を〈自業自得〉と斬り捨てる感覚には、私はついていけない。なんでもかんでも本人のせいにする自己責任論と同じ乱暴な処罰感情がそこにはある。と同時に、〈日本で暮らせるなんて広まったら大変〉という文面に表われている排外意識。以下のコメントもまさにそうだ。
〈(センターの)対応は適切だと思います。日本はもっと厳しくする事を望みます。法律は犯罪者に甘く、真面目で弱い人には厳しい。諸外国の人にも厳しく取り締まって欲しいです。日本の文化に馴染めない、馴染もうとしない、自国の文化風習を強要する人は正直日本から出て行って欲しいです〉
 ハンストしたナイジェリア人男性が餓死したというニュースを受けて、どうしてこういう話になるのか。死の抗議をせざるをえないほど入管の身柄拘束が厳しかったから、こんな悲惨な「事件」が起きてしまったという思考をするのではなく、なぜ日本の文化がどうのこうのと言い始めるのか。ナイジェリア人男性が〈自国の文化風習を強要〉したと読み取れる報道内容はまったくないのに、なにゆえ〈正直日本から出て行って欲しい〉などと言い放てるのか。
 死者に鞭を打つようなコメントを大量に読まされて、私は日本に移民政策は絶対導入すべきでないと改めて思った。
 日本には外国人観光客などには優しい人々が多いと感じている。しかし、日本で働く外国人労働者に対しては決してそうだと言えない面もあり、さらに外国人犯罪となると、それがどんなに軽微なものであっても、過剰なほど敏感に防衛反応を働かせる。残酷な処罰感情と排外意識をむき出しにする。
 残念なことだが、そのような国は、「開国」なんかしないほうがいい。ダイバーシティとか多文化共生社会とかを目指すには、とてもじゃないがナイーブすぎる。これから本格的な人口減少時代を迎えるが、内側を向いたまま縮んでいくしかないかもしれない。」
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¥25〉─4─現代日本の撤退戦。厚労省の予算、32兆6,234億円。一般会計予算の総額の33.6%。〜No.130No.131No.132 

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 日本民族日本人は、進撃戦・侵攻戦は得意だが撤退戦・後退戦は不得意である。
   ・   ・   ・   
 人口微増の昔は、人生50年で、若者が多く老人が少なかった。
 人口激減の将来は、人生100年で、老人が多く若者が少ない。
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 戦後のリベラル教育・革新教育は、破綻して無力・無意味となった。
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 2019年10月3日号 週刊新潮「夏裘冬扇(かきゅうとうせん) 片山杜秀
 社会保障と鬼」
 32兆6,234億円。厚生労働省が8月に出した、来年度の一般会計予算概算要求の金額である。本年度の概算要求と比べて、約2%、増えている。
 厚労省の予算は、ほとんどが社会保障関係である。その他をひっくるめての、政府全体の本年度の社会保障予算は、一般会計予算の総額の33.6%を占める。来年度はもっと多くなるのが、ほぼ確実になった。
 ちなみに、満州事変や第一次上海事変の頃のわが国の国家財政に占める軍事費は約3割5分だった。今日の社会保障関係予算と同比率である。あの頃の日本は軍国主義国家と呼ばれるが、それに倣えば、今の日本は社会保障主義国家というところだろう。
 高齢化はいやでも進む。福祉の水準をなるかけ落とさないようにと考えれば、出費は今後も増やすだろう。軍国主義が国家財政を破綻させたいった昭和10年代と同じことが、社会保障主義によって起きつつあるのかもしれない。自民党憲法改正改草案に『家族はお互いに助け合わなければならない』と入れているのは、国家が社会保障からの撤退戦を始めたいからなのだろう。
 だが、撤退戦はそもそも可能か。歌舞伎の『茨木(いばらき)』を思い出す。河竹黙阿弥の作で、5代目の尾上菊五郎が初演した。『平家物語』や『前太平記』が下敷きになっている。京の都の羅城門に茨木童子なる鬼が出るというので、源頼光の家来、渡辺綱が退治に行く。が、鬼の腕を切り落としただけで逃げられる。綱が腕を護っていると、綱の養母が訪ねてくる。鬼の腕を見たいという。見せてしまう。すると養母は正体を現す。茨木童子が化けていたのだ。
 鬼は母に化ける。油断大敵。が、国文学者、島津久基は、大正期にこの話の元ネタを『今昔物語』に見つけた。
 猟師の兄弟が夜に森に入り、鹿を狙っていた。すると兄の髪を上から謎の手が掴む。鬼か!兄は驚き、慌てた弟が兄の頭上に矢を放つと、見事命中。鬼の片腕が落ちてきた。
 兄弟が家に帰ると、留守番をしていたはずの老母が床に臥せって痛がっている。片腕がない。介抱しようとすると、老母は子供たちを襲ってきた。兄弟は家を捨てて逃げた。母親は死んだ。『今昔物語』は、この話の教訓を次のように述べて結ぶ。人の親は老いると必ず鬼になり、子を食(くら)おとする。
 『平家物語』や『茨木』の原話と思しきものは、老親は子に害をなすから、子は見捨てて逃げるが勝ちという、とんでもない筋書きなのであった。
 年老いた母親が夜に徘徊し、外で食べ物を探すので、止める子が親に暴力をふるい、ついに親の養護を放棄したか、親殺しに至って、親は鬼になったから仕方がないと開き直った。そんなことかと想像する。親が鬼になる話しとは、子が鬼になる話でのある。
 『鬼は外、福は内』という。この台詞が、鬼に『外に出ていけ』と言いたいのだとすれば、鬼はもともと内に居るのだろう。柳田国男の弟、松岡静雄の『新編日本古語辞典』の『鬼』の項目を引くと、本来は『実在人の霊魂の意』と書いてある。つまり鬼とは我々の内なるものである。家族の情愛が深いはずの遠い昔においてそうだとすれば、家族が名ばかりのものに堕してゆく近現代に『家族にお互いに助け合わなければならない』で済むはずはない。
 進むも地獄、引くも地獄。社会保障を後退させれば、人の世に鬼が跋扈するだろう。人が鬼の本性をなるたけ現さずに生きるためには、消費税を幾ら上げても、福祉国家はやめられない」
   ・   ・   ・   
 動物の世界では、年老いて死期が近くなると群れから離れて一匹・一頭となって死んだ。
 一匹・一頭となって孤独に死ぬのが、自然の生き方である。
 群れの中・家族や仲間達に見取られて死んで行く、は自然ではない。
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 現代の日本・日本人は、昔の日本・日本人より賢くもなければ優れてもいうない、それどころか、愚かで劣っている。
   ・    ・   ・   
 現代日本は、個を優先する戦後教育で、家・家庭が破壊され崩壊し、家族の絆は希薄となっている。
 つまり、老親・老人は家族ではなく国や自治体に面倒を見て貰う。
 それが、年金などの手厚い社会保障である。
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 財政赤字は1,000兆円を突破し、毎年、約40兆円の赤字が増えていく。
 その額は、返済不能に陥っている。
 各分野のエコノミストは口先だけで、打つ手、打開策、解決策を持っていないし、知恵もない。
 メディアも、尤もらしい事を言って騒ぐだけである。
 エコノミストに騙され、メディアに踊らされた、日本人が馬鹿であったのである。
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 日本国内には、虚しいほどに、エコノミストのオオカミが来たと騒ぐ声とメディアが吹くハメルンの笛が鳴り止まない。
 日本がこうなる事は、はるか以前から警鐘が鳴らされていたが、誰も真剣に考えず本気で対策を立てて実行しようとしなかった。
 つまり、愚かだった日本人の自業自得と言うしかない。
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 現代の大人は、逃げ徳として、多額の負債を子供や孫に押し付け、幸せな老後を送り、安楽な死を迎えようとしている。
 特に、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者、人権派、生めよ殖やせよの人口回復の反対派、外国人移民(主に中国人移民)推進派、反権力・反国家派などに、無責任な逃げ徳の傾向が強い。
 そして、高学歴出身知的エリート。
 将来を生きる子供や孫は、今を右往左往している無能な大人達を忘れない事である。
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 貧しかった昔の日本には、姥婆捨て山という年老いた老父母を山に捨てる因襲が存在していた。
 安達ヶ原の鬼(老女)は、若い男女を殺して食っていた。
 徳川幕府は、社会を豊かにし生活を楽にする為に親孝行と子供を産み事を奨励した。
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