🌄3〉─1─日本人富裕層が、文化財的な日本家屋・京町家・景観を破壊している。〜No.11No.12No.1 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本文化は、日本文化に興味の魅力も関心を持たない現代日本人に任せるより、日本文化に興味や魅力や関心を持つ外国人(特に欧米人)に委ねた方が守って貰える。
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 日本人富裕層や高学歴出身知的エリート達が伝統的日本文化を破壊し、知日派外国人が古い日本文化を守ろうとしている。
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 日本は貧しかった為に、家屋の表面だけを綺麗に装飾を施したが見えないと所は手を抜き、家具調度の数は最小限にとどめて大半の部屋は何もない空間であった。
 そうした佇まいを、痩せ我慢で「侘び寂び」と強調した。
 中華や西洋は裕福であった分、金銀財宝を惜しげもなく使い、威風堂々たる邸宅を建設し、豪華絢爛として家具調度を並べた。
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 中華や西洋の王侯貴族は大金持ちであったが、日本の天皇家・皇室は貧乏であった。
 その貧富の差は、外国の富を集めるような海外交易を盛んに行っていたかどうかであった。
 純度の高い小判を国内だけで使い回ししていれば、表面が摩耗し、金の量が減って貨幣価値が下がる。
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 2019年11月号 Hanada「D・アトキンソン自伝
 ふたつの島国で
 京町家改修で見えた俗説の『嘘』
 ゴールドマン・サックスを辞め、悠々自適の生活を送り1年くらいが経った頃、京町家を購入します。
 忙しくて会社員時代にはできなかった旅行をするようになり、京都に行く機会も増えていました。しかし、行きたいときに宿が予約で埋まっていることが多々あり、京都に別荘を構えようかな、と考えるようになりました。
 テレビや雑誌などでよく京町家が紹介されており、以前から興味はありました。調べてみると、公開されている京町家もあるとわかり、いろいろ見て回りました。すると、あることに気が付きます。
 私たちがイメージする、京町家が残るいかにも〝京都らしい〟場所は、実は、花見小路や二年坂など数カ所しかないことです。メディアの京都特集を見ていると、京都全体が昔ながらの風情(ふぜい)を残しているかのように錯覚しますが、実はそんなことはありません。一部のことを、まるで全体の話のように見せるのは、いかにも日本的な、観光業界に蔓延している〝詐欺〟だなと思いました。武家屋敷がいっぱい残っているという写真を見て、期待しながら訪れると、実は写っている2軒しか残っていなかったなんてこともありました。
 幕末、禁門の変に端を発した大火で京都市街はほぼ焼け野原になり、いま残っている京町家のほとんどは明治以降に建てられたものです。割りと新しいものが多く、京都は先の大戦でも空襲を免れ、昭和40年まではほぼ完璧な状態で残っていましたが、高度経済成長時代に入っていくと、次第に姿を消していきました。
 京都人は京都の町並み、文化を大切にしているイメージがありますが、実際の数字を見ると異なります。
 2017年に発表された調査によれば、2009年度の調査で残存が確認された京町家4万7,735軒のうち現存したのは4万146軒で、減失5,602軒、調査不能など1,987軒。減失率は12.7%に及んでおり、これは1日あたり約2.2軒の京町家が消えている計算になります。
 実際、京都の町並み、訪れるたびに変わっていました。頻繁に京都に通う前は、85年と90年に数回訪れていただけですが、あの頃でさえ、泊まった宿の向かいにあった京町家が、次に来た時にはなくなっているなんてことがよくありました。
 京都人は地元のことを自慢します。ですが、自慢するのであれば、きちんと京町家をまもってもらいたい。守らずして自慢だけするのは、いかがなものでしょうか。
 私は京都で公演する際、冗談でよくこう言います。
 『京都人は、米軍に負けない破壊力を持っている人たちですね』
 不動産屋の雑な扱い
 その頃、ゴールドマン・サックス時代の知り合いを通じて、京町家を守る運動をしている人に会う機会がありました。
 『アトキンソンさんも、一緒に京町家を守る運動に参加しませんか』
 『その運動はいつからやっていますか』と訊くと、数十年間やっているという。
 『その運動によって、なにか成果はあったんですか』
 話を聞いていると、残念なことにあまり成果がないという。アナリスト時代、いくら問題点を指摘しても誰も動かないという経験をしていましたから、運動しても仕方がないものがあることはわかっていました。運動に加わっても成果が出ないのであれば、京都に行くことも多くなったし、自分で京町家を買って保存すれば善いのではと考えたのです。
 当時、京都は景気が悪く、かなり多くの京町家が売り出されていました。しかも、かなりリーズナブルに。町家自体の価値はゼロどころかマイナスで、買う人はほとんど町家を潰して新たに建てますから、売り主は解体費用を土地代から差し引いて売っていたのです。
 意外に知られていませんが、京都に住んでいる外国人は少なくありません。京都に住む外国人は、貧乏してでも日本文化の聖地、京都に住みたいという無類の日本好きで、誤解を恐れずに言えば、主にビジネスのために東京に来ている外国人に比べ、お金の少ない人が多い。
 これはあくまでも私の経験則ですが、皮肉なことに、日本ではお金持ちほど日本文化に興味がなく、そうでない人ほど日本文化への関心が高いのです。
 そのせいでしょうか、不動産屋にいくと、『どうせお金持っていないでしょう』という感じで、扱いが雑でした。
 ……
 いきなり『おもてなし』が
 ……
 日本家屋の知恵
 ……
 非常に日本らしいエコな方法だなと感心しました。
 『職人は手を抜かない』は嘘
 同時に、いままで言われていた俗説の嘘も目の当たりにしました。
 たとえば、日本の職人は見えないところも手を抜かないとよく言われますが、京町家の畳を上げてみると、その下に使われている木材はかなり貧相で、隙間だらけ。医者の家ですからかなりお金はかかっていて、見えるところには銘木を使っているのに、見えないところは杜撰だったのです。
 これは文化財の仕事でもよく見られることで、『すばらしい職人ほど手抜きが上手。手抜きをしない仕事は大名仕事だけ』とよく言われました。
 もうひとつは、床の高さです。京町家の床は、通常よりも少し高くなっています。その理由について、本などにはこう書いてありました。
 『床が高くなっているので、座ってお辞儀すると、外から来た人とちょっど目線が合う。日本人のおもてなしの心が、そこには表れている』
 しかし、職人に話を聞くとまったく違いました。
 京町家はいまのように、柱を基礎と繋げず、土の土台(たたき)の上に石を埋めずに並べて、その上に柱を乗っているだけです。柱も形を整えて、石にピッタリ合わせるようにしてあるわけではなく、かなり〝いい加減〟にできています。なぜかといえば、地震対策です。
 実際に改修中に大きな地震があったのですが、たたきがクッションの役割を果たし、上の石も躍り、地面が揺れても、柱はその震動があまり伝わらないのです。
 石は緩く敷いてあるが、時々、柱が石から外れることがあります。床が高い理由はここにあって、職人が床の下に入って直せるように高くしてあったのです。これも実際に見ましたが、職人は床の下に入って、肩でグッと家の根太(ねだ)を持ち上げ、柱を石に乗せ直します。家を持ち上げることなんてできるのかと思う方もいるかもしれませんが、京町家はかなり軽く作られています。改修中の京町家を見たとき、あまりに簡素な作りなので、まるでテントのようだと思ったほどです。
 京町家の改修を通じて、日本家屋の発想のすばらしさと俗説の嘘の両方を目の当たりにし、改めて日本という国の面白さを垣間見(かいまみ)ました。」
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 江戸時代の家屋敷・家屋は、立て続けに起こる自然災害と頻発する火事に備えて作られていた。
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 観光雑誌で紹介されている古き良き日本とは、狭い地区に押しこめられた「時代劇セット」に過ぎない。
 つまりは、張りぼての「嘘」である。
 観光客は、メディアや観光業界が作り上げた嘘を信じ込み喜んで金を払って楽しんでいる。
 そもそも、現代日本には武士はいないし武士道も存在しない。
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 現代日本人は、生活の利便性と文化財の保護の選択で、迷う事なく生活の利便性を選び文化財を捨てる。
 日本は、経済成長の為に数多くの遺跡を破壊し、金を稼ぐ為に数多くの文化財を海外に売ってきた。
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 現代日本人は、口では自然や伝統文化を大事にし後世に残さねばならないと言いながら、その実、昔ながらの日本のモノに魅力を感じなければ興味がなく、金を稼ぐ為に売っても痛痒を感じない。
 それが、日本人の偽らざる正体である。
 日本人の本心は、「残したくない」である。
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 現代日本人が目指す理想的な社会・町並み・家は、古式豊かな日本ではなく人工的で無機質なアメリカである。
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 ヨーロッパは、都市・町が戦争や災害で甚大な被害を受け、古い家屋が跡形もなく破壊されても、数百年前の家や町並みを寸分違わず忠実に再現し後世に残している。
 ヨーロッパには、アメリカと違い、古き良き町並みや家が人々の愛情・愛着で変わる事なく残っている。
 ヨーロッパの町並みや家の魅力とは、そこに住む人々の愛情・愛着である。
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 日本の町並みで、大正以前の風景を残す所は少なく、江戸時代までの風景は極少数の特別保護地域を残すのみで大半は破壊され消滅している。
 人権重視の現代日本人は、民族的文化財であっても、現代にそぐわない不便を残したままの忠実な再建には賛成しない。
 その証拠が、人権派による、古図面に基ずく名古屋城天守閣木造再建計画に対する猛反対である。
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 戦争に負ける昭和前期までの権力者、金持ち、エリート達は、日本民族文化として日本はおろか世界で高く評価される程の芸術品を数多く残してきた。
 現代日本を富裕層や高学歴出身知的エリート達は、後世に文化財にとして残る様なモノを作り出してはいないどころか、祖先が残した文化財的なモノを「センスがない」「古臭い」「不便」「無意味・無価値」と断罪して壊して喜んでいる。
 そうした日本人を生み出したのが、戦後教育であり、1980年代教育であった。
 日本人は、自然を大事にする、古いモノを大切にする、それはウソである。
 その傾向は、高学歴出身知的エリートに強い。
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