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2016年9月30日号 週刊ポスト「自分の死後、妻に捨てられる──その数は増加の一途」
『死後離婚』の悲しすぎる実態
夫が亡くなったあと『同じ墓に入りたくない』と〝死後離婚〟を申し出る女性が増えている。この聞き慣れない言葉は一体何を指すのか。
葬儀・お墓コンサルタントの吉川美津子氏がいう。
『配偶者の死後に「姻族関係終了届」を提出することで、配偶者の血族(姻戚)との関係を終わりにすることができます。
死後に離婚することはできませんが、実質的に離婚と同じ効果を得られるので「死後離婚」と呼ばれている』
死後離婚は年々増加している。法務省戸籍統計平成26年度年報みよると、『姻族関係終了届』の提出数は09年の1,823件が14年には2,202件となった。
死後離婚は男女どちらからも可能だが、前出・吉川氏は『提出者の正確な男女比はわかりませんが、嫁姑問題に悩まされているなかで夫に先立たれた女性がほとんどです』という。
5年前に60歳で亡くなって夫と死後離婚したA子さん(58)が語る。
『夫が腎臓がん闘病の末に亡くなると、同居していた姑とふたり暮らしを余儀なくされました。夫側の親類からも「おばあちゃんを頼みます」と半ば押しつけられて、結婚直後から抱いていた夫の家族への不満が爆発してしまったんです。「夫がいないのに姑の面倒なんてみたくない。同じ墓に入るなんて考えられない」と思い、結婚後30年住んだ街を離れて実家に戻りました。「姻族関係終了届」の書類は、姑のいる街に戻って提出するのが嫌だったので、行政書士に代理で提出してもらいました』
もし、天国へ旅立った夫がこの事態を知れば複雑な心境になることは間違いない。
死後離婚は妻にどんなメリットがあるのだろうか。行政書士の柿崎崇氏が解説する。
『「姻族関係終了届」を提出することで、姻族との関係を、民法上、他人に戻すことができます。相手方の同意は必要ありません。これにより、姻族の扶養義務がなくなる。提出したその日から効力が発生し、姻族の墓に入る必要性や墓の管理義務なども負わなくなります。
ただし、届を出しても姻族との関係がなくなるだけで、夫との関係は変わらない。つまり、遺産はもちろん、遺族年金も死後離婚前と変わらず受け取れるのです』
自分の死後、妻は必ず墓や老いた両親を守ってくれるはずだ──そんな期待は、すでに過去のものとなりつつあるのかもしれない」
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家・家族・家庭を否定・破壊する「個」優先の戦後教育の成果として現れ始めた、死後離婚。
現代日本は、家族・親族・身内・一族といった「家の拘束・束縛」が強かった昔とは違って、親兄弟は頼れないし、子供や孫さえも期待できない。
生きる上で、誰も頼れず、あてにできない。
建前として人と人・人と社会の絆や繋がりや関わりが真顔で語られたが、だが、実態はむしろ真逆に急速に日本から薄れてきている。
だれも、他人とは関わり合いたくはない、それが親子であろうと兄弟であろうと、まして義理の父母・舅姑とその家族ならなおさらである。
親が死んだ後の遺産相続配分をめぐる兄弟喧嘩は、目を逸らしたくなるようなえげつないものである。
戦前の民族主義的保守教育と戦後のマルクス主義的革新教育は、油と水の如き全くの別物である。
戦後の革新的教育を推進した結果の一つとして、死後離婚が正当化された。
それは、個人の「完全なる自由」であり、個人の「完全なる解放」である。
子供は、親の犠牲になる必要はない。
親は、子供ために我慢する必要はない。
人は、人としての権利から、如何なる拘束や束縛から解放され自由になれる。
人は個人として、個の自分の幸せのみを追求する権利がある。
権利は義務よりも優先される。
それは、戦後のマルクス主義的革新教育の勝利である。
日本の教育界・学界は、マルクス主義的革新教育が主流となっている。
マスコミも同様である。
中国や韓国のような夫婦別姓制度が成立すれば、死後離婚で介護が必要な老いた舅姑を捨てても罪の意識に苛まれる事もなくなる。
結婚は幸せとは限らない。
家族を持つ事が幸せとは限らない。
子供を持つ事が幸せとは限らない。
しょせん、人は一人である。
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