🚷25〉─3─「絶滅危惧種日本人サラリーマン」という日本的雇用形態の限界。~No.112 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2022年10月10日 YAHOO!JAPANニュース 集英社オンライン「賢い若者だけが気づいている「絶滅危惧種サラリーマン」という日本的雇用形態の限界
 「サラリーマン」という和製英語は、日本以外では通じない。そこには、世界標準とかけ離れた日本独自のヘンな働き方(日本的雇用)があった。
 「サラリーマン」という和製英語
 終身雇用・年功序列の日本的雇用は「メンバーシップ型」で、それを「ジョブ型」に変えていかなくてはならないといわれている。このときに(おそらくは意図的に)触れられないのは、ジョブ型雇用を徹底するとサラリーマンが“絶滅”することだ。
 いまだに多くの日本人は理解していないが、「サラリーマン」というのは和製英語で、外国ではまったく通じない。
 「お仕事は?」と訊くと、ほとんどの日本人は(たとえば)「トヨタです」と会社名を答える。だが海外では、これはトヨタの工場で自動車の組み立てをやっていると理解される。仕事と会社が一体化しているのは、工場労働者やバックオフィスの事務系の仕事だけだからだ。それに対して専門職は、「車のデザインをしている」など自分のジョブを答える。
 私がこの違いに気づいたのは、ずいぶん前に中国を旅行していたときだ。若いアメリカ人とレストランで同じテーブルになって、「どこに行ったの?」「どこに行くの?」がひととおり終わって、それ以外に共通の話題がないので「なにしているの?」と訊くと「会計士Accountant」だという。
 会計士というのは企業の会計監査などをやっているイメージだから、そのつもりで話をしていると、どこかかみ合わない。それでよく聞いてみると、彼の仕事は地方の中小企業の経理だった。
 「職種」ではなく、「会社名」が日本の慣習
 日本でも、勤務医に「お仕事は?」と訊くと、「内科医です」とか「小児科医です」と専門を答える。「どこの病院ですか?」と重ねて訊いてはじめて、病院名を教えてくれるだろう。最初に病院名をいうと(「〇×病院で働いています」)、病院事務だと思われるのだ。
 海外では、すべてのスペシャリストがこれと同じで、「自分はなにを専門にしているのか」を真っ先に伝える。新聞記者は「ジャーナリスト」だし、テレビ局で働いていれば(たとえば)「ドラマのディレクター」だ。だが日本で職業を訊くと、ほぼ100パーセント、「朝日新聞です」とか「NHKです」などの答えが返ってくる。先に専門をいうと、「フリーのジャーナリスト」「フリーのディレクター」の意味になってしまうのだ。
 このように日本では、専門と会社の順序が世界とはまったく逆になっている。それは、「どの会社に所属しているか」がものすごく重要だからだ。
 開業医と勤務医がいるように、スペシャリストである医者は、自営業者になるか組織に所属するかを自分で決めている。医者のなかには一般企業で社員の健康管理を任される人もいて、産業医と呼ばれている。
 産業医は会社に所属しているが、人事異動で営業や経理に異動することはない。ここまでは当たり前だと思うだろうが、海外ではすべてのスペシャリストが産業医と同じ働き方をしていることを理解できるだろうか。
世界標準からかけ離れた、日本のヘンな常識
欧米でも、会社の法務部で働いているからといって、全員が弁護士資格を持っているわけではないが、大学の法学部を出ているなど、なんらかの専門教育を受けていることが当然の前提になっている。
 そして、いまの仕事が面白くなかったり、上司や同僚とうまくいかなかったり、部門の業績が悪いから人員を減らしたいといわれたときに、「他部署に異動させてください」などといわない。自分の専門を活かしてほかの会社の法務部に転職するか、弁護士事務所のスタッフとして働く。いちど専門を決めたら、ほとんどの場合、それを変えることなく場所(職場)を移っていくのだ。
 それに対して、サラリーマンの働き方はぜんぜん違う。
 まず、日本の会社は新卒採用のときに大学での専門教育をほとんど気にしないので、文学部や教育学部出身者がごくふつうに法務や経理の仕事をしている。そしてこの人たちは、自分をスペシャリストだと思っていないから、何年かすると営業や総務などまったく違う部署に異動する。日本のサラリーマンは、いちど会社を決めたら、それを変えることなく、会社内で別の部署に移っていくのだ。
 日本人はこれを当たり前だと思っているが、外国人が聞いたら腰を抜かすほどびっくりする。
 欧米では、キャリアビルディングとは、転職を繰り返すことで経験を積み、自分の専門性(キャリア)を高めていくことだ。それに対して日本では、キャリアは会社のなかでの地位のことで、キャリアビルディングは出世の方法だと思われている。日本人の働き方はグローバルスタンダード(世界標準)からかけ離れた、ものすごくヘンなことになっているのだ。
 新卒から40年も会社に「監禁」される日本
 ついこのあいだまで、日本社会では「日本的雇用が日本人(男だけ)を幸福にしてきた」と信じられてきた。こうして右も左も「グローバリズムから日本的雇用を守れ」と大合唱していたのだが、最近になってこの人たちが黙るようになった。都合の悪い事実がどんどん明らかになってきたからだ。
 ひとつは、さまざまな国際調査で、日本のサラリーマンは世界でいちばん会社が嫌いで、仕事を憎んでいることがわかったこと。それも小泉政権の「ネオリベ」改革以降の話ではなく、日本企業が世界を席巻していたバブル全盛期の1980年代ですら、日本のサラリーマンよりアメリカの労働者の方が自分の仕事に誇りをもち、友人にいまの会社を勧めたいと思い、「もういちど生まれ変わっても同じ仕事をしたい」と答えていた。日本のサラリーマンが仕事を憎むのは、新卒でたまたま入った会社に40年も「監禁」されるからだろう。
 それに追い打ちをかけたのが、一人当たりの労働者がどれくらい利益をあげたかを示す労働生産性の国際比較だ。日本のサラリーマンは長時間労働サービス残業で過労死するほど働いているにもかかわらず、アメリカの労働者の6割程度しか稼いでおらず、主要先進7カ国(G7)の中では1970年以降、約50年間にわたって最下位の状況が続いている。
 もうひとつは、日本的雇用が重層的な「差別」であることが隠せなくなったこと。メンバーシップ型ではメンバー(正社員)かどうかで「身分」が決まり、「正社員」と「非正規」だけでなく、「親会社」と「子会社」、海外の日本法人での「本社採用」と「現地採用」など、さまざまなところで「身分」による待遇の差が生じている。
 ジョブ型雇用への転換は急務
 リベラルな社会の働き方の原則は「同一労働・同一賃金」で、同じ仕事をしているのなら、人種や性別、国籍、性的指向などの属性にかかわらず、同じ待遇でなければならない。ところが日本の会社では、同じ仕事をしているにもかかわらず、「身分」が異なるという理由で劣悪な待遇に処せられている多くの労働者がいる。
 「真正保守」を掲げた安倍元首相が「非正規という言葉をこの国から一掃する」と宣言したのは、日本だけの特殊な雇用制度が「(リベラルな社会では許されない)身分差別ではないのか」との国際社会のきびしい視線を無視できなくなったからだろう。ふだんは「反安倍」のメディアや知識人も、どれほどリベラルな主張をしていても、差別を容認するのでは、定義上、「差別主義者」になってしまう。
 こうした「不都合な事実」が示すのは、グローバリズムが日本的雇用を破壊して日本が貧しくなったのではなく、差別的な日本的雇用が日本の労働者を不幸にし、労働生産性の低い働き方に固執したことで「衰退途上国」といわれるまでに落ちぶれたことだ。
 日本経済が復活するためにも、差別のないリベラルな社会をつくるためにも、ジョブ型雇用への転換を進めなくてはならない。そのためには、ジョブがなくなったら公正な基準で社員を金銭解雇し、労働市場に戻す制度が不可欠になる。
 問題は、こんな当たり前のことを、ジョブ型雇用を推進しようとする人たちですら口にできないことだろう。
 取材・文/橘玲
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 10月12日 MicrosoftNews ITmedia ビジネスONLiNE「名ばかりの「ジョブ型」「同一労働同一賃金」……国の施策が実効性を伴わないワケ
 © ITmedia ビジネスオンライン 国の働き方改革はなぜ実効性が伴わないのか
 2018年に働き方改革関連法が可決成立して以降、政府は、雇用労働に関するさまざまな施策を積極的に進めています。
 それぞれの施策には目標が掲げられています。目標は「施策を推進する法律を制定する」や「○○円の予算を投じる」など、分かりやすい言葉で具体的に示され、達成率などの数字で示される場合もあります。施策がお題目で終わってしまわないよう、具体的な目標を掲げることは必要なことです。
 しかしながら、目標が具体的で分かりやすいことが返って仇(あだ)になり、実効性が伴わないまま、目標だけが独り歩きしてしまっていると感じることがあります。
 岸田首相は、9月22日に米国のニューヨーク証券取引所で行ったスピーチにおいて、これから日本が取り組む5つの優先課題を紹介しました。その第1番目に挙げられたのが「人への投資」で、まずは労働市場の改革を行うとしています。
 「日本の経済界とも協力し、メンバーシップに基づく年功的な職能給の仕組みを、個々の企業の実情に応じて、ジョブ型の職務給中心の日本に合ったシステムに見直す」
 メンバーシップ型からジョブ型へ移行させるという方針について、各メディアも一斉に報じました。それにより、労働移動を円滑化するなど目指すべき姿も示しています。これらは新時代の労働市場のあり方をイメージさせるものだと思います。
 しかし問題なのは、メンバーシップ型からジョブ型へ移行させることに焦点が当たってしまっている点です。そこには大きく2つ問題があります。
●中身が見えない首相の目指す「ジョブ型」
 1つは、ジョブ型とは何かが不明確な点です。いま、すでに多くの会社がジョブ型雇用を取り入れていると耳にします。しかし、ジョブ型雇用とは、本来欧米型の人事制度を意味するものであり、職(ジョブ)に縛られた雇用契約を結ぶ文字通りの「就職型」です。
 “職”に就いているわけですから、もしその職がなくなったり、その職を遂行できる技能が不足している場合は解雇の対象になりえます。逆にその職が存続し、遂行できる技能も有しているのであれば、会社の都合で勝手に配置転換などはできません。
 しかし、いまの日本の法制度はメンバーシップ型を前提に整備されています。メンバーシップ型雇用とは職に縛られたものではなく、会社の一員(メンバーシップ)になることを条件に雇用契約を結ぶ「就社型」です。
 そのため、いま就いている職がなくなったり、その職を遂行する技能が不足していたとしても、社員は“会社”に就いているわけですから、解雇の対象となるわけではありません。会社側には、配置転換などして解雇を回避する努力が求められます。逆に、もしその職を十分遂行できていたとしても、会社が必要だと考えれば、人事権を行使して配置転換させることも可能です。
 以上を踏まえると、メンバーシップ型からジョブ型への移行というのは日本の雇用制度を就社型から就職型へと変え、そのための法整備も行うことを意味することになります。もしそこまで踏み込んだ改革を行うとなれば、とても大がかりな転換です。
 ところが、いま巷(ちまた)でジョブ型雇用と呼ばれている制度は、実質的にメンバーシップ型のまま職務記述書などを整備して、いま就いている職務内容を細かく明記して限定的にしているだけに見えます。
 それであれば「職務限定正社員」の言い換えに過ぎません。中には、本来のジョブ型の意味合いで就職型の制度を導入しているケースもあるかもしれませんが、その場合は配置転換や転居を伴う転勤を命令するような人事権を放棄することになります。岸田首相がスピーチで言及したジョブ型とは、本来のジョブ型なのか、職務限定正社員の言い換えに過ぎないのか、あるいは別の何かを指すのかが不明確です。
●看板かけ変えただけで中身は変わらず
 もう1つの問題は、職務限定正社員の言い換えなど、本来とは異なる意味でのジョブ型であればすでに導入している会社は多数存在しているにもかかわらず、“ジョブ型”と名称だけ付け替えることで、メンバーシップ型ではなくなるかのような錯覚が起きてしまうことです。
 仮に、就業条件明示書に加えて職務の詳細を記載した職務記述書の作成も法律で義務づけたとしても、メンバーシップ型からジョブ型に変わるわけではありません。法律を変えなくても、すでに自主的に職務記述書を作成している会社は存在します。
 もし職務記述書の作成が義務づけられたとしたら、担当職務が明確になるため、社員は仕事がコントロールしやすくなる利点があります。会社としても、給与を上げ下げする時の根拠を伝えやすくなるかもしれません。
 しかし、その利点はメンバーシップ型のままであっても同じことです。それだけで労働移動が円滑化するわけでもありません。目指す姿を実現させるには、もっと踏み込んだ改革が必要となります。最大の課題は、会社が採用を逡巡する根本的な原因となっている解雇ルールをどう整備するかです。
 かつて職務限定正社員を推進しようとしていたころは、その職務がなくなった時などの解雇をどうするかという最もシビアな議論が進まないまま、いつの間にか話題に上らなくなってしまいました。そこがハッキリしないと、会社としては職務限定で採用したはずが、他の職務に回して雇用を維持しなければなりません。それでは、職務無限定である従来の正社員と同じです。
 そこに、当時の宿題が残されたまま、ポッと出てきたのが日本では目新しかったジョブ型という言葉です。ジョブ型という名称を用いると、実際は古くからある制度でも新しい仕組みが生まれたように見えます。
 もし、法律改正など分かりやすい実績が示されれば、実態は変わらずともジョブ型に移行する施策を実施したかのように見えます。そして、そのことが逆にメンバーシップ型を維持するカモフラージュとなり得るのです。
 同様の事例はほかにもあります。同一労働同一賃金の実現などもその1つです。
●名ばかりの「同一労働同一賃金」「産後パパ育休」
 同一労働同一賃金とは、文字通り同じ仕事をしているなら賃金も同じという意味です。しかし、働き方改革関連法で定められた同一労働同一賃金は、ガイドラインなどの議論を進める中で、同じ会社内で正社員と呼ばれる働き方と非正規社員と呼ばれる働き方の間にある不合理な待遇差を認めない制度という意味へと言い換えられてしまいました。
 本来の同一労働同一賃金であれば、会社が変わっても、雇用形態が違っても、年齢が違っても、同じ仕事をしていれば同じ賃金が得られることになります。当然ながら、年齢を根拠に賃金が変わる年功序列とは相容れないシステムです。
 しかし、働き方改革において同一労働同一賃金の名目で改正された法律では、会社が変わった場合は対象外です。また、あくまで正社員と非正規社員の間の待遇差に限定されているため、正社員など無期雇用の社員同士の不合理な待遇格差も対象外であり、正社員間に存在する年功序列も維持されることになります。
 もちろん、正社員と非正規社員の不合理な待遇差を認めないこと自体は意義があることです。しかし、本来の同一労働同一賃金ではありません。それなのに、同一労働同一賃金という名目で法律改正したために分かりやすい実績となり、実態がカモフラージュされてしまいました。
 また、10月1日より「産後パパ育休」制度が始まり注目を集めている男性の育休取得促進は、政府が2025年までに30%以上という目標を掲げています。
 男性の育休取得促進は大切な取り組みだと思いますし、目標はとても分かりやすく具体的ですが、育休を取得するだけなら数日だけでもカウントすることは可能です。さらに、育休取得といいながら育児をせず、家でゴロゴロして返って妻の手間を増やす夫でもカウントできてしまいます。
 ほかにも副業やテレワークの推進、女性管理職比率30%など、ガイドラインが示されたり、数値目標が掲げられているものがいくつもあります。しかしながら、必ずしも実効性が伴っているとは言えません。その背景として、ガイドラインの提示や数値の上昇など、一見分かりやすい実績によるカモフラージュが、免罪符のような役割を果たしてしまっている面があるのです。
 冒頭で紹介したスピーチで、岸田首相は女性活躍の重要性を説いています。女性活躍は重要だと思いますが、「女性がキャリアと家庭を両立できるようにしなければならない」としてしまうのは、男性の育休取得を推進する法律が施行されている現状において違和感があります。
 これでは暗に「政府は女性活躍推進のさまざまな施策を打ちますが、キャリアと家庭の両立は女性だけの問題なので男性は対象外ですよ」と伝えているかのようです。政府からのメッセージが、キャリアと家庭の両立は女性だけが考えるものだという裏づけになってしまえば、改革はむしろ後退してしまいます。
 なるべく多くの国民にメッセージを届けようと、政府の施策や方針が分かりやすい言葉と指標を用いる傾向にあることは致し方ないことかもしれません。しかし、それがむしろカモフラージュになって現状維持の後押しになってしまっている面が少なくないことを肝に銘じる必要があります。意義ある施策を実効性あるものにしていくためには、具体的で分かりやすい実績目標を掲げるだけでは不十分です。
●「形だけの実績づくり」から脱却を
 もし会社が働きがいやエンゲージメントを高めたいのなら、採用人数や離職率など一見分かりやすい目標を立てても、それだけで効果を測ることはできません。社員に直接サーベイを行って実情分析する必要があります。
 それと同様に、政府が労働移動の円滑化を進めるのならば「希望に沿った仕事が見つけやすいか」、女性活躍を推進するならば「性別に関係なく活躍できる社会になっているか」といった定性的な実感値指標なども計測して、施策の効果を総合的に評価・検証する必要があるはずです。
 岸田首相は10月3日の所信表明演説で、構造的な賃上げの実現を目指すと宣言しました。そこに“ジョブ型”の文字はありませんでしたが、5年間で1兆円の「リスキリング投資」や「同一労働同一賃金」の徹底などにも言及して、労働移動円滑化に向けた指針を来年6月までにまとめるとしています。
 しかし、リスキリング投資や同一労働同一賃金は、あくまで手段に過ぎません。目的は構造的な賃上げや労働移動円滑化の実現です。
 指標の客観性を盾に、手段を講じたかどうかという実績だけ見て「目標を達成した」などと評価しても、目的が果たされたかどうかは分かりません。形だけの実績づくりに終始せず、いかに賃上げ構造を作り上げたかや、労働移動が円滑化したかなど、目的と効果にフォーカスして施策を進めていく必要があるのです。
 著者紹介:川上敬太郎(ワークスタイル研究家)」
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