🌁28〉─3・A─日本モデルとされる正社員の終身雇用・年功序列・年功賃金は大正後期からで歴史が浅い。~No.119 

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 2022年1月27日号 週刊新潮「夏裘冬扇  片山杜秀
 〝正社員の帝国〟の興亡
 『賃金なり給与なりというものは、職務の難易や技術の優劣上下に対して支払われるもので、勤続年数の長い短いは、一応関係のないものであるべきだ』。『職種の格付けや技能の程度が同じだというなら、自分たちにも同じ大きさの賃金を支払ったらいい』。かくなる思想を抱いた労働者は『同一労働同一賃金』を要求してやまない。
 近年の経済コラムではない。社会政策学の泰斗、大河内一男の、1960年の文章だ。その頃の職場には、戦前育ちの正社員が、当然ながら大勢いた。彼らの多くは、事務環境や生産設備の戦後ならではの加速的変化になかなか付いていけない。戦後育ちの若手正社員に仕事の効率で負ける。ところが給与は年功。不合理だ!若手が怒った。正規雇用と非正規雇用の対立ではない。正社員の世代間格差が同一労働同一賃金なる言葉を戦後日本に流行らせた。
 だが、この議論はすぐに雲散霧消した。何しろ高度経済成長。若手正社員の給与もどんどん上がる。エンゲル係数も急低下。若い世代の不満は縮減される。正社員で居れば将来は明るい。上の世代に文句は言うまい。正社員万歳!
 はて、正社員こと、定年までの無期雇用労働者は近代日本にいつ登場したか。文明開化で会社が出来ると、正社員もただちに大勢現れたのか。そうではあるまい。はじめはずっと非正規雇用的な労働者が主流だった。様子が変わるのは、大正後期から昭和初期だろう。重化学工業化が進む。生産工程が複雑化する。経験と勘で仕事をする熟練工を非正規雇用でこき使っていたのでは間に合わない。青少年を雇い入れ、手間暇かけて高度な技能教育を徹底し、他社に逃げられぬように正社員的に扱う。労働者を安く使い捨てていては新時代への離陸はできない。日本のブルーカラー系正社員文化とは、そのように育ちはじめた。1920年代には、労働争議が多発したが、それは、コミンテルンの陰謀のせいでもあるまい。若手正社員に職を奪われていった、非正規雇用の熟練労働者の怒りが沸騰したゆえであろう。
 するとホワイトカラー系正社員文化の方はいつ誕生したのか。少し遅れる。1931年の満州事変以降ではないか。戦争のための統制経済は、事務手続きを際限なく増やしていった。細かい数字の溢れた書類の山が要求された。会社にも官庁にも。守秘義務や組織への忠誠心も大事。非正規ではとても務まらない。事務系正規労働者の大増殖が始まる。この文化が戦後に引き継がれ、食管制度から福祉関係まで、煩雑な何から何までを、長年維持したわけだ。
 1920年代まではなるたけ非正規雇用。そのあとはやむを得ず正規雇用。それが近代日本資本主義の歴史だろう。正規雇用を人々の人生の目標とさせるための工夫も施されていった。就職機会を限ったり(新卒採用!)、長く勤めるほど良い思いができたり(年功賃金!)。かくして〝正社員の帝国〟が極東に栄えた。ところが、今や時代は1920年代以前に回帰しつつあるらしい。この国はあまりに物を作らなくなった。ブルーカラー系正社員は要らない。ホワイトカラー系正社員も要らない。そのとき同一労働同一賃金という言葉が繰り返される。一度目はハッピーだったが、二度目はアンハッピーに。非正規雇用の賃金を正規雇用並みに上げるならハッピーかもしれないが、その正反対を目指す意図が見え隠れするように思われるから。
 〝正社員の帝国〟の歴史は大正時代からたかだか一世紀で終わろうとしているのかもしれません。儚いなあ。」
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