🌁27〉─7・A─非正規2000万人時代 待遇どう改善 格差「不合理」判決 「企業努力すべきだ」~No.116 

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 2022年11月22日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「正社員も非正社員も「嫌なら辞めろ」…日本社会が壊れ始めた「就職氷河期世代の実体験」
 小林 美希 
 平均年収443万円の暮らしとはどんなものだろうか。
 いま話題の新刊『年収443万円 安すぎる国の絶望的な生活』では、物価が上がる一方で給料は安いままの国の生活の実態を明らかにしている。
 では、そもそも、なぜ日本はこの30年で大きく衰退・停滞してしまったのか。
 © 現代ビジネス
 私の原体験
 あまりに若者が疲れている、何かおかしい──。
 社会人になりたての2000年から2003年にかけて、当時、経済記者だった私が感じたことだった。その頃に社会に出た同世代の多くが、連日の“サービス残業”で終電帰り、土日も“サービス出勤”をしていた。たまに休める日は疲れ切って動けず、寝たきり状態。よく言われる「若い時は勉強だ」という域を超えているように思えた。
 私が大学を卒業したのは2000年3月。この年が、大卒就職率が統計上初めて6割を下回る、超がつくほどの就職氷河期だったと知ったのは、仕事でこの問題を追い始めてからだった。
 マスコミ受験を中心に、金融や商社、サービスなど興味のあった企業100社以上にかたっぱしからエントリーシートを送り、少なくとも50社以上の試験や面接を受けた。しかし、たとえ最終面接まで行っても、ダメ。それが続くと、「人間失格」の烙印を押されている気がしてきた。
 ある銀行のリクルーターからは「最終面接で女子はバッサリ落とされた」と告げられたこともあった。ある中小企業の社長からは「うちには向かない」と言われたことも。
 理由はどうあれ、とにかく「内定」の二文字はとてつもなく遠く、就職活動で歩き回った脚はパンパンだった。やっとのことで唯一の内定が出たのは、ティッシュ配布のアルバイトをしていた消費者金融会社だった。そして卒業後、東京で就職活動をやり直した。
 ハローワークに通いながら職探しをし、とにかく無職という状態から抜け出したかった。面接を受けた「福祉と金融」業という零細企業は、年金を担保にする闇金融だった。医療系のリース会社で初の女性営業職を採るとのことで面接は通ったが、毎晩医師に接待するためお酒は強いかと聞かれた。
 就職氷河期世代の不安はどこから来るのか?
 しばらくして新聞の求人広告で見つけた業界紙の「株式新聞」から正社員の内定を得たのと同時に、政策シンクタンクのアルバイト採用が決まった。
 株式新聞社(当時)は民事再生法を申請中で、倒産手続きを行っていたため悩んだが、正社員採用であることと、「面白そうだ」という直感が働き、株式新聞の記者となった。月給は手取りで16万〜17万円だったが、その直感通り、充実した記者生活が始まった。
 この株式新聞時代に出会い、私の記者活動に大きな影響を与えたのが、伊藤忠商事丹羽宇一郎社長(当時)だ。のちに就職氷河期世代の問題を追及しようと悩む私の背中を、丹羽さんが押してくれたのだった。
 私たち就職氷河期世代は、どの業界で働いていても、正社員であったとしても、たいていが長時間労働で疲弊していた。非正社員であると、いつクビになるか分からない不安を抱えながら、正社員と同様の仕事をしていた。正社員も非正社員も、「嫌なら辞めろ」と言われ、いつ失職するか分からない圧迫感のなかで働いていた。
 それでも経済界を見渡せば、楽天グループが2000年に株式上場。NTTドコモの携帯電話の販売台数が拡大し、携帯電話で利用できるドコモのオンラインサービス「iモード」が普及し始めるなど、ITバブルが起こった。
 同世代が抱える不安はどこからくるのか。その疑問が強い違和感に変わったのは、経済記者として上場企業の決算説明会に出て、社長や財務担当役員たちが強調していた言葉を聞いたときだ。
 「当社は非正社員を増やすことで正社員比率を下げ、人件費を抑えて利益を出していきます」
 ちょっと、おかしくないか。私は眉をひそめながら決算説明を聞いていた。
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