🥓35〉─3─現代日本に存在する「子連れ親子の移動」に立ちはだかる社会の壁。~No.613 

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 2023年4月2日 MicrosoftStartニュース Merkmal「電車内のベビーカー問題だけじゃない! 「子連れ親子の移動」に立ちはだかる社会の壁、少子化の一因にもならないか
 島崎敢(心理学者)
 「小1の壁」はモビリティにも
 「#学童落ちた」というハッシュタグ入りの書き込みがSNSに相次ぎ「小1の壁」が話題になっている。「小1の壁」は、小学校に入学した子どもが、生活や環境の変化に戸惑うことを表現することもあるが、近年は親が直面する問題を指す言葉として使われることが多い。
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 小学校が保育園のように親の仕事の都合に合わせてくれないので、放課後や長期休暇に子どもをどうするか、平日のPTA活動や学校行事をどうするか、小学校入学と同時に終わってしまう時短勤務にどう対応するかなどの問題が生じ、小学校入学を境に仕事と育児の両立が難しくなることを指す。
 しかしこの小1の壁は、仕事と育児の関係だけではなく、さまざまなところに立ちはだかっている。また、小1に限らず、出産、入園、中1など、他のタイミングにも壁がある。筆者(島崎敢、心理学者)も3人の子育ての真っ最中だが、今回は子どもの成長に伴って訪れる、子ども連れの移動に関わる問題、いわば「モビリティの壁」について考えてみたい。
 ベビーカーに冷たい視線も
 ベビーカー(画像:写真AC)
 © Merkmal 提供
 モビリティの壁は、子どもが生まれてすぐに訪れる。車に乗る人はベビーシートやチャイルドシートを買いそろえる必要があるし、状況によっては、出産を機に車を1台増やさざるを得ないこともある。駐車場、税金、燃料、保険など、車にかかるコストは大きいので、これはなかなかの痛手である。
 金銭面だけではない。シートに座った途端に大泣きする子もいるし、乗り物酔いしてしまう子もいるので、大人だけのときのような快適なドライブはできない。乳幼児とのドライブの車内はてんやわんやである。
 公共輸送機関の多くは未就学児の運賃がかからない。しかし、乳幼児と一緒に出かけると、ミルクに着替えにおむつに離乳食と、とにかく荷物が増える。荷物の量に耐えきれずにベビーカーで出かけると、今度は階段やエスカレーターが事実上使えなくなるので、移動時間が格段に伸びる。
 さらに、泣きわめくわが子や、場所を取るベビーカーに向けられる周囲の冷たい視線をはねのけられるタフな精神力がなければ、乳幼児連れの公共輸送機関移動は難しい。
 保育園の送迎に苦労
 子どもを乗せて自転車で移動(画像:写真AC)
 © Merkmal 提供
 子どもが保育園に通い始めると、新たな壁が出現する。筆者は長女が保育園に通い始めてから、仕事の都合で3回引っ越した。この間、東京、名古屋、大阪の各都市で合計6つの保育園にお世話になり、今も三女を保育園に送迎している。4月からは保育園送迎生活13年目に突入する。
 振り返ってみると、これまで、徒歩、車、電車、自転車と4種類の移動手段で送迎をしてきたが、移動方法はさておき、子どもを保育園に送り迎えしながらの通勤は時間がかかる。保育園が近ければ負担は小さいが、姉妹が別々の保育園に通っていた時などは、家から保育園経由の職場までの所要時間が、東京から名古屋までの新幹線の乗車時間より長かったこともある。
 移動手段別でもそれぞれの苦労がある。徒歩の場合、子どもが自分で歩いてくれるようになると楽にはなるのだが、歩行速度が遅い上に、何かに興味が向くとすぐに立ち止まり、気に入った場所では同じ所を行ったり来たりする。
 子どもたちの目にはあらゆるものが新鮮に映っているのだろうし、大人だけでは気付けなかったさまざまな発見もあるので、楽しい時間でもあるのだが、毎日のこととなると、もうちょっと速く進んでくれないかと思うこともある。
 車での送迎は徒歩による送迎ほど時間は伸びないが、保育園に立ち寄る間、車をどこに止めるか悩みどころだ。保育園の近くに大きなパーキングがあれば良いのだが、混雑する送迎時間帯はコインパーキング待ちということもあるし、やむを得ず路上に止めて切符を切られたり、近隣の人とトラブルになったりする事例も多いようだ。
 電車での送迎は先ほどの「ベビーカー問題」や「冷たい視線問題」に直面する上、ラッシュ時間帯に子連れで電車に乗ることになる。特に東京の朝のラッシュは大人でも気絶しそうになるほど混んでいることがあるので、子連れでの乗車はまさに命懸けである。
 加えて、職場に行く沿線上に保育園があれば良いが、筆者は別の路線の保育園に通わせていたので、そのために通勤用とは別の定期券を買う必要があった。
 自転車での送迎は止める場所や移動時間の悩みは少ないが、雨や暑さ、寒さに耐えなければならない。また、自転車に子ども用の椅子を付ける必要があるし、子ども乗せに特化した電動アシスト自転車の新車を買おうとすると、原動機付自転車(原付き)よりも高くつくことがある。
 移動が家計圧迫
 チャイルドシート(画像:写真AC)
 © Merkmal 提供
 では「小1の壁」はどうだろうか。車はチャイルドシートからジュニアシートに移行する時期ではあるが、ジュニアシートは比較的安価だし、この頃になると、子どももだいぶ車に慣れてくるので、車移動の小1の壁は「低め」だろう。
 一方、自転車移動が中心の人は、子どもが自分の自転車に乗りたがる時期であり、自転車の購入費用に加え、集合住宅では駐輪場をどうするかの問題がある。また、小学1年生は全年齢の中で交通事故率が突出して高い。これは、大人と離れて1人で行動することが増えるためだ。従って、自転車の乗り方や交通ルールをしっかり教育する必要もある。
 欧州には小学生まで無料の公共輸送機関もあるようだが、日本の公共輸送機関は小1から運賃がかかる。子ども料金とはいえ、これは状況によってはなかなかインパクトがある。
 例えば、筆者のように大阪から東京の実家まで子ども連れ計5人(大人2人、小学生2人、未就学児1人)で帰省する場合、新幹線代だけで8万円以上かかる。近所の移動は新幹線に比べれば大した金額ではないが、それでも公共輸送機関を毎週末利用すると、子どもの運賃がボディーブローのようにじわじわと家計を圧迫する。
 中1にも壁がある。車は乗車定員2人に対して子ども(12歳未満)を3人まで乗せることができるが、中学生になれば1人分になるので、家族構成や車種によっては車の買い替えが必要になる。
 公共輸送機関は中1から大人と同じ運賃である。わが家も間もなく長女が大人料金に変わる。中学生の長距離運賃は学割が使えるが、それでも三女が小学生になる頃には、わが家の東京往復の新幹線代は10万円を超えてしまう。
 あらゆる「壁」低くする努力を
 ベビーカーマークと車いすマーク(画像:写真AC)
 © Merkmal 提供
 モビリティにかかるコストは、通勤、通学、買い物、通院など、生活に必要最低限のものについて語られがちだが、生存に直接関わらない旅行や帰省などの移動には、人生を豊かにする重要な意味がある。
 特に子どもは旅によって視野を広げたり、成長したり、家族との絆を深めたりする。子どもたちをいろいろなところに連れて行って、たくさんの経験をさせてあげたいと思う親も多いだろう。だから子育て中の家族には、たくさん旅をしてもらいたいと思うのだが、現実的にはたくさんの壁があるようだ。
 このようなモビリティの壁を若いカップルが想像してしまうと、「旅行ができなくなるなら子どもをつくるのをやめておこう」とか、「人数を少なくしておこう」という選択がなされる可能性が高まる。
 子どものいない人や子育てを終えた世代の人の中には、少子化対策に消極的な人もいるようだが、人口が減って経済や産業が縮小していく悪影響は、子育て中かどうかにかかわらず、全ての人が受ける。
 だから、少子化を少しでも緩やかにしたいなら、モビリティに限らず、あらゆる壁を低くする努力を社会全体でしていくべきだろう。他の少子化対策と併せて、子育て世代の家族が今より少しでも安心して、安く、楽に移動できるような対策を行い、子育て世代の前に立ちはだかる「モビリティの壁」を低くしてほしい。
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 現代の大人、おじさんやおばさんの本音は「子供嫌いである」、で、彼らの口癖が「子供など、当てにならない、役に立たない、信用できない、居ても居なくても同じ、邪魔なだけ、居ない方が気を遣う事もなく精々する」である。
 事実、家の崩壊として、いい大人である子供達は「金の亡者」と化して親の財産、老後の面倒を見ずに死亡するとその遺産を巡って陰惨な兄弟争いを始める。
 そこには血が繋がった親兄弟の情、家族の深愛など微塵も存在しない。
 そんな大人・現代の日本人が、子供を大事にするはずがない。
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 江戸時代・戦前の日本・1980年頃までの日本は、子供は国の宝、赤子は祖先の生まれ変わり、子は鎹、子供は愛の結晶として、親兄弟が・家庭が・家が、国家が・政府が、社会が・世間が、地域が、大人達が総出で大事に育てていた、そして子供に関する諺や言い伝えが数多く生きずき生かされていた。
 それ故に、子供はよく笑い騒々しく自然の中を走り回って遊んで成長していた。
 日本の伝統的文化的宗教的世襲家制度の中心に存在していたのが「我が子=子供」であった。
 それが、日本民族縄文時代から大事にしてきた神話の世界であった。
 戦後民主主義教育を受けた団塊の世代団塊ジュニア世代が日本を動かし始めた1990年以降の日本では、マルクス主義の反宗教無神論・反天皇反民族反日本が正義となり、子供神話・女性神話の世界という数万年前からの日本民族の伝統・文化・宗教は全てが無価値として葬られた。
 その結果として、日本は少子超高齢社会として人口が激減していく。
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