🌁14〉─3・B─教育格差が日本を新たな身分社会に作り変える。親の情報格差と子の経済格差。~No.52 ⑧ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2023年12月20日 MicrosoftStartニュース All About「親の「情報格差」が子の「経済格差」を生む!?
 学力とは人間の能力のごくごく一部に過ぎないですし、勉強は人生をよりよく生きるための手段に過ぎないのですから、親は学校とはまた違った発想・視点で子どもに接していく必要があります。
 © All About, Inc.
 親の視野の広さが、子どもの将来を左右する
 学力とは人間の能力のごくごく一部に過ぎないですし、勉強は人生をよりよく生きるための手段に過ぎないのですから、親は学校とはまた違った発想・視点で子どもに接していく必要があります。
 ITの発達によりさまざまな選択肢が生まれ、学びの場は多様化しています。
 学校で学ぶ5教科以外にも学べる領域はたくさんあるし、学校以外にもコミュニティがあります。世界にはいろんな人がいて、いろんな生き方があります。このような視点は、朝から晩まで机にかじりついていては持てないものです。
 「学校の外には、学校以外の大きな世界が広がっている」ことを教えてあげられるのは親しかいません。教育改革は親自身が考え、提供する必要性が高まっているように感じます。
 ITによって多様化する学びの場
 現代は学校に行かなくても、大学の修了証なんてなくても、学びたい人には最高の環境が整っています。たとえば昨今、MOOC(Massive Open Online Course※、大規模無料オンライン授業)が拡大しています。
 ※「無料オンライン学校」「無料オンライン大学」「オンライン教育サイト」などと訳されています
 アメリカの大学を中心に、無料のオンライン講義が公開されており、それに東大などが参加を決めたことで日本でも広く知られるようになりました。
 大学の講義が聴講できる有名どころには、たとえばMIT(マサチューセッツ工科大学)が公開している「MIT Open Course Ware」、プリンストン大学スタンフォード大学が協力して立ち上げた「Coursera」、アップルのiTunesを使った「iTunes U」などがあります。
 ほかにも、中高生に向けた「Khan Academy」、個人が作ったコースも受講できる「Udemy」、Googleの現役プログラマからプログラミングを教わることができる「Udacity」、無料でプログラミングを学べる「Codecademy」などもあります。
 また話題になっているのは、入試合格率1.7%という全米最難関といわれるミネルバ大学およびミネルバ大学院です。キャンパスを持たず、オンライン授業のほかは世界各地で探求的・実践的・協創的な教育を行っています。
 世の中は学校だけではなく、知らない世界がまだまだたくさんあって、それを知ることに興味が持てれば、子どもが学校だけの中で閉じこもることはないし、勉強にしてもかえってやる気が出るのではないでしょうか。
 親は未来を想像し、わが子の学習指導要領を作る
 子どものお受験に関するブログなどを読んでいると、「とにかく有名大学に進学させること」が目的になっている人は少なくないようです。
 また、子どもは子どもで周りの友達に影響を受けますから、「皆が受験する」「仲良しの友達が受験する」と聞けば、「自分も受験したい」と思うようになるかもしれません。
 学校の先生も基本的に進学重視でしょうから、成績に応じた進学先を推薦するでしょう。
 もちろん、子ども自身が明確な将来像に基づいて選んだ進路であればよいのですが、周囲からの同調や圧力、学校の先生が推薦したからそう希望したという場合、親も同意してよいものかどうか。
 親自身が狭い世界しか知らないと、「この学校にしなさい」「このコースはダメ」となってしまいます。
 しかし、多様な活躍の仕方があるということを知れば、それを子に伝えられ、子の選択にも幅が出るでしょう。
 親の価値観は子に伝わります。一族や周囲にちょっと変わった起業家がいれば、それだけで影響がありますが、そういう情報を知らない家庭では、使われる人が再生産されるかもしれません。
 そのため、親は成功へのルート、幸福へのルートがたくさんあることに気づき、30年後、40年後にも使える思考体系と行動体系とは何かを考えなければならないのです。
 親がさまざまな選択肢や生き方を「知る」ことで、子どもの可能性は広がる
大人でも知らなければ目指すことはできません。しかし、「こんな教育もある」「こんな職業もある」「こんな稼ぎ方もある」「こんな生き方もある」と知ることができれば、目指すことができます。
 親自身が教育ポリシーを持っていなければ周りに流されるし、世界の情報や状況を知らなければ、進路に対する助言も「自分が知っている世界の範囲内」に限定されます。
 そして、個別の学校の教育、海外での教育を知れば知るほど、子どもの教育・経済格差の大きな原因の1つは「親の情報格差」ではないかと思えてきます。
 学校の先生はどうしても国内進学の方が詳しいし、同級生も世界レベルの情報までは持っていないでしょう。
 だから親自身がたくさんの経験をして、家と学校の外側には広大な世界が広がっていて、いろんな職業や生き方があっていいんだ、ということを知る必要があると私は考えています。
 【参考】「1億稼ぐ子どもの育て方」(著:午堂 登紀雄/主婦の友社刊)
 文:午堂 登紀雄(米国公認会計士
 大学卒業後、会計事務所などを経て、米国コンサルティングファーム経営コンサルタントとして経営戦略立案や企業変革に従事。貯金70万円を1年で3億円の資産に成長させた経験をもとに、お金持ちになる方法や考え方を伝授。
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 12月21日 MicrosoftStartニュース アスキー「貧しい子どもに劣等感を植えつける、日本の“教育格差”問題
 © アスキー 提供
 日本が先進国のなかでワースト4位の貧困国であるという報道を目にしたことがある方は、決して少なくないだろう。とはいえ日々の生活を通じ、貧困を実感する機会があまりないのも事実。だから開発途上国の貧困と日本の貧困にはどのような差があり、いかなる問題を生んでいるのかはわかりにくくて当然だ。
 そもそも同じ貧困とはいっても概念が異なるわけで、『世界と比べてわかる 日本の貧困のリアル』(石井光太 著、PHP文庫)の著者もそこに着目している。
 たとえば、日本の公立の小学校には富裕層から貧困層まで様々な階層の子供が通っているが、途上国の小学校には富裕層なら富裕層、貧困層なら貧困層しかいない。あるいは、日本のホームレスは高齢の単身者ばかりだが、途上国の路上生活社のほとんどが家族連れだ。こうした違いが生まれるのは、日本と途上国とで貧困の形態が別物だからだ。(「はじめに」より)
 したがって、日本の貧困がどういったものなのかを知るためには、まず途上国の貧困となにが違うのかを認識しなければならないと著者は主張するのだ。日本の貧困には日本特有の現象があるので、それを浮き彫りにしてこそ日本が抱える状況や社会問題を理解することになるのだと。
 そこで本書は、「住居」「路上生活」「教育」「労働」「結婚」「犯罪」「食事」「病と死」という項目に分け、途上国と日本におけるそれぞれの現状を比較しているのである。ここではそのなかから、上述した「教育」の部分に焦点を当ててみることにしよう。
 日本の公立校で“教育格差”が深刻に
 著者によれば途上国の子どもが学校へ行けない理由は、次の3点だそうだ。
1.家計が厳しく、子供が働かなければ生活が成り立たない。
2.学校の数が少なく、家から歩いて通える距離にない。
3.義務教育に当てはまらない子供がいる。(81ページより)
 価値観も生活習慣も異なるとはいえ、多少なりとも情報は伝わってくるだけに、少なからず理解はできるのではないだろうか? では、日本ではどうだろう? この国ではほぼすべての人が義務教育を修了しているだけに、教育は行き届いているといえるはずだ。
 過疎の集落にも学校はあるし、障害や病気を持つ子にも学習の機会は提供されている。そのため、日本の識字率は99%以上と世界最高水準だ。
 なのに、そうした環境のどこに貧困が入り込むのだろうか? 言うまでもなくそれは、貧しい子どもたちが直面することになる「教育格差」だ。親が子どもにかける教育費に、親の所得や環境によって違いが生じるわけである。
 高所得の家庭であれば、子どもに対して塾や習い事にお金をかける傾向があるが、低所得の家庭ではそれができない。そのため進学率にも明らかな差が出るし、当事者である子どもも、そうした現実を強く感じることにならざるを得ない。
 その結果、日本の公立校には相応のチャンスが用意されているにもかかわらず、それを自ら捨ててしまう子どもたちが一定数いるというのだ。
 なぜか。それは経済格差の中で子供たちの中に生まれる劣等感が深く関係している。貧しい子供たちは高所得家庭の子供たちと過ごし、競い合ううちに、持たざる者としての自分の立場を思い知らされるのである。(94ページより)
 たとえば文部科学省の調べでは、公立の小中学校の生徒の約1%が給食費(小学校が月平均4477円、中学校が月平均5121円)を未納しているという。だとすれば、そんな境遇にある子たちが「うちの家は貧乏で恥ずかしい」「もう学校に行きたくない」というような否定的な気持ちを抱いてしまったとしても仕方がない。
 また、富裕層の子どもが誕生日に高価なプレゼントを買ってもらっていたり、夏休みに海外旅行に行っていたり、最新のゲームやスマートフォンを持っていたりするのを目の当たりにすれば、貧困層の子どもたちは家庭環境の違いを痛感することになるだろう。
 教育にしてもそうだ。富裕層の子どもは、小さなころから学校以外にも学習塾や英会話に通うなど、より高いレベルの教育を受ける機会に恵まれる。だが、貧しい子たちはそうもいかないので、本人たちの努力だけでは埋めることの難しい差が生じてしまうのは仕方がないことなのだ。
 日本の教育は絶対的な格差を生み、子どもたちのメンタルにまで入り込んでいる
 著者は、決して日本の教育システムを否定したいわけではないと前置きをしたうえで、「富裕層と貧困層が混在する日本の教育環境のなかでは、低所得家庭の子どもたちは、自分が抱えるハンディーを感じやすい」と指摘している。
 それによって劣等感が生じると、子ども自身が身の回りにあるさまざまなチャンスを放棄することがあるのだとも。いわば、知らず知らずのうちに植えつけられた劣等感が足枷になってしまうということだ。
 印象的なのは、著者が昔、アフリカのギニア出身の有名外国人タレントと貧困についてのトークイベントをした際、そのタレントから聞いたということばだ。
 「僕は大人になるまで、自分が貧しいって思ったことなかったよ。周りがみんな大変だったから、それが当たり前だって思っていた。だから、つらいとか大変だったっていう記憶がないの。けど、日本はそうじゃないでしょ。子供の時から自分は貧乏だとか、頭が悪いとか植えつけられる。こんなのかわいそうだよ。僕だったら嫌になっちゃうもん」(99ページより)
 ここからもわかるように、充実しているかに見える日本の教育は絶対的な格差を生んでおり、それは子どもたちのメンタルにまで入り込んでしまっているのだ。
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 世界と比べてわかる 日本の貧困のリアル (PHP文庫)石井 光太PHP研究所
 筆者紹介:印南敦史
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 死を目前にした坂本龍一さん 想いと強さがあらわれたことば
 © アスキー 提供
 作家、書評家。株式会社アンビエンス代表取締役
 1962年、東京都生まれ。
 「ライフハッカー[日本版]」「ニューズウィーク日本版」「東洋経済オンライン」「サライ.jp」「マイナビニュース」などで書評欄を担当し、年間700冊以上の読書量を誇る。
 著書に『遅読家のための読書術』(PHP文庫)、『いま自分に必要なビジネススキルが1テーマ3冊で身につく本』(日本実業出版社)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)、『読書する家族のつくりかた 親子で本好きになる25のゲームメソッド』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(以上、星海社新書)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、などのほか、音楽関連の書籍やエッセイなども多数。
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 12月23日 YAHOO!JAPANニュース 毎日新聞「<令和のリアル>「日本は緩やかな身分社会」 気鋭の教育学者が懸念する「教育格差」
 教育格差は生まれながらにある?(イラストはイメージ)=ゲッティ
 親の学歴や世帯年収、職業など子どもには選択できない「初期条件」によって、教育の結果に差が生まれるのが「教育格差」だ。気鋭の教育社会学者、龍谷大の松岡亮二准教授(教育社会学)は膨大なデータを読み解き、戦後日本社会を「緩やかな身分社会」と呼ぶ。教育格差の是正に有効な“処方箋”はあるのだろうか。【聞き手・坂根真理】
 【写真】「毒親モード全開」母親がブログにつづった反省の言葉
 ――「教育格差」とは、どのように決まるのでしょうか。
 ◆「初期条件」を示す指標として国内外で広く使われているのは、保護者(以下、親)の学歴▽世帯年収▽職業などを統合した概念である社会経済的地位(Socioeconomic status、以下SES)です。
 出身家庭のSESや地域という子ども本人に変えることができない初期条件によって、学力や最終学歴といった教育の結果に差がある傾向を「教育格差」と呼びます。
 一方で、日本は最終学歴によって就業状態や収入などに差がある学歴格差社会でもあります。初期条件が学歴を介して人生の可能性を制限しているので、「緩やかな身分社会」と言えます。
 ――教育格差の一例を教えてください。
 2001年に生まれた子どもを追跡調査した「21世紀出生児縦断調査」(厚生労働省文部科学省)を分析すると、例えば、中学1年生の時点で大学進学を具体的な進路として選んでいた子どもは、両親大卒層の約6割▽両親の一方が大卒層で4割▽両親非大卒層で2割――でした。つまり、親が大卒ではない場合、子どもはそもそも大学進学を希望しない傾向があるわけです。
 “両親大卒”のようにSESが高い層では、子どもが小学生の時点で将来の大学進学を前提としていて、習い事をさせたり塾に通わせたりといった子どもの学習機会を充実させる子育てが一般的です。そのような家庭で育つ子どもは、親の期待を内在化して大学進学を自分の希望とするようになると考えられます。
 一方で、親が大学に進学したことのないSESが低い層では、親は子どもの生活時間に積極的な介入を行わず、子どもが大学に進学することを現実的な進路として期待しない傾向があります。
 ◇経済支援だけでは埋まらない進学意欲の格差
 ――大学進学は進学意欲の有無に左右され、その背景に「初期条件」があるということでしょうか。
 ◆出身家庭のSES、出身地域、性別といった初期条件によって大学進学意欲に差がある傾向はデータで繰り返し確認されてきました。このような進学意欲格差という傾向は、学力を考慮しても見られます。
 言い換えると、同じ学力でも、出身家庭のSESなどによって進学意欲に差があるわけです。奨学金や授業料無償化の議論では、経済的に苦しいけれど大学進学を望む子どもが支援対象であって、初期条件によってそもそも大学進学を選択肢に入れない層は視野に入っていません。
 進学意欲を持つかどうかを子どもの自己責任にするのではなく、教育行政は、初期条件によって大学進学を望む割合に偏りがある実態と向き合う必要があります。
 ◇最も進学を望まない傾向が強いのは
 ――特に注目すべき「初期条件」はありますか。
 ◆日本では、出身家庭のSES、出身地域、それに性別の三つが主要な初期条件です。具体的には、親が非大卒を含む低SES家庭出身、地方出身、女性であると、子ども自身が大学進学を望まないし実際に進学しない傾向があります。
 一方で、“両親大卒”といった高SES家庭出身、都市部出身、男性であると高い割合で大学進学を望み、実際に大卒となりやすいです。どちらの層も、初期条件によって「今の人生を選んだ」というより、親の期待や目に見える範囲の同級生などを基準にして「自然」とそのような選択をしたという自己認識の人が多いかもしれません。
 どちらの人生が正しいというわけではありません。ただ、非大卒と大卒では、就業状態や収入という社会経済的な結果に格差がありますし、それらが次の選択肢を広げたり制限したりする格差社会という実態があります。
 なお、近年増加している外国籍や日本語が第一言語ではない家庭環境も、教育行政が重点的に支援すべき初期条件の一つと言えます。
 ◇中学受験熱の背景にも「初期条件」
 ――首都圏では中学受験が過熱しています。
 ◆先ほど例に挙げた「21世紀出生児縦断調査」を分析したところ、東京都区部の両親大卒層で公立中学校に通う生徒の割合は53%ですが、両親非大卒層だと88%でした。同じ東京都区部居住であっても国私立校や中高一貫の公立校を選ぶ家庭は両親大卒層に大きく偏っているわけです。ですので、首都圏というより、首都圏在住の主に両親大卒層の中学受験熱と言えます。
 ただ、地域格差がないわけではありません。そもそも98%の児童が通う公立小学校であっても、日本全体を対象としたデータを分析すると、児童の出身家庭のSESによって、平均的な学力や通塾率を含むさまざまな観点で学校間格差があります。
 大学進学を前提として学習する同級生が多い公立校とそうではない学校が同じ日本社会の中にあるわけです。他国と比べると日本の義務教育はかなり標準化された制度と言えますが、それでも広い意味での教育環境は同じではありません。このようなSESによる学校間格差は、例えば、一つの政令指定都市の中の公立校間にも見られます。「小学校であればどこの公立校も同じ教育環境」ではないのが実態です。
 ◇「ありえたかもしれない人生」を想像してほしい
 ――教育格差への処方箋は。
 ◆診断が不適切であればどんな最新の薬や手術も効果がないどころか副作用が起き得るわけで、データがないと議論の出発点であるはずの「教育の現状」すら把握できません。データで社会全体の実態把握を継続的に行う必要がありますが、現時点で分析可能なデータはかなり限られています。
 少子化が進んでいる現在でも日本社会の規模は個人の見聞で把握できるほど小さくありません。小学校は約1万9000校、中学校は約1万校、高校は約4800校あります。1学年あたりの児童生徒数は約100万人です。このような規模の社会を理解するためには社会全体を対象とした定期的なデータ収集と研究者による分析が欠かせません。
 ――教育格差をなくすために、我々ができることはあるでしょうか。
 ◆自分の経験や視界に入る事例は、社会全体の一部に過ぎないと意識するだけで、より建設的な実践と政策の議論が可能になるはずです。
 もし自分自身の出身家庭のSESが違ったら、出身地域が違ったら、性別が違ったら、地元の小中学校と同級生が違ったら、高校や大学の受験制度が違ったら――と、想像してみてください。初期条件のうち一つでも違ったら、違う時代や国の教育制度だったら、異なる最終学歴になって、別の職業を選んでいたかもしれない。そうやってデータに基づいて「あり得たかもしれない人生」を考える人が増えれば、初期条件に関わらずすべての子どもが自身の可能性を追求できる条件整備のための建設的な議論が主流になる、と私は考えています。一人でも多くの人が教育格差の実態と向き合い、あるべき教育についてデータを踏まえた上で議論する社会になるよう願っています。
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 ◇まつおか・りょうじ
 米ハワイ州立大マノア校教育学部博士課程教育政策学専攻・修了。博士(教育学)。東北大大学院COEフェロー、早稲田大准教授などを経て、現在は龍谷社会学部准教授。著書に「教育格差:階層・地域・学歴」(ちくま新書)など。
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