🌅2〉─8・F─LGBTQと人口激減が仏教寺院を減少させ日本仏教を衰退させる。〜No.15 

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 2024年1月12日 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「地元のお寺消滅で"食っていけないお坊さん"大量発生…日本一の寺院過密率の"滋賀モデル"が注目されるワケ
 地方都市では空き寺が増えている - 撮影=鵜飼秀徳
■地元のお寺消滅で“食っていけないお坊さん”大量発生
 日本の仏教が過渡期にある。各地では寺院の無住化(空き寺、兼務寺院)が進み、仏教教団は既存の体制を保つことすら難しくなっている。「檀家制度」は急速に崩れ、「個の宗教」へと移行しつつある。江戸時代に確立し、地域共同体として機能した仏教界は、かれこれ400年の歳月を経て、そのすがたを大きく変えようとしている。2060年頃を見据えた仏教界の変容について、前編・後編に分けて予測する。
 「寺院消滅」が止まらない。調査データは存在しないが、現在、全国に約7万7000ある寺院のうち、住職のいない無住寺院は約1万7000カ寺に上ると推定できる。まずは、「寺院消滅」の現実から論じていく。
 例えば日本最大の宗派、曹洞宗は約1万4600カ寺を抱える大教団だ。だが、既に全体の約25%にあたる約3600カ寺が空き寺になっていると推測される。筆者の所属宗派である浄土宗は全国に約7000カ寺を抱えるが、全体の21%程度(約1470カ寺)が空き寺である。
 空き寺の数は今後、加速度的に増えていくであろう。なぜなら、寺院の後継者不足が深刻だからだ。曹洞宗に続いて国内で2番目の規模、約1万500カ寺を擁する浄土真宗本願寺派は2021年の宗勢調査で、「後継者が決まっている」と回答した割合が44%にとどまっている。浄土宗で後継者がいる割合は52%、日蓮宗では55%である。その他の宗派も同水準であると考えてよいだろう。
 つまり、このまま後継者が見つからなければ、その寺は無住になることを意味する。仮に現在、正住寺院(住職がいる寺院、推定約6万カ寺)の3割が「空き寺予備軍」とするならば、現在の住職の代替りが完了する2060年ごろには住職のいる寺院は、約4万2000カ寺ほどに激減してしまうことになる。
 わが国の人口動態と寺院密度を対比させることによっても、この数字はかなり現実的なものとしてみえてくる。「人口10万人あたりの寺院密度」を計算してみた。
 2060年には、日本の人口は8600万人ほどにまで減少するとの推計がある。現在の人口10万人(総人口約1億2431万人)に対する正住寺院数(約6万カ寺)は、48カ寺である。これが、現在のわが国における寺院の「適正数」と考えてよいだろう。
 その上で、先述のように「2060年に4万2000カ寺」と設定した場合、人口10万人あたりの寺院数は49カ寺となる。現在と36年後とを比べてみても、社会の大変革が起きない限り、寺院密度は同水準で推移すると考えるのが自然だ。つまり、「2060年に4万2000カ寺」は現実的な数字としてみえてくる。
 仮に、ここまで寺院数が減ってしまえば、仏教系の宗派(教団、包括法人)の再編は不可避となるだろう。現在、仏教系宗派は、曹洞宗浄土真宗本願寺派など1万カ寺以上を擁する巨大教団から、数カ寺~数十カ寺程度の小規模教団や仏教系新宗教まですべて含めると167もある。
 特に多くの分派に分かれているのは、真言系(44宗派)や日蓮系(39宗派)である。細かく分かれた宗派の中で無住寺院が増えていった場合、「近隣に兼務できる寺がない」ということになりかねない。つまり、空き寺の管理が行き届かなくなる。ひとたび寺が無住化するとたちまち荒廃し、再生が厳しくなる。
■平日はサラリーマン、休日は寺院の「二刀流」
 大手教団であっても、宗派の再編は避けられない。例えば、「山岳仏教」で知られる真言系や天台系は、山間部に立地する寺院が多い。また、浄土真宗系寺院は北陸や中国地方などに分布し、曹洞宗の一大拠点は東北である。
 そうした人口減少傾向が強い地域に多くの寺を抱える宗派は、分派同士を吸収・合併していかざるを得なくなるだろう。
 こうした厳しい現実に、仏教界は対処できずにいる。寺院消滅の流れに抗うことは難しい。だが、一縷の望みを託すならば、寺院同士が提携し、寺院の富を再配分することで助けられる地方寺院があるかもしれない。たとえば、都市型の裕福な寺院が、地方の寺院と提携することである。都会と地方の寺のメリットとデメリットをそれぞれ補完し合う仕組みづくりを急ぐべきだ。
 たとえば、青森から東京へと移り住んだ檀家の場合。青森の菩提寺に墓を残しながら、東京の提携寺院に分骨する(その逆もあり)のだ。つまり、故郷の寺に先祖の遺骨を残したまま、故郷と縁を切らない仕組みをつくるのである。
 そのことで、墓じまいするためのコストが抑えることができ、また、自分たちの暮らす東京で法事を営むことができる。そのうえで提携寺院に入る葬儀や法事の布施の一定額を、青森の菩提寺に配分する。菩提寺、提携寺院、檀家の三方にとってメリットがある。大事なのは、地方の寺院から離檀させない仕組みをつくることだ。
 この仕組みは、既に実証済みだ。東京都・四谷にある曹洞宗東長寺が宮城や佐賀などの寺との「共同信徒」という形で取り入れて、効果をあげている。
 他方、将来的には「兼業住職」の割合が増えていくだろう。檀家数の減少に比例して、寺院収入は減少する。布施の金額は地域の相場感によって違いがあるが、寺が専業で食べていける檀家数は少なくとも檀家200軒以上である。それ以下は住職が副業を持たないと、生活や後継者選びが厳しくなる。
 足りなくなった寺院収入を補うためには、住職が兼業を余儀なくされる。つまり、平日は企業などで働き、休日は自坊で法務を行う「二刀流」だ。
■日本一の寺院過密率の“滋賀モデル”が注目されるワケ
 現状はどうか。浄土宗(2017年調査)では全体の57%が「専業住職」だ。「以前に兼業していた」は22%、「現在も兼業している」は20%となっている。専業率が低い(兼業率が高い)教区では、出雲が33%、滋賀が35%、伊賀が35%、尾張が40%などとなっている。
 この中で滋賀県は人口10万人あたりの寺院密度が、日本一の寺院過密地域として知られる。滋賀県内の寺では檀家数が20軒や30軒といった零細寺院が少なくない。それだけを見れば「食べていけない」寺院が多いように思える。だが、必ずしもそうではない。データが示すように多くの住職が「兼業」しているため、主たる収入がサラリーマン給与だからだ。
 滋賀県は、京都や大阪といった大都市が通勤圏内である。寺に住みながら、正社員として働きに出ることが可能である。滋賀県の寺院立地は、むしろ恵まれているといえる。
 人手不足の時代にあって、地方都市でも住職をしながら、リモートなどを活用した仕事に就くことで、寺院を維持していくことが可能になる。兼業で寺院を護持していける「滋賀モデル」のような寺が、今後はますます増えていくことだろう。
 なかには「僧侶の兼業など、とんでもない」と、僧侶の世俗化を批判する人もいるかもしれない。だが、私はむしろ、現代僧侶は就職すべきだと考えている。僧侶のなかには、庶民感覚に乏しい者も多い。特に若い僧侶にはどんどん社会に出て、最低限のマナーやスキルを身に付けてほしい。それが結果的には、寺を活性化するアイデアを生むことにつながるのだから。
 後編は檀家制度や戒名などの、仏教的な慣習の崩壊について論じていく。(以下、後編へ続く)

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 鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
 浄土宗僧侶/ジャーナリスト
 1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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 鵜飼 秀徳 浄土宗僧侶/ジャーナリスト
 【前編を読む】地元のお寺消滅で"食っていけないお坊さん"大量発生…日本一の寺院過密率の"滋賀モデル"が注目されるワケ
 斜陽の仏教界は「寺院版DX」で復活できるか
前編はこちら
 前編では2060年時点における、仏教寺院や宗派の行末を予測した。同時に寺を維持していくために、兼業僧侶が増加し、そのことで世俗化が進むが、寺院再生への手立てとなると指摘した。
 後編(本稿)では、いくつかの古い仏教的慣習がなくなっていく可能性に触れていきたい。例えば、檀家制度や戒名制度である。さらに今後は「寺院版DX」が、新たな価値を創造していくことになるだろう。
 向かい合って手を合わせている二人の僧侶写真=iStock.com/Xavier Arnau※写真はイメージです
 これまで寺院を支えてきた「檀家制度」が、風前の灯である。檀家制度とは1638(寛永15)年、江戸幕府がすべての日本人に対して、寺請証文の提出を義務づけるよう命じたことに始まる。寺請証文は、葬儀を担う寺を菩提ぼだい寺とし、その檀家がキリシタンではないことを住職が署名捺印して証明させる身分証明書のことだ。これによって、庶民は菩提寺を持ち、集落や寺院境内地に墓をつくり、住職が葬儀や法事などを担う体制が整った。
 江戸幕府が倒れて明治新政府が誕生した時、公的な檀家制度はなくなった。しかし、「ムラ社会の中のイエの弔い(慣習としての檀家制度)」は、こんにちまで続いていく。
 このイエ制度における家督の継承者は原則、長男であった。つまり、長男が財産や祭祀継承権(菩提寺や墓、仏壇を継承する権利)を独占してきた。
 だが太平洋戦争後、「イエ制度」が崩壊する。戦後民法では財産は兄弟均等相続になった。だが、祭祀継承権はいまだに長男が相続するケースが多い。
 とはいえ現代では長男も故郷を離れ、多くが核家族を形成している。菩提寺や墓、仏壇を守ってきた親が亡くなったのをきっかけに「墓じまい」や「仏壇じまい」をし、菩提寺を離れるケースが相次いでいる。
 そして、自分たちの住む都会の無宗教式の永代供養墓に遺骨を移す動きが、加速している。都会型の永代供養墓は、檀家制度を敷かないことが多い。寺に対する義務や縛りがあまりなく、会員契約のような自由さがある。
 だが、デメリットもある。遠く離れた故郷の墓の維持管理から解放される一方で、今度は自分たちで、自分たちの埋まる場所を探していかねばならない。永代供養は納骨の期限付き契約がほとんどだ。その都度、遺骨を移す手間とコストがかかることがあるので、注意が必要である。
 いずれにしても、都会の永代供養の広がりが、檀家制度を骨抜きにしている実情がある。いまだ根強く寺檀関係が残っている地方都市でも、少しずつ時間をかけて檀家制度が崩れていくことだろう。
 檀家制度の崩壊に伴い、古くからの仏教的慣習のいくつかは、きっとなくなっていく。
LGBTQがニッポンの仏教的慣習を破壊する
もっとも存続が危ういのが戒名だ。戒名が一般大衆化するのは、江戸時代の檀家制度の発足以降である。戒名は、信心の深さを依拠にしながら住職がつけるが、当時の身分や貧富の差なども反映されてきた。
 戒名は「院号」「居士」「大姉」などのグレードの高いものから、「信士」「信女」などの一般的なものまである。だが、そもそも戒名にグレードがあること自体、平等や慈悲をうたう仏教の理念とはかけ離れている。
 また、高位の戒名を高額で売買するような寺も出現し、トラブルを生じさせている現実をみれば、戒名が不幸を呼び寄せる元凶になっているともいえる。
 戒名不要論が広がっていくと考えられるもうひとつの根拠には、ジェンダーレス社会の到来がある。戒名は「男女分け」である。だが、LGBTQの人が戸籍上とは反対の性の戒名を希望することも考えられる。この時に、理解のない住職が対応を誤れば、LGBTQの人を苦しませかねない。近い将来、戒名ではなく、俗名(生前の戸籍上の名前)で弔われる例が増えていくと推測する。
 寺院の空間やサービスは寺院版DXによって今後、大きく変わっていく。VR(コンピューターグラフィックスで構成された仮想現実)やAR(現実の空間にデジタル情報を取り入れること。拡張現実)を取り入れ、活性化に繋げている寺院は既に出現している。
 例えば、VRやオンラインによる参拝(デジタル参拝)は、コロナ禍をきっかけに一気に広がりをみせた。例えば奈良の東大寺や、東京の増上寺などで取り入れられてきている。2023年春にコロナ感染症が5類に移行したことで、各地の寺院にはリアルな参拝が戻ってきたが、それとは別にデジタル参拝はより拡大していくことだろう。
 それは、高齢者や足の不自由な人にとってありがたい参拝方法だからだ。特に高齢者施設では、入居者の娯楽と癒やしの機会の提供として、デジタル参拝を取り入れるケースが増えていくだろう。
 鵜飼秀徳『絶滅する「墓」 日本の知られざる弔い』(NHK出版新書)鵜飼秀徳『絶滅する「墓」 日本の知られざる弔い』(NHK出版新書)
 また、法事や墓参ではARを取り入れた試みも出てきそうだ。リアルな寺の空間において、故人のデジタル画像や生前の音声などを、供養の演出として盛り込むようなイメージだ。実は、伝統的な宗教空間とデジタル技術は、かなり親和性がありそうだ。
 デジタル技術は、空き寺問題の一助になり得る。例えば各地の無住寺院には、仏像や仏具、建造物などの貴重な文化財が数多、残されている。寺院が無住化すれば、文化財が毀損きそんされるだけではなく、盗難の危険にもさらされる。仏教界でデジタルアーカイブが進めば、文化財保全や管理に寄与すると同時に、展示・公開もしやすくなる。
 また、現金主義であった寺院の世界において、キャッシュレス化はきっと、この数年のうちに一気に進むことになる。キャッシュレス化が遅れている最大の理由は、収支がオープンになってしまうことを寺院側が嫌厭しているからである。だが、時代の流れには抗えない。大阪の正宣寺や、徳島の平等寺など一部の寺院では、積極的にキャッシュレス決済を導入している。キャッシュレス化はむしろ、これまで不透明であった寺院の会計が明朗になることで、自浄作用につながる点でも期待ができそうだ。
僧侶が病院、ホスピス、高齢者施設などで活動する
 都会型寺院は商業施設との融合が進むだろう。本コラム2023年5月27日配信の「53歳元エリート銀行マンが仕掛けた『寺+ホテル一体のビル』が大繁盛」では、建物の老朽化によって存続が危ぶまれた京都と大阪の古刹が、ホテルと一体化させることで再建に成功させた事例を紹介した。
 また、大阪・御堂筋にある真宗大谷派の中核寺院、難波別院では、山門とホテルとを一体化する事業が話題になっている(2023年7月5日配信「“倒壊危機”で出費90億円超の絶体絶命…大阪の古刹が編み出した『寺の門とホテルの一体化』というスゴ技」)。
 大阪の御堂筋に完成した寺院の山門とホテル一体型ビル撮影=鵜飼秀徳大阪の御堂筋に完成した寺院の山門とホテル一体型ビル
 ホテルだけではなく、例えば東京都内では、商業ビルやマンションとの一体型寺院も増えてきている。いずれも、家賃収入によって寺院経営を健全化させる都会型寺院のスキームとして、有効な手段だと思う。ホテル宿泊客やビルの利用客、マンションの住民らに対し、新たに仏教との接点が生まれることも期待できそうだ。
 仏教の役割も、社会の求めに応じて少しずつ変化していくことだろう。「葬式仏教」から「医療・福祉仏教」への転換である。
 「葬式仏教」とは、弔いばかりに熱心で、教えを説くことが疎かになっている仏教界を揶揄する言葉として定着している。この形骸化した「葬式仏教」から、「超高齢化社会を背景にした救済仏教」へとシフトする。つまり、今を生きる人々をいかに救い取るかが、仏教の生命線になってくる。
 具体的には医療の現場や福祉の現場に、宗教者である僧侶が入り、心のケアを行うことである。欧米では「チャプレン」という名称で、軍隊や病院などに宗教者が入り、スピリチュアルケアを行ってきた歴史がある。
 厳格な政教分離を敷く日本では、公共の施設、とりわけ死の現場に僧侶が入ることが敬遠されてきた。だが、2011年の東日本大震災をきっかけにして、被災者の苦悩や悲嘆に寄り添う宗教者への期待が高まり出す。「臨床宗教師」「臨床仏教師」と呼ばれる資格制度ができ、養成が始まり、成果を出し始めている。この「日本版チャプレン」が超高齢化社会、多死社会の中でより存在感を増していくことだろう。
 なぜなら、孤独や死の恐怖に長期間さらされてしまうのが長寿化の側面だからだ。家族や地域共同体の中で看取る時代は終わり、多くが独りで死んでいく。孤独死予備軍は2030年には2700万人にも及ぶ、とも言われている。そうした中で、老いや病、そして死を受容するための新しい仏教の存在が必要になってくる。
 いま若い僧侶の志向も、こうした臨床の現場に向いている。僧侶が、病院やホスピス、高齢者施設など医療・福祉の現場で活動する時代は、そう遠くはない未来のことだと思う。
 【前編を読む】地元のお寺消滅で"食っていけないお坊さん"大量発生…日本一の寺院過密率の"滋賀モデル"が注目されるワケ
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