🧣46〉─1─なぜ日本はこれほど“弱者叩きの国”になったのか。〜No.177No.178No.179 ㉞ 

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 2019年7月7日 msnニュース 週刊女性PRIME [シュージョプライム]「宗教学者と考える「なぜ日本はこれほど“弱者叩きの国”になったのか」
 © 週刊女性PRIME 島薗進さん
 原発避難者へのいじめや生活保護受給者へのバッシング、隣国に対するヘイトスピーチなど、近年、日本社会の不寛容さが目立つ。この空気はなぜ始まり、どうすれば変えられるのか。宗教学者島薗進さんに聞いた。
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 「力の支配」に人心や社会がなびいている
 過去にも、ヒロシマナガサキの原爆や水俣病の被害者など、周囲から差別され声を上げにくい状況がありました。つらい経験や悲しみを口にするには同調圧力に抗わなくてはなりません。何十年もたって、やっと声を上げられるようになるんです。
 1970年代は、日本の歴史の中でも被害者が政府に抵抗する行動が比較的できた時期です。'60〜'70年代は民主化の大きな流れがあり、'89年のベルリンの壁崩壊に至るまでは世界的にも自由を目指す雰囲気がありました。
 しかし、その雰囲気は'80年代で終わります。平成は、日本では戦争がなく平和だったといいますが、自由に向かう空気は弱まり、世界全体が方向性を失ったと思います。
 近年は、産業利益が国の利益と結びついて、強いものが勝つ「力の支配」が横行しています。市場原理を第一に考える新自由主義・自由競争の中で、民主的であることより経済が優先され、「自己責任」の空気が蔓延しているのです。そして、選挙で勝てば何をしてもすべて正当化するかのような現政権の印象もあります。
 「力の支配」による問題が顕在化したのが2011年の東京電力福島原発の事故でした。一時は「これでよかったのか」と、社会全体がこれまでを振り返る空気がありました。
 しかし、それに対する断固たる反動がいま、現れている気がしています。夢も希望も理念も愛もない、被災地に対して思いやりもない。「力の支配」に人心や社会がなびいてしまっている。
 なかでも原発事故における一部の専門家のふるまいはまさに、「力の支配」を表すものでした。専門性を振りかざして、被ばくを恐れる女性を無知であるとバッシングする風潮もありました。かつては、市民の平和や、弱い立場にある個々人のための科学や思想が力を持っていましたが、社会の発展とともに、専門家は競争での勝利を目的とし、市民としての目線を弱めてしまった。
 核開発の歴史ではそれが顕著です。被爆地の研究者の一部が核開発と協力しはじめました。そのため、核開発による健康リスクを低くみせる研究が重要になり、それが顕著になったころに'11年の事故が起きてしまいました。
 「権威主義」も弊害のひとつ
 その後も、安全をひたすら説く国際的研究者ムラが「健康影響はない」と安全論を発信し、周りの研究者も煽る。研究者の中には、3・11後に政府に呼ばれ「安全だと発信してくれ」と言われたと、その当人が語っています。そこに一部のメディアも乗り、発信されてしまう。
 科学が、「力の支配」の担い手として発言するという体制になっているんです。これは世界的なものだと思います。
 日本は、安倍政権によるむき出しの「力の支配」、本来責任を取るべきことも、内閣支持率や株価が下がらなければ許されるかのような新自由主義が横行しています。社会主義勢力のような「力の支配」を抑制するものがなくなり、19世紀の貧富の差が大きかった時代に似てきています。弱肉強食が進歩の源泉という「力の支配」の思想を悪い意味で受け継いでいる。
 市場原理と自由競争を第一に考える新自由主義の影響を強く受けた人々が権力を持つようになりました。民主主義と国民主権という大切な理念と、「力の支配」とを比べたときに「力の支配」のほうが現実を制する、と。そして、豊かになった層が自分たちの持つ権力を正当化するんです。
 また、日本では「権威主義」というのが大きい。強い者の側について、外に敵を見つけるとともに、身近なところでうさを晴らす。共感意識も減り、原発事故でも、被害者に対して「支援が手厚すぎる」という声までありました。公害問題にも見られた「自己責任化」に専門家が理屈を補強して正当化する。科学の批判性の薄さはますます広がっています。
 つまり、科学にも「力の支配」が入り込んでいる。政府の都合のいい見解だけが生まれ、そこに政府も乗る。この構造は、科学が「力の支配」とは違う基準でものを見られなくなる、大変おかしい問題です。それは原発事故以降に強くなりました。
 しかし、人々がこういった理不尽な「力の支配」に納得しているわけではありません。特に女性が敏感に感じ取っているのではないでしょうか。
 大きな組織ほど人々の痛みに対するセンサーが働かないもの。例えば、国や県レベルでは人々の痛みは伝わらない。でも市町村になるとちょっと違う目線になる。自治体でも女性の目線が加わると、違ってきます。「力の支配」に抗う、打開していくには、女性の感覚、新しい感覚が必要なのかもしれません。
 (取材・文/吉田千亜)
 《PROFILE》
 島薗進さん ◎東京大学大学院人文社会系研究科名誉教授、上智大学神学部特任教授・グリーフケア研究所所長。専門の宗教学をベースに、生命倫理や公共哲学の分野でも積極的に発信している」
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🌁45〉─2─共に暮らす 外国人「1,000万人」青写真は 宗教や価値観、厳然と残る「壁」。〜No.206No.207No.208 ㉙ 

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 日本民族日本人は、無節操に乱婚を繰り返した混血の雑種民族で、個性や自意識が低い為に相手に合わせて自分を変える事にこだわらない。
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 2019年7月1日 産経新聞「【令和の争点】共に暮らす 外国人「1000万人」青写真は 宗教や価値観、厳然と残る「壁」
 無邪気にポルトガル語を話す日系ブラジル人の子供たちと、その横で何を言っているか分からず、距離を置く日本人の子供たち…。
 愛知県豊田市の保見ケ丘地区にあるマンモス団地「保見団地」。地区の人口7296人(5月1日現在)のうち6割近い4075人は外国籍で、大半が日系ブラジル人だ。
 団地内の中学校は生徒の半分、地区に2校ある小学校の1校は児童の7割が外国籍。校内では、ブラジルの公用語であるポルトガル語が当たり前に飛び交っているが、一方で日本語が上達せず、授業が理解できない子供も増えている。言葉が通じず、学級崩壊に陥っているクラスもある。
 「ここは、30年前に生まれたゆがみを今も抱えているんです」。同団地に住む日系人の子供らの学習支援を行うNPO法人「子どもの国」の井村美穂理事長(57)は、こう訴える。
 きっかけは平成2年、海外にいる日系2、3世に日本の「定住者」の在留資格を与えた出入国管理法の改正だった。職を求めて日系ブラジル人らが次々と来日。豊田市は自動車メーカーのトヨタが本社を置くこともあり、保見団地には自動車関連の工場などで就労する日系ブラジル人が大勢住むように。まもなく以前からの住民との間で、軋轢(あつれき)が生じるようになった。
 井村理事長の団体など複数の民間団体が支援に乗り出し、行政や住民、警察、企業による協議会も設置された結果、目立った摩擦は影を潜めたが、今も歴然と“壁”は残っている。
 日本人として接するべきなのか、外国人として支援策を講じるべきなのか。住民の多くは戸惑っているのが実態だ。
 ある市関係者は、政府が外国人の受け入れを「移民政策」とは位置付けていないことを引き合いにし、こう話した。「根本的な対策が取れないまま、ゆがみができあがった。政府の建前が、彼らの立場をあいまいなものにしたんだ」
  × × ×
 日本に住む外国人は平成から令和で3倍近くになった。平成元年に98万人だった在日外国人数は、30年末の段階で273万人に。多くが「日本で働く」ためにやってきた人々だ。
 昨年12月には、一定の技能を持つ外国人を対象とした新就労資格「特定技能1、2号」を創設する改正入管法が成立。今年4月に施行され、日本は単純労働分野での外国人受け入れを明確に示した。
 外国人労働者が増える構図は、平成も令和の時代も変わらない。企業側は「安価な労働力」として期待し、外国人の側にも、自国では得られない高い水準の給与を得るというメリットがある。東南アジアを中心に外国人の日本への関心は令和に入ってさらに高まっており、日本語能力試験の受験応募者は過去最多を更新した。
 少子高齢化に伴う労働人口の減少は深刻であり、今後もその流れは加速するはずだ。信用調査会社「帝国データバンク」が4月に行った調査では、「正社員が足りない」と回答した企業は50・3%。4月としては平成18年5月以降、最高だった。
 政府は、今後5年間で約34万5000人(年間平均約7万人)の外国人労働者の受け入れを見込む。気がつけば隣人は外国人-。保見団地の光景は、やがて珍しくなくなる。
  × × ×
 目を見張るような“データ”がある。40年後、日本国内の10人に1人が、外国人になるかもしれないというのだ。
 総務省によると、日本の外国人人口は平成30年は前年比で6・6%(約17万人)増加。みずほ総合研究所の岡田豊主任研究員は、「新制度で1年間に7万人ほどが来日した場合、(前年比の増加数の)17万人と合わせ、単純計算で毎年25万人程度の外国人が増える可能性がある」と話す。毎年25万人の増加が仮に40年間続けば1000万人。日本の人口が細る中、相対的に数は増していくことになる。
 こうした事態を想定し、政治は具体的な議論を喚起すべきだが、参院選に向けても低調なままだ。
 多文化共生に詳しい名城大の近藤敦教授(憲法学)は、「今後、外国人住民への施策は全国各地で重要性を増してくる。ただの出稼ぎではなく、日本で暮らしたいと思う人々といかに共生するのか。国は理念を基本法としてまとめ、方向性を打ち出す必要がある」と指摘する。
 欧米各国を覆う移民問題は、決して対岸の火事ではない。宗教や価値観の違う人々との共生が、いかに難しいかを如実に物語っている。これからの「国のありよう」をどうするのか、有権者の側も真剣に答えを探さなくてはならない。(橋本昌宗)
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 日本人は、生物的生命力と民族的活力を失い、少子高齢化による多死と子供が生まれない少生で激減する人口を回復するためには、新しい生命力と溢れるほどの活力を得る為に外国人移民(主に中国人移民)を受け入れるしか方法がない。
 命ある生き物は何時かは死ぬし、人種や民族は何時かは滅びる。
 古代に栄えた文明の優れた人々は、人が住めない不毛な遺跡を残して消え去った。
 ローカル種・在来種の日本産トキやニホンオオカミなど数多くの日本固有種は、強欲な日本人の手で殺され絶滅させられた。
 日本産トキは、渡来種・中国産朱鷺によって日本のトキとして再生計画が進んでいる。
 日本の空を飛び日本の山野に棲息するトキは、日本産であろうが中国産であろうが関係ない。
 日本人だろうと中国人だろうと韓国人・朝鮮人だろうと、全員が人間にかわりはなく、全員が日本で生活しているのである。
 日本の空を飛ぶ朱鷺がトキなら、日本に生活する人間は人類である。
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 日本人の、男性の精子劣化、女性の卵子老化、生殖機能の退化、繁殖能力の衰退が止まらない。
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🚷24〉─1─日本はセックスレス社会で、日本人はセックスよりもオナニーが好き。~No.106 

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 日本人の、男性の精子劣化、女性の卵子老化、繁殖機能の退化、生殖本能の衰退。
 少子高齢化による人口激減。
 老人が多う、若者が少ない。
 子供を産める女性の減少。
 若者は、安い給料で貧困化して老後資金を貯めるゆとりがなく、無理して結婚するよりも一人で幸せに暮らす事を選ぶ。
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 繁殖機能が衰退した生物種は死滅する。
 生殖本能が退化した生物種は絶滅する。
 急速に個体数を減らす生物種は消滅する。
 日本人は、在来種・日本産トキを殺し尽くした後ろめたさから罪滅ぼしとして、生殖本能が強く、繁殖機能が高い、外来種である中国産朱鷺で日本のトキを復活させようとしている。
 日本の大空を飛ぶ日本産トキも中国産朱鷺も、見た目は同じトキ=朱鷺であり区別ができない。
 鳥には国境がない。
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 日本人も中国人も韓国人・朝鮮人も、見た目は同じアジア人であり、本人が自己申告して打ち明けなければ何人か誰も分からない。
 国民は、人種や民族とは無関係である。
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 産経新聞iRONNA「セックスレス社会は全然ヤバくない
 「仕事で疲れた」「夫とは面倒だから」。いま日本の夫婦やカップルの間でセックスレスが蔓延しているという。ある調査によれば、その数は全体の半数にも上り、少子化や人口減少の一因になっていると指摘する声も少なくなくない。でも、本当にそうなのか? 日本人と性、セックスレス社会の未来を考えたい。
 日本の性生活は欧州の半分以下
 日本の夫婦はどうも欧米の影響で「性生活がない=夫婦生活の破たん」と考えている風潮がある。この風潮を受けてマスコミでも「セックスレス=夫婦の危機」的な報道が多い。いつも取りあげられる有名なデータは性生活の国際比較である。2005年の避妊具の大手メーカーDurex社の調査ではギリシャ人の性生活の回数が1位で年間138回、続いてフランスなどの欧州が概ね年間100回くらいである。アジアは総じて少なく、年間80回ぐらいであるが、中でも少ないのが日本の45回である。実はもっと少なく、25回ほどという日本の調査もある。同様に性生活の満足度も低いようだ。
 家族計画研究センターの『男女の生活と意識に関する調査』でも既婚者のセックスレス(1カ月以上なし)が年々増加し、半数に近づいてきている。「面倒くさい」とか「仕事が忙しい」というのが理由らしい。
 年齢が上がった60歳以上のセックスレスは5割以上になる。しかし、最近は定年後の男性が再び精力を盛り返しているという。団塊世代が現役の時に読んでいた男性週刊誌では購読層の高齢化とともに「死ぬまでセックス」のような記事を毎週載せ始めたのもその兆候だ。高齢になると性機能が衰えるのは自然の成り行きだが、健康な日本人には性機能の難敵、動脈硬化・糖尿病などの病気に伴う器質性勃起不全はあまり多くない。
 40歳以降に性機能が衰える原因の多くは仕事や家族のストレスからの心因性勃起不全である。仕事のストレスがなくなった定年後に急に性機能が回復する例があっても不思議ではない。問題はお相手である。40歳くらいから疎遠になった妻に求めても拒絶され、風俗に通う高齢者も多いらしい。それがばれて熟年離婚の危機になる場合もある。
 ゆとりを取りすぎるとたちまち経済が立ち行かなくなる資源の少ない日本で、欧米のような夫婦生活やセックスライフを求めても難しいかもしれない。中高年夫婦の約半数がセックスレスであるならば、それは日本の標準かもしれない。回数を増やすだけでは解決できない深い問題があるのだろう。その一つは夫婦のコミュニケーションのようだ。セックスは究極のコミュニケーションと言われている。定年後に性機能が回復したといって、いきなり妻に求めるのはいかがなものか?女性に必要なのは夫婦の会話である。中高年女性の不満の多くは「夫が話を聞いてくれない」である。忙しすぎた現役時代を反省し、支えてくれた妻に感謝すれば妻もいろいろと話してくれるだろう。そんな時に「面倒くさい」「つまらない」と自室にこもってしまってはコミュニケーションどころではなく、熟年離婚も現実化する。
 家事などを覚えて自立すると、妻との会話は弾むようだ。実際、私が講師で呼ばれる「男の料理教室」に参加している定年を迎えた男性からは妻との会話が増えたと聞く。中高年夫婦の性生活の復活にはまず“自立・会話・ふれあい”からと肝に銘じたほうが良いだろう。(産経ニュース「オトナの外来」大阪樟蔭女子大学教授、石蔵文信 2016.05.26)
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 少子化と「男女平等」思想
 前々回のブログ「少子化と『男女平等』思想」について、Merciさんから「平等でなくても良いですが、どうしていつも女性が我慢を強いられる方法しかないのですか?」というコメントをいただいた。これはブログで紹介した国内最高齢の現役助産師、坂本フジヱ氏(91)が「(昔は)女性が旦那を立てることで夫婦関係や家庭が円満に運んだ」という趣旨の発言をしたことを指しているのだろう。坂本さんの判断では、当時の女性は我慢を強いられていたわけではない。それは「旦那を立てていても、実際は自分が上位。そういう家庭が多かった」という言葉に表れている。
 現在でもそうだ。家庭の財布の中の8割は女性が実権を握っているといわれる。子供や自分の衣服はもとより亭主のカジュアルウエアも自分が見立て、家具・インテリア、家電製品もほとんどすべて自分の好みで選んでいる。消費財メーカーやサービス業もそれを前提に商品企画を進めている。賢い女性は夫を立てつつ、楽しく自由に自分好みの生活設計を立てている、と考えられるのだ。夫は別の形で妻を立てている、あるいは尊重しているとも言える。
 だが、それでも「男は社会へ出てうまくやっている。犠牲を強いられるのは女性ばかりだ」と思う女性がふえた。女性にも男性と同様の仕事をやらせるべきだし、地位もポストも与えるべきだ、と考える。そこで、有権者の声を尊重する民主政治のもと、男女平等の労働、経済政策が進んだ。女性の自由が増したという点では望ましい社会になったと思う。でも、坂本さんはそれで夫婦は幸せになったのだろうか、行き過ぎてはいないかと疑問を向けたのである。再録すると--。
 男女雇用機会均等法ができて以降、家庭でも会社でも、女性と男性が同じような役割を果たすべきという考えが当たり前になりました。でも……(全く違う男女を)同じようにしたら歪みが出てくるんは当たり前です。セックスレスの夫婦は最近ほんとに多くて、深刻な問題やなぁと思うんですが、男と女がおんなじようになってきたら、セックスせん人が増えるんは分かる気もします
 女性が我慢を強いられるくらいなら、結婚しない男女やセックスレス夫婦がふえてもいいではないか。それも一つの考え方である。女性が自由に仕事をし、なおかつ夫婦仲良くという社会が望ましい。だが、男という「性」は多くの場合、女性に「立てて」もらわないと、結婚欲や性欲が失われてしまうようなのだ。
 もちろん「妻が仕事に出てバリバリ働き、夫はアルバイト程度に仕事をしているほかは、もっぱら家事、育児を担っている。それで夫婦はうまく行っている」という例はある。典型的な草食系亭主と肉食系夫人のカップルであり、私の知人にも見当たる(ただ、その場合でも、どこかで妻が夫を立てていることが少なくないが)。
 夫婦百景、十人十色。二人の仲がうまく行っていて、子供も健やかに育っているのなら、他人がとやかく言う筋合いではない。どちらがどれだけ外で働き、どっちがどの程度家庭を担うかは二人の自由である。ただ、確率的に安定しやすいのは男性が肉食系、女性が草食系という関係なのではないか。むりやりその関係を逆転、ないし同じ(平等)にすると、居心地の悪さから絶食系がふえる。特に女性よりも男性の方で絶食化が進む。現在はそういった状況ではなかろうか。(井本省吾「鎌倉橋残日録」2015.02.24)
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 日本人のセックスは「世界一コスパが悪い」らしい
 『山田昌弘
 山田昌弘中央大学文学部教授)
 21世紀に入って、日本のセックスレス化が止まらない。若者から中高年夫婦に至るまで、さまざまな調査データが、日本社会でセックスする人が減少し、セックスへの関心が低下していることを示している。
 2015年に実施された出生動向基本調査によると、若者で言えば、未婚率が上昇しているだけでなく、近年は、交際相手がいない人が増え、未婚者(18-34歳)で恋人がいる人は、男性で約2割、女性で約3割である。その上、交際相手がいない人の中で、交際相手が欲しいと思う人は半数を割ってしまった。性体験率も低下している。
 性体験がない人の割合は、20-24歳で男女とも約47%で、2002年の数字(男性34%、女性36%)にくらべ大きく上昇し、男性では1990年以前を上回ってしまった。(第16回出生動向調査・国立社会保障人口問題研究所)。さらに、家族計画協会の調査でも、性に関心をもたない人(既婚者含む)は、20代前半で男性21%、女性39%と2008年の数字(男性11%、女性25%)に比べ大幅に上昇している。恋人が欲しい、性体験したいという意欲までも低下しているのである。
 セックスの不活性化は、中高年夫婦にも及んでいる。家族計画協会の調査、そして、日本老年行動科学会セクシュアリティ研究会の経年調査でも、過去の調査に比べ、近年セックスレス夫婦が全世代で増加していること、夫婦間のセックス頻度が減少していることを示している。また、先に述べた出生動向調査の夫婦調査でも、夫婦間で避妊実行率は低下しているのに、妊娠率が低下していることも、夫婦間の性行動が不活発になっていることの傍証として使われている。
 そして、これらの結果は、諸外国からも注目を浴びている。もともと日本人夫婦のセックス頻度は、世界最低と言われていた(英国コンドームメーカー、デュレックス社調べ)。欧米人からセックスがひと月なければ普通離婚を考えるだろうとか、セックスがなくて夫婦で何の楽しみがあるのだと揶揄されたこともある。
 その日本でさらに、セックスレスが増えているというので、私のところには、欧米からの講演や取材依頼が殺到している状況である。2016年にイギリスで講演したときは、回答者はウソをついているのではという質問が来たが、先ほどの挙げた多くの調査では、昔の調査と比較したデータをとっている。調査でウソをつく人が近年、特に多くなったとは思えない、とも回答しておいたが…。
 日本は、伝統的に恋愛や性に対する関心が薄いという人もいる。しかし、私はそれは間違いだと思う。「万葉集」や「源氏物語」などを読めば、奈良時代や平安貴族の恋愛や性行動はけっこう奔放だったことが分かる。江戸時代には、西鶴が好色物語を書き、春画が流通していた。俳人小林一茶の日記には、毎日何回セックスしたか記されているが、一茶は晩年になっても毎日のようにセックスしていたことが分かっている。このような例をみると、日本人は伝統的にはセックスに寛容で楽しんでいた民族だと言ってもよい。
 戦後、1950年ごろまでは、今とは反対に人口政策のテーマは「人口抑制」であった。政府は、人工妊娠中絶をやりやすくし、避妊を普及させようとした。当時は、兄弟の数が平均4、つまり、夫婦は性的関係をもってどんどん子供が生まれていたのである。
 それが近年、特に21世紀に入ってから、未婚者も既婚者もセックス回数は減り、性に関する興味関心も低下してしまった。この原因に関しては、さまざまな説が唱えられている。若者に関しては「経済的に余裕がなくなった」「妊娠や性病の恐ろしさを強調する性教育で性や恋愛に関する恐怖心が植え付けられた」「ポルノがネットで簡単にみられるようになりセックスに対する好奇心が薄れた」「恋愛の失敗を恐れて消極的になっている」などの説がある。既婚者では「長時間労働で仕事が忙しくて暇がなくなった」などの説があり、いま私も含めた研究者が調査データを詳細に分析している。
 私が、一番大きな要因だと思うのは、恋人や夫婦の間でセックスが「面倒くさいもの」となったというものである。そして、この「面倒くさい」というキーワードは、英語に相当する言葉がなく、欧米人に説明してもなかなか分かってくれない日本特有の概念なのだ。
 お互いにセックスを「楽しむ」ためには、さまざまな努力や相手に対する気遣いが要求される。ただ単に身体的な満足だけではなくて、お互いの体に働きかけ、濃密にコミュニケーションが必要である。未婚者にとっては、その上に、恋人になってセックスできる関係にたどり着くという努力が要求される。これが面倒くささの背後にある。
 つまり、恋人や夫婦同士でセックスを楽しむに至るプロセスは、けっこう面倒であることがわかる。それでも、世界の人々、20世紀までの日本人の多くは、その面倒くささを乗り越えていたのだ。では、なぜ21世紀に入ると、セックスを面倒だと思う日本人が増えてきたのか。
 それは、恋人や夫婦間のセックスが、「コストパフォーマンスが悪い」と考えられるようになってきたと考えられる。つまり、セックスで得られる満足が、セックスにかけるコストを下回ると意識されるようになったのだ。それには、3つの理由が考えられる。順に述べていこう。
(1)恋人や夫婦間のセックスによる満足が至高のものだと考えられなくなったこと
 近代社会は、「恋愛」に至高の価値を見いだしてきた。お互いに好きになった同士(異性でも同性でも)が、セックスを伴った恋愛によって結ばれることが、生きる意味、時には経済的成功以上の意味を持つというイデオロギー(「恋愛至上主義」)が存在していた。だから、いくら面倒であっても、それを追求するのが人生にとって必要なこととされたのだ。欧米では、このイデオロギーが優勢である。
 しかし、日本では、近代社会になっても、カップル間の関係が至上のものだとする「恋愛第一主義」の価値観が、普及しなかったのではないか。すると、恋愛関係におけるセックスは、「特別」なことではなく、「あったらいいけど、なくてもよいもの」、つまり、コスパで考えてもよいものとなったのが、セックスレス化の背後にあると考えられる。
(2)恋愛のコストの上昇
 一方だけではなく、セックスによって、相手と自分の双方が身体的、精神的に満足することは、けっこうコミュニケーション努力を要する。そして、今、日本社会では、「空気を読む」など、仕事や友達関係で気遣い要求されることが多くなっている。そうすると、プライベートなセックスで、感情的努力をするコストが。ただ、仕事時間が長時間だからではなく、仕事で感情的努力を要求されているので、セックスの場までそのような努力をするのが、面倒くさくなっているのではないか。これが、第二の理由である。
(3)コスパのよい性欲満足代替手段の発展
 そして、恋人や夫婦とのセックス以外で「コスパのよい性的欲求の満足手段」が発展していることも背後に存在している。
 私がバーチャル・ロマンス、バーチャル恋愛といっているように、ポルノや性風俗、キャバクラ、メイドカフェに至るまで、疑似恋愛、性的満足を充足させる産業が発展している。お金さえ払えば、断られることなく、相手に気遣うこともなく、身体的性欲だけでなく、恋愛気分に浸ることも含めて、性的に満足することができる。何より、面倒くささを回避できる「コスパのよい」性的満足代替手段が存在している。
 この「恋愛至上主義が普及しなかったこと」「恋愛の面倒くささが相対的に大きくなっていること」「夫婦や恋人とではないコスパのよい代替手段が発達していること」、このような要因が組み合わさって、日本のセックスレス化を促進させているのではないだろうか。
 夫婦は経済的関係で子供を育てる共同経営者、ロマンスや性欲は面倒くさくない外部で楽しむ。このような社会に日本が向かっているのかもしれない。
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 なぜ日本人はセックスよりもオナニーが好きなのか
 『鈴木涼美
 鈴木涼美社会学者)
 放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ
 村上春樹の小説『風の歌を聴け』の有名な一文だが、日本のセックスの現状を調査で見ると、どうやら人は放って置いても死ぬが、放っておくと女と寝ないようである。このほど日本家族計画協会が発表した2016年の調査では既婚者・独身を含めて53%もの男性が、ここ一カ月セックスをしていないと答えており、女性も48%とどちらにせよ半数である。
 日本はセックストイやアダルトビデオなどのエロメディア、性風俗産業などセックス周辺のモノやビジネスは高度に発展していると言われる、いわゆるオナニー文化とヌキ産業の国である。そして各国と比較した英国のコンドームメーカーDurex社の調査などを見ると、中心にあるセックスだけがなぜかすっぽりと抜け落ちている。
 逆に言えば、そもそもセックスの回数が控えめでそこが抜け落ちているからこそのオナニー、風俗の発展があり、セックスをあまりしないというのはもはや国民性なのではないかと、私などは訝(いぶか)しんでいる。
 そんな日本で、セックスレスの悩みは何も現代に限ったことではないだろうが、最近では調査結果などがセンセーショナルに報道されたせいか、テレビや雑誌の特集が散見され、私も取材を受けることが増えた。「彼とセックスレスにならないためにできる努力は?」「夫婦のセックスレス少子化加速?」「若者たちの草食化でセックスに興味がない?」など。
 「そんなにセックスさせたいんですか?」というのが私の率直な意見ではある。セックスレス化をさもこれは由々しき問題であるというような見出しを見るたびに、あるいはセックスレスを問題化した番組や雑誌に意見を求められるたびに、ぼんやりと「したくないなら別にしないでも…」とも思う。
 そもそもセックスレスを問題視した特集の多くがさらっと深刻な少子化について触れているぐらいで、それ以外の問題点はイマイチ不明瞭である。日本の少子化に夫婦のセックスレスが無関係とは言えないが、トレンドとしての草食化やセックスへの興味の減退が少子化の直接的な要因となるように、私にはどうしても思えないのだ。
 大体、セックスレスの対義語が何であるのか知らないが、そういうセックスフルネス思考な人、セックス大好きな人、ヤリマンヤリチン、セックスを日常的によくしている人の方が避妊について万全である。低用量ピルを飲んでコンドームをつけて月に100回セックスするよりも、計画的な子作りのためのセックスを狙い撃ちで数回する方が妊娠する可能性は高い。
 特に、若者のセックスへの興味が減退しているという風潮については、無駄なセックスをして性感染症などにかかり、妊娠しづらくなっていた私たちの世代のような失敗がないし、セックスについてある程度冷静であるという点では効率的な子作りを割り切ってするようになるのではないかと個人的に思っている。そういった意味でもセックスレス少子化の相関関係について私は甚だ懐疑的である。
 故に、私は年がら年中セックスばかりしていそうなギリシャやフランス(Durex社2005年の調査ではセックス頻度がいずれも年に120回超)の真似をする必要は別にないし、セックスをあまりしないという国民性によって発展を遂げてきたエロ産業に誇りを持っても良いのではないか、と半ば本気で思っている。それは私自身がAV産業育ちであり、そのオナニー大好きな国民性によって支えられたバックボーンがあるからという事情ももちろんある。
 ただ、人間が「放って置いてもする」とされるセックスをあまりしないというのはやはり不自然であることには間違いない。私は対処すべき問題が大きく分けて二つあると思っている。
 第一に、これは初交年齢の上昇や性経験のない20代の増加などに関して特に言えるのだが、セックスをしようという努力と、セックスをしたいという原動力に欠けるのであるとしたら、それは大きな問題である。全ての欲望は性欲につながる、とは極端な言い方だが、学歴をつけ社会で出世する、に始まり、自分のアピールポイントを見つける、容姿に気を使う、人に好かれる努力をする、など多くの善行と消費の根底では「異性に好感を持たれたい、あわよくばセックスしたい」という欲求がかなりのウェイトを占めるのは間違いない。
 セックスをしたい、またはしてみたいが、機会に恵まれないのであればそれは何かしらの原動力になり、さらなる努力の後押しになる可能性があるが「セックスに興味がない」のであれば、これといって人に好かれる必要がない、究極的には社会で居場所を確保し、さらに上昇する必要がないということになる。
 したくないセックスを強要することはできないが、それならば、それに代替するほどに強力な自分へのドライブの掛け方、原動力、やる気の源のようなものが必要に思えるが、現在のところ、それほど見当たらない。若者のSNSでの言動などが際立って「どこか斜に構えている」感じがするのはそのせいなのではないかと私には見える。
 そもそもセックスへの欲望がなぜ動機付けとしてあんなにもインパクトがあるのかと言えば、セックス及びセックスにつながる恋愛というのが、最も努力や経歴、財力などにかかわらず起こり、またあまりに不確定要素が多いために、人は何かもっと別のもので努力や武装し、幾度もまたそれに挑戦しようとするからである。セックスへの欲望が希薄であれば、その努力がおろそかになるだけでなく、世の不条理への耐性が極めて低い人間が出来上がるように思える。
 第二に、夫婦のあり方について、現代日本は極めてヴェイグ(曖昧)な共通認識しかないということである。そもそも日本には欧米諸国のようなカップル文化は存在しない。個人的な話で申し訳ないが、私の両親はやや欧米ナイズされた人種で、仕事のパーティーや会合、出張などにカップルで参加する傾向があったのだが、それは明らかに日本社会では異質であり、やや空気を読まない変な夫婦として扱われていた。
 米国の離婚率の高さなどは日本でもたびたび取りざたされるが、あれほど「どこに行くにも一緒」のカップル文化の国で2組に1組が生涯添い遂げるというのはむしろ、かなり立派な数字なのではないかと私は思う。
 さて、それでは日本の場合はどうか。誤解を恐れずに簡略化して言えば、個人間ではやや欧米化された価値観が共有されつつあり、社会は特にそれに対応していない。結婚式の招待状もパーティーへのお誘いも基本的には個人宛なのであって、別に欧米のカップル文化がこちらに浸透しているとは思わないが、ご主人と奥様が作る運命共同体としての「イエ」という旧来の価値観はやや古いものになりつつある。
 恋人のような夫婦でいたいのか、盤石な「イエ」を作りたいのか、もしくは友情で結ばれた新しい形を目指すのか。その辺りの夫婦像というのが全体としてあまり統一して共有されていないため、当然くっついた男と女の間でも齟齬(そご)が起きる。夫婦というものを、そもそもセックス的なものから遠い存在としてイメージしている人もまだ多く残る中、セックスレスが離婚の原因としても認められる。
 そして一度セックスを夫婦の外に持ち出してしまえば、日本国中から糾弾される。今一度、夫婦やカップルというものがなんであるのか、一応でも大まかな合意をすべきところに来ているような気がする。
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🚷27〉─2─年金破綻を非難する政治家や誤魔化す政治家は政治家失格である。〜No.125No.126 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・   
 年金制度は破綻しても廃止されず細々と存続する。
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 年金は老人の小遣いであって生活費ではない。
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 年金制度の100年安心は、もともと存在しない。
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 年金制度とは、一人暮らしの老人が年金だけを生活費として老後を生活するようにできてはいない。
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 2019年6月30日号 サンデー毎日「100年安心の大ウソ
 国民憤然! 老後2,000万円問題
 年金制度の断末魔
 舛添要一厚労相が『消された報告書』を読み解く
 『老後の安心』の不都合な真実
 臭いものに蓋をするとはこのことか。夫婦の老後資金が公的年金以外に『30年間で約2,000万円必要』と試算した金融庁の報告書。あろうことか政府は大衆の面前で堂々と『もみ消し』に走ったのだ。一体全体、『100年安心』の年金は大ウソなのか──。
 4月12日、金融庁の特別会議室で開かれた、金融審議会の『市場ワーキンググループ』。金融や社会保障に詳しい大学教授やエコノミストら約20人の委員を前に、厚生労働省企業年金個人年金課長が次のように説明した。
 『引退して無職となった高齢者世帯の家計は、主に社会保障給付により賄われています。現在、高齢夫婦無職世帯の実収入20万9,198円と家計支出26万3,718円との差は月5.5万円程度となっております』
 社会保障給付とは年金のこと。資料を基にしたその収支不足が……である。厚労省のこの説明が、後に金融庁の『高齢社会における資産形成・管理』報告書で試算された『老後資金2,000万円』につながっていく。
 平均寿命が延び、生涯で必要な生活費の総額が増える一方、少子高齢化で将来受け取る祢ン員が今より減るという事実をデータで示し、人生の早い時期から計画的に資産形成に励むよう促している。金融庁の狙いはともあれ、『消えた年金の悪夢』のトラウマを抱える安倍晋三政権への〝忖度〟が足りなかったらしい。『老後資産2,000万円』が独り歩きしたのだ。
 政府・与党の迷走ぶりが騒動をさらにエスカレートさせた。
 ……
 数々のデータを用いて、国民に『長生きリスク』へ備える為の警鐘を鳴らしたにすぎない──。舛添氏は報告書をそう読み解くのだ。……、舛添氏が『長生きリスク』と日本社会の課題をこう解説する。
 『第二次世界大戦後に構築されたさまざまな制度は、長寿を前提として作られていない。国民年金は1961年に始まりましたが、この年の平均寿命は男性66.03歳、女性70.79歳。当時の男性は60歳で仕事を辞めた後、年金のお世話になるのは平均で約5年にすぎなかった。現在の平均寿命は約81歳。65歳で定年退職すると、約15年も年金に頼ることになる。年金制度をどう維持していくか、大きな問題になるのは当然です』
 年金とは働けなくなった老後のための保険ともいえる。少子高齢化で保険料を納める現役の『支え手』が減り、年金を受け取る高齢者が増えれば年金財政が行き詰まるのは明白だ。医療技術の発達で長寿化はいっそう進展する。これは『老後の安心』を支える年金制度の不都合な真実でもある。
 〝70歳現役社会〟に向けた制度設計
 『医療費も同じです。2015年度の国民医療費は42兆3,644億円ですが、このうち65歳が25兆1,276億円(59.3%)。70歳以上で見ると20兆2,512億円(47.8%)、75歳以上だと15兆1,629億円(35.8%)です。30年前は75歳以上の高齢者は少なくなかった。でも今、その世代の医療費が全医療費の3分の1以上を占めています』
 ……
 『長寿化が進む今、このままでは年金制度は持たない。年金の受給開始年齢を70歳からにすべきで、そのためには70歳まで働ける社会を確立しなければならない。70歳現役を基準に年金や医療などの制度を作り変える必要があります。私は自分を高齢者だと思っていません。失業者ですが・・・。とにかく70歳を高齢者と呼ばない社会を作るのです』
 ……
 日本老年医学会なども高齢者の定義を『75歳』へ引き上げる提言をしている。賛否両論あるだろうが、舛添氏の『70歳現役宣言』は、決して絵空事ではない。
 『金融庁の報告書より問題なのは、5年に1度行われる公的年金財政検証がまだ公表されていないことです。公表すると、野党やメディアが揚げ足取りをするからでしょう。悲観的なデータも含めて、政府は正確な情報を国民に伝えるべきです。カネは天から降ってくるわけではありません。保険料などの負担を増やすか、支給を減らすしか方法はないのです』(舛添氏)
 参院選を前に厚労省は安倍政権に〝忖度〟しているのか。断末魔の年金制度。正面から論議し、制度設計をし直す時が来ている。
 本誌・山本浩資 」
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 現在、年金問題を議論している政治家、官僚、メディア関係者、学者、専門家などの高学歴出身知的エリートは、30年~40年以内にその大半が鬼籍に入ってこの世にはいない。
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 人生100年時代とは、動けるうちは働く、死ぬまで働く、生涯現役時代である。
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 年金制度は、1955~73年の人口爆発期と高度経済成長期に作られた。
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 年金制度とは、家族も子供も親族もいない一人暮らしの孤独老人を想定していし、投資をしていなくとも多少なりとも貯蓄をしている家族内老人を想定している。
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 年金制度が始まった当時、10人の現役世代が1人の年金世代を支えていた。
 老人にとって、年金は生活費ではなく小遣いであった。
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 戦後復興や高度経済発展期を働いて生きてきた高齢者は、生活に困らない年金額を貰って安心した老後生活を迎える権利がある。
 戦後生まれでバブル経済期を享楽した世代の老人は、その限りではない。
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 2,000万円以上の老後資産形成が必要な世代とは、今の高齢者・年金世代ではなく、20年~30年後に年金世代となる低賃金貯蓄なしの現役世代である。
 40年以降の年金世代が必要な老後資金は、3,000万円~5,000万円になるといわれている。
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 少子高齢化による人口激減は、金を納める若者・現役世代が減少し、金を受け取る老人・引退世代が増加する事である。
 つまり、生産する労働者ではなく、購買する消費者である。
 老人は、若者に比べて分別ある買い物と無駄に大金を浪費しない。
 つまり、資産を持っていたとしても老い先短い老人は、幾度もやり直しができる若者に比べて好ましい消費者ではない。
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 外国人移民(主に中国人移民)を幾ら増やしても、好ましい労働者になっても好ましい消費者にはならない。
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 2019年6月28日号 週刊朝日田原総一郎のギロン堂 そこが聞きたい!
 年金巡る〝臭い物に蓋〟の愚考 野党は好機を掌握せよ
 ……
 2004年の年金改革で、自民党政府は『100年安心』とアピールしていた。報告書の内容を知った野党各党は、『100年安心とはうそだったのか。2,000万円ためろとはどういうことなのか』と政府を攻めた。すると、安倍晋三首相は国会で、『100年安心はうそではない』と答弁し、激しい論戦になった。
 私は、この国会の論戦をテレビで見ていたのだが、野党はこの問題を参議院選挙の争点にしようとしているのだが、と強く感じた。
 だが、本当の年金問題はもっと根本にある。現在の年金制度は、あくまで年金を掛ける世代の人数が減らないことが前提になっている。ところが、人口減少、少子高齢化で、年金を掛ける世代の人数は年々減少し、逆に年金を受け取る高齢世代の人数が増加している。厚生年金、国民年金と分かれていることも問題だ。国民年金だと、受給年齢になっても受取額は生活保護の給付額よりも少ないのである。国民年金だけではとても生活できないことになっている。
 私は民主党政権時、そして第二次安倍内閣のときも、厚生労働省の幹部や政府与党の幹部たちに、年金制度をどうするのか執拗に問うた。すると、いじれも『現在の年金制度は破綻する。だから改革しなければならない』という点で一致していた。
 だから、どのように改革するかが難題なのである。」
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現代日本人は、口では改革やイノベーションの重要性を力説するが、実際は何もできず破綻・崩壊・破滅するまで唖然・茫然と立ち尽くしている。 
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 日本の人口は、1868年の明治初期に約3,000万人が、1945年に約7,000万人に、1990年頃に約1億2,000万人に爆発した。
 平均寿命は、明治時代頃は40歳前後、1960年頃は男性66歳・女性71歳、1990年頃は男性75歳・女性80歳であった。
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 高度経済発展期は、毎年給料はアップされ将来に対して明るい夢を抱く事ができ、物価は安く、我慢すれば狭いながらも土地付き一軒家の我が家が買える望みがあった。
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 人口爆発期は、若者が多く、老人が少ない、未来に希望を持ち、将来に夢を抱き、社会は活気に溢れ、意欲で国は急速に発展していった。
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 戦後の人口爆発は、1947~49年の第一次ベビーブームで起爆となり、地方・農村部の中学卒業生は「金の卵」と呼ばれ都市に集団就職した。
 戦前の「産めよ殖やせよ」政策の余韻であった。
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 家族構成は、祖父母・親・子供といった大家族で、貧しい地方・農家の親や若者は都市の工場や作業場出稼ぎに出た。
 父親・夫・息子が出稼ぎに行った家庭では、朝から晩まで爺ちゃん・婆ちゃん・母ちゃんの三ちゃん農業を行っていた。
 貧しさと子沢山ゆえに、娘・女性も働かざるを得なかった。
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 財政にゆとりのない政府は、インフラ整備などに充てる財源を確保する為に様々な名目で国民から徴収した。
 その一つが、年金制度である。
 年金制度は、人口爆発と高度経済を原資として生まれた。
 納められた金は、金額を台帳に記載するが、その金を公共投資などに回し、投資などで運営して利益を上げる。
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 人口が激減し経済が衰退すれば、年金制度が破綻するのは当然であった。
 その原因をつくったのは日本人である。
 その原因に日本人を誘導したのがマスメディアである。
 つまり、誰のせいでもない、バブル崩壊後に日本人が自分で招いた結果である。
 マスコミ・マスメディアに、上手く煽てられ、褒められた有頂天となって踊ってしまった現代日本人の自業自得である。
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 年金制度の破綻の原因は、第三次ベビーブーム不発による人口激減、バブル経済崩壊後の経済再建の失敗、核家族化して独居老人の急増である。
 つまり、マスコミに煽られた、一時代を風靡した独身貴族、優雅なお一人様、パラサイト・シングル、金が欲しい時だけ働いて生活をエンジョイする派遣社員、借金も財産の内などなど。
 それは、イソップ寓話の「働いて蓄えたアリと働かず蓄えず遊び呆けたキリギリス(セミ)」の物語の結末である。
 キリギリス(セミ)が、人を楽しませるような芸(芸能・芸術)があれば救いようもあるが、無芸無職で酒と賭け事・ギャンブル・カジノが唯一の趣味という放蕩であれば救いようがない。
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 現代の年金受給老人世代は、不況といっても日本経済がまだ堅調で安定しているから困る事はない。
 人口が急速に激減していく50代より若い世代にこそ、経済が今以上の活況を持って利益を上げなければ年金問題が深刻化する。
 現在日本が抱えている約1,100兆円以上の財政赤字は、人口を減少しながら将来を生きる貧困化する若い世代に対する返済不能の重い借金である。
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6月17日 産経新聞「【産経・FNN合同世論調査】国民は冷静…老後は年金だけ「思ってない」8割超に
 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)は15、16両日、合同世論調査を実施した。金融庁金融審議会が報告書で、公的年金だけでは老後資金が2千万円不足すると試算したことを受け、年金制度について「不信感が増した」との回答が51・0%に上り、「変わらない」の44・6%を上回った。
 「これまで老後は年金だけで暮らしていけると思っていたか」との質問では「思っていなかった」が84・2%に達し、「思っていた」の13・9%を大きく上回った。政府が「100年安心」の年金制度を主張する中、公的年金がもともと老後資金の全てを賄う設計とはなっていないことに対する国民の冷静な受け止めがうかがえた。
 麻生太郎金融担当相が報告書を受理しない対応については「適切でない」との回答が72・4%を占めた。自民党支持層に限っても68・7%が「適切でない」と回答した。
 安倍晋三内閣の支持率は47・3%で、前回調査(5月11、12両日実施)より3・4ポイント減り、不支持率は同1・6ポイント増の36・5%だった。自民党の支持率も前回比5・1ポイント減の35・9%となり、「2千万円問題」が影響したとみられる。
 菅義偉(すが・よしひで)官房長官は17日に国会内で開かれた政府・与党協議会で、報告書について「冷静に丁寧に説明し、不安をあおることのないように進めたい」と述べた。自民党が17日に開いた全国幹事長会議の出席者からも「大事な時期に不安要素が出た。極力こういうことは避けなければならない」との批判が出た。
 一方、野党はこの問題を政府の失策とし、夏の参院選での争点化をもくろむが、政党支持率は伸び悩んでいる。立憲民主は前回比0・6ポイント減の6・8%、国民民主も同0・6ポイント減の0・5%にとどまった。国民が冷静に年金制度をとらえている中、批判だけで支持を得るのは難しいようだ。
 立憲民主は「高齢者の不安に対応できる医療や介護の体制を早期に作り上げることが対案だ」(枝野幸男代表)としており、近く発表する参院選公約での具体策が注目される。」
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 6月18日13:23 産経新聞金融庁「老後3000万円必要」 4月に試算を金融審に提示
 金融庁=東京都千代田区霞が関
 2千万円の蓄えが必要とした金融庁金融審議会の報告書問題で、麻生太郎財務相兼金融担当相は18日の記者会見で、金融庁が今年4月に開いた金融審で、老後に必要な資産形成額を「30年で1500万~3千万円」と独自に試算した事務局説明資料を示していたことを明らかにした。
 報告書をめぐり麻生氏は「公的年金である程度まかなえるという政府の政策スタンスと異なる」と受け取りを拒否したが、金融庁公的年金でまかなえない金額を独自に試算していたことになる。麻生氏は「最終報告書でなく途中経過の話。一定の仮定を置いたもので、一律に個人が必要な資産形成額を示したものでない」と述べた。
 説明資料では総務省の家計調査などを基に、1カ月の支出を約25万円と仮定。その場合30年間で9千万円が生活費として必要となるが、住宅の修繕費や医療費など「不測の支出」も500万~2千万円あるとし、計9500万~1億1千万円の支出があると試算した。その上で、厚生労働省の調査などを用いて公的年金私的年金、退職金などを合算。その場合、1500万~3千万円の資産形成額が必要とした。
 問題となっている報告書ではこの試算は用いず、収入と支出のいずれも総務省の家計調査を用い、平均で毎月5万円の差があることから、2千万円が必要と試算した。」
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 6月18日17:57 産経新聞「安倍首相、老後2000万円は「乱暴な議論で不適切」
 参院厚生労働委員会で答弁を行う安倍晋三首相=18日午後、国会・参院第43委員会室(春名中撮影)
 安倍晋三首相は18日の参院厚生労働委員会で、95歳まで生きるには夫婦で2000万円の蓄えが必要と試算した金融庁金融審議会の報告書について「乱暴な議論で不適切だった」と述べ、国民の不安を払拭するため説明を重ねる考えを強調した。報告書に関し「老後の生活費があたかも一律に月5万円の赤字かのような誤解と不安を国民に与える。高齢者の(生活の)実態はさまざまだ」と語った。」
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⛲17〉─3─下流老人のウソ。〜No.76 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・   
 産経新聞IiRONNA「関連テーマ 「下流老人」のウソ
 下流老人に老後破産。老後リスクを扱う書籍や雑誌は、年金目減りにおびえるシニアのマインドには刺さったが、日本の貧困問題は、実は現役世代の方が根が深いのだ。
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 アベノミクスを阻む「年金制度の壁」は一刻も早く撤廃すべき
 『月刊Wedge
 熊野英生(第一生命経済研究所首席エコノミスト
 2016年の経済政策はアベノミクス第2ステージとして名目GDP600兆円に向けた消費喚起が大きなテーマになっている。その前提として、14年の消費悪化をしっかりと振り返っておく必要がある。
 14年4月の消費税増税のせいで賃上げの効果が相殺されたというのが通説だが、これは正確ではない。詳しく分析すると、高齢者無職世帯の消費落ち込みが大きかったことが分かる。60歳以上の無職世帯の14年の消費支出は前年比1・5%減であった。勤労者世帯の消費支出が同0.1%増であったのとは対照的であり、高齢者無職世帯が消費低下を引っぱったといっても過言ではないだろう。
 国民に提供する福祉・介護などの高齢者サービスの負担をまかなうために、17年4月の消費税の再増税は回避できない側面がある。しかし、14年を教訓として高齢者の消費支出を減らさないようにしなければ、600兆円など夢のまた夢である。
 高齢者向けの直接給付を増やせばもちろん、消費は増えるだろう。しかし、それには限界がある。まず必要な政策対応は、高齢者の勤労収入を増やすための環境を整えることだ。これは消費税再増税のときに避けては通れない課題である。そのためにはまず、「年金制度の壁」を取り払うことが必要となる。
 総世帯数のうち、世帯主60歳以上の高齢世帯の割合は、すでに53・2%(15年7~9月)と過半数を占める。その7割は無職世帯であり、彼らの主な収入源は公的年金である。
 60歳以上の人口がどのように推移するのかを、国立社会保障・人口問題研究所の中位推計に基づいて調べると、17~25年までの年平均の伸び率は0・4%とごく僅かな人口増加ペースになっていく。さらに、40年には減少に転じる見通しである。
 加齢とともに縮小する消費
 高齢者世帯の中でも〝高齢化〟が進んでおり、加齢とともに世帯の消費支出は縮小している。年代別の消費支出額をみると、世帯主年齢が60歳代の時期が最も多く、70歳以上になると急速に少なくなる。シニア世帯の中で、勤労を続ける割合は、60歳代から70歳代にかけて漸減し、70歳を超えると一段と減少していく。だから、加齢とともに消費金額も減っていく格好になる。高齢者人口の増加だけをもってして、シニア消費が今後増えていくことは期待しづらい。
 過去10年間、シニア消費は年3・6%のペースで高成長を遂げてきた。背景には、団塊世代(1947~49年生まれ)のボリュームゾーンが60歳以上になっていく効果があった。しかし彼らも、16年時点では67~69歳に達し、消費支出を減らしていくステージに移行する。東京五輪が開催される頃の消費市場は、団塊消費の存在感がいくらか小さくなるだろう。
 シニア消費の悲観的な未来を好転させるにはどうしたらいいのか。
 現在、60歳以上の総人口は、4241万人(15年12月初)。それに対して、公的年金受給者数(重複を除く)は、3991万人(15年3月末)である。もちろん、彼らが受け取る公的年金の支給額が増えれば、シニア消費も増えるはずである。
 しかし、それは不可能に近い。公的年金には物価スライド制があり、前年の消費者物価また賃金上昇率が1%上昇すれば、それに応じて年金支給額も増える仕組みであるが、そこにはマクロ経済スライドという制度が組み込まれている。それは、インフレ率や賃上げ率よりも少ないペースでしか年金支給額が増えていかないルールである。
 目減りしていく年金支給額
 例えば、14年は消費者物価(総合)が2・7%、賃金上昇率(名目手取り)が2・3%の上昇率になった。物価スライドでは、消費者物価と賃金上昇率の低い方を基準にして、マクロ経済スライド分の0・9%を差し引くことになっている。この0・9%は公的年金制度の収支を長期的に維持するために、年金加入者の減少や平均寿命の伸びを勘案して決められている。年金財政の今後の展望を考えると、マクロ経済スライドを廃止することは難しい。
 15年度に限ってみると、過去の年金支給額を物価下落分だけ減らさなかった過払い分の調整がここに加わって、さらに0・5%ほど減額された。
 年金支給額が15年4月に物価スライドで増加した比率は、0・9%(=2・3%?0・9%?0・5%)だった。15年といえば、消費税率が5%から8%へと引き上げられた翌年だ。年金支給額が0・9%しか増えなかったことで、実質的に年金支給額は切り下げられたのだ。
 以上のことを勘案すると、シニア世帯の収入が増えるための活路は、公的年金収入以外に頼らざるを得ない。
 政策対応を考えるとすれば、①高齢者の事業収入を増やすか、②労働参加率を高めるか、③株価上昇を促して資産効果を発揮させるか、④預金金利を引き上げて財産収入を増やすのか、などの方法がある。まずは①、②の環境整備を行い、勤労収入の増加を行うことが必要だ。
 現在の家計収支の状況を調べると、60歳以上の勤労者世帯は、勤め先収入が月27・5万円(14年)。これは無職世帯(年金生活世帯)の月収入16・0万円(夫婦計)を大きく上回る。事業収入もあるが、それには多くは期待できない。
 勤労意欲を削ぐ”年金制度の壁”
 しかし、そこに大きな壁が立ちはだかる。年金収入と勤労収入を合算して、毎月28万円以上になると、それを超過したときに超過額の2分の1ほど年金収入を減らしていくという在職老齢年金制度の調整があるからである。これが「年金制度の壁」だ。
 60歳以上の有業者数は、1267万人(12年10月)。このうち、雇用者に限ると、正規雇用者は31%に過ぎず、非正規雇用者は69%である。定年延長が行われても、給与水準を減らしたり、非正規形態を選択する人が多い。
 高齢者は十分に働く能力があっても、自分がもらえるはずの年金が削減されることを嫌って、勤労収入を低く抑える傾向がある。給与所得よりも年金所得に対する控除が手厚いので、年金を減らされるくらいならば、低賃金で働く方がましだと考える高齢者も多いからだ。
 こうした28万円の壁は、60~64歳に適用される「檻」のような存在になっている。なお、65歳以上の高齢者については、年金と給与の合計が47万円を超えると、年金支給が停止されるという47万円の壁が存在する。
 筆者は、シニア層の勤労意欲を高めるためには、一刻も早く28万円の壁を撤廃すべきだと考える。これほど日本の成長力を死蔵させている残念な仕組みはない。
 しかし、現在、厚生年金の報酬比例部分の支給開始が65歳へと段階的に引き上げられている途上であり、在職老齢年金制度を見直そうという機運は乏しい。過去、11年に見直しの機運が高まったが、その後の政権交代で改革は宙に浮いたまま先送りされた経緯もある。安倍政権下でも、女性の活用を掲げて、配偶者控除の見直しに動こうとするが、在職老齢年金の見直しは後回しにされているようにみえる。
 筆者が在職老齢年金の見直しの優先順位が先だと考えている理由は、それが年金問題の改善にもなり得るからだ。もしも、シニアの高度人材が一段と所得水準を上げることになると、シニア層の給与所得から支払われる年金保険料が増える。すると、年金収支の改善が見込まれて、マクロ経済スライドの必要額を減らすこともできる。
 前述のとおりシニア消費に悲観的な未来が予測されるなか実現が難しいことは否めない。しかし、本質的に年金問題を解決するには、給与所得の総額を大幅に増やして、年金保険料の総額を増やすことが最善の道である。筆者は、社会保障と雇用を一体化して変革することが、わが国の社会保障システムにある活路であると信じている。
 くまの ひでお 1990年横浜国立大学経済学部を卒業後、日本銀行に入行。同行調査統計局等を経て、2000年7月に退職。同年8月に第一生命経済研究所に入社。11年4月より現職。
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 バラマキでは効果薄 シニアの財布の紐はこうやれば緩む
 『月刊Wedge
 飯田泰之明治大学政治経済学部准教授)
 聞き手・構成 Wedge編集部
 今国会では低年金受給者の消費を下支えするために、3万円を臨時支給する補正予算案が審議される。一時的な現金の支給は貯蓄に回り、消費への影響は小さいだろう。使用期限や用途が決まったクーポンなどの方が、まだ効果的かもしれない。恒常的に高齢者の消費を下支えするには、社会保障制度と税制の抜本的な改革が必要である。
 高齢者の消費を抑制する要因は「想定よりも長生きした場合の将来不安」と「子孫に財産を残そうという動機」というある意味正反対の2つの理由に拠ると考えられる。経済理論では前者をライフサイクル仮説、後者をダイナスティ(王朝)仮説と呼ぶ。
 ライフサイクル仮説では、若い頃に働いて貯めた貯蓄を、生涯をかけて取り崩していくという消費行動を想定している。このとき、遺産は想定よりも短命に終わったために使い残してしまった額ということになるわけだ。
 一方、ダイナスティ仮説では自己だけでなく子孫の繁栄まで考慮した消費・貯蓄を行う。なお、両者のある意味中間とも言える考え方に、財産を見せ金にして子孫から介護サービスを引き出そうとする「戦略的遺産動機」というものもある。
 どちらの仮説が正しいかについては判断の分かれるところだが、いずれにせよ、高齢者の消費を喚起するには、将来不安を和らげるセーフティネットの整備と遺産動機の低減策とがセットで必要になる。
 将来不安の緩和には、例えば高齢者に毎月6万円を一律支給する最低保障年金や高齢者給付金制度への移行などが考えられる。このような一律の制度に移行すると無年金・低年金の高齢者はいなくなる。
 この財源は相続税の引き上げにより確保することが望ましい。相続税を引き上げると遺産動機も弱まり、貯蓄が消費に回るからだ。
 日本の相続税は、相続対象の相続資産額は年間で約80兆円にも上るが、控除額が大きく約1.5兆円しか納税されていない。そこで控除額を配偶者は2000万円に、子は1人当たり100万円に引き下げ、課税額を一律20%に引き上げると、相続財産額が大きくなる将来的には毎年10兆円は捻出できる。これを原資にして社会保障を拡充すれば良いのだ。ちなみに、相続税増税できれば、現役世代の階層の固定化を避けられ、格差社会も是正される。
 このような最低保障年金や高齢者給付金での生活を維持するためには、高齢者が部分的に働き続けられる労働環境を作らなければならない。現在も高齢者向けの求人は少なくない。技能労働者や専門性の高い職種では高齢者の雇用は拡大している。一方、健康で身体は動くが、専門的な知識や技能を持たない高齢者がいかに稼げるかが、今後の大きな課題である。
 老齢年金は72歳で「元が取れる」ようになっており、平均寿命が80歳を超える高齢社会では現行のまま持つはずがない。支給開始年齢は引き上げざるを得ない状況にあることから、企業も高齢社員を70歳まで適度な給与水準で継続雇用する方法を模索していくことになろう。
 いいだ やすゆき 1975年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。駒澤大学准教授を経て、2013年より現職。財務省財務総合政策研究所上席客員研究員。専門は日本経済・ビジネスエコノミクス・経済政策・マクロ経済学
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🧣25〉─1─モンスター生徒。ニッポンの教師は絶望の未来しかない。~No.77No.78No79 ㉑ 

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 「モンスター生徒」それでも守るべき?
今年1月、東京都立高校で起きた生徒への体罰動画がネットで拡散し、物議を醸した。体罰は厳禁とはいえ、繰り返し挑発した生徒の問題行動も浮き彫りとなり、キレた教師への同情も広がったが、学校側は最後まで「教諭に非がある」と生徒をかばった。「モンスター生徒」はそれでも守られるべきなのか。
モンスター生徒への「いびつな懲戒制度」が教師を狂わせる
 『高橋知典』 2019/02/12
 高橋知典(弁護士)
 東京都町田市の都立町田総合高校で、生活指導担当の50代の男性教諭が、高校1年の男子生徒(16)の顔を殴るなどの体罰を加え、暴行の場面を撮影したとみられる動画が会員制交流サイト「ツイッター」で拡散した。生徒が教諭に「ツイッターで炎上させるぞ」「小さい脳みそでよく考えろよ」などの暴言を浴びせた後、教諭が暴行する様子が収められていた。都教委は処分を検討している。
 都教委によると、体罰があったのは今年1月。生徒がピアスをつけて登校したことがきっかけで口論となった際、教諭が生徒の顔を拳で殴り、腕をつかんで引きずるなどの暴行を加えたという。生徒は打撲や口の中を切るけがをした。
 学校側は体罰を受けた生徒と保護者に既に謝罪した。問題の教諭は「生徒の言葉にカッとなって暴力をふるってしまった」と説明しているという。日常的に体罰があったという事実は今のところ確認されておらず、温厚で信頼のある教諭が「なぜ?」と周囲では話題になった。
 教員による懲戒としての体罰は、日本では法律によって完全に禁止されている(学校教育法11条但書)。このため、体罰に至った理由は何であれ、本件の教諭に関して、何らかの処分が下されることになるだろう。一方で、教諭が手を出すまでの生徒とのやりとりを見ていると、教諭は意図的にあおられ、手を出したところを撮影することが目的になっているようにも見える。教諭側への同情の声も聞かれるゆえんである。
 しかし、この事件は、単に学校教員が生徒を体罰した短気な点や、あおった生徒のずるさといった問題以上に、現実に合わない懲戒制度で対応せざるを得ない教員と生徒の力関係の複雑さや歪(いびつ)さを映し出しているように見える。
 禁止されている体罰は、いわゆる直接的な暴力と「被罰者に肉体的苦痛を与えるようなもの」がこれに当たる。例えば、「別室指導のため給食の時間を含めて生徒を長く別室に留め置き、一切室外に出ることを許さない」指導なども体罰に該当することになる。
 実際に、教員が生徒に体罰を行った場合には、教員として免職処分など厳しい処分が行われることもある。また、刑事処分としても、暴行罪や傷害罪が成立する可能性があり、生徒の所持品などを壊せば器物損壊罪に該当する可能性もある。
 以上のように、体罰を行った教員側には刑事処分を含め、厳しい対応が行われる。
 一方、日本において、生徒に対する懲戒は基本的に、訓告、停学、退学処分である。また、学校によっては「停学ではない」自宅謹慎や、別室授業として保健室のような場所で学校内謹慎を行わせることや、放課後の居残りをさせたり、宿題を厚くしたりすることも懲戒制度としては認められている。ただし、小学校や中学校では、義務教育課程のため、公立私立を問わず教育の機会を奪う停学処分は行うことができず、公立学校では退学処分を行うことができない。
 危険だと言ってモノを取り上げようとするものなら「体罰だ」(厳密には安全確保のための正当行為であって体罰には当たらない)と言われ、保護者からもクレームが入りと、大騒ぎになることがあるのだ。さらには、居残り授業なども、本人がボイコットして帰ってしまえば、事実上強制的に従わせるようなことはできず、親が非協力的であれば、その子は指導を受ける機会を失う。
 今回の事件の舞台は高校のため、暴言や校則違反を理由に、退学処分はともかくとしても停学処分や訓告処分にすることはできた可能性があるが、公立の小中学校では、停学や退学といった強力な処分を持たず、不服を述べる保護者を止める術がない。結果、周りの生徒や保護者や教員に我慢をさせて、卒業まで当該生徒の行動と向き合うこともなく、ただやり過ごすことになる。
 これは、単に「体罰がないからコントロールが効かなくなった」というものではないだろうが、学校が厳しい態度で生徒や保護者に接することが難しいがゆえの影響と言える。
 また、私立の学校や公立の高校では、停学などの懲戒処分ができるといっても、停学処分や退学処分は、結果的に生徒の「学校での学びの機会」を失わせるだけで、実際には生徒の反省の機会に結びつかないということが指摘される。
 例えば、アメリカでは生徒に対する懲戒制度は州ごとに特色があり、州によっては一定の手続きの下に、体罰を行うことができると規定されている。
その制度自体は、ハンドブックで規則とそれに違反した場合の懲戒手段(体罰の有無)を事前に示し、事前に体罰を了承する旨の文書を保護者から得て、校長のみが体罰を行使し、定められたパドル(paddle)と呼ばれる木の板で3~5回打つ。また校長以外に証人が見届け、事後は記録し保護者や教育委員会に報告する、といったような手続きに基づいて体罰を行うことができるとするものである。
 体罰といっても決してヒステリックに生徒を叩くことを認めたものではないが、一方で体罰による教育効果を前提としている。
 懲戒制度について、特に退学処分や停学処分といった懲戒だけでは、結果的に生徒に低い自己評価しか与えられず、生徒が法制度に触れる行為に走る危険性を高めてしまうことが指摘されている。教育の機会を失った生徒たちのドロップアウトが加速し、学校生活のみならず社会生活の障害にもつながりかねない。国という単位でみても損失を招きかねない重大な問題と把握されている。
 その一つの回答として、停学や退学で教育の機会を失わせるよりも、体罰で短時間的に解消することの方が生徒の「教育の機会喪失」を少なく済ませられるという見方をしているようだ。
 また、体罰以外の懲戒制度自体も細かく規定が定められており、例えば懲戒制度の流れも、生徒への注意、保護者面接、課外活動などへの参加禁止、教室から隔離し校内の別の場所で課題を行うこと、一定期間の停学というように、懲戒制度の運用が厳密に規定されている。小さい問題のうちに、厳正に対処することが心がけられているのだ。
 以上のように海外でも学校運営の課題に対し、さまざまな工夫をしながら懲戒制度を定めている。現状の日本では、小中学校で懲戒制度が事実上機能しがたく、かといって高校や私学で実施できる懲戒制度でも、停学処分や退学処分といった懲戒だけでは、生徒に無目的な休みを与え、教育チャンスを失わせるばかりで、発展的な解決につながりづらい。
 これでは、真の意味で教育を必要とする生徒たちほど、そのチャンスを欠いたまま、大人になることになる。
 ただし、体罰自体が持っている生徒への悪影響が科学的に指摘されて久しいことから、体罰を用いた教育が今後、日本の教育で用いられるべきかといえば、私は反対だ。
 私は弁護士として、いじめ問題の改善のために学校に行くことが多いが、いじめっ子たちから「あいつは空気が読めないから叩かれて仕方がない」などと彼らなりの正論をよく聞く。まさに、体罰による教育を子供が、子供なりに、子供に向かって行っているのだ。
 一方で、学校教員が生徒に対し、しっかりと指導できないならば、明確な事前の手続きを踏まえた上での、感情的な攻撃ではない、体罰以外の懲戒制度を持つ必要もあるだろう。そのためには、例えば一定期間社会奉仕活動への従事を義務付けることなど、今よりも広い懲戒制度の在り方も考えられると思う。
 また、懲戒はあくまでも、はっきりとした目的を生徒たちと共有することで成り立つ。そういった意味では、懲戒制度を教育制度の一環にするためには、明確な手続きの設定と最低でも教員が一人一人の生徒と向き合って話せる環境を作る必要がある。特に生徒の特性を理解するために、発達心理学などの専門的知識による分析があるべきだと思う。
 今回の事件は、現在の日本の教育制度、特に懲戒制度の課題にもつながる。「単なる体罰の是非」ではなく、教員と生徒の在り方や、学校が行うことができる懲戒とそれを受けた生徒たちが何を感じるのか。また、こうした事件が起きるまでの間にあったはずの小学校や中学校での教育では、他にもっと何かできなかったのか。具体的に検討されるべきだろう。
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 元都立高教諭手記「ニッポンの教師は絶望の未来しかないのか」
 『高橋勝也』 2019/02/12
 高橋勝也(元都立高教諭、名古屋経済大准教授)
 学校教育法は、決して体罰を認めていない。そして刑法は、暴行を許さない。東京都立町田総合高校で今年1月、50代の男性教師が校則違反を指摘した男子生徒に挑発的な暴言を浴びせられ、殴るなどした暴行問題は、どちらにも該当することであり、絶対に許されるものではない。
 だが、今回のケースは、これからの日本の教育がどうあるべきなのか、国民的議論を積み重ね、社会全体で合意形成を導くべき事案であると強く訴えたい。自分の子供、そして、これから生まれてくる子供たちに直結する大問題であり、誰一人、他人事ではないのである。
 私は、鹿児島県や都立の中学、高校教諭を経て、現在大学で教師の卵である学生の養成に携わっている。子供たちが大好きな学生たちは、希望に満ちあふれ、勉学にいそしんでいる。私の25年間にわたる中学、高校の現場で得た知識と経験を、余すことなく彼らに授けている。子供たちは国家の宝であり、愛(いと)しく、かけがえのない存在であることを、彼らの誰一人も疑ってはいない。しかし、私は子供たちが時に凶器と化すことも教えている。
 私の教師経験は、一般的には信じられないような生活指導事案と向き合うことでもあった。かつて、こんな出来事があった。校則で禁じられた学校に携帯電話を持ち込み、授業中に使用した男子生徒に対し、教師である私は携帯電話を取り上げた。その携帯電話は、翌日、保護者が受け取りに来ないと返却されないルールもあった。
 どうしても、今すぐに友人と連絡を取りたがった男子生徒は、強い口調で返すよう訴えたが、そのルールを侵して、見逃してはならないと判断した。日ごろから問題行動を重ねる男子生徒に、今こそ厳しい指導が必要だと思ったからだ。
 これに対し、男子生徒は「てめえ(私)をブン殴って、手に持っているその携帯、取り返すぞ!」と興奮しながらこう暴言を吐いた。
 町田総合高校で起きた動画を見た私は、そのシーンを瞬時に思い起こした。私も一人の人間である。状況によっては、私も同じことをしてしまったかもしれない。だが、その時は生徒という大観衆の視線がある中、ゆるぎない毅然とした対応が必要だった。
 「もういっぺん、言ってみろ!(男子生徒の反応はなく、下を向いた)もういっぺん、言ってみろ!(まずい言い方だったと感じたのだろう。後ろを向き、逃げようとした)」。最終的には、厳しい指導を素直に受けた男子生徒は心から反省し、「あの時は本気で叱ってくれてありがとうございました」という言葉を添え、笑顔で卒業式を迎えたことを覚えている。
 教師に対してこれほどの暴言を吐く生徒がいるとは想像できない人も多いだろうが、これは作り話ではなく事実だ。他にも走馬灯のように、思い出される。
 電動車イスに興味を抱いた生徒が「それ、面白そうだから貸せ!」と障害者を引きずり降ろして遊び回った揚げ句、その障害者を放置したこともあった。「そんな生徒、ブン殴ってやらないと、まともな人間にできない」と本気で考えたこともある。これらはほんの一例だ。
 どんな非行をしても、教師にとって子供たちはかわいい存在に違いないが、時に恐ろしい存在になり得るのが現実なのだ。
 町田総合高校の教師が暴力を振るったことは許されないが、考え方は私自身と大差はないと感じている。彼は「この子たちを、どのようにして、正しく社会に送り出すか」と考え続けた教師であることに間違いはなく、そうでなければ彼を守ろうとした生徒は一人もいなかったはずだ。
 実際、彼を擁護する生徒たちは少なくなかったと聞いている。彼から温かい愛情のこもった指導を受けたことがあるからだろう。ならば、今回の問題を一人の「暴力教師」として教育委員会が処分し、管理職の教師をマスコミの前で謝罪させるような「お決まりごと」で終わらせてはならない。一個人に責任を押し付けても、問題の根本解決にはつながらない。社会全体で考えていかなければならないのである。
 また、今回の問題は、学校現場の教師たちがどのように捉えるかを早急に分析する必要がある。日ごろから、問題行動を起こす生徒を相手にしない教師は、やはり、自分の判断は間違っていないと感じたかもしれない。
 一方、日常的に悪態をついてくる生徒と堂々と向き合ってきた教師は「明日はわが身」とこれからは見て見ぬふりをしようと決意したかもしれない。多くの現場教師は、誰にも本音を漏らすことができず、悩んでいたり、苦しんでいたりして、中には絶望した教師もいるだろう。
 現に私の後輩教師や教職志望学生の中に絶望した者がいる。社会はこの現実を重視し、「子供たちの将来を心底憂うなら、思い切り向き合ってあげてください」というメッセージを発信していかなければならない。そうしなければ、教師に見放される子供が増えるだけだ。
 こうした荒廃した現実を避けるためなのか、日本全国の教員採用試験の倍率が低下している。これは大きな課題であり、「名前が書ければ、小学校教員採用試験に合格できる時代がくる」と揶揄(やゆ)されているようだ。
 現場教師の質の低下が始まっていることは想像に難くなく、日本の教育の根幹にかかわっていると、社会全体で受け止める必要がある。一教師に責任を押し付けることで解決するのであれば、そうすればいい。私は絶対に日本にとってマイナスであると断言する。
 私は現場の教師として経験を積んだだけに、仮に子供たちが教師を絶望させたとしても、教師は子供たちを心の底から許すことができる存在だと断言できる。「大人だって、間違いを起こす。だから、子供が間違いを起こすなんて当たり前だ」と必ず考えているのである。
 仮に町田総合高校で教師から暴行を受けた生徒が謝罪したとしたら、あの教師は絶対に許すはずであり、「教師である、大人である先生が殴ってしまって、申し訳ない」と生徒以上に心の底からの謝罪が伝わるよう努力するだろう。
 「キレ」やすい教師が増加している理由は、雑務を増やす社会構造かもしれないし、子供を完全な善ととらえる社会の目かもしれない。子供を過保護に育てて、調子に乗らせている保護者はどこにでもいる。学校では生身の人間が触れ合っているため、あらゆる問題が起きている。
 だが、教師が生徒に謝ったり、逆に生徒が教師に謝ったりすることで、さらに深い絆を築き上げている。だからこそ、卒業式では涙がこぼれるのだ。
 子供たちは国家の宝であると前述したが、子供たちを育成する教師たちも国家の宝と扱わなければならない。本気で子供たちのことを考えている教師を社会全体で守っていかなければ、日本の教育は崩壊してしまうだろう。
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🌁34〉─1─普通の家庭が定年破産。55歳の壁。還暦迎える4人に1人の貯蓄は百万円未満。〜No.143No.144No.145No.146 ⑲ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 諸悪の根源は、少子高齢化による人口激減である。
 減る若者が、金を出して増える老人の生活を面倒をみ、増える認知症患者と寝たきり老人の介護をおこなう。
 若者は、安月給で貧困度を増し、困窮生活を強いられていく。
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 2019年6月16日15:48 産経新聞「還暦迎える4人に1人の貯蓄は百万円未満 PGF生命 プルデンシャルジブラルタファイナンシャル生命保険(PGF生命)は、今年60歳となる男女2千人を対象にしたアンケートの結果を公表し、4人に1人が貯蓄額100万円未満だったことを明らかにした。例年行っている調査だが、「95歳まで生きるには夫婦で2千万円の蓄えが必要」と試算した金融庁金融審議会の報告書問題が物議を醸す中で話題となりそうだ。
 調査は4月、インターネットを使って、全国の昭和34年生まれの男女を対象に実施した。
 単身、または夫婦合計の貯蓄額を「100万円未満」と回答したのは24・7%で前年の調査から約4ポイント増加。次に多いのは「100万~300万円未満」で11・3%、「500万~1千万円未満」が11・1%と続き、2千万円未満が全体の3分の2を占めた。
 一方、「1億円以上」が8・1%、「5千万~1億円未満」が6・9%いるため、全体の平均額は底上げされて2956万円に。前年から231万円ほど増加した。
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 6月16日15:54 msnニュース 日刊SPA!「定年破産する人の共通点。“普通の家庭”が危険な理由
 © FUSOSHA Publishing Inc. 提供 ※写真はイメージです
 いま、定年後に、引き上げられた年金受給まで耐えられずに破産する「定年破産」が増えている。背景にあるのは役職定年や定年再雇用による賃金の低下、さらに晩婚化で住宅ローンや高い教育費が60歳をすぎても重くのしかかる。70歳まで普通に働いても、人生100年時代を乗り切ることはできないのか。世間の“普通”が揺らぐ!
 ◆「55歳の壁」の実態とは?
 これは、ある定年破産者の例だ。都内医療器具メーカーに勤務していた田中令次さん(仮名・64歳)は、42歳で結婚し、2人の子宝に恵まれた。45歳で現・住宅金融支援機構の「フラット35」を利用して、都心から電車で30分のベッドタウンに4500万円の新築戸建てを購入。会社ではマネジャーとして部下も育成し、給料も年功序列で上がっていった。まさに理想的なサラリーマン像だったが……。
 田中さんは昨年、年金支給を1年前にした64歳のときに破産をすることになる。崩壊の序章は、まず“55歳の崖”と呼ばれる役職定年にあった。
 厚労省の調査では、役職定年年齢を55歳とする企業は、全体の38.3%。約4割の会社は55歳で役職手当がつかなくなる。経済評論家の加谷珪一氏は、これを「最初の崖」と話す。
 「賃金を維持できるのは、ほんの一握り。あとは“役職手当”が外されて、給料は下降します。最近では4~5割も一気に下がる企業も増えています。年収が高い人ほど、その振り幅は大きい」
 実際に、田中さんも年収620万円から35%割減の400万円台に下がってしまった。ただ、田中さんの目論見では、定年までの残り5年間を耐え忍べば、“退職金”で立て直せる算段だった。しかし、現実はそう甘くない。退職金が思ったより少なかったのだ。
 厚労省が平成29年に発表した「退職給付額」によれば、退職金の平均は1983万円。田中さんはリーマンショックの影響で、退職金規定が改悪。必死に勤め上げたにもかかわらず、予想の半分を下回る僅か800万円しかもらえなかったのだ。ファイナンシャルプランナー橋本明子氏も「これからの社会は退職金はすぐに消えるものと考えたほうがいい」と警鐘を鳴らす。
 「まず20年ほど前に比べて、退職金は500万円近く下がっています。さらに転職が一般的になっている現代では、勤続年数が短いためにその金額も数百万円台がザラです。予測できることなのに、貯められない人が多い。退職金を減額されて裁判を起こす人もいますが、その間は“未払い“になります。結果、心身の疲弊から最終的に100万円程度の上乗せでもらうパターンが多い。そして生活は困窮していくのです」
 ◆賃金は2段階で下がる。赤字が続く家計に転落
 そして田中さんに訪れた次の崖が、定年再雇用だ。改正高年齢者雇用安定法により、定年以降も本人が望めば年金支給開始年齢まで働くことはできるという制度。田中さんは、早めのリタイアを考えていたが、“もらえる年金額”を見て愕然としたという。加谷氏が次のように解説する。
 「『あなたは年金をいくらもらえる予定ですか?』と聞くと、本当に答えられない人が多い。今はサイトの『ねんきんネット』で、将来の支給額がわかります。僕も検索しましたが、思ったよりも額が少ないですよ。繰り上げて60歳から年金をもらうことも可能ですが、代わりに『0.5%×繰り上げた月数』が引かれる。つまり、60歳から受給すると、生涯もらえる年金が3割減ることになります。そのため“定年後も働く”という選択肢を選ばざるを得ない人も多くなります」
 田中さんも再雇用を望んだが、今度は提示された給料に青ざめた。一番稼いでいた時期の3分の1程度、年収は200万円台まで落ちてしまったのだ。
 「定年以降の再雇用は“非正規雇用”の嘱託社員が大半です。いわばパートと変わらず、14万~15万円ぐらいが相場です。減収補塡措置をする企業は一部の大企業のみ。そうなると、蓄えた貯金や退職金で取り崩すしかなくなってきます」(加谷氏)
 “役職定年”、“定年再雇用”、“下がる退職金”と、日本はまさに定年破産時代を迎えている。ファイナンシャルプランナーの藤川太氏は「現在の定年世代は、はしごを外された世代でしょう」と話す。
 「50代は終身雇用、年功序列で給料が上がる前提で人生プランを立てている最後の世代です。そして本来、50歳前後といえば、子供が高校や大学に行き始める支出がピークの時期。今までの社会は、この支出ピーク時に収入のピークも来て、支出と収入が合っていました。しかし、長いデフレ期で、企業は年功序列で給料が上がる日本独自の給与形態を維持できなくなった。この世代はポスト団塊世代や新人類世代で、会社で人数も多く、バブル通過組のため給料も高い。企業は当然この層をターゲットにし、給料を下げてきます」
  =====
 <退職給付額の推移>
2002年……2499万円
2007年……2280万円
2012年……1941万円
2017年……1983万円
 ★この15年で約500万円ダウン!
 ※「退職給付額」は、平成29年1年間における勤続20年以上かつ年齢45歳以上の定年退職者を対象にした平均値(厚労省「就労条件総合調査」より)
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 ◆本来あるお金の貯め時が晩婚化でやってこない
 田中さんが定年再雇用でどんなに頑張って働いても、家計は毎月20万円近い“赤字”が連続していた。なぜ、これほどのマイナスになるのか。藤川氏は「晩婚化の影響もある」と話す。
 「これまで家計の最後の貯め時は、子供が独立してから退職するまでの期間でした。もし30歳で子供が生まれたら、52~53歳で大学を卒業して独立ですよね。そこから7年ぐらいは退職までに時間がありますから、本来ならばその期間でお金を貯められるはずでした。
 しかし、最近は晩婚化の影響もあり、結婚も出産も遅くなると、子供の受験・独立を、60歳の定年期に迎えてしまいます。役職定年、定年再雇用で賃金が下がっているのに、住宅ローンや、高い教育費がある家計は、よほど貯蓄がない限り辛くなることは確実です」
 この“貯め時がない”問題はデータに表れている。明治安田生命保険の調査によると、世帯での貯蓄額がゼロと回答した50代男性が20.7%もいた。つまり5人に1人が貯蓄ゼロ。これは貯蓄のない20代男性とまったく同じ割合だ。
 =====
 <世代別貯金0の割合>
20代……20.7%
30代……14.8%
40代……17.8%
50代……20.7%(50代は5人に1人が貯蓄ゼロ!)
60代……12.6%
70代……18.5%
 (明治安田生命「『家計』に関するアンケート調査」より)
 =====
 田中さんも定年を越えてから長男、次男が大学入学して、虎の子の貯金と退職金が消えた。せっかく購入した戸建てを売りに出し、老後資金の補塡を考えたが……。
少子高齢化で人口減のため、住宅の価値が下がっています。特に郊外の家をいざ売ろうとしても、二束三文。持ち家は大型冷蔵庫と一緒。耐久消費財なので、壊れたら無駄に固定資産税もかかって大変。最後は家電と一緒で、お金を払って引き取ってもらうことになります」
 とは、経済ジャーナリストの荻原博子氏だ。事例の田中さんも積み重なる赤字に遂には住宅ローンを滞納して、マイホームは“差し押さえ”になったのだ。荻原氏は、田中さんのように“定年世代の普通の幸せ”こそが破産状態になりやすいと話す。
 「終身雇用や年金制度が崩壊した今、思い描いてきた“普通の家庭像”がもはや一部の高所得者だけのものになっています。いわゆる『親の呪縛』です。高い生活水準に慣れてしまっている現在の定年世代が、改めて100g1500円の牛肉から、100g300円へと豚肉の生活レベルを落とせるでしょうか? 定年破産する人たちは、そんな“現実”から少し目を背けているような印象があります。生き残るためには安くてもいいという意識に変えないといけないのです」
 55歳の崖から始まる定年破産に、まだピンときていない30~40代もいるであろう。しかし、前出の加谷氏は、「今後、全世代に起こり得る問題」と警鐘を鳴らす。
 「賃金と人口が年々減っていく中で、超高齢化社会を日本は迎えていきます。そのため年金も現在の50代は68歳支給、現在の40代は70歳支給に引き上げられることも十分考えられます。つまり、70歳支給ならば定年後に10年間は赤字家計が続くのです」
 賃金の低下、固定費が高い、さらに晩婚で貯め時がない。思い当たる読者も多いことだろう。定年破産は全世代に共通する、恐怖なのだ。
 <定年破産する人の共通点>
①55歳の役職定年・定年再雇用で賃金低下
②住宅、教育などローンが残り固定費が高い
③晩婚で貯め時を逃したままで定年に突入する
 【加谷珪一氏】経済評論家
中央省庁のコンサルティング業務を経て現職。テレビ、ラジオのコメンテーターの仕事も行う。『定年破産絶対回避マニュアル』『お金持ちの教科書』など著書多数
 【橋本明子氏】ファイナンシャルプランナー
卓越した生命保険と金融サービスの専門家による国際組織「Million Dollar Round Table」の会員。全9社を扱う保険商品組み合わせのプロ
 【藤川 太氏】ファイナンシャルプランナー
自動車会社勤務を経てファイナンシャルプランナーに。2万世帯以上の家計診断を行う。著書に『やっぱりサラリーマンは2度破産する』(朝日新聞出版)など
 【荻原博子氏】経済ジャーナリスト
日本経済の仕組みを生活者の視点からわかりやすく解説する。各メディアで活躍中。近著は『老前破産』『安倍政権は消費税を上げられない』など多数
 ― 定年破産する人の共通点 ―」
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 6月16日 2019 msnニュース 時事通信社「年金払え」デモに2000人=政府に怒りの声-東京
 老後資金に年金以外の2000万円が必要とした金融庁の報告書をめぐり、政府の説明や年金制度の改善を求めるデモが16日、東京都内で行われた。ツイッターの呼び掛けなどで約2000人(主催者発表)が集まり、参加者は「暮らせるだけの年金を払え」と怒りの声を上げた。
 参加者は「老後を守れ」「2000万はためられない」などと書いたプラカードを掲げた。2歳の息子と加わった自営業の男性(46)は「老後に備えようにも余裕はない。報告書を引っ込めて解決するのか」と訴えた。
 友人と参加した千葉県船橋市の女性会社員(23)は「社会人になり、問題意識を持った。不安なまま(年金保険料が)天引きされており、きちんと説明が欲しい」と批判。高校で社会科を教える男性教諭(28)は「生徒から『年金は大丈夫か』と尋ねられても答えに窮する。政府はごまかさず、議論のきっかけにすべきだ」と語気を強めた。」 
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