⛡302〉─1─日本はセックスレス社会で、日本人はセックスよりもオナニーが好き。No.741No.742       

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 日本人の、男性の精子劣化、女性の卵子老化、繁殖機能の退化、生殖本能の衰退。
 少子高齢化による人口激減。
 老人が多う、若者が少ない。
 子供を産める女性の減少。
 若者は、安い給料で貧困化して老後資金を貯めるゆとりがなく、無理して結婚するよりも一人で幸せに暮らす事を選ぶ。
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 繁殖機能が衰退した生物種は死滅する。
 生殖本能が退化した生物種は絶滅する。
 急速に個体数を減らす生物種は消滅する。
 日本人は、在来種・日本産トキを殺し尽くした後ろめたさから罪滅ぼしとして、生殖本能が強く、繁殖機能が高い、外来種である中国産朱鷺で日本のトキを復活させようとしている。
 日本の大空を飛ぶ日本産トキも中国産朱鷺も、見た目は同じトキ=朱鷺であり区別ができない。
 鳥には国境がない。
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 日本人も中国人も韓国人・朝鮮人も、見た目は同じアジア人であり、本人が自己申告して打ち明けなければ何人か誰も分からない。
 国民は、人種や民族とは無関係である。
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 産経新聞iRONNA「セックスレス社会は全然ヤバくない
 「仕事で疲れた」「夫とは面倒だから」。いま日本の夫婦やカップルの間でセックスレスが蔓延しているという。ある調査によれば、その数は全体の半数にも上り、少子化や人口減少の一因になっていると指摘する声も少なくなくない。でも、本当にそうなのか? 日本人と性、セックスレス社会の未来を考えたい。
 日本の性生活は欧州の半分以下
 日本の夫婦はどうも欧米の影響で「性生活がない=夫婦生活の破たん」と考えている風潮がある。この風潮を受けてマスコミでも「セックスレス=夫婦の危機」的な報道が多い。いつも取りあげられる有名なデータは性生活の国際比較である。2005年の避妊具の大手メーカーDurex社の調査ではギリシャ人の性生活の回数が1位で年間138回、続いてフランスなどの欧州が概ね年間100回くらいである。アジアは総じて少なく、年間80回ぐらいであるが、中でも少ないのが日本の45回である。実はもっと少なく、25回ほどという日本の調査もある。同様に性生活の満足度も低いようだ。
 家族計画研究センターの『男女の生活と意識に関する調査』でも既婚者のセックスレス(1カ月以上なし)が年々増加し、半数に近づいてきている。「面倒くさい」とか「仕事が忙しい」というのが理由らしい。
 年齢が上がった60歳以上のセックスレスは5割以上になる。しかし、最近は定年後の男性が再び精力を盛り返しているという。団塊世代が現役の時に読んでいた男性週刊誌では購読層の高齢化とともに「死ぬまでセックス」のような記事を毎週載せ始めたのもその兆候だ。高齢になると性機能が衰えるのは自然の成り行きだが、健康な日本人には性機能の難敵、動脈硬化・糖尿病などの病気に伴う器質性勃起不全はあまり多くない。
 40歳以降に性機能が衰える原因の多くは仕事や家族のストレスからの心因性勃起不全である。仕事のストレスがなくなった定年後に急に性機能が回復する例があっても不思議ではない。問題はお相手である。40歳くらいから疎遠になった妻に求めても拒絶され、風俗に通う高齢者も多いらしい。それがばれて熟年離婚の危機になる場合もある。
 ゆとりを取りすぎるとたちまち経済が立ち行かなくなる資源の少ない日本で、欧米のような夫婦生活やセックスライフを求めても難しいかもしれない。中高年夫婦の約半数がセックスレスであるならば、それは日本の標準かもしれない。回数を増やすだけでは解決できない深い問題があるのだろう。その一つは夫婦のコミュニケーションのようだ。セックスは究極のコミュニケーションと言われている。定年後に性機能が回復したといって、いきなり妻に求めるのはいかがなものか?女性に必要なのは夫婦の会話である。中高年女性の不満の多くは「夫が話を聞いてくれない」である。忙しすぎた現役時代を反省し、支えてくれた妻に感謝すれば妻もいろいろと話してくれるだろう。そんな時に「面倒くさい」「つまらない」と自室にこもってしまってはコミュニケーションどころではなく、熟年離婚も現実化する。
 家事などを覚えて自立すると、妻との会話は弾むようだ。実際、私が講師で呼ばれる「男の料理教室」に参加している定年を迎えた男性からは妻との会話が増えたと聞く。中高年夫婦の性生活の復活にはまず“自立・会話・ふれあい”からと肝に銘じたほうが良いだろう。(産経ニュース「オトナの外来」大阪樟蔭女子大学教授、石蔵文信 2016.05.26)
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 少子化と「男女平等」思想
 前々回のブログ「少子化と『男女平等』思想」について、Merciさんから「平等でなくても良いですが、どうしていつも女性が我慢を強いられる方法しかないのですか?」というコメントをいただいた。これはブログで紹介した国内最高齢の現役助産師、坂本フジヱ氏(91)が「(昔は)女性が旦那を立てることで夫婦関係や家庭が円満に運んだ」という趣旨の発言をしたことを指しているのだろう。坂本さんの判断では、当時の女性は我慢を強いられていたわけではない。それは「旦那を立てていても、実際は自分が上位。そういう家庭が多かった」という言葉に表れている。
 現在でもそうだ。家庭の財布の中の8割は女性が実権を握っているといわれる。子供や自分の衣服はもとより亭主のカジュアルウエアも自分が見立て、家具・インテリア、家電製品もほとんどすべて自分の好みで選んでいる。消費財メーカーやサービス業もそれを前提に商品企画を進めている。賢い女性は夫を立てつつ、楽しく自由に自分好みの生活設計を立てている、と考えられるのだ。夫は別の形で妻を立てている、あるいは尊重しているとも言える。
 だが、それでも「男は社会へ出てうまくやっている。犠牲を強いられるのは女性ばかりだ」と思う女性がふえた。女性にも男性と同様の仕事をやらせるべきだし、地位もポストも与えるべきだ、と考える。そこで、有権者の声を尊重する民主政治のもと、男女平等の労働、経済政策が進んだ。女性の自由が増したという点では望ましい社会になったと思う。でも、坂本さんはそれで夫婦は幸せになったのだろうか、行き過ぎてはいないかと疑問を向けたのである。再録すると--。
 男女雇用機会均等法ができて以降、家庭でも会社でも、女性と男性が同じような役割を果たすべきという考えが当たり前になりました。でも……(全く違う男女を)同じようにしたら歪みが出てくるんは当たり前です。セックスレスの夫婦は最近ほんとに多くて、深刻な問題やなぁと思うんですが、男と女がおんなじようになってきたら、セックスせん人が増えるんは分かる気もします
 女性が我慢を強いられるくらいなら、結婚しない男女やセックスレス夫婦がふえてもいいではないか。それも一つの考え方である。女性が自由に仕事をし、なおかつ夫婦仲良くという社会が望ましい。だが、男という「性」は多くの場合、女性に「立てて」もらわないと、結婚欲や性欲が失われてしまうようなのだ。
 もちろん「妻が仕事に出てバリバリ働き、夫はアルバイト程度に仕事をしているほかは、もっぱら家事、育児を担っている。それで夫婦はうまく行っている」という例はある。典型的な草食系亭主と肉食系夫人のカップルであり、私の知人にも見当たる(ただ、その場合でも、どこかで妻が夫を立てていることが少なくないが)。
 夫婦百景、十人十色。二人の仲がうまく行っていて、子供も健やかに育っているのなら、他人がとやかく言う筋合いではない。どちらがどれだけ外で働き、どっちがどの程度家庭を担うかは二人の自由である。ただ、確率的に安定しやすいのは男性が肉食系、女性が草食系という関係なのではないか。むりやりその関係を逆転、ないし同じ(平等)にすると、居心地の悪さから絶食系がふえる。特に女性よりも男性の方で絶食化が進む。現在はそういった状況ではなかろうか。(井本省吾「鎌倉橋残日録」2015.02.24)
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 日本人のセックスは「世界一コスパが悪い」らしい
 『山田昌弘
 山田昌弘中央大学文学部教授)
 21世紀に入って、日本のセックスレス化が止まらない。若者から中高年夫婦に至るまで、さまざまな調査データが、日本社会でセックスする人が減少し、セックスへの関心が低下していることを示している。
 2015年に実施された出生動向基本調査によると、若者で言えば、未婚率が上昇しているだけでなく、近年は、交際相手がいない人が増え、未婚者(18-34歳)で恋人がいる人は、男性で約2割、女性で約3割である。その上、交際相手がいない人の中で、交際相手が欲しいと思う人は半数を割ってしまった。性体験率も低下している。
 性体験がない人の割合は、20-24歳で男女とも約47%で、2002年の数字(男性34%、女性36%)にくらべ大きく上昇し、男性では1990年以前を上回ってしまった。(第16回出生動向調査・国立社会保障人口問題研究所)。さらに、家族計画協会の調査でも、性に関心をもたない人(既婚者含む)は、20代前半で男性21%、女性39%と2008年の数字(男性11%、女性25%)に比べ大幅に上昇している。恋人が欲しい、性体験したいという意欲までも低下しているのである。
 セックスの不活性化は、中高年夫婦にも及んでいる。家族計画協会の調査、そして、日本老年行動科学会セクシュアリティ研究会の経年調査でも、過去の調査に比べ、近年セックスレス夫婦が全世代で増加していること、夫婦間のセックス頻度が減少していることを示している。また、先に述べた出生動向調査の夫婦調査でも、夫婦間で避妊実行率は低下しているのに、妊娠率が低下していることも、夫婦間の性行動が不活発になっていることの傍証として使われている。
 そして、これらの結果は、諸外国からも注目を浴びている。もともと日本人夫婦のセックス頻度は、世界最低と言われていた(英国コンドームメーカー、デュレックス社調べ)。欧米人からセックスがひと月なければ普通離婚を考えるだろうとか、セックスがなくて夫婦で何の楽しみがあるのだと揶揄されたこともある。
 その日本でさらに、セックスレスが増えているというので、私のところには、欧米からの講演や取材依頼が殺到している状況である。2016年にイギリスで講演したときは、回答者はウソをついているのではという質問が来たが、先ほどの挙げた多くの調査では、昔の調査と比較したデータをとっている。調査でウソをつく人が近年、特に多くなったとは思えない、とも回答しておいたが…。
 日本は、伝統的に恋愛や性に対する関心が薄いという人もいる。しかし、私はそれは間違いだと思う。「万葉集」や「源氏物語」などを読めば、奈良時代や平安貴族の恋愛や性行動はけっこう奔放だったことが分かる。江戸時代には、西鶴が好色物語を書き、春画が流通していた。俳人小林一茶の日記には、毎日何回セックスしたか記されているが、一茶は晩年になっても毎日のようにセックスしていたことが分かっている。このような例をみると、日本人は伝統的にはセックスに寛容で楽しんでいた民族だと言ってもよい。
 戦後、1950年ごろまでは、今とは反対に人口政策のテーマは「人口抑制」であった。政府は、人工妊娠中絶をやりやすくし、避妊を普及させようとした。当時は、兄弟の数が平均4、つまり、夫婦は性的関係をもってどんどん子供が生まれていたのである。
 それが近年、特に21世紀に入ってから、未婚者も既婚者もセックス回数は減り、性に関する興味関心も低下してしまった。この原因に関しては、さまざまな説が唱えられている。若者に関しては「経済的に余裕がなくなった」「妊娠や性病の恐ろしさを強調する性教育で性や恋愛に関する恐怖心が植え付けられた」「ポルノがネットで簡単にみられるようになりセックスに対する好奇心が薄れた」「恋愛の失敗を恐れて消極的になっている」などの説がある。既婚者では「長時間労働で仕事が忙しくて暇がなくなった」などの説があり、いま私も含めた研究者が調査データを詳細に分析している。
 私が、一番大きな要因だと思うのは、恋人や夫婦の間でセックスが「面倒くさいもの」となったというものである。そして、この「面倒くさい」というキーワードは、英語に相当する言葉がなく、欧米人に説明してもなかなか分かってくれない日本特有の概念なのだ。
 お互いにセックスを「楽しむ」ためには、さまざまな努力や相手に対する気遣いが要求される。ただ単に身体的な満足だけではなくて、お互いの体に働きかけ、濃密にコミュニケーションが必要である。未婚者にとっては、その上に、恋人になってセックスできる関係にたどり着くという努力が要求される。これが面倒くささの背後にある。
 つまり、恋人や夫婦同士でセックスを楽しむに至るプロセスは、けっこう面倒であることがわかる。それでも、世界の人々、20世紀までの日本人の多くは、その面倒くささを乗り越えていたのだ。では、なぜ21世紀に入ると、セックスを面倒だと思う日本人が増えてきたのか。
 それは、恋人や夫婦間のセックスが、「コストパフォーマンスが悪い」と考えられるようになってきたと考えられる。つまり、セックスで得られる満足が、セックスにかけるコストを下回ると意識されるようになったのだ。それには、3つの理由が考えられる。順に述べていこう。
(1)恋人や夫婦間のセックスによる満足が至高のものだと考えられなくなったこと
 近代社会は、「恋愛」に至高の価値を見いだしてきた。お互いに好きになった同士(異性でも同性でも)が、セックスを伴った恋愛によって結ばれることが、生きる意味、時には経済的成功以上の意味を持つというイデオロギー(「恋愛至上主義」)が存在していた。だから、いくら面倒であっても、それを追求するのが人生にとって必要なこととされたのだ。欧米では、このイデオロギーが優勢である。
 しかし、日本では、近代社会になっても、カップル間の関係が至上のものだとする「恋愛第一主義」の価値観が、普及しなかったのではないか。すると、恋愛関係におけるセックスは、「特別」なことではなく、「あったらいいけど、なくてもよいもの」、つまり、コスパで考えてもよいものとなったのが、セックスレス化の背後にあると考えられる。
(2)恋愛のコストの上昇
 一方だけではなく、セックスによって、相手と自分の双方が身体的、精神的に満足することは、けっこうコミュニケーション努力を要する。そして、今、日本社会では、「空気を読む」など、仕事や友達関係で気遣い要求されることが多くなっている。そうすると、プライベートなセックスで、感情的努力をするコストが。ただ、仕事時間が長時間だからではなく、仕事で感情的努力を要求されているので、セックスの場までそのような努力をするのが、面倒くさくなっているのではないか。これが、第二の理由である。
(3)コスパのよい性欲満足代替手段の発展
 そして、恋人や夫婦とのセックス以外で「コスパのよい性的欲求の満足手段」が発展していることも背後に存在している。
 私がバーチャル・ロマンス、バーチャル恋愛といっているように、ポルノや性風俗、キャバクラ、メイドカフェに至るまで、疑似恋愛、性的満足を充足させる産業が発展している。お金さえ払えば、断られることなく、相手に気遣うこともなく、身体的性欲だけでなく、恋愛気分に浸ることも含めて、性的に満足することができる。何より、面倒くささを回避できる「コスパのよい」性的満足代替手段が存在している。
 この「恋愛至上主義が普及しなかったこと」「恋愛の面倒くささが相対的に大きくなっていること」「夫婦や恋人とではないコスパのよい代替手段が発達していること」、このような要因が組み合わさって、日本のセックスレス化を促進させているのではないだろうか。
 夫婦は経済的関係で子供を育てる共同経営者、ロマンスや性欲は面倒くさくない外部で楽しむ。このような社会に日本が向かっているのかもしれない。
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 なぜ日本人はセックスよりもオナニーが好きなのか
 『鈴木涼美
 鈴木涼美社会学者)
 放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ
 村上春樹の小説『風の歌を聴け』の有名な一文だが、日本のセックスの現状を調査で見ると、どうやら人は放って置いても死ぬが、放っておくと女と寝ないようである。このほど日本家族計画協会が発表した2016年の調査では既婚者・独身を含めて53%もの男性が、ここ一カ月セックスをしていないと答えており、女性も48%とどちらにせよ半数である。
 日本はセックストイやアダルトビデオなどのエロメディア、性風俗産業などセックス周辺のモノやビジネスは高度に発展していると言われる、いわゆるオナニー文化とヌキ産業の国である。そして各国と比較した英国のコンドームメーカーDurex社の調査などを見ると、中心にあるセックスだけがなぜかすっぽりと抜け落ちている。
 逆に言えば、そもそもセックスの回数が控えめでそこが抜け落ちているからこそのオナニー、風俗の発展があり、セックスをあまりしないというのはもはや国民性なのではないかと、私などは訝(いぶか)しんでいる。
 そんな日本で、セックスレスの悩みは何も現代に限ったことではないだろうが、最近では調査結果などがセンセーショナルに報道されたせいか、テレビや雑誌の特集が散見され、私も取材を受けることが増えた。「彼とセックスレスにならないためにできる努力は?」「夫婦のセックスレス少子化加速?」「若者たちの草食化でセックスに興味がない?」など。
 「そんなにセックスさせたいんですか?」というのが私の率直な意見ではある。セックスレス化をさもこれは由々しき問題であるというような見出しを見るたびに、あるいはセックスレスを問題化した番組や雑誌に意見を求められるたびに、ぼんやりと「したくないなら別にしないでも…」とも思う。
 そもそもセックスレスを問題視した特集の多くがさらっと深刻な少子化について触れているぐらいで、それ以外の問題点はイマイチ不明瞭である。日本の少子化に夫婦のセックスレスが無関係とは言えないが、トレンドとしての草食化やセックスへの興味の減退が少子化の直接的な要因となるように、私にはどうしても思えないのだ。
 大体、セックスレスの対義語が何であるのか知らないが、そういうセックスフルネス思考な人、セックス大好きな人、ヤリマンヤリチン、セックスを日常的によくしている人の方が避妊について万全である。低用量ピルを飲んでコンドームをつけて月に100回セックスするよりも、計画的な子作りのためのセックスを狙い撃ちで数回する方が妊娠する可能性は高い。
 特に、若者のセックスへの興味が減退しているという風潮については、無駄なセックスをして性感染症などにかかり、妊娠しづらくなっていた私たちの世代のような失敗がないし、セックスについてある程度冷静であるという点では効率的な子作りを割り切ってするようになるのではないかと個人的に思っている。そういった意味でもセックスレス少子化の相関関係について私は甚だ懐疑的である。
 故に、私は年がら年中セックスばかりしていそうなギリシャやフランス(Durex社2005年の調査ではセックス頻度がいずれも年に120回超)の真似をする必要は別にないし、セックスをあまりしないという国民性によって発展を遂げてきたエロ産業に誇りを持っても良いのではないか、と半ば本気で思っている。それは私自身がAV産業育ちであり、そのオナニー大好きな国民性によって支えられたバックボーンがあるからという事情ももちろんある。
 ただ、人間が「放って置いてもする」とされるセックスをあまりしないというのはやはり不自然であることには間違いない。私は対処すべき問題が大きく分けて二つあると思っている。
 第一に、これは初交年齢の上昇や性経験のない20代の増加などに関して特に言えるのだが、セックスをしようという努力と、セックスをしたいという原動力に欠けるのであるとしたら、それは大きな問題である。全ての欲望は性欲につながる、とは極端な言い方だが、学歴をつけ社会で出世する、に始まり、自分のアピールポイントを見つける、容姿に気を使う、人に好かれる努力をする、など多くの善行と消費の根底では「異性に好感を持たれたい、あわよくばセックスしたい」という欲求がかなりのウェイトを占めるのは間違いない。
 セックスをしたい、またはしてみたいが、機会に恵まれないのであればそれは何かしらの原動力になり、さらなる努力の後押しになる可能性があるが「セックスに興味がない」のであれば、これといって人に好かれる必要がない、究極的には社会で居場所を確保し、さらに上昇する必要がないということになる。
 したくないセックスを強要することはできないが、それならば、それに代替するほどに強力な自分へのドライブの掛け方、原動力、やる気の源のようなものが必要に思えるが、現在のところ、それほど見当たらない。若者のSNSでの言動などが際立って「どこか斜に構えている」感じがするのはそのせいなのではないかと私には見える。
 そもそもセックスへの欲望がなぜ動機付けとしてあんなにもインパクトがあるのかと言えば、セックス及びセックスにつながる恋愛というのが、最も努力や経歴、財力などにかかわらず起こり、またあまりに不確定要素が多いために、人は何かもっと別のもので努力や武装し、幾度もまたそれに挑戦しようとするからである。セックスへの欲望が希薄であれば、その努力がおろそかになるだけでなく、世の不条理への耐性が極めて低い人間が出来上がるように思える。
 第二に、夫婦のあり方について、現代日本は極めてヴェイグ(曖昧)な共通認識しかないということである。そもそも日本には欧米諸国のようなカップル文化は存在しない。個人的な話で申し訳ないが、私の両親はやや欧米ナイズされた人種で、仕事のパーティーや会合、出張などにカップルで参加する傾向があったのだが、それは明らかに日本社会では異質であり、やや空気を読まない変な夫婦として扱われていた。
 米国の離婚率の高さなどは日本でもたびたび取りざたされるが、あれほど「どこに行くにも一緒」のカップル文化の国で2組に1組が生涯添い遂げるというのはむしろ、かなり立派な数字なのではないかと私は思う。
 さて、それでは日本の場合はどうか。誤解を恐れずに簡略化して言えば、個人間ではやや欧米化された価値観が共有されつつあり、社会は特にそれに対応していない。結婚式の招待状もパーティーへのお誘いも基本的には個人宛なのであって、別に欧米のカップル文化がこちらに浸透しているとは思わないが、ご主人と奥様が作る運命共同体としての「イエ」という旧来の価値観はやや古いものになりつつある。
 恋人のような夫婦でいたいのか、盤石な「イエ」を作りたいのか、もしくは友情で結ばれた新しい形を目指すのか。その辺りの夫婦像というのが全体としてあまり統一して共有されていないため、当然くっついた男と女の間でも齟齬(そご)が起きる。夫婦というものを、そもそもセックス的なものから遠い存在としてイメージしている人もまだ多く残る中、セックスレスが離婚の原因としても認められる。
 そして一度セックスを夫婦の外に持ち出してしまえば、日本国中から糾弾される。今一度、夫婦やカップルというものがなんであるのか、一応でも大まかな合意をすべきところに来ているような気がする。
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