🥓8〉─1─男性が定年退職後に罹る妻恐怖症と帰宅恐怖症。家の中に居場所がなく家の外を彷徨う日本人男性・老人。~No.22No.23No.24 ④ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 「亭主は元気で外がいい」は、妻の夫の顔を見たくないという偽らざる本音であるが、同時に夫のホンネでもある。
 老いた夫の切実な望みも、「妻のご機嫌から解放され、元気に外で息抜きしたい」である。
 それが、定年退職後の日本人男性・老人の願いである。
   ・   ・   ・   
 2017年8月11日号 週刊ポスト「リタイア後の『妻という病』
 家にいるくらいなら、不審者扱いされても公園で過ごしたほうがマシ?
 退職したら『帰宅恐怖症』になりまして・・・
 妻が嫌いなわけではないけれど、帰りたくない、帰れない。現役時代なら『職場』という避難先があったのに。
 職場という居場所がなくなる定年後の人生では『家庭』の占めるウエイトが一気に増す。ところが、その我が家へ帰ることに二の足を踏む男性が増えている──その『病』の正体とは。
  *   
 〈午前中になるべく予定を入れて、〝妻が起きる前にでかけよう〟と考えている〉
 〈妻から〝もうすぐ帰る〟という連絡があると、ついため息が出る〉
 ──そんな人は、すでに『帰宅恐怖症』かもしれない。
 警鐘をならすのは6月に出版された話題書『帰宅恐怖症』(文春新書)の著者で、夫婦問題カウンセラーの小林美智子氏だ。
 『妻に何度も怒られるけど、その原因が分からないという男性の相談が増えています。彼らは少しずつ妻と話さなくなり〝妻が怖い〟と思うようになる。そして、なるべく家にいないで済む方法を考え始める。それが「帰宅恐怖症」です』
 小林氏の著書では現役世代の事例が多く取り上げられるが、同氏は年齢を重ねたほうが、〝病〟は深刻になると指摘する。
 『夫が帰宅恐怖症であることは、女性はほとんど気付かない。むしろ、夫が何も言い返さないと言動を年々エスカレートさせる。男性の恐怖心は長い年月の間に少しずつ蓄積され、家に帰りたくない気持ちは強くなります。そうなると夫婦関係の改善がさらに困難になってしまうのです』
 その病が〝発症〟するきっかけの一つが『定年』だ。
 逃げ場は『図書館』
 家族問題評論家の宮本まき子氏はこういう。
 『定年後に帰宅恐怖症になりやすいのが、それまで家庭を妻に任せていたタイプです。家で妻と過ごす時間が長くなり、自分の思っていた家庭や妻のイメージと現実の違いに気付く。そのショックで家の居心地が悪くなるのです』
 都内在住の60代男性Aさんは、その典型例だ。
 定年退職したAさんに対し、良妻賢母タイプの専業主婦だった妻が突然、『これからは自立してもらいます』と言い出した。上司のような態度で家事指導を初め、『公民館の「男の料理教室」に行きなさい』としつこく迫る。トイレが汚れていれば掃除を命じられ、風呂に毛が一本でも落ちていようものなら罵倒される。
 『最近は空き家になった実家の点検という口実で、郷里に戻っては長期滞在を繰り返しています』(Aさん)
 お茶の水女子大学名誉教授の土屋賢二氏(72)も、帰宅恐怖症の〝経験者〟だ。
 『大学で教鞭を執っていた頃、妻の責めるような視線が気になって仕事後に安い喫茶店で1杯のコーヒーで夜遅くまで粘り、本を読んでから帰っていました』
 土屋氏は2010年にお茶の水女子大を定年退職。
 『それでも働いているうちはまだいい。残業したり寄り道したりと家に帰らない口実は簡単に作れます。定年後はお金もないから図書館くらいしか行く場所がない。公園で子供たちの姿を眺めていると、不審者扱いされますからね。いまや図書館はそういうおっさんばかりです』。
 前出・小林氏は『妻を怖がる男性の場合、家計を妻に握られていることが多い。暇つぶしのパチンコにも行けません』と語る。
 もう一度働こう
 土屋氏がいうように、定年後の帰宅恐怖症に職場という〝避難先〟はない。
 『友人宅遊びに行く予定をなんとか詰め込もうと、あちこちに連絡を取り続けています』と話すのは元会社員の60代男性。
 『退職して知ったが、妻が昼に酒を飲み荒れている。独立した子供は〝仕事ばかりだったお父さんの責任〟と助けてくれない』
 定年によって、それまで気づかなかった家庭内の問題に直面した事例だ。
 元会社役員の70代男性Cさんは同い年の妻が軽度の認知症とわかり、家に帰る気持ちを失った。
 『親族から〝伴侶なら一生面倒をみるべき〟といわれたが、どんどん自分の知っている妻ではなくなっていく。ヘルパーさんに任せられるレベルだから、昼から外をブラブラしています』
 病の克服は容易ではないが前出の宮本氏はこうアドバイスする。
 『帰宅が怖くなるのは、〝定年後は家にいるべき〟という固定観念も一因。アルバイトを始めるなど、社会と接点を持って居場所を探すと、夫婦関係も改善することが多い。実は夫が家にいることが、妻のストレスである側面もあるのです』
 妻と会う時間を削るために仕事を探す──寂しい対症療法であるが、前出・土屋氏も同意する。
 『定年後の夫婦円満の秘訣はなるべく接触しないこと。私は家でテレビを見る時も、ヘッドホンをつけて妻の邪魔にならないようにしています。尊敬できる相手でも、ずっと一緒にいると粗が目に付いてくるものです』
 その諦念が一番の特効薬か」
   ・   ・   ・   
 亭主関白と暴君のように傲慢に振る舞えるのは、若く元気よく力があって働いて金を稼げるうちである。
 年老いて体を壊し力が衰え働けなくなって金を稼げなくなった男は、粗大ゴミ・無用の長物として嫌悪され、妻や子に嫌われ家の中での居場所を失う。
   ・   ・   ・   
 亭主関白とは猿山のボスザルの事で、力が衰えて弱くなり、外敵から家族を守れなかったり、若い猿との力比べに負ければ、メスザルから嫌われ猿山・群れから追放され、1人寂しく野垂れ死にする定めである。
   ・   ・   ・   
 日本において、短期的に見て日本人男性は強者・勝者であるが、長期的に見れば日本人男性は弱者・敗者に過ぎない。
 老後、大事にされるのは日本人女性であって日本人男性ではない。
 歳を取った日本人男性・老人は、同情される事はない。
 日本における真の強者・勝者は、日本人女性である。
 その証拠が、平均寿命の長さである。
   ・   ・   ・   
 日本人男性は、性格上、欧米人のような良き家庭人にはなれない為に、家から逃げ出して息抜きができなければ定年後は死ぬまで地獄の様な日々を過ごす事になる。
   ・   ・   ・   
 良き家庭人になる欧米人には、家庭から逃げるように働く日本人男性の悲しい現実が理解できない。
   ・   ・   ・   
 日本人男性は、惜しまれている時が華で、惜しまれなくなると邪魔な粗大ゴミにすぎない。
   ・   ・   ・   
 日本人男性は、働きアリで、働けなくなったら群れの餌として食われるだけである。
 群れに食われたくなければ、死ぬその時まで働き続ける事である。
   ・   ・   ・  
 それ故、
 役者や芸人は、舞台の上で演じながら死ぬ事を本望としている。
 サムライは、無様な姿を晒し哀れに畳の上で死ぬのではなく、男らしく勇ましく戦場で死ぬ事を「男の本懐」と憧れていた。
 サムライとは、蒲団に包まれて死ぬのではなく、草を枕に死ぬ事を望んだ。
 サムライ・日本男児は、何時如何なる時も如何に死ぬかを考えて生きて、生と死を思い詰めて禅と武士道に辿り着いた。
   ・   ・   ・   
 それは何故か、それは日本人男性が見掛け以上に心・精神力が弱いからである。
 気が弱い人間ほど、弱さを見せたくないから、精神力・気合いを強調する。
 武士道精神・日本精神とは、日本人の精神力・気力の弱い証拠である。
 だが、その精神力・気力の弱さが日本民族日本人の強さ・強靭さの源泉である。
 昔の日本人が、世界常識・軍事常識では勝てないと言われた大国の清国(中国)、ロシア帝国アメリカ・イギリスの連合国と戦争をしたのは、精神力・気力の弱さが原因であった。
 つまり、「窮鼠猫を噛む」である。
 「絶対勝てないアメリカと戦争した戦前の日本・軍人は愚かだった」と訳知り顔で宣う知識人こそ、物事が全く見えず理解できない無能者である。
 そうした無能者の話を聞いて信じる者は、さらに無知蒙昧のバカになる。
   ・   ・   ・   
 亭主関白とは、生と死を覚悟した武士道であり、我利我欲に固まった傲慢な家庭内暴君ではない。
   ・   ・   ・  
 現代日本には、真の亭主関白はいない。
 


   ・   ・   ・