⛲38〉─2─貧富の格差は、老後の格差となり、死に方格差に繋がっている。~No.219No.220No.221 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本人は、他人に見られている所では八方美人的に惻隠の情で同情しても、建て前と本音別で、心の中では冷淡で、薄情で、思いやりがない。
 日本人とは、冷たい人間である。
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 日本人にとって隣近所の人付き合いは煩わしく鬱陶しい為に、自分の気持ちや考えをハッキリと示さず「遠慮深い」「引っ込み思案」事を言い訳にして人から遠ざかり、できるかぎり一人でいようとする。
 投げやり的に、人間関係はどうでも良いと考えている。
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 2016年9月9日号 週刊ポスト「『苦しくない』『痛くない』『後悔しない』死に方
 行き着く先は『高級老人ホーム』か『グループホーム』『老健』なのか?
 年収・貯蓄であなたのここまで差がつく!
 コンシェルジュが身の周りをケアし、専門スタッフと『延命治療』について話し合える施設での〝穏やかな死〟もあれば、家庭崩壊、たらい回しの末の〝とにかく辛い死〟もある──こんなに違う、カネがあるかで全然違う!
 〝十分に長く生きた。あとはせめて穏やかに逝ければ〟──そんな、ささやかな願いも、カネがなければか叶えられない。『死に方格差』は拡大する一方で、現役引退後の収入や貯蓄額によって、入ることのできる施設、受けられるケア、家族との関係性まで大きく変わってしまう。
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 入れる施設がどこにもない
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 天国 100㎡居室でコンシェルジュがお世話
 地獄 ゴミ屋敷で独居のまま孤独死
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 同じ部屋の人がニガテ・・・
 高級ホームで穏やかな暮らしを送る人たちがいる一方で、年間死者数約130万人のうち3万人が孤独死と推計されている現実もある(15年データ)。
 首都圏の老人ホーム情報を紹介するフリーペーパー『月刊あいらいふ』の佐藤恒伯・編集長が語る。
 『在宅で介護サービスを受ける場合、ケアマネージャーが介護計画を組みますが、だいたいケアマネが、担当している30人程度のうち、とくに心配な人が常に1〜2人いると話します。そのパターンは共通していて、独居老人でかつ男性という場合。
 それまでの生活で掃除・洗濯・片づけなふぉの習慣がない人で、自宅がゴミ屋敷のような状況になってしまうそうです。元気なうちはそれでも生活できますが、骨折による入院などで少しでも認知機能に衰えが出てくるとすぐに自宅での生活を受けるのが難しくなる
 その生活は孤独死のリスクと隣り合わせでもある。女性に比べて男性に孤独死が多いことは頻繁に指摘されているところだ。
 本来、そうした地域や医療の目が届かないところでの孤独死を防ぐために『施設』という選択肢があるはずだが、前述の通り、特養には空きがなく、有料老人ホームにはカネがなければ入れない。
 そした高齢者の〝行き先〟の一つが介護老人保健施設老健)だ。
 『老健は特養と同程度の負担で利用できる施設ですが、基本的には在宅復帰を目指す人のためのリハビリ施設で、医師による〝リハビリや医療ケアの必要あり〟という判断がなければ入居できません。
 そのため、骨折で入院した高齢者が退院しても、自宅に戻るのが難しい場合、ひとまず老健に入って特養が空くのを待つ、といったパターンが増えています』
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 天国 檜風呂の大浴場でゆったり
 地獄 シャワーさえ好きに浴びられない
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 天国 パーティルールで家族団欒
 地獄 息子の妻がノイローゼ状態
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 天国 住み慣れた豪邸で平穏死
 地獄 老健グループホーム『たらい回し』
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 天国 24時間看護とセンサーが異変感知
 地獄 痛くても痒くてもスタッフは大忙し
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 天国 延命治療・終末ケアもじっくり話し合える
 地獄 リビング・ウィルが尊重されない末路
 PART4 内閣府調査でわかった『4人が友人ゼロ』の悲しい現実
 世界一友達が少ない日本の老人は『死に方』もこんなに寂しい
 あなたの葬式には何人参列しますか?
 葬式に来てくれる人が誰もいない──当人すでにこの世にいないにせよ、これほど寂しい死に方はない。
 実感が湧かない読者も多いかもしれないが、家族や親戚の顔を思い浮かべたあと、〝友達〟を思い出してみてほしい。何年後か何十年後か先に、あなたの葬式に参列してくれる友人が、いったい何人いるだろうか。
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 日本の高齢者には『頼れる人』がいない!
 『同居の家族以外に頼れる人』への回答 (%)(対象:60歳以上)
 友人‥18.5。近所の人‥18.3。頼れる人はいない‥16.1。
 アメリカ。友人‥‥45.0。近所の人‥24.6。頼れる人はない‥13.0。
 ドイツ。友人‥45.0。近所の人‥42.2。頼れる人はない‥5.8。
 スウェーデン。友人‥‥43.4。近所の人‥31.2。頼れる人はない‥10.8。
 出所:平成27年度内閣府調査
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 友達に頼るのが『恥の文化』
 彼らの証言を裏付ける調査結果が出ている。今年5月30日に発表された、内閣府が5年毎に実施する『高齢者(60歳以上)の生活と意識に関する国際比較調査』の最新版だ。
 その中で、『家族以外に相談あるいは世話をし合う親しい友人がいるか?』とい問いに対して、25.9%が『いない』と回答している。実に、高齢者の4人に1人が『友達ゼロ』なのである。
 この調査は、日本を含む4か国で実施されており、他の3か国の割合は、アメリカで11.9%、ドイツで17.1%、スウェーデンで8.9%と、日本だけが突出している。つまり、『日本の老人は世界一友達が少ない』といえる。
 また、『同居の家族以外に頼る人はいるか?』という問いに『いない』と答えた割合も、日本の高齢者(16.1%)が最も高かった。
 なぜ、日本と海外でこれほど差が出るのだろうか。東京家族ラボの主宰で家族問題コンサルタント池内ひろ美氏はこう分析する。
 『60歳以上の世代は、高度経済成長期のなかで、長時間勤務、サービス残業、休日出勤が当たり前で、地域の触れ合いが少なかった。
 海外では、キリスト教は教会、イスラム教はモスクを中心とした宗教コミュニティがあるが、日本にはそれもない。また、日本には村社会の『恥の文化』があり、相談することが恥をさらすことになる。他者を頼るという土壌がないのです』
 母の葬式は200人、父はゼロ
 もっとも、『家族もいるし、年を取ったら友人なんかいなくたっていい』という人もいるかもしれない。しかし、気づかないうちに、実はさまざまな不利益を被っているのが現実である。
 心理学が専門の丹野宏昭・東京福祉大学専任講師はこう話す。
 『人間関係ネットワークが希薄だと寿命が短くなるとする調査結果が世界中にあります。友人からさまざまなサポートを受けられると、ストレスの干渉効果が大きくなると考えられる。
 また、高齢者の場合、他者との会話によって、認知機能の維持(ボケ防止)にもつながります』
 交流できる友人がいないと、認知症を発症する可能性も高まるというのだ。そうなれば、家族など周囲への負担も大きくなる。
 より具体的なリスクもあると、あるNPO法人関係者が語る。
 『私たちは、地元に友人がいないなどの事情がある方々を支援しているのですが、元気に一人暮らしをしていても、突然、脳梗塞を患って施設に入らざるをえなくなることもある。そんなとき、周りに親しい友人がいなくて保証人がいないと、施設に入れないのです』
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 また友達のいない高齢者は実際に施設に入ったり入院する際にも友達をつくることが難しい。それどころか人付き合いを避けるために個室を要求するなどして、金銭的にも負担が増すことになる。
 そしれ極めつけは、『葬式に来てくれる人が誰もいない』事態だ。……
 誰もいない葬式──最悪の事態を防ぐためにも、退職後の人間関係に思いをめぐらせたい。」
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 深刻な老後問題は、今の幾らかの蓄えをしてきた老人ではなく、国の借金1,000兆円以上で人口激減時代に後期高齢者(75歳以上)になる貯蓄の少ない中高年である。
 今の老人は、「蟻のように」、経済発展の原動力であった人口爆発に、将来を考えて生活を切り詰めて質素な生活を我慢してきた。
 これから老人となろうとしている中高年は、「キリギリス・セミの如く」、人口激減で経済発展は望めない事が分かっているのにも関わらず、昔のように国に多額の借金を作らせ、将来を考えず、老後の心配をせず、今が楽しければそれでいいと遊び呆けてきた。
 明治維新による近代産業導入で殖産興業を起こし、敗戦後の技術革新で経済復興し、経営革新で高度経済成長したのは、輸出産業に依存せず国内で生産品を消費できる人口があったからである。
 日本のモノ作りは、外国市場でメイド・イン・ジャパンのブランド力をもたらしたのではなく、日本人好みの商品として大量に消費されたに過ぎない。
 ただし、日本には商品を作る資源が「ゼロ」であった為に、資源を買う外貨(ドル)を稼ぐ為に売れる商品を輸出していた。
 日本の技術立国は、見た目は輸出型であったが、本質は内需型であった。
 メイド・イン・ジャパンはメッキに過ぎず、国際市場で安価な中国産や韓国産に敗れ、た。
 日本製品の優位性はメイド・イン・ジャパンではなく日本社製というブランド力のみであったが、相次ぐ無能に近い経営失敗で日本ブランドが中国系資本に買われている。
 人口激減時代では人口爆発時代の思考や行動は無意味で通用しないが、それが理解できない日本人が多い。
 日本の総人口は、1867年明治維新期約3,000万人、1945年敗戦期約7,000万人、1990年バブル経済期約1億2,000万人。
 人口増加したのは、同一文化同一価値観共通言語による、同じ思考、同じ行動、同じ嗜好を持った、曖昧文明の雑種民族混血児の日本民族日本人である。
 もし、明治の殖産興業による近代国家や敗戦後の経済復興・高度経済成長による世界第二位の経済大国時と同じ様な経済政策を成功させたければ、日本民族日本人の総人口を2億人に人口爆発させるしかない。
 自然災害多発地帯を実感して生きていた昔の日本人は、日本人の情とは薄情で、幾ら絆だ繋がりだと綺麗事を並べ立てても、しょせん「金の切れ目が縁の切れ目」と自覚し、そして世の「無情」「非情」「不条理」を覚悟していた。
 現代日本人が忌み嫌う、非人道的な「無関心」「無干渉」が支配するムラ社会である。
 日本の集団主義とは、「自分は自分、他人は他人」で、表面的には接してもそれ以上は近寄らせず、煩わしい事、面倒を避ける為に敬遠して近寄らせず、である。
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 日本人は、悲さに号泣しながら一人で生まれ、絶望し空しく一人で死んで行く。
 死んだ後の死後の世界を持たない為に、霊魂もなく死ねば一切合切が無となり、覚えていてくれる人もなく生きていた事も忘れられ、無縁仏として存在していた事さえ抹消されて葬られる。
 それが、「物事にこだわらない、投げやりでいい加減な」日本の人生観であり死生観である。
 それが「宗教を持たない」日本人の生き方で、世界の非常識として理解されない。
 日本人に宗教を持っているか問えば、大方の日本人は「宗教を持っていない」と誇らしげに答える。
 日本の「宗教対立をしない」生き方を教えて広めるという事は、無宗教無神論を強要する事である。
 バカげた、無教養な愚かな妄言である。
 日本人は、忘却の民族として物事を忘れ易く、受けた恩義と嫉妬は忘れない努力するが、被った被害・損失・犠牲から来る恨み辛み、嫌悪、憎悪、敵意は綺麗サッパリ記憶から消え去る。
 隣りにいた人間が忽然と消えても、誰も気にはしない。
 その好例が、北朝鮮による拉致事件である。当時、北朝鮮の犯行を誰も疑いはしなかったし、そればかりか北朝鮮は潔白だと弁護した政治家や学者や言論人が多くいた。
 北朝鮮を庇う事のよって拉致被害者を見捨て、助けようとせず見捨てた。
 北朝鮮拉致事件を認めたが、北朝鮮を弁護して拉致被害者を見捨てた日本人は責任を取る事なく逃げ去った。
 昭和天皇は、退位をせず、崩御されるその時まで、国内外で絶える事のない「天皇の戦争責任」を追求する厳しい声を反論せず引き受け、統合の象徴として逃げ隠れする事なく毅然として国民の前に身を晒していた。
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 日本人とは、冷淡で、薄情で、思いやりがない。




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強いられる死 自殺者三万人超の実相

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