⛲27〉─2─認知症患者が引き起こす事故・事件における監督義務と賠償問題。~No.130No.131No.132 @ 

踏切事故はなぜなくならないか

踏切事故はなぜなくならないか

  • 作者:安部 誠治
  • 発売日: 2015/06/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
  2016年3月20日号 サンデー毎日「手放しで喜べない
 認知症事故 逆転勝訴!
 最高裁判の〝死角〟
 認知症の男性(当時91)が徘徊し列車にはねられ死亡した事故で、最高裁は1日、家族に『監督義務はなかった』との判断を示した。認知症介護の実情を踏まえた判断と高く評価されたが、課題もあぶり出した。
 認知症の母親(88)を在宅で2年間介護した女優の秋川リサさんは判決を自身の体験に重ねて見守った。
 『1、2審と最高裁の判断は真逆になり、このご家族にとっては温情ある判決だと思いました。一方で、ケースによっては介護する家族に賠償責任が生じる、との判断も示しています。何をどこまでやっておけば責任を問われないのか、家族に不安は残ります』
 秋川さんの実母は2009年ごろから認知症の症状が表れ始め、徘徊を繰り返した。無銭飲食をする度に店に謝りに行っては代金を払った。家の中で新聞紙に火をつけ、火事寸前になったこともある。
 『今思えばの話ですが、問題行動を放置していたと認定されれば賠償責任を負う可能性もあったのだと知り、ハッとします。判決では介護施設に入所している場合には施設が監督義務者としての責任が問われる余地も示されていた、ただでさえ大変な労働環境の介護現場へのプレッシャーになるのではと気がかりです』(秋川さん)
 民法は、責任能力のない人が第三者に損害を与えた場合、監督する義務のある人が賠償責任を負うと定める。今回のJR事故裁判の1審は妻と長男の責任は免れないとしたが(2審は妻の責任のみ認定)、最高裁認知症の家族が必ずしも監督義務者に当たるとは限らないとの判断を示した。
 元最高検察検事お堀田力(つとむ)氏は『家族の監督義務を否定した結論は妥当』としたうえで、『でもどういう時に家族らに責任が及ぶのか基準が曖昧だ』と指摘する。
 介護保険制度に詳しい東洋大の高野龍昭准教授は、いずれにせよ家族に監督義務を求めている点に違和感を覚えるという。
 『介護は家族の責任ではなく社会全体で担う、というのが介護保険法の理念です。それなのに民法では認知症の人が事件の事故の責任が負う、というのは制度間に矛盾があるように思えるのです』
 また、JRのような大企業ではなく中小企業が認知症の人の行為で被害者になったり、個人が危害を加えられたりする可能性もある。
 『企業に大きな損害を及ぼす行動があったような時、認知症だから免責され、監督義務者もいないから賠償責任が問えない、となれば被害者は救われない。介護は社会で担うものであれば、こうした補償も社会的に救済する制度の創設が必要です』 (高野准教授)
 また、家族が法的責任を問われる場合があるとなると認知症の人の行動を制限しかねない懸念もある。堀田はこう話す。
 『認知症の人の行動は被害、加害双方の危険があるが、行動の自由は憲法が保障する基本的人権です。家に閉じ込めたらそちらの方が違憲。ある程度の社会的な危険は行動に常に伴う「許される危険」として認められなければならない』
 10年後には5人に1人が認知症の時代がやってくる。誰でも当事者だ。リスクに備える保険制度や救済措置の構築、家族や地域がどう役割を果たすべきか・・・。議論を急ぐ必要がある」




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