¥4〉─2─日本のビジネス・モデル。~No.11 @ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ビジネス・モデルは、人口爆発期では低価格の量であり、人口激減期では高価格の質である。
   ・   ・   ・   
 人口爆発期は、大量生産・大量消費。
 人口激減期は、少量生産・少量消費。
   ・   ・   ・   
 2017年1月号 新潮45「反・幸福論 佐伯啓思
 70回 成長の形而上学
 経済成長は、それ自体では、良いことでも悪いことでもない、何が成長しており何が破壊されているかが問題なのである。
 経済成長とは『家の繁栄』
 今日の経済は、成長の追求が困難であるだけではなく、成長追求は必ずしも望ましいことではない、というのが私の考えである。すると、ある人が、『そうはいっても、成長というのは、なにか生物的な本能のようなもので、人は常に成長そのものを求めるものではないか』といったことがあった。『成長を求めることは生命の本質だ』というわけだ。逆にいえば、『もしも成長ができなくなれば、それは生命体としての人間の衰弱であり、人はそのことに恐怖感を抱くのではないか』ということにもなろう。
 これは案外と手ごわい反論である。『成長』という概念には、どこか生物学的な発想がある。だからまた、経済成長には、何か、生物的な種の繁殖というイメージと重なるところがある。
 だがさしあたって、この問いに対しては次のように答えることができるだろう。
 第一に、人類の長い歴史のなかで、今日、われわれがいうよな『経済成長』が生じたのは、せいぜいこの200年ほどの期間に過ぎない。それ以前のきわめて長い間、人類は『経済成長』など経験しなかった。ということは、『経済成長』とは、人間の生物的本能というよりも、近代社会で生み出された歴史的な現象というべきである。
 第二に、もしも、『生命的・生物的現象』というのならば、生命は、誕生して成長し、やがて頂点に達した後に衰弱し、死にいたる。これこそが『生命的現象』ではないのか。だから、無限の成長の方が生物的な発想に反するであろう。無限の成長という論理は、個体の生命的現象を超えた種や類といったより大きな社会集団についていえることであろう。
 確かに、日本には(そして世界の多くの国で)『家』の繁栄という概念が伝統的に存在した。一族の繁栄やさらには『国』の繁栄、という概念も存在したが、それは、個体的な生命を超えたものなのである。それは個体の生命を超えて存続するところに意味がある。そして長い間、このは『繁栄』、多くの場合、『成長』を意味するというよりも、『安定』や『持続』や『存続』を意味していた。
 さてここで私が考えてみたいのは、後者の方である。ここには存外、大事なことが示唆されているのではないだろうか。
 もしも、生物的事実に立てば、個人としての私は、わざわざ経済成長など求める必要はない。どうせ自分は死んでしまうのだから。では、それにもかかわず、どうしてわれわれは『経済成長』を求めるだろうか。
 たいていの人は、自分たちの子供が、自分よりよい生活をすることを望んでいる。国の経済成長を望むということは、自分たちの子供の世代が、自分たちよりも、もつとよい生活をしていることを期待するということであろう。経済成長とは、それを望む子孫が増加するということだ。
 だがそうだとするとどうなるか。人口減少社会とは、子供をもたない家族が増加する社会であり、家庭をもたない人々が増加する社会である。70年代にはそれでも日本の家族の平均人数は3人を超えていた。つまり、平均的にみて、夫婦と子供が1人または2人である。しかし90年代にはそれは3人を下回る。つまり、一人暮らし、もしくは子どもがゼロか1人ということになる。
 こうして、今日、われわれは人口減少社会に入った。『家』をもたない、もしくは、その継続性を期待しない若者たちが増加している。たとえば35歳ー39歳の男性の未婚率は1995年の約23%から2015年の約35%へと増加し、女性の場合、10%から23%へと増加している。おおよそ男性の3人に1人、女性の4人に1人が未婚ということになる。ついでに50歳を基準にした『生涯未婚率』は、2015年で男性は約23%、女性は約14%である。
 ある意味では子供がおらず家族をもあなければ、人生はきわめてシンプルなものだろう。家も大きな財産も所有する必要はない。所得も資産もすべて使い切って死ねばよいのだ(ただ、そのこと自体がかなり難問ではあるが)。
 人は、個体の生命的原理にしたがえば、ただ死ぬだけのことで、次世代に何も残す必要はない。だから人口減少社会の若者が経済成長に対して強い関心をもたなくなるのが当然のことであろう。生物的比喩を使えば、生物的な繁殖力が低下した社会は、経済成長への関心も薄くなるのかもしれない。
 逆にいえば、経済成長とは、暗黙裡に『家』という概念に支えられていることになる。自分の子供や子孫がよい生活をしてほしい。それを『家の繁栄』といった。『家』が繁栄するには一国の成長が不可欠であろう。こう考えれば、経済成長は望ましいものとなる。だから、『家』が崩壊してくると、もはや経済成長を強く望む理由はどこにもなくなる。かくて人口減少社会が脱成長社会である、というのは、ただ労働人口が減少するというだけのことではない。次世代によりよい生活を残そうという、個体の生命を超えた強い意欲が減退するのである。
 今日、家族ももたずに子供に何かを残そうとも考えない若者が増えてきているとうことは、戦後日本がひとつの理想とした『個人主義』や『自己責任』が思いもよらない形で実現したということにもなろう。彼らはいうだろう。『自分は家庭もほしくない。一人でいるのが一番楽だ。自分一人が生きるのに必要なものを稼ぐだけでいい。毎日早朝から会社にいって、一日、働かされて一生過ごすなんてまっぴらだ』と。
 成長の量ではなく質
 確かに、これでは強い労働意欲はでてくるはずもないだろう。イノベーション主義者が主張するような、新機軸を実現する野蛮な貪欲さも、リスクを引き受ける向こう見ずなベンチャー精神もでてこないであろう。『今の若者は内向きで覇気がない』などという必要もないし、このような生き方を冷笑する必要もない。別に経済成長を否定するわけではないものの、そもそも成長することに関心がないのだ。
 こういう気持ちはわからないわけではない。しかし、彼らにこう問うてみよう。
 『君は、それなりに楽しい生活をして一生を終わりたいといっている。しかし、旅行にいくにしても高速鉄道や飛行機や自動車という移動手段に頼らざるをえないだろうし、病気になれば、現在の医療技術の世話になり、一人で死ぬといっても病院や施設の世話にならなければしょうがないじゃないか。こうしたものは、他人と共有しつつ、他人とともに作り出しているのだろう。しかも、君が楽しんでいるこの世界には、君の親やまたその親の世代の人たちが作り、残してきたものだ。君自身も仕事をして社会に対してひとつの役割を果たし、その仕事の成果は後の世まで残るかもしれない。だとすれば、君自身の生や死は君一人のものかもしれないが、君を生かし、うまく死なせてくれるこの社会というものがある。そして君が生きようと死のうと、この社会は残る。それならば、この社会をどのような形で残すか、何を残すか、ということは君自身とも無関係ではないだろう。違うかね。』
 ここに、実は成長というものを理解する大きな論点がある。
 経済成長とは、親の世代の犠牲の上に子供の世代へ何かを贈ることなるのである。成長とは、今日の多少の犠牲によって明日をよりよくするということであり、しかも明日の状態を決定するのも、現在のわれわれなのである。ということは、われわれは、『明日』についての一定のイメージを持たねばならない。そのイメージに基づいて、明日は今日よりよい社会である、と想定しているのである。この時に、われわれはひとつの価値を選択していることになるであろう。『よりよい社会』という価値判断がなければならないからである。
 ところが、この価値判断は、決して個人からはでてこない。個人の次元でいえば、将来に向けて何も残す必要はないからだ。だから個体の生死を超えた『よりよい社会』というイメージがなければならない。ここに、個人の事情や利益を超えた一種の公共精神がなければならない。そこで、われわれは、物的な財貨であれ、サーヴィスであれ、精神的なものであれ、何かをこの『世界』に付け加えることで、この『世界』をいっそうよいものにする、という公共精神をどこかでもたなければならないであろう。
こうして、われわれは、個体の生や死を超越し、いまここでの快楽や愉快を超え出た『世界』へコミットしてゆく。それは、いまここにいる自分からの超越でありこの状況からの超出である。未来へ向けた自己超越である。いまここでの快楽や便利さや利益や生活に満足し、そこで自足しているだけでは、この超越はでてこない。現在の状態に不満を持ち、いまこの状態に充足できないから未来へと投企しようとするものであろう。しかも、それは自分一人の個人的感覚や個人的利益の問題ではない。個人的事情などというものも超出しなければならない。それは未来へ向けた集団的投企であり、そこには『よりよい社会』という共通観念がある程度なければならないであろう。
 ところが、われわれはいったいどのようにして『よりよい社会』などというイメージを共有できるのだろうか。われわれを取り巻いているこの『世界』へ、どのような貢献によってよりよいものを付け加えることができるのであろうか。
 これは一種の形而上的な問といってもよいだろう。経済学者は経済成長をあたかも物理学(フィジックス)のようにいくつかの因子のメカニックな関係によって数値的に扱おうとするが、本当に必要なのは、経済成長につての形而上学(メタ・フィジックス)にほかならない。それは、価値への問いかけであり、成長の量ではなく質への問なのだろう。
 冒頭に述べたように、『成長』という概念には、どこか生命的なものを想像させるところがある。それは人間を含む生物的なイメージと重なり合う。ところが、人間の場合、成長とは、ただ生物的・生命的現象だけをさすわけではない。われわれはよく『あの子も成長したなあ』などという。その時、彼の身長が伸びたとか、体重が増えたということだけをいっているのではない。そうではなく、一人前の判断力をもち、知的な能力や道徳的な能力を高め、他人との社会性を身につける、といつたことまで含んでいる。ただただ体の表面積が膨張するのではない。『立派な人間になる』ことなのである。ということは、ともかくも『立派な』という価値は共有されており、そこにひとつの価値判断がある。『何が立派なのか』という形而上学的な問が隠されているのである。
 それに比べれば、GDPで測定した統計的数値が膨張したことを経済成長と呼ぶのは、身長計や体重計の数値が増加したといっているだけのことだ。体重の過剰増加によってバランスが崩れることもあるだろう。体がでかくなったからといって、知力や徳力が高まったという理由はどこにもない。
 さらに『成長』という概念のいくぶん生物学的な意味合いをさらに拝借すれば、ある種の領域での成長は、ある限界までくれば衰退から死滅への道をたどることもありうる。いや、一定の役割を終えたものは、衰退して死滅するのが自然なのである。それを無理やり無条件に成長させることは、決して適切なことではなかろう。かくて『成長』の概念には、衰弱や持続や消滅さえもが、同時に示唆されていることになる。だから、シュムペーターも、新機軸の登場は、既存のものの消滅を意味すると考え、『創造的破壊』と呼んだのである。
 このことは再び、価値への問いかけを意味している。なぜなら、GDPの何%の経済成長などといって集計化したとしても、実は決して統計化できない変動が、その内部で生じている、ということを意味しているからだ。新たに展開し成長するものは何か、そのために消滅するものは何か、それを区別し、見極めるのは価値観であり、社会哲学なのである。
 豊かさのパラドックス
 ところが、今日の経済成長主義も、それを支える経済学も、いっさいの社会哲学とは無縁になってしまっている。科学の名のもとに、社会哲学という自らの命綱を切り離してまった。価値を問うという社会哲学などというものは、個人の自由と利益の追求から出発する自由社会には余計なものである、というわけだ。
 改めて言えば、現在われわれがおかれた状態よりも、将来世代の状態の方がよい、ということは、いいかえれば、われわれのおかれた現在の状態は、われわれの親たちのおかれた過去よりもよりよくなっている、ということを意味している。経済成長を『社会進歩』とみなす成長主義は、過去を現代より劣った時代として否定する。そうして現在は未来によって否定される。あれわれは先行する世代の犠牲の上にこの生活を可能としているのに、その先行世代を否定する。それは過去の忘却と否定によって成立している。しかもそれだけではなく、常に、未来の名によっていまここにある現在をも否定し続けるのである。
 しかし、そんなことが可能なのだろうか。そもそも過去と現在の幸福を比較することができるのだろうか。
 ……
 これは一種の豊かさのパラドックスでもいうべきもの……
 つまり、満足にせよ、効用にせよ、状況の問題なのである。いかなる状況下で、われわれがあるモノを手に入れるからこそが満足の指針になる。数量が、つまりGDPの大きさが問題ではないのだ。
 ……
 不便な時代にむしろ不便の効用があり、モノの不足した時代には、不足の効用があった。量よりも質が問題であった。人はモノを大事に使い、モノを大切にすることは、モノがただ物理的なモノなのではなく、そこにある種の神聖さや愛着や記憶といった要素を付加することを意味している。
 また、ひとつの食器や一枚のレコードを大事にすることは、一種の道徳的で精神的な意義さえ帯びていた。『モノを粗末に扱ってはならない』という大昔からの道徳律は、モノが不足していたがゆえの功利主義からでたのではなく、モノと人間の密な関わり合いこそが、『世界』を作り出すという哲学からでたのであった。モノは『世界』を構成する大事なアイテムだったのである。もしも、こうしてモノを大事に扱い、いつまでもとっておけば、GDPの増加にはまったく寄与しない。だがそれは、われわれを取り囲む日常生活の『世界』を豊にするだろう。
 今日、その逆に、モノは次から次へとあふれ出ては、流れ去ってゆく。経済成長とは、次々と、モノをあふれ出させては流し去ってゆくことなのである。このフローの洪水のなかをわれわれの生は流転してゆく。テレビのコマーシャルや雑誌によって、新製品の情報はあふれ、われわれは、何かが新しく商品化されるということ自体に関心をいだく。新奇さそのものがわれわれの脳を刺激するのである。経済成長主義とは、経済規模の拡大という単ある事実をいうのではなく、モノと人間の関係の、『世界』と人間のあり方の変化を意味しており、それはまた価値観の変化を意味しているのだ。
 モノが流れ去ってなくなっても、すぐに次のモノが手元にやってくるから、確かに、今日の生活は、50年前よりはるかに便利である。なくなってもすぐに次のモノが補充される。しかし、この現在を50年前と比べてどちらが幸福かなどと果たしていえるであろうか。そもそも比較が不可能なのだ。50年前に50歳だったものと、いま50歳になったものとどちらが満足度の高い社会にいるか、などといっても意味はない。それを比較する尺度、つまり価値の基準がないからである。
 だからこそ、われわれはGDPがどれだけ増えたなどというほかなくなってしまったんである。生活の質も満足の質も比較不可能だから、量で比較するのである。経済成長率何パーセントという数値だけが、この無意味さから現代に生きるわれわれを救いだしてくれるように見えるのである。われわれの生活がよくなった、という証拠がGDPの成長に示されているのではなく、GDPが成長したから生活がよくなったとみなされる、というだけのことである。犯罪があるからそこに痕跡が残っているのではなく、何かを痕跡とみなしたためにそこに犯罪があった、といっているようなものである。
 そして、これと同じ理屈をわれわれは将来へと延長しようとしている。将来のよりよい社会のために成長するのではなく、成長するから将来の生活はもっとよくなっている、というわけである。しかしそんな理由はどこにもない。50年前を振り返っても、比較不能としかいいようのないものが、成長すれば50年後はもっとすばらしい社会になっているなどとどうしていえるのだろうか。比較などしても意味はない。
 成長の原理
 前回述べたように、われわれは、『生命』『自然』『精神』と『世界』ともにを与件として日々の活動を行っている。それはで『人間の条件』ある。『世界』とは、われわれが積み上げてきたストックである。それは、耐久性と歴史性をもっている。それは、人を社会とつなぎ、生の安らぎと精神の安定を与える。それは、日常的な生活の空間であり、愛着をもったモノに囲まれた空間であり、また、生活する都市や建物であり、交通網であり、家族や知人などの集まりの『場』であり、伝えられてきた文化や芸術作品などから構成された『場』でであり、教育やメディアを通して知識や道徳を伝達する『場』でもある。この『世界』がある程度、安定していて初めて、われわれは、次の世代へ向けて社会を継続することができる。
 いうまでもなく、『世界』を構成しているアイテムについては、計量できない。『世界』がこの1年で何パーセント増加しただの成長しただのということはできない。しかし、『世界』が脆くなったとか、不安定なものになったとか、変質してきたとか、といった『感じ』をもつことはできる。というよりも、われわれは、否応もなくそのように感じる。
 ……」
   ・   ・   ・   
 江戸時代の町人の金銭感覚、江戸っ子の気風は、「宵越しの銭を持たない」事であり、金がなけれ男伊達として「粋」がって痩せ我慢した。
 身の丈に合った生活を心がけ、夜逃げする程の借金をせず、手持ちの金で生活しそして楽しんでいた。
 町人の内で商品を売る商人・行商人は少なく、大半が消費者であり生産者として手に技術を持つ職人か料理人であった。
 「金は天下の回りもの」「金銀は回り持ち」として、世間で稼いだ銭は世間に返す事が当然として、家族・長屋・町内の為に使って固い絆を築き濃密な人間関係を維持した。
 江戸っ子・町人は、金を稼いでも仲間付き合いも為ず貯め込む小賢しい者を、けち臭い「守銭奴」と軽蔑した。
 江戸時代は大火が多く、自然災害も多発して、生き残るには家族・長屋・町内で助け合うしかなく、それ故に家族の絆や長屋の団結や町内の繋がりを大事にした。
 稼いだ金は、その為に使われた。
 江戸時代の町人は、小銭を貯めて資金を作って投資して大金を稼ぐという金銭感覚はなかった。
 江戸時代の町人に「貯蓄と投資」という経済観念が生まれなかったのは、頻発する大火と多発する自然災害という自然環境が原因であった。
 江戸時代の町人が大切にしたのは、金ではなく人間関係であった。
 大火の多かった江戸時代だけではなく、深刻な被害を出す自然災害が多発する日本列島では一人では生きらない過酷で、生きる為に必要なのは、才覚一つで他人から奪って蓄えた金ではなく、賢く金を使って築いた人間関係であった。
 江戸時代には、資本投資による世界史的経済成長はなかったが、金は滞る事なく世の中を巡り技術の進歩によって各地で新たな特産品や名産品などの商品を生み出していた。
 町人は、小銭を蓄え、家族や仲間同士での、寺社仏閣巡りや湯治・温泉旅行や名跡旧跡・景勝地巡り、名店の食べ歩きなどといった旅歩きを楽しんでいた。
 「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそん」として、馬鹿のように戯けて踊い、腹の底から笑い、浮世の憂さ晴らしとして、その時々、瞬間を、狂ったように呆けて楽しんだ。
 全国各地に、町人・百姓を中心とした四季折々の活気に溢れた祭りが数多く存在している。
 江戸時代の町人や百姓は、稼いだ金を貯蓄し資本として投資するのではなく、そうした楽しみに使った。 
 そして、大名は、参勤交代で莫大な経費を街道にバラ撒き、その散財故に豪農や豪商から巨額の借金をし、借金返済の為に藩士の俸禄を強制的に減らした。
 支配階級であった大名(封建領主)やサムライは、権力を振り回す表向きに比べて金銭的な内面では被支配階級の百姓町人よりも貧しかった。
 大名が悪政や失政して領民を苦しめると、領民は幕府に大名の不当を訴えた。
 幕府は、理が領民にあると判断すれば大名を処罰し、重罪と見なせば領地召し上げそして切腹を命じた。
 町人の楽しみとは、一人で金を貯める事ではなく、皆と金を使う事であった。
 ゆえに、江戸文化とは、町人・商人・百姓文化であって、王侯貴族・資本家・大地主文化ではなかった。
 その意味でも、日本のお大尽さんは大陸の大金持ちとは違っていた。
 世の為・人の為とは、世のお陰・人のお陰でに対する感謝の気持ちと恩返しである。
 それが、日本の封建時代であった。




   ・   ・   ・