⛲17〉─2─親の遺骨を捨てる下流中高年の子供達。身寄りなき下流老人の哀れな末路。~No.73No.74No.75 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 一人者の下流老人は、死んだら遺骨の引き取り手がなく無縁仏となる。
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 2015年9月18日号 週刊ポスト「『下流老人』のあまりに哀しい末路
 親の骨を『捨てる人々』が増えている
 火葬した後、墓に納骨せず遺骨を『置き去り』にする事例が増加している。神社や寺院の境内、駐車場、電車内などに遺骨が放置され、警察に落とし物として処理される件数がここ数年で増加傾向にある。
 『忘れ物』として置いてゆく
 置き去りにあれる遺骨の多くに共通するのは、道端などに捨てるのではなく『忘れ物』を装って、電車の網棚の上や神社などの施設内に放置されるという点だ。
 遺骨をしかるべき保管場所以外に放置すると刑法190条の『死体遺棄』にあたり、3年以下の懲役に処せられる。罪に問われたくないという思いや、『捨てるのは忍びない』という意識が手伝い『忘れ物』という形で放置される例が増加している。
 千葉、埼玉両県警の管轄内で『遺失物』として処理された遺骨は3013年1月から15年8月までで21件。年々増えつつある状況にあるなか、千葉県警は4年前、埼玉県警は3年前から落とし物の項目に新たに『遺骨』の分類を作った。
 いくら名目上〝忘れ物〟だとしたところで、事実上は捨てられたことに変わりない。しかし捨てられた背景を顧みると、やむにやまれぬ状況が垣間見えてくる。
 10年11月、ある男性が08年に両親の遺骨を遺棄したとして逮捕された。逮捕まで2年もかかったのは、男性が貧困の末に住む家すら失っていたかあだった。
 男性の両親は東京都内に住んでいた。母親が死亡すると、その遺骨は父が管理した。ところが父親も数年後に死亡。最終的に両親の遺骨を引き取ったのが逮捕された一人息子だった。男性は仕事の都合でかって住んでいた宮城県仙台市まで車を飛ばし、市内の駐車場に車ごと遺骨を放置。その後職を失い、親類を頼ることができず、家を売り払い、ホームレスとして路上生活を送っていた矢先に逮捕された。男性は『金がなく、どうしようもなく捨てた』と供述したという。
 07年には神奈川県藤沢市で、寺の境内に夫の遺骨を遺棄した疑いで73歳の女性が逮捕されている。この女性は、『これ以上は保管が困難』という理由とともに『子供に迷惑をかけたくなかった』と漏らした。遺骨は白い布にくるまれ、ポリ袋に入れられた状態で境内に置かれていた。遺骨の中には火葬許可書の切れ端があり、記載された受理番号から女性だと特定された。『墓を見つけて納骨する金銭的余裕がなかった。自分の先行きも長くないと思った』
 逮捕後、女性はこう供述している。夫は04年に病死しており、しばらくは遺骨を自宅に保管していたが、結果として寺に放置した。遺骨が置かれた直後、せめてもの誠意なのか、それとも遺骨を弔えなかった罪悪感からか、寺に『供養してください』という手紙とともに現金2,000円を送ったという。
 ……
 親や兄弟の遺骨を捨てる──行為自体は咎められて然るべきだが、捨てる人々の事情や思いを考えると、やりきれない気持ちになる。
 100万もの放置予備群
 やむにやまれず遺骨を捨てる大きな理由には、前出の例のように『経済的困窮』がある。日本エンディングサポート協会理事長・佐々木悦子氏の話。
 『都内でお墓を買うとすれば、標準的なおのでも130万円から140万円、それに年間維持費で数千円から1万円程度かかります。最も安価な永代供養墓だと3万円から5万円程度で維持費もかからないのですが、実はそれすら払う余裕がないという方が増えています』
 そのためか、遺骨を自宅などで保管している人は意外に多い。首都圏だけでも100万柱あるといわれており、墓に納められないまま時が経過し続けている〝放置予備群〟は年々増加している。老人ホームなど施設に入居する際に遺骨を持ち込めなくて困っている、といった相談も少なくない。何らかの契機で保管者に金銭的余裕がなくなり、『下流老人』化すれば、それらの遺骨が『忘れ物』と化するおそれがあるのだ。
 さらに遺骨の遺棄が増えたもう一つの背景について、日本人そのものの変化を指摘する声もある。
 僧侶の資格を持ち『寺院消滅』(日経BP社刊)の著書があるジャーナリストの鵜飼秀徳氏はこう話す。
 『核家族化や生活の都市化によって、人間関係が希薄になり、死を簡単に処理しようとする人が増えています。一昔前までは家族は祖父母から孫までが一緒に同居し、親戚づきあいも盛んで、その分、人の死に触れる機会も多かった。自分の肉親が亡くなったときには周りの目もあったので、きちんと弔わなければならなかったし、手助けしてくれる人も多かった。
 しかし現代では、都会の生活に慣れたせいで田舎での人付き合いが煩わしくなり、親戚やお寺との付き合いが希薄になりつつある。結果、周りの目もなくなる。どうしても煩わしさが先行してしまい、責任感もなくなって「捨てる」という行為につながってしまうのではないでしょうか』
 しかし肉親の、しかも親の遺骨となれば捨てるのにかなりの抵抗があるのではないか。そう考えるのが一般的だろうが、実際に遺骨が目の前に存在し続ける状況になると、事情は変わってくるようだ。
 『多くの人は最初は丁重に扱います。が、遺骨が目の前に常に置かれていることに圧迫感を感じ、「お墓に入れないと祟られるんじゃないか」「弔うこともできない自分は穢れているんじゃないか」という自分を責めてしまう場合がある。その結果、遺骨を自分の目の前から遠ざけたくなることがあるようです』(前出・佐々木氏)
 『下流老人』の定義には『経済的困窮』とともに『社会的孤立』がある。その両方が要因である『遺骨遺棄』の増加──これは、日本の下流化が進行していることを露呈しているのではないだろうか」
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 下流社会で死生観、人生観、幸福感が激変し、親や兄弟の遺骨を弔わず捨てる人々が増えている。
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 自分と親、自分と兄弟、自分と子供の繋がりが希薄となる。
 祖先と自分、自分と子孫の絆が遮断される。
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 日本は薄情、
 日本人は親不孝。
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 生きていた、存在していた、ここにいた、それら全てが消され忘れさられる人びと。
 それが現代日本人である。
 忘れ去られ行く現代日本人。
 現代日本人は「無」である。
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 祖先から切り離され、子孫からも切り離された、分断と遮断の中で生きている「個」としての現代日本人。
 個は無である。
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 2015年9月25日 産経ニュース「中韓は親孝行、日本は薄情? 「親の世話したい」4カ国最低の37% 高校生意識調査
 高齢の親の世話をしたい高校生は少数派? 国立青少年教育振興機構が昨年実施した意識調査で、高齢となった親を「どんなことをしてでも自分で世話をしたい」と答えた日本の高校生は37・9%で、日米中韓4カ国の高校生の中で最低だったことが25日までに分かった。
 最も高い中国は87・7%。韓国57・2%、米国51・9%で日本以外は半数を超えた。日米中の3カ国が対象だった2004年調査では日本43・1%、米国67・9%でいずれも減少。中国は84・0%から微増した。
 一方、「経済的な支援をするが、世話は家族や他人に頼みたい」は、日本が最も高い21・3%。米国19・3%、韓国7・3%、中国6・3%だった。「分からない」との回答も、日本が31・5%と突出。米国17・2%、韓国7・7%、中国2・9%だった。
 調査は昨年9〜11月に行い、4カ国の計約7600人が回答した。」


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