🥓43〉─1─「老親の面倒をみる」が女性の社会進出を阻害していた。~No.194No.195No.196 

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 2023年1月3日 YAHOO!JAPANニュース 文春オンライン「「老人を敬う」「親の面倒をみる」は本当に倫理的なのか? エマニュエル・トッドが語る“女性の地位”の変化
 「老人を敬う」「親の面倒をみる」は本当に倫理的なのか? エマニュエル・トッドが語る“女性の地位”の変化
 2022年11月、フランスの歴史人口学者・家族人類学者、エマニュエル・トッド氏が、『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(上  アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか /下  民主主義の野蛮な起源 )の刊行に合わせて来日した。本書は、ホモ・サピエンスの誕生からトランプ登場までの全人類史を「家族」という視点から描く、トッド氏の集大成と言える作品だ。
 【画像】トッド氏 いわく「日本では、母親が、育児に時間とエネルギーを注ぐことを要求される雰囲気がある」
 人類史における女性の地位の変遷について、トッド氏に聞いたインタビューの一部を、『 週刊文春WOMAN2023創刊4周年記念号 』から紹介する。
 ◆ ◆ ◆ 
 女性の地位の低下が「社会の発展の阻害要因」となった
――家族外の「人間集団」の規模や比重が大きくなるなかで、女性の地位はどうなったのでしょうか。
 まず原初の核家族でも、完全な平等ではなく男性がやや優位だったのは、性別分業があり、女性が採集したものは家族内に留め置かれたのに対し、男性が狩猟で得た獲物は、地域の集団のなかで分配されたからです。
 ここから、総じて男性は(家族外の)集団への帰属意識が強く、女性はより家庭的で個人主義的だという違いが生まれてきます。つまり、社会の分業化に対応したのは主に男性で、女性は、「家族」のうちに閉じ込められ、家事や育児や教育に専念するようになったのです。
 話をまとめると、二つの人類史の“逆説”が確認できます。
 第一に、西洋人は、「最も進んでいる」と思い込んできたわけですが、西洋の科学技術的・経済的近代は、むしろ太古的な家族システムに符合していることです。「西洋人」とは、その習俗においては、人類の古い共通基盤、原初の時代に地球の各地に暮らしていた狩猟採集民たちからさほど遠ざかっていない「未開人」なのです。
 第二に興味深いのは、かつて文明の発祥地だったユーラシアの中心部ほど、ある時点で歴史の発展が止まってしまったことです。
 ここで重要なファクターは「女性の地位」です。当初は「文明化の指標」だった「女性の地位の低下」が、人類史のある時点から、「社会の発展の阻害要因」となったわけです。
 「個人としての女性」の自由が制限されるところでは、実は「個人としての男性」の自由も制限されます。夫婦や個人を父系の親族関係の中に閉じ込める共同体家族のような家族形態では、男性も、囚人のような存在、個人としての自立性を失った“子供”のような存在になってしまうのです。
 日本の出生率低下の原因は、「育児」か「キャリア」かの二者択一を迫られること
――ユーラシア大陸の周縁部ほど、太古の人類に近い家族形態が残存しているという東アジアの共通点を踏まえた上で、トッドさんの理論からすると、中国、朝鮮半島、日本の比較で言えば、女性の地位が相対的に高いのは、最も周縁に位置する日本だと考えてよいのでしょうか。
 基本的にそうだと思います。
 女性が書いた古い時代の文学が残っていたり、女性天皇が存在したのは、その証しで、最も周縁の日本が、ホモ・サピエンスの太古性を最も残している、と言えるかもしれません。また日本と朝鮮半島は同じ直系家族ですが、日本では血縁のない養子が普通に存在したのに対し、朝鮮半島では見られません。中国、韓国の夫婦別姓に見られる血統重視は、日本より父系制が強いことを示していると考えられます。
――しかし、ご著書では、「少子化対策にも移民受け入れにも本腰を入れていない日本は、そもそも国力の維持すら諦めているように見える」として、直系家族社会特有の問題を指摘されています。
 直系家族のドイツと同様に、女性が「育児」か「キャリア」かの二者択一を迫られるところに、出生率低下の原因があります。
――そこを例えば、フランス的な制度の導入によって解決できるのでしょうか。
 フランスの制度は、日本人の習俗ではなく、フランス人の習俗に合わせてつくられています。
 ここで「世帯」と「家族」の区別が重要になります。例えば、今の日本では、直系家族の典型である「三世代同居」はもはや見られません。しかし「核家族的世帯」で暮らしていても、「年老いた親の面倒をみる」という規範が依然として強くあります。敢えて乱暴な言い方をすれば、フランスであれば、老人ホームに入れて親を見捨ててしまいます(笑)。そこに習俗の違いがあるわけです。
 さらに日本では、母親が、育児に時間とエネルギーを注ぐことを要求される雰囲気がある。これも「ゾンビ儒教」や「ゾンビ直系家族」のメンタリティが根強く存在している証しです。
 いくら「核家族世帯」が増えても、「日本の直系家族は消滅した」とは言えないのです。「直系家族」のメンタリティは、容易には変えられません。個人ではなく集団のものだからです。
 例えば、あるカップルが、自分たちの考えで一般とは違うことをやろうとしても、近所や親族内で一種の“スキャンダル”になってしまう。そうした「文化的惰性」から脱出するのはとても困難なのです。
 しかも人口動態をみれば、老人がさらに増えていきますから、今後、「儒教的な老人支配」は強まる一方です。
「老人を敬う」「親の面倒をみる」は今も倫理的なのか?
 ここで問うべきなのは、「老人を敬う」「親の面倒をみる」といった、かつての倫理が、果たして今も倫理的だと言えるかどうかです。
 フランスのバカロレアという試験の科目には哲学がありますが、そうした試験で「儒教の教えは、今日のような状況では、実は不道徳ではないか」といった問題をつくれば面白いと思います(笑)。というのも、親の面倒ばかりみていたのでは、子供がつくれません。国としても老人ばかりに予算を使っていては、少子化が進む一方だからです。
――『老人支配国家 日本の危機』(文春新書)という本では、「『家族』の過剰な重視が『家族』を殺す」と指摘されていましたね。
 結婚にしても、出産にしても、「家族」に関わる選択が、日本では、とくに日本の女性にとっては、あまりに重すぎる“決断”となっています。フランスではもっと気軽に結婚したり、子をもったり、離婚したりします。
 「家族」をあまりに完璧なものに見立てたり、「家族」ですべてを背負おうとすると、現在の日本の非婚化や少子化が示しているように、かえって「家族」を消滅させてしまうのです。
 親の面倒をみることは、道徳的に褒められているけれども、本当に褒められるべきことなのか。これから人生を営んでいく、これから社会を成り立たせていく、といった観点から、そう問い直すべきではないか。老人の一人としてそう思います(笑)。
●トッド氏が「家族のあり方」に着目した理由や、男女平等だった原初の人類にあり方、「安全保障よりも少子化こそ日本の真の危機」という指摘など、インタビューの全文は『 週刊文春WOMAN2023創刊4周年記念号 』でご覧いただけます。
photographs: Kiichi Matsumoto
 「週刊文春WOMAN」編集部/週刊文春WOMAN 2023創刊4周年記念号
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