🚷50〉─1─虐げられるマイノリティである「若者」は声を上げなくていいのか?~No.197No.198No.199 

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 人口激減する少子高齢社会では、子供・若者がマイノリティであり、おじさん・おばさん・シニアはマジョリティである。
 豊かなマジョリティは、貧しいマイノリティを犠牲にする。
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 2023年8月18日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「虐げられるマイノリティである「若者」は声を上げなくていいのか?
 2度の日本の発展期では若者が活躍した
 現在、日本の全人口の平均年齢は約49歳と50歳に迫る勢いで、世界第2位である(参考:IZANAU 2022年5月16日「【2022年版】世界と日本の平均年齢と人口減少」)。
 【写真】日本は高齢者だけのものではない、多数派の横暴は許されるのか?
 世界第1位のモナコは、富裕層が(引退後の)悠々自適な暮らしをする「移住場所」として有名だから、実質的には日本が「世界最高齢国家」と言ってよいかもしれない。
 だから、我々が日常「普通」と考えていることの大部分が、世界基準で見れば「年寄り臭い」可能性がある。
 ジェトロ 2021年1月21日「ベトナム 教育(Edtech)産業調査(2021年1月)」によれば、ベトナムの平均年齢が約31歳である。そして、インドはさらに若く約28歳。中国は世間で思われているよりも高齢化しているが、それでも平均年齢は約39歳である。
 そして、IZANAU 2020年1月23日「世界と日本の平均年齢【ランキング】」によれば、世界の平均年齢は約31歳である。
 しかし、日本も昔から「高齢国家」であったわけではない。国土交通省「平成21年度 国土交通白書第1節 大きな変化の中にある日本」の資料によれば、日本の全人口の平均年齢は、1960年に約29歳、1980年も約34歳と、現在のベトナムやインドに匹敵する水準であったのだ。
 さらに時代を遡った正確な資料は無いが、お誕生日新聞 2022年12月22日「日本人の平均寿命の移り変わりと長寿祝いの歴史」によれば、安土桃山時代の「平均寿命」は30代、室町時代は15歳前後、鎌倉時代が24歳、平安時代は30歳、飛鳥・奈良時代が28~33歳、古墳・弥生時代が10~20代、そして縄文・旧石器時代が15歳前後とされるようだ。
 江戸時代の「平均寿命」は32~44歳、明治・大正時代は44歳前後であろうとのことだから、「日本の平均年齢」は当然、それよりもはるかに若かったはずである。
 幕末・明治維新に活躍した新選組近藤勇は33歳で死去。高杉晋作は27歳で亡くなっている。西郷隆盛は49歳で没した。
 さらに、多数の明治元勲の「師匠」である、吉田松陰が江戸伝馬町の獄において斬首刑に処され時にはまだ29歳であった。
 当時は、確かに現在よりも「平均年齢」が若かったが、若いから大事を成し遂げることができないというわけではないことは、これらの事例からも明らかである。
若者にとっての「鋼鉄の天井」
 少なくとも1980年頃までの日本は「若い国」であった。それと同時に「公職追放」によって、戦前・戦中に既得権益を持っていた高齢者達が消え去り、若者たちの頭上にのしかかっていた「ガラスの天井」どころか「鋼鉄の天井」が取り払われた。
 1946年当時の、勝てば官軍ならぬ「勝てば米軍」=GHQ主導による「公職追放」の是非については思うところがある。しかし、結果として若者に活躍の場を提供し、戦後の日本復興に大きく寄与した素晴らしい政策であったと思う。
 実際、戦後は戦前から一変して、いわゆる公職だけではなく、企業の経営者や幹部にも若手がどんどん登用されたのだ。言ってみれば、幕末・明治維新のように「若き獅子」たちが「日本の夜明け=日本復興」を目指してがむしゃらに働いたのである。
 しかし、今や「戦後の若者」たちも後期高齢者に突入する時代だ。本来は、平成・令和時代の若者たちが「若き獅子」として活躍すべきなのだが、残念ながらその気配があまり感じられない。
 それどころか、戦後78年間の利権が積み重なった「鋼鉄の天井」で若者たちが押しつぶされそうになっている。
 昨年11月21日公開「健康保険と『国営ねずみ講」の年金を『第2税金化』で維持に必死の日本政府」などが典型である。
 高齢者の「年金・健康保険」は、少なくとも若者を中心とした現役世代から見れば「戦後に積み重ねられた既得権益」の一つである。決して楽とは言えない生活の中から、その制度を維持するための資金を拠出している現役世代が、将来同じように年金・健康保険の恩恵を受けることができる可能性は限りなく低い。
 私も還暦を過ぎて高齢者の仲間入りをしたが、もし自分自身が現役世代、特に20代の若者であれば、あまりの不公平さに激しい怒りを感じたと思う。
 年功序列は企業特有の問題ではない
 よく、日本型経営を語るときに「終身雇用」と「年功序列」が混同される。しかし、この二つは全く別物だ。
 2019年1月25日公開「バフェットが実践する『実力主義の終身雇用』こそが企業を再生する」で述べたように、投資の神様バフェットは、「実力主義の終身雇用」をモットーとし、傘下のバークシャー・ハサウェイで実行している。
 この素晴らしい「実力主義の終身雇用」を、なかなか日本企業で実現できない理由は日本の社会そのものにあると考える。「年功序列」は、企業の問題であるというよりも「日本社会全体の問題」だからだ。
 もちろん、「年上の人々を敬う」こと自体は悪いことではないと思う。また、高齢者の一人としてそのような社会は有難い。
 だが、それが「年功序列」という形で「システム化」されていることが日本社会の最大の癌といえよう。例えば、最近見かけることが少なくなったような気がするが、新聞や雑誌の記事で「(55)」などと、年齢にこだわるのが日本社会である。
 また、この「年功序列」はかなり強固な社会システムで、一企業が『実力主義の終身雇用』を実行しようとしても、その構成員が「日本という『年功序列社会』」にどっぷりとつかったままでは実現が難しい。
 日本社会に「実力主義の終身雇用」を導入すべし
 まず確認したいのは、文明社会である限り「弱者救済」は絶対必要であることだ。
 例えば、生まれつきあるいは不慮の事故などで障がいを背負った人々に手を差し伸べるのは、文明人であれば当然といえよう。あるいは、生まれたばかりの赤ん坊だけではなく18未満の未成年は、親だけではなく社会からの保護も受けるべきだ。
 もちろん、高齢者も「弱者」と捉えられるし、若くして死なない限り全人類が高齢者になる運命だ。
 だが、高齢者を生まれつき障がいを持った人々や未成年・赤ん坊と同列に論じるのは誤っている。
 例えば、18歳で成人してから60歳で還暦を迎えるまで42年間が等しく与えられる。もちろん、金持ちの家に生まれるのか貧しい家に生まれるのか、あるいは人生での運・不運などはある。
 しかし、「40歳過ぎたら自分の顔に責任を持て」という言葉が象徴するように「(一定の年齢になったら)『自分の人生は自分の責任』」である。
 40歳どころか60歳を過ぎた人々の人生は、「過去自分が生きてきた人生を反映している」のだから、本来責任を持つべきなのは自分自身ということだ。
 だから、高齢者が「自分自身の人生の『実績』によって評価される」ことは決しておかしくない。つまり、日本社会そのものに「実力主義の終身雇用」を採用すべきなのだ。
 もちろん「終身雇用」だから、セーフティーネットによって「健康で文化的な最低限度の暮らし」は、憲法が定める通り保証されるべきである。
 老犬のトリックもある
 例えば、若者、高齢者、女性、男性、学生、子供、大人など色々なグループ分けが可能だが、それぞれのグループには多種多様な人々が含まれる。男性(女性)だからすべての人が優秀(劣っている)ということは無いし、GIGAZINE 2021年07月06日「わずか11歳の天才少年が物理学の学士号を取得、将来の夢は『機械化による不死の追求』」との例もある。
 また、だれもが認める「世界一の投資家」である1930年生まれのウォーレン・バフェトは、8月30日で93歳になる。また、相棒のチャーリー・マンガーは、来年1月1日の誕生日で100歳を迎える。
 バフェットはよく「老犬のトリック」(若者には無い年寄りの知恵)という言葉を使うが、二人の「老犬のトリック」には世界中のだれもが太刀打ちできない。
 だから、「若ければ良い」とか「年寄りだからダメ」だと言うつもりは無い。だが、若者でも、高齢者でも「実力・実績」で評価すべきであり、「年功序列」のように「ただ歳をとったからという理由で」厚遇されたり、高い給料をもらうべきではないということだ。
 日本企業で中高年がリストラの対象になりやすいのは、「年功序列」によって「実力にそぐわない高い賃金」を受け取っているからである。「実力主義の終身雇用」であれば、リストラなどする必要はないともいえる。
社会のために何をすべきか?
 ジョン・F・ケネディの「大統領就任演説(1961年)」(アメリカンセンター)の一節は有名だ。
 「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」
 である。
 現在の日本社会の状況について、色々な意見があるだろう。だが、よくも悪くも現在の日本を形作ってきたのは「現在の高齢者=昔の若者」である。もし、現在の日本に問題があるとしたら、それは(現在の)若者の責任ではなく「(現在の)高齢者の責任」である。
 だからこそ、高齢者たちは前記のJFKの言葉を真摯に受け止めるべきである。
 そして、この問題は「現在の若者=将来の高齢者」にとっても他人事ではない。将来の日本で「年老いた若者」は、「将来の若者」から同じ問いを突きつけられるはずである。
 だからこそ、「現在の若者」は「鋼鉄の天井」などはねのけて、明治維新のような「国家転覆」さえ辞さない「大胆な改革」に挑戦してほしい。さもなければ、戦後80年近くの膿がたまった日本の将来は危うい。
 若者の未来は若者のものだ
 最後に述べたいのは、「高齢者の得手勝手な理由で彼らの未来をつぶすべきではない」ということだ。現在の高齢者もかつては若者であったことを思い起こしてほしい。
 大原 浩(国際投資アナリスト)
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