🥓20〉─4・B─警察当局が警戒する「日本人女性の海外売春」。現代のからゆきさん。~No.90 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2024年2月11日15:00 YAHOO!JAPANニュース 毎日新聞「警察当局が警戒する「海外売春」 円安背景にスカウトら仲介か
 歌舞伎町のホストクラブの一斉立ち入りに向かう警視庁の捜査員ら。店で売掛金を抱えた女性客が売春などに関わるケースもあり、警戒を強めている=東京都新宿区で2023年12月15日、宮間俊樹撮影
 日本人女性が欧米やアジアの各国に渡航し、現地で売春ビジネスに関わった事例について、警察当局が摘発に乗り出すなど警戒を強めている。歓楽街で女性に声をかけ、性風俗産業にあっせんするスカウトが仲介した疑いのあるケースも把握しているという。円安の影響で「海外のほうがより稼げる」と勧誘しているとみられ、警察当局は背後に反社会的勢力がいる可能性もあるとみて捜査している。
 【写真】歌舞伎町の路上で客を待つ女性に話しかける男性
 警視庁は1月、30代の日本人女性に米ラスベガスでの売春の仕事を紹介したとして、デートクラブ経営者ら男女3人を職業安定法違反(有害業務の募集)容疑で逮捕した。女性は「過去にもサウジアラビアやフィリピン、シンガポールで売春をした」などと説明したとされ、警視庁は国内に海外売春をあっせんする複数のグループが存在するとみている。
 捜査関係者によると、警視庁はこの事件以外にも、スカウトに仲介された女性が豪州で売春していたとみられる事案を把握しているという。現地からスカウト側に送金があったとされ、経緯を調べている。
 ある警察幹部は「円安が進み、『海外の方が実入りが良い』などと女性を誘い出している可能性がある。裏に反社会的勢力がいないかも含め、ブローカーなどはしっかり摘発していく」と強調する。
 こうした事例の中には、ホストクラブなどで多額の売掛金(ツケ)を抱えた女性らが売春をしている事例も多いとみられる。国会では、23年11月の衆院予算委員会で質問を受けた岸田文雄首相が「ホストクラブの利用客が高額な利用料金の売り掛けによる借金を背負い、その返済のために海外での売春を勧められるような事例があると承知している」と答弁した。
 立憲民主党塩村文夏参院議員は毎日新聞の取材に「当事者や保護者ら約10人から海外売春の実態をヒアリングした。実際に海外で検挙されたり、現地の日系社会に助けを求めたりした女性がいると聞いている」と指摘した。
 ホストクラブの悪質な営業に悩む家族らの互助団体「青少年を守る父母の連絡協議会」(東京都新宿区)にも、売掛金を返済する目的で海外へ売春に行く女性や、その保護者からの相談が複数あるという。【加藤昌平】
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 2月11日 毎日新聞「ピンポンマンションで体を売って 誘い文句は「海外興味ない?」
 スカウトに誘われ、香港の「ピンポンマンション」で1カ月間過ごした女性。ホストクラブで抱えた売掛金の返済のため渡航したという=東京都内で2024年1月30日、加藤昌平撮影
 古いマンションの廊下に、扉がずらりと並んでいた。「ピンポンマンション」と呼ばれる建物の一室で、東京都内に住む30代の女性は1カ月ほど、自らの体を売っていた。そのマンションは日本ではなく、香港にあった。海外での売春をあっせんしたのは、性風俗店などを紹介する顔なじみのスカウトの男性だった。「同じようにして、海外で稼ぐ女性は周囲にたくさんいた」。女性はそう証言する。
 女性は20代前半のころから、性風俗店で働くようになった。東京・歌舞伎町(新宿区)のホストクラブへ通うためだった。そこで使う金を稼ぐため、北海道から沖縄まで全国の店を渡り歩いた。新しい仕事場は、いつも同じスカウトの男性を通じて探した。給料の支払いで店側ともめたり、客とトラブルになったりした際に、間に入ってもらう条件で稼いだ分の1割を支払っていた。
 「海外に興味ない?」。スカウトから持ちかけられたのは2022年秋。このころ、女性はホストクラブに「売掛金」(ツケ)があった。指名していたホストにねだられ高額なシャンパンタワーを注文するなどして、その額は約900万円に膨らんでいた。
 女性は一時、このホストと暮らしていたことがあり、スカウトにも紹介していた。ホストとつながったスカウトは売掛金の回収を代行するようになり、女性にも支払いを厳しく求めた。
 女性は外国語が苦手で、海外渡航にためらいはあったが、未払いの売掛金のことを持ち出されて受け入れるしかなかった。香港行きが決まると、秘匿性の高い通信アプリをインストールしたスマートフォンをスカウトから手渡された。現地での滞在中、スカウトとはそれで連絡を取り合うよう指示された。
 航空券の用意や渡航の手続きはスカウトがしたが、羽田発の飛行機に乗るときは1人だった。「入境したら、ここで集合お願いします」。香港の空港に着くやいなや、現地のブローカーとみられる人物から、自分のスマホにメッセージが届いた。ターミナル内のその場所へ向かうと、中国語を話す男性が待っていた。
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 2023年11月18日 毎日新聞「「ルポ路上売春 2023年の歌舞伎町から
「その時だけで気楽」買う男性が処罰されない理由 取り締まり/2
 春増翔太
 路上に座って客を待つ女性に話しかける男性=東京都新宿区で2022年6月、春増翔太撮影
 路上における売買春が抱えるリスクは多い。金銭トラブルや暴力沙汰、性感染症、そして警察による取り締まりだ。このうち、逮捕される可能性は基本的に売る側だけにある。
 5月、東京・歌舞伎町の路上で記者だと名乗って話しかけると、ワイシャツ姿の男性は「警察じゃないよね」と何度も念を押してきた。「警察ではないし、そもそも警察は買う側を捕まえない」と応じると、彼は「だよね」と言った。
 歌舞伎町の路上を「居場所」にし、売春する女性たちの物語を描く「ルポ 路上売春」。第6部は、売春を取り締まる側の試行錯誤を描きます。21日まで連日午後4時公開予定で
 第1回 大久保組
 第2回 売春防止法
 第3回 説教部屋
 第4回 「被害者」として
 第5回 「本質」へのメス
 女性たちへの支援の動きを追った第7部は、12月下旬に公開予定です
 1人でやってきた買春者だった。東京都内のメ…
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 2020年12月29日 毎日新聞「「1日で49人の相手を…」 過酷な労働、波乱の人生赤裸々に 「からゆきさん」肉声テープ発見
牧野宏美
 宮崎康平氏が「からゆきさん」をインタビューした際に録音したテープ。「からゆきさんの話(1)」と書いた紙が貼られている=内嶋善之助さん提供
 「一日一晩のうちに、49(人と)したよ……」。16歳の少女は、船底で汚物にまみれて海を越え、見知らぬ異国で春を売った。幕末から明治、大正にかけ、貧しさから海外に渡り、娼婦(しょうふ)として働いた女性「からゆきさん」。その一人が約60年前、その過酷な体験を赤裸々に語った約12時間分の肉声がテープに残されていた。からゆきさんが自らについて語ったり書き残したりした史料はほとんど残っていない。この女性はシンガポールで裕福なイギリス人に身請けされ、たくさんの宝飾品を贈られて「ダイヤモンドおなご」と日本人の間で呼ばれた。30歳半ばでホテル経営に乗り出すほど成功したが、帰国後、だまされてほぼ無一文になるなど、波乱に富んだ生涯だった。しかし、海外に渡った女性の存在は地元でも秘されてきたという。なぜ女性は肉声を残したのか。古いテープを再生してみたい。【牧野宏美/統合デジタル取材センター】
 12時間に及ぶインタビュー音声
 肉声テープが残されていたのは長崎県島原市出身で、シンガポールに渡った女性。記録では1888年に生まれ、1967年に死亡したとされる。
 録音テープが見つかったのは次のような経緯があった。島原出身の作家、宮崎康平氏(1917~80年)が61年、シンガポールから帰国していた女性と自宅で面会。録音しながら2回にわたりインタビューした。宮崎氏は「『からゆきさん』についての小説を書きたい」と知人に依頼し、この女性を紹介されたが、その後別の仕事で多忙になり、小説は未完のまま死去した。テープは宮崎氏の妻が保管していた。
 妻は2011年、元島原市職員で舞台の創作活動をしている知人の内嶋善之助さん(68)にテープを託し、内嶋さんが長期保管するためにデジタル音源化した。語られた内容はその後、「からゆきさん」の研究を続ける嶽本新奈(たけもと・にいな)明治学院大助手が分析している。
 テープは約12時間分。女性はインタビュー当時、73歳だった。シンガポールへ行くまでの経緯や、密航した船の中の様子、娼館での労働環境、娼館を出た後の生活などが島原の方言で詳細に語られている。
 極度の貧しさから渡航 「船底は地獄」
 貧しかった。家族は父、母、妹2人、弟1人の6人。父は神経症のため働けず、女性は10代前半から奉公に出され、島原の揚屋(遊女を呼んで遊興する店)で下働きをしていた。16歳の時に母親が死亡すると、家計を支えるのは女性ただ一人に。揚屋の給料では到底足りない。そんな時、銭湯で見知らぬ高齢女性から「高い給金が出る。遠いところに行かないか」と誘われ、外国行きを決意する。
 女性をあっせんする女衒(ぜげん)と呼ばれる男性たちの手引きでシンガポールに密航したのは1904年。日露戦争開戦の年だ。島原の港から24人の若い女性たちと4人の男性と船に乗り込み、石炭などを置く船底部分に身を潜めた。暗闇で便所もなく、汚物は垂れ流し。航海は約1カ月続き、世話役の男性が女性たちに性的暴行を加えることもあったという。この女性は自分の体に汚物をつけることで暴行から逃れたといい、「船の底は地獄だった」と振り返る。
 シンガポールに着くと、日本人が経営する「女郎屋」へ連れて行かれた。マレー街と呼ばれる、日本人娼館が集まっていた通りだ。イギリスの植民地だったシンガポールでは、移民の増加に伴って1890年代にヨーロッパ、中国系などの娼館が急増。からゆきさんは1905年ごろまでに増えた。当時109の日本人娼館に633人の娼婦が働いていたとの記録がある。10年の「福岡日日新聞」では、現地を訪れた記者がマレー街のからゆきさんの様子をこう描写している。
 「家は洋館にして青く塗たる軒端に、一二三の羅馬(ローマ)字を現はしたる赤きガス燈を懸け、軒の下には椅子あり。異類異形の姿せる妙齢の吾(わ)が不幸なる姉妹、之(これ)に倚(よ)りて数百人とも知らず居並び、恥しげもなく往来する行路の人を観て、喃喃(なんなん)として談笑する様、あさましくも憐(あわ)れなり。衣類は目を驚かす色あざやかに派手なる浴衣をまとひ、ことごとく細帯のみにして、髪は高きヒサシに大なるリボンを掛く」
 「忙しかときは痛かとですよ」 性病検診も重荷に
 この女性は女郎屋の主人から衝撃的な「事実」を知らされる。シンガポールに来るまでの旅費や宿泊費、手数料などとして膨大な額の借金を負わされていた。絶望的な気持ちになり、涙があふれた。
 最初の客は現地で商売をする日本人だった。初めての体験だった。「水揚げ」は人気が高く、客は通常より高い料金を払うが、すべて女郎屋が受け取り、女性の取り分はなかったという。
 短時間(ショート)は3ドル、一晩で15ドル。女性は「借金」を返し、日本に残した家族に送金するため懸命に働いた。
 女性の肉声が残っている。
 「忙しかときは痛かとですよ、あそこが。それで這(は)うて廊下と階段を行くとですよ。あれが女郎の地獄ですよ」
 「そんなんとを、49(人)したよ。わたしゃ、一日一晩のうちに。いっぺん、そういうことのあった。昼の午前中、9時から。晩のちょっと3時ごろまでな。もうね、泣くにゃ泣く」
 客が多いときは朝から未明まで、1日49人の相手をした。痛みは、ワセリンを塗ってしのいだ。
 「ほんなごて、情けなか。いやらしゅうて、今も忘れられん。おそろしゅうて……」
 苦痛に追い打ちをかけたのは、性病対策のための洗浄だった。当時、性病のまん延を防ぐため、娼婦は1人の客の相手が終わるごとに、膣(ちつ)内を消毒洗浄するよう指示された。疲れた体をひきずるように部屋から洗い場まで毎回階段を上り下りすることは重い負担だった。この洗浄が原因で不妊になった女性もいるという。
 「いっぺん、一人一人、一人一人、階段でしょう。そりゃもう立派な階段ですよ。それが上りくんだりで、おまけに熱いお湯に、な。衛生が正しかけん向こうは(娼館は衛生がすべてだから)。やかましかっですもん」
 娼婦に毎回の洗浄を求めたのは、週に1度、医師によって行われる性病検診に引っかからないようにするためだった。娼婦は1人1冊、日記帳のような帳面を渡され、月経周期やいつ客を取ったかなどを細かく記録していた。医師は検診で問題がない場合はそれにサインし、客も安全であることの証明として帳面を娼婦に見せるよう求めていた。
 「それ(帳面)がものをいうとですたい、女郎にはな。客が威張って出せって言う。(帳面を見て)『はい』って言うてから、オーライって言うてから、……馬んことやらす」
 性病検診は、軍人や船乗り、クーリー(苦力=中国人労働者)らが性病にかかり、まん延することを防ぐことが目的だった。娼婦が性病にかかっていると分かると、娼館が営業停止になるなどペナルティーを受けたとされる。嶽本さんは「重視していたのは公衆衛生のため、娼館のため、客のためという視点です。働く女性自身のためではありませんでした」と話す。
 英国人に身請け、中絶と不妊手術迫られる
 1年半、娼館で働いた後、18歳になった女性はイギリス人のフォックスという男性(当時27歳)に身請けされる。身請けとは、娼館への借金を肩代わりして精算し、娼婦をやめさせることだ。シンガポールでは、イギリス人が現地で娼婦を愛人にすることは珍しくなかった。
 当時女性には他に好きなイギリス人がいたが、強引に身請けしたフォックスと8年間暮らすことに。フォックスは宝飾品をたくさん買い与え、島原の実家にも送金してくれた。身請けされた後、女性は日本人の間で「ダイヤモンドおなご」と呼ばれ、経済的には不自由のない生活を送ることができた。
 しかし、結婚をして子どもを持つという生き方は選べなかった。22歳のころ、妊娠が分かった際は、…
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