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 2020年2月2日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済ONLINE「日本人の「仏壇離れ」が招いた意外すぎる副作用
 手土産を仏壇にすぐ置くのはマナー違反?
 吉川 美津子 : 社会福祉士
 最近は仏壇を置く家が少なくなったといわれています。いただいたものをそのまま仏壇へお供えするという行為、現代人はどのように捉えているのでしょうか(写真:Fast&Slow/PIXTA
 「嫁ぎ先の実家へ手土産を持参したら、仏壇へお供えされた……」、そんな発言に対して、ツイッター上でさまざまな意見が飛び交っていたのを目にしました。
 祖父母や父母から「いただきものは、先に神棚や仏壇にお供えしてからいただく」と教えられた人もいれば、「持参する側としては、中身も確認せずいきなり仏壇にお供えというのはちょっと抵抗あり」という意見もあります。
 確かに、仏壇にお供物をしたからといって、実際にご本尊やご先祖が食べるわけでもないし、水がないからといって喉が渇いたと訴えるわけでもありません。文化の違い、考え方の違いと言ってしまえばそれまでですが、いただいたものをそのまま仏壇へお供えするという行為、現代人はどのように捉えているのでしょうか。
 急速に進む「日本人の仏壇離れ」
 仏教では仏像を安置する場所を設けるために、さまざまな形式の「住まい」がつくられてきました。岩や土壌の一部をくりぬいたくぼみに仏像を納めるのもその1つ。屋内用としては仏像だけでなく仏画や舎利(遺骨)・経典などを安置する目的で厨子(ずし)といわれる小仏堂が考案されるようになります。
 例えば法隆寺にある「玉虫厨子(たまむしのずし)」は、国宝に指定されている厨子ですが、これは推古天皇が仏像を安置するために愛用していたものだと知られています。
 庶民の間に仏壇が普及するようになったのは江戸時代になってから。檀家制度の確立に伴い、仏像と位牌を一緒にお祀りするようになり、仏壇は先祖供養のシンボルとなりました。
 玉棚の おくなつかしや おやのかほ
 これは松尾芭蕉の弟子である向井去来(むかいきょらい)が、玉棚(たまだな)を通じて、別の世にいる親への思いを読んだ句とされています。玉棚とは魂棚のことであり、お盆に先祖の霊を迎える精霊棚(盆棚)のことを指します。故人を慕い、懐かしむ気持ちを表出する場として、こうした精霊棚や仏壇が長年その役割の一端を担ってきたわけです。
 最近は仏壇を置く家が少なくなったといわれています。2012年から2019年にかけて、いくつかの民間業者が仏壇保有率の調査をしていますが、「仏壇が家にある」という回答はいずれの調査結果でもおおむね40%という数値がでています。ちなみに、子供のころに「仏壇があった」という回答は66.2%(2012年第一生命経済研究所調査)でした。
 市場規模も、仏壇を含む宗教用具の製造・卸は2003年の466億円から2017年には316億円(工業統計)と減少。小売りについても1994年の3669億円をピークに2016年は1794億円(商業統計)と大幅に減少していますから、数十年の間に仏壇離れは進んでいます。
数年前より「仏壇ジマイ」なる新語も登場しました。仏壇を処分する一連の流れを指す新語ですが、「処分」という言葉より「しまい」のほうがスマートなイメージなのでしょう。
 とくに昨年は「仏壇ジマイ」という言葉を積極的に使用する仏壇店も増えました。仏壇店といえば仏壇の販売をすることが生業なのでしょうが、「仏壇ジマイ」、つまり処分の仕方を丁寧に解説するページを設けているホームページが心なしか目立ってきたのも時代の流れなのかもしれません。
 私たちは、特定の宗派の信仰がなくても、先祖供養として仏壇の前に座り、故人の面影が写真や位牌と重なり、対面するということを感覚的に行っているものです。
 親から子、子から孫へと、そうした考えが伝えられ、日々仏壇にお供えをし、そのお下がりを家族がいただく、という日課が続いている家ならば、少なからず先祖を意識する機会があるでしょう。
 お供えの前に、まずはひと言を
 日本では、古くから祖霊や新仏に米や水をお供えする習俗が各地で見られました。崇拝対象に供物を捧げ、それを共にいただく共同飲食(きょうどうおんじき)、共食という考え方は世界中にあり、また動物供犠(動物を神霊に供えること)や供物が死者を養うと考える思想も広くあります。お供えをするという行為は、感謝や敬意を目に見える形として生み出された表現方法なのではないでしょうか。
 ただ、仏壇のない家が増えている中で、いただき物を仏壇へお供えするという行為そのものを不思議に思い「手土産を仏壇にお供えされて不愉快」という人もいるでしょう。これからは、いただく側が「まずは仏壇へお供えさせていただきます」と、ひと言添える配慮が必要なのかもしれません。すぐに開封が必要なものであれば「要冷蔵なので、早めに冷蔵庫へ」など理由を説明することで双方が納得できるはずです。
 仏壇に向かったところで明確な答えを得られるわけでもなく、合理的ではないと排除してしまいがちな慣習ではありますが、先祖を敬う、年長者を敬う実践の場として、「供物のお下がりをいただく」という考え方はどこかに残していきたいものです。
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 マルクス主義的反宗教無神論が広がる日本で、家の中、生活の中から、祖先を神として祀る神棚が排除され、祖先を仏として弔う仏壇が捨てられ、死後の自分が霊魂として家族や子孫に供養される事を拒否して墓を残さない。
 死後の世界を認めない、死は完全な無に返る事であり、生きて存在していた事さえ否定する、それが海洋散骨・樹木葬・その他の意味する所である。
 それは、「自分と魂・心・血の繋がった祖先・子孫との縁を切る」と言う事であり、数万年前からの日本民族(日本土人)である事を否定し放棄すると言う事である。 
 現代日本人は、信仰の自由から、家・家族・身内という集団宗教から自分一人だけの個人宗教に宗教意識を変え始めている。
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