🌅7〉8〉─1─宗教性は排除した現代の科学的死生観・観念的死後観。~No.46No.47No.48No.49No.50No.51 @ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 生きる最大の価値はできるだけ長く生きて死を迎える事。
   ・   ・   ・   
 親の遺灰・遺骨は、公的な手続きで墓に葬られるか散骨されるか、私的に無許可で捨てられる(電車内や公園などに放置。トイレなどで水と一緒に流す)。
 ペットの犬や猫の遺灰・遺骨は墓に納め、自分が死ぬまで供養を欠かさない。
 ペットは親よりも大事。
   ・   ・   ・   
 2017年1月16日号 AERA「『老後』が変えた死の意味
 宗教は無意味になった  島田裕己
 現代の日本人の死生観を大きく変えたのは『老後』の存在でしょう。生と死の間に『老後』ができたことで、死の意味があいまいになってきたからです。
 『老後』という言葉が朝日新聞に登場したのは1984年。戦後、第1次産業から第3次産業へと産業がシフトして都市化とサラリーマン化が進むなかで、『定年』という制度が生まれました。それまでは、基本的に死ぬまで働いていたわけですから、『生』と『死』の二分法でした。
 ところが、戦後のサラリーマン世代が最初に定年を迎える80年代中盤以降に『老後』が誕生したことで、人生が3段階になった。老後に『死ぬまでの心配』をしなければならなくなったことは、大きな変化です。元気なうちに死への準備をする『終活』も、老後がなければうまれなかったでしょう。
 同時に、家制度の弱体化も『死の意味』を変えました。日本人の死生観は『西方浄土』『極楽』という仏教的観念と家制度が結びついて醸成されてきました。『死んだら極楽浄土に行ける』『ご先祖様になって家や子孫を守る』と考えることで、『死』は意味を持ちました。残された者も、死んでいった『ご先祖様』を供養するためにお墓を作り、お参りに行き、自分が年老いてきたら『ご先祖様』として死んでいくという目的を持つことができた。
 だが、平均寿命が70、80歳と延びるにつれて、家の〝新陳代謝〟は滞り、核家族化や病院死の増加によって、死はどんどん遠いところへと追いやられていった。『極楽浄土』や『ご先祖様』という意味は見いだせなくなり、生きることが最大の価値になった。これが今の日本人の死生観なのです。
 宗教はただのスポット
 家という重みがなくなり、先祖様の霊も感じられなくなった結果、どうなるか。その霊は『個人化』され、たとえ死によって肉体が消滅しても『自分』はどこかで行き続けるはずだという意識に収斂(しゅうれん)してきました。死んでも自分の人格は変わらないことを期待しているわけですから、これは仏教の輪廻転生のように生まれ変わるととも違います。ご先祖様にも守護神にも悪霊にもならず、ただ浮遊するように『自分』は続いていく。極めて個人主義的な感覚で死をとらえるようになったと言えます。
 必然的に、宗教との付き合い方も個人的なものになります。家や宗教団体を媒介とはしないので、お寺や神社に定期的、継続的に行ったり、祈ったりはしない。病気や争いから解放されたいという『救い』を求めるわけではないので、新興宗教にも無関心です。しかし、個人としては、パワースポットと呼ばれる神社に行き、お寺で文化的な価値に触れたりということはする。宗教はただの『スポット』であり、それ以上の意味はないのです。
 死が遠くなりすぎた
 日本は、過去に何度も大きな災害に見舞われてきた歴史があります。そのため、日本人には『世の全てのものは移り変わり、いつまでも同じものはない』という無常観が根底にある。死が身近でいつ死ぬかわからないから、無常の世の中ではない『極楽浄土』に生まれ変わることを期待してきたのです。しかし、前述したように、人生に『老後』という段階ができたことにより、念仏をとなえて極楽浄土を期待するには、死が遠くなりすぎた。極楽浄土の意味がなくなってしまったのです。
 家からご先祖様が消え、お墓もなくなり、宗教が無意味になった今、日本人がたどりついたのは、生き続けることこそ価値があるという逆説的な死生観でした。だが、肉体が滅びる『死』は不可避です。老後から『死』までの30年間にわたって、いつか来る最後を考え続けなければならない。その期間を生き延びて、やっと死ねる。
 生きるのも、死ぬのも楽じゃない。本当に大変な時代になったのです」


   ・   ・   ・