🌅2〉─3─副業・副職を持つ兼業僧侶は過労死ライン超えた過重労働を強いられる。宗教家はブラック聖職者。~No.8No.9No.10 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2017年5月19日号 週刊ポスト「京都東本願寺『残業代未払い』で考える僧侶の『仕事』と『修行』の境界線
 『僧侶の労働時間の管理ができていませんでした。宗派としてこのような流れが続いておりましたが、いまは職員と宗派で新たな働き方について考えているところです』
 本誌にそう答えたのは、京都にある真宗大谷派本山・東本願寺の総務担当者だ。
 同寺は、13年から研修施設で非正規雇用として働いていた『世話係』の男性僧侶2人から外部の労働組合(きょうとユニオン)を通じて未払い分の残業代を求められ、その一部の約660万円を支払った。彼らは早朝勤務や深夜労働を課せられ、時間外労働が計130時間を超えていた月もあったという。
 『大谷派は1973年に職員組合と「残業代は支払わない」という覚書を交わしていた。そのため40年以上もの間、残業代を払っていなかった可能性が指摘されています』(大手紙社会部記者)
 終活・葬儀ソーシャルワーカーで僧侶の労働問題に詳しい吉川美津子氏はこう説明する。
 『現在は労働基準法に基づいて、従業員である僧侶と雇用契約を結んでいる寺がほとんどです。
 給料は葬儀や法要時のお布施、檀家が納める寺院の維持費などから支払われるため、寺の規模によって額は変わってきますが、経験の浅い僧侶だと平均月収は20万〜25万程度でしょう』
 東本願寺で問題となった〝残業〟についてはどうなるか。
 『非正規雇用の僧侶でも、労働基準法に基づき必ず残業代は支払わなければいけません』(吉川氏)
 一方、宗教学者島田裕巳氏はこのような見解を示す。
 『僧侶というのは出家した人ですから、「世俗の生活を捨てた」ことが前提になっている。昔からの雑務は「修業」であって、「仕事」ではないというのが共通認識だった。「修行」であれば給料は出ない。これが寺院の考え方なのです』
 しかしいまでは寺の財政が逼迫しているこよもあり、副職(兼業)しれいる僧侶も増えている。そのため『労働者』としての意識が彼らの中に芽生えているのだろう。
 仏の道にも迫られる〝働き方改革〟。そのうち朝のお勤めの前にタイムカードを押すのが当たり前になるのだろうか」
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 5月23日 産経ニュース「「残業代払え!」真宗大谷派僧侶が怒りの激白 過労死ライン超える130時間の月も…「まるでモノ扱い」
 僧侶への残業代が支払われていなかった東本願寺境内の同朋会館=京都市下京区
 伝統仏教教団「真宗大谷派」(京都市)が、本山・東本願寺で雇用する一部僧侶に残業代を支払わず働かせていたことが問題となっている。僧侶の仕事は、「労働」と「自己研鑽(けんさん)」との境が曖昧とも言われるが、過労死が社会問題化する中、お坊さんの世界でもハードワークに対する目は厳しくなっているようだ。(夕刊フジ
 残業代の未払いが発覚したのは、東本願寺境内の研修施設「同朋会館」で勤務する「補導」という職種。本山に泊まりがけで訪れる門徒らの世話係を務める。
 未払いの当事者となった男性僧侶(38)は「自身の学びにつなげたい」と同職種に応募、2013年4月〜今年3月の間、非正規職員として働いていた。
 1泊2日または2泊3日で訪れる門徒らに対し、補導は夜の講義や座談会、早朝の勤行(ごんぎょう)などに同席することもあり、残業は多い月で過労死ライン(月80時間)を大幅に超過する130時間に達することもあった。
 にもかかわらず残業代は一切支払われることはなく、基本給と各種手当を含めても、月給20万円を下回る日々が続いたという。
 内部の労働組合では改善される見込みはなく、外部の労組「きょうとユニオン」を頼り、大谷派側との団体交渉に臨んだ。
 結果、大谷派から未払いの一部残業代約335万円が支払われることになったが、「交渉の中では『お金では計れない仕事』『宗教心があればこんな訴えは起こさない』などとも言われた」と男性僧侶。「どれだけ働かせてもお金を払わなくていいとなれば、自分はまるでモノのように扱われているように感じ、悲しかった」と訴える。
 今回の問題を受け、大谷派関係者からも批判が噴出している。別の男性僧侶は「本山には各地の寺院の息子らが働きにやってくるが、昔から本山の給料だけではやっていけず、実家から仕送りを受けて暮らす者も多かった。だが、地方の寺は余裕があるところばかりではなく、本山に働きにくる僧侶らは自ら生計を立てなければいけない。残業代も支払わず、働かせることができると思っていること自体、社会の常識からあまりにかけ離れている」と批判する。
 大谷派をめぐっては、補導の勤務体制について労組の「真宗大谷派職員組合」と、残業代は支給しないと明記した違法な覚書を交わしていたことなども発覚した。
 大谷派の担当者は「補導のシフト管理はできていたが、(いつからいつまで働いていたかという)時間管理ができていなかった」と説明。「補導はこれまで、僧侶の自己研鑽の一部としても行われてきた歴史があり、時間外の管理はなされてこなかった。伝統に甘えていた部分があったと思う」と語る。現在はタイムカードの導入の是非などを含め、働き方の見直し作業を進めているという。
 一方で、担当者は「例えば、僧侶の仕事を午後5時までと規定したとしても、急に悩み相談などの電話がかかってくれば『仕事は5時までですから』と断ることはできない。僧侶の業務はどこまでを労働とみなすか、線引きが難しいとも感じている」とも漏らす。
 ワークライフバランスの波はお坊さんといえども例外ではないようだ。」
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 5月29日 産経WEST「【オトナの外来】教師、医師、宗教家も「ブラック」…「聖職者」と呼ばれる職業ほど過重労働
 中学校で行われた出前授業の様子。教師という職業も「ブラック」の実態が浮かび上がっている
 厚生労働省は労働基準関係法令に違反した334件を公表した。労基法違反では、女性社員が過労自殺した広告最大手・電通の社名も掲載されたが、前回指摘したように中央官庁やマスコミ各社の名前はなかった。国会開催中の官僚や報道記者の過重労働はよく知られているが、なぜか法令違反ではないらしい。
 もっと危ない職業が「聖職者」と呼ばれる宗教家・教員・医師などだ。
 先日、伝統仏教教団で40年以上サービス残業を強いていたことが問題となった。元職員によると残業が多く、過労死ライン(月80時間の残業)を超えることが常態化していたが、門徒の寄付金で運営され、その負託に応えるのが宗教者であるとの認識があったことが根底にあるようだ。宗教団体は税制上の優遇を受けているのでどこまでを労働、どこからが奉仕とするのかは難しいだろう。
 最近の文部科学省の公立小中学校の教員の勤務時間の調査で、小学校教諭は平日平均11時間15分、中学校教諭は11時間32分も働いていることが明らかになった。ともに10年前の調査と比べて30分以上も増えていたという。
 時間外労働の「過労死ライン」に当てはめると、小学校教諭の約2割と中学校教諭の約4割が100時間、小学校の約3割と中学校の約6割が80時間の基準に触れているという、まさに“ブラック”である。
 「脱・ゆとり」の方針で授業時間が増えた一方、保護者などへの対応などの仕事が増えたことも一因だ。さらに深刻なのは、管理職である副校長・教頭の勤務時間。小学校は12時間12分、中学校は12時間6分と尋常ではない。
 基本的に正確な出退勤管理がほとんどの学校でされてないことに加えて、特別な法律や政令で教員には時間外勤務は原則なく、その手当も支給されないことになっている。これも教員が聖職者とみなされているからだろう。
 われわれ医師に至っては、患者さんのためなら自分の身を削っても頑張るべきであるという「医は仁術」という観念がまかり通っている。赤ひげなどテレビドラマで活躍している医師を見ると「いつ休んでいるのだろうか?」「家族との関係は大丈夫か?」といらぬ心配をしてしまう。
 最近の「働き方改革実行計画」では、労使が合意した場合、特例として時間外労働は年720時間(月平均60時間)を上限とすることなどが盛り込まれているが、医師については5年間の適用猶予が決まった。つまり医師の待遇改善は一般の職業よりも5年遅れるということだ。
 医師不足の中で、時間外労働に歯止めをかけるのはまずいという認識だろうが、医師は高給をもらっているから「時間を気にせずに働け」ということかもしれない。
 宗教者、教師、医師を聖職と思っている人たちは「労働=奉仕」と考えてブラックではないと感じているだろう。
 かつては教師、医師は保護者や患者さんから尊敬され、盆暮れには付け届けなどがあった。今ではモンスターペアレントやペイシャントなどのクレーム対応に追われ、下手に金品を授受しようものなら収賄罪に問われかねない。宗教者も以前のような尊敬や寄付はかなり落ち込んでいるようだ。
 このような状況下で自分を労働者と思う若い宗教者、教師、医師が増えてくるのはある意味当然かもしれない。
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 【プロフィル】石蔵文信(いしくら・ふみのぶ) 昭和30年、京都市出身。内科、循環器科専門医。大阪大学人間科学研究科未来共創センター招聘教授。三重大医学部卒業後、国立循環器病センター、大阪警察病院などに勤務。米メイヨークリニックへの留学後、大阪大学大学院医学系研究科准教授を経て現職。平成13年より大阪市内で「男性更年期外来」を開設し、中高年の心と体の専門家として丁寧なカウンセリングと治療に定評がある。「親を殺したくなったら読む本」など著書多数。」
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 現代の日本社会は、昔の息苦しい宗教的罪悪感による因襲に縛ら風習に囚われた硬直した社会とは全く異なった、何モノにも縛られず囚われない自由な社会に進化を遂げつつある。
 檀家が減った貧困寺院の僧侶は、葬式・法事・墓守だけでは生活できない為に俗世での副業を持たざるを得なくなっている。
 絶対服従の信仰の誓いをたてた僧侶は神仏の奴隷だが、一般的宗教関係者は一個の人格を持った人間である。
 「坊主丸儲け」という、宗教黄金時代は終わりつつある。
 人口激減に無宗教意識が広がり、異文化異宗教を持った外国人移民が増加すれば、伝統的民族固有の寺院の廃寺は増加して、日本民族の宗教は衰退する。
 人類の宗教史を見れば、民族が死滅すると伝統的民族宗教は民族言語や民族文化と共に消滅している。
 歴史的事実として、民族と共に消滅した民族宗教が数多く存在している。
 日本の宗教・精神世界を支配するのは、他者と切り離され他者と繋がらない一切の束縛をから開放された「個」の自分だけという宗教色の薄い神秘・スピリットである。
 「宗教色を極限まで薄めた」新しい生き方において、日本は世界の最先端で進化を続けている。
 日本は、反宗教無神論を採用したわけではなく、宗教を否定たわけではなく、宗教を排除しようとしている分けでもなく、宗教の影響を嫌悪して現実の生活の場・社会の中心から遠ざけようとしているだけである。
 日本は多神教で如何なる神仏も争う事なく受け入れる、とは綺麗事である。
 故に、宗教に寛容な日本こそがキリスト教イスラム教とユダヤ教の対立を仲裁し共存の道を開く事ができる、とは詭弁である。
 日本で起きている事は、宗教から神聖を取り除いた俗世化と信仰・崇拝の無力化である。
 僧侶は神仏に仕える滅私奉公的神聖職ではなく、信者を導く精神労働者であり、寺社仏閣と墓を維持する肉体労働者である、と。
 日本が今以上に「人間中心」の共産主義化が進めば、僧侶・宗教関係者は労働者・人民の一員と見なされ、宗教界の神聖不可侵の超越的基盤が崩されて、古代遺跡の古代宗教儀式のように形骸化される。



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