🌅15〉16〉─1─宗教への関心を強める若者。~No.70No.71No.72No.73No.74No.75 @ 

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 2017年1月16日号 AERA「宗教への関心強い若者
 夢と現実の新たな地平 広井良典
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 伝統的死生観を再評価
 こうした状況は、時代の構造的な変化と深く関係している。すなわち、高度成長期に象徴されるような経済の『拡大・成長』の時代には、物質的な富を拡大することに人々の関心は集中し、死生観などといったことは脇にやられ、半ばタブーとされた。いまは経済が成熟してモノがあふれる時代となり、高齢化も着実に進む中で、物質的な次元を超えた話題への関心が強まっているのではないか。
やや大づかみな整理をすると、私は日本人の死生観は次のような3層構造になっていると考えている。もっとも基層にあるのは『原・神道的な層』で、これは〝八百万の神様〟やジブリ映画にもつながるような、自然の中に単なる物質的なものを超えた何かを見いだすような世界観だ。2番目にあるのが『仏教的な層』で、これは涅槃(ねはん)や空という概念とともに、より抽象化ないし理念化された形で死や生を理解する枠組み。そしてもっとも表層にあるのがいわば『近代的ないし唯物論(ゆいぶつろん)的な層』で、これは端的に〝死=無〟ととらえる。
 戦後の日本では、死を賛美した戦前のトラウマもあり、高度成長期を中心に圧倒的に第3の唯物論的な層が強くなった。その典型が団塊世代というよう。時代が下がって、もう一度、根底にある伝統的な死生観を再発見、再評価する時代になっているのではないか。
 連続化する『夢と現実』
 『伝統的な死生観』と述べたが、実はこうした方向は、意外にも現代科学の新たな展開と共振する。それは『リアルとバーチャルの連続化』と呼べる現象だ。
 いわゆるAIや情報技術などが高度化する中で、『マトリックス』や『インセプション』といった映画が描いてきたように、〝現実とは脳が見る(共同の)夢に過ぎない〟という世界観が浸透し始めている。つまり何がバーチャル(仮想的)で、何がリアル(現実)かの境界線が曖昧になり、一連の地続きとなっているのだ。一見すると、若い世代に特有であるかのように見えるが、そうともいえない。すなわち、超高齢化の進展という全く別の文脈からも、これに類する現象が起こっているのだ。それは認知症などを持つ高齢者層が急速に増える中で、『夢と現実』の境界線が、別のからちで揺らいでいるという状況である(私はこのことを、認知症気味の母親に接する中で身近に感じるようになった)。
 情報技術の進展と高齢化という異質なベクトルの中で、『リアルとバーチャルの連続化』が進み、ひいては科学と宗教の境界線が薄らいでいく。高度成長期には確固たるものに見えた唯一の『現実』が多層化し、〝夢と現実〟がクロスオーバーしていく。こうした根本的に新しく、同時に〝なつかしい未来〟と呼びうる、時代の構造的な変化が到来している。日本人の死生観は、その変化のただなかにあるのではなか。



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