🌅6〉─2─財政赤字で文化予算を削減。民族固有の文化・芸能の衰退に意を介さないグローバルな知的エリート達。~No.40No.41No.42 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 人類の歴史に於いて、ローカルはグローバルの為に衰退しそして消滅して行く。
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 西洋語が話せないのに母国語のみでノーベル賞を受賞できるのは、日本だけである。
 ローカル語である日本国語は、グローバル語の西洋語に勝るとも劣らない優れた語学力を秘めている。
 日本人は、日本国語の語学力を失えば今後ノーベル賞を受賞できなくなる可能性がある。
 日本社会は、英語を話せる豊かな少数派階級と英語の話せない貧しい多数派階級に二分化していく。
 そして、知能と教養と技術は低下する。
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 日本文化は、ローカルな日本国語と共に生き、グローバルな英語や中国語などの外来語が普及すれば消滅する。
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 伝統的日本文化に愛着を持たない政治家や官僚達そして知的エリート達。
 文化的教養の欠片もない政治家や役人が、公用事業を優先して日本文化を破壊し、文化予算を削減して日本文化・芸能遺産をダメにする。
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 消えゆくローカルな日本民族文化。
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 門川大作京都市長)「文化で地方を元気になり、文化で国民一人ひとりの生活が豊かになり、文化で国力を向上させるフランスの文化政策は、地方活性化の一つのモデルだと思います。
 国の文化予算額(2015年度)を比較すると、フランスが約4,640億円なのに対し、日本は約1,038億円です。さらに、文化予算額が国家予算のなかで占める比率は、フランスが0.87%に対して、日本は0.11%と、日本は文化を大切にしつつ、予算や具体的施策ではフランスと大きな開きがあります。
 いま、日本の『クールジャパン』だけでなく、伝統文化から現代アート、さらにその背景にあるものづくり、日本の文化が世界から高く評価されています。しかし、それらを醸成してきた伝統産業や全国の地場産業が危機的な状況です。
 そこで観光と文化を繫ぎ、地場産業を活性化させる。文化は新価値を創造し、国民を豊かにしてきた。その歯車を取り戻せば、日本こそが文化国家になり、安定した雇用や国民の豊かさに繋がります。そうした文化行政の転換点になってほしいのです」 
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 国際市場で活躍する日本企業の経営者の中には、熱烈な西洋礼賛者として、田舎くさい日本文化を毛嫌いしているもいて、グローバルで生き残る為には日本国語を捨てて英語を身に着けるべきだと確信している。
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 2016年7月号 新潮45小田嶋隆
 1980年代の世界選手権において、日本の女子柔道家とぢて、はじめての金メダルを獲得した山口香さんは、私の知る限り、いつも明晰な人だった。
 その山口さんが、いつだったか、日本柔道のメダル獲得数が減少しつつある傾向についてコメントを求められ、『日本の柔道が弱くなったと考えるよりも、柔道の海外普及が成功したと考えるべきだ』という意味の回答をしている。
 なんと見事な視点の転換であろうか。
 実際、この半世紀で、柔道ほど国際的な普及に成功した競技はほかに無い。
 競技であれ文化であれ、どこかで発祥した人間の営為が国際化することは、一方において、その母国が忘れられることでもある。たとえばサッカーのような真に成功した国際競技では、母国である英国の存在感は限りなく小さくなる。逆に、テコンドーやカバディのようなローカルな競技では、その発祥国が、いまだに圧倒的な実力と存在感を発揮している。
 10年ほど前だったが、私は、冒頭で紹介した山口香さんのインタビューコメントをひそかにパクリつつ、『必要なのは、大相撲の国際化ではない。国際社会の相撲化こそがわれわれの目指すべき近未来だ』という主旨の原稿を書いたことがある。この段階では半分ば冗談だったのだが、いまとなってみれば、あの時の提言はいよいよ現実味を帯びている。
 今回は、その話をする。つまり、国際社会を日本化するプランについてだ。
 『国際化』の実相
 わたしども市井の日本人が想い描く『国際化』は、街に外国人労働者の姿が増えることや、子供たちが達者な英語をしゃべる世界を意味している。あるいは、ひなびた温泉宿で買い求めた民芸品がミャンマー製であったような時、私たちは自国の国際化をしみじみ実感する。
 が、その種の国際化が、われわれを幸せにしてくれるのかどうかは、また別な話で、とすれば、この先、われわれが日本の国際化を、積極的に推進すべきであるのかどうかについても、安易な答えを出すことができない。番付表の上部を外国人力士に独占されている大相撲の現況が、相撲というわが国の国技でもあれば、古くから続く神事でもあるこの特別な文化に、望ましい未来をもたらすのかどうかを、簡単に判断できないのと同じことだ。
 私自身は、個人的に、わたしども21世紀の日本人が『これが国際化』だと思っている『国際化』の実相は、実は、日本を国際化させることで利益を享受する陣営の人々が、われわれびそう思い込ませようとしている未来像に過ぎないと考えている。もう少し具体的に言えば、現段階で標準化されている『国際化』のイメージは、グローバル企業(ちょっと前の言い方で言えば『多国籍企業』ということになる)にとって都合の良い社会像から一歩も外に出ていないということだ。
 グローバル企業は、有り体に言って、世界中のあらゆる場所で、すべての国内法が同じ原則を共有し、労働力と生産品と金融市場とインフラが国境をまたいで行き来する社会を目指している。
 その、すべての文化的度量衡がボーダーレス化した国際市場を舞台に、グローバル企業は、労働力単価の安い最貧国で生産した製品を、消費需要が旺盛な先進国の富裕層に販売することで利益を極大化し、税については、独裁国家の政府要人と富裕国の特権階級が結託して整備したタックスヘイブンを利用しつつ、納税額を極小化することを、基本戦略としている。そのためには、世界中の労働者が同じ言葉を使った方が労務管理のコストが下がるし、非英語圏の労働者を制御しやすくもする。とすれば、国際社会の辺境に残っている互換性の乏しい文化や偏奇な習慣は、順次国際仕様の市場化しやすいカルチャーに統合するか、でなければ順次駆逐することが望ましい。
 てなわけで、わが国においても、大学の授業を英語で進めるプランが着々と進行しつつある。修士論文や博士論文では、既に、はじめから英語で書くか、でなければ英訳を添付することが、事実上のスタンダードとして定着している。
 おそらく、10年後の大学生は、母国語で学問の最先端に触れることのできない、戦後最初の世代になるわけで、つまり、わっrわれの国は、この先、英語を自在に使いこなすことのできない学生が、学術研究の入り口に立つことさえできない、旧植民地ライフなグローバル・コロニー国家に変容していくことだ。
 その流れを少しでも食い止めるために、われわれは、日本発の習慣やアイディアを、国際社会に放流して、その影響力を拡大することで、わが国の文化的な地位をなんとか防衛しなければならない。
 ……
 お国は、金融と経済のグローバル化を遮二無二推し進める一方、先年来『クールジャパン』なる日本文化広報活動を推進すべく会議を繰り返している。
 これは、好意的に言えばだが、日本の国富とインフラをグローバル企業に売り渡し、われら日本人が長い歴史を通じて育んできた固有の温順な国民性と治安の良さを、国際金融資本が利益を生み出す為の蚕室として提供しようと画策している政府ならびにエリート官僚が、せめてもの罪滅ぼしと、やがて訪れるであろう国民的アイデンティティークライスへのあらかじめの対策として立案した、事前弁解の弥縫策みたいなものだ。
 役人には、文化のことはわからない。
 にもかかわず、彼らは、今も昔も、国民の文化的な営為に対して、要らぬリーダーシップを発揮したがる。
 彼らは、外国人受けの良さそうなコンテンツ産業補助金を出したり、あるタイプのソフトウェア商品の海外進出に道をつけることで、文化の出来高とその品質をコントロールできると、どうやら本気で思い込んでいる。
 しかし、当然のことだが、子供だましのアニメやお笑いぐさのゆるキャラが、日本文化の地位を高める近未来は、何百年待ったとて、決してやっては来ない。
 ……
 アニメに限った話ではない。
 19世紀中葉のヨーロッパ美術界に吹き荒れたジャポニズムの嵐にしたところで、画商が仕掛けたブームでもなくれば、政治家が呼び寄せた流行でもない。
 絵であれ音楽であれ、あるいは思想やスポーツであれ、それらを享受し、流行させるのは、究極的には、人民の鼻であり、子供たちの自前の目だ。クールジャパンを推進している役人や政治家やご指名クリエーターにできるのは、仲間うちで補助金を回しあったり、キックバックで高い酒を呑んだり、会議と視察と打ち合わせという名刺交換を繰り返す中で、狭い業界の中にさらにせせこましい利権の回廊を建設する程度のことでしかない。
 ……
 多少とも日本史を学んだ者は、わが国の歴史が、世界のどの国と比べても、著しく戦争の惨禍に塗られることの少ない記録であることに思い至るはずだ。国中が戦乱に明け暮れたと言われている戦国時代にあってさえ、戦(いくさ)は、おおむね、職業軍人である武士による局地戦に限られ、土地の住民が虐殺されるような殲滅戦は、数えるほどしか起きていない。徳川幕府の時代の、二百数十年におよぶ平和自体、世界史上稀な出来事だと思うのだが、その間、鉄砲の製造と輸入を禁じて、事実上、武器技術の進歩を止めてしまったことは、さらに特筆すべき異例の歴史だ」




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