🌅6〉─1─人口激減時代で日本の伝統工芸は消滅するのか。有田焼。輪島塗。~No.37No.38No.39 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 優れた伝統工芸だから売れるという事はありえない。
 メイド・イン・ジャパンだから買って貰えると言うのも嘘である。
 日本で売られている商品は、日本の会社の製品ではあっても、生産しているのは中国でメイド・イン・チャイナである。
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 人口激減と少子高齢化で、職人の後継者が減っり、日本の伝統工芸品は衰退・消滅に向かう。
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 現代の日本人は、身体で汗を掻いて給料を貰うより、頭・脳で汗を掻いて大金を稼ぐ事に生き甲斐・喜びを感じている。
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 日本人の富裕層・金持ち・消費者は、日本の伝統工芸品よりも西洋の舶来品を好んで買い込み、生活を楽しんでいる。
 日本市場では、西高東低で、日本伝統工芸は西洋舶来品に比べて売れ行きがよくない。
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 2016年12月号 ウェッジ「有田焼、輪島塗の技術は継承できるか 井上久男。
 覚悟のない地場への支援は『伝統工芸』を滅ぼす
 ブランドに胡座をかき、補助金頼みなっていた──。
 伝統を継承し、発信するには作り手の覚悟と自助を促す仕組みが必要だ。
 有田焼が1616年、日本最初の磁器として誕生以来、今年がちょうど400年の節目にあたる。産地では様々なイベントが開かれてきたが、その中でひときわ目を引くのが主に欧州市場を狙った、有田焼の新ブランド『2016』プロジェクトだ。今年4月に開催された世界最大級のインテリアの祭典『ミラノ・サローネ』にも出展した。
 有田焼の産地を抱える佐賀県は13年度から4年間、17の『400年事業』を推進している。『2016』のプロジェクトもその一つで、県費を3.8億円投入したが、これまでとは補助の手法が大きく変わり、一律ではなく、自助努力して成果が出せそうな業者を対象にしたことが特徴だ。
 有田で『宝泉窯』を経営する原田元氏は同プロジェクトのメンバーの一人で、現在の県陶磁器工業協同組合の理事長も務める。『これまで補助金を使ってきたが、産地活性化の成果はほとんど出ていない。主な原因は産地の勉強不足と甘えに他ならない。今回の補助金では、もらった後に産地がどれだけ自立していけるかも問われている。補助金がいかに雇用と税収の増加につながるかも県は狙っている』。
 これまでの多くの補助金が、イベントに出展する新商品の開発費の一部を対象としたが、今回は一切出さない。月商に相当する型代や交通費などのコストはすべて窯元が負担する。補助金は県が主導して開拓する海外での展示会開催費用などに充てられるのみだ。しかも新商品開発にあたって、参加メンバーを募集した際には、書類審査だけではなく面接でやる気を確認されたうえ、決算書もチェックされた。
 さらに、開発プロセスでは敢えて窯元の要望は採り入れず、県が指定したデザイナーと組み、徹底したデザイン主導で、現代の生活に合った商品づくりが求められた。プロジェクトに参加した窯元10社、産地商社6社にそれぞれにデザイナーが付いた。有田の伝統を否定するもの作りの一面もあった。
 『今の生産設備ではデザイナーが求めるものが作れない、生産量が確保できないといった課題も指摘され、窯元10社のうち2社がリスクを取って工場を移転した。そうした意味で産地の覚悟が問われるシステムにも変わった』(原田氏)
 プロジェクトに参加した計16社を一体的に運営するために商社6社と窯元2社が出資して自力で販売、ブランドを普及させる新会社『2016株式会社』を15年5月に設立。今年10月からは国内で本格的な営業を始めたばかりだ。
 こうした動きは産地を刺激した。17事業のひとつ『つたうプロジェクト』にも16社が参加、経営が弱小でもどうやって自助努力で市場に自分たちの思いを伝えていくかを議論している。具体的には、窯元の強みと弱みを自己分析することで、既存の商品を『リブランディング』することなどが狙いだ。
 指導する東京のコンサルティング会社、メイド・イン・ジャパンプロジェクト(MIJP)。同社の赤瀬浩成社長は岡山県内にある家業の桐ダンス生産の会社をインテリア企業に再生させ、そのノウハウをベースにMIJPを企業、全国の伝統工芸の産地にネットワークを持つ。
 県産業労働部理事で、有田焼創業400年事業推進グループリーダーの岐宜幸氏はこう語る。『「2016」のような会社ができたことは、いい意味で想定外。従来通りの補助金の手法では現状を大きく変えることができない。たとえば、有田をメインの会場に1996年に開かれた「世界・炎の博覧会」では多額の補助金を投入したが、持続的な効果はなかった。いずれ有田焼の売上が回復すると考えていた県側にも産地側にも危機感がなかったからです』。
 事実、有田焼業界全体の売上高は、91年の249億円をピークに15年は6分の1以下の41億円にまで落ち込んでいる。有田焼の関係者の一人は『伝統に胡座をかいて、時代の変化を感じて現代の生活に合った製品を供給できていないことが凋落要因の一つ』と自戒の念を込めて話す。
 こうした現状に危機感をおぼえて取り組んだのが『2016』のプロジェクトである。ただ、同プロジェクトには伏線があった。それは、補助金を全て使わずに新ブランドを開発した産地の商社、百田陶園の取り組みだ。同社の百田憲由社長は言う。『今の産地は先達の遺産に頼りきりで飯を食っている。世界中の家庭で使われるような新しい有田焼ブランドを作るべき。そのためには、上流のものづくりから下流の流通まで仕組みを変えていく必要がある』。こうした発想から銀行を口説き落として借り入れ、独自で1億5,000万円を投資して新ブランド『1616』を創設した。
 『これが失敗したらうちは倒産する』と思っていたと百田氏。危機感を感じながら11年から有望株のデザイナーと組み、デザイン主導で新商品を開発、釉薬(うわぐすり)をかけないなどの斬新な新手法を用いた。12年には国内の発信基地としてグランドオープンしたパレスホテル東京に出店。13年の『ミラノ・サローネ』で賞を獲得したことでブレークした。国内はもとより世界20ヵ国に輸出、投資回収も順調に進んでいる。『新規事業にはスピード感も重要。使い道に制約のある補助金は不要と考えた』と百田氏は振り返る。安易に補助金をもらうと、やり遂げる覚悟も鈍るということだろう。
 県も『1616』の成功に目を付け、同じ発想で『2016』のプロジェクトを進めることで、産地の在り方を変えていくことにしたのだ。『2016』は『1616』が進化したブランドして位置付け、新会社の社長には百田氏が就任している。
 国の伝統工芸の定義付けが
 現代の生活に合うもの作りを阻む
 『補助金頼みの側面が強まっているが、これが諸悪に根源。自分で汗をかくことを怠る傾向に陥っているのではないか』。こう問題提起するのは、輪島の塗師屋『大崎庄右エ門』で4代目となる大崎四郎氏だ。塗師屋とは漆器を生産、販売する元締めのことだ。大崎氏は、伝統を大切にしつつも自助努力で異業種である陶磁器のノリタケと組んでボーンチャイナに漆を施すなどの新製品を開発してきた。『お客さんに新しい生活空間を提供していく努力は不可欠』として、73歳になった今でも自分が営業に出る。
 有田焼と並んで日本を代表する伝統工芸のひとつ、輪島塗もジリ貧状態だ。有田焼と同様に産地の売上高のピークは91年でその時の180億円から15年は42億円んまで減少した。
 輪島塗は富山の薬売りと同じように、行商スタイルで、作り手でもあり、売り手でもある塗師屋が全国を歩き、顧客と信頼関係を築き、そのニーズを吸い取って漆器を製造販売してきた。しかし、販売は百貨店任せで価格も言われるままの状況になり、一定の量を確保するため、粗悪品も出回った。いつの間にか作り手の顔が見えない製品になると同時に、マンションでの生活など現代のライフスタイルに輪島塗は合わなくなった。経営に窮する塗師屋も増え、それが補助金依存の高まりを招いた一因とも言える。
 輪島では、危機感をおぼえて新たな取り組みを展開する塗師屋も増えつつある。持続的な事業の展開に繋がる補助金の利用の仕方を意識している。
 その代表の一人が『輪島キリモト』のブランドを展開する桐本泰一氏だ。スプーンやホークに合う漆器にも力を入れるほか、有田焼の窯元と提携して磁器と漆を融和させた新商品も開発している。加波基樹氏も桐本氏と同様、洋食に合う漆器ブランド『TUBU』を展開している。『補助金を活かして、人を雇用し、育てていかなければ産地の発展はない』と桐本氏は言う。
 輪島塗が補助金依存になったのは、産地の自助努力の不足だけからではない。国にも責任の一端はある。重要無形文化財の輪島塗には工法や材料に文化庁が定めた定義がある。また、74年に制定された『伝統的工芸品産業の振興に関する法律(通称・伝産法)』でも、技法や原材料で一定の要件を満たさなければならない。
 補助金を出しやすくするために国が定義を定めたことで、産地から多様性のある製品が消えた。このため、桐本氏や加波氏が造る洋食に合った漆器は『輪島塗』と呼ぶことはできないケースもある。国が決めた定義が、現代の生活に合うもの作りを阻害してしまった一面はひていできない。
 伝統工芸は日本文化の一部であると同時に産業でもある。補助金が新たな雇用を生み出し、それが税収の増加にもつながるとの発想が、補助金を出す役所にも、使う側にも一層求められる時代が来ている。」
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 2016年12月 正論45「だからあれほど言ったのに 適菜修
 『橋下化』東京のが止まらない
 誰も彼も『改革』がやりたくてしょうがない。人気取りのためには社会を壊してもいいらしい。
 考えてみれば当たり前の話だが、『自分がよいと思うもの』、あるいは『歴史的な価値基準に照らし合わせて優れているもの』が売れるのではない。『世の中の大多数の人間がよいと思うもの』が売れるのである。
 そこを間違えると、定年退職したオッサンが居酒屋を始め、借金を背負ったりする。彼はサラリーマン時代に経費で飲み歩いた経験を活かし、酒を厳選し、つまみを研究し、酒器にこだわり、『これなら間違いない』と確信して店を開く。そして見事に客は来ず、半年後には店を閉めることになる。私の家の近所にも、たぶんそういうことなんだろうなという店が数軒あった。おでん割烹は半年で潰れたし、路地の日本酒バーも知らないうちになくなっていた。
 街を歩くとよくわかる。客が入っている店は、まずいコーヒーのチェーン店であり、換気扇から悪臭が吹き出てくるラーメン屋であり、できたら食べたくないファストフードである。
 これもまた当たり前の話だが、大衆社会においては、大衆の琴線に触れるものだけが売れるのだ。書籍も映画も音楽も同じ。世の中の大多数の人間の下世話な部分に訴えかければ、それなりの支持は集まる。……」



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