🌁12〉─1─20世紀型教育で量産された金太郎飴的平均秀才。受験官僚。勉強エリート。ヒラメ型エリート。~No.44No.45No.46 ⑦ 

日本の行く道 (集英社新書)

日本の行く道 (集英社新書)

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 人間は性格的にミスを犯すが、コンピュータ・AIはミスを犯さない。
 コンピュータ・AIがミスを犯すのは、データ入力を行う人間のミスが原因である。
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 戦後の大学に於ける高等教育は、日本人から主体性を奪い、上司・他人の顔色を窺うヒラメ型エリートを量産し、判断力と自己責任能力を消滅させる事であった。
 その成果は、1980年代後半のバブル時代に現れ、日本経済を崩壊させた。
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 2017年8月号 正論「古田博司 近代以後
 秀才の『正義』に気をつけよう
 勉強エリートの削減
 私は秀才のことを、敢えて『勉強エリート』と呼んでいる。というのも、別に秀でた才ではなく、小さい頃から私の周りにはゴロゴロいたからである。
 世の中とは面白いもので、何かが問題になると、識者たちが別の文脈の中で、そのことにぽつりぽつりと触れ始める。例えば藤原正彦氏。『受験勉強でも偏差値の高い者は、頭がよいというより勉強法がうまい。そういう者は誰に言われなくても、最も効率的な勉強法をとっている。逆に偏差値の低い者はよりによってもっとも非効率な勉強法にしがみつく』(週刊新潮6月15日号)
 次に、中野剛氏。『霞ヶ関の官僚は通常は2年、長くとも3年で部署が変わるとう慣例があります。……それでも2年の間に、たとえばこの道30年の業界のベテランと渡り合うくらいのことはしてしまうのです。受験秀才が官僚に向いている所以でしょう』(月間Hanada6月新緑号)。
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 勉強エリートの転落と内ゲバ
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 簡単に言うと、勉強エリートは自分を万能だと思い込む環境にならされる。正義は万能を要求するから、やがて自分が正義だと思い込むようになる。でも本当は万能ではなく、自己愛が強いだけだから、正義漢であろうとするほどどんどんウソつきになり、やがてウソがばれて落っこちてくるのではないか。
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 旧約聖書は正義を語らない
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 というわけで、旧約聖書は本当は正義を語らない。正義は全能(秀才の場合は万能)を要求するから、できないことはないというウソをつくことになり、『正義』に固着すれば現実社会に役立つものを取りこぼし、先見を曇らせる機会を増やす。それで失敗しても、全能(万能)の看板が下ろせなければ、反省しないから強情になる。人間の強情を許さず、罰や呪いを送り込むヤハヴェが最初から強情だったとすれば、人間を罠にハメまくっていることになってしまう。だから彼は素直に後悔する(サムエル記上、15−11)。故に彼は正義を語らない。論理的に言えばこういうことになるのだろう。
 旧約聖書は正しくはユダヤ教聖典だが、紀元前5.4頃に編纂されたとき、正義漢のウソつきが、『全能の神』『神の正義』をあちらこちらにバラまいたのだった。そういう面白い連載を他誌で今しているのだが、あまり他誌のことを言うと、気の毒なのでこのくらいにしておく。
 勉強エリートも考えよう 
 というわけで、近代も終わったのだから、勉強エリートも変わった方がよいと思われる次第である。要領がよくて勉強や仕事の処理能力が高く、自己愛や社会の要請から自分を万能だと思い込み、果ては正義漢になって知らず知らずにウソをつき始め、気づいた時には放り出されたり転落したりする。 
 近代の昔では日本が後進国だったので、先進の欧米の手本の後追いをすればよかった。それでドイツ観念論で固められた教育体系で勉強エリートが量産された。考えるより学ぶ方が優先されてやっとここまで来たのだった。でも気づいた時には、考えていなかったのは日本だけでなく独仏も同じだった。EUなんかやり初めて足踏みしてくれたおかげで、独仏からは学ぶものがなくなり第二外国語の独語・仏語もいらなくなった。
 日本としては大成功だったが、グローバリゼーション・インターネット・イノベーションの近代以後の三種の神器が近代の理念を打ち壊してしまった。一生懸命勉強して偉くなっても万能の誇りも持てない、ネットやAIの方が彼より万能だからだ。
 世界平和や友好を語り、『善い人』になりたくても、すでにグローバル化した世界ではマネジメントの単位が国家であり、世界は国家のサバイバルの様相を呈している。オリンピックやワールドカップだけでなく、インターネットの管理システムも同様だ。国技の相撲さえ、蒙古軍が蠢き始めている。
 直観と先見がなければイノベーションは生まれない。既存の知識を規格化して学ぶことにたけた勉強エリートの最も苦手とするところである。学ぶだけでなく、これからは考えなければならない。英米は誰の手本もなく、自分で考えて無地に進路を引いてここまで来たのだ。日本人も自分で考え、試みて、努力する時代になったのだろう。無意味に悩んではいけない」
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 将棋の原型は、インドの卓上遊戯が始まりで、日本には遣唐使や入唐僧などによって碁と一緒に中国から伝来した。
 人生は、将棋や囲碁のように勝つか負けるかの勝負の連続である。
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 2017年7月16日号 サンデー毎日「前人未踏の14歳 藤井聡太四段〝文武両道〟ライフの凄み 石山永一觔
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 詰め将棋とは将棋の終盤の部分図を見て、相手の王を詰ます手順を考える一種のパズル。パズルとはいえ、江戸時代からあり、当時の作品が傑作として現在も残る一種の伝統芸術でもある。小学校6年生の優勝は史上最年少で、数学の難問を解く大会で、大人の数学者を押しのけて子どもが優勝したようなものだ。
 詰め将棋が強いということは、終盤が圧倒的に強いことを意味する。プロ棋士でも日ごろの訓練の1つに詰め将棋を解くことを挙げる者は多い。スポーツでいえば、基礎体力トレーニングのようなものだ。その基礎体力、いや『基礎知力』がすでに将棋界ナンバーワンなのだ。詰め将棋の世界で名を知られると、対戦相手の棋士は『終盤の競り合いになったらまずい』と恐れる。しかし、そのぎりぎりの終盤力をほとんど見せないままで29連勝したことに凄みがあるのだ。
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 生身の人間が指す将棋の魅力
 米国にはなど『全米天才児協会』などの組織があり、公的教育機関も含め、才能豊かな子どもの発掘に熱心だ。13〜14歳で大学に飛び級進学させる例もしばしばある。米国では子どもの才能を。①知性②創造性③芸術性④リーダーシップ⑤特定の研究⑥運動能力の6分野に分けることがあり、このいずれかの分野で上位数パーセントに入る子を天才(GIFTED CHILDREN)と呼んでいる。天才と定義される子どもは全体の5〜10%と意外に多く、米国では子どもの才能に合わせた教育を奨励している。藤井四段の場合は①②⑤⑥など4分野で『GIFTED』の可能性がある。米国の研究でも、これはかなり珍しいケースのようだ。
 飛び級などがない日本では、こういった『天才児』たちは進学校に進み、やがて受験競争に組み込まれていく例が多いだろう。と『変わり者』していじめの対象となったり、不登校になって家に引きこもってしまうような子もいるのではないか。
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 AIがあらゆる分野で全人類の集合知を超える『シンギュラリティー(技術的特異点)』は2045年に訪れるといわれているが、将棋におけるシンギュラリティーはすでに過ぎ去り、プロ棋士たちの『存在意義』が問われる時代に入った。
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 ソフトがいかに人間より強くなっても、そこからスターは生まれない。だが生身の人間が勝ち続ければ、ファンはその大局に引き込まれ、大スターが誕生する。羽生3冠は、勝を確信した終盤で、しばしば駒を持つ指が震える。そんな所作の一つ一つが、ファンにはたまらない魅力なのだ。人間同士の勝負にこそ、人間は興奮するのである」
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 2017年7月16日号 サンデー毎日「将棋の世界だけじゃない!
 人工知能で消える仕事 生き残る仕事
 人工知能(AI)が普及し始めている。金融機関はAIを利用した商品やサービスを開始、医療でも実用例が出ている。研究が進めば、『労働人口の半数を代替する可能性がある』との調査結果もある。AIは日本社会をどう変えるのか。我々の仕事はどうなるのか。
 プロ棋士藤井聡太四段(14)が過去最多となる連戦記録を達成したニュースが大きな話題になった。『AIを用いたソフトで将棋研究をしたころが強さの要因』という指摘もある(7月9日号参照)。近年、将棋やチェス、囲碁の名手がAIとの大局で敗れるケースが相次ぎ、技術の進歩を印象付けている。
 そもそもAIとは何か。AIを特集した総務省の『情報通信白書』2016年版では、〈知的な機械、特に、知的なコンピュータプログラムを作る科学と技術〉と説明している。一般的には、従来の技術では不可能だった高度な情報処理を通じ、人間の頭脳に近い認識や判断ができるコンピューターやソフトウェアを指す。
 難しい話はさておき、スマートフォンに組み込まれた音声応答アプリの『Siri』やロボット清掃機のようななじみ深い製品も、AIが組み込まれている。
 情報技術(IT)に詳しい内閣府参与(科学技術・IT戦略担当)の斎藤ウィリアム浩幸氏は、AI研究の現状をこう説明する。
 『1960年代に〝AIの春〟と呼ばれるブームがありました。当時はコンピューターのCPU(中央演算処理装置)の能力が理論についていかず、ブームは終焉。その後、何回かのブームを経て、CPUの能力が格段の進化を遂げ、AIが分析対象とするデータがインターネット上に大量に存在する時代になりました。あるタイミングから技術水準が急激に向上する〝指数関数的な進化〟が起きているといえるでしょう』
 分野によっては、AIの実用化が始まった。金融業界は紙幣と貨幣以外のモノを扱われない特性からAIによる効果が大きいとされる。投資信託の運用各社は『AI』と銘打った商品を続々と売り出した。『AI技術を持つ会社の株』を投資対象とする株式投資もあるが、投資対象の選定にAIを活用するタイプも出始めた。昨年11月、アストマックス信託投資顧問が発売し、今年2月には三菱UPJ国際投資とゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント(AM)が続いている。
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 AIが代替しそうな医療分野も
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 人当たりが良い人が生き残る
 野村総合研究所が15年にまとめたリポートは、『日本の総人口の約49%が、技術的には人工知能やロボットで代替される可能性が高い』とする。機械の操作をする職業の多くはなくなる可能性が高い一方、創造性が高い職業は代替されにくいという。
 早稲田大政治経済学術院の若田部昌澄教授(経済学史)は、こう指摘する。 
 『産業革命以降、爆発的な機械化が進み、人口も増えましたが、仕事は消えていません。雇用関係の指標をみても、機械化とはほぼ無関係です。新しい仕事ができることで雇用を吸収してきたからです。ただ、この先はこれまでの常識通りに進むかは分からない。弁護士や公認会計士、役人も、定型化された仕事しかしていない人はAIに代替される。人当たりの良さといったコミュニケーション能力が高い人が残るでしょう』
 もっとも、技術が進化しても社会に受容されるかどうかは、その風土に左右される。IT産業アナリストの佃均氏は、政府が『電子政府』を提唱してから20年近くたった今も諸外国に大幅に遅れていることを挙げ、次のように指摘する。
 『契約の際、ハンコがないとダメといった文化的な抵抗感や法規規制が強い分野は、AIやロボットの導入が遅れるでしょう。進むのは、社会制度の変更が必要ないところ。どれだけAIの進化に対応できるか。日本人はそこが問われています』
 〝第4次産業革命〟ともいわれる大変革に、日本は果たして対応できるか。
     本誌・谷道健太」
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 人口爆発期の金太郎飴的平均化された没個性的秀才を量産する近代教育は、人口激減期のAI管理社会では無用の長物である。
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 人口爆発期の日本教育は、勉強好きの天才と勉強嫌いの鈍才を同じ教室に閉じ込めて、命じられた仕事や与えられた課題を、何の疑問も抱かず迅速に処理し仕上げる人材を量産した。
 人口爆発時代の日本教育は、得難い天才を潰し、多くの鈍才を秀才に引き上げる事であった。 
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 人口爆発時代の日本は、消費拡大時代であった為に、世界で売れる欧米の最先端技術で作られた製品を日本的に改良しメイド・イン・ジャパンとして売ればよかった。
 20世紀型教育は、人口爆発に伴った消費爆発、大量生産・大量消費に貢献して日本を経済大国に押し上げた。
 日本教育が大量生産した秀才とは、人口爆発時代の20世紀型秀才で、人口激減時代の21世紀では通用しない。
 21世紀型教育は、商品が溢れ消費が激減した中で、今までにない新しい商品を考え作り売る事を教えなければならない。
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 温故知新は大原則だが、20世紀型知識は参考になっても21世紀には通用しない。
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 マルクス主義共産主義社会主義)は、人口爆発時代では有益であったが、人口激減時代では役に立たない。
 共産主義とは、現場無視の架空の理想主義、妄想的机上の空論に過ぎなかった。
 60年安保・70年安保そして大学紛争を戦った革命闘士である団塊世代は、唯一自慢できる輝かしい青春時代を懐かしむ過去の人に過ぎず、屁理屈や御託を並べて迷惑を撒き散らすだけの困った年金受給老人である。
 昔の革命闘士である老人活動家は、元気はつらつとしてとして哀れな介護老人になっていない。
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 20世紀型教育を受けた有能な知的エリート・勉強エリートは、21世紀型では無能者・不適応者の烙印を押されて社会から放逐される。
 それが、大学教育に於ける文系学部の縮小である。
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 時代は、理解できず馴染めず適応できない人間を無用な人間として置き去りにして超高速で進んでいる。
 それが、自己責任である。
 誰も助けてはくれない、自己努力と自己救済である。
 人口激減で税収が激減する政府・国家には、全ての国民を平等・公平に、そして過不足なく安心できる水準で保護する事は不可能である。
 本音は、「勝手にしろ」である。
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 「経済成長はもう要らない」という知的エリート・勉強エリートの話を真に受けると、悲惨な未来、絶望的な将来しか待っていない。
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 深刻な問題は、労働者不足ではなく、消費者不足である。
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 消費者とは、野心も欲望もないコンピュータ・AI・ロボットではなく、自己満足的欲得で生きている人間である。
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 消費者が生きた人間である以上、利益を上げるには人とのコミュニケーション能力が必要である。
 消費者が多い人口爆発時代は、人当たりが悪い偏屈でも、素晴らしいモノを作っていれば、良いモノを見極める事ができる変わり者が買ってくれた。
 消費者が減少する人口激減時代は、努力を重ねて良いモノを作り、決して裏切らないという良好な人間関係を築き、信用と信頼を担保にして売らなければならない。
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 人工爆発の20世紀型教育知的エリート(老人)で、人口激減の21世紀型社会に適応できない者は無用の長物であるから、後は若者に任せて全員一線から退くべきである。
 所詮、自己学習AIと高性能ロボットが管理する社会で利益を上げられない老人は、利益を上げる若者達が納めた税金で老後を生きる年金受給者であるからである。
 年金で生活する者は、税金を納める者の邪魔をすべきではない。
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 才能のない多数派が、才能ある少数派を潰す。
 才能のない少数派が、才能ある多数派を潰す。
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 差別・特別を許さない偏狭した平等・公平主義では、人口激減時代は生きていけない。
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 21世紀で重要なのは、日本国語による想像力・発想力・表現力である。
 夢・希望を現実化する為に必要なのが、理系論理思考と文系現実思考の均整がとれた行動力である。
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 SF世界よろしく、21世紀型教育では心的精神面は人間教師が受け持ち学習は自己学習AIが受け持つ。
 天才は天才として特別に育て、鈍才は十把一絡げ固めてそこそこの秀才に育てる。
 20世型教育は、差別せず平等に教えた。
 21世紀型教育は、差別して適性、能力にあわせて教える。
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 江戸時代の底力は、特異な教育にあった。
 吉田松陰は、子供であったが、兵学師範として藩主らに兵法を講義した。
 才能がある者は、百姓や町人などの身分が低くとも武家の養子となって奉行や代官に出世したが、失敗すると最悪切腹を命じられた。
 商人も、小僧・丁稚から手代・番頭になった者の中から優秀な者を婿養子とし、できの悪い息子を勘当して、店を相続させ、家・家族をゆだねる。


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