🌄2〉─1─日本の伝統的空間文化・古き街並みの消滅の危機。古民家。美観地区条例。景観地区。倉敷。~No.2No.3No.4 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 来日外国人観光客が魅了される日本らしさの日本家屋と町並み風景という観光資源が、日本人の手で急速に破壊されている。
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 内田青蔵「由緒や歴史性といった価値があっても古い建物の存在の意味はなかなか理解されず、維持が難しいもの」
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 三島由紀夫「フランス人やイタリー人が伝統の重圧にあへいでいるといふと。いかにも実感があるのは、古代や中世以来の石の建築が残っていて、今の人たちも18世紀の建築にセントラル・ヒーティングを施して住んでいるからであるが、日本の伝統は大てい木と紙で出来ていて、火をつければ燃えてしまうし、放置(ほふ)っておけば腐ってしまう。伊勢の大神宮が20年毎に造り替へられる制度は、すでに千年以上の歴史を持ち、この間59回の遷宮が行われたが、これが日本人の伝統といものの考へ方をよくあらはしている」(『アメリカ人の日本神話』)
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 日本の自然に適応した伝統的生活空間は、グローバル化という時代の潮流で破壊され消滅しつつある。
 自然は、経済効率、如何に利益を出すかとうい一点で、暴力的に改造さ支配されつつある。
 現代日本は、昔の日本のように、自然を愛し、自然と共に生きそして死を迎える社会ではなくなってきている。
 自然保護と言いながら、自然の中に入らず、自然を見ず、自然を考えず、自然を想わず、自分の頭の中だけで勝手に思い描いてる傲慢な理想的自然像を声高に叫び、自然を無視して破壊しようとしている。
 現代の自然保護と昔の自然保護は、正反対に近いほどに異なる。
 現代の自然保護は、大都市の快適な一室の机の上で夢想にふけるだけ、思慮分別なき、実体を伴わない、稚拙な遊びに過ぎない。
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 かってのような、美しき景観、美しき街並み、美しい姿は、「ロスを減らして効率を上げる」という大義で破壊されつつある。
 日本民族が感じてきた「美への憧れ」とは、その奧に潜むえたいし知れない何かを「畏れおののく」ことである。
 自然的な美への憧れと畏れおののく事が、日本人に生き方や考え方、文化的な叡知と精神的な安らぎをもたらしていた。
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 2015年10月31日号 週刊現代「すまいと日本人
 井上章一 国際日本文化研究センター副所長
 日本の住宅地をながめていると、時にコンクリートの打ち放しでできた住宅を、見かける。アルミのスパンドレルがかがやくすまいとも、遭遇しないわけではない。
 いわゆる建て売りの家屋なら、ここまでとんがったかまえは、さけるだろう。もちろん、在来工法の住宅にも、こういう尖端的な表現はありえない。打ち放しやスパンドレルは、まちがいなく建築家の作品として、たてられている。鋭角的な表現へうってでる、アーキテクトたちの仕事にほかならない。
 そして、そういう事例に、日本の宅地ではよくでくわす。下町のややごみごみしたエリアでさえ、見つけることができる。
 私の知るかぎり、欧米の先進諸国では見出せない。中国や韓国の住宅街でも、そうはお目にかかれないだろう。アーキテクト物件の住宅全体にしめる割合は、日本が群をぬいて高くなっている。
 じっさい、諸外国で目にする建築家の住宅作品は、たいてい広大な敷地にたっている。広い庭のなかに、ぽつんともうけられるというのが、一般的なあり方である。住宅の形をきわめだたせたがるのは、特権的なセレブだけのふるまいだといってよい。庶民とよばれるような人々は、あまりそういう欲をもたないものである。
 くらべると、日本の庶民は、その点で突出している。たとえば、阪神間の下町に、安藤忠雄の住宅作品が点在する。ラーメン屋やお好み焼き屋が、打ち放しのコンクリートで構成されている。それは、日本でしかありえない光景だと思う。まあ、ラーメンやお好み焼きを食べさせる店そのものも、日本にしかないのだが。
 こういう日本的な光景がうかびあがりだしたのは、1960年代あたりからだろう。戦後の住宅政策も、そこにはあずかっていると考える。ここではくわしくのべるゆとりもないが、いずれきちんと検討していきたい。
 さて、日本人は和をもってたったとする民族だと、よく言われる。全体の気配、空気を読みながら、自己主張をおしころす。自我はあまり強くないというころに、国民性があると、長くされてきた。
 しかし、住宅街をながめていると、そうも言いきれない。自己主張の強い住宅を見かける、その頻度が日本は異様に高くなっている。
 そもそも、日本の都市景観じたいに統一感がない。近代的な自我をはぐくんだよされる欧州のほうが、よほど集団主義的に見える。ひとつひとつの建築が個性的にできている度合いで、彼地は日本におよばない。
 ほとうに、我々は全体の調和を重んじる民族なのか。住宅や建築の姿は、再考をせまっているように思うが、どうだろう」
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 観光大国を目指す日本。
 観光とは、自分とは違う生活や風俗に触れ、見た事のない街並みを見て歩き、異文化を楽しみ事である。
 自分と同じ様な生活や真似した街並みに這入り込んで、自国にない商品を買う事ではない。
 日本が目指す観光大国とは、多くの外国人に日本を訪れて貰い、多くの日本製品を土産物として買って貰う事である。
 つまり、日本全国を外国人向けの国際的土産物屋にする事である。 
 日本が自慢する「おもてなし」とは、外国人に安心して気持ちよく土産物を買って消費して貰う事である。
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 外国人観光客が多い国・地域(2014年)。 
 1,フランス‥8,370万人。
 2,アメリカ‥7,457万人。
 3,スペイン‥6,499万人。
 4,中国  ‥5,562万人。
 5,イタリア‥4,857万人。 
 6,トルコ ‥3,981万人。
 7,ドイツ ‥3,300万人。
 8,イギリス‥3,261万人。
 9,ロシア ‥2,984万人。
 10,メキシコ‥2,909万人。
 11,香港 ‥2,777万人。
 12,マレーシア‥2,743万人。
 13,オーストリア‥2,529万人。
 14,タイ ‥2,477万人。
 15,ギリシャ‥2,203万人。
 16,カナダ‥1,652万人。
 17,ポーランド‥1,600万人。
 18,サウジアラビア‥1,509万人。
 19,マカオ‥1,456万人。
 20,韓国 ‥1,420万人。
 21,オランダ‥1,392万人。
 22,日本 ‥1341万人。
 23,ウクライナ‥1,271万人。
 24,ハンガリー‥1,213万人。
 25,シンガポール‥1,185万人。
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 西洋礼賛派日本人は、欧米社会こそ調和が取れた美しい完全体でるとして、日本を欧米化するべく日本らしさを全て壊す事こそ正しい発展であると確信している。
 日本破壊は、日本文化への理解を拒否した西洋礼賛派日本人の手によって徐々に、そして着実に進んでいる。
 自分のみの利権と金儲けを優先する我欲の張った日本人は、日本文化や日本の自然などには興味がなく、関心もなく、理解もなく、ただ自己資産・私的財産を増やすことのみであった。
 ローカルな日本文明と日本文化と日本国語は、世界を画一化・同一化・単純化するグローバル化の波に呑みこまれて消滅する。
 人類の歴史はそうした歴史であり、世界文明史・世界文明史はそうした歴史である。
 グローバルな発展・進歩により、数多のローカルな文明・文化・言語・宗教・習慣がそれを持っていた民族・部族・種族が死滅させられ事によって消滅している。
 人類史・世界史・大陸史は、ローカルを淘汰する事はグローバルの為に「やむおえない必要悪」であったと記している。
 日本文明・日本文化・日本国語は、選ばれたグローバルではなく取り残されたローカルであった。
 発展・進歩を目指す日本人は、西洋的な新しい物が好きで、日本的な古い物が嫌いであった。
 「温故知新」は建前に過ぎずない。
 西洋礼賛派日本人が理想とする日本の町並みとは、西洋の町並みを摸倣した、西洋の町並みと瓜二つの町並みである。
 国際派日本人は、日本らしさを毛嫌いし、日本らしさを完全消滅するべく景気浮揚策の公共事業と称して大金をバラ撒いている。
 今そこに有る金儲けしか興味がない日本人は、近視眼的に四半期決算やせいぜい半期決算しか見ず、長視眼的に数年先はおろか数十年先の利益など見てはいない。
 自分が金儲けをして金持ちになれば、後の事は気にせず、子孫に残そうという気持ちも全く持っていない。
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 2016年8月30日 Newsweek「街の歴史のを守れ レジス・アリノー
 建築物 外国人を魅了する貴重な観光資源に建て替えや再開発の波
 6月8日、JR東日本は20年の東京五輪に向けて原宿駅を建て替えると発表した。五輪会場に近く、混雑が予想されるため、より現代的な構造に改築するする計画だ。現在の駅舎を保存するかどうかは未定だという。JR東日本の冨田哲郎社長は『地元の皆様や渋谷区の意見もいかがい、検討したい』と語ったと、朝日新聞は報じた。しかし著者が入手した情報によれば、五輪終了後の解体が決定済みらしい。
 こんな重要な建築物を解体するなんて、パリやニュ−ヨークなら絶対に許されないはずだ。解体を支持しようものなら、メディアに『野蛮』『残酷』『軽率』とたたかれるのがおち。原宿駅を解体するのは、アフガニスタンバーミヤン遺跡の大仏をタリバンが破壊したのに匹敵する蛮行だ。
 1924年に建てられた現在の駅舎は都内最古の木造駅舎で、間違いなく保存に値する。原宿のおしゃれなエリアにあって、駅舎の控えめなたたずまいはかえって貴重だ。日本らしさが漂うのはあの駅舎があればこそ。あの駅舎がない原宿なんて、世界のどこにでもある特色のないファッション街と変わらない。
 駅だけではない。駅から距離にして200メートル、明治神宮にも近い旧コクド本社ビル跡地は13年にヨドバシカメラに売却された。そんな所にヨドバシカメラのビルが立ったら原宿の価値は下がる。筆者がつかんだ情報では、3月頃にはヨドバシカメラから渋谷区に、建築物の高さ制限の30メートルを超えるビルを建築したいと打診があったらしい。区は拒否したそうだが、いつもで拒み続けられるだろうか。
 日本らしさが消えてゆく
 原宿駅建て替えのニュースで何よりも衝撃的なのは、発表したのが経団連の観光委員会の委員長も務める冨田だったことだ。観光委員長ともあろう人間が、東京屈指の観光遺産に打撃を与える決定を下すとは。観光客は大崎や汐留など無機質な場所には来ない。吉祥寺や新宿のゴールデン街合羽橋に足を運ぶ。彼らが求めているのは、原宿駅のような魅力的な場所が提供される本物らしさなのだ。
 今回の原宿駅のケースのような、ほかのどの先進国でも見られない現象が日本ではこれまでにも何度も起きている。大勢の観光客が日本の不思議な魅力を目当てに押し寄せているのに、当の日本はそれらをことごとく消し去っている。
 東京は急速に、取り壊された建築物の博物館と化している。原宿駅に近い同潤会アパート跡には味気ない表参道ヒルズ虎ノ門の真ん中の、東京の戦後建築の珠宝ともういべきホテルオータニ東京の本館跡に大きな穴。原美術館や東京觥庭園美術館が今のところ無事なのは奇跡に近い。
 建物を『保存』する場合はたいてい、正面以外はほぼ完全に取り壊す。丸の内の明治生命館など『保存』された建物を訪れたことのある外国の専門家に意見を求めれば、ひどいという答えが返ってくるはずだ。
 文化的価値のある建築物をなぜ壊すのか。取り壊しが決まるたび、それは『避けられない』ものとされる。維持費が掛かり過ぎるとも、老朽化して危険といった理由だ。だがこうした建物は、には計り知れない価値があり、壊せば国が損をする。古い建築物の安全強化と保全が両立できないふりをするのは、日本人技師に対する侮辱でもある。
 外国人観光客は強い味方
 人間のやることで『避けられない』ことなどない。美しい建築物を壊すという決定は人間の選択の結果であり、覆すことができる。日本では高すぎる維持費や相続税が、興味深い建築物を所有者が手放す原因になっている。日本もフランスやアメリカなどほとんどの先進国に倣って、文化的価値のある不動産の保存を促進するような税制優遇措置を採用すべきだ。
 ただしそれには日本人が自国の建築物を守るために立ち上がらなければならない。外国人観光客も味方にするべきだ。今のところ、古い建築物を保存できているのは外国人観光客のおかげだ。ゴールデン街の飲み屋に夜な夜な外国人観光客が詰め掛けているので、ゴールデン街はもう壊しにくくなっている。
 それに引き換え、日本の政治家は頼れない。『美しい国』日本を標榜する安倍政権の支持者が、日本の『独自性』を体現する建築物を守る努力をしないとは驚きだ。東京の未来にとって非常に重要な問題なのに、東京都知事選の候補者から何の意見も出なかったのは悲し過ぎる。
 小池百合子都知事はパリのマレ地区に視察に行くといい。下町風情あふれる街並みが戦後も保存され、今ではパリで最も高級で最も人気の観光名所になっている。若い日本人観光客にも人気だ。神田だって20年後にはマレ地区のようになれる。都知事が東京にパリの価値観を持ち込んでもいいではないか。少なくとも、保存が東京に何をもたらすか、議論を促すべきだ。
 歴史的建築物を保存するには、日本の政治家が一丸となって戦わなければならない。原宿駅の建て替えが発表されて間もなく、日本のメディアは鳩山邦夫総務相の訃報を伝えた。思えば、東京駅前の由緒ある旧東京中央郵便局舎の一部を破壊から救ったのは、鳩山の鶴の一声だった。
 この点で鳩山は日本の多くの政治家とは違い、後世に名を残したのかもしれない。日本の為政者がカネ以外にも大事なものはあると考えていた時代があった。旧局舎にが及ばないが、JPタワーの一部として残った部分も、その立派な『生き証人』だ。」
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ウィキペディア
美観地区は、「市街地の美観を維持するために定める地区」である(都市計画法第9条)。平成16年の景観法策定に伴い、美観地区は景観地区に代えられ廃止された。
 地方自治体が指定できる地域地区のひとつで、調和均整のとれた建築美を保っている地区において、その美観を守るために、建築物の配置、構造などが、建築制限などを行える地区。具体的には、建築物の色彩や、屋外広告を規制する地区であると言ってよい。
 美観地区が定められると、この美観地区内では、地方自治体の条例によって、建築物の構造や設備を規制することが可能となる。ただし美観地区が定められていても、その美観地区内での条例はまだ制定されていないというケースが多い。
 なお美観地区に指定された初例は東京都千代田区の中心にある皇居周辺一帯であり、昭和8年(1933年)に指定された。その後、大阪市伊勢市沼津市京都市倉敷市の計6都市に指定された。 このうち、伊勢市沼津市京都市倉敷市の美観地区は景観法に基づく景観地区に移行している。
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