🌁55〉─2─移民社会ニッポンの縮図、北関東のリアル。増える外国人移民。~No.385 

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 2023年7月17日 YAHOO!JAPANニュース 中央公論「室橋裕和×安田峰俊 移民社会ニッポンの縮図、北関東のリアル
 室橋裕和氏(左)×安田峰俊氏(右)
 今年に入り北関東に暮らす移民についての本を相次いで上梓したノンフィクションライターが、北関東移民の実情とその文化の魅力を語り尽くす。
 (『中央公論』2023年8月号より抜粋)
 ガチな異文化を求めて
――お二人が北関東の移民社会を取材されるようになったのは、何がきっかけだったのでしょうか。
 室橋》僕が住んでいる東京の新大久保は、留学生あるいは商店や会社の経営者など、非常に多くの外国人が暮らしている地域です。最近では「ガチ中華」と呼ばれるような、日本人の嗜好に寄せない「異国メシ」を出す店もブームですし、韓流アイドルグッズを求めてコリアンタウンに来る若者も多いのですが、日本人と外国人がサービスやビジネスを介さずに触れ合う機会は、新大久保でもそれほど多くはありません。
 ところが北関東では、労働者として働く外国人が多いこともあってか、都内よりも濃密な外国人コミュニティがあり、日本人との距離も近く、トラブルも含めた生々しい交流があります。最初は都内ではまずお目にかかれないような、本当のガチ異国メシが食べられるのが楽しくて、ちょくちょく通っていたのですが、徐々にリアルな外国人社会に惹かれるようになりました。しかも道一本違っただけで、まったく別の国のコミュニティが現れる。良い意味でも悪い意味でも、強烈なダイバーシティ(多様性)があるんですよね。
 安田》私は中国ライターですが、大学院で東洋史を専攻していましたので、ベトナムの漢文の土地文書を読む機会があったり、以前からベトナムとは接点がありました。もともと中国の南方地域がフィールドなので、ベトナムは地理的にも地続きです。
 直接のきっかけは、2015年に出した『境界の民』(文庫化に際し『移民棄民遺民』に改題)で、ベトナム難民やその二世に取材をした際、当時高校生だったチー君という難民二世と知り合ったことでした。コロナ禍のさなかの20年5月、もう社会人になっていた彼が住む群馬県伊勢崎市に遊びに行ったんです。アパートの隣の部屋に技能実習生の女の子たちが住んでいて、一緒にご飯を食べたり遊んだりしたんですね。技能実習先から逃亡したボドイ(ベトナム人不法滞在・不法就労者)のことも、そのとき詳しく知りました。
 コロナ禍はボドイにも大きな影響を与えて、困窮した人や犯罪に走る人も多くいたようでしたが、なにぶん地下に潜っている人たちなので、普通に取材をしようとしても容易には実情をつかめない。でも伊勢崎のアパートの一室から扉が急に開いてしまったので、これはもう行くしかないと思って本格的に取材を始めたんです。おりしも20年秋には北関東一帯で家畜の大量窃盗事件が頻発して、ボドイたちの犯行が疑われていたタイミングでもありました。
 「フホー」のいる日常
 室橋》安田さんの『北関東「移民」アンダーグラウンド』では、鉾田(ほこた)市(茨城県)の同じキュウリ農家で働いていたボドイ同士の諍いから起こった殺人事件を取材していますね。僕の『エスニック国道354号線』でも、ベトナム人の間で「失踪したら鉾田に行け」が合言葉になっていることを紹介しています。高崎市群馬県)から鉾田に至る国道354号線を軸にすれば、北関東一帯の移民社会化が描けるのではないかというのがこの本の構想だったのですが、現実の鉾田で起こっているベトナム化は、想像以上でした。
 安田》至るところに掲げられた「日本で一番やさいをつくる街」というスローガンの通り、全国トップの農業産出額を誇る鉾田では稼いでいる農家が多く、かつては中国人技能実習生も数多く働いていた地域ですが、その待遇では良くない評判も耳にしてきました。中国の経済成長を受けて、現在の実習生の多くはベトナム人へと変わりました。彼らにとっての鉾田は最初に働きに来る場所であると同時に、職場から脱走して失踪を繰り返したあとに、最後に流れ着く土地でもあるんですよね。
 室橋》一見するとのどかな農村ですけど、「フホー」と呼ばれる不法就労者と正規の実習生が、ごく普通に同じ職場で働いているんです。畑がきれいだったので農作業をしていたおっちゃんに撮影許可を求めたら、「奥のほうで働いてんのフホーだから。カメラ構えたら逃げっかもな。ワハハハ」と言われて、地元の人たちの感覚に驚いたこともありました。
 安田》拒否も拒絶もしない代わりに、あまり人間扱いもしていない。事件のあった農家は何年も前から2人のボドイを雇って、彼らが帰国する際には別のボドイを紹介してもらうというやり方で不法就労が常態化していたのですが、どうやら前任者の時代からボドイ同士の関係が悪かったみたいなんですね。ハウスでの作業中に何らかの諍いが起こり、いきなり芽切り用の鋏で相手の喉を刺して殺してしまった。ですが、隣接する農家のおばあちゃんに話を聞いても、「お隣はかわいそうなのよ。いきなり働き手が2人も減ったんだから」と、外国人の人命よりも人手不足に同情していました。それが彼女のヒューマニズムなんですよね。
 室橋》中国人実習生がいなくなった原因の一つは、残業代を払わない雇用主が彼らに提訴されたことだったみたいですね。そうなると雇う側としては、あまり教育を受けていない、ベトナム人実習生は好都合なんです。地元の人たちはそのことに疑問を感じておらず、話を聞くと何でも答えてくれるので、取材はすごくしやすかったんですけど。
 安田》「これを喋ると問題になるかも」という意識もない。
 室橋》カジュアルなんですよね。こっちの感覚が狂いそうになる瞬間が、何度もありました。
 移民社会が生まれた理由
――国道354号線に沿って移民社会が形成された背景には、どのような事情があったのでしょうか。
 室橋》端的に言えば、日本人がやりたがらない仕事、産業がそこにあったということに尽きます。昔は東武伊勢崎線沿線に、食品加工や製造業の工場が多く並んでいて、バングラデシュパキスタン、イランなどから来た不法滞在者たちが多く働いていたと聞きます。次第にそれらが354号線沿いに移動していったわけですが、不法滞在者から見れば背景や立場を問わずに働かせてくれる場があり、雇用する側から見れば使いやすい労働力がどんどん供給される地域だったということですね。
 安田》土地が広く安いから工場も多く建つし、外国人が中古車ディーラーなどをやることも多かった。
 室橋》土地が安いというのは大きいですね。車を保管する「ヤード」が確保しやすく、ディーラーを経営するパキスタン人やスリランカ人は多いですし、解体業などに事業を展開していった人も少なくありません。
 安田》移民社会が拡大すると、故郷の食事(異国メシ)のほか、信仰もどんどん持ち込まれるようになります。北関東に多くある寺院やモスクがそれで、シク教寺院や、イスラム教人口の約1割に過ぎないシーア派のモスクなんてレアなものもある。
 室橋》マニアにはすごく面白い。(笑)
 安田》最高ですよ(笑)。最近はヒンドゥー寺院が増えていますね。
 室橋》中古車業などで財を築いた経営者が、スーパーを居抜きでポンと買ってモスクにするなど、みんなお金を持っているんだなと思います。
 安田》都内にもヒンドゥー寺院はいくつかありますが、新宗教系や、伝統ヒンドゥーに対する改革派の寺院が多いですよね。
 室橋》特定の神様を信仰するような。
 安田》はい。北関東のヒンドゥー寺院はもう少し伝統的な、間口が広いヒンドゥー教という印象があります。
 室橋》最大公約数的な信仰で、お祭りなんかも積極的にやっていて面白いですね。あとは近所の人たちとうまくやれればいいんですけど、そこが最大の課題かもしれません。
 安田》インド系コミュニティには、驚くほど日本語が流暢な人がいますから、地元とうまくやりとりできると思うんですが、あまりやらない。
 室橋》そうなんですよ。そのあたりはタイ人のほうが上手な印象がありますね。同じ仏教徒だからか、日本人と近しくなりやすい。
 安田》日本と比べてタイの仏教のほうが本格的なイメージがあるせいか、尊敬されやすいのかもしれませんね。
 室橋》日本のお坊さんみたいに肉を食べないし。
 安田》酒も飲まないですしね。
 室橋》寺院で行うお祭りの日時を事前に警察に連絡したりとか、タイの人たちはマメですね。モスクもそれなりにやっているみたいですけど、ヒンドゥー寺院はあまりそういう目配りをしないような印象があります。北関東はやはり田舎ですから、いきなり宗教施設が建って大量の外国人が押し寄せたら、地域住民はビビりますよね。
 安田》飲食店は宗教施設よりもさらに説明責任がないから、いきなりそこがコミュニティになったら、やっぱり怖いと思う人もいるでしょう。
 室橋》外国人向けの食材店やレストランに入る地域住民は少ないですよね。たまに来るのは僕らみたいなマニアや旅好きな人ぐらいで、「あそこは怖い」みたいに思われているところはありそうです。
 (後略)
 構成:柳瀬 徹
 室橋裕和(ライター)×安田峰俊ルポライター
◆室橋裕和〔むろはしひろかず〕
 1974年埼玉県生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年にわたりタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。著書に『ルポ新大久保』『エスニック国道354号線』など。
安田峰俊〔やすだみねとし〕
 1982年滋賀県生まれ。広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了。立命館大学人文科学研究所客員協力研究員も務める。著書に『八九六四』(城山三郎賞大宅壮一ノンフィクション賞)、『現代中国の秘密結社』『「低度」外国人材』『北関東「移民」アンダーグラウンド』など。
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